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第18章 黄金色の聖槍
日常1
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四国の一角を巡る一連の事件を総括すべく、舞奈と明日香は墓参りに赴いた。
そこで【グングニル】の生き残りであるレインと再会し、思いがけず園香とも出くわして久しぶりの平穏を楽しむ中、彼女たちはあらわらた。
ひとりはレナ・ウォーダン・スカイフォール。
西欧の魔法国家スカイフォール王国の第二王女で、園香の古い友人なのだそうな。
以前にこぼしていた、料理の苦手な幼馴染というのも彼女のことらしい。
つい先日から、彼女は親父さんの得意先の娘という名目でホームステイしている。
……どことなく出張中に寝取られたようなタイミングではある
だが深くは考えないことにする。
園香の親父さんが如何なコネで仕事中に王族と知り合ったのかも含めて。
そして、もうひとりはルーシア・フレイア・スカイフォール。
レナの姉であり、つまりスカイフォールの第一王女だ。
しかも彼女は件の事件の直前に禍川支部から脱出した唯一の生き残りでもある。
さらには以前に麗華様の誘拐事件で知り合ったヨーロッパ系の白人男たち。
彼らはスカイフォール王国の騎士団だった。
どうも保釈金を支払って出してもらったらしい。
そんな奴らが何故に女児誘拐なんて企んだのかをその場で問いただすことはできなかったが、彼らは自分たちと『センセイ』を倒した強者を敬い、再会を喜んでいた。
逆に明日香に酷い目に遭わされたのは水に流してくれたようだ。よかったよかった。
喪失の後に訪れた思わぬ出会い、再会。
事情をよく飲みこめていないレイン、そもそも一般人である園香に何を何処まで話していいやら悩みながら、それでも舞奈は再会と新たな出会いを歓迎した。
そして週末。
先週とは打って変わって平和な土曜の午後。
「マイちゃん、わたしの買い物に付きあってくれてありがとうね」
「なあに、お安い御用さ」
横向きの座席に並んで座った園香の言葉に舞奈は笑う。
タタン、タタタン。
小気味よい規則正しいリズムに合わせて電車が揺れる。
園香のワンピースの膝に上品にそろえられた手にはビニール袋。
隣町にある雑貨屋のロゴが入った可愛らしい代物だ。
中身は少し重めの小箱。
うららかな休日に、舞奈たちは電車に揺られて隣町まで買い物に来ていた。
園香が欲しいDVDを買いに行って来たのだ。
先日、園香は昔から好きだった古い童話がアニメ化されていたことを知った。
それを遠路はるばる遊びに来たレナと見たいと思ったらしい。
けど、そのアニメも園香が生まれる前に作られたものだった。
ビデオ化、DVD化も何度かされたものの、いずれも現在は製造終了。
それが今回、たまたま隣町の雑貨屋のデッドストックになっていたのをテックがネットの情報を駆使して見つけてくれた。
だが件の店もビデオと同様に昔からある店なせいで、通信販売もしていないらしい。
だから休日に買いに行こうという話になった。
幸い、それほど遠い場所でもない。
いつか小夜子たちと遊びに行った異郷ほどは。
……あるいは先週、ニュットや明日香と赴いた四国より。
まあ騒動の予感も命の危険もない旅路は大歓迎だ。
だから舞奈は一も二もなく園香の買い物にご一緒して――
「――テックちゃんも、リコちゃんも今日はありがとう」
「わたしも欲しいものが買えたからいい」
「リコも、おやすいごようだ!」
舞奈の反対側の隣に並んだテックが珍しく少し楽しげに返事を返す。
リコは普段通りに元気いっぱいだ。
そんなテックの手にも大きめの、リコには小さなビニール袋。
今度の旅には、買いたいものがあったというテックも同行。
リコが一緒なのは、最近よく面倒を見てくれている奈良坂が追試でスミスの店に来られないからだ……。
幸い、リコは以前にツチノコ探しに行った縁で園香とは面識がある。
そして――
「――レナちゃんも」
「礼を言うのはわたしのほうよ。いろいろなものがあって面白い街だったわ」
園香の反対側の隣で、つり目のレナちゃんも楽しげに笑う。
真神家にホームステイしている彼女も当然ながら一緒だ。
何故なら彼女は園香の幼馴染らしい。
園香のことが大好きだ。
加えて王族とは言う割に気さくで庶民の暮らしにも理解があり、古い友人が暮らす異国の文化を積極的に知りたいと思っていた。
そして、なにより……
「それに志門舞奈の魔の手から、園ちゃんを守らないといけないもの!」
「……そりゃどうも」
睨むレナに苦笑する。
彼女、やたらに舞奈を敵視してくるのだ。
園香父から聞いた舞奈の人となりが気に入らないらしい。
いったい何をどんな風に聞かされたのやら。
原因が舞奈の女癖の悪さに起因するので誤解とも言えないのが痛いところだ。
幸いにもレナは友人の他の友人には、友人と同じくらい友好的に接する主義らしい。
なのでテックとは普通に友好関係に落ち着いた。
リコも金髪を引っ張ったりせず仲良くなった。
舞奈だけが例外らしい。やれやれだ。
そんな彼女の手でも、小物が入った平たいビニール袋が揺れる。
ささやかな異国の旅を楽しんでくれたようで何よりだ。
余談だが、しばらく前に、怪異が扮した気○い大臣が街中の店という店からビニール袋を奪って店員と客を困らせようとかいう日アサのヒーロー特撮の悪役みたいなことを企んだことがあったと諜報部の知人に聞いたことがある。
それを例によって地元の執行人が防いだらしい。たしか神奈川支部だったか。
その攻防にどんな意味があるのかよくわからなかった。
だが、今日、買い物帰りの友人たちの笑顔を見ていて何となく納得した。
余談ついでに、明日香はチャビーの家で勉強を教えている。
チャビーも算数のテストで割と洒落にならない点数をとったからだ。
親御さんは彼女の将来をいたく心配した。
その不安を払拭すべく、高校生相当の学力を誇る明日香が次の算数のテストに向けて家庭教師を務めることになったのだ。
おしとやかなルーシアさんも、今日はそちらに付きあってくれている。
遠い異国で怪異に居場所を奪われ、復帰直後にやることが他人の勉強の手伝い。
