銃弾と攻撃魔法・無頼の少女

立川ありす

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第18章 黄金色の聖槍

日常2

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 舞奈たちが電車に揺られながら、とりとめのない話をしているのと同じ頃。
 タンクローリー横転事故の痛手もすっかり癒えた商店街の一角。
 モモカの実家でもある花屋のカウンターで、

「いつもいっぱいお花を買ってくれてありがとうね。きっと麗華ちゃんのお家はお花の女王様の宮殿みたいなんだろうなあ」
「そんな本当のことを言っても何も出ませんわよ! オホホホホ!」
 小太りなバイト店員が、調子のいいことを言いながら女子小学生に花束を渡す。
 縦ロールのお嬢様は満面の笑みを浮かべて高笑いしながら会計する。
 言わずと知れた麗華である。
 麗華様は褒められれば何でも喜ぶちょろい子なのだ。

「学校でもモモカちゃんと仲良くしてくれてありがとうね。麗華ちゃんみたいな可愛いお嬢ちゃんが友達になってくれて、モモカちゃんも幸せ者だよ」
「オホホ! 当然のことをしてるだけですわ! あ、そこの花束もいただこうかしら」
「はい、毎度あり」
 店員はニコニコ笑顔で花束を持ってくる。
 麗華も笑顔で受け取る。
 会計は増える。
 麗華様、モモカの店のいいカモである。
 当然のように花束を持たされた黒白2人の姉妹――デニスとジャネットが苦笑する。

「そういえばモモカちゃんはペットとか飼ってるかい?」
「飼ってませんわ。だって犬は吠え……デニスとジャネットがいますし」
「別にわたしは犬は苦手じゃないですよ。軍用犬は別物ですし」
「人様のペットは食べないンすよ」
 店員の問いに、何かを誤魔化そうとして失礼な答えを返す麗華様。
 デニスとジャネットの怪訝そうな顔に構わず、

「でも、どうしてですの?」
「いやね、こっちの花束はユリの花が入ってるんだ。ユリは猫がかじると毒になるから気をつけないといけないんだよ」
「博識ですのね。流石はわたくしの高貴さがわかる殿方ですわ!」
「ははっそんなことは。でも可愛らしい麗華ちゃんの賛辞は喜んで受け取っておくよ」
「まあ! オホホ!」
 店員は知識をひけらかしてみせる。
 体形に似合わぬホストのような言動に、良い気分になった麗華は他の商品を物色。

「それじゃあ……」
「……麗華様。そんなに買っても持つ人がいないのでは?」
「それもそうですわね。今日はこのくらいで失礼しますわ」
 姉妹に急かされ麗華は満面の笑みのまま店を出る。
 デニスとジャネットも花束をかかえて微妙な表情で続く。
 麗華様は買うだけ買って、家まで持ち運んだり活けたりはしないのだ。なので、

「今日も良い買い物をしましたわ!」
「よかったですね……」
「生け花は綺麗なンすけど、食べるところが取ってあるあるンす……」
 麗華様だけ上機嫌に、3人は街を練り歩く。
 そうやって自分たちの家に向かって人気のない大通りを進む最中……

「……麗華様、ステイを!」
「止まるンす!」
「!? もう、どうしましたの?」
 不意に3人は立ち止まる。
 正確にはデニスとジャネットが止まり、先を歩く麗華の腕をつかんで止めようとして麗華様が器用につんのめってコケそうになった。

 そのように3人が止まった理由は、行く手にひとりの男が立っていたからだ。

 先ほどの店員と同じく小太りな中年男。
 ふっくらした顔に袋の裏のような無精髭を生やし、つぶらな瞳は目前の女子小学生たちをじっと見つめている。
 着こんでいるのはアニメのキャラクターがプリントされた薄汚れたTシャツ。
 背には不気味に膨らんだリュック。
 割とヤバめな男の容姿に、デニスとジャネットの表情が変わる。

「うわっ!? なんですの!?」
 手にした花束を麗華に押しつける。
 そして姉妹を庇うように前に進み出て身構える。
 形だけではない堅実な構え。

 元少年兵のデニス。
 ストリートファイトの経験も豊富なジャネット。
 2人は目前の男がただ者ならぬ相手だと見抜いていた。
 花屋のバイト店員とは身のこなしが違う、見た目だけじゃなくヤバイ相手だと。

