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第19章 ティーチャーズ&クリーチャーズ
大人を探して2
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「……例によって話が違うな」
公園の噴水広場の一角で、舞奈はやれやれとひとりごちる。
放課後に支部へ赴いた後、亜葉露町までとんぼ返りした舞奈。
週末の蜘蛛探しの引率役を頼もうと常識的な大人であるハットリか、あるいは萩山の連絡先を知っているらしいえり子がいると聞いたからだ。
だが見つかったのは非常識な大人ことハニエルのみ。
えり子もハットリも、探せど探せど見つからない。
同行しているはずのヤニ狩りのチームとも出くわさなかった。
そうこうしているうちに公園まで来てしまったのだ。
学校帰りだろうか、キャッキャウフフとかしましい女子高生たちを眺めながら、
(こうなったら引率は高校生にでも頼もう)
そう舞奈は決意していた。
楓でもいいし、小夜子でもいい。
どちらも舞奈より大人で、園香父に信頼されている。
そして舞奈ほどじゃないが腕も立つ。
よく考えれば子供たちのちょっとした冒険の引率にはうってつけではないか。
……支部に行く前に気づけばよかった。
なんなら奈良坂でも構わない。
まあ確かに彼女の腕前は今ひとつ。
先日に相対したエミル・リンカー、クラリス・リンカーからの評価も「料理が得意ならそっちに専念したほうがいいかも」という忌憚ないものだった。
だが、それは腕利きの術者や異能力を操る怪異を相手取った場合の話だ。
奈良坂の仏術の腕前そのものはちょっとしたものだ。
相手が数匹の脂虫程度なら二重の身体強化をかけて立っているだけでも用は足る。
何せ、その耐久力は以前に乗用車に轢かれて無傷だったほど。
殴っても刺してもビクともしない無敵の壁だ。
それに一応、彼女は以前に園香の護衛をしたことがある。
親御さんの覚えも良いはずだ。
そもそも子供だけで探検に行くのが危ないから引率役を探していたのだ。
ならば高校生だって年上だ。
引率の役目は十分に果たせる。
元より舞奈が候補に入れていた大学生の萩山とだって年齢差は数年だ。
そんな屁理屈で理論武装しながら噴水広場をだらだら歩く最中……
「……おっ」
見知った制服姿の三つ編みおさげを発見した。
支部のもうひとりのSランクこと椰子実つばめだ。
舞奈と同じくらいの背丈だが、これでも彼女は高校生。
再び名案を思い付いた直後のラッキーにほくそ笑む。
つばめは噴水広場のベンチの端にしゃがみこんで、大きな図体の茶トラの猫――公園を仕切っているボス猫に餌をやっていたらしい。
女子高生らしい可愛らしい仕草だ。
まあ自分と同じくらいの背丈の女子高生がベンチでふんぞり返ったデカイ猫にそうする様が、猫にカツアゲされてるみたいに見えのはともかくとして。
「つばめちゃんじゃないすか。ちーっす」
「あ。ま、舞奈さん。こんにちは……」
できるだけ気さくに声をかけてみると、つばめは顔を上げて挨拶を返す。
おどおどした挙動が知ってる通りの彼女なので、舞奈はますます笑顔になる。
そのままベンチの猫からひとり分のスペースを開けて腰かける。
猫が「何だ?」みたいな視線を向けるが笑顔でスルー。
公園のベンチは皆のものだ。
なので猫の端から見上げてくるつばめを視線で誘う。
せっかくだから座って話そうと思ったのだ。
舞奈はつばめと出会って日が浅いが、気の弱い彼女へのお願いは落ち着いてしたほうが良い結果が得られるだろうことは容易に想像がつく。
だがつばめより早く猫が億劫そうに立ち上がる。
のそのそ舞奈の隣に移動してきて……
「やめろよつばめちゃんが座れないだろ」
口をへの字に曲げる舞奈の太ももの上に、
「……っておい。重たいんだが」
土足で乗り上がってきた。
文句を言ってはみるが、当然ながら猫はお構いなし。
舞奈の顔に尻を向けつつ背筋をピンとのばしてのびをする。
顔面にぶち当たった尻尾に「うわっぷ」と鼻先をくすぐられて睨む舞奈に構わず、猫は舞奈の膝小僧に頬ずりして匂いをつける。
そのまま太ももを押さえて位置を整えながら丸くなる。
「わがもの顔だな……」
愚痴りつつも、仕方なく猫の背中を撫でてやる。
猫は気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らして尻尾を振る。
まったく図々しいことこの上ない。
「すみません……」
何故かつばめが謝りながら、舞奈の隣にちょこんと腰かける。
そんなつばめを見やり、
「そのなんだ、お疲れさま」
「えっ? あ、どうも……」
できるだけ何気ない口調でねぎらう。
戸惑いながらも照れるつばめを見やって笑う。
彼女もまた先日の決戦で、ヴィランや怪異たちと戦ってくれた。
量産型スピナーヘッドの群をなぎ倒し、歩行屍俑の群を相手に苦戦していた小夜子たちのピンチに駆けつけてくれたらしい。
「それに、あんたには以前に何度か世話になってる。その礼もまだだったな」
「いえ、そんな……」
「本当の事だぜ。ありがとう。あんたのおかげで万事がうまくいった」
恐縮するつばめに、真面目な口調で言葉を続ける。
彼女は以前のKASCとの決戦でも宙にあずさの幻を浮かべて援護してくれた。
魔獣マンティコアとの戦闘でもチャビーの幻で援護してくれた。
