365 / 537
第17章 GAMING GIRL
カーチェイス! ゾンビがダサ車でやってくる
しおりを挟む
結界に閉ざされた灰色の空の下。
人気のない道を2台の軽乗用車が縦並びに走る。
その片側の車の……
「……ダメだ。ノイズしか出ない」
「俺ちゃんの通信機も反応なし」
「やっぱり他のチームとの通信は無理なのか……」
後部座席の舞奈とスプラ、サイドシートのピアースが揃ってため息をつく。
3人の胸元に設置された通信機からは無常なノイズの音。
道中の暇つぶしがてら、自分たちと同じように結界内に侵入した他のチームと通信できるかどうか試してみようとした結果がこのザマだ。
どうやら【機関】特製の通信機ですら中距離以上の通信は不可能。
結界内に蔓延するWウィルスに通信を妨害する効果があるという話は本当らしい。
なので3人そろって徒労感にだれていたところ、
「ここからは市街地だ。注意してくれ」
トルソの警告に周囲を見やる。
たしかに周囲には、家々や店が所狭しと立ち並ぶ。
先ほどまでのあばら家とは造りが違う、ちゃんとした家だ。
家々の間にはひまわり畑も森もない。
もう立派な街中だ。
舞奈たちが通信機で遊んでいる間に、ずいぶん進んでいたらしい。
幸いにも付近に不審な車はない。
というか街中なのに先ほどまでと同様、車はいないし人通りもない。
いつかタンクローリーの横転事故があった夕方の商店街の花屋の前みたいに。
つまり、人払いでもされているかのように。
なのに空気に僅かに混ざる、誤魔化しようのない不愉快なヤニの臭い。
Wウィルスに操られた脂虫どもは、街の何処かに潜んでいる。
舞奈は視線と感覚を研ぎ澄ませて警戒し、周囲の状況を把握する。
そうするうちに、
「うどん屋が多いな」
思わずひとりごちる。
道の左右に流れる店々の並びが偏っていると思った。
「ああ、そうさ。ここらはうどんで持ってる県だからね」
ピアースが語りだす。
少し声色が弾んでいる。
彼が地元民だという話を思い出す。
「うどんを出す店もたくさんあって、それぞれコシも堅さも出汁の味も違って、皆それぞれ好みの味があって、お気に入りの店で食うんだ」
「そいつは楽しそうだ」
「だろ? 人によっては家でも打つんだ。俺の家では生麺を買って来て茹でるんだけどね。でも徹夜でゲームやった朝に食べるうどんは格別でさ――」
美味そうなピアースの話に、舞奈も口元に笑みを浮かべる。
なるほど待ち合わせ場所のフードコートで、彼はラーメンでなく丼を食っていた。
その際に麺は地元のものが良いと言っていた。
彼の地元はうどんの街だ。
そんなに美味いうどんなら一度、食べてみたいと舞奈も思う。
うどんを最後に食べたのはずいぶん以前のことになるが、コシがある麺の食感と出汁のきいた汁のハーモニーを脳内に想い浮かべるだけでよだれが出る。
あるいは彼が語るうどんとは、舞奈の想像すら超える極上の代物か。だが――
「――すまんが続きは今度だ」
「……!?」
鋭い声色で話を遮る。
サイドミラーの中でピアースが不満げに押し黙る。
「やっぱり舞奈は気づいたか」
対してトルソはバックミラーを見ながら不敵に笑う。
背後から複数のマフラー音。
遠くから近づいてくる影。
その不自然さに気づいたのは舞奈と……彼だけだ。
「あ、ひょっとして新手?」
スプラも察する。
そうするうちに、背後からの来訪者はたちまち舞奈たちに追いついてきた。
先ほどと同じく不細工に改造されたバイクにまたがった珍走団ども。
全員がくわえ煙草で、何匹かが鉄パイプを構えている
焦げた糞のようなヤニの悪臭と、耳障りなマフラー音も同じだ。
加えて不格好なバイクの後ろから、汚らしい色をした普通乗用車が5台。
そいつを見やって舞奈はビックリする。
「タイヤがななめになってるぞ!? こわしたのか?」
いずれも左右のタイヤが斜めに傾き、八の字になっているのだ。
見るからに、なんと言うか……ダサい。
「脂虫どもがよくやる車の改造だ」
「ええ……? ああ、奴らは怪異だからダサくするのか」
車からなけなしの美の要素を消し去るように。
トルソの答えに、舞奈はなんとか納得する。
ダサく改造した車のハンドルを握っているのは、車に負けないくらいダサい顔立ちをした、くわえ煙草の脂虫。
同乗している中年女も同じだ。
