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第18章 黄金色の聖槍
取り戻した日常2
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よく晴れた休日の朝。
身なりも人種も様々な人々とアナウンスが行き交うターミナルの一角で、
「シモン君、皆、今回の件では本当に世話になった。感謝してもしきれない」
「お互いいろいろあったが、まあ何とかなって良かったよ」
言いつつアーガス氏と舞奈は笑みを向け合う。
かたや金髪の生え際が後退した2メートル近いマッチョの巨漢。
かたや小さなツインテールの女子小学生。
だが交わす握手の力強さと、向け合う敬意は変わらない。
ミスター・イアソンと志門舞奈は協力し、様々な勢力、様々な立場の仲間たちの力を借りて極東に迫る最悪の災禍を回避することに成功した。
なので任務を成功裏に収めたディフェンダーズの面々にも帰国の時が来た。
見送り要員は例によって事件の後始末では出番のない舞奈たちだ。
今日は異郷の一角にある国際空港まで見送りに来た。
正装した明日香と普段通りのジャケットを着こんだ舞奈の前に、普段着姿のディフェンダーズの面々が並ぶ姿はコスチュームでのパフォーマンスと同じくらい壮観だ。
さらに舞奈は……
「……そういう風につるむのもアリなんだな」
「ああ問題ない。わたしも彼らも表向きはヴィランとヒーローを演じるキャストだ」
一緒に並んでいたサーシャの長躯を見上げて笑う。
精悍な白人美女も清々しい笑みを返す。
最初は麗華様を誘拐した一味の用心棒として交戦したレディ・アレクサンドラことサーシャだが、最終決戦ではベリアルの配下として舞奈たちに力を貸してくれた。
ベリアルの使命も終えた今、彼女もヒーローたちと一緒に帰るらしい。
「方向は違うがな。わたしはキーウに帰る。故郷が我が力を必要としてるんだ」
「おいおい、また厄介事か?」
ふと漏らした言葉に舞奈は少し表情を変えるが、
「むしろ逆だ。危惧されていた戦争が回避された。和平交渉の警備と要人の警護に我が力が求められている。レディ・アレクサンドラとしてではないがな」
「おっ、そいつは何よりだ」
サーシャの返事に思わず破顔する。
側の明日香も、皆も。
彼女の故郷ウクライナとロシアとの開戦が回避された裏舞台を、この場にいる誰もが知らない。それを知っているのはメンター・オメガと限られた人物だけだ。
だが皆で必死にひとつの災厄を防いだ直後だ。
その側で、もうひとつの災いが防がれたと知るのは喜ばしい。
加えてサーシャの故郷だからという理由でも無事が歓迎されてもいる。
何と言うか、凛として筋も通った彼女は下手なヒーローよりヒーローらしい。
いっそ何処かの平和維持組織に所属したほうが動きやすいんじゃいないかと舞奈としては思えるほどだ。そんな彼女の対極なのが……
「……で、あんたは朱音さんたちと帰ったんじゃなかったのか?」
なんかしれっと混ざっていた子供姿のKAGEにツッコむ。
まさか子供料金で乗る気か? とジト目で見やる。
それ以前に彼女は先日、公安の猫島朱音やフランシーヌと一緒に見送った。
これには側の明日香も苦笑い。
「いえね、こちらにやり残した用事を思い出しまして」
「用事だと?」
問いただした途端に側の明日香がそっと視線をそらす。
だが追及しても別に楽しい事にはならなさそうなので意図的にスルーする。
「ったく先方も気苦労が絶えんぜ。……じゃあ、これから皆と帰るのか?」
「いえ東京に帰りますよ?」
「自由だなあんた……」
高等魔術師らしい奔放な返しに舞奈は思わず苦笑して、
「ハハッ問題ないさ。シャドウはいつもこんな感じだ」
「そうそう! 基地では魚になってオメガと追いかけっこしてたりするんだよ」
「お、おう、そいつは楽しそうで何よりだ……」
「そちらも大変ですね……」
タイタニアとスマッシュポーキーの言葉に明日香ともども再び苦笑する。
そんな風に舞奈たちが軽口を交わし合う側で、
「ヒカルにも、お世話になったデス」
「その……なんだ、イリアちゃんも元気でね」
イリアと萩山も別れを惜しんでいた。
ドクター・プリヤことイリアと彼は従兄妹同士だ。
イリアは天真爛漫に見上げながら。
飛行機だからか、流石に普段の(?)ペストマスクはかぶっていない。
そうすると見た目は普通のローティーン金髪幼女だ。
対する萩山は長身でパーカー姿で、照れ隠しにギターをつまびいている。
こちらは、いつ警備員が飛んできて不審物と同じ扱いを受けるか不安でならない。
「了解デス! mamaさんとpapaさんにもよろしくデス」
「ああ」
ポロロン♪
そんな会話を聞きつつ舞奈は再び苦笑する。
萩山の家族……というか親父さんは、ある意味でヘルバッハ討伐のキーマンだ。
イリアのホームステイ先の大黒柱である彼。
彼が通販サイトで王女たちのパンツを買ってかぶっていたことにより、王女たちが預言の犠牲にならずに済んだのはまあ、事実だ。
その上でWウィルスによる被害を最小限に抑えることができた。
だが、何と言うか……いや何も言うまい。
性癖は個人の自由だ。しかも、それが迷惑どころか他者の救いとなったのだ。
けど萩山本人には、親に似ない健全な生き方を期待したいなと少し思う。
人が心の中で何かを願うのも自由だ。
そんな事を考えて苦笑しつつ、舞奈はふと思い出し――
「――そういや、あんたたちのリーダーは今ごろ何してるんだ?」
アーガス氏に尋ねてみる。
「オメガの事かね? 我がディフェンダーズの影の首領メンター・オメガは米国の秘密基地で預言や聖なる任務に携わっているはずだが……?」
「そうかい」
出し抜けの問いに対する彼の答えに、舞奈は口元に笑みを浮かべる。
そして何食わぬ表情のまま、
「じゃあさ。帰ったら『楽しかった』って伝えておいてくれないか? クラスの皆もまた会いたがってたってさ」
「? 我々も君たちとの共闘で得たものは大きかったし、再会を楽しみにしているが」
伝言にアーガス氏は首をかしげる。
それはそうだろう。
だが彼女にもここにいる面々と同じだけの感謝と労いが必要だと舞奈は思った。
今回の事件で、自分と自分が知る限りの協力者の力だけでは守れなかったはずのものが幾つか救われていたことに舞奈は気づいていた。
その欠けたパズルのピースに彼女の存在をはめこむとピッタリはまる気がする。
あくまで舞奈の勘に過ぎないのだが。
「ハハッ! まあ先方に聞かせりゃわかるさ」
「そ、そうなのか……?」
首をかしげるアーガス氏。
その胸元の携帯電話に、見覚えのある味噌ラーメンのキーホルダーがストラップ代わりにぶらさがっていることに、ふと気づく。
姉弟も仲良くやっているようでなによりだ。
そんな風にヒーローたちは終始笑顔のまま、海の向こうへ帰っていった。
そしてまた別の日に、
「皆さんには本当にお世話になりました。また会える日を楽しみにしています」
「ルーシアちゃんやレナちゃんも元気でねー!」
礼儀正しく挨拶するルーシアに、お子様チャビーが元気に答える。
統零町の一角にあるスカイフォール大使館の前。
その正面に広がる庭園でも、小さな見送り会が開催されていた。
スカイフォール王国の面々も、この地での仕事を終えて故郷に帰ることになった。
先日はクラスで皆に別れを告げたので、今日は身近な面子で見送りだ。
皆に別れを告げた後は護衛つきの車で空港まで移動するそうだ。
……マーサさん以外は。
あの人だけは術士団と一緒にフォート・マーリン級で帰るっぽい。
テックの話では彼女だけ入国の記録がないらしいし。
まったく、あの無軌道な言動はやはり師に似たのだろうか?