チャビーがさらわれた時にも猫たちの情報網で探してくれた。
その恩義を忘れることは無い。
最初に会った時に礼を言えればよかったのだが、あの時はそれどころじゃなかった。
対してつばめは「どうも……」と恐縮する。
彼女からしても舞奈はあまり面識のない相手なはずだ。
聞いていたのと違う言動に少し驚いているのだろう。
そんなつばめを見やって舞奈は笑い、
「でさ、そのチャビーが週末に……」
本題に入りかけて、だが不意に気づいた。
彼女がいれば百人力なのは事実だ。
何せつばめは呪術と魔術を共に極めた大魔道士。
その火力はハニエル以上。
大魔法の威力は怪異に占領された街ひとつを焼き払うほどだ。
先日の決戦でも怪異の巨大ロボット歩行屍俑を一投一殺していたと聞く。
そんな彼女がついていれば、冒険中に危険なんてあろうはずもない。
あえて言うなら林に歩行屍俑がひしめいていて空に空中戦艦が待ち受けているくらいすると、ようやく同行者の安全を優先して撤退を余儀なくされるくらいか。
相対的に彼女から離れて街にいるほうが危険とも言える。
……だが彼女が引率ですと園香の親父さんに紹介できるかと言うと話は別だ。
つばめちゃんは小さくて可愛いが、見た目は舞奈と同じほどの背丈の女子高生だ。
挙動もおどおどしていて奈良坂とは違った意味で頼りない。
下手をすると、舞奈が適当な女子高生に口裏合わせを強要したと取られかねない。
実際に街ひとつ焼き払って実力を示す訳にもいかないし。だから、
「……いや。そういや諜報部がノコギリで普通に脂虫を切ってたんだが、そんなことができるような魔術なんてものがあるのか?」
「えっ? ……ニュットか誰かがヤニ狩りにつき合ってたの?」
「あいつがそんな殊勝なことせんだろ」
「あはは、そうだね」
無理やりに話題をそらす。
魔術と言ったのだから魔術師がいるのだろうと普通に理解できるのは、彼女もまた魔術と呪術を共に極めた大魔道士だからだ。
あとニュットのネタで割と本気で笑ってくれたようだ。
同志が見つかったみたいで胸が少しすっとした。
そのままつばめの肩を抱こうとしたら、猫が意図的に尻尾を顔に当ててきた。
なでるのを止めたのが気に入らないらしい。
仕方なく舞奈は猫をなでる作業を再開しつつ、
「いたのはハニエルだ。あいつがヤニ狩りってのも大概に珍しいがな」
「そっか。ハニエルさんなら高等魔術の【石化】をかけたんだと思います。物質を石にする魔術なんだけど、慣れれば硬度や粘度を操作できるから……」
「へぇ、そんなこともできるのか」
つい先ほど見かけた全裸の姿を思い出しながら苦笑する。
対してすらすらと答えるつばめ。
舞奈は素直に感心する。術の知識に自信がある訳じゃなく、特に自信とかなくても自然に語れるくらい術に習熟しているのだ。
伊達に大魔道士な訳じゃない。
だが、そんなつばめの頬は少し赤らんでいる。
彼女にもハニエルの全裸を思い出させてしまったらしい。
件の決戦で彼女に同行したというハニエルが普段通りの格好だったのだろう。
舞奈が相手なら笑い話で済むが、小さくて可愛い彼女には刺激が強かったようだ。
奴も悪い意味でぶれないなあ。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
結局、舞奈はつばめと少し世間話をしてから別れた。
猫が不満そうだったが無視した。
もちろんつばめはハットリやえり子の居場所は知らなかった。
なので舞奈は当初の予定通りに九杖邸へと向かう。
やはり頼れるのは旧知の友だ。
思いつきがお釈迦になるような余計なことが起きないうちに話をまとめよう。
そんな事を考えながら足を速める最中……
「……あっ舞奈」
「どうしたのよこんなところで?」
「ようテック、明日香も揃ってどうしたよ?」
「週末の蜘蛛探し、サチさんたちに頼もうと思って」
テックと明日香と鉢合わせた。
どうやら2人も同じことを考えていたらしい。
丁度良いので3人で九杖邸にお邪魔して……
「……止めてくれればよかったのに」
「簡単に言うがなあ」
この上なく不機嫌そうな反応に思わず口をへの字に曲げる。
事情を話した舞奈に開口一番、返ってきたのが小夜子のこの台詞だ、
気まずい沈黙の中、庭のししおどしがタンと鳴る。
まあ小夜子の思惑も理解できない訳じゃない。
チャビーは小夜子のお隣さんだ。
たまに一緒に登校したりして仲もいい。
そんな幼女にムクロザキ由来の厄介な探し物をさせるのが気に入らないのだ。
だが舞奈も好き好んで毒蜘蛛探しなんかしてる訳じゃない。
チャビーだって舞奈の方から誘った訳じゃない。
飼っていた生き物がいなくなった先生が悲しまないよう蜘蛛を探してあげたいとキラキラした瞳で訴えるチャビーを頭ごなしに止められるなら止めてみろと少し思う。
だが、そんな舞奈の背後から――
「――ごめんね舞奈ちゃん。今度の土日は諜報部の仕事でつき合えないから……」
「それで気が立ってるのか」
かけられたサチの言葉に納得する。
サチはそのまま手にしたお茶と茶菓子を慣れた手つきで並べる。
その際に形のいい大き目な胸が揺れる様子で目の保養をする。
すると小夜子が睨んできた。
厄介事を持ちこんだついでにセクハラかよと思われたらしい。
舞奈は誤魔化すように熱いお茶をずずっとすする。
明日香もすする。
テックは猫舌なので茶菓子に手をのばす。
なるほど自分の手が届かないところでチャビーが危険なことをするのが嫌なのだ。
