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第18章 黄金色の聖槍
CICADA ~ケルト魔術vsスピナーヘッド
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「何だ……と……?」
「ま、当然の結果よン」
薄暗い路地に倒れ伏したスピナーヘッド。
回転が止まったレドームから、細い驚愕の声が漏れる。
対するファーレンエンジェルは口元に妖艶な笑みを浮かべて見下ろす。
手にした2丁のリボルバー拳銃の銃口からは硝煙。
やがて動かなくなった青い甲冑を、天使を使って片付ける。
足元に出現した幼女型の小さな天使が青い鉄屑を引きずっていく様子は、振り返った黒い天使のグラマラスな身体で陰になって園香からは見えない。
そんな園香は安堵の笑みを浮かべて大人の天使を見上げ、
「あ、あの。ありがとう……ございます」
「ふふっ、気にしないでン。束の間でも愛を語り合った仲ですものン」
「えっ?」
礼儀正しく一礼する。
ファーレンエンジェルは妖艶な、思わせぶりな笑みを返す。
そして訝しむ園香に背を向けながら銃を収め、
「気をつけて帰るのよン」
そう言って背を向け、3枚の黒い羽根を揺らして歩き去った。
そして同じ頃。
旧市街地の別の路地でも、
「この俺様……が……」
五体を投げ出したスピナーヘッドが、触手の群れに串刺しにされていた。
無数の鋭い触手は強固なはずの青い甲冑を薄紙のように貫き、複製された騎士の身体を貫通して背から飛び出て蠢く。
触手は小太りのアメリカ人の顔から、胸から、出張った腹から『生えて』いた。
陽子の保護者的なおじさんことピーター・セン。
彼はエイリアニスト……否、混沌魔術そのものの化身だ。
肉体などその場限りの道具に過ぎない。
だが常識を超えたその現象は、彼が背を見せたチャビーからは見えない。
彼の言葉を真に受けた素直な幼女は「おしっこしたいの?」とバッグの中を覗きこんで、中の子猫に「えっ? 違うよ?」みたいな表情をされている。
その拍子にバッグの周囲に異常発生した重力場が消える。
子猫の背に生えた黒い羽根も消える。
大能力を会得した子猫が行使しようとした【小崩弾】を彼女に見せる必要ない。
もちろん自分自身の身体に起きている異常な状況も。
それがピーター・センの思惑だった。
彼は混沌魔術の大魔法で召喚される外なる神の1柱だ。
そして混沌魔術の源は狂気――方向性を持たない、あるいはうつろう強い感情だ。
そのためにエイリアニストやその眷属は対象の常識を越える恐ろしい姿をし、恐ろしいものを見せて精神を揺さぶる。だが彼女は――
「――あれ? もうひとりのおじさんは?」
「用事が終わって帰ったみたいだよ」
無邪気な仕草で顔を上げ、首をかしげる。
ピーター・センも少女を振り返りながら何食わぬ表情で答える。
一瞬前まで人の体すら成していなかった触手の塊も、いつの間にか普段のラフな格好に戻っている。
代わりに今度は足元からのびた何かで甲冑の残骸を解体する。
彼が隠した宇宙的狂気、足元で続いている恐ろしい現実に気づかぬまま……あるいは意図的に目をそらしたままチャビーは……
「……ありがとう。ピーターセンさん」
あくまで無邪気な声色で、そう言って笑う。
だが、その瞳に映る感情はピーター・センが見やるうちにもうつろう。
常識の外にある何かの痕跡を探そうとする渇望。
その軌跡をもう二度と戻らない何かに結びつけようとする願望。
別の何かのために、それらすべてを忘れ去ろうとする純粋な理知。
すべてを受け入れたいと願う好奇心。
何かに気づいて無意識に目をそらす直感。
相反する感情を覆い隠す、無意識に意図された無邪気さ。
過去に後ろ髪を引かれながら、それでも前へ進もうとする強い意思。
そんな混沌とした幼い感情のうねりが、混沌の眷属であるピーター・センを満たす。
彼女はかつて最愛の兄を理不尽に失った。
それでも無垢なまま生きている。
彼女にしかできない生き方。彼女にしかない心の形。
だから、
「気にしないで。また陽子ちゃんたちと遊んであげてね」
「うん!」
元気に答える少女に背を向け、ピーター・センは歩き出す。
続く子猫の鳴き声を背中で聞きつつ、小太りの中年男の顔に浮かぶ表情は……笑み。
人の精神は身体に宿る。
だからピーター・センは興味深い色彩の精神を、その器ごと守った。
ただ、それだけだ。
どこか遠くで季節外れのみゃー子が、ミーン、ミーンと鳴いていた。
同じ頃。
さらに別の一角でも、
「何か用?」
テックの前には、くわえ煙草の脂虫たちが立ちふさがった。
薄汚い色の背広を着崩した数匹の喫煙者だ。
「――こいつが例のガキか?」
「――ああ、間違いねぇ」
「――貧相なガキだな。少し遊んだら殺しちまおうぜ」
「――そうだな。ネトウヨオタクどもが騒ぐだろうが、俺たちだとは気づかねぇさ!」
ヤニ色に濁ったいくつもの双眸が、女子小学生を値踏みするようにぬめつける。
脂虫どもが吹かしているのは、焦げていない糞に似た独特の悪臭を放つ電子タバコ。
平時は近くの会社のサラリーマンにでも偽装して人間社会に潜伏しているのだろう。