マーサの師は元スカイフォール王国の宮廷魔術師長だ。
そして現ディフェンダーズの影の首領。
あるいは鹿田先生。
そう言えば彼女の本当の名前を舞奈は聞いていない(と思う)。
だがマーサとKAGEという自由すぎる2人が今の彼女の弟子だ。
加えて慕ってくれる仲間もたくさんいるし、初弟子がああいう形で逝ってしまった彼女も今はそんなに寂しくないだろう。そうだと良いと思う。
そんなことを考える舞奈。
そして明日香の側に並んでいるのはチャビーに園香、麗華たち。
園香の家はレナのホームステイ先だった。
それに麗華様が今回のVIPだったのは、まあ、言わずもながだ……。
「サィモン・マイナー、なんだその……いろいろと世話をかけてすまない」
「お世話になったんだナ」
「いいってことよ」
騎士団の面々も並んで一礼する。
「レイカ様も、いきない誘拐して申し訳ないんだナ」
「オホホ! 謝罪の必要はありませんわ! わたくしの溢れ出るカリスマ性とプリンセスパゥワーを鑑みれば当然のことですもの!」
頭を下げるイワンたちに、麗華様はいい気分で高笑い。
まったく度量が小さいんだか大きいんだか。
妙な造語にチャビーが「?」と首をかしげる。
デニスとジャネットは苦笑する。
そんな様子を見ているマーサはニコニコ。
麗華にとっての一連の事件の始まりは、あの誘拐事件だったのだろう。
実際には2年前からそうだったのだが麗華様はそこまで考えてないだろうし。
そこらへんの裏事情はマーサが当たり障りのない様にかいつまんで話してくれたということだが、こちらも一体、何を吹きこまれていることやら。
「それよりあんたたちは、もうちょっと鍛えてくれ」
イワンたちに言葉を向けつつ舞奈は苦笑する。
舞奈と彼らとの最初の出会いも誘拐犯としてだった。
麗華様を救い出すためとはいえ、出会い頭にぶん殴ったのは申し訳ないと思う。
彼らは麗華が自国のプリンセスたちの代わりの犠牲としてクイーン・ネメシスの手に渡るのを防ぐために保護するつもりだったらしい。
けど不意打ちとはいえ避けるなり防ぐなりして欲しかったのも本当だ。
あれではクイーン・ネメシス相手に防戦なんて夢のまた夢だ。
まあ、そこまでは望まないとしても、彼らには強くなってもらいたい。
この先も生きのびられる程度には。
何故ならスカイフォールの騎士である彼らは、この先も戦わなくちゃいけない。
逝ってしまった戦友たちには果たせないが彼らにはできる使命がある。
そんな舞奈に力強く答えたのは、
「ああ、そうしよう」
ゴードンだった。
年老いた童貞の男の、派手に後退した金髪の生え際がキラリと光る。
彼は一時でも【精神感応】によるリンクのハブになっていた。
だから舞奈の思惑もわかるのだろうか。だが……
「……いや、あんたは身体を労わってくれ」
(もう歳なんだから)
(やかましい)
思わず口と表層思考に出る。
途端に怒りの思念が返ってくる。
そうやってゴードンと思念で軽口を交わす側で、
「まかせなさい! 帰ったらわたしが鍛え直してあげるわ!」
「ぐふぅッ!」
「王女様が人の腹でスパーリングすんなよ」
レナが太っちょイワンの腹に拳をぶちこんで、イワンが本気で痛がっていた。
普段からこうらしい。
戦闘では頼りになるルーン魔術師の彼女も、普段は割と子供だ。
(あんたもそれを【不屈の鎧】で防げるようになってくれ……)
悶絶するイワンを見やって舞奈はやれやれと苦笑する。
そんな舞奈をレナは睨みつけ、
「志門舞奈! 園ちゃんを泣かしたら許さないからね!」
「しないってば。あたしにそんなことできないって、知ってるだろう?」
「そういう軟派な態度が……!」
食ってかかってくる。
だが舞奈は変わらず笑う。
彼女とは最初に出会った時もそうだった。
20年後の夢で見たのと同じ彼女のつり目が、四国での戦いでたくさんのものを失った舞奈にとっての慰めになったのも、まあ事実だ。
「……レナちゃん」
「……え、ええ。園ちゃんと仲良くするのよ」
園香になだめられて事無きを得る。
「レナ殿下と皆様方はスカイフォール王国へ帰国されて、ルーシア殿下は……」
「はい。かの地に戻り、復興に尽力いたしたいと思います」
確認する明日香にルーシアが笑顔で答える。
彼女は壊滅した禍川支部を復興させるべく四国へ赴くつもりらしい。
「ルーシアちゃんは日本に残るんだ! やった! いつでも遊べるね」
「四国まで、そうしょっちゅう遊びに行けんだろう」
喜ぶチャビーにツッコむ。それに――
「――月輪様に教わったうどんの打ち方を、かの地にお返しせねばなりませんし」
「ルーシアさんが打ったうどんか。そいつは美味そうだ」
言って舞奈は軽薄に笑う。
ルーシアが再び四国のかの地を訪れるのは、自身に課した新たな使命のためだ。
彼女はWウィルスとゾンビに追われて逃げのびた。
だが後に【禍川支部】の仲間たちが全滅していたと知った。
ウィルスの次なる目標に定められた巣黒市に赴いた。
自身に課せられた、大いなる災厄に抗するための犠牲と言う運命を乗り越えた。
一連の事件の元凶であるヘルバッハを討つべく討伐隊に参加した。
彼女は戦いの中で何かを得ることで喪失を乗り越え、舞奈はヘルバッハを討った。
そして彼女は決めたのだ。
奪われたものを、運命から解き放たれた自身の手で元通りにしようと。
あの日に、あの場所に置き忘れてきたものを、ひとつづつ取り戻していこうと。
そんな決意が彼女らしいと舞奈は思った。
彼女の細くて華奢な手は、何かを守るために拳を握りしめるよりダイレクトに育み慈しむのに向いている。
だから舞奈は一瞬だけ遠い目をして、すぐに何食わぬ笑みを取り戻し……
「……あそこら辺から、くるまでちょっと南に行ったところに、ひまわり畑があったろう? 来年の夏にさ、皆で見に行かないか?」
何食わぬ口調を取り繕ってルーシアに語りかける。
彼女と同じように、舞奈も四国の一角にたくさんのものを置いてきた。