「なンすか? あんた」
 ジャネットが誰何する。途端――

「――!?」
 男が動いた。速い。

 修羅場慣れした2人が予備動作に気づく間もなく男は走り寄る。
 みゃー子に似たぬるりとした動きで上半身をそらす。
 リンボーダンスのような海老反りだ。
 その状態で、身構えた小学生2人の脇の下をくぐり抜ける。

 腹の出張った中年男が!
 女子小学生の脇の下を!
 リンボーで!

「えっ!?」
「なンと!?」
 驚く2人が振り返るより早く、男は麗華の懐に一瞬で跳びこむ。

 麗華は2つの花束を抱えたまま硬直する。
 思考回路がショートして切れたのだ。
 なにせ流石の麗華様も、いちおう以前に誘拐されたことがある身だ。

 だが今回の襲撃者は紳士的にノータッチのまま、

「…………!」
 上から下まで麗華様の臭いを嗅ぐ。
 クンクンと音をたてて鼻の頭からスカートから足の先まで。
 そんな奇行に麗華のみならず、振り返った2人の姉妹も唖然としたまま動けない。
 なので男は心ゆくまで麗華様の匂いを確かめた後、

「……この匂い、よもや貴女が志門舞奈殿でゴザるか!?」
 言い放ち、うやうやしくひざまずいた。

 途端、麗華様のぷっつり切れていた思考回路がつながった。
 そして……

「……だ、だいたいそんな感じですわ!」
「麗華様!?」
「そうだったンすか!?」
 その場のノリだけで自信満々に返事した。
 男の背後でデニスとジャネットが目を丸くする。

 別に思考回路が変な風につながった訳ではない。
 平常運転だ。
 なにせ麗華様は他人にちやほやされるために生きている。
 男の様子から、舞奈に心酔しているのを察したのだ。
 だから自分が舞奈だって言えば舞奈のように敬われると思ったのだ。
 妙な鋭さと浅はかさの境界が微妙な麗華様である。

「すると、そちらの方々は安倍明日香殿!」
「え、ええまあ……」
「だいたいそんな感じなンす……」
 2人が戸惑いながらも仕方なく口裏を合わせた途端――

「――いや、なんでわたしが2人いるのよ」
 物陰から明日香が出て来た。
 後ろからツインドリルのお子様チャビーがあらわれる。
 さらに輝く金髪をなびかせたおっとりお姫様――ルーシアも続く。

 3人は勉強に飽きたチャビーのために、気晴らしがてら買い物に来ていた。
 いちおう目当てはおやつとネコポチ用のチーかま。

 ルーシアも文句ひとつ言わずについてきた。
 彼女は西欧の魔法国家スカイフォールの王女なのに、気さくで付き合いも良い。

 ちなみに今日は強力な術者である明日香が一緒だ。
 なので護衛代わりの騎士たちはいない。

 ……四国で彼女を陰日向に守っていた元ヤンキーの執行人エージェントたちも。

 先日に陥落した禍川支部の、彼女はたったひとりの生き残りでもある。
 明日香と舞奈が解放した支部に生存者はいなかった。
 だが彼女はチャビーの前ではそんな気配は微塵も見せず、おっとりとほがらかに算数の勉強を見てくれていた。そういったところは流石に王女といったところか。だが、

「まあ、明日香様はたくさんいらっしゃるのですね」
「いませんよ」
 ニコニコと何の疑いもなく言ったルーシアに思わず明日香は苦笑する。

 ルーシアが王女の自覚を持った心優しく芯の強い少女であることは認める。
 だが勉強会に付きあってくれていたときから感じていたが、彼女は割と天然だ。

 もちろん学力そのものも明日香の水準から見ても尊敬できるレベル。
 しかも物腰がやわらかいので他人に何かを教えるには適任だ。

 それでも相手の言葉を言われるがまま信じる迂闊さと警戒心のなさは奈良坂以上。
 なにせチャビーが本名だと思ったくらいだ。
 意識してやっているのなら相当なものだと思う。
 おそらく【禍川総会】で姫として慕われていたのも、殴山一子の息子タンが惹かれたのも彼女のピュアな言動の賜物だ。
 当の殴山一子が敵視していた理由も納得はできないが理解はできる。