行きつけのパソコンショップの紙袋を抱きしめながらテックは後ずさる。
そうしながら、こっそりポケットから携帯電話を取り出す。途端……
「……あっ! このガキ!」
「通報する気だ!」
「させるか!」
脂虫は追いすがる。
警察なりに通報しようとしていると思ったのだろう。
だが次の瞬間――
「「――アアッ!?」」
ヤニ臭い顔面が爆発する。
しかも全員が一度に。
正確にはくわえた煙草が破裂したのだ。
敵が電子タバコでラッキーだった。
テックは電子タバコを破裂させるアプリを開発し、携帯に仕込んでいたのだ。
特殊な周波数の電波を発し、制御回路を誤作動させてバッテリーを破裂させる。
携帯を取り出したのはアプリを起動するためだ。
喫煙者が人間ではなく、人の形をした怪異だとテックも知っている。
舞奈や明日香、社会の裏側に潜む悪意と戦う者たちから聞いていたからだ。
奴らは人が変異し、人に化けて社会に潜み、人に仇成す。
警察もあまり期待できない。
だから防犯ブザーや通話ではなく、最初からこのアプリを使った。
「このガキ何を……!?」
「クソッ……!」
それでも脂虫を内部から破壊する【断罪発破】や類似した魔法と異なり、くわえた電子タバコのバッテリーが破裂したくらいで脂虫は死なない。
だから男たちが顔面を焼かれ、うめいている間にテックは走る。
「待ちやがれ!」
「ぶっ殺してやる! クソガキ!」
背後から怒鳴り声と足音。
敵の数が減っていないのは舞奈ほど耳が良くなくてもわかる。
そしてテックは身体能力も舞奈と異なり普通の小5相当。
しかも正直なところスポーツは苦手だ。
運動不足がたたって息が切れる。
だが立ち止まっている余裕はない。
走る間、季節外れのセミが同じ方向に向かって飛んでいることに気づく。
だが気にしている余裕もなかった。何故なら――
「――念には念を入れて手下を使ったのによォ! てんで使えねェ!」
曲がり角の先に、青い騎士が待ち構えていた。
不吉なデザインの甲冑。
剣と盾、兜の代わりに首の上で回転するレドーム。
スピナーヘッドだ。
「だがなァ! 志門舞奈の協力者のハッカー! 俺様が直々に殺してやるゥ!」
スピナーヘッドは剣を振り上げる。
その先に先ほどのセミが跳び回る。
「ええい邪魔だァ!」
騎士は目標をセミをへと変えて剣を一閃。だが――
「――何……!?」
セミは剣を受け止めた。
元より叩き斬るための西洋剣で、一刀両断とはいかないだろう。
だがセミは何気なく空中でホバリングしながら、歪むことすらなく剣の重量を受け止めて微妙だにしない。
まるでセミでは――定命ですらない不変の何かのように。
そう思った次の瞬間、セミは魔法の光に包まれる。
光は広がり、ローブを着こんだ人の形になる。
そして光が止んだ後、そこには片手で剣を受け止めたひとりの女性がいた。
小柄な美女が着こんでいるのは黄緑色の全身タイツ風の謎衣装だ。
下半身はタイツとシームレスにつながった丈の長いスカート。
上半身はピッチリしたタイツ。
タイツの細い両腕の袖はラッパのように広がっている。
ラッパの中から飛び出して剣を受け止めているのはタイツと同じ色の手袋。
タイツの頭は、顔だけ出して他の部分をすっぽり覆うフード状。
その頭頂は、童話に出てくる魔法使いの衣装のように尖っている。
それより目を引くのは、人付きのする彼女の顔。
しばらく以前にテックたちのクラスに転任してきた副担任の鹿田先生だ。
だがテックは、彼女の本当の――あるいは、もうひとつの名前を知っている。
「何者だァ!? テメェ!」
スピナーヘッドは激憤して叫ぶ。
「わたしが何者かは関係ありませんよ」
鹿田先生は教師が生徒を諭すような上から目線で言葉を返す。
そして微笑みながらテックを見やり、
「貴方が追っていた幼い彼女。彼女のように聡明で可愛らしい子供は誰もが注視しています。そして救いが必要ならば、それが可能な者がすぐさま駆けつけるのです」
変わらぬ笑顔のまま言い放つ。
その視線に微妙な圧を感じ、
「そして、それが今回はたまたまこのわたし――」
「――メンター・オメガ」
「そう。ディフェンダーズの影の首領、メンター・オメガだっただけのことです」
「な……っ!?」
名乗った途端、スピナーヘッドは後ずさる。
米国の平和維持組織【ディフェンダーズ】を束ねる平和の番人。
映画でもシリーズを通して数カットしか露出がない。
その重要性に関わらず映画マニアの中でも特にマニアックで几帳面なファンしか知らない、文字通り秘匿された影の首領。
故にグッズも少なく、フィギュアも製造数が極めて少ない限定品のみ。
そんな裏情報を含め、彼女の正体をテックは知っていた。
鹿田先生が赴任してきた日、地味な色のスーツだった彼女の姿がぶれてメンター・オメガの姿になった。
それが舞奈や明日香が言っていた認識阻害というものだと、すぐに気づいた。
本人たちは気づいていなかったようだが、テックは特に何も言わなかった。
彼女らは彼女らで、それどころじゃない様子だったからだ。
それにテックも……少しだけ嬉しかった。
憧れていたディフェンダーズの影の首領の中の人に、自分だけが気づいている。
そんな彼女が……まさか自分の危機を救いにあらわれるとは!