仲間たちと、ピアースと、見ることのできなかった景色。
それを使命を果たし生き残った彼女と彼女の新たな仲間たちと見ることができたのなら、舞奈が失くしたものにも意味があったと信じることができる。だから、
「ぜひ喜んで」
「わたしたちも行っていいかな?」
「もちろんよ! わたしも園ちゃんたちと一緒に行くわ!」
ルーシアも、園香もレナも笑う。
「ルーシアちゃんのところに遊びに行くの?」
「……来年の話だがな」
無邪気なチャビーに再び苦笑する。
そんな風に王女たちが賑やかに、晴れやかに別れを惜しむ一方。
伊或町の一角にある古アパートの一室で、
「……」
萩山光は半分になった自分の部屋を眺めていた。
彼の部屋はしばらく前から半分だった。
従妹のイリアが泊まるの言うので、母親に強制的に家具を端に寄せられたのだ。
だがそのイリアも、使命を果たして米国に帰った。
彼女の持ちこんだ荷物もなくなった今は、本当に半分の部屋だ。
イリアが来てからは手狭になったなあと思っていたけれど、去った今では以前はこんなに広かったっけ? とも思う。
母親は半分にした自分の家具を元に戻してはくれない。
なので家具は自分で戻さなきゃいけない。
大きな任務を終えた萩山も、しばらくは平和な休日が続くはずだ。
幸いにも時間はある。
だが今すぐ部屋を元に戻す必要もないだろうと、何となく部屋を眺める。
先日に笑顔で別れたばかりの従妹の残り香を期待して、何となく深呼吸する。
だが自分の部屋の空気に匂いなんてない。
ふと、机の上に見慣れないものが乗っていることに気づく。
布切れだ。
ハンカチだろうか? 萩山のものではない。
イリアの忘れ物にしては不自然だなと思って手に取る。
Dear,Hikaru
そう書かれていた。
置き土産だろうか?
無垢で気ままなイリアらしいと思った。
何となく見覚えがある気がして、何だったかと記憶を探りながら広げてみる。
……パンツだった。
思わず取り落としそうになる。
布地の多い子供パンツだ。
意識的に考えないようにしながらもイリアが愛用していたものなのはわかる。
母親が干しているのを何度も見た。
だが何故、彼女はパンツなんか置いていったのだろう……?
……萩山が通販で王女のパンツとか買ってたからだ。
萩山はじっとパンツを見つめる。
そして、ふと思い立って、かぶってみる。
子供用パンツのやわらかい履き心地が禿頭をつつみこむ。
ハゲを隠すためにかぶっていたパーカーのフードより、ビーニー帽より心地よい。
本来は子供が素肌につけるものなのだから当然だ。
まあ髪が無いのも悪くない。
女児用パンツを頭にかぶって直に感触を味わえるのはハゲにしかない役得だ。
履くより敷居も低いし。
そう素直に思えるくらいに、今は自分を肯定することができる。
萩山が祓魔術を、悪魔術を学んだのは髪を生やすためだ。
その願いは叶わなかったけれど、別の大事なものをいくつも手に入れた。
志門舞奈と出会えた。
ウィアードテールとその中の人こと美音陽子にも。
そして再会した従妹のイリアが自分と同じ悪魔術師だったと知って、嬉しくなかったと言えば嘘になる。
そう。今の萩山は悪魔術師だ。
力量こそ従妹に及ばないものの、同じ志を持つことはできる。
そう考えると、たまらなくいい気分だ。
がらんとした部屋も、そんなに寂しくない気になってくる。
だから口元に笑みを浮かべた途端――
「――光! お客さんだよ!」
トロルのような母親のダミ声がした。
「母ちゃん!? お客って?」
びっくりして少しうわずった声で問い返す。
人に見られちゃいけないものを見られそうになった気がしたからだ。
というか今の状況を人に見られたらまずいのは本当だ。
「一ノ瀬さんのところのお嬢ちゃんだよ!」
「えり子ちゃんが?」
「……あんた! まさか小さい子を相手に変なことしてないだろうね!?」
「そんなことしないよ母ちゃん!」
続けて問答する間に古びた障子戸がザザッっと開き――
「――どうだか……って!? あんた何やってるんだい!?」
「えっ!? これは……違うんだ母ちゃん!」
従妹のパンツをかぶった大学生の息子を見やって目を丸くした母親と、
「………………………………」
「えり子ちゃん!?」
無表情ではあるものの、不信と言う意味では母親と同じ白い視線を向ける知人の女子小学生がいた。
萩山家は今日も平和だった。
……そんな様々なことがあった日の夜。
とあるマンションの一室。
血色の悪い少女がリモコンで部屋の電気を消し、そのままベッドに潜りこむ。
細い髪のシャープなボブカットの頭が、枕の調子を整えるように揺れる。
テックだ。
明かりが消された薄暗がりの、几帳面に整理された小奇麗な私室。
部屋の片隅に配置された機能的なパソコンデスクの上。
据え置かれたディスクトップパソコンの側のモデムの電源ランプに照らされて、小さなケースに入れられたゲームのメダルがキラリと光る。
装飾された楽しげなキャラクターは、眠る少女を見守るように微笑んでいる。
舞奈から手渡されたメダルを、テックは綺麗に拭いて保管しておくことにした。
乾いた血汚れをそのままにしていたら彼との――ピアースとの思い出までくすんでしまう気がしたからだ。
それに万が一、彼にメダルを返す機会が訪れた時に汚れていると感じが悪い。
彼がひょっこり顔を見せる可能性を……ゼロだと断ずるのも違う気がする。
もちろん彼を看取ったという舞奈の言葉を信じていない訳じゃない。
だが信頼できる筋からの情報を、信用はすれど鵜呑みにはしないしたたかな生き方は他ならぬ舞奈がしていることだ。
だから、あるいは彼も何時の日か……。
そう考えるのは悪い気分じゃない。
人と話すのは苦手なテックだが、ゲームのフレンドはそれなりにいる。
中には引退でもしたのか久しくログインしていないフレンドも何人かいる。
会いたくても他に連絡手段はないのだから、こちらにできるのは待つことだけだ。