 だがまあ……十中八九、素だろうと明日香は思う。
 王女として――おそらくはセイズ呪術師としても有能な彼女だが、そういったスキル的なものを除外した巣の部分は割と天然で物事を深く考えないタイプのようだ。
 魔法の王国の将来が不安な要素では少しある。
 だがまあ、それはさておき――

「――嗚呼! そなたが安倍明日香殿でござったか!」
 男は明日香を見やって歓声をあげる。
 側のチャビーはビックリ、ルーシアは物珍しそうに男を見やる。
 麗華様は歯噛みする。
 デニスとジャネットは苦笑する。

 だが当の明日香は男の身のこなしを見やって気づき、

「ちょっとこちらの方とお話があるわ」
 何食わぬ口調で側の2人に告げる。

「日比野さん、殿下……」
 どっちにどっちをまかせようかと2人を順繰りに見やり、

(ルーシアちゃんのことはまかせて!)
(チャビー様のことはわたくしにまかせてください!)
 自信満々に見やる2人に苦笑する。

 だが残念ながら、お子様チャビーは当然ながら、正直ルーシアも頼りにはならない。
 なのでデニスとジャネットに視線だけで2人を託し、

「ちょっと、こちらへ」
 男を連れて細い路地に滑りこむ。
 取り巻きを取られた麗華様が睨んでくる視線も礼儀正しく無視する。
 好奇心に駆られてチャビーや麗華が覗いてないかと大通りを一瞥する。
 ルーシアが術で聞いていないか確認しようとして、逆にそこまでできる相手なら聞かれても問題はないだろうと思いなおし、

「お目に書かれて光栄にゴザル」
「貴方は……執行人エージェントですか」
「然り」
 明日香の問いに男はうなずく。
 しかも見立てが正しければ彼はAランク相当の実力者。
 そんな彼は、明日香にうやうやしく首を垂れる。

「貴女様と志門舞奈様にひとこと先日の礼を言いたく馳せ参じたでゴザル」
「先日のといいますと……まさか」
「……」
 さらなる問いに、男は無言のまま厳粛な表情でうなずく。

 先日の禍川支部奪還作戦の、彼は他チームの生き残りだ。
 つまり、あの怪異とウィルスと死がひしめく街で、彼は戦い抜いた。
 そしてSランクの舞奈や明日香と同様に生きのびた。
 おそらく2人と同じように、たくさんの何かを失いながら。

「あの日、某どものチームは憎き屍虫の群れに襲われて壊滅したでゴザル。奮戦の甲斐なく同胞は次々に倒れ、最期は某の番かと覚悟を決めたでゴザルよ」
 とうとうと語られる話を明日香は黙して拝聴する。

 他のチームも明日香たちと状況は同じだった。
 個々では優秀な各々の執行人エージェントたちも、街中の喫煙者が変じたゾンビ人間どもの物量にすり潰されていった。

「その時でゴザった。まばゆい光が一閃したと思うと――」
 その後は聞かずとも想像がつく。
 結界が解除され、空から装脚艇ランドポッドが降下してきて怪異どもを一掃した。
 一閃した光は完全体と化した殴山一子を倒した【断罪光ベシュトラーフェン・デス・ヒンメル】であろう。

「安堵のあまり不覚にも気を失った某は、後になって知ったでゴザル。巣黒支部のSランクとパートナーの魔術師ウィザードが、憎き怪異どもの黒幕を討ち滅ぼしたでゴザルとな」
 言いつつ男は明日香を見やり、

「そなたと志門舞奈殿は某の命を救い、某の仲間の仇を討ってくれたでゴザル」
 再び深々と首を垂れる。

 大の大人が、女子小学生に対する行為ではない。
 だが彼にとって目前にいるのはただの子供ではないのだろう。
 絶対強者であり、恩人だ。
 確かに明日香は舞奈と共に、滅んだ街を支配していた怪異を大魔法インヴォケーションで討った。
 彼はその事実を正しく理解できるから……おそらく生きのびることができた。
 そんな彼は、

