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第16章 つぼみになりたい
戦闘4-1 ~戦闘魔術vs超能力
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ヴィラン拠点に潜入した舞奈と明日香に、再びプリドゥエンの守護珠が使われた。
魔法消去に使う短剣には余裕がない。
なので明日香は甘んじて舞奈と分断され、ひとり廊下に転移された。
そして舞奈がクラリス・リンカーと邂逅したのと同じ頃。
明日香は油断なく小型拳銃を構え、ひび割れたコンクリートの廊下を歩く。
何処から電源が供給されているやら天井の蛍光灯が薄暗い明かりを投げかける。
そんな廊下を進みつつ、明日香は荼枳尼天の咒を念じる。
羽織った戦闘クロークに魔力が満ちるのを確認する。
魔力と斥力を司る荼枳尼天の咒によりクロークの裏側に収められたドッグタグに魔力が供給され、同時にクロークに焼きつけられた【力盾】が展開される。
次いで(荼枳尼天よ)と念じ、術に追加の魔力を注ぎこむ。
斥力場障壁による防御魔法は、本来ならば銃弾を逸らす程度の威力しかない。
だが次なる敵――転移を得手とする超能力者に対しては有効な防護手段だ。
斥力場障壁の展開と増強による空気の揺らぎによって、頭上でかすかに揺れるつば付き三角帽子を意識しつつ、続けざまに新たな咒。
遍く冷気を統べる大自在天の咒はイメージとともに一瞬で脳裏に展開される。
続く魔術語「防御」と同時に4枚の氷の盾となって周囲に配置される。
即ち【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】。
普段と変わらぬ手馴れた施術だ。
施術の前後に(魔道)と念じて【虚心・弐式】を維持し続けるのも同じ。
自身の精神を虚無のフィールドで覆い、精神的な探知や介入を阻害する術だ。
術者の嗜みなのだが、こちらも今回の敵に対しては有用な防護策だ。
何故なら、これから戦う相手はサイキック暗殺者、リンカー姉弟。
姉弟どちらもが瞬間移動と読心を得手とする難敵だ。
手馴れた防護を済ませた明日香は、更に(情報)と念じて施術する。
こちらは【魔術感知・弐式】。
不自然な魔力の流れを読み取る魔法感知は魔術師ならば――否、術者であれば誰しも使える基礎技術。そんな基本の探知魔法に――
「――当然ね」
反応。
明日香は口元に不敵な笑みを浮かべる。
開けていれば小型拳銃で狙えるくらいの距離に、まとまった魔力。
小柄な人の形に凝固されている。
己が身体に魔力を蓄積する妖術師の反応だ。
もっとも当人――超能力者たちは、それを超能力と呼称しているが。
目前の超能力者がまとう超能力量は、先ほど戦ったクイーン・ネメシスに匹敵する。
パターンにも見覚えがある。
今回の相手は姉のクラリスではなく『弟』の方らしい。
先方も【能力感知】で警戒しているならば、明日香の接近に気づいたはずだ。
先ほど行使し、維持している幾つかの術の他にも、戦闘クロークと異装迷彩のつば付き三角帽子が僅かだが魔法感知に反応する。
なにより舞台を選んだのも、明日香たちを呼びこんだのも先方だ。
こちらの出方を窺うくらいのことはしていると考えるべきだ。
だからこそ明日香はゆっくり歩を進めつつ【魔術感知・弐式】で周囲を探る。
魔力を用いたトラップ等の反応はなし。
半ば強制的に招待されたアウェーの舞台だからこそ、自身の振舞いだけは普段と同じ自分のペースであるべきだ。
それは明日香が十年足らずの、それでも波乱に満ちた人生で会得した人生の秘訣だ。
だから油断なく進むうち、特に何事もなく開きかけのドアに行き当たる。
左の掌をかざして荼枳尼天の咒を念じる。
次いで「投与」と唱える。
斥力を操る【力波】の魔術によって、観音開きの鉄製ドアが弾け開く。
間髪入れずに両手で小型拳銃を構えて踏みこんだ先は、広い部屋だった。
どうやら元は倉庫を兼ねた作業場らしい。
見たところ相応の広さのある大広間だ。
明日香が入ってきたドアは部屋の一角の中央に位置している。
そして周囲を警戒する明日香の前に、ひとつの人影。
つば付き帽子を目深にかぶった金髪の子供だ。
小柄な身体から放出される超能力が、風もない室内でジャケットをゆらす。
半ズボンからのびる脚も、明日香と同じくらいには鍛えられている。
衣服の色合いは姉のクラリスに合わせたのだろうか。
エミール・リンカー。
サイキック暗殺者、リンカー姉弟の片割れだ。
「よく来たな、タマゴ女」
「たまご……」
第一声に、思わず口元をへの字に歪める。
火曜日の件を根に持っているらしい。
それが舞奈と自分を分断した後、こちらを受け持った理由か。
半ズボンからのびる細い脚が、倉庫の床から浮き上がる。
空中浮遊の超能力【浮遊能力】だ。
敵は身体能力こそクイーン・ネメシスより脆弱、というより元気な子供レベル。
だが超能力者としての能力は同等……あるいはそれ以上。
そんなエミールが握りしめているのは幅広のナイフ1本のみ。
他に武器は持っていないようだが、油断はできない。
超能力者……に限らず大抵の術者は空間に抜け道を作って得物を取り出すことができる。明日香もクロークに焼きつけられた【工廠】で可能だ。
だから明日香は敵に油断なく銃口を向けながら、
「投降を勧告します。クイーン・ネメシスは我々が倒したわ」
小型拳銃の引鉄に指を置きながら警告。だが、
「連れ去った子供を解放するなら、【組合】の盟約に基づき術者として貴方と仲間の身の安全を保障します」
「嘘だ! おまえたちなんかに――!」
エミールは叫ぶ。