ネットゲームの交友関係と言うのはそういうものだ。
だから心の中に小さく彼の居場所を空けたまま、他の友人とゲームを楽しむのもやぶさかじゃない。並列作業は得意なのだ。
たぶん、それがテックが喪失を乗り越える方法だ。
そして壁際に据え置かれたステンレス製の大型ショーケース。
ケースの中でポーズをとったミスター・イアソンにクイーン・ネメシス。
シャドウ・ザ・シャークをはじめとするディフェンダーズのヒーローたち。
クラフター、ファイヤーボールにイエティ、ヴィランたち。
3段重ねのケースの中に所狭しとフィギアが並ぶ様子が、志門舞奈が四国の一角で見やったそれと似通っていることをテックは知らない。
青い騎士スピナーヘッドのフィギアもあるが、先日に少しばかり怖い思いをさせられた彼にはエフェクトパーツと一緒にスタンドで吹き飛んでもらっている。
その側でポーズをとるメンター・オメガ。
舞奈たちと一緒に隣町まで買いに行った限定フィギアは、あの日にテックが見た彼女のポーズそのままに飾られている。
メンター・オメガはテックが間近で会った唯一の本物のヒーローだ。
それまでテックが伝聞でしか知らなかった魔術を目の前で見せてくれた。
数々の強大な悪を討ち果たしてきたという神秘の力。
けれど旧知の友人を救えなかったという力。
友人を襲ったのと同じ悪を圧倒的な力で葬り去ったオメガは、テックにその力の一端を貸し与えてくれた。
あの日、オメガがしたお願いと言うのはディフェンダーズ・ロボの操縦だ。
機体そのものは長距離転移で持ってこれるが、オペレーターがいないらしい。
オメガの魔術で自宅に転移したテックはバーチャルギアの機材を使ってディフェンダーズ・ロボを操り、新開発区で歩行屍俑どもを倒しまくった。
照準とトリガーひとつで4門の強力なプラズマ砲を放った。
テックはシューティングゲームも得意なのだ。
本物だから、味方に当てるとヤバイからと再三に念を押されて細心の注意を払って狙いをつけて敵機を屠るうち、オメガの杞憂は称賛に変わっていった。
その様子に、テックは初めてピアースと会った日のことを思い出していた。
髭面の巨漢のアバターのせいで当時から高校生だった彼から年上のように敬われるのがこそばゆくて、でも嬉しくて、だからゲームの中では屈強な大人として振る舞った。
その気持ちをゲームのような現実の中で思い出すことができた。
メンター・オメガがそれを思い出させてくれた。
自分が自分自身である限り、彼も自分の中にいると。
だから今日は珍しく夜遅くまでゲームはしない。
夢の余韻を楽しむように、新たな眠りにつく。
そもそも地域的なバーチャルギアの不具合が直った祝いの大冒険は先日やった。
なのでテックは寝返りをうちつつ、笑みを浮かべて夢を見た……
……光陰矢の如く月日は過ぎ、皆も高等部の3年だ。
自分も皆も小学生だった頃より背ものび、セーラー服を着こんでいる。
テックも思い切って髪型を長いツインテールに変えていた。
そんなテックが校庭を小走りに駆けながら手を振る。
校庭の隅の木の下で、手を振り返したのは同じセーラー服を着た明日香だ。
「急に呼び出してごめんなさい。卒業後のことなんだけど」
明日香は言った。
「工藤さんを我が社のエンジニアとして迎え入れたいの。報酬ははずむわ」
「他からのオファーもあるからかけ持ちになるけど、それでもいいなら」
「なら尚更お願いするわ。貴女の技術を他社に独占されるのは避けたいもの」
「そういうことなら了解よ」
その様に交渉を済ませ、
「……ところで他に何処の組織からオファーを受けてるのか聞いても?」
「ええ」
テックは答え――
「――テック・アップ」
メダルを掲げて変身した。
「なっ!?」
明日香は思わず目を見開く。
目元を隠す鋭角なマスク。
高校生ののびやかな身体のラインを織りこんだ前衛的な、未来的なデザインの全身タイツ風コスチューム。
手には異能力を疑似的に再現するためのキーボード状の魔道具。
コードネームはまだない。
だがテックの既定の方の就職先は、ディフェンダーズのヒーロー兼技術者だ。
コスチュームを着こんだテックを見やり、生真面目の明日香の眼鏡がずれた――
――そして再び現実。
女子小学生が眠る寝室の、パソコンデスクのパソコンの側。
友人との思い出のメダルとタイミングを合わせる様に、もうひとつ並んだ真新しいメダルがキラリと光った。
身なりも人種も様々な人々とアナウンスが行き交うターミナルの一角で、
「シモン君、皆、今回の件では本当に世話になった。感謝してもしきれない」
「お互いいろいろあったが、まあ何とかなって良かったよ」
言いつつアーガス氏と舞奈は笑みを向け合う。
かたや金髪の生え際が後退した2メートル近いマッチョの巨漢。
かたや小さなツインテールの女子小学生。
だが交わす握手の力強さと、向け合う敬意は変わらない。
ミスター・イアソンと志門舞奈は協力し、様々な勢力、様々な立場の仲間たちの力を借りて極東に迫る最悪の災禍を回避することに成功した。
なので任務を成功裏に収めたディフェンダーズの面々にも帰国の時が来た。
見送り要員は例によって事件の後始末では出番のない舞奈たちだ。
今日は異郷の一角にある国際空港まで見送りに来た。
正装した明日香と普段通りのジャケットを着こんだ舞奈の前に、普段着姿のディフェンダーズの面々が並ぶ姿はコスチュームでのパフォーマンスと同じくらい壮観だ。
さらに舞奈は……
「……そういう風につるむのもアリなんだな」
「ああ問題ない。わたしも彼らも表向きはヴィランとヒーローを演じるキャストだ」
一緒に並んでいたサーシャの長躯を見上げて笑う。
精悍な白人美女も清々しい笑みを返す。
最初は麗華様を誘拐した一味の用心棒として交戦したレディ・アレクサンドラことサーシャだが、最終決戦ではベリアルの配下として舞奈たちに力を貸してくれた。