まあ本人が気にしていなさそうだったのが不幸中の幸いか。
それもともかく、昼前に現地についた舞奈たちは少し迷った。
なにせ古い店だけあって入り組んだ場所にあるのだ。
テックが調べてくれた周辺地図も、データが古いせいで正直、心もとない。
だが道を尋ねた野暮ったい青年たちが気さくに案内してくれたので事無きを得た。
というかチー牛どもは舞奈の名を聞いた途端、背筋がシャンとなって敬語になった。
そして、うやうやしく一行をエスコートしてくれた。
どうやら【機関】の執行人だったようだ。
出会った場所と人相的に、県の支部の諜報部の人たちだろうか。
いつかの【グングニル】とはえらい差だとも思った。
部署によっても違うのかもしれないが。
うち何人かはレナちゃんの容姿と名前に反応した。
対する彼女もかしずかれるのに慣れている様子。
特に動揺もせず、舞奈に知名度でマウントを取ろうとしてきた。
なので、まあスカイフォール王国がその筋では有名な国なのだと再確認。
そんなところの王女様が護衛もなしに他国をほっつき歩くのは危険な気もするが。
ともかく彼らの案内のおかげで無事に店に到着。
テックが電話で予約していてくれたので、首尾よく園香はDVDを手に入れられた。
当のテックも限定品のフィギュアを買っていた。
実は前回の仕事の報酬を寄付する手続きをしてくれた謝礼に1割くらいどうだと提案したのだが、「正気?」と切って捨てられてしまった。
それでも明日香を巻きこんで粘り強く交渉。
結果、高めのアクションフィギュアを買えるくらいの額は渡すことができた。
リコもスミスに貰った小遣い銭で、可愛い小物を買っていた。
そんな風に楽しい買い物を終えた帰り道。
舞奈は皆と一緒に人気のない電車にガタゴト揺られながら……
「……でね、その娘はロマンチストで想像力が豊かなんだよ」
「へえ」
「夢みたいなお話をたくさんするの」
「夢見がちな少女って訳か。そいつは楽しそうだ」
「うんうん、読んでると、すっごく楽しい気持ちになるんだよ」
件の童話とやらの話を園香から聞いていた。
知らない話だと舞奈が言ったからだ。
そいつはカナダの女性作家の作品らしい。
世界的にも知らぬ者はいないほど超有名な古典なのだそうな。
なのでレナが舞奈の無知をここぞとばかりに煽ってきた。
その勢いがあまりにも苛烈だったので、流石に舞奈が少し凹んだと思ったか園香は内容と見どころをかいつまんで教えてくれていた。
……ちなみに今現在、レナが心なしか大人しいのもそのせいだ。
ともかく、主人公の赤毛でソバカスの女の子のことを、園香は楽しそうに話す。
元気でおしゃべりで物おじせずに誰とでも話すことができる子なのだそうな。
赤毛の彼女の大親友は、少しぽっちゃりめな女の子。
そんな主人公のイメージを園香は誰かに重ねているのかもしれないと少し思った。
園香自身か……あるいは舞奈に。
だからこそ彼女はこんな風に、舞奈と友達になったのかもしれない。
何故なら美しい物語は歌や他の美しいものと同じくらい人の心を奮わせ、癒す。
どちらにせよ舞奈は子供向けの物語なんて滅多に読まない。
だから友人から聞く外国の童話は物珍しくて楽しかった。
なにより大人の術者やヒーローから伝え聞く現実の世界のニュースと比べて、殺伐としていないのが新鮮だ。
なので珍しく饒舌な園香の話を聞いている最中……
「……いぬだ」
リコは向かいの座席の側に座った犬の前に座りこんでいた。
なにせリコは未就学児。
外国の古い童話の話より目の前の犬だ。
見やると少し離れた横並びの空席の端に、枯れ枝のような爺さんが座っている。
重そうに閉じられたまぶたからは、居眠りしてるのか単に呆けてるかはわからない。
おとなしい犬の首輪に繋がったリールは爺さんの手からのびている。
「盲導犬ね」
「もうどうけん、ってなんだ?」
「目の見えない人の代わりにものを見て、たすけてあげる犬だよ」
「おおー」
テックの言葉と園香の補足に、リコは目を丸くして驚く。
このくらいの年頃の子供なら、おとなしい犬を見たら触ったりしそうなものだ。
だがリコは犬に興味津々ながらも、触ったりいたずらしたりはしていない。
新開発区の近くに住んでいるからだ。
リコは新開発区の危険な生き物のことを、舞奈やスミスから聞かされている。
訪れる他の友人たちも(新開発区の)生き物は危険だと口をそろえて語る。
だからリコは珍しい生き物を見たとき、興味を持ちながらも警戒する。
以前にスミスの店の前で子猫を見つけたときもそうだった。
どんなにふさふさしていても、毒があるかもしれない頭や尻尾に迂闊に触れない。
何をトリガーに襲いかかってくるかがわからないから脅かさない。
静かに、だがクリクリとした両目をしっかり見開いて犬の瞳を見つめ、集中し、全身の感覚を使って目前の犬から情報を得ようとしている。
リコには新開発区の近隣で生き抜くための素質がある。
だが傍目には、単に犬を見つめる幼女と映る。
だから皆が、思わず優しい瞳でリコと犬を見やる。
「……うごかない」
「見えない人の目になる仕事をしてるんだ。目が勝手に動いたら爺さん困るだろう」
少しつまらなそうにリコが言う。
対して舞奈も何食わぬ口調で答える。
「……ほえない。おとなのいぬなのに」
「仕事中だからな。っていうか子供の犬も吠えないか?」
少し不満ありげなリコに、舞奈も苦笑しながら返事する。
まあリコが何か問題を起こすことはないと思う。
ちっちゃな未就学児のくせに、誰に似たやらリコは利発だ。
他の面子もそれはわかっているようだ。
だがリコが動かない犬を若干、物足りないと感じているのは事実だ。
どんなに利発でも、道理がわかっていても、子供が動物に期待するのは愛くるしい、あるいは野性味あふれる仕草や鳴き声だ。
あと、地味にテックも大人しく座っているより動き回る動物を見る方が好きそうだ。
スーパーハッカーの彼女は、もちろんリコ以上に賢明で道理をわきまえている。
なのでおくびにも出さないが、動物好きの彼女がじっと犬を見つめながら、こう、学校のヤギがするみたいな面白いことを期待しているのが目つきでわかる。
犬にとっては割と無茶ぶりだ。
偶然なのだろうが、犬のつぶらな瞳と目が合った。
舞奈はふと、考える。