「本物のメンター・オメガがァ! こんなところにいる訳がねェ! 死ねェ!」
スピナーヘッドは雄叫びをあげながら襲いかかる。
「ええ、そう信じたい気持ちはよくわかりますよ」
対するメンター・オメガはにこやかに微笑むのみ。
だが、硬い何かが何処ともなく飛来し、
「なッ!?」
青い騎士にぶち当たって突き飛ばす。
その正体はセミだ。
ケルト魔術【生物召喚】によって創造された魔術のセミ。
それが砲弾のように騎士を打ったのだ。
セミはミーン、ミーンと鳴きながら飛び去る。
青い甲冑の、セミが当たった場所は無残に凹んでいる。
まるで撃たれたかのように。
「ふざけるなァ! こんなものでェ!」
「自分を止められるはずはない。そう言いたいのですか? わかります」
猛る騎士に微笑みかけつつ、さらに数匹のセミが飛来する。
騎士は剣を振り回す。
セミは嘲笑うように剣をかいくぐりつつ騎士の目前に躍り出る。
そして爆発。
電子タバコの破裂とは規模が違う。
まるで別の映画で見た手榴弾のような紅蓮の爆発。
生命を創造する【生物召喚】と爆発する火の玉【召喚火球】の合わせ技だ。
「クソッ……! クソ! クソ! クソッ……!」
爆発するセミに吹き飛ばされたスピナーヘッドは焼け焦げたまま立ち上がる。
「テメェら2人まとめてェ! 絶対にィ……!」
叫びながら再び剣を振りかざし……
「――Hey,Morgan le Fay.Hold person」
「……えっ?」
動けない。
こちらもケルト魔術のひとつ、確か【人間の束縛】という術だ。
対象の精神を縛ることで肉体の動きを止める。
難易度の高い術だと聞いていたが、あっさり強制させることができたのは敵が意志薄弱な脂虫だからか、あるいはオメガが強力な術者である証拠か。
次いでメンター・オメガは黄緑色の両腕を大きく広げる。
仕掛ける気だ。
そう思った瞬間、ラッパ状に広がったローブの袖が茂る葉枝のようにさざめく。
それ以上の動作も呪文もない。
だが次の瞬間、袖の形をした葉枝をかきわけ出でる如く、大量のセミが噴き出した。
――ミーン! ミーン!
――ツクツクホーシ!
――カナカナカナカナ!
けたたましく鳴き叫ぶセミの群は、動けぬ騎士に襲いかかる。
セミは青い鎧にびっしりと張りつき――
「なッ!? や、やめろッ――!?」
騎士の悲痛な叫びと共に――
「――――――!!」
大爆発。
張りついたセミが一斉に爆発したのだ。
まるで鎧全体に爆薬でも仕掛けてあったかのような爆音。
連続する重低音。
地獄の一角が再現されたような紅蓮の炎。
魔術については聞きかじっただけのテックですら、その手管に驚愕する。
焼け焦げた騎士は倒れ伏す。
ボロボロに凹んでススまみれになった青い腕がヒクヒクと動いた瞬間――
「――!」
跳ね飛ばされた。
地中から突き出た巨大な蟲の頭に突き飛ばされたのだ。
アスファルトを砕いて跳び出る巨大なワーム。
胴回りが巨樹ほどもある、有り得ない大きさのミミズかイモムシのような怪物。
モンゴリアン・デス・ワームだ。
熟達したケルト魔術による【生物召喚】は、巨大な未確認生物すら召喚し、思うままに使役することができる。
舞奈が言っていた、もうひとりのSランクとは別種の強さだ。
巨大なワームは上端に広げた大きな口を広げ、もがく騎士を空中でくわえる。
ギザギザに生えた無数の歯が、焼け焦げた甲冑に無慈悲に突き刺さる。
ワームはもがく騎士を3回ほど路地に叩きつける。
激突音。
振動。
何かが折れる音。
そして動かなくなった騎士をくわえたまま地中に引きずりこむ。
後にはワームが出てきた巨大な穴が残される。
次いで足元から不気味にとどろく、何かを砕き咀嚼する音、振動。
長く響く断末魔。
数秒ほど遅れて穴の中から青い鎧が吐き出される。
壊れた人形のように投げ出された青い鎧は、今度はピクリとも動かなかった。
最後にメンター・オメガが指を鳴らすと、鎧の残骸の下から何かが這い出る。
立派な角を持った小さな甲虫……の群。
こちらも【生物召喚】を応用した、信じられない量のカブトムシだ。
カブトムシの大群が、青い鎧を覆い尽くして蠢く。
何をしているのだろう?