小夜子も相応に腕が立つ。
日曜日につき合えるなら一緒に来てチャビーのお守りをすれば用は足る。
というか、舞奈たちもそれを期待して声をかけた。
それすらできないのが、なおさら気にいらないのだ。だが……
「……って、忙しくなるような何かあったっけ?」
「機密事項よ」
首をかしげる舞奈に小夜子はにべもなく答える。
「おいおい、また何か厄介事じゃないよな?」
「前の作戦の後始末が残ってるだけよ」
「だといいけどな」
聞いてみた答えに舞奈は口をへの字に曲げる。
へそを曲げられたのではなく本当に守秘義務があって話せないのだろう。
所詮は舞奈は仕事人、小夜子は諜報部の執行人だ。
話せない事のひとつやふたつはあって然り。
側の明日香も訝しんでいるので機密なのも本当らしい。
後でテックに調べてもらえばわかるかもしれない。
だが、こちらも現段階で抱えている以上に厄介事を増やす余裕はない。
舞奈は深々とため息をつく。
これで大人探しは振り出しに戻ってしまった。
この後はどうしようかと明日やテックと3人で困っていると――
「――探している蜘蛛というのは、こういう蜘蛛ですか?」
「うわっ!」
天井からドサリと落ちてきた何かに思わず一挙動で跳び上がって身構える。
背後で明日香もテックをかばって身構える気配。
舞奈は落ちてきたそれを油断なく見やる。
事もあろうに、畳の上でゆっくりと立ち上がったのも蜘蛛だった。
毛むくじゃらな身体の正面で輝く複眼。
8本の脚。
紛うことなき蜘蛛だ。
それも犬くらいの大きさの代物。
まともな相手な訳がない。
ちゃぶ台の反対側で、小夜子もサチをかばって低く構える。
呪句すらなく一瞬で【コヨーテの戦士】を行使。
身体から溢れる余剰な魔力を【霊の鉤爪】の輝くカギ爪と化してのばす。
人目がなく術を行使して問題ないかどうかを常に意識していて、曲者の出現と同時に躊躇なく自身を強化したのだ。
週末につき合ってもらえないのが本当に残念なくらい無駄のない完璧な対応だ。
それに引き換え……
「……やって良い事と悪い事のラインを考えろよ」
舞奈は蜘蛛を睨みつける。
この蜘蛛は楓が変身した蜘蛛だ。
そう舞奈は確信した。
もちろん舞奈は変身の魔術【変身術】を魔法感知で見破る事なんてできない。
だが訳のわからない生物があらわれたら楓を疑うべきだと学習していた。
何故ならこいつもムクロザキやニュットと同じくらい曲者だ。
みゃー子と同じくらい突飛で訳が分からない言動もする。
しかも厄介なことに、ウアブ魔術を操る魔術師だ。
ピンポーン!
玄関の呼び鈴が鳴った。
「あっ紅葉ちゃんだわ」
言いつつサチが玄関に向かう。
小夜子は蜘蛛を警戒しながらサチに背を向け、部屋の外へと逃す。
SPがVIPを護衛するときみたいな完璧な挙動だ。
そんな様子を見やり、
「あんたの家のバーストに、厳しめに叱ってもらえ」
「いえ大きすぎて逆に怯えられまして……」
口をへの字に曲げる舞奈に、蜘蛛は予想通りに楓の声で答える。
犬ほどの大きさの蜘蛛の口パクに合わせて人の声が聞こえる絵面はかなりアレだ。
なるほど確かにデカくてキモい。
そのせいでブルジョワの無駄に豪華なマンションの自室で飼っている猫のバーストにも嫌がられてしまったらしい。自業自得だ。
「噛みつかれたりとかしましたし」
「かわいそう……」
テックの言葉に蜘蛛は「でしょう! でしょう!」みたいな仕草でうなずき、
「……猫が」
素直な感想にしょんぼり凹む。
蜘蛛の見た目なのに、しょんぼり加減が伝わるほどだ。
だが無軌道な飼い主を持ったバーストも大変だなと思う気持ちは舞奈も同じだ。
「――姉さんがごめん」
廊下側のふすまをすすっと開けて紅葉が入ってきた。
非常識なサイズの蜘蛛を見て、身構える舞奈たちを見て事情を察したらしい。
やれやれと苦笑する。
「でもね、バーストは姉さんが憎くて噛んだんじゃないんだよ」
続く一聴すると毒親みたいな台詞に、
「【変身術】で変身した姉さんは美味そうな匂いがするらしいんだ」
「なるほど猫は霊格が高いですからね……」
明日香が納得する。
楓の妹にしてウアブ呪術師でもある紅葉は、術で猫の言葉を話せる。
そして付与魔法の一種である【変身術】で変身した術者は魔法的だ。
「……ネコポチやルージュに余計なことするなよ」
「まだ何もしてないでしょ」
「してからじゃ遅いんだよ」
隣の明日香に言ってみたら睨まれた。
魔術師は付与魔法が不得手だが、今では明日香も使いこなすことができる。
生真面目な彼女が猫に好かれたい一心で楓みたいな真似はしないと信じたいが。
そんな風に皆で大蜘蛛を囲んでいると……
「……ごめんね茶菓子がひとり分しかなくて」
再びふすまが開き、今度はサチが入って来た。
手にはおぼん。
乗っているのは茶と茶菓子。
「すいません、おかまいなく」
「そうだぜ蜘蛛には庭のゲジゲジで十分だろう」
紅葉は礼儀正しく、舞奈は蜘蛛を見やりながら軽口を叩く。
「ええ……」
しょんぼりとうなだれた蜘蛛が魔法の光に包まれる。
塩対応に流石に心が折れたのだろう。
大きな蜘蛛の形の光は包帯がほどけるように解体され、中から人が出てくる。
術者である楓が変身の魔術【変身術】を解除したのだ。
「じゃーん。楓さんでした」
「その台詞は前にも聞いたよ」
「……実は先日、他の魔術師と協力してメジェド神を創造する機会がありまして」