「心よりお礼を申し上げるでゴザル」
 真摯に礼の言葉を述べる。
 そんな彼を見やり、明日香の口元に笑みが浮かぶ。
 もちろん麗華様みたいに、かしずかれるのが楽しい訳じゃない。

 あの時、自分たちはすべてを失い、ただ報復として殴山一子を討った。
 そう思っていた。
 だが、その結果として救えたものもあったらしい。
 その事実を目の当たりにできたのが嬉しかった。
 そんな彼は、

「だから某は、この巣黒に巡礼に訪れたでゴザルよ」
「巡礼ですか」
「そうでゴザル」
 肩の荷が下りたような少し晴れ晴れとした表情で明日香に語る。

「たったひとり生き残った某が、恩人が住まうこの街に、首都圏より某の足だけで馳せ参じたでゴザル。明日香殿たちのおかげで無事だった足で」
 それが仲間たちの供養にもなる。
 そんな想いで彼はここに、自分の足だけを使って歩いて来たのだろうか。
 おそらく彼も、失われた命のために何かしたかったのだろう。
 自分たちが殴山一子を討ったように。だから、

「首都圏から……。それは遠路はるばる御疲れさまでした」
 明日香も彼に一礼する。

 正直、女子小学生が相対したら一礼する前に通報すべき容姿の男ではある。
 だが明日香にとっての彼もまた、同じ戦場で遠いながらも轡を並べた仲間だ。
 加えて過酷な戦場を共に生きのびた生還者であることも知っている。
 だから彼が背負ったリュックにも目ざとく気づき、

「……その荷物、ひょっとして道中でヤニ狩りをされましたか?」
「これは慧眼。1匹ここに生きたまま入ってゴザルよ」
「でしたら支部に供えていって頂ければ喜ぶでしょう。脂虫を拷問して殺す趣味のある者が何人かおりますので」
「それは素晴らしい! 是非とも伺わせて頂くでゴザル」
 明日香の申し出に、彼は子供のように屈託のない笑みを浮かべる。

 まあ見た目と格好はともかく、仲間として付き合えば気のいい男なのだろう。
 だから彼と、明日香が名も知らぬ殉職した執行人エージェントたちは仲間だった。
 その事実が今の明日香には理解できる。

 対して脂虫――悪臭と犯罪をまき散らす喫煙者は人類の仇敵だ。
 あの四国の一角で引き起こされた忌まわしい事件も、奴らの存在を抜きにしては成立し得なかった。
 彼を残して全滅したという仲間たちの直接の死因の何割かも脂虫、あるいは屍虫だ。
 そんな人間の皮をかぶった害虫を、彼はどんな気持ちで捕らえたのだろうか……?

「……この街は、良い街でゴザル」
 彼は少し遠い目をして語る。

「どこもかしこも明るく清潔で、高い魔力を持った執行人エージェントが数多く巡回している。街中のくわえ煙草も驚くほど少ないでゴザル」
「そうなったのは最近ですよ」
 明日香も同じ口調で答える。
 それでも、もじゃもじゃの無精髭を生やした彼は屈託なく笑う。
 この街の在り方を、本当に気に入ってくれたのだ。

 彼の地元では、まだ多くの脂虫が野放しになっているのだろう。
 そして、おそらく大きな被害がなければ体制は変わらない。

 実際のところ巣黒でもそうだった。
 1年前の忌まわしい事件で脂虫の危険性が周知された。
 だから諜報部がノルマとしてヤニ狩りをするようになった。
 ボーナスのおかげで執行部も人に扮した怪異の駆除に積極的になった。
 今では予定なく街中で脂虫を捕獲、ないし駆除してもペナルティにはならない。

 だが他の支部が同じ体制を整えて内なる敵に備えるためには別の犠牲が必要だ。
 なまじ【機関】は国家に匹敵する超大規模な組織だから。
 そんな明日香の思惑に構わず――

「――なにより、この街には美しいものがたくさんある」
 男が笑みを浮かべながら見やっているのは、向かいの路地沿いの店舗ビル。
 正確には玄関近くの壁に貼られたポスターだ。