カブトムシの山は徐々に薄く小さくなっていく。
そしてカブトムシたちが一斉に羽根を羽ばたかせて飛び去った後には、まばらに散らばる青い鎧の残骸だけが残っていた。
ふと背後を振り返ると、こちらでもカブトムシの群れが飛び立っていた。
そういえば追いかけてきた脂虫どもはどうなったんだろうと思ったが、どこにも見つからなかった。
そんな静かな無人の路地を、テックが呆然と見やっていると、
「ああっ! これはうっかりしていました。カブトムシは男の子向けすぎましたね」
「……男子でも今のはトラウマになると思うけど」
「どうせなら蝶々かてんとう虫にしたほうが良かったですね」
「あんまり変わらないと思うけど……」
少しずれたフォローをしながらニコニコと微笑むメンター・オメガ。
その側でテックは苦笑する。
そんな彼女にメンター・オメガは笑みを向け、
「工藤照さん、実は貴女にお願いしたいことがあるのです」
「えっ?」
切り出された言葉にテックは目を丸くした。
同じ頃。
こちらは新開発区の一角で……
「これで終わり……でしょうか……?」
弱々しい声色とは裏腹に、虚空を埋め尽くすほどの火球の群が放たれる。
狙うは残り僅かに数を減らした青い騎士たち。
まばらな集団の頭上から、灼熱の炎が雨の如く降り注ぐ。
ケルト魔術【火球の雹】だ。
地に落ちた火球のひとつひとつが爆発し、焼夷弾のように周囲に火を放つ。
そんな魔術の絨毯爆撃が終わり、海のような炎が消えた後。
焼け焦げた廃墟の地面には無数の焼け焦げた青い破片が散らばるのみ。
そこに動く者はなにもなかった。
「お見事です」
中空に創造しかけた数多の剣を消しながらチャムエルがつばめを褒め称える。
甲冑の高等魔術師は【機甲の螺旋】を連発し、巨大な鋭い剣の雨を降らせ、押し寄せる騎士どもを次々に八つ裂きにしていた。
だが椰子実つばめの圧倒的な火力と比べると針を投げるに等しかった。
「まったく見事な攻撃魔法だ」
同じように稲妻を消しながらハニエルも追従する。
こちらも【雷電の嵐】だけでなく【火球の雨】を連発し、押し寄せる騎士の群を焼き払っていた。
そのようなエレメントの召喚を得手とする彼女だからこそ思い知った。
魔術と呪術を共に極めた大魔道士の攻撃魔法は桁違いだと。
側で取り出しかけた符を機構の中に仕舞う式神の鷹乃。
魔弾の雨をかいくぐった騎士の最後の1匹を【熱の刃】で斬首した後に偃月刀を収めたハットリ。
2人も【機関】が誇るSランクの暴虐に等しい火力に驚きを隠せない。
椰子実つばめと魔術師たちは、雲霞の如くスピナーヘッドの群を殲滅していた。
また別の一角でも……
「……これで仕舞いか。まったく厄介な相手であった」
言いつつベリアルが掲げていた手を下ろす。
黒ローブの小柄な術者が仮面を向ける先には、無数に転がる焼け焦げた肉塊。
その様子に、背後に控えたサーシャが、リンカー姉妹が目を見張る。
空を埋め尽くしていたファット・ザ・ブシドーもまた、ベリアルに撃墜されていた。
もちろん彼女ひとりだけの戦果ではない。
レディ・アレクサンドラことサーシャが変身を解く。
こちらは圧倒的な単体火力と接近戦闘力にものを言わせ、撃ち漏らしたファット・ザ・ブシドーを叩きのめしていたのだ。
その精悍な顔には満足げな疲労が色濃く浮かぶ。
大多数が迎撃されたとはいえ、殺到する肉塊と連戦したせいだ。
「もう限界だ……!」
エミルも思わずへたりこむ。
「うん、わたしももう……これ以上は無理かも」
側のクラリスも、態度にこそ出さないが疲労の色は変わらない。
リンカー姉妹もゲシュタルトによってベリアルを補佐し続けていた。
姉妹の【能力増幅】を循環させて魔力や超能力を強化する超能力は強力だが、それ故に消費も激しい。
連続行使による疲労は大規模魔法攻撃の連発と変わらない。
にもかかわらず、姉妹が大任を果たし終えた理由は……
「……リンカー姉妹よ、このように超能力のバランスを考慮した丁重な施術により、消耗を抑えることが――」
「――お説教はもういいよ」
ベリアルの言葉をエミルが遮り、
「……実戦で嫌と言うほど思い知ったから」
続けつつ大の字に横になる。
ベリアルの教えを実践していなければ、姉妹は戦闘中にへばっていた。
その事実を理解したから、側でクラリスも微笑んだ。
そして、さらに別の一角では、
「せい! ……こっちは終わりだ」
グルゴーガンが、ひしゃげた青い甲冑を投げ捨てる。
二段重ねの付与魔法で強化された鉄拳を喰らい、屈強な巨躯で無造作に投げられた甲冑は瓦礫まみれの荒れ地を転がったまま壊れた人形のようにピクリとも動かない。
「こっちも今、終わったところっす」
ベティも頭が取れたスピナーヘッドを放り捨て、
「そのようですね」
クレアもグレネードランチャーを構えた両腕を下ろし、ひと息つく。
術を使わぬながら重火器の扱いに長けた彼女の凄まじい活躍も、言わずもなが。
同僚であるベティの【蔵の術】によって事実上無限のグレネードをぶち当てられて、数多の騎士が猛火の中に砕けて消えた。
「こちらも片付いた」
猫島朱音も踊りを止め、額に浮いた汗をぬぐう。
目前には凍りつき、砕け、斬り裂かれた甲冑の残骸。
公安の梵術士は【帝釈天の百雷】【大自在天の多刃】を連発し、群れ成す騎士どもをまとめて片付けていた。
「こっちも、やっと終わったデス」
プロートニクも、白い半裸の要所を隠す鉄のカーテンの中にドリルを収める。
珍しく地に足をつけて立っているのは超能力を使いすぎたせいだ。