「ああ、大活躍だったな」
人間に戻って開口一番で言い訳が始まったが、そこにはあえてツッコまない。
先日というのは、もちろんヘルバッハとの決戦のことだ。
楓や紅葉もまたヒーローたちと共にヴィランや歩行屍俑と戦ってくれた。
普段の楓はこんなだが、術者としての腕前は相当だ。
先日も死神デスリーパーを退け、共闘して歩行屍俑の群に立ち向かったらしい。
力を合わせて巨大な魔獣を創造して歩行屍俑を襲いまくったとか。
舞奈はその場に居合わせた訳ではないが、事件を元に作成された映画で印象的なフィルムになっていたので覚えている。
そんな楓は、
「その際に己の知識の至らなさを痛感し、精進しようと思ったんですよ」
そんな一聴すると殊勝に聞こえる釈明をしてみせた。
「それで色んなものに変身しまくってるのか」
「ええ、攻撃力の高いものをと思いまして」
「攻撃力が高いと思うんなら、人ん家の天井から降ってこんでくれ」
続く言葉に苦笑する。
「我が心の師シャドウ・ザ・シャークに倣って海洋生物に挑戦してみたりもしたのですが、中々しっくりするものが見つからず」
「よりによってあいつが師かよ」
楓の台詞に、彼女やムクロザキと同じくらい傍迷惑だった高等魔術師のサメ女ヒーロー、シャドウ・ザ・シャークことKAGEを思い出して苦笑しつつ、
「栗は強そうなのですが動けないですし」
「……ウニですか?」
続く世迷い事に明日香が冷ややかにツッコむ。
対して楓はひとり分しかない紅葉の茶菓子を何の遠慮もなくボリボリむさぼる。
「おおい、本当に中等部を卒業したんだろうなあんた」
舞奈は楓を見やって苦笑して、
「あのね舞奈ちゃん。楓ちゃんって、学校の成績は学年トップなのよ」
「なんだと!? 間違ってるだろういろいろと……」
サチの言葉に思わず口をへの字に曲げる。
「十分以上の魔力を賦活できれば本来の肉体とかけ離れたサイズのメジェドを創造する事ができ、術に知識をこめることでより精密かつ効率的な創造が可能なのです」
楓は構わず言葉を続ける。
魔術師による召喚/創造や変身の魔術は魔力で因果律を操る技術だから、施術後の対象のサイズが元のサイズと違うほど必要な魔力も多くなる。
無から召喚ないし召喚するなら単純に大きいものを創るほど魔力を使う。
変身なら、元の身体との差異に応じて必要な魔力が変わる。
つまり楓なら蜘蛛サイズの蜘蛛より大きな蜘蛛に変身するほうが容易だ。
そんな事を語る楓を見やり、
「待って……」
テックは何か思いついたのだろう。
携帯を取り出して操作して……
「……なら蜘蛛の目はもっと、こう」
「こうですか……」
「余計な餌をやらんでくれ」
携帯に表示された画像を見やりながら、楓はコプト語の呪文を唱える。
途端、楓の周囲に光の包帯があらわれ術者を包みこみ……
「……」
「………………」
頭だけ蜘蛛に変身した。
そんな酷い絵面にテックは無表情ながらも少し後悔した顔をする。
不気味なことこの上ない。
皆も絶句する。
さらに楓はその格好のまま机上の茶菓子をつまんでボリボリ食べる。
「その頭で味がわかるのか?」
舞奈もやれやれと肩をすくめ、
「……まあいいや。話は聞いてたんだろう?」
「ええ、黒崎先生の蜘蛛を探しに行くと」
答えつつ変身を解除した楓に、
「なら丁度いい。暇だったら週末の引率を引き受けてやっちゃあくれないか? 紅葉さんも一緒に」
尋ねてみる。
楓の普段の言動はこんなだが、腕が立つのは本当だ。
しかも小癪にも上面は良いので、妹の紅葉ともども園香父から信頼されている。
そして、もうひとつ。
術で蜘蛛に化けられるというのなら、件の蜘蛛に何かあった場合に代わりにムクロザキに差し出してやることもできるのではないだろうか?
そんな邪念に気づいた訳ではないのだろうが、
「いえ、今度の日曜は大学の講演会に伺う予定でして」
楓は申し訳なさそうな口調で答えた。
「大学に知り合いでもいるのか?」
「ふふっ舞奈さんも聞いたらビックリする方ですよ?」
「誰だよ?」
「なんと黒崎先生なんですよ。あの方、生物学の博士号を持っているそうで」
「あの野郎! 人に雑用押しつけといて、てめぇはてめぇの用事かよ」
続く言葉に舞奈は思わず虚空を睨みつける。
……結局、九杖邸でも舞奈は茶菓子を御馳走になっただけでおいとました。
収穫はなかった。
なお帰り際に『画廊・ケリー』に寄った。
タイミングよくリコを遊びに連れて行ってくれていた奈良坂と鉢合わせた。
奈良坂は今週末に追試を言い渡されたと凹んでいた……。
同じ頃、
所は変わって奈良県某所の自販機の前で……
「……モモジュース! モモジュース!」
長い銀髪をはためかせながら、白人の幼い少女がぴょんぴょん跳ねていた。
メリルである。
自販機の一番上のジュースを買いたいが、背が足りずにボタンが押せないのだ。
疲れたメリルは立ち止まる。
実はメリルは巨大な氷のヴィラン、イエティの中の人だ。
だが公共の往来で変身する訳にもいかない。
だから再び、どうにか自力でボタンを押そうと跳びはねていると――
「あー、これが買いたいのですかな?」
人の好さそうなおじさんがボタンを押してくれた。
下の口からガタンと出てきたジュースの缶を、メリルは満足そうに見やる。
みずみずしい汗をかいたジュースの缶には艶やかな桃が描かれている。
大好物の桃の絵を見やった幼女はニコニコ笑顔になる。
「ありがとう」
「いえいえ、礼には及びませんよ」