 ポスターに描かれたアニメ調の女の子に釣られ、柄にもなく明日香も笑う。

 悪臭と他者の苦痛を好む怪異どもは、美しいものを嫌う。
 それを先日の戦いで痛感した。

 あるいは目前の彼も、その事実を経験によって感覚的に知っているのかもしれない。
 何故なら先ほどデニスとジャネットをいなした彼の戦闘技術は本物。
 おそらく明日香自身や舞奈のように、彼もまた数多の地獄を見てきたのだろう。
 その度に怪異への憎悪を募らせてきた。
 奴らが嫌い怖れる美しいもの必要性を痛感してきた。

 ……だからそのTシャツという訳でもないのだろうが。

 それはともかく、美は人の心を奮わせ、あるいは癒す。
 かつての仲間たち、先日の旅の仲間が奮起し、癒されたように。
 だから明日香も意識して笑う。
 眼鏡をかけた少女が持つ『美』は怪異を怯ませると、言ってくれた人がいたから。

「先日、新しいものに張り替えられたそうですよ。ゲームをされるのでしたら特典もあるそうですし、是非、見て行ってください」
 もう見ることのできない、たくさんの人たちに代わって。
 そんな言外の思惑を察したように、

「承知したでゴザル」
 彼も厳粛な表情でうなずく。

「幸い某もゲームは嗜んでゴザル。なれば可愛らしいポスターの衣装をゲーム内でしかと着こなし、仲間たちへの手向けとさせて頂くでゴザル」
「……ええっと、ゲーム内のアバターは女の子なんですよね?」
 着こんだ絵面が脳裏に浮かんで明日香は柄にもなく困惑する。
 そのついでに、

「それと、できれば、その、宿を取って汗を流してから……」
 かなり……長旅だったんだなあって臭いがします。
 こちらも柄にもなく言い辛そうに進言する。
 まあ脂虫のヤニの悪臭に比べれば大したことはない。
 だが本当に人様の体臭を嗅いで判別できるのか疑問視する程度に臭うのも事実だ。
 そんな明日香の微妙な表情に気づいたか、

「そうでゴザルな」
 彼は朗らかに笑う。

「地元を発ってから風呂もベッドも御無沙汰でゴザったからなあ」
「それは大変だったでしょう」
 生真面目な明日香は男の言葉に苦笑して、

「あいや心配は御無用。ベッドはともかく風呂は普段からこんなものでゴザルよ」
「……風呂も普段から入ってください! 毎日!」
 明日香は堪えきれずにキレた。

 ……そんなこんなで彼と別れ、チャビーとルーシアの元に戻る。
 お子様と天然の友人たちは……麗華様たちと仲良く世話話などしていた。
 そんなかしましく、ほのぼのとした様子が皆が守ろうとした世界だ。
 そう思うと自然に口元がゆるむ。

「あ! 安倍さんおかえり!」
「日比野さんも大人しくしてた?」
 チャビーが気づいて元気に両手を振ってくる。
 明日香も軽く答えつつ皆の元に駆け寄る。

「あのね! 麗華ちゃんはお花屋さんでお花をいっぱい買ってたんだよ!」
「当然ですわ! わたくしはお花の宮殿の女王様なんですもの!」
 お子様チャビーの言葉に踊らされて麗華様は花束を2つ抱えたままクルリとターン……しようとしてバランスを崩し、デニスとジャネットにあわてて支えられる。

「まあ、素敵ですわ」
「オホホ! 話がわかるわねルーシア! わたくしの家来にしてあげてもよくてよ」
「あらまあ、光栄ですわ」
 本物のプリンセスが無責任に追従し、家来に認定されていた。

 デニスとジャネットが苦笑する。
 チャビーが「よかったね!」と本気で喜ぶ。
 もはや何処から何処までが素なのか、冗談なのか、あるいはすべてが持って回った嫌味なのかの判断なんて不可能だ。
 だから明日香も雰囲気に流されるまま笑い……