友人との楽しい旅を最後まで楽しいものにするために、何かしてみてはどうかと。
先週の旅路でも仲間と作戦の事、雑談、馬鹿話、その他たくさんの話をした。
それでも話し足りなかったと今になってみれば思う。
だから、という訳じゃないが。
あるいは心の中のピアースが、という訳でもたぶんないが……
「……大人になるってのは、研ぎ澄まされた銃弾にちょっと似てるとあたしは思う」
不意に舞奈は語りだす。
園香が好きな童話の何とかちゃんも、たくさんの話をする女の子だったらしい。
ならば真似して少しばかり語ってみてもバチは当たらないだろう。
先週の激戦を想い、今日の平穏を噛みしめ、何故だか今はそうしたい気分だった。
まあ出だしから方向性が違うのは御愛嬌。
その赤毛にソバカスの女の子のことを舞奈は知らないのだ。
「てっぽうのたまか?」
「そうさ。鉄砲の弾は貫く方向を定めたら、ただ真っ直ぐ前へ進むために他の可能性を削り取っていく。強く鋭く自分を作り替えていくんだ」
「このいぬは、つよいのか? キバとか」
「……」
「いいや、そういう風に強い訳じゃないんだ」
言いつつ舞奈も席を立つ。
そしてリコの側、困惑している犬の前にしゃがみこむ。
ガタゴト揺れる電車の中で、支えるものもなくヤンキー座り。
そんなことが普通にできるのは卓越した体幹あってのもの。
だが、今、ここで重要なのはそこじゃない。
「こいつは牙も爪も削り取っちまった。けど代わりに賢さと優しさを得た。ただ穏やかに側にいる誰かを守り、和ませるっていう方向に自分のすべてを研ぎ澄ましたんだ」
言いつつ犬のつぶらな瞳を覗きこんで笑う。
微妙だにしない職務中の犬が、それでも瞳の色で何かを伝えようとしているような気がするのは悪い気分じゃない。
何故なら目の前の犬は生きている。
「……こいつは、そういう種類の弾丸だ」
語りながら思い出すのは、やはり先日の彼らのこと。
異能力による鉄壁の防御を軸にした接近戦を得手としていたトルソ。
逆に雷撃の異能をまとわせた弓矢での狙撃に特化したスプラ。
魔剣に異能の炎を乗せた必殺の斬撃を極めたバーン。
だからこそ彼らは【機関】における表向きの最高位であるAランクでいられた。
そういう男たちがいたという事実を、彼らの生き様を肯定する何かを言葉にして残したかった。だから舞奈の口元には乾いた、それでいて優しげな笑み。
「だから、こいつの隣にいるだけで、目が見えなくたって安心できる」
語りながら舞奈は無意識に過去を反すうする。
先日の作戦で最後まで舞奈たちと共にいた【重力武器】の彼のことを。
彼の本領は戦闘以外で発揮される。
そう最初から見抜いていた。
けど流されるまま彼に戦闘の一端を担わせ、ノウハウを伝えた。
徐々に芽生えつつある戦士としての自覚を喜んだ。
頑張れとエールを送った。
そして彼は逝った。
自分の行動が正しかったのか間違っていたのかはわからない。
だが目の前の犬には、飼い主ともども幸せであって欲しいと思った。
だから……
「……だから、こいつの瞳はこんなに綺麗なんだ」
「おおー」
語り終えた舞奈を、リコが尊敬っぽい眼差しで見やる。
言った言葉を未就学児が理解できているかは割と疑問だ。
それでも幼女を退屈させないという当初の目的は達せられたようだ。
視界の端で、テックは無言で、園香は優しい瞳で舞奈を見やる。だが……
「……赤毛のアンはそんな含蓄深いこと言わないわよ」
レナは冷たくツッコんできた。
まったく彼女は舞奈に容赦がない。
そうなのか? と園香やテックを見上げると、
「そうかも」
そんな返事が返って来る。
隣のテックも無言のままうなずく。
微妙に傷つかなかったと言えば嘘になるかもしれない。
だが園香もテックも舞奈の心中など構わず、
「もっと夢みたいなお話をするんだよ」
「そう」
「夢みたいな、か……」
出されたダメ出しに、舞奈は再び考える。
Sランクに相応しい身体能力を誇り、何人かの術者とコネのある舞奈。
それ故に、実現性のない絵空事として夢を語るのは地味に苦手だ。
市井の人々が考える大抵の夢物語など魔道士にとっては実現可能な目標だ。
だから術者は神頼みをしない。
そんなことをするくらいなら自分で実現する。
舞奈もまた、そうした友人の力を借りて奇跡の恩恵にあずかることができる。
それでも駄目なことは……考えないようにしていた。
舞奈が望む、魔法ですら実現不可能な夢は、ただひとつ。
どんな魔法も死んだ人間を完全な形で蘇らせることはできない。
たぶん、すべきでもない。
けどまあ、そんな話をしたって皆も困るだけなのは確かだ。
そんなことを考えていると……
「……リコは、そらをとびたいな」
リコが可愛いことを言った。
空なら夢じゃなくても飛べるだろう、という言葉を飲みこむ。
飛行の術は大人の術者が多用する。
たとえば海外のスーパーヒーローにして超能力者であるミスター・イアソン。
何度か加勢してくれた仏術士のグルゴーガン
あるいは超能力者のプロートニク。
彼ら、彼女らは皆、熟達した大人の術者だ。
飛行の術に必要なのは、強い魔力を飛んでいる間じゅう維持する技術と集中力。
そいつを会得するには才能では覆しがたい長い熟練期間が必要らしい。
だから明日香はまだ使えない。
小夜子やサチも使えるが、大人の術者ほど使いこなしてはいない。
異能力【鷲翼気功】の使い手も、まあそんな感じだ。
逆に言えば頑張って何らかの流派の術を会得し、習練すれば飛べる。
現実的な話だ。
だが舞奈がそう思うのは、術者の知人が多いからだ。
普通の人にとって、空を飛ぶなんて夢のような話だ。
それこそ豊かな想像力がなければ思い浮かべることすら困難だろう。
飛行機ですら乗る機会はあまりない。なので、
「そうだな……」
舞奈は少し考えて、
「……そうだ、この犬がな、遠くから飛んでくるんだ」
再び語り始める。
「そらをか?」
「ああ。あの窓の外みたいな雲ひとつない青空から、凄いスピードでな」
「はやいのか!」
「速いとも。空に浮かんだ小さな小さな点が犬のシルエットになって、スコー……じゃなくて肉眼で見ている間にみるみる大きくなるんだ」
「おおっ!」
臨場感のある舞奈の話にリコは興奮する。
静かにな。犬がビックリするだろう。