おじさんは温和な笑みを浮かべる。
年もいって地味な顔立ちだが、笑いえくぼが長い、人の良さそうなおじさんだ。
そんなおじさんは仕立ての良い背広をなびかせ――
「――こんなところにいらっしゃいましたか。そろそろ演説の時間です」
「ああ、そんな時間でしたか。それではお嬢さん、良い観光を」
背中で手を振りながら、SPらしき男女に連れられて去っていった。
公園の噴水広場の一角で、舞奈はやれやれとひとりごちる。
放課後に支部へ赴いた後、亜葉露町までとんぼ返りした舞奈。
週末の蜘蛛探しの引率役を頼もうと常識的な大人であるハットリか、あるいは萩山の連絡先を知っているらしいえり子がいると聞いたからだ。
だが見つかったのは非常識な大人ことハニエルのみ。
えり子もハットリも、探せど探せど見つからない。
同行しているはずのヤニ狩りのチームとも出くわさなかった。
そうこうしているうちに公園まで来てしまったのだ。
学校帰りだろうか、キャッキャウフフとかしましい女子高生たちを眺めながら、
(こうなったら引率は高校生にでも頼もう)
そう舞奈は決意していた。
楓でもいいし、小夜子でもいい。
どちらも舞奈より大人で、園香父に信頼されている。
そして舞奈ほどじゃないが腕も立つ。
よく考えれば子供たちのちょっとした冒険の引率にはうってつけではないか。
……支部に行く前に気づけばよかった。
なんなら奈良坂でも構わない。
まあ確かに彼女の腕前は今ひとつ。
先日に相対したエミル・リンカー、クラリス・リンカーからの評価も「料理が得意ならそっちに専念したほうがいいかも」という忌憚ないものだった。
だが、それは腕利きの術者や異能力を操る怪異を相手取った場合の話だ。
奈良坂の仏術の腕前そのものはちょっとしたものだ。
相手が数匹の脂虫程度なら二重の身体強化をかけて立っているだけでも用は足る。
何せ、その耐久力は以前に乗用車に轢かれて無傷だったほど。
殴っても刺してもビクともしない無敵の壁だ。
それに一応、彼女は以前に園香の護衛をしたことがある。
親御さんの覚えも良いはずだ。
そもそも子供だけで探検に行くのが危ないから引率役を探していたのだ。
ならば高校生だって年上だ。
引率の役目は十分に果たせる。
元より舞奈が候補に入れていた大学生の萩山とだって年齢差は数年だ。
そんな屁理屈で理論武装しながら噴水広場をだらだら歩く最中……
「……おっ」
見知った制服姿の三つ編みおさげを発見した。
支部のもうひとりのSランクこと椰子実つばめだ。
舞奈と同じくらいの背丈だが、これでも彼女は高校生。
再び名案を思い付いた直後のラッキーにほくそ笑む。
つばめは噴水広場のベンチの端にしゃがみこんで、大きな図体の茶トラの猫――公園を仕切っているボス猫に餌をやっていたらしい。
女子高生らしい可愛らしい仕草だ。
まあ自分と同じくらいの背丈の女子高生がベンチでふんぞり返ったデカイ猫にそうする様が、猫にカツアゲされてるみたいに見えのはともかくとして。
「つばめちゃんじゃないすか。ちーっす」
「あ。ま、舞奈さん。こんにちは……」
できるだけ気さくに声をかけてみると、つばめは顔を上げて挨拶を返す。
おどおどした挙動が知ってる通りの彼女なので、舞奈はますます笑顔になる。
そのままベンチの猫からひとり分のスペースを開けて腰かける。
猫が「何だ?」みたいな視線を向けるが笑顔でスルー。
公園のベンチは皆のものだ。
なので猫の端から見上げてくるつばめを視線で誘う。
せっかくだから座って話そうと思ったのだ。
舞奈はつばめと出会って日が浅いが、気の弱い彼女へのお願いは落ち着いてしたほうが良い結果が得られるだろうことは容易に想像がつく。
だがつばめより早く猫が億劫そうに立ち上がる。
のそのそ舞奈の隣に移動してきて……
「やめろよつばめちゃんが座れないだろ」
口をへの字に曲げる舞奈の太ももの上に、
「……っておい。重たいんだが」
土足で乗り上がってきた。
文句を言ってはみるが、当然ながら猫はお構いなし。
舞奈の顔に尻を向けつつ背筋をピンとのばしてのびをする。
顔面にぶち当たった尻尾に「うわっぷ」と鼻先をくすぐられて睨む舞奈に構わず、猫は舞奈の膝小僧に頬ずりして匂いをつける。
そのまま太ももを押さえて位置を整えながら丸くなる。
「わがもの顔だな……」
愚痴りつつも、仕方なく猫の背中を撫でてやる。
猫は気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らして尻尾を振る。
まったく図々しいことこの上ない。
「すみません……」
何故かつばめが謝りながら、舞奈の隣にちょこんと腰かける。
そんなつばめを見やり、
「そのなんだ、お疲れさま」
「えっ? あ、どうも……」
できるだけ何気ない口調でねぎらう。
戸惑いながらも照れるつばめを見やって笑う。
彼女もまた先日の決戦で、ヴィランや怪異たちと戦ってくれた。
量産型スピナーヘッドの群をなぎ倒し、歩行屍俑の群を相手に苦戦していた小夜子たちのピンチに駆けつけてくれたらしい。
「それに、あんたには以前に何度か世話になってる。その礼もまだだったな」
「いえ、そんな……」
「本当の事だぜ。ありがとう。あんたのおかげで万事がうまくいった」
恐縮するつばめに、真面目な口調で言葉を続ける。
彼女は以前のKASCとの決戦でも宙にあずさの幻を浮かべて援護してくれた。