「……まさか以前から面識が?」
 ふと首をかしげる。

 麗華が他人を名前で呼び捨てるのは珍しい。
 明日香や委員長の真似でもして上品そうに見せたいのか苗字+さんづけで呼ぶ。
 例外は姉妹でもあるデニスとジャネットくらいか。
 そういうことに気づくくらいには明日香は麗華のことを知っている。
 そんな明日香は、

「いとこなンす」
「父方の従姉妹なんだそうです」
「なるほど」
 ジャネットとデニス情報に納得する。
 あっという間にうちとけたのは知った顔だったからか。

 だが、その言葉が示す重大な事実に思い当たった次の瞬間――

「――綺麗だね、お花」
 花束を見やってチャビーがニコニコ笑い、

「お花に近づかないでくださいませ!」
「えー! どうして?」
 麗華様が声を荒げる。
 何事かと見やる明日香の前で、

「この花束にはユリの花が入ってますわ! ユリは猫には毒になるんですのよ! 日比野さん、猫飼ってらしたでしょう?」
 麗華様はインテリぶった気遣いを見せてくれた。

「まあ、麗華さんは物知りなんですね」
 ルーシアが割と何も考えずに褒め称える。

「……そのくらいは猫を飼ってたら常識なんじゃ」
 少しビックリさせられた明日香は珍しく面白くない表情でひとりごちる。
 そんな明日香にマウントを取れたと思って気をよくしたか、

「そういえば安倍さん、志門舞奈は一緒じゃありませんの?」
 麗華はフランクに問いかけて来た。
 だが明日香も面白くないのは本当なので、

「わたしは別に舞奈の親でも彼女でもないわよ」
 無意識に少し棘のある口調で答えつつ軽く睨んだ。

 ……同じ頃。
 舞奈は巣黒へと向かう人気のない電車の中で、

「さぁて、便所のある車両はここかな?」
 ひとりごちつつ連結部の重いドアを片腕で開ける。
 前の車両と同様に人気のない車内を見やり……

「……いたいた。便所」
「――クソガキ! おまえ、俺にしゃべりかけられる分際ちゃうんや!」
 見やる先。
 耳障りな罵声の発生源。

 そこではくわえ煙草の脂虫が、うずくまった誰かを蹴っていた。
 ヤニ虫の年は若い大人ほどか。
 蹴られているのは制服姿の高校生。

 舞奈はヤニの悪臭と物音に気づいていた。
 電車の中は禁煙なので、離れた車両からでも舞奈なら気づく。
 だから便所に行くと言って友人たちの元を離れてきたのだ。
 まあ汚い肥溜めに用があるという意味では間違ってはいない。

 そんな便所野郎が荒れ狂う車内に他に乗客はいない……否、

「君、危ないよ」
 側から別の高校生たちが声をかけてきた。

「何があったよ?」
「実はその、電車の中でタバコ吸ってる人がいたから友達が注意したら……」
「あのザマって訳か」
「そうなんだ。普通に声をかけただけだったのに……」
 ちらちらと様子をうかがう彼らは、友人を救いたいのだろう。
 だが躊躇している様子。
 それはそうだ。
 ひょろりとした彼らが凶暴な脂虫に挑んでも、逆に一緒に蹴られるのがオチだ。
 だから、

「ははっ、そりゃ注意の仕方がまずかったなあ兄ちゃんたち」
「えっ?」
 舞奈はフランクに笑いかける。
 彼らが驚く頃には――

「――!?」
 舞奈は脂虫の側にいた。
 ガタゴト揺れる車内で横向きの座席ひとつ分の距離を一瞬で詰める程度は造作ない。
 そしてヤニで淀んだ目をした脂虫が、突然あらわれた子供に気づくより早く――

「――よう、兄ちゃん」
「なんだテメェ!? このクソガキが先にケンカふっかけてきたんやで!?」
「おめぇじゃねぇ。よく聞けよ喫煙者に注意するときは――」
 足元にうずくまる高校生を一瞥しながら何食わぬ口調で語りつつ身をかがめ、

「――!?」
「まずこうするんだ」
 脂虫のみぞおちにハイキック。
 砲弾のようなスニーカーのつま先に穿たれた喫煙者の身体が2つに折れ曲がる。
 内臓(に酷似したヤニまみれの汚い器官)が潰れる音。