ベリアルの使命も終えた今、彼女もヒーローたちと一緒に帰るらしい。
「方向は違うがな。わたしはキーウに帰る。故郷が我が力を必要としてるんだ」
「おいおい、また厄介事か?」
ふと漏らした言葉に舞奈は少し表情を変えるが、
「むしろ逆だ。危惧されていた戦争が回避された。和平交渉の警備と要人の警護に我が力が求められている。レディ・アレクサンドラとしてではないがな」
「おっ、そいつは何よりだ」
サーシャの返事に思わず破顔する。
側の明日香も、皆も。
彼女の故郷ウクライナとロシアとの開戦が回避された裏舞台を、この場にいる誰もが知らない。それを知っているのはメンター・オメガと限られた人物だけだ。
だが皆で必死にひとつの災厄を防いだ直後だ。
その側で、もうひとつの災いが防がれたと知るのは喜ばしい。
加えてサーシャの故郷だからという理由でも無事が歓迎されてもいる。
何と言うか、凛として筋も通った彼女は下手なヒーローよりヒーローらしい。
いっそ何処かの平和維持組織に所属したほうが動きやすいんじゃいないかと舞奈としては思えるほどだ。そんな彼女の対極なのが……
「……で、あんたは朱音さんたちと帰ったんじゃなかったのか?」
なんかしれっと混ざっていた子供姿のKAGEにツッコむ。
まさか子供料金で乗る気か? とジト目で見やる。
それ以前に彼女は先日、公安の猫島朱音やフランシーヌと一緒に見送った。
これには側の明日香も苦笑い。
「いえね、こちらにやり残した用事を思い出しまして」
「用事だと?」
問いただした途端に側の明日香がそっと視線をそらす。
だが追及しても別に楽しい事にはならなさそうなので意図的にスルーする。
「ったく先方も気苦労が絶えんぜ。……じゃあ、これから皆と帰るのか?」
「いえ東京に帰りますよ?」
「自由だなあんた……」
高等魔術師らしい奔放な返しに舞奈は思わず苦笑して、
「ハハッ問題ないさ。シャドウはいつもこんな感じだ」
「そうそう! 基地では魚になってオメガと追いかけっこしてたりするんだよ」
「お、おう、そいつは楽しそうで何よりだ……」
「そちらも大変ですね……」
タイタニアとスマッシュポーキーの言葉に明日香ともども再び苦笑する。
そんな風に舞奈たちが軽口を交わし合う側で、
「ヒカルにも、お世話になったデス」
「その……なんだ、イリアちゃんも元気でね」
イリアと萩山も別れを惜しんでいた。
ドクター・プリヤことイリアと彼は従兄妹同士だ。
イリアは天真爛漫に見上げながら。
飛行機だからか、流石に普段の(?)ペストマスクはかぶっていない。
そうすると見た目は普通のローティーン金髪幼女だ。
対する萩山は長身でパーカー姿で、照れ隠しにギターをつまびいている。
こちらは、いつ警備員が飛んできて不審物と同じ扱いを受けるか不安でならない。
「了解デス! mamaさんとpapaさんにもよろしくデス」
「ああ」
ポロロン♪
そんな会話を聞きつつ舞奈は再び苦笑する。
萩山の家族……というか親父さんは、ある意味でヘルバッハ討伐のキーマンだ。
イリアのホームステイ先の大黒柱である彼。
彼が通販サイトで王女たちのパンツを買ってかぶっていたことにより、王女たちが預言の犠牲にならずに済んだのはまあ、事実だ。
その上でWウィルスによる被害を最小限に抑えることができた。
だが、何と言うか……いや何も言うまい。
性癖は個人の自由だ。しかも、それが迷惑どころか他者の救いとなったのだ。
けど萩山本人には、親に似ない健全な生き方を期待したいなと少し思う。
人が心の中で何かを願うのも自由だ。
そんな事を考えて苦笑しつつ、舞奈はふと思い出し――
「――そういや、あんたたちのリーダーは今ごろ何してるんだ?」
アーガス氏に尋ねてみる。
「オメガの事かね? 我がディフェンダーズの影の首領メンター・オメガは米国の秘密基地で預言や聖なる任務に携わっているはずだが……?」
「そうかい」
出し抜けの問いに対する彼の答えに、舞奈は口元に笑みを浮かべる。
そして何食わぬ表情のまま、
「じゃあさ。帰ったら『楽しかった』って伝えておいてくれないか? クラスの皆もまた会いたがってたってさ」
「? 我々も君たちとの共闘で得たものは大きかったし、再会を楽しみにしているが」
伝言にアーガス氏は首をかしげる。
それはそうだろう。
だが彼女にもここにいる面々と同じだけの感謝と労いが必要だと舞奈は思った。
今回の事件で、自分と自分が知る限りの協力者の力だけでは守れなかったはずのものが幾つか救われていたことに舞奈は気づいていた。
その欠けたパズルのピースに彼女の存在をはめこむとピッタリはまる気がする。
あくまで舞奈の勘に過ぎないのだが。
「ハハッ! まあ先方に聞かせりゃわかるさ」
「そ、そうなのか……?」
首をかしげるアーガス氏。
その胸元の携帯電話に、見覚えのある味噌ラーメンのキーホルダーがストラップ代わりにぶらさがっていることに、ふと気づく。
姉弟も仲良くやっているようでなによりだ。
そんな風にヒーローたちは終始笑顔のまま、海の向こうへ帰っていった。
そしてまた別の日に、
「皆さんには本当にお世話になりました。また会える日を楽しみにしています」
「ルーシアちゃんやレナちゃんも元気でねー!」
礼儀正しく挨拶するルーシアに、お子様チャビーが元気に答える。
統零町の一角にあるスカイフォール大使館の前。
その正面に広がる庭園でも、小さな見送り会が開催されていた。
スカイフォール王国の面々も、この地での仕事を終えて故郷に帰ることになった。
先日はクラスで皆に別れを告げたので、今日は身近な面子で見送りだ。
皆に別れを告げた後は護衛つきの車で空港まで移動するそうだ。
……マーサさん以外は。
あの人だけは術士団と一緒にフォート・マーリン級で帰るっぽい。
テックの話では彼女だけ入国の記録がないらしいし。
まったく、あの無軌道な言動はやはり師に似たのだろうか?