魔獣マンティコアとの戦闘でもチャビーの幻で援護してくれた。
チャビーがさらわれた時にも猫たちの情報網で探してくれた。
その恩義を忘れることは無い。
最初に会った時に礼を言えればよかったのだが、あの時はそれどころじゃなかった。
対してつばめは「どうも……」と恐縮する。
彼女からしても舞奈はあまり面識のない相手なはずだ。
聞いていたのと違う言動に少し驚いているのだろう。
そんなつばめを見やって舞奈は笑い、
「でさ、そのチャビーが週末に……」
本題に入りかけて、だが不意に気づいた。
彼女がいれば百人力なのは事実だ。
何せつばめは呪術と魔術を共に極めた大魔道士。
その火力はハニエル以上。
大魔法の威力は怪異に占領された街ひとつを焼き払うほどだ。
先日の決戦でも怪異の巨大ロボット歩行屍俑を一投一殺していたと聞く。
そんな彼女がついていれば、冒険中に危険なんてあろうはずもない。
あえて言うなら林に歩行屍俑がひしめいていて空に空中戦艦が待ち受けているくらいすると、ようやく同行者の安全を優先して撤退を余儀なくされるくらいか。
相対的に彼女から離れて街にいるほうが危険とも言える。
……だが彼女が引率ですと園香の親父さんに紹介できるかと言うと話は別だ。
つばめちゃんは小さくて可愛いが、見た目は舞奈と同じほどの背丈の女子高生だ。
挙動もおどおどしていて奈良坂とは違った意味で頼りない。
下手をすると、舞奈が適当な女子高生に口裏合わせを強要したと取られかねない。
実際に街ひとつ焼き払って実力を示す訳にもいかないし。だから、
「……いや。そういや諜報部がノコギリで普通に脂虫を切ってたんだが、そんなことができるような魔術なんてものがあるのか?」
「えっ? ……ニュットか誰かがヤニ狩りにつき合ってたの?」
「あいつがそんな殊勝なことせんだろ」
「あはは、そうだね」
無理やりに話題をそらす。
魔術と言ったのだから魔術師がいるのだろうと普通に理解できるのは、彼女もまた魔術と呪術を共に極めた大魔道士だからだ。
あとニュットのネタで割と本気で笑ってくれたようだ。
同志が見つかったみたいで胸が少しすっとした。
そのままつばめの肩を抱こうとしたら、猫が意図的に尻尾を顔に当ててきた。
なでるのを止めたのが気に入らないらしい。
仕方なく舞奈は猫をなでる作業を再開しつつ、
「いたのはハニエルだ。あいつがヤニ狩りってのも大概に珍しいがな」
「そっか。ハニエルさんなら高等魔術の【石化】をかけたんだと思います。物質を石にする魔術なんだけど、慣れれば硬度や粘度を操作できるから……」
「へぇ、そんなこともできるのか」
つい先ほど見かけた全裸の姿を思い出しながら苦笑する。
対してすらすらと答えるつばめ。
舞奈は素直に感心する。術の知識に自信がある訳じゃなく、特に自信とかなくても自然に語れるくらい術に習熟しているのだ。
伊達に大魔道士な訳じゃない。
だが、そんなつばめの頬は少し赤らんでいる。
彼女にもハニエルの全裸を思い出させてしまったらしい。
件の決戦で彼女に同行したというハニエルが普段通りの格好だったのだろう。
舞奈が相手なら笑い話で済むが、小さくて可愛い彼女には刺激が強かったようだ。
奴も悪い意味でぶれないなあ。
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
結局、舞奈はつばめと少し世間話をしてから別れた。
猫が不満そうだったが無視した。
もちろんつばめはハットリやえり子の居場所は知らなかった。
なので舞奈は当初の予定通りに九杖邸へと向かう。
やはり頼れるのは旧知の友だ。
思いつきがお釈迦になるような余計なことが起きないうちに話をまとめよう。
そんな事を考えながら足を速める最中……
「……あっ舞奈」
「どうしたのよこんなところで?」
「ようテック、明日香も揃ってどうしたよ?」
「週末の蜘蛛探し、サチさんたちに頼もうと思って」
テックと明日香と鉢合わせた。
どうやら2人も同じことを考えていたらしい。
丁度良いので3人で九杖邸にお邪魔して……
「……止めてくれればよかったのに」
「簡単に言うがなあ」
この上なく不機嫌そうな反応に思わず口をへの字に曲げる。
事情を話した舞奈に開口一番、返ってきたのが小夜子のこの台詞だ、
気まずい沈黙の中、庭のししおどしがタンと鳴る。
まあ小夜子の思惑も理解できない訳じゃない。
チャビーは小夜子のお隣さんだ。
たまに一緒に登校したりして仲もいい。
そんな幼女にムクロザキ由来の厄介な探し物をさせるのが気に入らないのだ。
だが舞奈も好き好んで毒蜘蛛探しなんかしてる訳じゃない。
チャビーだって舞奈の方から誘った訳じゃない。
飼っていた生き物がいなくなった先生が悲しまないよう蜘蛛を探してあげたいとキラキラした瞳で訴えるチャビーを頭ごなしに止められるなら止めてみろと少し思う。
だが、そんな舞奈の背後から――
「――ごめんね舞奈ちゃん。今度の土日は諜報部の仕事でつき合えないから……」
「それで気が立ってるのか」
かけられたサチの言葉に納得する。
サチはそのまま手にしたお茶と茶菓子を慣れた手つきで並べる。
その際に形のいい大き目な胸が揺れる様子で目の保養をする。
すると小夜子が睨んできた。
厄介事を持ちこんだついでにセクハラかよと思われたらしい。
舞奈は誤魔化すように熱いお茶をずずっとすする。
明日香もすする。
テックは猫舌なので茶菓子に手をのばす。