まあ信じたくない気持ちはわかる。
今までクイーン・ネメシスは姉弟の前で負けたことはなかったのだろう。
撤退はしたけど敗北はなかった。
だから『彼女が帰ってこない』状況を理解できない。
より正確には、理解することを脳が拒む。
そんな年若いヴィランの様子は何処となく2年前の舞奈と似ていた。
そして明日香自身とは真逆だ。
2年前には愚かだと思った心の在り方。
それを今なら理解できる。
現実から目をそらして夢を見るように、信じたいものを信じる。
現実を直視した上でノーを突きつける。
その両者は想いの強さという意味では同じだ。
そして現実の上に自ら想い描いた理想を頂こうとする高潔な意思は魔力の源となる。
だから【魔術感知・弐式】が敵の身体に宿る超能力の賦活を検知した次の瞬間、
「おまえの言うことなんか嘘っぱちだ! おまえを叩きのめして真実を暴いてやる!」
吠えると同時にエミールの姿が超能力の反応ごとかき消える。
次の瞬間、
「くっ!」
背後の氷盾が反応。
エミールが突き出したナイフを【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】が受け止めたのだ。
敵は早速、転移の超能力【転移能力】による奇襲を試みたらしい。
魔術師は強力な攻撃魔法を誇る反面、基本的に身体強化の手札を持たない。
加えて明日香自身に舞奈のような身体能力はないことには敵も気づいているはずだ。
だから接近戦に持ちこむのは最良との判断だろう。
もちろん少し離れた場所に跳んでから自力で距離を詰めるという瞬間移動への妨害対策も忘れていない。
だが魔術による被造物は、預言に似た未来予知のロジックを用いて動く。
だから生半可なフェイントはおろか、短距離転移による奇襲にすら対処可能。
しかも敵はナイフから持ち替える素振りすら見せないのだから、攻撃の選択肢はおのずと限られて来る。防御は容易い。
それでも強力な【強化能力】による身体強化、【念力剣】による武器の強化をシンクロさせた渾身の突き。その勢いは砲弾の如し。
防がれることを見越したうえで、打ち破る覚悟で全力で突撃してきたらしい。
だから【加速能力】ではなく【強化能力】だ。
そして意外にも【強化能力】【念力剣】自体の強度はクイーン・ネメシス以上。
こめられた強大な超能力の前に、正直なところナイフ自体にさほどの意味はない。
まるで近接攻撃魔法だ。
「……なるほど。暗殺だけが能じゃないということね」
「当然だ! 僕を誰だと思っている! エミール・リンカーだ!」
ギリギリとナイフとせめぎ合う氷盾を操りながら、明日香は不敵に笑う。
エミールも負けじと吠える。
明日香は残る3枚の氷盾を操作し、4枚重ねでエミールを止める。
次いで明日香自身も「大自在天よ」と唱え、氷盾に追加の魔力を注ぎこむ。
だが次の瞬間、エミールが『爆発』した。
ナイフを――あるいは自身を中心とした【念力撃】。
強固な氷壁3枚が、それを上回る不可視の暴力に耐えきれず砕け散る。
残った1枚は主である明日香の側へと戻る。
エミールは氷の破片を【念力剣】で振り払いつつ、【浮遊能力】を器用に操り床の上を滑るように襲い来る。だが、
「――魔弾」
「なっ!?」
魔術語と同時に明日香の次の手札も完成した。
掌をかざした明日香の前に、巨大なプラズマの塊が出現する。
パチパチと放電しながら強烈に輝く雷球の数、3つ。
即ち【雷弾・弐式】。
明日香が修めた戦闘魔術のうち最も初歩的な、故に強力な攻撃魔法。
放電する3つのプラズマの砲弾は続けざまに、唸り声をあげてエミールを襲う。
それでも次の瞬間、
「糞ったれ!」
エミールの姿はかき消える。
直後、転移前より少し手前、飛び去った雷弾の背後にあらわれる。
なるほど【転移能力】を利用した射撃回避か。
特に誘導もされていない3つの雷弾はエミールの背後の壁に激突する。
轟音と閃光とともに爆発し、エミールを逆光で照らしながら壁を焦がす。
次いで明日香は残った氷盾を操作し、回避直後のエミールに突撃させる。
小柄な超能力者は再度【転移能力】で回避する。
思いのほか立て直しが速い。
超能力を用いた戦闘の訓練を受けているのだろう。それも相応に実践的な。
それでも明日香は続けざまに小型拳銃を両手で構える。
黒光りする銃口が、ワープアウトしたエミールを容赦なく捉える。
だが明日香は引き金を引く代わりに「荼枳尼天よ」と唱えて斥力場障壁を強化。
同時に射線から逃れるように、エミールの姿が三度、消える。
流石はサイキック暗殺者。【転移能力】の連続行使も慣れたもの。
だが次の瞬間、
「うわあぁっ!」
エミールは側の床に叩きつけられ転がりながら再出現する。
転移の超能力【転移能力】は空間を歪めて『抜け道』を作って通り抜ける。
つまり【念動力】の応用だ。
そんな空間湾曲による抜け道は、同種の波動で容易に変形させることが可能。
例えば明日香が周囲に張り巡らせた【力盾】による斥力場でも可能。
だからエミールは変形されて歪んだ『抜け道』に『激突』し、ランダムに接続された現世にはじき出されたのだ。
通常ならば相手もそうした危険は承知の上。
だから初手の奇襲と同じように、ギリギリ近くに転移してから別の超能力か自身の脚力で距離を詰める算段だったはずだ。
だが目測を誤った。
手馴れた魔術による斥力場のドームは通常よりひとまわり大きい。
さらに先ほど追加の魔力を注ぎこんで斥力場の強度と範囲を増したところだ。
「それと、貴方たちが連れてった彼女は『プリンセス』じゃないわよ」
冷たい声色で言いつつ、床を転がるエミールめがけて小型拳銃を発砲。
しかも無慈悲な3連射。
「うるさい!」