物品を動かす【くぐつの力】の応用で射撃する【くぐつの銃火】。
その技術を更に高度化した【悪鬼の猛火】によって、無数のドリル刃を放って飛ばし続けて騎士どもを次々に屠ったのだ。
妖術師でありながら、その戦果はグレネードの掃射や大規模魔法攻撃に匹敵する。
半面、そんな秘術を連発したのだから流石の彼女も披露する。
それでも、ともかく魔術師不在の大人組もまた、騎士の大群に勝利していた。
だがひと息つく暇もなく……
「……そうでもないようですよ」
「どういうことっすか?」
双眼鏡を構えたクレアの言葉にベティが訝しむ。
だがクレアはレンズの向こうに目を奪われたまま、
「皆さん、あれを!」
驚きの声をあげた。
思わず他の面子も各々の手段を用い、高密度のWウィルスが充満する新開発区の中央部に目をやる。
そしてクレアと同じように驚愕の表情を浮かべる。
群れ成す敵を殲滅した攻撃部隊の前に、今度は……
「ま、当然の結果よン」
薄暗い路地に倒れ伏したスピナーヘッド。
回転が止まったレドームから、細い驚愕の声が漏れる。
対するファーレンエンジェルは口元に妖艶な笑みを浮かべて見下ろす。
手にした2丁のリボルバー拳銃の銃口からは硝煙。
やがて動かなくなった青い甲冑を、天使を使って片付ける。
足元に出現した幼女型の小さな天使が青い鉄屑を引きずっていく様子は、振り返った黒い天使のグラマラスな身体で陰になって園香からは見えない。
そんな園香は安堵の笑みを浮かべて大人の天使を見上げ、
「あ、あの。ありがとう……ございます」
「ふふっ、気にしないでン。束の間でも愛を語り合った仲ですものン」
「えっ?」
礼儀正しく一礼する。
ファーレンエンジェルは妖艶な、思わせぶりな笑みを返す。
そして訝しむ園香に背を向けながら銃を収め、
「気をつけて帰るのよン」
そう言って背を向け、3枚の黒い羽根を揺らして歩き去った。
そして同じ頃。
旧市街地の別の路地でも、
「この俺様……が……」
五体を投げ出したスピナーヘッドが、触手の群れに串刺しにされていた。
無数の鋭い触手は強固なはずの青い甲冑を薄紙のように貫き、複製された騎士の身体を貫通して背から飛び出て蠢く。
触手は小太りのアメリカ人の顔から、胸から、出張った腹から『生えて』いた。
陽子の保護者的なおじさんことピーター・セン。
彼はエイリアニスト……否、混沌魔術そのものの化身だ。
肉体などその場限りの道具に過ぎない。
だが常識を超えたその現象は、彼が背を見せたチャビーからは見えない。
彼の言葉を真に受けた素直な幼女は「おしっこしたいの?」とバッグの中を覗きこんで、中の子猫に「えっ? 違うよ?」みたいな表情をされている。
その拍子にバッグの周囲に異常発生した重力場が消える。
子猫の背に生えた黒い羽根も消える。
大能力を会得した子猫が行使しようとした【小崩弾】を彼女に見せる必要ない。
もちろん自分自身の身体に起きている異常な状況も。
それがピーター・センの思惑だった。
彼は混沌魔術の大魔法で召喚される外なる神の1柱だ。
そして混沌魔術の源は狂気――方向性を持たない、あるいはうつろう強い感情だ。
そのためにエイリアニストやその眷属は対象の常識を越える恐ろしい姿をし、恐ろしいものを見せて精神を揺さぶる。だが彼女は――
「――あれ? もうひとりのおじさんは?」
「用事が終わって帰ったみたいだよ」
無邪気な仕草で顔を上げ、首をかしげる。
ピーター・センも少女を振り返りながら何食わぬ表情で答える。
一瞬前まで人の体すら成していなかった触手の塊も、いつの間にか普段のラフな格好に戻っている。
代わりに今度は足元からのびた何かで甲冑の残骸を解体する。
彼が隠した宇宙的狂気、足元で続いている恐ろしい現実に気づかぬまま……あるいは意図的に目をそらしたままチャビーは……
「……ありがとう。ピーターセンさん」
あくまで無邪気な声色で、そう言って笑う。
だが、その瞳に映る感情はピーター・センが見やるうちにもうつろう。
常識の外にある何かの痕跡を探そうとする渇望。
その軌跡をもう二度と戻らない何かに結びつけようとする願望。
別の何かのために、それらすべてを忘れ去ろうとする純粋な理知。
すべてを受け入れたいと願う好奇心。
何かに気づいて無意識に目をそらす直感。
相反する感情を覆い隠す、無意識に意図された無邪気さ。
過去に後ろ髪を引かれながら、それでも前へ進もうとする強い意思。
そんな混沌とした幼い感情のうねりが、混沌の眷属であるピーター・センを満たす。
彼女はかつて最愛の兄を理不尽に失った。
それでも無垢なまま生きている。
彼女にしかできない生き方。彼女にしかない心の形。
だから、
「気にしないで。また陽子ちゃんたちと遊んであげてね」
「うん!」
元気に答える少女に背を向け、ピーター・センは歩き出す。
続く子猫の鳴き声を背中で聞きつつ、小太りの中年男の顔に浮かぶ表情は……笑み。
人の精神は身体に宿る。
だからピーター・センは興味深い色彩の精神を、その器ごと守った。
ただ、それだけだ。
どこか遠くで季節外れのみゃー子が、ミーン、ミーンと鳴いていた。
同じ頃。
さらに別の一角でも、
「何か用?」
テックの前には、くわえ煙草の脂虫たちが立ちふさがった。
薄汚い色の背広を着崩した数匹の喫煙者だ。
「――こいつが例のガキか?」
「――ああ、間違いねぇ」
「――貧相なガキだな。少し遊んだら殺しちまおうぜ」
「――そうだな。ネトウヨオタクどもが騒ぐだろうが、俺たちだとは気づかねぇさ!」