マーサの師は元スカイフォール王国の宮廷魔術師長だ。
そして現ディフェンダーズの影の首領。
あるいは鹿田先生。
そう言えば彼女の本当の名前を舞奈は聞いていない(と思う)。
だがマーサとKAGEという自由すぎる2人が今の彼女の弟子だ。
加えて慕ってくれる仲間もたくさんいるし、初弟子がああいう形で逝ってしまった彼女も今はそんなに寂しくないだろう。そうだと良いと思う。
そんなことを考える舞奈。
そして明日香の側に並んでいるのはチャビーに園香、麗華たち。
園香の家はレナのホームステイ先だった。
それに麗華様が今回のVIPだったのは、まあ、言わずもながだ……。
「サィモン・マイナー、なんだその……いろいろと世話をかけてすまない」
「お世話になったんだナ」
「いいってことよ」
騎士団の面々も並んで一礼する。
「レイカ様も、いきない誘拐して申し訳ないんだナ」
「オホホ! 謝罪の必要はありませんわ! わたくしの溢れ出るカリスマ性とプリンセスパゥワーを鑑みれば当然のことですもの!」
頭を下げるイワンたちに、麗華様はいい気分で高笑い。
まったく度量が小さいんだか大きいんだか。
妙な造語にチャビーが「?」と首をかしげる。
デニスとジャネットは苦笑する。
そんな様子を見ているマーサはニコニコ。
麗華にとっての一連の事件の始まりは、あの誘拐事件だったのだろう。
実際には2年前からそうだったのだが麗華様はそこまで考えてないだろうし。
そこらへんの裏事情はマーサが当たり障りのない様にかいつまんで話してくれたということだが、こちらも一体、何を吹きこまれていることやら。
「それよりあんたたちは、もうちょっと鍛えてくれ」
イワンたちに言葉を向けつつ舞奈は苦笑する。
舞奈と彼らとの最初の出会いも誘拐犯としてだった。
麗華様を救い出すためとはいえ、出会い頭にぶん殴ったのは申し訳ないと思う。
彼らは麗華が自国のプリンセスたちの代わりの犠牲としてクイーン・ネメシスの手に渡るのを防ぐために保護するつもりだったらしい。
けど不意打ちとはいえ避けるなり防ぐなりして欲しかったのも本当だ。
あれではクイーン・ネメシス相手に防戦なんて夢のまた夢だ。
まあ、そこまでは望まないとしても、彼らには強くなってもらいたい。
この先も生きのびられる程度には。
何故ならスカイフォールの騎士である彼らは、この先も戦わなくちゃいけない。
逝ってしまった戦友たちには果たせないが彼らにはできる使命がある。
そんな舞奈に力強く答えたのは、
「ああ、そうしよう」
ゴードンだった。
年老いた童貞の男の、派手に後退した金髪の生え際がキラリと光る。
彼は一時でも【精神感応】によるリンクのハブになっていた。
だから舞奈の思惑もわかるのだろうか。だが……
「……いや、あんたは身体を労わってくれ」
(もう歳なんだから)
(やかましい)
思わず口と表層思考に出る。
途端に怒りの思念が返ってくる。
そうやってゴードンと思念で軽口を交わす側で、
「まかせなさい! 帰ったらわたしが鍛え直してあげるわ!」
「ぐふぅッ!」
「王女様が人の腹でスパーリングすんなよ」
レナが太っちょイワンの腹に拳をぶちこんで、イワンが本気で痛がっていた。
普段からこうらしい。
戦闘では頼りになるルーン魔術師の彼女も、普段は割と子供だ。
(あんたもそれを【不屈の鎧】で防げるようになってくれ……)
悶絶するイワンを見やって舞奈はやれやれと苦笑する。
そんな舞奈をレナは睨みつけ、
「志門舞奈! 園ちゃんを泣かしたら許さないからね!」
「しないってば。あたしにそんなことできないって、知ってるだろう?」
「そういう軟派な態度が……!」
食ってかかってくる。
だが舞奈は変わらず笑う。
彼女とは最初に出会った時もそうだった。
20年後の夢で見たのと同じ彼女のつり目が、四国での戦いでたくさんのものを失った舞奈にとっての慰めになったのも、まあ事実だ。
「……レナちゃん」
「……え、ええ。園ちゃんと仲良くするのよ」
園香になだめられて事無きを得る。
「レナ殿下と皆様方はスカイフォール王国へ帰国されて、ルーシア殿下は……」
「はい。かの地に戻り、復興に尽力いたしたいと思います」
確認する明日香にルーシアが笑顔で答える。
彼女は壊滅した禍川支部を復興させるべく四国へ赴くつもりらしい。
「ルーシアちゃんは日本に残るんだ! やった! いつでも遊べるね」
「四国まで、そうしょっちゅう遊びに行けんだろう」
喜ぶチャビーにツッコむ。それに――
「――月輪様に教わったうどんの打ち方を、かの地にお返しせねばなりませんし」
「ルーシアさんが打ったうどんか。そいつは美味そうだ」
言って舞奈は軽薄に笑う。
ルーシアが再び四国のかの地を訪れるのは、自身に課した新たな使命のためだ。
彼女はWウィルスとゾンビに追われて逃げのびた。
だが後に【禍川支部】の仲間たちが全滅していたと知った。
ウィルスの次なる目標に定められた巣黒市に赴いた。
自身に課せられた、大いなる災厄に抗するための犠牲と言う運命を乗り越えた。
一連の事件の元凶であるヘルバッハを討つべく討伐隊に参加した。
彼女は戦いの中で何かを得ることで喪失を乗り越え、舞奈はヘルバッハを討った。
そして彼女は決めたのだ。
奪われたものを、運命から解き放たれた自身の手で元通りにしようと。
あの日に、あの場所に置き忘れてきたものを、ひとつづつ取り戻していこうと。
そんな決意が彼女らしいと舞奈は思った。