なるほど自分の手が届かないところでチャビーが危険なことをするのが嫌なのだ。
小夜子も相応に腕が立つ。
日曜日につき合えるなら一緒に来てチャビーのお守りをすれば用は足る。
というか、舞奈たちもそれを期待して声をかけた。
それすらできないのが、なおさら気にいらないのだ。だが……
「……って、忙しくなるような何かあったっけ?」
「機密事項よ」
首をかしげる舞奈に小夜子はにべもなく答える。
「おいおい、また何か厄介事じゃないよな?」
「前の作戦の後始末が残ってるだけよ」
「だといいけどな」
聞いてみた答えに舞奈は口をへの字に曲げる。
へそを曲げられたのではなく本当に守秘義務があって話せないのだろう。
所詮は舞奈は仕事人、小夜子は諜報部の執行人だ。
話せない事のひとつやふたつはあって然り。
側の明日香も訝しんでいるので機密なのも本当らしい。
後でテックに調べてもらえばわかるかもしれない。
だが、こちらも現段階で抱えている以上に厄介事を増やす余裕はない。
舞奈は深々とため息をつく。
これで大人探しは振り出しに戻ってしまった。
この後はどうしようかと明日やテックと3人で困っていると――
「――探している蜘蛛というのは、こういう蜘蛛ですか?」
「うわっ!」
天井からドサリと落ちてきた何かに思わず一挙動で跳び上がって身構える。
背後で明日香もテックをかばって身構える気配。
舞奈は落ちてきたそれを油断なく見やる。
事もあろうに、畳の上でゆっくりと立ち上がったのも蜘蛛だった。
毛むくじゃらな身体の正面で輝く複眼。
8本の脚。
紛うことなき蜘蛛だ。
それも犬くらいの大きさの代物。
まともな相手な訳がない。
ちゃぶ台の反対側で、小夜子もサチをかばって低く構える。
呪句すらなく一瞬で【コヨーテの戦士】を行使。
身体から溢れる余剰な魔力を【霊の鉤爪】の輝くカギ爪と化してのばす。
人目がなく術を行使して問題ないかどうかを常に意識していて、曲者の出現と同時に躊躇なく自身を強化したのだ。
週末につき合ってもらえないのが本当に残念なくらい無駄のない完璧な対応だ。
それに引き換え……
「……やって良い事と悪い事のラインを考えろよ」
舞奈は蜘蛛を睨みつける。
この蜘蛛は楓が変身した蜘蛛だ。
そう舞奈は確信した。
もちろん舞奈は変身の魔術【変身術】を魔法感知で見破る事なんてできない。
だが訳のわからない生物があらわれたら楓を疑うべきだと学習していた。
何故ならこいつもムクロザキやニュットと同じくらい曲者だ。
みゃー子と同じくらい突飛で訳が分からない言動もする。
しかも厄介なことに、ウアブ魔術を操る魔術師だ。
ピンポーン!
玄関の呼び鈴が鳴った。
「あっ紅葉ちゃんだわ」
言いつつサチが玄関に向かう。
小夜子は蜘蛛を警戒しながらサチに背を向け、部屋の外へと逃す。
SPがVIPを護衛するときみたいな完璧な挙動だ。
そんな様子を見やり、
「あんたの家のバーストに、厳しめに叱ってもらえ」
「いえ大きすぎて逆に怯えられまして……」
口をへの字に曲げる舞奈に、蜘蛛は予想通りに楓の声で答える。
犬ほどの大きさの蜘蛛の口パクに合わせて人の声が聞こえる絵面はかなりアレだ。
なるほど確かにデカくてキモい。
そのせいでブルジョワの無駄に豪華なマンションの自室で飼っている猫のバーストにも嫌がられてしまったらしい。自業自得だ。
「噛みつかれたりとかしましたし」
「かわいそう……」
テックの言葉に蜘蛛は「でしょう! でしょう!」みたいな仕草でうなずき、
「……猫が」
素直な感想にしょんぼり凹む。
蜘蛛の見た目なのに、しょんぼり加減が伝わるほどだ。
だが無軌道な飼い主を持ったバーストも大変だなと思う気持ちは舞奈も同じだ。
「――姉さんがごめん」
廊下側のふすまをすすっと開けて紅葉が入ってきた。
非常識なサイズの蜘蛛を見て、身構える舞奈たちを見て事情を察したらしい。
やれやれと苦笑する。
「でもね、バーストは姉さんが憎くて噛んだんじゃないんだよ」
続く一聴すると毒親みたいな台詞に、
「【変身術】で変身した姉さんは美味そうな匂いがするらしいんだ」
「なるほど猫は霊格が高いですからね……」
明日香が納得する。
楓の妹にしてウアブ呪術師でもある紅葉は、術で猫の言葉を話せる。
そして付与魔法の一種である【変身術】で変身した術者は魔法的だ。
「……ネコポチやルージュに余計なことするなよ」
「まだ何もしてないでしょ」
「してからじゃ遅いんだよ」
隣の明日香に言ってみたら睨まれた。
魔術師は付与魔法が不得手だが、今では明日香も使いこなすことができる。
生真面目な彼女が猫に好かれたい一心で楓みたいな真似はしないと信じたいが。
そんな風に皆で大蜘蛛を囲んでいると……
「……ごめんね茶菓子がひとり分しかなくて」
再びふすまが開き、今度はサチが入って来た。
手にはおぼん。
乗っているのは茶と茶菓子。
「すいません、おかまいなく」
「そうだぜ蜘蛛には庭のゲジゲジで十分だろう」
紅葉は礼儀正しく、舞奈は蜘蛛を見やりながら軽口を叩く。
「ええ……」
しょんぼりとうなだれた蜘蛛が魔法の光に包まれる。
塩対応に流石に心が折れたのだろう。
大きな蜘蛛の形の光は包帯がほどけるように解体され、中から人が出てくる。
術者である楓が変身の魔術【変身術】を解除したのだ。
「じゃーん。楓さんでした」
「その台詞は前にも聞いたよ」