明日香の言葉を遮るような叫び。
だが小口径弾は堅い音をたてて床を跳ねる。
エミールはいない。
吠えながらも【転移能力】で銃撃を回避しつつ距離を取ったのだ。
冷静に考えればエミールに明日香と戦う理由は特にない。
クイーン・ネメシスは表で寝ているのだから、会いたければ会いに行けばいい。
逆に先方が連れ去った少女は目的の人物とは違うのだから、解放しても問題ない。
だが、その道理を伝える手段が明日香にはない。
明日香の言葉は目前のヴィランに届かない。
普段から発言が正論過ぎて相手を意固地にさせてしまっている自覚はある。
なので説得は自分より舞奈に向いた役割だとは正直、思う。
さりとて【精神読解】で心を読む相手を前に【虚心・弐式】を解除し、思考をさらけ出すという選択肢はない。
なにより明日香とエミール。両者の間で衝突しているのは利害ではない。生き様だ。
要は喧嘩なのだ。
魔術の神髄を修めた魔術師と読心をよくするサイキック暗殺者のスマートな魔法勝負じゃない。相手が屈服するまで魔力と魔力で殴り合う、子供じみた決闘だ。
だから明日香の真横に出現したエミールは、
「なら、まずはその厄介な力場を……っ!!」
明日香にナイフを突きつける。
同時に明日香の周囲を覆う斥力場【力盾】が揺らぐ。
魔法消去の超能力【能力消去】だ。だが――
(――魔道)
「うわっ!?」
脳裏に魔術語を念じるとともに、斥力場への介入は止まる。
代わりにエミールが手にしたナイフの刃先が根元から砕ける。
「糞……っ!」
エミールは口元を悔しげに歪めながらナイフの柄を投げ捨てる。
手元で砕け散ったから【念力盾】で防げなかったか、散った破片のひとつが頬に紅い糸を引いていた。
対する明日香の口元には笑みが浮かぶ。
目元を飾る下フレームの眼鏡はずれてすらいない。
魔法消去は危険な技術だ。抵抗されると得物や使用者が破壊される。
そして成功の可否を決する術の強度は注ぎこんだ魔力と技量の相乗だ。
施術そのものに高い技術を要し、加えてほぼ無限に魔力を創造可能な魔術師に対して他の流派の術者が消去を成功させることは至難。
現に熟練の超能力者であるクイーン・ネメシスにすら不可能だった。
それでもエミールの心は折れない。この程度では。
「なら、こいつならどうだ!」
自身を鼓舞するように叫びながら虚空に手をかざす。
すると掌の先、先ほどまで何もなかった空間に1丁の短機関銃が出現する。
使われた超能力は自身の所有物を呼び寄せる【誘引能力】。
超能力者の得物がナイフ1本だからといって油断してはならない理由だ。
そして遠距離攻撃の手札を持たない超能力者――妖術師にとって、銃は有用な飛び道具でもある。
エミールは短機関銃を手に取り、手馴れた動作で構える。
そして先ほどの明日香と同じくらい冷徹に躊躇なく掃射する。
だが同時に――
「――守護」
黒髪の魔術師の周囲を囲むように円柱状の氷の壁がそそり立つ。
即ち【氷壁・弐式】。
敵が転移のミスを立て直す間に、明日香も次の一手を刺し終えていた。
堅牢な氷の壁を創り出す防御魔法を、自分の周囲を囲むように行使したのだ。
掃射された30発の小口径弾が、分厚い氷壁の表面を削る。
だが、それだけ。空しくも止められた弾丸は堅い音をたてて床を転がる。
追加の魔力を注ぎこむまでもない。
「糞ったれ……っ!」
奇襲を防がれた敵は逡巡する。
その先の見通しを立てていなかったからだ。
「貴方たちのトレーナーはクイーン・ネメシスかしら?」
意識して冷静な口調で問いかける。
「何故それを!?」
「超能力を行使するときの癖が、少し似てるのよ」
戦ってみた感想からカマをかけたら、あっさり引っかかった。
別に自分の性格が嫌らしい訳じゃない。
先方の、心を読めない相手への反応が年相応の子供みたいに無邪気なのだ。
あの調子じゃ舞奈を受け持った姉の方は立場が逆転しているのではなかろうか。
脳裏に浮かんだ雑念を振り払うように務めて余裕ありげな笑みを浮かべ、
「けれど貴方はネメシスじゃないわ。同じ戦い方じゃ、わたしには勝てないわよ?」
諭すように言葉を続ける。
「う……うるさい! おまえに何がわかる!」
対するエミールは叫びながら【転移能力】で氷壁の内側に跳びこもうとする。
だが思いなおす。
……と、そんな感じだろうか。
一瞬の躊躇の間に感情が顔に出すぎて、舞奈でなくても動揺が見て取れる。
たぶん、ひとりで窮地に立たされるのは初めてなのだろう。
これまでの戦闘(あるいは暗殺)では、姉弟はクイーン・ネメシスの指示を受けていたのだろう。トレーナー兼保護者である彼女に責任を肩代わりしてもらっていた。
いわば守られていた。
……まるで舞奈と出会う前、仲間たちに守られていた幼い自分自身と同じに。
追憶を振り払うように明日香は「大自在天よ」と唱えて冷気の魔力を賦活する。
そして「拘束」と唱える。
同時に氷壁の正面から光線が放たれる。
対象を氷の茨で拘束する【氷棺・弐式】。
氷壁を構成する自身の魔力を流用すれば、同じ冷気の術の行使は容易だ。
エミールは咄嗟に【転移能力】で光線を避ける。
光線は空しく虚空を射抜いて床を射抜く。
当たった周囲を氷の茨が這いまわる。
その様子を見やってエミールの表情が強張る。
「糞っ! 【氷結檻】まで投射するのか!」
「【氷棺・弐式】。高等魔術の【氷の檻】に相当するわ」
明日香は思わずいつもの調子でうんちくを語り、
「……あと言葉遣いが下品」
「う・る・さ・い!」
思わず指摘する明日香をエミールは睨みつける。
そうしながらも、割と『当たったら最期』な表情をしているのが印象的だ。
保護者兼トレーナーの彼女と違って【加熱能力】は苦手なのだろうか?