ヤニ色に濁ったいくつもの双眸が、女子小学生を値踏みするようにぬめつける。
脂虫どもが吹かしているのは、焦げていない糞に似た独特の悪臭を放つ電子タバコ。
平時は近くの会社のサラリーマンにでも偽装して人間社会に潜伏しているのだろう。
行きつけのパソコンショップの紙袋を抱きしめながらテックは後ずさる。
そうしながら、こっそりポケットから携帯電話を取り出す。途端……
「……あっ! このガキ!」
「通報する気だ!」
「させるか!」
脂虫は追いすがる。
警察なりに通報しようとしていると思ったのだろう。
だが次の瞬間――
「「――アアッ!?」」
ヤニ臭い顔面が爆発する。
しかも全員が一度に。
正確にはくわえた煙草が破裂したのだ。
敵が電子タバコでラッキーだった。
テックは電子タバコを破裂させるアプリを開発し、携帯に仕込んでいたのだ。
特殊な周波数の電波を発し、制御回路を誤作動させてバッテリーを破裂させる。
携帯を取り出したのはアプリを起動するためだ。
喫煙者が人間ではなく、人の形をした怪異だとテックも知っている。
舞奈や明日香、社会の裏側に潜む悪意と戦う者たちから聞いていたからだ。
奴らは人が変異し、人に化けて社会に潜み、人に仇成す。
警察もあまり期待できない。
だから防犯ブザーや通話ではなく、最初からこのアプリを使った。
「このガキ何を……!?」
「クソッ……!」
それでも脂虫を内部から破壊する【断罪発破】や類似した魔法と異なり、くわえた電子タバコのバッテリーが破裂したくらいで脂虫は死なない。
だから男たちが顔面を焼かれ、うめいている間にテックは走る。
「待ちやがれ!」
「ぶっ殺してやる! クソガキ!」
背後から怒鳴り声と足音。
敵の数が減っていないのは舞奈ほど耳が良くなくてもわかる。
そしてテックは身体能力も舞奈と異なり普通の小5相当。
しかも正直なところスポーツは苦手だ。
運動不足がたたって息が切れる。
だが立ち止まっている余裕はない。
走る間、季節外れのセミが同じ方向に向かって飛んでいることに気づく。
だが気にしている余裕もなかった。何故なら――
「――念には念を入れて手下を使ったのによォ! てんで使えねェ!」
曲がり角の先に、青い騎士が待ち構えていた。
不吉なデザインの甲冑。
剣と盾、兜の代わりに首の上で回転するレドーム。
スピナーヘッドだ。
「だがなァ! 志門舞奈の協力者のハッカー! 俺様が直々に殺してやるゥ!」
スピナーヘッドは剣を振り上げる。
その先に先ほどのセミが跳び回る。
「ええい邪魔だァ!」
騎士は目標をセミをへと変えて剣を一閃。だが――
「――何……!?」
セミは剣を受け止めた。
元より叩き斬るための西洋剣で、一刀両断とはいかないだろう。
だがセミは何気なく空中でホバリングしながら、歪むことすらなく剣の重量を受け止めて微妙だにしない。
まるでセミでは――定命ですらない不変の何かのように。
そう思った次の瞬間、セミは魔法の光に包まれる。
光は広がり、ローブを着こんだ人の形になる。
そして光が止んだ後、そこには片手で剣を受け止めたひとりの女性がいた。
小柄な美女が着こんでいるのは黄緑色の全身タイツ風の謎衣装だ。
下半身はタイツとシームレスにつながった丈の長いスカート。
上半身はピッチリしたタイツ。
タイツの細い両腕の袖はラッパのように広がっている。
ラッパの中から飛び出して剣を受け止めているのはタイツと同じ色の手袋。
タイツの頭は、顔だけ出して他の部分をすっぽり覆うフード状。
その頭頂は、童話に出てくる魔法使いの衣装のように尖っている。
それより目を引くのは、人付きのする彼女の顔。
しばらく以前にテックたちのクラスに転任してきた副担任の鹿田先生だ。
だがテックは、彼女の本当の――あるいは、もうひとつの名前を知っている。
「何者だァ!? テメェ!」
スピナーヘッドは激憤して叫ぶ。
「わたしが何者かは関係ありませんよ」
鹿田先生は教師が生徒を諭すような上から目線で言葉を返す。
そして微笑みながらテックを見やり、
「貴方が追っていた幼い彼女。彼女のように聡明で可愛らしい子供は誰もが注視しています。そして救いが必要ならば、それが可能な者がすぐさま駆けつけるのです」
変わらぬ笑顔のまま言い放つ。
その視線に微妙な圧を感じ、
「そして、それが今回はたまたまこのわたし――」
「――メンター・オメガ」
「そう。ディフェンダーズの影の首領、メンター・オメガだっただけのことです」
「な……っ!?」
名乗った途端、スピナーヘッドは後ずさる。
米国の平和維持組織【ディフェンダーズ】を束ねる平和の番人。
映画でもシリーズを通して数カットしか露出がない。
その重要性に関わらず映画マニアの中でも特にマニアックで几帳面なファンしか知らない、文字通り秘匿された影の首領。
故にグッズも少なく、フィギュアも製造数が極めて少ない限定品のみ。
そんな裏情報を含め、彼女の正体をテックは知っていた。
鹿田先生が赴任してきた日、地味な色のスーツだった彼女の姿がぶれてメンター・オメガの姿になった。
それが舞奈や明日香が言っていた認識阻害というものだと、すぐに気づいた。
本人たちは気づいていなかったようだが、テックは特に何も言わなかった。
彼女らは彼女らで、それどころじゃない様子だったからだ。
それにテックも……少しだけ嬉しかった。
憧れていたディフェンダーズの影の首領の中の人に、自分だけが気づいている。
そんな彼女が……まさか自分の危機を救いにあらわれるとは!