「……実は先日、他の魔術師と協力してメジェド神を創造する機会がありまして」
「ああ、大活躍だったな」
人間に戻って開口一番で言い訳が始まったが、そこにはあえてツッコまない。
先日というのは、もちろんヘルバッハとの決戦のことだ。
楓や紅葉もまたヒーローたちと共にヴィランや歩行屍俑と戦ってくれた。
普段の楓はこんなだが、術者としての腕前は相当だ。
先日も死神デスリーパーを退け、共闘して歩行屍俑の群に立ち向かったらしい。
力を合わせて巨大な魔獣を創造して歩行屍俑を襲いまくったとか。
舞奈はその場に居合わせた訳ではないが、事件を元に作成された映画で印象的なフィルムになっていたので覚えている。
そんな楓は、
「その際に己の知識の至らなさを痛感し、精進しようと思ったんですよ」
そんな一聴すると殊勝に聞こえる釈明をしてみせた。
「それで色んなものに変身しまくってるのか」
「ええ、攻撃力の高いものをと思いまして」
「攻撃力が高いと思うんなら、人ん家の天井から降ってこんでくれ」
続く言葉に苦笑する。
「我が心の師シャドウ・ザ・シャークに倣って海洋生物に挑戦してみたりもしたのですが、中々しっくりするものが見つからず」
「よりによってあいつが師かよ」
楓の台詞に、彼女やムクロザキと同じくらい傍迷惑だった高等魔術師のサメ女ヒーロー、シャドウ・ザ・シャークことKAGEを思い出して苦笑しつつ、
「栗は強そうなのですが動けないですし」
「……ウニですか?」
続く世迷い事に明日香が冷ややかにツッコむ。
対して楓はひとり分しかない紅葉の茶菓子を何の遠慮もなくボリボリむさぼる。
「おおい、本当に中等部を卒業したんだろうなあんた」
舞奈は楓を見やって苦笑して、
「あのね舞奈ちゃん。楓ちゃんって、学校の成績は学年トップなのよ」
「なんだと!? 間違ってるだろういろいろと……」
サチの言葉に思わず口をへの字に曲げる。
「十分以上の魔力を賦活できれば本来の肉体とかけ離れたサイズのメジェドを創造する事ができ、術に知識をこめることでより精密かつ効率的な創造が可能なのです」
楓は構わず言葉を続ける。
魔術師による召喚/創造や変身の魔術は魔力で因果律を操る技術だから、施術後の対象のサイズが元のサイズと違うほど必要な魔力も多くなる。
無から召喚ないし召喚するなら単純に大きいものを創るほど魔力を使う。
変身なら、元の身体との差異に応じて必要な魔力が変わる。
つまり楓なら蜘蛛サイズの蜘蛛より大きな蜘蛛に変身するほうが容易だ。
そんな事を語る楓を見やり、
「待って……」
テックは何か思いついたのだろう。
携帯を取り出して操作して……
「……なら蜘蛛の目はもっと、こう」
「こうですか……」
「余計な餌をやらんでくれ」
携帯に表示された画像を見やりながら、楓はコプト語の呪文を唱える。
途端、楓の周囲に光の包帯があらわれ術者を包みこみ……
「……」
「………………」
頭だけ蜘蛛に変身した。
そんな酷い絵面にテックは無表情ながらも少し後悔した顔をする。
不気味なことこの上ない。
皆も絶句する。
さらに楓はその格好のまま机上の茶菓子をつまんでボリボリ食べる。
「その頭で味がわかるのか?」
舞奈もやれやれと肩をすくめ、
「……まあいいや。話は聞いてたんだろう?」
「ええ、黒崎先生の蜘蛛を探しに行くと」
答えつつ変身を解除した楓に、
「なら丁度いい。暇だったら週末の引率を引き受けてやっちゃあくれないか? 紅葉さんも一緒に」
尋ねてみる。
楓の普段の言動はこんなだが、腕が立つのは本当だ。
しかも小癪にも上面は良いので、妹の紅葉ともども園香父から信頼されている。
そして、もうひとつ。
術で蜘蛛に化けられるというのなら、件の蜘蛛に何かあった場合に代わりにムクロザキに差し出してやることもできるのではないだろうか?
そんな邪念に気づいた訳ではないのだろうが、
「いえ、今度の日曜は大学の講演会に伺う予定でして」
楓は申し訳なさそうな口調で答えた。
「大学に知り合いでもいるのか?」
「ふふっ舞奈さんも聞いたらビックリする方ですよ?」
「誰だよ?」
「なんと黒崎先生なんですよ。あの方、生物学の博士号を持っているそうで」
「あの野郎! 人に雑用押しつけといて、てめぇはてめぇの用事かよ」
続く言葉に舞奈は思わず虚空を睨みつける。
……結局、九杖邸でも舞奈は茶菓子を御馳走になっただけでおいとました。
収穫はなかった。
なお帰り際に『画廊・ケリー』に寄った。
タイミングよくリコを遊びに連れて行ってくれていた奈良坂と鉢合わせた。
奈良坂は今週末に追試を言い渡されたと凹んでいた……。
同じ頃、
所は変わって奈良県某所の自販機の前で……
「……モモジュース! モモジュース!」
長い銀髪をはためかせながら、白人の幼い少女がぴょんぴょん跳ねていた。
メリルである。
自販機の一番上のジュースを買いたいが、背が足りずにボタンが押せないのだ。
疲れたメリルは立ち止まる。
実はメリルは巨大な氷のヴィラン、イエティの中の人だ。
だが公共の往来で変身する訳にもいかない。
だから再び、どうにか自力でボタンを押そうと跳びはねていると――
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人の好さそうなおじさんがボタンを押してくれた。
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