感知できる超能力の量からは別に相手が得意な技術はわからない。
あるいは隙を見せたら負けると過剰に警戒されているか?
どうやら敵は魔術師と戦ったのも初めてらしい。
どちらにせよ、敵は凍結する光線を回避するのが好きでも得意でもないらしい。
だから明日香はクロークの内側から小振りな錫杖を取り出し、
「ハヌッセン・文観」
呪文を唱えるとともに、錫杖の柄がひとりでに術者の背丈ほどの長さにのびる。
杖の先端で、蛍光灯の光を浴びた髑髏が金属質に輝く。
髑髏を囲う輪形に通された16個の遊環がシャランと涼やかな音色を奏でる。
即ち双徳神杖。
戦闘魔術師が施術に用いる聖なる杖。
明日香は錫杖を両手で構え、矢継ぎ早に冷凍光線を放つ。
容赦も忖度もない。
エミールは今にも殺されそうな形相で転移する。悪態をつく余裕もない。
双徳神杖は魔力を創造し持続的に供給することで術者の施術をサポートする。
本来は【火炎放射】【冷気放射】といった放射する術に使用する。
だが投射するタイプの術に使えば、通常ではあり得ない連続行使を可能とする。
加えて壁の冷気を流用できるのだから、気分はほとんど機関銃だ。
「くっ……!!」
何度目かにエミールの姿が消え、光線が残像を空しく射抜く。
直後、【魔術感知・弐式】が今まではなかった方向に魔力を感知。背後だ。
敵は光線を避けつつ隙をうかがい、背後に転移したらしい。
必要以上に距離が遠いのは力場を警戒した故か?
明日香は杖を構えたまま振り返る。
敵は短機関銃を掃射する。
小口径弾が氷壁に深く突き刺さる感触。
銃に【念力剣】をかけていたらしい。【魔術感知・弐式】にも反応。
エミールはニヤリと笑う。
敵が気分よく火力で押している最中に、背後に転移して奇襲。
相手が並の術者なら、このまま油断から強度が弱まった壁を突破できる。
そう考えるのもやむを得ない状況だ。
だが明日香は「大自在天よ」と唱えて氷壁を修復する。
そして再び【氷棺・弐式】を撃ちまくる。
突き出した杖の先、氷壁の外側から放たれるので敵には付け入る隙もない。
「糞っ! 糞っ! 卑怯だぞ!」
「サイキック暗殺者のその言葉は、褒め言葉として受け取っておくわ」
冷凍光線の雨あられを【転移能力】の連続行使で辛くも避けつつ、エミールは機動の合間に罵り声をあげる。正直なところ、動体視力や反射神経は悪くはない。
必殺の奇襲が失敗したのを察した後の切り替えの早さも。
それでも明日香は少し機嫌が悪くなる。
相手の態度が気に入らない。
殺傷力のない補助魔法で拘束を試みている時点で慈悲深いと思ってもらいたい。
それ以上の配慮が必要だとは思えないのだが。
だが、それでも口元には不敵な笑み。
自身に負ける要素がないからだ。
敵の【転移能力】による接敵は【力盾】の斥力場で無力化できる。
他の種類の奇襲も【魔術感知・弐式】で察知可能。妖術師は身体そのものが魔法感知に反応し、しかも遠距離攻撃の手札を持たない。
銃を使われても【氷壁・弐式】で防護可能。
ロケットランチャーくらい使われても、追加の魔力を注ぎこめば耐えられる。
もうひとつの敵の十八番【精神読解】は【虚心・弐式】で無力化済み。
もちろん【能力消去】による消去は完全に対処できる。
要するに相手の手札はすべて封じられている。
仮に【戦闘予知】を使えたとしても、自分が負けると一足先にわかるだけだ。
加えて魔術師は都度に魔力を創造して施術する。
だが妖術師は己が身体に宿る魔力を消費して施術する。
つまり、こちらの手札は無限。
対する相手のリソースは有限。
こちらに一切の手出しができぬまま、超能力が尽きるまで踊り続けるしかない。
だがエミールは口元を歪めてはいるが諦めてはいない様子。
だから明日香も施術の合間に――
「――Kommen」
『『『『Ja!』』』』
影の中に潜ませていた式神を召喚する。
あらわれたのは、4体の実体のない影法師。
明日香は天津飯のつもりがタマゴの怪物になるくらいイメージの具現化が不得手だ。
それでも各々が携えた短機関銃の銃身が、蛍光灯のネオンに照らされ無骨に光る。
「なんだと!? 糞ったれ!」
目前にあらわれた影の兵士を見やり、エミールの表情が強張ったそれに変わる。
無理もないだろう。
敗北が濃厚、しかも増援の可能性も撤退の余地もない状況で、敵の増援。
それによって引き起こされる感情はただひとつ。絶望だ。
だが【転移能力】で距離を取ったエミールは口元を引き締める。
年若いサイキック暗殺者は、まだ絶望はしていないらしい。
懐から何かを取り出す。
先の戦いでクイーン・ネメシスが持っているのを見た。
プリドゥエンの守護珠の破片だ。
「……なるほど、そう来るのね」
「ああ! これしかないからな!」
エミールは叫ぶ。
そして破片を掲げて集中を始める。
おそらく魔道具の破片から、さらなる超能力を引き出すために。
魔法消去に使う短剣には余裕がない。
なので明日香は甘んじて舞奈と分断され、ひとり廊下に転移された。
そして舞奈がクラリス・リンカーと邂逅したのと同じ頃。
明日香は油断なく小型拳銃を構え、ひび割れたコンクリートの廊下を歩く。
何処から電源が供給されているやら天井の蛍光灯が薄暗い明かりを投げかける。
そんな廊下を進みつつ、明日香は荼枳尼天の咒を念じる。
羽織った戦闘クロークに魔力が満ちるのを確認する。