彼女の細くて華奢な手は、何かを守るために拳を握りしめるよりダイレクトに育み慈しむのに向いている。
だから舞奈は一瞬だけ遠い目をして、すぐに何食わぬ笑みを取り戻し……
「……あそこら辺から、くるまでちょっと南に行ったところに、ひまわり畑があったろう? 来年の夏にさ、皆で見に行かないか?」
何食わぬ口調を取り繕ってルーシアに語りかける。
彼女と同じように、舞奈も四国の一角にたくさんのものを置いてきた。
仲間たちと、ピアースと、見ることのできなかった景色。
それを使命を果たし生き残った彼女と彼女の新たな仲間たちと見ることができたのなら、舞奈が失くしたものにも意味があったと信じることができる。だから、
「ぜひ喜んで」
「わたしたちも行っていいかな?」
「もちろんよ! わたしも園ちゃんたちと一緒に行くわ!」
ルーシアも、園香もレナも笑う。
「ルーシアちゃんのところに遊びに行くの?」
「……来年の話だがな」
無邪気なチャビーに再び苦笑する。
そんな風に王女たちが賑やかに、晴れやかに別れを惜しむ一方。
伊或町の一角にある古アパートの一室で、
「……」
萩山光は半分になった自分の部屋を眺めていた。
彼の部屋はしばらく前から半分だった。
従妹のイリアが泊まるの言うので、母親に強制的に家具を端に寄せられたのだ。
だがそのイリアも、使命を果たして米国に帰った。
彼女の持ちこんだ荷物もなくなった今は、本当に半分の部屋だ。
イリアが来てからは手狭になったなあと思っていたけれど、去った今では以前はこんなに広かったっけ? とも思う。
母親は半分にした自分の家具を元に戻してはくれない。
なので家具は自分で戻さなきゃいけない。
大きな任務を終えた萩山も、しばらくは平和な休日が続くはずだ。
幸いにも時間はある。
だが今すぐ部屋を元に戻す必要もないだろうと、何となく部屋を眺める。
先日に笑顔で別れたばかりの従妹の残り香を期待して、何となく深呼吸する。
だが自分の部屋の空気に匂いなんてない。
ふと、机の上に見慣れないものが乗っていることに気づく。
布切れだ。
ハンカチだろうか? 萩山のものではない。
イリアの忘れ物にしては不自然だなと思って手に取る。
Dear,Hikaru
そう書かれていた。
置き土産だろうか?
無垢で気ままなイリアらしいと思った。
何となく見覚えがある気がして、何だったかと記憶を探りながら広げてみる。
……パンツだった。
思わず取り落としそうになる。
布地の多い子供パンツだ。
意識的に考えないようにしながらもイリアが愛用していたものなのはわかる。
母親が干しているのを何度も見た。
だが何故、彼女はパンツなんか置いていったのだろう……?
……萩山が通販で王女のパンツとか買ってたからだ。
萩山はじっとパンツを見つめる。
そして、ふと思い立って、かぶってみる。
子供用パンツのやわらかい履き心地が禿頭をつつみこむ。
ハゲを隠すためにかぶっていたパーカーのフードより、ビーニー帽より心地よい。
本来は子供が素肌につけるものなのだから当然だ。
まあ髪が無いのも悪くない。
女児用パンツを頭にかぶって直に感触を味わえるのはハゲにしかない役得だ。
履くより敷居も低いし。
そう素直に思えるくらいに、今は自分を肯定することができる。
萩山が祓魔術を、悪魔術を学んだのは髪を生やすためだ。
その願いは叶わなかったけれど、別の大事なものをいくつも手に入れた。
志門舞奈と出会えた。
ウィアードテールとその中の人こと美音陽子にも。
そして再会した従妹のイリアが自分と同じ悪魔術師だったと知って、嬉しくなかったと言えば嘘になる。
そう。今の萩山は悪魔術師だ。
力量こそ従妹に及ばないものの、同じ志を持つことはできる。
そう考えると、たまらなくいい気分だ。
がらんとした部屋も、そんなに寂しくない気になってくる。
だから口元に笑みを浮かべた途端――
「――光! お客さんだよ!」
トロルのような母親のダミ声がした。
「母ちゃん!? お客って?」
びっくりして少しうわずった声で問い返す。
人に見られちゃいけないものを見られそうになった気がしたからだ。
というか今の状況を人に見られたらまずいのは本当だ。
「一ノ瀬さんのところのお嬢ちゃんだよ!」
「えり子ちゃんが?」
「……あんた! まさか小さい子を相手に変なことしてないだろうね!?」
「そんなことしないよ母ちゃん!」
続けて問答する間に古びた障子戸がザザッっと開き――
「――どうだか……って!? あんた何やってるんだい!?」
「えっ!? これは……違うんだ母ちゃん!」
従妹のパンツをかぶった大学生の息子を見やって目を丸くした母親と、
「………………………………」
「えり子ちゃん!?」
無表情ではあるものの、不信と言う意味では母親と同じ白い視線を向ける知人の女子小学生がいた。
萩山家は今日も平和だった。
……そんな様々なことがあった日の夜。
とあるマンションの一室。
血色の悪い少女がリモコンで部屋の電気を消し、そのままベッドに潜りこむ。
細い髪のシャープなボブカットの頭が、枕の調子を整えるように揺れる。
テックだ。
明かりが消された薄暗がりの、几帳面に整理された小奇麗な私室。
部屋の片隅に配置された機能的なパソコンデスクの上。
据え置かれたディスクトップパソコンの側のモデムの電源ランプに照らされて、小さなケースに入れられたゲームのメダルがキラリと光る。
装飾された楽しげなキャラクターは、眠る少女を見守るように微笑んでいる。