と続けると急に口をつぐんでコクコクとうなずく。
「近づいてきたときの大きさはな、こう……納屋か大型のトラックくらいでな」
「なんで具体的なのよ」
レナがツッコんできて、
「目の前に来られると、見えるのは足だけだ。タンスくらい太くてゴワゴワの毛が生えてて、テーブルみたいにデカイ足にはカギ爪が生えてて……」
「わっ。大きさの対比が見て来たみたいにリアルだ」
「……動物の足、好きなの?」
園香は驚き、レナは怪訝そうに舞奈を見やる。
(ああ、マンティコアの……)
テックは何かを察したように見やる。
だがまあ正直なところ、話の元ネタが魔獣マンティコアなのは事実だ。
新開発区に出現した魔獣を無力化するため仲間たちと死力を尽くして戦ったのは少しばかり前の話だが、あの魔獣の巨躯は今でも見てきたように思い出せる。
刀剣では歯が立たず、銃弾ですら容易には撃ち抜けなかった。
しかも重力を操って宙を舞い、斥力場の弾丸を放つ巨大な猛獣の姿を忘れようとしたって忘れられない。
当の魔獣が、今やチャビーの家の子猫のネコポチだったとしてもだ。
そんな舞奈の内心など構わず、
「おおっ! つよそうだ」
犬を見やってリコは笑う。
「いや強くは……」
同じ犬を見ながら舞奈は口元を少し歪める。
まあ、よくよく考えれば、デカくて足にカギ爪が生えていると話したのだ。
そう受け取られても仕方がない。
それにリコの前で、スミスや他の友人と新開発区の生物の話をするときは、強いとか苦戦させられたとかいう話にしかならない。
あの街で遭遇する怪異や魔獣は、倒すべき敵だからだ。
けど舞奈は、目の前のつぶらな瞳の犬に強くは――戦って欲しくはなかった。
たとえ話の中であったとしても。
どんなに強い一芸があっても、戦いに向いてない奴が戦えば死ぬ。
それを舞奈は先週、改めて思い知らされた。
それに舞奈は犬に可愛そうな目に会って欲しくなかった。
舞奈たちは数カ月前にマンティコアになった子猫を救うことができた。
だが3年前にケルベロスになっていた子犬を救えなかった。だから……
「……ああ、そうだ。こいつは戦うんじゃない。みんなを乗せて空を飛ぶんだ」
「おおっ! リコものれるか!?」
「乗れるとも。スミスも奈良坂さんも、桜ん家のマミとマコもな。それから……」
語りながら、知っている顔を順繰りに思い出してみる。
話の中の空飛ぶ犬にリコの知人を片っ端から乗せようとしたのだ。
だが不意に、犬に乗っていて欲しい奴が思いの他たくさんいることに気づく。
会えなくなった奴。
ずっと前から会えないと諦めていた奴。
この世界がゲームじゃなくても、舞奈の作った話の中は舞奈の自由だ。
全員が犬に乗ってたって困る奴も、邪魔しようとする奴もいない。
けど、そうするとマンティコアくらいの大きさの犬が1匹じゃ足りなさそうだ。
ならもっとデカくするか?
あるいは犬を2匹にするか?
そんなことを考えながら、自然に口元がゆるむ。
夢物語を語るなんて柄にもないはずなのに、スケールの収拾がつかなくなって……
「……みんなのれるんだ。おまえの知ってる奴みんなだぞ」
「みんなか!」
そう言って誤魔化す。
だがリコは満面の笑みを返してくれた。
だから舞奈も気を取りなおして、
「なぜなら犬の正体は……」
正体は?
気持ちよく喋りながら、
(何にしよう)
思わず悩む。
何となくの流れで正体は、とか言ってはみたが、他の何者か――術者が犬に変身していたと考えると、実は舞奈の馴染みのある展開だったりする。
楓が修めたウアブ魔術。
何人か知人の術者がいる高等魔術。
巣黒のもうひとりのSランクが極めたというケルト魔術。
複数の流派に変身の魔術が存在する。
しかも、そのうちの何人かは「面白そう」という理由だけで実際に巨大な犬に変身して空を飛ぶだろうと断言できる。
たとえば楓はゴリラになって他人の家に乱入してきたことがある。
街中で空飛ぶサメに変身する奴もいる。
そんなことを考えるうちに、ふと疑念が鎌首をもたげる。
幸いなことに、舞奈が四国から帰って来てからの一週間は平和だった。
あの傍迷惑な術者どもが退屈する程度には。
なにより、あの一件で楓の出番は魔道具を貸し出すくらいしかなかった。
彼女から借りた小箱で、群成す脂虫どもを蹴散らした話も返すときにした。
だから――
「――本当に楓さんじゃないよな? おまえ」
かなり真面目な表情で、思わず犬に問いかけた。
「……舞奈?」
テックが無言で見やってくる。
無表情なのは普段と変わらないのに、訝しんでいるのが一目瞭然だ。
「……?」
犬まで怪訝そうな目つきで見上げてくる気がした。
舞奈は少しバツが悪くなった。
「犬は楓さんじゃないかな」
園香も思わず苦笑する。
「このいぬはカエデなのか?」
「そんなことある訳ないでしょ。馬鹿じゃないの?」
「……今はな」
冷たく言い放ったレナに舞奈は口をとがらせる。
レナは本当に、本当に舞奈に当たりがキツイ。
だが舞奈だって、なんの理由もなく麗華様みたいな突飛な言動をした訳じゃない。
ウアブ魔術師である楓はちょっと前にゴリラに変身していた。
その時は人間とかけ離れた姿になるのは難しいと言っていた。
だが楓の魔術の熟達は早い。
サメに変身できる奴だっているのだから、技術的に不可能な訳じゃないはずだ。
なにより楓なら「面白そう」という理由で盲導犬のふりをして、舞奈たちの前にあらわれるくらいのことはやりかねない。
KAGEだって、犬が陸の生物だから候補から外しただけだ。
おかしな場所にタコやイソギンチャクが居たら奴も疑惑の対象だ。
だいたいレナだって魔法の国の王女様なのだ。
犬に変身くらい出来て然るべきなのではないだろうかと舞奈は思う
花屋の夢で啓示された彼女はルーン魔術を使っていた。
だが魔術とは無縁の表の世界の友人たちに、そんな都合などわかるはずもない。
だからテックの、リコの少し困ったような表情を見やり、
「ま、まあ、別にいいけど……」
レナの本気でアレな人を見るような視線に凹み、
「あ、あのね、お話にすごくのめりこんでて、すごく才能? があると思うよ……」
「……いつもすまん」
園香の柄にもなく強引で無理やりなフォローに、少しばかり涙した。