魔力と斥力を司る荼枳尼天の咒によりクロークの裏側に収められたドッグタグに魔力が供給され、同時にクロークに焼きつけられた【力盾】が展開される。
次いで(荼枳尼天よ)と念じ、術に追加の魔力を注ぎこむ。
斥力場障壁による防御魔法は、本来ならば銃弾を逸らす程度の威力しかない。
だが次なる敵――転移を得手とする超能力者に対しては有効な防護手段だ。
斥力場障壁の展開と増強による空気の揺らぎによって、頭上でかすかに揺れるつば付き三角帽子を意識しつつ、続けざまに新たな咒。
遍く冷気を統べる大自在天の咒はイメージとともに一瞬で脳裏に展開される。
続く魔術語「防御」と同時に4枚の氷の盾となって周囲に配置される。
即ち【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】。
普段と変わらぬ手馴れた施術だ。
施術の前後に(魔道)と念じて【虚心・弐式】を維持し続けるのも同じ。
自身の精神を虚無のフィールドで覆い、精神的な探知や介入を阻害する術だ。
術者の嗜みなのだが、こちらも今回の敵に対しては有用な防護策だ。
何故なら、これから戦う相手はサイキック暗殺者、リンカー姉弟。
姉弟どちらもが瞬間移動と読心を得手とする難敵だ。
手馴れた防護を済ませた明日香は、更に(情報)と念じて施術する。
こちらは【魔術感知・弐式】。
不自然な魔力の流れを読み取る魔法感知は魔術師ならば――否、術者であれば誰しも使える基礎技術。そんな基本の探知魔法に――
「――当然ね」
反応。
明日香は口元に不敵な笑みを浮かべる。
開けていれば小型拳銃で狙えるくらいの距離に、まとまった魔力。
小柄な人の形に凝固されている。
己が身体に魔力を蓄積する妖術師の反応だ。
もっとも当人――超能力者たちは、それを超能力と呼称しているが。
目前の超能力者がまとう超能力量は、先ほど戦ったクイーン・ネメシスに匹敵する。
パターンにも見覚えがある。
今回の相手は姉のクラリスではなく『弟』の方らしい。
先方も【能力感知】で警戒しているならば、明日香の接近に気づいたはずだ。
先ほど行使し、維持している幾つかの術の他にも、戦闘クロークと異装迷彩のつば付き三角帽子が僅かだが魔法感知に反応する。
なにより舞台を選んだのも、明日香たちを呼びこんだのも先方だ。
こちらの出方を窺うくらいのことはしていると考えるべきだ。
だからこそ明日香はゆっくり歩を進めつつ【魔術感知・弐式】で周囲を探る。
魔力を用いたトラップ等の反応はなし。
半ば強制的に招待されたアウェーの舞台だからこそ、自身の振舞いだけは普段と同じ自分のペースであるべきだ。
それは明日香が十年足らずの、それでも波乱に満ちた人生で会得した人生の秘訣だ。
だから油断なく進むうち、特に何事もなく開きかけのドアに行き当たる。
左の掌をかざして荼枳尼天の咒を念じる。
次いで「投与」と唱える。
斥力を操る【力波】の魔術によって、観音開きの鉄製ドアが弾け開く。
間髪入れずに両手で小型拳銃を構えて踏みこんだ先は、広い部屋だった。
どうやら元は倉庫を兼ねた作業場らしい。
見たところ相応の広さのある大広間だ。
明日香が入ってきたドアは部屋の一角の中央に位置している。
そして周囲を警戒する明日香の前に、ひとつの人影。
つば付き帽子を目深にかぶった金髪の子供だ。
小柄な身体から放出される超能力が、風もない室内でジャケットをゆらす。
半ズボンからのびる脚も、明日香と同じくらいには鍛えられている。
衣服の色合いは姉のクラリスに合わせたのだろうか。
エミール・リンカー。
サイキック暗殺者、リンカー姉弟の片割れだ。
「よく来たな、タマゴ女」
「たまご……」
第一声に、思わず口元をへの字に歪める。
火曜日の件を根に持っているらしい。
それが舞奈と自分を分断した後、こちらを受け持った理由か。
半ズボンからのびる細い脚が、倉庫の床から浮き上がる。
空中浮遊の超能力【浮遊能力】だ。
敵は身体能力こそクイーン・ネメシスより脆弱、というより元気な子供レベル。
だが超能力者としての能力は同等……あるいはそれ以上。
そんなエミールが握りしめているのは幅広のナイフ1本のみ。
他に武器は持っていないようだが、油断はできない。
超能力者……に限らず大抵の術者は空間に抜け道を作って得物を取り出すことができる。明日香もクロークに焼きつけられた【工廠】で可能だ。
だから明日香は敵に油断なく銃口を向けながら、
「投降を勧告します。クイーン・ネメシスは我々が倒したわ」
小型拳銃の引鉄に指を置きながら警告。だが、
「連れ去った子供を解放するなら、【組合】の盟約に基づき術者として貴方と仲間の身の安全を保障します」
「嘘だ! おまえたちなんかに――!」
エミールは叫ぶ。
まあ信じたくない気持ちはわかる。
今までクイーン・ネメシスは姉弟の前で負けたことはなかったのだろう。
撤退はしたけど敗北はなかった。
だから『彼女が帰ってこない』状況を理解できない。
より正確には、理解することを脳が拒む。
そんな年若いヴィランの様子は何処となく2年前の舞奈と似ていた。
そして明日香自身とは真逆だ。
2年前には愚かだと思った心の在り方。
それを今なら理解できる。
現実から目をそらして夢を見るように、信じたいものを信じる。
現実を直視した上でノーを突きつける。