目の良い舞奈は車の搭乗者をひと目で判別できる。
どいつも進行はしていないが、ヤニで濁った双眸に浮かぶのは……殺意。
「ああ。いかにも怪異が好みそうな改造車だろう?」
言ってトルソが笑う。
その言葉が第2ラウンドの合図になった。
まずは改造バイクの集団が、2台の軽乗用車を取り囲む。
先ほどと同じだ。
「来た!? どっどうしよう!?」
「蹴散らすまでだ。ちゃんと窓閉めとけよ」
怯えるピアースにトルソが答え、
「じゃあ俺ちゃんの華麗な弓さばきのアンコールといきますか」
スプラは先ほどと同じように天井のドアから車外に身を乗り出す。
車内の中央にまとめて積まれている長物の山の上から弓と矢筒を引き上げる。
そして弓を片手に、矢筒から矢を引き抜く。
舞奈は静観。
言動こそアレだが、彼が優れた射手なのは先ほどの戦闘で証明済みだ。
「さあ、次のターゲットは……」
軽薄な声色でひとりごちつつ、アレな優男は弓に矢をつがえて引き絞る。
引き絞られた弓が放電に包まれる。
得物に稲妻を付与する彼の異能力【雷霊武器】だ。
弓を覆う放電が、つがえた矢に伝播する。
放電は矢全体を包みこみ、
「……君ちゃんだ!」
矢を放つ。
矢は小さな攻撃魔法の稲妻と化して飛ぶ。
そして改造バイクが避ける暇もなく特攻服の胸に突き刺さる。
電流に焼かれた傷口からは体液すら出ない。
脂虫は胸に矢が刺さったまま目を見開いて一瞬だけ痙攣し、煙草が癒着した唇をだらしなく開けながらバイクともども道路を転がる。
後続のバイクは転がる同僚をハンドルさばきで避ける。
だが直後、同じように心臓を射抜かれてアスファルトを転がる。
「結構やるじゃねぇかスプラ」
「うん。すごいですよね」
トルソとピアースが揃って感心する。
「俺ちゃんの手にかかれば、この程度!」
スプラは軽口を叩きながら1匹づつ着実に脂虫どもを片付けていく。
先ほどと同じだ。
幸い今回は射手をチェーンで絡め取ろうとする気の利いた脂虫はいない。
ちなみに【雷霊武器】は矢ではなく弓に作用させる異能力だ。
集中して弓に稲妻を付与する行動を一度すれば、何発かはそのまま撃てるらしい。
銃にかける付与魔法みたいなものかと舞奈は理解する。
一方、並走するバーンの車の周囲では、黒い光に誘われて鉄パイプが踊っている。
脂虫から取り上げたのだろう。
明日香の【力鎖】によって宙を舞う鉄パイプもまた脂虫どもの胸を刺し貫き、くわえ煙草の頭を叩き割ってバイクから叩き落とす。
1台のバイクが間近まで近づいてきた。
迎撃が間に合わなかったか。
だが黒い光――明日香は動じない。
鉄パイプを破棄し、【力鎖】そのもので脂虫をつかんでバイクから突き落とす。
手から離れた鉄パイプが宙を舞う。
重力の手はそれを捕まえて新たな得物にする。
新たな得物で、明日香は次々に脂虫どもを叩きのめす。
2台の軽乗用車に殺到する改造バイクの脂虫どもは、稲妻の矢に胸を射抜かれ、空飛ぶ鉄パイプに叩きのめされて脱落する。
何台かは転がる仲間を避けきれずに巻きこまれる。
そうやって特に舞奈の出番はないまま、耳障りなマフラー音は聞こえなくなる。
珍走団どもが全滅したのだ。
だが周囲の空気に混じるヤニの臭いは消えていない。
まだ終わりじゃない。
傾いたタイヤがアスファルトを歪に削る耳障りな音をたてながら、次はタイヤをハの字に歪めた5台のダサ車がスピードを上げて2台の軽乗用車を取り囲む。
バーンの車に2台。
舞奈たちトルソの車に3台。
一瞥した後部座席でくわえ煙草の中年男女が嗤い、手にした何かが剣呑に光る。
「じゃあ、お次は大物狩りと洒落こみますか」
スプラは矢筒から次なる矢を引き抜く。
ニヤリと笑いながら、弓に矢をつがえる。
「えっスプラさん弓でですか?」
訝しむピアースに、
「できるんだよ、俺ちゃんのスプラッシュアローならね!」
何食わぬ表情で答えながらスプラは弓を引き絞り、集中。
先ほどまでと同じように、弓が稲妻に包まれる。
そして撃つ。
こんどは1撃で弓の側の稲妻がすべて消える。
すべてのエネルギーが矢に吸い取られていったのだ。
熟練すれば、そういう異能力の使い方もできるらしい。
強力な攻撃魔法のように光り輝く紫電の矢は、ダサ車めがけて稲妻のように飛ぶ。
フロントガラスに命中。
今までの矢と違ってプラズマの榴弾のように爆発する!