ここのところ休日の度に、舞奈のもとに跳びこんできたトラブル。
だが今度の休日は、このように先週までとは打って変わって平和だった。
そこで【グングニル】の生き残りであるレインと再会し、思いがけず園香とも出くわして久しぶりの平穏を楽しむ中、彼女たちはあらわらた。
ひとりはレナ・ウォーダン・スカイフォール。
西欧の魔法国家スカイフォール王国の第二王女で、園香の古い友人なのだそうな。
以前にこぼしていた、料理の苦手な幼馴染というのも彼女のことらしい。
つい先日から、彼女は親父さんの得意先の娘という名目でホームステイしている。
……どことなく出張中に寝取られたようなタイミングではある
だが深くは考えないことにする。
園香の親父さんが如何なコネで仕事中に王族と知り合ったのかも含めて。
そして、もうひとりはルーシア・フレイア・スカイフォール。
レナの姉であり、つまりスカイフォールの第一王女だ。
しかも彼女は件の事件の直前に禍川支部から脱出した唯一の生き残りでもある。
さらには以前に麗華様の誘拐事件で知り合ったヨーロッパ系の白人男たち。
彼らはスカイフォール王国の騎士団だった。
どうも保釈金を支払って出してもらったらしい。
そんな奴らが何故に女児誘拐なんて企んだのかをその場で問いただすことはできなかったが、彼らは自分たちと『センセイ』を倒した強者を敬い、再会を喜んでいた。
逆に明日香に酷い目に遭わされたのは水に流してくれたようだ。よかったよかった。
喪失の後に訪れた思わぬ出会い、再会。
事情をよく飲みこめていないレイン、そもそも一般人である園香に何を何処まで話していいやら悩みながら、それでも舞奈は再会と新たな出会いを歓迎した。
そして週末。
先週とは打って変わって平和な土曜の午後。
「マイちゃん、わたしの買い物に付きあってくれてありがとうね」
「なあに、お安い御用さ」
横向きの座席に並んで座った園香の言葉に舞奈は笑う。
タタン、タタタン。
小気味よい規則正しいリズムに合わせて電車が揺れる。
園香のワンピースの膝に上品にそろえられた手にはビニール袋。
隣町にある雑貨屋のロゴが入った可愛らしい代物だ。
中身は少し重めの小箱。
うららかな休日に、舞奈たちは電車に揺られて隣町まで買い物に来ていた。
園香が欲しいDVDを買いに行って来たのだ。
先日、園香は昔から好きだった古い童話がアニメ化されていたことを知った。
それを遠路はるばる遊びに来たレナと見たいと思ったらしい。
けど、そのアニメも園香が生まれる前に作られたものだった。
ビデオ化、DVD化も何度かされたものの、いずれも現在は製造終了。
それが今回、たまたま隣町の雑貨屋のデッドストックになっていたのをテックがネットの情報を駆使して見つけてくれた。
だが件の店もビデオと同様に昔からある店なせいで、通信販売もしていないらしい。
だから休日に買いに行こうという話になった。
幸い、それほど遠い場所でもない。
いつか小夜子たちと遊びに行った異郷ほどは。
……あるいは先週、ニュットや明日香と赴いた四国より。
まあ騒動の予感も命の危険もない旅路は大歓迎だ。
だから舞奈は一も二もなく園香の買い物にご一緒して――
「――テックちゃんも、リコちゃんも今日はありがとう」
「わたしも欲しいものが買えたからいい」
「リコも、おやすいごようだ!」
舞奈の反対側の隣に並んだテックが珍しく少し楽しげに返事を返す。
リコは普段通りに元気いっぱいだ。
そんなテックの手にも大きめの、リコには小さなビニール袋。
今度の旅には、買いたいものがあったというテックも同行。
リコが一緒なのは、最近よく面倒を見てくれている奈良坂が追試でスミスの店に来られないからだ……。
幸い、リコは以前にツチノコ探しに行った縁で園香とは面識がある。
そして――
「――レナちゃんも」
「礼を言うのはわたしのほうよ。いろいろなものがあって面白い街だったわ」
園香の反対側の隣で、つり目のレナちゃんも楽しげに笑う。
真神家にホームステイしている彼女も当然ながら一緒だ。
何故なら彼女は園香の幼馴染らしい。
園香のことが大好きだ。
加えて王族とは言う割に気さくで庶民の暮らしにも理解があり、古い友人が暮らす異国の文化を積極的に知りたいと思っていた。
そして、なにより……
「それに志門舞奈の魔の手から、園ちゃんを守らないといけないもの!」
「……そりゃどうも」
睨むレナに苦笑する。
彼女、やたらに舞奈を敵視してくるのだ。
園香父から聞いた舞奈の人となりが気に入らないらしい。
いったい何をどんな風に聞かされたのやら。
原因が舞奈の女癖の悪さに起因するので誤解とも言えないのが痛いところだ。
幸いにもレナは友人の他の友人には、友人と同じくらい友好的に接する主義らしい。
なのでテックとは普通に友好関係に落ち着いた。
リコも金髪を引っ張ったりせず仲良くなった。
舞奈だけが例外らしい。やれやれだ。
そんな彼女の手でも、小物が入った平たいビニール袋が揺れる。
ささやかな異国の旅を楽しんでくれたようで何よりだ。
余談だが、しばらく前に、怪異が扮した気○い大臣が街中の店という店からビニール袋を奪って店員と客を困らせようとかいう日アサのヒーロー特撮の悪役みたいなことを企んだことがあったと諜報部の知人に聞いたことがある。
それを例によって地元の執行人が防いだらしい。たしか神奈川支部だったか。
その攻防にどんな意味があるのかよくわからなかった。
だが、今日、買い物帰りの友人たちの笑顔を見ていて何となく納得した。
余談ついでに、明日香はチャビーの家で勉強を教えている。
チャビーも算数のテストで割と洒落にならない点数をとったからだ。
親御さんは彼女の将来をいたく心配した。
その不安を払拭すべく、高校生相当の学力を誇る明日香が次の算数のテストに向けて家庭教師を務めることになったのだ。
おしとやかなルーシアさんも、今日はそちらに付きあってくれている。
遠い異国で怪異に居場所を奪われ、復帰直後にやることが他人の勉強の手伝い。
まあ本人が気にしていなさそうだったのが不幸中の幸いか。
それもともかく、昼前に現地についた舞奈たちは少し迷った。
なにせ古い店だけあって入り組んだ場所にあるのだ。
テックが調べてくれた周辺地図も、データが古いせいで正直、心もとない。