「本物のメンター・オメガがァ! こんなところにいる訳がねェ! 死ねェ!」
スピナーヘッドは雄叫びをあげながら襲いかかる。
「ええ、そう信じたい気持ちはよくわかりますよ」
対するメンター・オメガはにこやかに微笑むのみ。
だが、硬い何かが何処ともなく飛来し、
「なッ!?」
青い騎士にぶち当たって突き飛ばす。
その正体はセミだ。
ケルト魔術【生物召喚】によって創造された魔術のセミ。
それが砲弾のように騎士を打ったのだ。
セミはミーン、ミーンと鳴きながら飛び去る。
青い甲冑の、セミが当たった場所は無残に凹んでいる。
まるで撃たれたかのように。
「ふざけるなァ! こんなものでェ!」
「自分を止められるはずはない。そう言いたいのですか? わかります」
猛る騎士に微笑みかけつつ、さらに数匹のセミが飛来する。
騎士は剣を振り回す。
セミは嘲笑うように剣をかいくぐりつつ騎士の目前に躍り出る。
そして爆発。
電子タバコの破裂とは規模が違う。
まるで別の映画で見た手榴弾のような紅蓮の爆発。
生命を創造する【生物召喚】と爆発する火の玉【召喚火球】の合わせ技だ。
「クソッ……! クソ! クソ! クソッ……!」
爆発するセミに吹き飛ばされたスピナーヘッドは焼け焦げたまま立ち上がる。
「テメェら2人まとめてェ! 絶対にィ……!」
叫びながら再び剣を振りかざし……
「――Hey,Morgan le Fay.Hold person」
「……えっ?」
動けない。
こちらもケルト魔術のひとつ、確か【人間の束縛】という術だ。
対象の精神を縛ることで肉体の動きを止める。
難易度の高い術だと聞いていたが、あっさり強制させることができたのは敵が意志薄弱な脂虫だからか、あるいはオメガが強力な術者である証拠か。
次いでメンター・オメガは黄緑色の両腕を大きく広げる。
仕掛ける気だ。
そう思った瞬間、ラッパ状に広がったローブの袖が茂る葉枝のようにさざめく。
それ以上の動作も呪文もない。
だが次の瞬間、袖の形をした葉枝をかきわけ出でる如く、大量のセミが噴き出した。
――ミーン! ミーン!
――ツクツクホーシ!
――カナカナカナカナ!
けたたましく鳴き叫ぶセミの群は、動けぬ騎士に襲いかかる。
セミは青い鎧にびっしりと張りつき――
「なッ!? や、やめろッ――!?」
騎士の悲痛な叫びと共に――
「――――――!!」
大爆発。
張りついたセミが一斉に爆発したのだ。
まるで鎧全体に爆薬でも仕掛けてあったかのような爆音。
連続する重低音。
地獄の一角が再現されたような紅蓮の炎。
魔術については聞きかじっただけのテックですら、その手管に驚愕する。
焼け焦げた騎士は倒れ伏す。
ボロボロに凹んでススまみれになった青い腕がヒクヒクと動いた瞬間――
「――!」
跳ね飛ばされた。
地中から突き出た巨大な蟲の頭に突き飛ばされたのだ。
アスファルトを砕いて跳び出る巨大なワーム。
胴回りが巨樹ほどもある、有り得ない大きさのミミズかイモムシのような怪物。
モンゴリアン・デス・ワームだ。
熟達したケルト魔術による【生物召喚】は、巨大な未確認生物すら召喚し、思うままに使役することができる。
舞奈が言っていた、もうひとりのSランクとは別種の強さだ。
巨大なワームは上端に広げた大きな口を広げ、もがく騎士を空中でくわえる。
ギザギザに生えた無数の歯が、焼け焦げた甲冑に無慈悲に突き刺さる。
ワームはもがく騎士を3回ほど路地に叩きつける。
激突音。
振動。
何かが折れる音。
そして動かなくなった騎士をくわえたまま地中に引きずりこむ。
後にはワームが出てきた巨大な穴が残される。
次いで足元から不気味にとどろく、何かを砕き咀嚼する音、振動。
長く響く断末魔。
数秒ほど遅れて穴の中から青い鎧が吐き出される。
壊れた人形のように投げ出された青い鎧は、今度はピクリとも動かなかった。
最後にメンター・オメガが指を鳴らすと、鎧の残骸の下から何かが這い出る。
立派な角を持った小さな甲虫……の群。
こちらも【生物召喚】を応用した、信じられない量のカブトムシだ。
カブトムシの大群が、青い鎧を覆い尽くして蠢く。
何をしているのだろう?