……だが稲妻の爆発が晴れた後、フロントガラスはひび割れているのみ。
まあ弓矢としては破格の打撃力なのは事実。
だが車のフロントガラスをぶち抜くほどのパワーはないらしい。
まあ当然だ。異能力者がその身に宿して得物に付与できる魔力は、魔道士が扱うことのできるそれに比べれば格段に低い。それでも、
「次は窓の中にぶちこんで――」
スプラは諦めてはいない。
異能力の限界を、運用で越えようとしている。
だから熱くなった口調とは裏腹に、流れるような動作で次の矢をつがえる。
弓を覆う放電が再び矢へと集い――
「――おいズボンを引っぱるなエロガキ!」
「男のパンツなんかに興味はねぇよ!」
車内に引きずりこまれる。
次の瞬間、
「……!?」
銃声。
同時に天井に何か当たる音。
「野郎! 撃ってきやがった!」
「ええっ!? 今の音、拳銃!?」
トルソが叫ぶ。
ピアースが動揺する。
「……まさかおチビちゃん、そいつに気づいたってのかい?」
ズボンを引き上げながらスプラが問いかける。
顔が少し青ざめているのは、着弾した場所に気づいたからだ。
舞奈に引きずり降ろされていなければ自身が撃たれていた。
「いや流石に、この状況でエアガンは撃ってこんだろ」
「見えてたの!?」
何食わぬ表情で答える舞奈に、前の席でピアースが驚く。
舞奈の恐るべき動体視力とそれに基づく神業を初めて見た者にありがちな反応だ。
対してバックミラーに映るトルソの口元には楽しげな笑み。
「いかにも怪異が好きそうな銃だ」
舞奈も笑う。
薄汚い野球のユニフォームを着こんだ団塊男たち、踏みつぶされた虫のような顔面をした中年女たちが撃ってきたのは密造拳銃。
まともな人間が持つ銃ではない。
そもそも、まともな人間は車を並走させながら撃ってこない。
もちろんダサ車の車内で煙草をくわえた男女の全員が脂虫だ。
バイクの珍走団と同様、屍虫には進行していないらしい。
だがWウィルスに侵され口から脂とよだれを垂れ流す様は、完全に正気を失ったゾンビ人間だ。
車外を見やると、バーンの車も2台に左右を挟まれ苦戦しているようだ。
片方のボンネットに鉄パイプがぶっ刺さっているのは明日香の仕業か。
それでも敵車を止めるには至らなかったらしい。
左右の両方から撃たれている。
だが敵の小口径弾は、軽乗用車の周囲に浮かんだ4つの氷塊に阻まれて落ちる。
「あれも向こうのおチビちゃんの仕業かい?」
「まあな」
ショックから立ち直ったスプラの問いに何食わぬ表情で答える。
明日香の十八番【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】。
小さいが強固で宙を舞い、思念で操作できる氷の盾で身を守る。
鉄パイプを破棄したのは盾の操作に集中するためだろう。
「術者ってのはあんなこともできるんだ」
前の席のピアースも、窓ガラス越しに見やりながら感心する。
次の瞬間、窓のへりに着弾する。
あわてて「ひっ」と頭を引っこめる。
……その様子が奈良坂に似ていると思った。
だがまあ、こちらものんびり観戦している余裕はないのも事実だ。
当然ながら先ほど撃ってきた車はまだそのままなのだ。
「トルソさん、こいつって普通の車なのか?」
「……? ああ。装甲車とかじゃない」
運転手の返事に口元を歪める。
つまり敵が小口径弾を撃ってくるうちはまだいい。
だが45口径やライフル弾を使われたら車体を貫通するということだ。
割と洒落にならない状況ではある。
舞奈の優れた身体能力も、狭い車内に4人がひしめいている状態では無用の長物だ。
「ピアース。斥力場で車を守ってくれ」
「でも俺、【重力武器】で盾を作るの苦手で……」
「おおい……」
指示を弱気に返されて鼻白む舞奈。
そもそも【重力武器】は希少かつ強力な異能力だ。
舞奈も見たのは数回だ。
直近は悟がいたころ、草薙剣に吸収されたこの異能力を刀也が使っていた。
雨あられと降り注ぐライフル弾を斥力場の障壁で防ぐところも見たことがある。
同じ異能力を、しかも怪異から奪ったのではない将来の異能として持つ彼になら同じことができるはずだ。この厄介な事態を凌ぐことができる。
そんな望みを一蹴されて困る舞奈の目前で、
「ピアース。自身に宿るパワーを使って自分の周囲に壁を創るんだ」
ハンドルに手をかけながらトルソが諭す。
落ち着いた声色に、気弱なピアースも少し安堵する。
「でも、ここ車の中だし、槍もないし、俺なんかの魔力を薄くのばしたらすぐ消えちゃうし、壁を創って密閉しちゃうと息ができないし……」
「はは! 君はいろいろなことを考えすぎるようだ」
自信なさげな青年に、トルソは豪快に笑ってみせる。
舞奈の口元にも少し笑みが浮かぶ。
穏やかな口調に、ふと幼い自分にかけられた一樹の声を思い出したからだ。
強者が向ける余裕と理解。
そう言う存在が側にいるという事実は弱者にとっての救いとなる。
そして弱者をそうでないものへと変える。かつての自身がそうだったように。
だから彼のことはトルソにまかせようと決めた。