舞奈から手渡されたメダルを、テックは綺麗に拭いて保管しておくことにした。
乾いた血汚れをそのままにしていたら彼との――ピアースとの思い出までくすんでしまう気がしたからだ。
それに万が一、彼にメダルを返す機会が訪れた時に汚れていると感じが悪い。
彼がひょっこり顔を見せる可能性を……ゼロだと断ずるのも違う気がする。
もちろん彼を看取ったという舞奈の言葉を信じていない訳じゃない。
だが信頼できる筋からの情報を、信用はすれど鵜呑みにはしないしたたかな生き方は他ならぬ舞奈がしていることだ。
だから、あるいは彼も何時の日か……。
そう考えるのは悪い気分じゃない。
人と話すのは苦手なテックだが、ゲームのフレンドはそれなりにいる。
中には引退でもしたのか久しくログインしていないフレンドも何人かいる。
会いたくても他に連絡手段はないのだから、こちらにできるのは待つことだけだ。
ネットゲームの交友関係と言うのはそういうものだ。
だから心の中に小さく彼の居場所を空けたまま、他の友人とゲームを楽しむのもやぶさかじゃない。並列作業は得意なのだ。
たぶん、それがテックが喪失を乗り越える方法だ。
そして壁際に据え置かれたステンレス製の大型ショーケース。
ケースの中でポーズをとったミスター・イアソンにクイーン・ネメシス。
シャドウ・ザ・シャークをはじめとするディフェンダーズのヒーローたち。
クラフター、ファイヤーボールにイエティ、ヴィランたち。
3段重ねのケースの中に所狭しとフィギアが並ぶ様子が、志門舞奈が四国の一角で見やったそれと似通っていることをテックは知らない。
青い騎士スピナーヘッドのフィギアもあるが、先日に少しばかり怖い思いをさせられた彼にはエフェクトパーツと一緒にスタンドで吹き飛んでもらっている。
その側でポーズをとるメンター・オメガ。
舞奈たちと一緒に隣町まで買いに行った限定フィギアは、あの日にテックが見た彼女のポーズそのままに飾られている。
メンター・オメガはテックが間近で会った唯一の本物のヒーローだ。
それまでテックが伝聞でしか知らなかった魔術を目の前で見せてくれた。
数々の強大な悪を討ち果たしてきたという神秘の力。
けれど旧知の友人を救えなかったという力。
友人を襲ったのと同じ悪を圧倒的な力で葬り去ったオメガは、テックにその力の一端を貸し与えてくれた。
あの日、オメガがしたお願いと言うのはディフェンダーズ・ロボの操縦だ。
機体そのものは長距離転移で持ってこれるが、オペレーターがいないらしい。
オメガの魔術で自宅に転移したテックはバーチャルギアの機材を使ってディフェンダーズ・ロボを操り、新開発区で歩行屍俑どもを倒しまくった。
照準とトリガーひとつで4門の強力なプラズマ砲を放った。
テックはシューティングゲームも得意なのだ。
本物だから、味方に当てるとヤバイからと再三に念を押されて細心の注意を払って狙いをつけて敵機を屠るうち、オメガの杞憂は称賛に変わっていった。
その様子に、テックは初めてピアースと会った日のことを思い出していた。
髭面の巨漢のアバターのせいで当時から高校生だった彼から年上のように敬われるのがこそばゆくて、でも嬉しくて、だからゲームの中では屈強な大人として振る舞った。
その気持ちをゲームのような現実の中で思い出すことができた。
メンター・オメガがそれを思い出させてくれた。
自分が自分自身である限り、彼も自分の中にいると。
だから今日は珍しく夜遅くまでゲームはしない。
夢の余韻を楽しむように、新たな眠りにつく。
そもそも地域的なバーチャルギアの不具合が直った祝いの大冒険は先日やった。
なのでテックは寝返りをうちつつ、笑みを浮かべて夢を見た……
……光陰矢の如く月日は過ぎ、皆も高等部の3年だ。
自分も皆も小学生だった頃より背ものび、セーラー服を着こんでいる。
テックも思い切って髪型を長いツインテールに変えていた。
そんなテックが校庭を小走りに駆けながら手を振る。
校庭の隅の木の下で、手を振り返したのは同じセーラー服を着た明日香だ。
「急に呼び出してごめんなさい。卒業後のことなんだけど」
明日香は言った。
「工藤さんを我が社のエンジニアとして迎え入れたいの。報酬ははずむわ」
「他からのオファーもあるからかけ持ちになるけど、それでもいいなら」
「なら尚更お願いするわ。貴女の技術を他社に独占されるのは避けたいもの」
「そういうことなら了解よ」
その様に交渉を済ませ、
「……ところで他に何処の組織からオファーを受けてるのか聞いても?」
「ええ」
テックは答え――
「――テック・アップ」
メダルを掲げて変身した。
「なっ!?」
明日香は思わず目を見開く。
目元を隠す鋭角なマスク。
高校生ののびやかな身体のラインを織りこんだ前衛的な、未来的なデザインの全身タイツ風コスチューム。
手には異能力を疑似的に再現するためのキーボード状の魔道具。
コードネームはまだない。
だがテックの既定の方の就職先は、ディフェンダーズのヒーロー兼技術者だ。
コスチュームを着こんだテックを見やり、生真面目の明日香の眼鏡がずれた――
――そして再び現実。
女子小学生が眠る寝室の、パソコンデスクのパソコンの側。
友人との思い出のメダルとタイミングを合わせる様に、もうひとつ並んだ真新しいメダルがキラリと光った。
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