その両者は想いの強さという意味では同じだ。
そして現実の上に自ら想い描いた理想を頂こうとする高潔な意思は魔力の源となる。
だから【魔術感知・弐式】が敵の身体に宿る超能力の賦活を検知した次の瞬間、
「おまえの言うことなんか嘘っぱちだ! おまえを叩きのめして真実を暴いてやる!」
吠えると同時にエミールの姿が超能力の反応ごとかき消える。
次の瞬間、
「くっ!」
背後の氷盾が反応。
エミールが突き出したナイフを【氷盾《アイゼス・シュルツェン》】が受け止めたのだ。
敵は早速、転移の超能力【転移能力】による奇襲を試みたらしい。
魔術師は強力な攻撃魔法を誇る反面、基本的に身体強化の手札を持たない。
加えて明日香自身に舞奈のような身体能力はないことには敵も気づいているはずだ。
だから接近戦に持ちこむのは最良との判断だろう。
もちろん少し離れた場所に跳んでから自力で距離を詰めるという瞬間移動への妨害対策も忘れていない。
だが魔術による被造物は、預言に似た未来予知のロジックを用いて動く。
だから生半可なフェイントはおろか、短距離転移による奇襲にすら対処可能。
しかも敵はナイフから持ち替える素振りすら見せないのだから、攻撃の選択肢はおのずと限られて来る。防御は容易い。
それでも強力な【強化能力】による身体強化、【念力剣】による武器の強化をシンクロさせた渾身の突き。その勢いは砲弾の如し。
防がれることを見越したうえで、打ち破る覚悟で全力で突撃してきたらしい。
だから【加速能力】ではなく【強化能力】だ。
そして意外にも【強化能力】【念力剣】自体の強度はクイーン・ネメシス以上。
こめられた強大な超能力の前に、正直なところナイフ自体にさほどの意味はない。
まるで近接攻撃魔法だ。
「……なるほど。暗殺だけが能じゃないということね」
「当然だ! 僕を誰だと思っている! エミール・リンカーだ!」
ギリギリとナイフとせめぎ合う氷盾を操りながら、明日香は不敵に笑う。
エミールも負けじと吠える。
明日香は残る3枚の氷盾を操作し、4枚重ねでエミールを止める。
次いで明日香自身も「大自在天よ」と唱え、氷盾に追加の魔力を注ぎこむ。
だが次の瞬間、エミールが『爆発』した。
ナイフを――あるいは自身を中心とした【念力撃】。
強固な氷壁3枚が、それを上回る不可視の暴力に耐えきれず砕け散る。
残った1枚は主である明日香の側へと戻る。
エミールは氷の破片を【念力剣】で振り払いつつ、【浮遊能力】を器用に操り床の上を滑るように襲い来る。だが、
「――魔弾」
「なっ!?」
魔術語と同時に明日香の次の手札も完成した。
掌をかざした明日香の前に、巨大なプラズマの塊が出現する。
パチパチと放電しながら強烈に輝く雷球の数、3つ。
即ち【雷弾・弐式】。
明日香が修めた戦闘魔術のうち最も初歩的な、故に強力な攻撃魔法。
放電する3つのプラズマの砲弾は続けざまに、唸り声をあげてエミールを襲う。
それでも次の瞬間、
「糞ったれ!」
エミールの姿はかき消える。
直後、転移前より少し手前、飛び去った雷弾の背後にあらわれる。
なるほど【転移能力】を利用した射撃回避か。
特に誘導もされていない3つの雷弾はエミールの背後の壁に激突する。
轟音と閃光とともに爆発し、エミールを逆光で照らしながら壁を焦がす。
次いで明日香は残った氷盾を操作し、回避直後のエミールに突撃させる。
小柄な超能力者は再度【転移能力】で回避する。
思いのほか立て直しが速い。
超能力を用いた戦闘の訓練を受けているのだろう。それも相応に実践的な。
それでも明日香は続けざまに小型拳銃を両手で構える。
黒光りする銃口が、ワープアウトしたエミールを容赦なく捉える。
だが明日香は引き金を引く代わりに「荼枳尼天よ」と唱えて斥力場障壁を強化。
同時に射線から逃れるように、エミールの姿が三度、消える。
流石はサイキック暗殺者。【転移能力】の連続行使も慣れたもの。
だが次の瞬間、
「うわあぁっ!」
エミールは側の床に叩きつけられ転がりながら再出現する。
転移の超能力【転移能力】は空間を歪めて『抜け道』を作って通り抜ける。
つまり【念動力】の応用だ。
そんな空間湾曲による抜け道は、同種の波動で容易に変形させることが可能。
例えば明日香が周囲に張り巡らせた【力盾】による斥力場でも可能。
だからエミールは変形されて歪んだ『抜け道』に『激突』し、ランダムに接続された現世にはじき出されたのだ。
通常ならば相手もそうした危険は承知の上。
だから初手の奇襲と同じように、ギリギリ近くに転移してから別の超能力か自身の脚力で距離を詰める算段だったはずだ。
だが目測を誤った。
手馴れた魔術による斥力場のドームは通常よりひとまわり大きい。
さらに先ほど追加の魔力を注ぎこんで斥力場の強度と範囲を増したところだ。
「それと、貴方たちが連れてった彼女は『プリンセス』じゃないわよ」
冷たい声色で言いつつ、床を転がるエミールめがけて小型拳銃を発砲。
しかも無慈悲な3連射。
「うるさい!」
明日香の言葉を遮るような叫び。
だが小口径弾は堅い音をたてて床を跳ねる。
エミールはいない。
吠えながらも【転移能力】で銃撃を回避しつつ距離を取ったのだ。
冷静に考えればエミールに明日香と戦う理由は特にない。
クイーン・ネメシスは表で寝ているのだから、会いたければ会いに行けばいい。