「異能力は融通がきく力だ。車体と干渉することはない。周囲を覆っても強度はそれほど落ちないし、呼吸に必要な空気は通過する。俺の【装甲硬化】だって、服が鎧みたいに硬くはなるが動けなくなる訳じゃないだろう?」
「そ、そうだけど……」
強者は若人に落ち着いた声色で語り、
「そういうことは異能力が勝手にやってくれる。異能力者に必要なのは意思だけだ。イメージがすべてとは言わんが、強く願えば結果もついてくる」
「や……やってみるよ」
その言葉に支えられてピアースは集中する。
途端、風が変わった。
サチの【護身神法】、出力の上がった明日香の【力盾】と同じ。
車を中心に【重力武器】による斥力場障壁が展開されたのだ。
「なんだ、できるんじゃないか」
「……? つまり、ひと安心ってことで良いのかな?」
舞奈の、スプラの口元に安堵の笑みが浮かぶ。
ピアースもはにかむように笑う。弱者がそうじゃないものになった瞬間だ。
それまで車体をかすめていた弾丸が、あらぬ空中で力場に弾かれる。
トルソは驚く。
不可視の力場の存在を、舞奈がいち早く感じ取ったことに気づいたからだ。
「それじゃあ、安全地帯からスプラッシュ・アローで反撃と行きますか」
再び天井ドアから身を乗り出したスプラが、
「……あれ?」
間の抜けた声をあげつつ目を丸くする。
なぜなら弓矢を構えて狙うつもりだったダサ車がスピンしていた。
「お先に頂いたぜ」
返事は車内から。
舞奈が後部座席の開け放たれた窓から拳銃を構えていた。
銃口からは硝煙。
弓矢と違って拳銃は窓くらいのスペースがあれば撃てる。
現に敵はそうやって撃ってきている。
だから舞奈も1台がハンドルを切る瞬間にタイヤを撃ったのだ。
その結果、敵車はスピンして横転。
疾走する車の窓から、絶妙のタイミングで敵車のタイヤを狙い撃つくらいの神業は舞奈にとっては容易い芸当だ。
あわよくば後続車を巻きこめればと思ったほどだ。
だが敵もさるもの。そうは上手くいかないらしい。
2台の後続車は後部座席の窓から身を乗り出して密造拳銃を撃ちまくりながら、横転した仲間を尻目に舞奈たちの車に追いすがる。
車体を覆う斥力場障壁を数多の小口径弾が叩く。
「ひえっ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
スプラとピアースが揃って怯える。
もとより素人なピアースはもとより、スプラも先ほど撃たれたばかりだ。
自身めがけて飛んできた弾丸が、目前で弾かれれば怯えもする。
「上手いじゃないかピアースくん。その調子でシールドを維持するんだ」
運転席のトルソが笑う。ある意味で肝が据わっていると思う。
そんな三者三様を見やって舞奈も口元に笑みを浮かべ……
「……ちょ!? あの野郎!」
「うわっ! 今度はなんだ?」
舌打ちしつつ、舞奈はスプラを押しのけ天井ドアから身を乗り出す。
間髪入れずに撃つ。
大口径弾はダサ車のうち1台の後部座席に飛びこむ。
きっかり3秒後に爆音。
撃たれたダサ車が火を吹いて四散、炎上したのだ。
「爆発!?」
「待ってくれ。君は魔道士じゃないんだよな?」
「あたしが爆発させたわけじゃないよ。野郎、手榴弾を投げようとしてやがった」
「気づいて……狙って撃ったってことか?」
「まあ、そのくらいはな」
今度ばかりは目を見開いて本気で驚くトルソの問いに、何気に答える。途端、
「ええっ!?」
「いや簡単に言うけどねおチビちゃん……」
ピアースとスプラまでもが驚愕する。
対して車内に戻った舞奈は何食わぬ表情をつくろって笑う。
互いに走行中の車内からとはいえ目と鼻の先だ。
手榴弾を手にした敵がピンを抜いた瞬間に撃ち抜く程度は舞奈には容易い。
だが慣れていないと驚くという感覚はわかる。
特にスプラは自身も射手だ。
舞奈の技量の凄まじさを理解できてしまうのだ。
おそらく彼はAランク――【機関】における最高の使い手だろう。
だが舞奈は【機関】の常識すら超えたSランク。
舞奈と彼の間には、彼とピアースの差と同じ程度の力量差がある。
それでも舞奈は特に奢ることもなく苦笑する。何故なら、
「だいたい本物の魔道士は、こんなんじゃないぞ」
言いつつ少し離れた場所に目を向ける。
視線の先は、2台の敵車に応戦するバーンの車。
左右のダサ車が軽乗用車に体当たり。
流石の【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】もこれは防げない。
軽自動車ははじかれてスピンしそうになるが、バーンはなんとか持ちこたえる。
レーシングゲームでの鍛錬の賜物か。
ダサ車は再び距離をとって撃ちまくる。
軽自動車は左右から降り注ぐ小口径弾を氷の盾でしのぎつつ、急ブレーキでスピードを落とす。左右のダサ車は勢い余って突出する。
次の瞬間、開け放たれた窓から2台の片側めがけて稲妻がのびた。
稲妻は当たったダサ車を一瞬だけ包みこむと、もう1台のダサ車へと襲いかかる。
貫通しながら追尾する魔術の雷撃【鎖雷】。
稲妻はついでに舞奈たちの車に迫るもう1台にも飛び火する。
次の瞬間、3台は順番に爆発。