だが道を尋ねた野暮ったい青年たちが気さくに案内してくれたので事無きを得た。
というかチー牛どもは舞奈の名を聞いた途端、背筋がシャンとなって敬語になった。
そして、うやうやしく一行をエスコートしてくれた。
どうやら【機関】の執行人だったようだ。
出会った場所と人相的に、県の支部の諜報部の人たちだろうか。
いつかの【グングニル】とはえらい差だとも思った。
部署によっても違うのかもしれないが。
うち何人かはレナちゃんの容姿と名前に反応した。
対する彼女もかしずかれるのに慣れている様子。
特に動揺もせず、舞奈に知名度でマウントを取ろうとしてきた。
なので、まあスカイフォール王国がその筋では有名な国なのだと再確認。
そんなところの王女様が護衛もなしに他国をほっつき歩くのは危険な気もするが。
ともかく彼らの案内のおかげで無事に店に到着。
テックが電話で予約していてくれたので、首尾よく園香はDVDを手に入れられた。
当のテックも限定品のフィギュアを買っていた。
実は前回の仕事の報酬を寄付する手続きをしてくれた謝礼に1割くらいどうだと提案したのだが、「正気?」と切って捨てられてしまった。
それでも明日香を巻きこんで粘り強く交渉。
結果、高めのアクションフィギュアを買えるくらいの額は渡すことができた。
リコもスミスに貰った小遣い銭で、可愛い小物を買っていた。
そんな風に楽しい買い物を終えた帰り道。
舞奈は皆と一緒に人気のない電車にガタゴト揺られながら……
「……でね、その娘はロマンチストで想像力が豊かなんだよ」
「へえ」
「夢みたいなお話をたくさんするの」
「夢見がちな少女って訳か。そいつは楽しそうだ」
「うんうん、読んでると、すっごく楽しい気持ちになるんだよ」
件の童話とやらの話を園香から聞いていた。
知らない話だと舞奈が言ったからだ。
そいつはカナダの女性作家の作品らしい。
世界的にも知らぬ者はいないほど超有名な古典なのだそうな。
なのでレナが舞奈の無知をここぞとばかりに煽ってきた。
その勢いがあまりにも苛烈だったので、流石に舞奈が少し凹んだと思ったか園香は内容と見どころをかいつまんで教えてくれていた。
……ちなみに今現在、レナが心なしか大人しいのもそのせいだ。
ともかく、主人公の赤毛でソバカスの女の子のことを、園香は楽しそうに話す。
元気でおしゃべりで物おじせずに誰とでも話すことができる子なのだそうな。
赤毛の彼女の大親友は、少しぽっちゃりめな女の子。
そんな主人公のイメージを園香は誰かに重ねているのかもしれないと少し思った。
園香自身か……あるいは舞奈に。
だからこそ彼女はこんな風に、舞奈と友達になったのかもしれない。
何故なら美しい物語は歌や他の美しいものと同じくらい人の心を奮わせ、癒す。
どちらにせよ舞奈は子供向けの物語なんて滅多に読まない。
だから友人から聞く外国の童話は物珍しくて楽しかった。
なにより大人の術者やヒーローから伝え聞く現実の世界のニュースと比べて、殺伐としていないのが新鮮だ。
なので珍しく饒舌な園香の話を聞いている最中……
「……いぬだ」
リコは向かいの座席の側に座った犬の前に座りこんでいた。
なにせリコは未就学児。
外国の古い童話の話より目の前の犬だ。
見やると少し離れた横並びの空席の端に、枯れ枝のような爺さんが座っている。
重そうに閉じられたまぶたからは、居眠りしてるのか単に呆けてるかはわからない。
おとなしい犬の首輪に繋がったリールは爺さんの手からのびている。
「盲導犬ね」
「もうどうけん、ってなんだ?」
「目の見えない人の代わりにものを見て、たすけてあげる犬だよ」
「おおー」
テックの言葉と園香の補足に、リコは目を丸くして驚く。
このくらいの年頃の子供なら、おとなしい犬を見たら触ったりしそうなものだ。
だがリコは犬に興味津々ながらも、触ったりいたずらしたりはしていない。
新開発区の近くに住んでいるからだ。
リコは新開発区の危険な生き物のことを、舞奈やスミスから聞かされている。
訪れる他の友人たちも(新開発区の)生き物は危険だと口をそろえて語る。
だからリコは珍しい生き物を見たとき、興味を持ちながらも警戒する。
以前にスミスの店の前で子猫を見つけたときもそうだった。
どんなにふさふさしていても、毒があるかもしれない頭や尻尾に迂闊に触れない。
何をトリガーに襲いかかってくるかがわからないから脅かさない。
静かに、だがクリクリとした両目をしっかり見開いて犬の瞳を見つめ、集中し、全身の感覚を使って目前の犬から情報を得ようとしている。
リコには新開発区の近隣で生き抜くための素質がある。
だが傍目には、単に犬を見つめる幼女と映る。
だから皆が、思わず優しい瞳でリコと犬を見やる。
「……うごかない」
「見えない人の目になる仕事をしてるんだ。目が勝手に動いたら爺さん困るだろう」
少しつまらなそうにリコが言う。
対して舞奈も何食わぬ口調で答える。
「……ほえない。おとなのいぬなのに」
「仕事中だからな。っていうか子供の犬も吠えないか?」
少し不満ありげなリコに、舞奈も苦笑しながら返事する。
まあリコが何か問題を起こすことはないと思う。
ちっちゃな未就学児のくせに、誰に似たやらリコは利発だ。
他の面子もそれはわかっているようだ。
だがリコが動かない犬を若干、物足りないと感じているのは事実だ。
どんなに利発でも、道理がわかっていても、子供が動物に期待するのは愛くるしい、あるいは野性味あふれる仕草や鳴き声だ。
あと、地味にテックも大人しく座っているより動き回る動物を見る方が好きそうだ。
スーパーハッカーの彼女は、もちろんリコ以上に賢明で道理をわきまえている。
なのでおくびにも出さないが、動物好きの彼女がじっと犬を見つめながら、こう、学校のヤギがするみたいな面白いことを期待しているのが目つきでわかる。
犬にとっては割と無茶ぶりだ。
偶然なのだろうが、犬のつぶらな瞳と目が合った。
舞奈はふと、考える。
友人との楽しい旅を最後まで楽しいものにするために、何かしてみてはどうかと。
先週の旅路でも仲間と作戦の事、雑談、馬鹿話、その他たくさんの話をした。
それでも話し足りなかったと今になってみれば思う。