逆に先方が連れ去った少女は目的の人物とは違うのだから、解放しても問題ない。
だが、その道理を伝える手段が明日香にはない。
明日香の言葉は目前のヴィランに届かない。
普段から発言が正論過ぎて相手を意固地にさせてしまっている自覚はある。
なので説得は自分より舞奈に向いた役割だとは正直、思う。
さりとて【精神読解】で心を読む相手を前に【虚心・弐式】を解除し、思考をさらけ出すという選択肢はない。
なにより明日香とエミール。両者の間で衝突しているのは利害ではない。生き様だ。
要は喧嘩なのだ。
魔術の神髄を修めた魔術師と読心をよくするサイキック暗殺者のスマートな魔法勝負じゃない。相手が屈服するまで魔力と魔力で殴り合う、子供じみた決闘だ。
だから明日香の真横に出現したエミールは、
「なら、まずはその厄介な力場を……っ!!」
明日香にナイフを突きつける。
同時に明日香の周囲を覆う斥力場【力盾】が揺らぐ。
魔法消去の超能力【能力消去】だ。だが――
(――魔道)
「うわっ!?」
脳裏に魔術語を念じるとともに、斥力場への介入は止まる。
代わりにエミールが手にしたナイフの刃先が根元から砕ける。
「糞……っ!」
エミールは口元を悔しげに歪めながらナイフの柄を投げ捨てる。
手元で砕け散ったから【念力盾】で防げなかったか、散った破片のひとつが頬に紅い糸を引いていた。
対する明日香の口元には笑みが浮かぶ。
目元を飾る下フレームの眼鏡はずれてすらいない。
魔法消去は危険な技術だ。抵抗されると得物や使用者が破壊される。
そして成功の可否を決する術の強度は注ぎこんだ魔力と技量の相乗だ。
施術そのものに高い技術を要し、加えてほぼ無限に魔力を創造可能な魔術師に対して他の流派の術者が消去を成功させることは至難。
現に熟練の超能力者であるクイーン・ネメシスにすら不可能だった。
それでもエミールの心は折れない。この程度では。
「なら、こいつならどうだ!」
自身を鼓舞するように叫びながら虚空に手をかざす。
すると掌の先、先ほどまで何もなかった空間に1丁の短機関銃が出現する。
使われた超能力は自身の所有物を呼び寄せる【誘引能力】。
超能力者の得物がナイフ1本だからといって油断してはならない理由だ。
そして遠距離攻撃の手札を持たない超能力者――妖術師にとって、銃は有用な飛び道具でもある。
エミールは短機関銃を手に取り、手馴れた動作で構える。
そして先ほどの明日香と同じくらい冷徹に躊躇なく掃射する。
だが同時に――
「――守護」
黒髪の魔術師の周囲を囲むように円柱状の氷の壁がそそり立つ。
即ち【氷壁・弐式】。
敵が転移のミスを立て直す間に、明日香も次の一手を刺し終えていた。
堅牢な氷の壁を創り出す防御魔法を、自分の周囲を囲むように行使したのだ。
掃射された30発の小口径弾が、分厚い氷壁の表面を削る。
だが、それだけ。空しくも止められた弾丸は堅い音をたてて床を転がる。
追加の魔力を注ぎこむまでもない。
「糞ったれ……っ!」
奇襲を防がれた敵は逡巡する。
その先の見通しを立てていなかったからだ。
「貴方たちのトレーナーはクイーン・ネメシスかしら?」
意識して冷静な口調で問いかける。
「何故それを!?」
「超能力を行使するときの癖が、少し似てるのよ」
戦ってみた感想からカマをかけたら、あっさり引っかかった。
別に自分の性格が嫌らしい訳じゃない。
先方の、心を読めない相手への反応が年相応の子供みたいに無邪気なのだ。
あの調子じゃ舞奈を受け持った姉の方は立場が逆転しているのではなかろうか。
脳裏に浮かんだ雑念を振り払うように務めて余裕ありげな笑みを浮かべ、
「けれど貴方はネメシスじゃないわ。同じ戦い方じゃ、わたしには勝てないわよ?」
諭すように言葉を続ける。
「う……うるさい! おまえに何がわかる!」
対するエミールは叫びながら【転移能力】で氷壁の内側に跳びこもうとする。
だが思いなおす。
……と、そんな感じだろうか。
一瞬の躊躇の間に感情が顔に出すぎて、舞奈でなくても動揺が見て取れる。
たぶん、ひとりで窮地に立たされるのは初めてなのだろう。
これまでの戦闘(あるいは暗殺)では、姉弟はクイーン・ネメシスの指示を受けていたのだろう。トレーナー兼保護者である彼女に責任を肩代わりしてもらっていた。
いわば守られていた。
……まるで舞奈と出会う前、仲間たちに守られていた幼い自分自身と同じに。
追憶を振り払うように明日香は「大自在天よ」と唱えて冷気の魔力を賦活する。
そして「拘束」と唱える。
同時に氷壁の正面から光線が放たれる。
対象を氷の茨で拘束する【氷棺・弐式】。
氷壁を構成する自身の魔力を流用すれば、同じ冷気の術の行使は容易だ。
エミールは咄嗟に【転移能力】で光線を避ける。
光線は空しく虚空を射抜いて床を射抜く。
当たった周囲を氷の茨が這いまわる。
その様子を見やってエミールの表情が強張る。
「糞っ! 【氷結檻】まで投射するのか!」
「【氷棺・弐式】。高等魔術の【氷の檻】に相当するわ」
明日香は思わずいつもの調子でうんちくを語り、
「……あと言葉遣いが下品」
「う・る・さ・い!」
思わず指摘する明日香をエミールは睨みつける。
そうしながらも、割と『当たったら最期』な表情をしているのが印象的だ。
保護者兼トレーナーの彼女と違って【加熱能力】は苦手なのだろうか?