先ほどの手榴弾の爆発が可愛らしく見えるほどの轟音、爆炎。
1台が真上に跳ね、1台は斜め横に吹き飛んで道端のうどん屋に跳びこむ。
もう1台は、ひときわ大きなどす黒い爆炎の中からバラバラの部品になって周囲にばら撒かれる。乗っていたはずの脂虫はもう破片すら判別できない。
魔術の紫電が車全体に通電した挙句、ガソリンタンクに引火したのだ。
バイクのそれより大量のガソリンが詰まったタンクが爆発した結果がこれだ。
「すっ……げぇ……」
「や、やるねえ、あっちのおチビちゃんも」
ピアースとスプラが背後を見やって息を飲む。
トルソもハンドルさばきこそ確かだが、驚愕の表情は同じ。
魔術師がもたらす圧倒的な戦果に、異能力者が驚愕するのも無理はない。
「こいつは頼もしい。ハハ、この調子なら今回の仕事も楽勝かもな」
トルソが思わず変な笑いをしながら明日香を称える。
他の皆も圧倒的な勝利に湧き上がり――
「――いや、まだだ」
舌打ちしつつ舞奈が後方を睨んだ途端、
「ええっ……勘弁してくれよ!」
驚くスプラの見やる先、後方から新たなダサ車。
先ほどより数が多い。
見えるだけでも倍はいる。しかも、
「こっちからも!?」
さらに驚くピアースの目前、あちこちの裏路地から薄汚い集団が跳び出してきた。
いずれも双眸をヤニ色に濁らせた喫煙者。
しかも、こちらの新手は進行している。
全員が銃も車も持たない代わりに、カギ爪を振りかざした屍虫だ。
「ええっ!? そんな……」
「そりゃないぜ畜生!」
「……本気で俺たちを潰すつもりだな」
ピアースが、スプラが弱音を吐く。
トルソが苦々しくひとりごちる。その時、
『こちらバーン! こちらに状況を打開する策がある!』
並走する味方車から通信が入った。
人気のない道を2台の軽乗用車が縦並びに走る。
その片側の車の……
「……ダメだ。ノイズしか出ない」
「俺ちゃんの通信機も反応なし」
「やっぱり他のチームとの通信は無理なのか……」
後部座席の舞奈とスプラ、サイドシートのピアースが揃ってため息をつく。
3人の胸元に設置された通信機からは無常なノイズの音。
道中の暇つぶしがてら、自分たちと同じように結界内に侵入した他のチームと通信できるかどうか試してみようとした結果がこのザマだ。
どうやら【機関】特製の通信機ですら中距離以上の通信は不可能。
結界内に蔓延するWウィルスに通信を妨害する効果があるという話は本当らしい。
なので3人そろって徒労感にだれていたところ、
「ここからは市街地だ。注意してくれ」
トルソの警告に周囲を見やる。
たしかに周囲には、家々や店が所狭しと立ち並ぶ。
先ほどまでのあばら家とは造りが違う、ちゃんとした家だ。
家々の間にはひまわり畑も森もない。
もう立派な街中だ。
舞奈たちが通信機で遊んでいる間に、ずいぶん進んでいたらしい。
幸いにも付近に不審な車はない。
というか街中なのに先ほどまでと同様、車はいないし人通りもない。
いつかタンクローリーの横転事故があった夕方の商店街の花屋の前みたいに。
つまり、人払いでもされているかのように。
なのに空気に僅かに混ざる、誤魔化しようのない不愉快なヤニの臭い。
Wウィルスに操られた脂虫どもは、街の何処かに潜んでいる。
舞奈は視線と感覚を研ぎ澄ませて警戒し、周囲の状況を把握する。
そうするうちに、
「うどん屋が多いな」
思わずひとりごちる。
道の左右に流れる店々の並びが偏っていると思った。
「ああ、そうさ。ここらはうどんで持ってる県だからね」
ピアースが語りだす。
少し声色が弾んでいる。
彼が地元民だという話を思い出す。
「うどんを出す店もたくさんあって、それぞれコシも堅さも出汁の味も違って、皆それぞれ好みの味があって、お気に入りの店で食うんだ」
「そいつは楽しそうだ」
「だろ? 人によっては家でも打つんだ。俺の家では生麺を買って来て茹でるんだけどね。でも徹夜でゲームやった朝に食べるうどんは格別でさ――」
美味そうなピアースの話に、舞奈も口元に笑みを浮かべる。
なるほど待ち合わせ場所のフードコートで、彼はラーメンでなく丼を食っていた。
その際に麺は地元のものが良いと言っていた。
彼の地元はうどんの街だ。
そんなに美味いうどんなら一度、食べてみたいと舞奈も思う。
うどんを最後に食べたのはずいぶん以前のことになるが、コシがある麺の食感と出汁のきいた汁のハーモニーを脳内に想い浮かべるだけでよだれが出る。
あるいは彼が語るうどんとは、舞奈の想像すら超える極上の代物か。だが――
「――すまんが続きは今度だ」
「……!?」
鋭い声色で話を遮る。
サイドミラーの中でピアースが不満げに押し黙る。
「やっぱり舞奈は気づいたか」
対してトルソはバックミラーを見ながら不敵に笑う。
背後から複数のマフラー音。
遠くから近づいてくる影。
その不自然さに気づいたのは舞奈と……彼だけだ。
「あ、ひょっとして新手?」
スプラも察する。
そうするうちに、背後からの来訪者はたちまち舞奈たちに追いついてきた。
先ほどと同じく不細工に改造されたバイクにまたがった珍走団ども。
全員がくわえ煙草で、何匹かが鉄パイプを構えている