カブトムシの山は徐々に薄く小さくなっていく。
そしてカブトムシたちが一斉に羽根を羽ばたかせて飛び去った後には、まばらに散らばる青い鎧の残骸だけが残っていた。
ふと背後を振り返ると、こちらでもカブトムシの群れが飛び立っていた。
そういえば追いかけてきた脂虫どもはどうなったんだろうと思ったが、どこにも見つからなかった。
そんな静かな無人の路地を、テックが呆然と見やっていると、
「ああっ! これはうっかりしていました。カブトムシは男の子向けすぎましたね」
「……男子でも今のはトラウマになると思うけど」
「どうせなら蝶々かてんとう虫にしたほうが良かったですね」
「あんまり変わらないと思うけど……」
少しずれたフォローをしながらニコニコと微笑むメンター・オメガ。
その側でテックは苦笑する。
そんな彼女にメンター・オメガは笑みを向け、
「工藤照さん、実は貴女にお願いしたいことがあるのです」
「えっ?」
切り出された言葉にテックは目を丸くした。
同じ頃。
こちらは新開発区の一角で……
「これで終わり……でしょうか……?」
弱々しい声色とは裏腹に、虚空を埋め尽くすほどの火球の群が放たれる。
狙うは残り僅かに数を減らした青い騎士たち。
まばらな集団の頭上から、灼熱の炎が雨の如く降り注ぐ。
ケルト魔術【火球の雹】だ。
地に落ちた火球のひとつひとつが爆発し、焼夷弾のように周囲に火を放つ。
そんな魔術の絨毯爆撃が終わり、海のような炎が消えた後。
焼け焦げた廃墟の地面には無数の焼け焦げた青い破片が散らばるのみ。
そこに動く者はなにもなかった。
「お見事です」
中空に創造しかけた数多の剣を消しながらチャムエルがつばめを褒め称える。
甲冑の高等魔術師は【機甲の螺旋】を連発し、巨大な鋭い剣の雨を降らせ、押し寄せる騎士どもを次々に八つ裂きにしていた。
だが椰子実つばめの圧倒的な火力と比べると針を投げるに等しかった。
「まったく見事な攻撃魔法だ」
同じように稲妻を消しながらハニエルも追従する。
こちらも【雷電の嵐】だけでなく【火球の雨】を連発し、押し寄せる騎士の群を焼き払っていた。
そのようなエレメントの召喚を得手とする彼女だからこそ思い知った。
魔術と呪術を共に極めた大魔道士の攻撃魔法は桁違いだと。
側で取り出しかけた符を機構の中に仕舞う式神の鷹乃。
魔弾の雨をかいくぐった騎士の最後の1匹を【熱の刃】で斬首した後に偃月刀を収めたハットリ。
2人も【機関】が誇るSランクの暴虐に等しい火力に驚きを隠せない。
椰子実つばめと魔術師たちは、雲霞の如くスピナーヘッドの群を殲滅していた。
また別の一角でも……
「……これで仕舞いか。まったく厄介な相手であった」
言いつつベリアルが掲げていた手を下ろす。
黒ローブの小柄な術者が仮面を向ける先には、無数に転がる焼け焦げた肉塊。
その様子に、背後に控えたサーシャが、リンカー姉妹が目を見張る。
空を埋め尽くしていたファット・ザ・ブシドーもまた、ベリアルに撃墜されていた。
もちろん彼女ひとりだけの戦果ではない。
レディ・アレクサンドラことサーシャが変身を解く。
こちらは圧倒的な単体火力と接近戦闘力にものを言わせ、撃ち漏らしたファット・ザ・ブシドーを叩きのめしていたのだ。
その精悍な顔には満足げな疲労が色濃く浮かぶ。
大多数が迎撃されたとはいえ、殺到する肉塊と連戦したせいだ。
「もう限界だ……!」
エミルも思わずへたりこむ。
「うん、わたしももう……これ以上は無理かも」
側のクラリスも、態度にこそ出さないが疲労の色は変わらない。
リンカー姉妹もゲシュタルトによってベリアルを補佐し続けていた。
姉妹の【能力増幅】を循環させて魔力や超能力を強化する超能力は強力だが、それ故に消費も激しい。
連続行使による疲労は大規模魔法攻撃の連発と変わらない。
にもかかわらず、姉妹が大任を果たし終えた理由は……
「……リンカー姉妹よ、このように超能力のバランスを考慮した丁重な施術により、消耗を抑えることが――」
「――お説教はもういいよ」
ベリアルの言葉をエミルが遮り、
「……実戦で嫌と言うほど思い知ったから」
続けつつ大の字に横になる。
ベリアルの教えを実践していなければ、姉妹は戦闘中にへばっていた。
その事実を理解したから、側でクラリスも微笑んだ。
そして、さらに別の一角では、
「せい! ……こっちは終わりだ」
グルゴーガンが、ひしゃげた青い甲冑を投げ捨てる。
二段重ねの付与魔法で強化された鉄拳を喰らい、屈強な巨躯で無造作に投げられた甲冑は瓦礫まみれの荒れ地を転がったまま壊れた人形のようにピクリとも動かない。
「こっちも今、終わったところっす」
ベティも頭が取れたスピナーヘッドを放り捨て、
「そのようですね」
クレアもグレネードランチャーを構えた両腕を下ろし、ひと息つく。
術を使わぬながら重火器の扱いに長けた彼女の凄まじい活躍も、言わずもなが。
同僚であるベティの【蔵の術】によって事実上無限のグレネードをぶち当てられて、数多の騎士が猛火の中に砕けて消えた。
「こちらも片付いた」
猫島朱音も踊りを止め、額に浮いた汗をぬぐう。
目前には凍りつき、砕け、斬り裂かれた甲冑の残骸。
公安の梵術士は【帝釈天の百雷】【大自在天の多刃】を連発し、群れ成す騎士どもをまとめて片付けていた。
「こっちも、やっと終わったデス」
プロートニクも、白い半裸の要所を隠す鉄のカーテンの中にドリルを収める。
珍しく地に足をつけて立っているのは超能力を使いすぎたせいだ。
物品を動かす【くぐつの力】の応用で射撃する【くぐつの銃火】。
その技術を更に高度化した【悪鬼の猛火】によって、無数のドリル刃を放って飛ばし続けて騎士どもを次々に屠ったのだ。
妖術師でありながら、その戦果はグレネードの掃射や大規模魔法攻撃に匹敵する。
半面、そんな秘術を連発したのだから流石の彼女も披露する。
それでも、ともかく魔術師不在の大人組もまた、騎士の大群に勝利していた。
だがひと息つく暇もなく……
「……そうでもないようですよ」
「どういうことっすか?」
双眼鏡を構えたクレアの言葉にベティが訝しむ。
だがクレアはレンズの向こうに目を奪われたまま、
「皆さん、あれを!」
驚きの声をあげた。
思わず他の面子も各々の手段を用い、高密度のWウィルスが充満する新開発区の中央部に目をやる。
そしてクレアと同じように驚愕の表情を浮かべる。
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