感知できる超能力の量からは別に相手が得意な技術はわからない。
あるいは隙を見せたら負けると過剰に警戒されているか?
どうやら敵は魔術師と戦ったのも初めてらしい。
どちらにせよ、敵は凍結する光線を回避するのが好きでも得意でもないらしい。
だから明日香はクロークの内側から小振りな錫杖を取り出し、
「ハヌッセン・文観」
呪文を唱えるとともに、錫杖の柄がひとりでに術者の背丈ほどの長さにのびる。
杖の先端で、蛍光灯の光を浴びた髑髏が金属質に輝く。
髑髏を囲う輪形に通された16個の遊環がシャランと涼やかな音色を奏でる。
即ち双徳神杖。
戦闘魔術師が施術に用いる聖なる杖。
明日香は錫杖を両手で構え、矢継ぎ早に冷凍光線を放つ。
容赦も忖度もない。
エミールは今にも殺されそうな形相で転移する。悪態をつく余裕もない。
双徳神杖は魔力を創造し持続的に供給することで術者の施術をサポートする。
本来は【火炎放射】【冷気放射】といった放射する術に使用する。
だが投射するタイプの術に使えば、通常ではあり得ない連続行使を可能とする。
加えて壁の冷気を流用できるのだから、気分はほとんど機関銃だ。
「くっ……!!」
何度目かにエミールの姿が消え、光線が残像を空しく射抜く。
直後、【魔術感知・弐式】が今まではなかった方向に魔力を感知。背後だ。
敵は光線を避けつつ隙をうかがい、背後に転移したらしい。
必要以上に距離が遠いのは力場を警戒した故か?
明日香は杖を構えたまま振り返る。
敵は短機関銃を掃射する。
小口径弾が氷壁に深く突き刺さる感触。
銃に【念力剣】をかけていたらしい。【魔術感知・弐式】にも反応。
エミールはニヤリと笑う。
敵が気分よく火力で押している最中に、背後に転移して奇襲。
相手が並の術者なら、このまま油断から強度が弱まった壁を突破できる。
そう考えるのもやむを得ない状況だ。
だが明日香は「大自在天よ」と唱えて氷壁を修復する。
そして再び【氷棺・弐式】を撃ちまくる。
突き出した杖の先、氷壁の外側から放たれるので敵には付け入る隙もない。
「糞っ! 糞っ! 卑怯だぞ!」
「サイキック暗殺者のその言葉は、褒め言葉として受け取っておくわ」
冷凍光線の雨あられを【転移能力】の連続行使で辛くも避けつつ、エミールは機動の合間に罵り声をあげる。正直なところ、動体視力や反射神経は悪くはない。
必殺の奇襲が失敗したのを察した後の切り替えの早さも。
それでも明日香は少し機嫌が悪くなる。
相手の態度が気に入らない。
殺傷力のない補助魔法で拘束を試みている時点で慈悲深いと思ってもらいたい。
それ以上の配慮が必要だとは思えないのだが。
だが、それでも口元には不敵な笑み。
自身に負ける要素がないからだ。
敵の【転移能力】による接敵は【力盾】の斥力場で無力化できる。
他の種類の奇襲も【魔術感知・弐式】で察知可能。妖術師は身体そのものが魔法感知に反応し、しかも遠距離攻撃の手札を持たない。
銃を使われても【氷壁・弐式】で防護可能。
ロケットランチャーくらい使われても、追加の魔力を注ぎこめば耐えられる。
もうひとつの敵の十八番【精神読解】は【虚心・弐式】で無力化済み。
もちろん【能力消去】による消去は完全に対処できる。
要するに相手の手札はすべて封じられている。
仮に【戦闘予知】を使えたとしても、自分が負けると一足先にわかるだけだ。
加えて魔術師は都度に魔力を創造して施術する。
だが妖術師は己が身体に宿る魔力を消費して施術する。
つまり、こちらの手札は無限。
対する相手のリソースは有限。
こちらに一切の手出しができぬまま、超能力が尽きるまで踊り続けるしかない。
だがエミールは口元を歪めてはいるが諦めてはいない様子。
だから明日香も施術の合間に――
「――Kommen」
『『『『Ja!』』』』
影の中に潜ませていた式神を召喚する。
あらわれたのは、4体の実体のない影法師。
明日香は天津飯のつもりがタマゴの怪物になるくらいイメージの具現化が不得手だ。
それでも各々が携えた短機関銃の銃身が、蛍光灯のネオンに照らされ無骨に光る。
「なんだと!? 糞ったれ!」
目前にあらわれた影の兵士を見やり、エミールの表情が強張ったそれに変わる。
無理もないだろう。
敗北が濃厚、しかも増援の可能性も撤退の余地もない状況で、敵の増援。
それによって引き起こされる感情はただひとつ。絶望だ。
だが【転移能力】で距離を取ったエミールは口元を引き締める。
年若いサイキック暗殺者は、まだ絶望はしていないらしい。
懐から何かを取り出す。
先の戦いでクイーン・ネメシスが持っているのを見た。
プリドゥエンの守護珠の破片だ。
「……なるほど、そう来るのね」
「ああ! これしかないからな!」
エミールは叫ぶ。
そして破片を掲げて集中を始める。
おそらく魔道具の破片から、さらなる超能力を引き出すために。
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