焦げた糞のようなヤニの悪臭と、耳障りなマフラー音も同じだ。
加えて不格好なバイクの後ろから、汚らしい色をした普通乗用車が5台。
そいつを見やって舞奈はビックリする。
「タイヤがななめになってるぞ!? こわしたのか?」
いずれも左右のタイヤが斜めに傾き、八の字になっているのだ。
見るからに、なんと言うか……ダサい。
「脂虫どもがよくやる車の改造だ」
「ええ……? ああ、奴らは怪異だからダサくするのか」
車からなけなしの美の要素を消し去るように。
トルソの答えに、舞奈はなんとか納得する。
ダサく改造した車のハンドルを握っているのは、車に負けないくらいダサい顔立ちをした、くわえ煙草の脂虫。
同乗している中年女も同じだ。
目の良い舞奈は車の搭乗者をひと目で判別できる。
どいつも進行はしていないが、ヤニで濁った双眸に浮かぶのは……殺意。
「ああ。いかにも怪異が好みそうな改造車だろう?」
言ってトルソが笑う。
その言葉が第2ラウンドの合図になった。
まずは改造バイクの集団が、2台の軽乗用車を取り囲む。
先ほどと同じだ。
「来た!? どっどうしよう!?」
「蹴散らすまでだ。ちゃんと窓閉めとけよ」
怯えるピアースにトルソが答え、
「じゃあ俺ちゃんの華麗な弓さばきのアンコールといきますか」
スプラは先ほどと同じように天井のドアから車外に身を乗り出す。
車内の中央にまとめて積まれている長物の山の上から弓と矢筒を引き上げる。
そして弓を片手に、矢筒から矢を引き抜く。
舞奈は静観。
言動こそアレだが、彼が優れた射手なのは先ほどの戦闘で証明済みだ。
「さあ、次のターゲットは……」
軽薄な声色でひとりごちつつ、アレな優男は弓に矢をつがえて引き絞る。
引き絞られた弓が放電に包まれる。
得物に稲妻を付与する彼の異能力【雷霊武器】だ。
弓を覆う放電が、つがえた矢に伝播する。
放電は矢全体を包みこみ、
「……君ちゃんだ!」
矢を放つ。
矢は小さな攻撃魔法の稲妻と化して飛ぶ。
そして改造バイクが避ける暇もなく特攻服の胸に突き刺さる。
電流に焼かれた傷口からは体液すら出ない。
脂虫は胸に矢が刺さったまま目を見開いて一瞬だけ痙攣し、煙草が癒着した唇をだらしなく開けながらバイクともども道路を転がる。
後続のバイクは転がる同僚をハンドルさばきで避ける。
だが直後、同じように心臓を射抜かれてアスファルトを転がる。
「結構やるじゃねぇかスプラ」
「うん。すごいですよね」
トルソとピアースが揃って感心する。
「俺ちゃんの手にかかれば、この程度!」
スプラは軽口を叩きながら1匹づつ着実に脂虫どもを片付けていく。
先ほどと同じだ。
幸い今回は射手をチェーンで絡め取ろうとする気の利いた脂虫はいない。
ちなみに【雷霊武器】は矢ではなく弓に作用させる異能力だ。
集中して弓に稲妻を付与する行動を一度すれば、何発かはそのまま撃てるらしい。
銃にかける付与魔法みたいなものかと舞奈は理解する。
一方、並走するバーンの車の周囲では、黒い光に誘われて鉄パイプが踊っている。
脂虫から取り上げたのだろう。
明日香の【力鎖】によって宙を舞う鉄パイプもまた脂虫どもの胸を刺し貫き、くわえ煙草の頭を叩き割ってバイクから叩き落とす。
1台のバイクが間近まで近づいてきた。
迎撃が間に合わなかったか。
だが黒い光――明日香は動じない。
鉄パイプを破棄し、【力鎖】そのもので脂虫をつかんでバイクから突き落とす。
手から離れた鉄パイプが宙を舞う。
重力の手はそれを捕まえて新たな得物にする。
新たな得物で、明日香は次々に脂虫どもを叩きのめす。
2台の軽乗用車に殺到する改造バイクの脂虫どもは、稲妻の矢に胸を射抜かれ、空飛ぶ鉄パイプに叩きのめされて脱落する。
何台かは転がる仲間を避けきれずに巻きこまれる。
そうやって特に舞奈の出番はないまま、耳障りなマフラー音は聞こえなくなる。
珍走団どもが全滅したのだ。
だが周囲の空気に混じるヤニの臭いは消えていない。
まだ終わりじゃない。
傾いたタイヤがアスファルトを歪に削る耳障りな音をたてながら、次はタイヤをハの字に歪めた5台のダサ車がスピードを上げて2台の軽乗用車を取り囲む。
バーンの車に2台。
舞奈たちトルソの車に3台。
一瞥した後部座席でくわえ煙草の中年男女が嗤い、手にした何かが剣呑に光る。
「じゃあ、お次は大物狩りと洒落こみますか」
スプラは矢筒から次なる矢を引き抜く。
ニヤリと笑いながら、弓に矢をつがえる。
「えっスプラさん弓でですか?」
訝しむピアースに、
「できるんだよ、俺ちゃんのスプラッシュアローならね!」
何食わぬ表情で答えながらスプラは弓を引き絞り、集中。
先ほどまでと同じように、弓が稲妻に包まれる。
そして撃つ。
こんどは1撃で弓の側の稲妻がすべて消える。
すべてのエネルギーが矢に吸い取られていったのだ。
熟練すれば、そういう異能力の使い方もできるらしい。
強力な攻撃魔法のように光り輝く紫電の矢は、ダサ車めがけて稲妻のように飛ぶ。
フロントガラスに命中。
今までの矢と違ってプラズマの榴弾のように爆発する!