だから、という訳じゃないが。
あるいは心の中のピアースが、という訳でもたぶんないが……
「……大人になるってのは、研ぎ澄まされた銃弾にちょっと似てるとあたしは思う」
不意に舞奈は語りだす。
園香が好きな童話の何とかちゃんも、たくさんの話をする女の子だったらしい。
ならば真似して少しばかり語ってみてもバチは当たらないだろう。
先週の激戦を想い、今日の平穏を噛みしめ、何故だか今はそうしたい気分だった。
まあ出だしから方向性が違うのは御愛嬌。
その赤毛にソバカスの女の子のことを舞奈は知らないのだ。
「てっぽうのたまか?」
「そうさ。鉄砲の弾は貫く方向を定めたら、ただ真っ直ぐ前へ進むために他の可能性を削り取っていく。強く鋭く自分を作り替えていくんだ」
「このいぬは、つよいのか? キバとか」
「……」
「いいや、そういう風に強い訳じゃないんだ」
言いつつ舞奈も席を立つ。
そしてリコの側、困惑している犬の前にしゃがみこむ。
ガタゴト揺れる電車の中で、支えるものもなくヤンキー座り。
そんなことが普通にできるのは卓越した体幹あってのもの。
だが、今、ここで重要なのはそこじゃない。
「こいつは牙も爪も削り取っちまった。けど代わりに賢さと優しさを得た。ただ穏やかに側にいる誰かを守り、和ませるっていう方向に自分のすべてを研ぎ澄ましたんだ」
言いつつ犬のつぶらな瞳を覗きこんで笑う。
微妙だにしない職務中の犬が、それでも瞳の色で何かを伝えようとしているような気がするのは悪い気分じゃない。
何故なら目の前の犬は生きている。
「……こいつは、そういう種類の弾丸だ」
語りながら思い出すのは、やはり先日の彼らのこと。
異能力による鉄壁の防御を軸にした接近戦を得手としていたトルソ。
逆に雷撃の異能をまとわせた弓矢での狙撃に特化したスプラ。
魔剣に異能の炎を乗せた必殺の斬撃を極めたバーン。
だからこそ彼らは【機関】における表向きの最高位であるAランクでいられた。
そういう男たちがいたという事実を、彼らの生き様を肯定する何かを言葉にして残したかった。だから舞奈の口元には乾いた、それでいて優しげな笑み。
「だから、こいつの隣にいるだけで、目が見えなくたって安心できる」
語りながら舞奈は無意識に過去を反すうする。
先日の作戦で最後まで舞奈たちと共にいた【重力武器】の彼のことを。
彼の本領は戦闘以外で発揮される。
そう最初から見抜いていた。
けど流されるまま彼に戦闘の一端を担わせ、ノウハウを伝えた。
徐々に芽生えつつある戦士としての自覚を喜んだ。
頑張れとエールを送った。
そして彼は逝った。
自分の行動が正しかったのか間違っていたのかはわからない。
だが目の前の犬には、飼い主ともども幸せであって欲しいと思った。
だから……
「……だから、こいつの瞳はこんなに綺麗なんだ」
「おおー」
語り終えた舞奈を、リコが尊敬っぽい眼差しで見やる。
言った言葉を未就学児が理解できているかは割と疑問だ。
それでも幼女を退屈させないという当初の目的は達せられたようだ。
視界の端で、テックは無言で、園香は優しい瞳で舞奈を見やる。だが……
「……赤毛のアンはそんな含蓄深いこと言わないわよ」
レナは冷たくツッコんできた。
まったく彼女は舞奈に容赦がない。
そうなのか? と園香やテックを見上げると、
「そうかも」
そんな返事が返って来る。
隣のテックも無言のままうなずく。
微妙に傷つかなかったと言えば嘘になるかもしれない。
だが園香もテックも舞奈の心中など構わず、
「もっと夢みたいなお話をするんだよ」
「そう」
「夢みたいな、か……」
出されたダメ出しに、舞奈は再び考える。
Sランクに相応しい身体能力を誇り、何人かの術者とコネのある舞奈。
それ故に、実現性のない絵空事として夢を語るのは地味に苦手だ。
市井の人々が考える大抵の夢物語など魔道士にとっては実現可能な目標だ。
だから術者は神頼みをしない。
そんなことをするくらいなら自分で実現する。
舞奈もまた、そうした友人の力を借りて奇跡の恩恵にあずかることができる。
それでも駄目なことは……考えないようにしていた。
舞奈が望む、魔法ですら実現不可能な夢は、ただひとつ。
どんな魔法も死んだ人間を完全な形で蘇らせることはできない。
たぶん、すべきでもない。
けどまあ、そんな話をしたって皆も困るだけなのは確かだ。
そんなことを考えていると……
「……リコは、そらをとびたいな」
リコが可愛いことを言った。
空なら夢じゃなくても飛べるだろう、という言葉を飲みこむ。
飛行の術は大人の術者が多用する。
たとえば海外のスーパーヒーローにして超能力者であるミスター・イアソン。
何度か加勢してくれた仏術士のグルゴーガン
あるいは超能力者のプロートニク。
彼ら、彼女らは皆、熟達した大人の術者だ。
飛行の術に必要なのは、強い魔力を飛んでいる間じゅう維持する技術と集中力。
そいつを会得するには才能では覆しがたい長い熟練期間が必要らしい。
だから明日香はまだ使えない。
小夜子やサチも使えるが、大人の術者ほど使いこなしてはいない。
異能力【鷲翼気功】の使い手も、まあそんな感じだ。
逆に言えば頑張って何らかの流派の術を会得し、習練すれば飛べる。
現実的な話だ。
だが舞奈がそう思うのは、術者の知人が多いからだ。
普通の人にとって、空を飛ぶなんて夢のような話だ。
それこそ豊かな想像力がなければ思い浮かべることすら困難だろう。
飛行機ですら乗る機会はあまりない。なので、
「そうだな……」
舞奈は少し考えて、
「……そうだ、この犬がな、遠くから飛んでくるんだ」
再び語り始める。
「そらをか?」
「ああ。あの窓の外みたいな雲ひとつない青空から、凄いスピードでな」
「はやいのか!」
「速いとも。空に浮かんだ小さな小さな点が犬のシルエットになって、スコー……じゃなくて肉眼で見ている間にみるみる大きくなるんだ」
「おおっ!」
臨場感のある舞奈の話にリコは興奮する。
静かにな。犬がビックリするだろう。
と続けると急に口をつぐんでコクコクとうなずく。
「近づいてきたときの大きさはな、こう……納屋か大型のトラックくらいでな」
「なんで具体的なのよ」
レナがツッコんできて、