「それから、こう」
 小学生の視線の高さまで降りてきた側頭を強打、側のドアに叩きつける。
 砕ける音。
 それだけで舞奈から脂虫への『注意』は完了した。

 ドアにヤニ色の体液をなすりつけながら、薄汚い人型怪異の身体が崩れ落ちる。
 半開きになった唇に煙草を癒着させながらピクリとも動かない。

 そんな様子を見やって高校生たちは目を丸くする。
 だが舞奈は事もなげに笑う。

 喫煙者――悪臭と犯罪をまき散らす脂虫と呼ばれる怪異は、人に似るが人じゃない。
 痛めつけても、もちろん殺しても倫理的な問題はない。
 法的な問題も【機関】関係者であればどうにでもできる。だから、

「喫煙者は人間じゃない。普通に話しかけちゃダメだ。近くに棒があったら棒を、ナイフがあったらナイフを使ったほうがいい。こいつらに相対しなきゃならなくなったら問答無用で叩きのめすか、殺すか、さもなくば一目散に逃げるんだ」
 言いつつ蹴られていた青年の側にひざまずく。

「立てるか?」
「あ、ああ……。すまない」
 手を貸して立ち上がらせる。

「何かこいつを縛るものはあるか?」
「えっと……ベルトとかでも?」
「ああ、それでいい」
 見ていた友人たちが躊躇いながらもズボンから外したベルトを受け取る。
 そいつでヤニ虫の腕と脚を縛り上げる。
 動くことはないだろうが、念のためだ。

 後は支部に連絡して、汚い便所虫を回収してもらえば些細なトラブルは終わり。
 蹴られていた彼が病院で検査を受けられるように取り計らったほうがいいだろうか?

 ……そんなことを考える最中、ふと違和感に急かされ立ち上がる。

 見やると高校生たち全員が、側の座席に座りこんで寝ていた。
 急なトラブルから解放されて、安堵から気絶でもしたか……否。

「術で眠らされた?」
「――よく気づいたなサィモン・マイナー。【精神檻マインド・ケージ】は心を縛る超能力サイオンだが、気をつけて使えば穏やかな眠りに見せかけることもできる。貴様には見抜かれたがな」
 背後から聞こえて来た足音に、振り返る。

 そこにいたのは、以前に相対した誘拐犯……否。
 スカイフォール王国の騎士団のひとり。
 金髪の前髪が派手に後退した年配の男だ。

「騎士団の皆といっしょじゃないのか? 心配してたぜ」
 先ほどまでと変わらぬフランクな口調で語りかける。

 先日、ルーシアのお付きとしてあらわれた騎士団の中に彼はいなかった。
 派手に後退した彼の生え際は、良くも悪くもよく目立つ。
 他の金髪たちが、言葉にこそしないが彼の不在を気にしているのもわかった。
 そんな彼の名前はなんだっけと舞奈は考え――

「――我が名はゴードン。覚えておくがいい」
 彼は暗い声で語る。
 何故なら彼は【精神読解マインド・リード】を使える。
 心を読む程度は造作ない。
 だから意識して再会したばかりの彼らの顔を脳裏に浮かべながら、

「そうかいゴードンさん。この前、他の面子と会った。みんな元気そうだった」
「……そうか」
「ルーシアちゃんやレナちゃんもいたぜ。あんたがあの子たちの――」
 語りかける言葉は唐突に途切れる。

 何故なら舞奈は身を屈めながら跳び退った。
 その頭上を、振り抜かれた黒い刃がかすめていた。

 居合のつもりか雑な大振りが、座席の端の手すりを強打する。
 だが刃は金属製の手すりをすり抜ける。

 もはや戦う必要のなくなったはずの彼の、掌からのびる影の刃。
 対象の精神のみを斬り裂く【精神剣マインド・ソード】。
 男は舞奈に、憎悪のこもった双眸を向ける。

「何の真似だ?」
「……討たせてもらうぞ、サィモン・マイナー!」
 男は暗く、低い声色で語る。
 そして一瞬だけ躊躇うように、何かを堪えるように立ち尽くしてから、

「貴様を! 我が娘の仇を!」
「なんだと!?」
 驚く舞奈めがけて襲いかかった!
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