……だが稲妻の爆発が晴れた後、フロントガラスはひび割れているのみ。
まあ弓矢としては破格の打撃力なのは事実。
だが車のフロントガラスをぶち抜くほどのパワーはないらしい。
まあ当然だ。異能力者がその身に宿して得物に付与できる魔力は、魔道士が扱うことのできるそれに比べれば格段に低い。それでも、
「次は窓の中にぶちこんで――」
スプラは諦めてはいない。
異能力の限界を、運用で越えようとしている。
だから熱くなった口調とは裏腹に、流れるような動作で次の矢をつがえる。
弓を覆う放電が再び矢へと集い――
「――おいズボンを引っぱるなエロガキ!」
「男のパンツなんかに興味はねぇよ!」
車内に引きずりこまれる。
次の瞬間、
「……!?」
銃声。
同時に天井に何か当たる音。
「野郎! 撃ってきやがった!」
「ええっ!? 今の音、拳銃!?」
トルソが叫ぶ。
ピアースが動揺する。
「……まさかおチビちゃん、そいつに気づいたってのかい?」
ズボンを引き上げながらスプラが問いかける。
顔が少し青ざめているのは、着弾した場所に気づいたからだ。
舞奈に引きずり降ろされていなければ自身が撃たれていた。
「いや流石に、この状況でエアガンは撃ってこんだろ」
「見えてたの!?」
何食わぬ表情で答える舞奈に、前の席でピアースが驚く。
舞奈の恐るべき動体視力とそれに基づく神業を初めて見た者にありがちな反応だ。
対してバックミラーに映るトルソの口元には楽しげな笑み。
「いかにも怪異が好きそうな銃だ」
舞奈も笑う。
薄汚い野球のユニフォームを着こんだ団塊男たち、踏みつぶされた虫のような顔面をした中年女たちが撃ってきたのは密造拳銃。
まともな人間が持つ銃ではない。
そもそも、まともな人間は車を並走させながら撃ってこない。
もちろんダサ車の車内で煙草をくわえた男女の全員が脂虫だ。
バイクの珍走団と同様、屍虫には進行していないらしい。
だがWウィルスに侵され口から脂とよだれを垂れ流す様は、完全に正気を失ったゾンビ人間だ。
車外を見やると、バーンの車も2台に左右を挟まれ苦戦しているようだ。
片方のボンネットに鉄パイプがぶっ刺さっているのは明日香の仕業か。
それでも敵車を止めるには至らなかったらしい。
左右の両方から撃たれている。
だが敵の小口径弾は、軽乗用車の周囲に浮かんだ4つの氷塊に阻まれて落ちる。
「あれも向こうのおチビちゃんの仕業かい?」
「まあな」
ショックから立ち直ったスプラの問いに何食わぬ表情で答える。
明日香の十八番【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】。
小さいが強固で宙を舞い、思念で操作できる氷の盾で身を守る。
鉄パイプを破棄したのは盾の操作に集中するためだろう。
「術者ってのはあんなこともできるんだ」
前の席のピアースも、窓ガラス越しに見やりながら感心する。
次の瞬間、窓のへりに着弾する。
あわてて「ひっ」と頭を引っこめる。
……その様子が奈良坂に似ていると思った。
だがまあ、こちらものんびり観戦している余裕はないのも事実だ。
当然ながら先ほど撃ってきた車はまだそのままなのだ。
「トルソさん、こいつって普通の車なのか?」
「……? ああ。装甲車とかじゃない」
運転手の返事に口元を歪める。
つまり敵が小口径弾を撃ってくるうちはまだいい。
だが45口径やライフル弾を使われたら車体を貫通するということだ。
割と洒落にならない状況ではある。
舞奈の優れた身体能力も、狭い車内に4人がひしめいている状態では無用の長物だ。
「ピアース。斥力場で車を守ってくれ」
「でも俺、【重力武器】で盾を作るの苦手で……」
「おおい……」
指示を弱気に返されて鼻白む舞奈。
そもそも【重力武器】は希少かつ強力な異能力だ。
舞奈も見たのは数回だ。
直近は悟がいたころ、草薙剣に吸収されたこの異能力を刀也が使っていた。
雨あられと降り注ぐライフル弾を斥力場の障壁で防ぐところも見たことがある。
同じ異能力を、しかも怪異から奪ったのではない将来の異能として持つ彼になら同じことができるはずだ。この厄介な事態を凌ぐことができる。
そんな望みを一蹴されて困る舞奈の目前で、
「ピアース。自身に宿るパワーを使って自分の周囲に壁を創るんだ」
ハンドルに手をかけながらトルソが諭す。
落ち着いた声色に、気弱なピアースも少し安堵する。
「でも、ここ車の中だし、槍もないし、俺なんかの魔力を薄くのばしたらすぐ消えちゃうし、壁を創って密閉しちゃうと息ができないし……」
「はは! 君はいろいろなことを考えすぎるようだ」
自信なさげな青年に、トルソは豪快に笑ってみせる。
舞奈の口元にも少し笑みが浮かぶ。
穏やかな口調に、ふと幼い自分にかけられた一樹の声を思い出したからだ。
強者が向ける余裕と理解。
そう言う存在が側にいるという事実は弱者にとっての救いとなる。
そして弱者をそうでないものへと変える。かつての自身がそうだったように。
だから彼のことはトルソにまかせようと決めた。
「異能力は融通がきく力だ。車体と干渉することはない。周囲を覆っても強度はそれほど落ちないし、呼吸に必要な空気は通過する。俺の【装甲硬化】だって、服が鎧みたいに硬くはなるが動けなくなる訳じゃないだろう?」
「そ、そうだけど……」
強者は若人に落ち着いた声色で語り、
「そういうことは異能力が勝手にやってくれる。異能力者に必要なのは意思だけだ。イメージがすべてとは言わんが、強く願えば結果もついてくる」
「や……やってみるよ」
その言葉に支えられてピアースは集中する。
途端、風が変わった。
サチの【護身神法】、出力の上がった明日香の【力盾】と同じ。
車を中心に【重力武器】による斥力場障壁が展開されたのだ。
「なんだ、できるんじゃないか」
「……? つまり、ひと安心ってことで良いのかな?」
舞奈の、スプラの口元に安堵の笑みが浮かぶ。
ピアースもはにかむように笑う。弱者がそうじゃないものになった瞬間だ。