「目の前に来られると、見えるのは足だけだ。タンスくらい太くてゴワゴワの毛が生えてて、テーブルみたいにデカイ足にはカギ爪が生えてて……」
「わっ。大きさの対比が見て来たみたいにリアルだ」
「……動物の足、好きなの?」
園香は驚き、レナは怪訝そうに舞奈を見やる。
(ああ、マンティコアの……)
テックは何かを察したように見やる。
だがまあ正直なところ、話の元ネタが魔獣マンティコアなのは事実だ。
新開発区に出現した魔獣を無力化するため仲間たちと死力を尽くして戦ったのは少しばかり前の話だが、あの魔獣の巨躯は今でも見てきたように思い出せる。
刀剣では歯が立たず、銃弾ですら容易には撃ち抜けなかった。
しかも重力を操って宙を舞い、斥力場の弾丸を放つ巨大な猛獣の姿を忘れようとしたって忘れられない。
当の魔獣が、今やチャビーの家の子猫のネコポチだったとしてもだ。
そんな舞奈の内心など構わず、
「おおっ! つよそうだ」
犬を見やってリコは笑う。
「いや強くは……」
同じ犬を見ながら舞奈は口元を少し歪める。
まあ、よくよく考えれば、デカくて足にカギ爪が生えていると話したのだ。
そう受け取られても仕方がない。
それにリコの前で、スミスや他の友人と新開発区の生物の話をするときは、強いとか苦戦させられたとかいう話にしかならない。
あの街で遭遇する怪異や魔獣は、倒すべき敵だからだ。
けど舞奈は、目の前のつぶらな瞳の犬に強くは――戦って欲しくはなかった。
たとえ話の中であったとしても。
どんなに強い一芸があっても、戦いに向いてない奴が戦えば死ぬ。
それを舞奈は先週、改めて思い知らされた。
それに舞奈は犬に可愛そうな目に会って欲しくなかった。
舞奈たちは数カ月前にマンティコアになった子猫を救うことができた。
だが3年前にケルベロスになっていた子犬を救えなかった。だから……
「……ああ、そうだ。こいつは戦うんじゃない。みんなを乗せて空を飛ぶんだ」
「おおっ! リコものれるか!?」
「乗れるとも。スミスも奈良坂さんも、桜ん家のマミとマコもな。それから……」
語りながら、知っている顔を順繰りに思い出してみる。
話の中の空飛ぶ犬にリコの知人を片っ端から乗せようとしたのだ。
だが不意に、犬に乗っていて欲しい奴が思いの他たくさんいることに気づく。
会えなくなった奴。
ずっと前から会えないと諦めていた奴。
この世界がゲームじゃなくても、舞奈の作った話の中は舞奈の自由だ。
全員が犬に乗ってたって困る奴も、邪魔しようとする奴もいない。
けど、そうするとマンティコアくらいの大きさの犬が1匹じゃ足りなさそうだ。
ならもっとデカくするか?
あるいは犬を2匹にするか?
そんなことを考えながら、自然に口元がゆるむ。
夢物語を語るなんて柄にもないはずなのに、スケールの収拾がつかなくなって……
「……みんなのれるんだ。おまえの知ってる奴みんなだぞ」
「みんなか!」
そう言って誤魔化す。
だがリコは満面の笑みを返してくれた。
だから舞奈も気を取りなおして、
「なぜなら犬の正体は……」
正体は?
気持ちよく喋りながら、
(何にしよう)
思わず悩む。
何となくの流れで正体は、とか言ってはみたが、他の何者か――術者が犬に変身していたと考えると、実は舞奈の馴染みのある展開だったりする。
楓が修めたウアブ魔術。
何人か知人の術者がいる高等魔術。
巣黒のもうひとりのSランクが極めたというケルト魔術。
複数の流派に変身の魔術が存在する。
しかも、そのうちの何人かは「面白そう」という理由だけで実際に巨大な犬に変身して空を飛ぶだろうと断言できる。
たとえば楓はゴリラになって他人の家に乱入してきたことがある。
街中で空飛ぶサメに変身する奴もいる。
そんなことを考えるうちに、ふと疑念が鎌首をもたげる。
幸いなことに、舞奈が四国から帰って来てからの一週間は平和だった。
あの傍迷惑な術者どもが退屈する程度には。
なにより、あの一件で楓の出番は魔道具を貸し出すくらいしかなかった。
彼女から借りた小箱で、群成す脂虫どもを蹴散らした話も返すときにした。
だから――
「――本当に楓さんじゃないよな? おまえ」
かなり真面目な表情で、思わず犬に問いかけた。
「……舞奈?」
テックが無言で見やってくる。
無表情なのは普段と変わらないのに、訝しんでいるのが一目瞭然だ。
「……?」
犬まで怪訝そうな目つきで見上げてくる気がした。
舞奈は少しバツが悪くなった。
「犬は楓さんじゃないかな」
園香も思わず苦笑する。
「このいぬはカエデなのか?」
「そんなことある訳ないでしょ。馬鹿じゃないの?」
「……今はな」
冷たく言い放ったレナに舞奈は口をとがらせる。
レナは本当に、本当に舞奈に当たりがキツイ。
だが舞奈だって、なんの理由もなく麗華様みたいな突飛な言動をした訳じゃない。
ウアブ魔術師である楓はちょっと前にゴリラに変身していた。
その時は人間とかけ離れた姿になるのは難しいと言っていた。
だが楓の魔術の熟達は早い。
サメに変身できる奴だっているのだから、技術的に不可能な訳じゃないはずだ。
なにより楓なら「面白そう」という理由で盲導犬のふりをして、舞奈たちの前にあらわれるくらいのことはやりかねない。
KAGEだって、犬が陸の生物だから候補から外しただけだ。
おかしな場所にタコやイソギンチャクが居たら奴も疑惑の対象だ。
だいたいレナだって魔法の国の王女様なのだ。
犬に変身くらい出来て然るべきなのではないだろうかと舞奈は思う
花屋の夢で啓示された彼女はルーン魔術を使っていた。
だが魔術とは無縁の表の世界の友人たちに、そんな都合などわかるはずもない。
だからテックの、リコの少し困ったような表情を見やり、
「ま、まあ、別にいいけど……」
レナの本気でアレな人を見るような視線に凹み、
「あ、あのね、お話にすごくのめりこんでて、すごく才能? があると思うよ……」
「……いつもすまん」
園香の柄にもなく強引で無理やりなフォローに、少しばかり涙した。
ここのところ休日の度に、舞奈のもとに跳びこんできたトラブル。
だが今度の休日は、このように先週までとは打って変わって平和だった。
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