それまで車体をかすめていた弾丸が、あらぬ空中で力場に弾かれる。
トルソは驚く。
不可視の力場の存在を、舞奈がいち早く感じ取ったことに気づいたからだ。
「それじゃあ、安全地帯からスプラッシュ・アローで反撃と行きますか」
再び天井ドアから身を乗り出したスプラが、
「……あれ?」
間の抜けた声をあげつつ目を丸くする。
なぜなら弓矢を構えて狙うつもりだったダサ車がスピンしていた。
「お先に頂いたぜ」
返事は車内から。
舞奈が後部座席の開け放たれた窓から拳銃を構えていた。
銃口からは硝煙。
弓矢と違って拳銃は窓くらいのスペースがあれば撃てる。
現に敵はそうやって撃ってきている。
だから舞奈も1台がハンドルを切る瞬間にタイヤを撃ったのだ。
その結果、敵車はスピンして横転。
疾走する車の窓から、絶妙のタイミングで敵車のタイヤを狙い撃つくらいの神業は舞奈にとっては容易い芸当だ。
あわよくば後続車を巻きこめればと思ったほどだ。
だが敵もさるもの。そうは上手くいかないらしい。
2台の後続車は後部座席の窓から身を乗り出して密造拳銃を撃ちまくりながら、横転した仲間を尻目に舞奈たちの車に追いすがる。
車体を覆う斥力場障壁を数多の小口径弾が叩く。
「ひえっ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
スプラとピアースが揃って怯える。
もとより素人なピアースはもとより、スプラも先ほど撃たれたばかりだ。
自身めがけて飛んできた弾丸が、目前で弾かれれば怯えもする。
「上手いじゃないかピアースくん。その調子でシールドを維持するんだ」
運転席のトルソが笑う。ある意味で肝が据わっていると思う。
そんな三者三様を見やって舞奈も口元に笑みを浮かべ……
「……ちょ!? あの野郎!」
「うわっ! 今度はなんだ?」
舌打ちしつつ、舞奈はスプラを押しのけ天井ドアから身を乗り出す。
間髪入れずに撃つ。
大口径弾はダサ車のうち1台の後部座席に飛びこむ。
きっかり3秒後に爆音。
撃たれたダサ車が火を吹いて四散、炎上したのだ。
「爆発!?」
「待ってくれ。君は魔道士じゃないんだよな?」
「あたしが爆発させたわけじゃないよ。野郎、手榴弾を投げようとしてやがった」
「気づいて……狙って撃ったってことか?」
「まあ、そのくらいはな」
今度ばかりは目を見開いて本気で驚くトルソの問いに、何気に答える。途端、
「ええっ!?」
「いや簡単に言うけどねおチビちゃん……」
ピアースとスプラまでもが驚愕する。
対して車内に戻った舞奈は何食わぬ表情をつくろって笑う。
互いに走行中の車内からとはいえ目と鼻の先だ。
手榴弾を手にした敵がピンを抜いた瞬間に撃ち抜く程度は舞奈には容易い。
だが慣れていないと驚くという感覚はわかる。
特にスプラは自身も射手だ。
舞奈の技量の凄まじさを理解できてしまうのだ。
おそらく彼はAランク――【機関】における最高の使い手だろう。
だが舞奈は【機関】の常識すら超えたSランク。
舞奈と彼の間には、彼とピアースの差と同じ程度の力量差がある。
それでも舞奈は特に奢ることもなく苦笑する。何故なら、
「だいたい本物の魔道士は、こんなんじゃないぞ」
言いつつ少し離れた場所に目を向ける。
視線の先は、2台の敵車に応戦するバーンの車。
左右のダサ車が軽乗用車に体当たり。
流石の【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】もこれは防げない。
軽自動車ははじかれてスピンしそうになるが、バーンはなんとか持ちこたえる。
レーシングゲームでの鍛錬の賜物か。
ダサ車は再び距離をとって撃ちまくる。
軽自動車は左右から降り注ぐ小口径弾を氷の盾でしのぎつつ、急ブレーキでスピードを落とす。左右のダサ車は勢い余って突出する。
次の瞬間、開け放たれた窓から2台の片側めがけて稲妻がのびた。
稲妻は当たったダサ車を一瞬だけ包みこむと、もう1台のダサ車へと襲いかかる。
貫通しながら追尾する魔術の雷撃【鎖雷】。
稲妻はついでに舞奈たちの車に迫るもう1台にも飛び火する。
次の瞬間、3台は順番に爆発。
先ほどの手榴弾の爆発が可愛らしく見えるほどの轟音、爆炎。
1台が真上に跳ね、1台は斜め横に吹き飛んで道端のうどん屋に跳びこむ。
もう1台は、ひときわ大きなどす黒い爆炎の中からバラバラの部品になって周囲にばら撒かれる。乗っていたはずの脂虫はもう破片すら判別できない。
魔術の紫電が車全体に通電した挙句、ガソリンタンクに引火したのだ。
バイクのそれより大量のガソリンが詰まったタンクが爆発した結果がこれだ。
「すっ……げぇ……」
「や、やるねえ、あっちのおチビちゃんも」
ピアースとスプラが背後を見やって息を飲む。
トルソもハンドルさばきこそ確かだが、驚愕の表情は同じ。
魔術師がもたらす圧倒的な戦果に、異能力者が驚愕するのも無理はない。
「こいつは頼もしい。ハハ、この調子なら今回の仕事も楽勝かもな」
トルソが思わず変な笑いをしながら明日香を称える。
他の皆も圧倒的な勝利に湧き上がり――
「――いや、まだだ」
舌打ちしつつ舞奈が後方を睨んだ途端、
「ええっ……勘弁してくれよ!」
驚くスプラの見やる先、後方から新たなダサ車。
先ほどより数が多い。
見えるだけでも倍はいる。しかも、
「こっちからも!?」
さらに驚くピアースの目前、あちこちの裏路地から薄汚い集団が跳び出してきた。
いずれも双眸をヤニ色に濁らせた喫煙者。
しかも、こちらの新手は進行している。
全員が銃も車も持たない代わりに、カギ爪を振りかざした屍虫だ。
「ええっ!? そんな……」
「そりゃないぜ畜生!」
「……本気で俺たちを潰すつもりだな」
ピアースが、スプラが弱音を吐く。
トルソが苦々しくひとりごちる。その時、
『こちらバーン! こちらに状況を打開する策がある!』
並走する味方車から通信が入った。
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる