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第16章 つぼみになりたい

戦闘3-2 ~銃技vs超能力

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――雨が止んだら

 歌が聞こえる。
 透き通った綺麗な歌声。
 歌い手は小学生~中学生ほどの少女だろうか。

――顔を上げて
――街を見渡すの

 音源は外だ。
 どうやら拠点の近くにスピーカーが設置されているらしい。

 敵はMumの【念砦ネスト】を破るだけの魔力を確保すべくライブを放送し、術者たちの魔力を賦活し増大させた。
 正直、Mumが【念砦ネスト】を創造する際に同じ曲を聴いていたなら状況は違った。
 あるいは【能力増幅サイ・アンプリファイ】でMumを補佐した自分たちが。
 そう言い切れるほど、それは鮮烈なロックンロールだった。

 同じスピーカーで次の曲を流しているのだろう。

 曲目は、双葉あずさの『つぼみになりたい』。
 今日のコンサートで初披露された新曲だ。
 そう志門舞奈の記憶が主張する。

 あずさは舞奈の知人らしい。以前に護衛して以来の仲だそうだ。
 舞奈はあずさを、利発で善良な人物だと評価している。
 容姿についても好ましく思っている。特に胸が大きいのが良いらしい。

 そんなあずさの舞台を、本当なら志門舞奈は友人と行く約束だったらしい。

――そこに貴女がいたら素敵だと
――願いながら

 クラリスは心の迷いを振り払うように剣で薙ぐ。

 プリドゥエンの守護珠の破片から超能力サイオンを引き出すことによる自身の強化。
 それによって威力と大きさを増した【精神剣マインド・ソード】の大剣を振るう。
 実体のない黒い刃が小さなツインテールの先をかすめる。

 そうしながら、同様に強化された【精神読解マインド・リード】によって、今のクラリスは表層思考だけでなく、少しなら心の奥底に秘められた本心や記憶をも覗くことができる。
 だから脳裏に映る志門舞奈の記憶に、クラリスの心は無意識に引き寄せられる。

 舞奈は過去にも読心能力者と相対したことがあるらしい。
 というより『エンペラー』なる彼女らの敵が、【思考精査プローブ・ソウツ】というケルト魔術による読心手段を貸与した刺客を度々送りこんでいたらしい。
 割と酷い状況だ。
 だが、そのせいで彼女は今でも心を読まれる覚悟が常にできている。

 だから彼女は自分やエミールに会ったとき、心乱さずにいられた。
 心を読む相手を他の無能力者たちのように恐れ、嫌悪することはなかった。
 見た目や仕草だけでなく、心まで凛としていた。

 クラリスは念じるだけで志門舞奈の目前から消える。
 次の瞬間、彼女の背後にあらわれる。【転移能力テレポーテーション】だ。

 間髪入れず、手にした大剣を振り下ろす。
 精神の剣に重さはない。それによる攻撃の遅延も制限もない。
 なのに舞奈は、まるで背後が見えていたかのように横に跳んで避ける。
 実体のない巨大な刃が、音もなく抵抗もなく床にめりこむ。

(何て動き!? まるで――)
「――水や空気みたいだって思ったかい? ハハッよく言われるんだ」
 軽口を無視して刃を床から抜く。
 精神によって形作らた剣は床と重なっただけで埋まってはいない。
 だから間髪入れず、重量も慣性もない動きで横向きに大きく薙ぐ。
 だが志門舞奈は巨大な剣を、苦も無く跳んで回避する。

 次いで【転移能力テレポーテーション】で再び背後に跳び、振り向きざまに突く。
 それすら彼女は軽く重心を傾けて避ける。
 風ひとつない凪のように穏やかな心のまま。

 黒い巨大な精神剣を振るい、【転移能力テレポーテーション】【加速能力アクセラレート】を駆使して追い詰めながら、クラリスは志門舞奈の思考に触れ続ける。

 追い詰めて……いるはずだ。
 今の自分はプリドゥエンの守護珠の破片から超能力サイオンを借り、【能力増幅サイ・アンプリファイ】で自分のあらゆる能力を倍増させて彼女に挑んでいるのだから。
 対して彼女は手にした拳銃ジェリコ941をこちらに向けようとすらしない。

 読心の能力【精神読解マインド・リード】をみだりに使うのは危険だ。
 特に術者への行使は自殺行為だ。相手の施術に巻きこまれて自分の心が消えるから。

 だが志門舞奈は術者じゃない。
 それに彼女と自分しかいないこの場所なら、他の人間の表層思考がノイズになって頭が痛くなることもない。
 だからエミールと相談して、2人を分断して倒すことに決めた。

 こちらも2人一緒じゃないとゲシュタルトは使えない。
 ゲシュタルトとは互いに【能力増幅サイ・アンプリファイ】を行使して超能力サイオンを倍増させる技術だ。
 行使者同士の超能力サイオンの波長が合わないと十分な効果を発揮しない。

 だが今は砕けてなお超能力サイオンを秘めたプリドゥエンの守護珠の欠片を代用している。
 エミールとそれぞれ少しでも波長に合うものを選んだのだ。
 同等とは言わないが近い効果を得ることができる。

 そんなクラリスの意識は志門舞奈の脳裏に浮かぶ過去の断片に引き寄せられる。

 幼い舞奈は幾度となく心の奥に隠していた弱みを握られ、危機に陥った。
 だが彼女の側には、彼女が『家族のように信頼する』仲間がいた。

 調子に乗った刺客のうち何人かは『母親のように優しい』『美佳』の心を読んだ。
 すると彼らは恐ろしい怪物と化した。
 読んだ心の中に『何か』を見たせいで精神が完全に変質し、肉体がそれに追従した。
 何故なら萌木美佳はエイリアニスト。
 深遠で謎めいた魔術師ウィザードの中でも、群を抜いて恐ろしく危険な存在。
 その存在を確認したら速やかに意識を閉じて、何をおいても逃げろ、とMumから厳命されていた意味が志門舞奈の記憶の断片から理解できた。

 だが、それより悲惨なのは『強くて頼りになる』『一樹』の心を読んだ刺客だ。
 果心一樹は刃物と戦闘、そして殺しが好きだった。
 正直、記憶の上澄みから読み取れる情報からだけでも酷い人物だとわかる。
 最悪の種類のヴィランと同じくらい残忍で危険な少女だ。
 だが幼い舞奈と萌木美佳にだけは優しく、仲間として振る舞った。
 自分たちにとってのクイーン・ネメシス――Mumと同じに。

 そんな一樹は相対した敵を斬り殺す様子を常にイメージしていた。
 彼女の心を読むと、それを殺される側として目の当たりにすることになる。
 覗いた心に満ちているのは自身の死だ。何百、何千もの。様々な手段による。
 自身を惨たらしく斬り刻む歓喜。圧倒的な殺意。

 だから刺客は幼い舞奈の目には『突然』に、命乞いをしながら逃げ出した。
 うちの何人かは高い場所から落ちて、美佳が地面に刺した盾の尖っていない部分に刺さって果てた。

 読心能力を鍛錬する者に課せられる禁忌のうち、最悪のひとつを破った者の末路。
 志門舞奈の言葉を借りるなら、ロクなものじゃない。

 だが他人事ではない。
 自分やエミールだって、精神的な危険と常に隣り合わせだ。
 他者の心の闇を何度も目の当たりにしたり……その方面の訓練も受けた。
 だから悪意や下卑た思考に対する耐性はある。
 少しばかり顔には出るかもしれないが、平気だ。
 敵の思考に釣られてミスするようなことも、本来ならしない。

 ……相手が志門舞奈でなければ。
 何故なら彼女は――

「――あんた! 接近戦の訓練もちゃんとしてるんだな」
(やれやれ頑張ってるカワイ子ちゃんに、華を持たせてやれないのが心苦しいぜ)
(あと正直、奈良坂さん(oo)にも見習って欲しいんだが)
 自分に対して敵意をまるで持っていない。
 超高速で振り回される意思の剣に触れた瞬間、昏倒すると知っているのに。
 目前の超能力者サイキックが敵だと認識しているのに。
 彼女の大事な誰かを遠い何処かに運び去ろうとしていることを正しく理解しているはずなのに、反撃しようとすらしていない。

 奈良坂さんというのはプリンセスの護衛をしていた眼鏡の女子高生のことだ。
 奇襲の【精神剣マインド・ソード】であっさり気絶した様を思い出し、釣られるように苦笑する。

 そう。志門舞奈の心は純粋だ。
 強者が弱者に抱くような侮蔑はない。
 超能力サイオンを持たない者が超能力者サイキックに抱くような羨望も、恐怖もない。
 男が女に抱くような独占欲も。
 女が女に抱くような嫉妬も。
 そういった汚いものが何もない。

 ただ真正面から、ありのままのクラリス・リンカーと向き合おうとしている。
 だからなのかもしれない、

――道の隅の小さな草だけど
――いつも、そっと貴女を見上げてた

「おおっと!」
(さっきより狙いが良くなってるな!)
 渾身の力で振り抜いた精神の大剣を、彼女は苦も無く跳んで避ける。

 舞奈は自分の動きのすべてを見抜く。
 まるで最初から知っているかのように。
 まるで超強力な【戦闘予知コンバット・センス】でも使っているかのように。
 雨粒が重力に引かれて地に落ちるような、自然の理のような明白な現象として一瞬後の自分の動きを正確無比に把握している。

 当人は空気の流れや匂いや温度を読んでいると認識している。
 だが、そんなことが本当に可能なのかはわからない。
 読心の超能力サイオン精神読解マインド・リード】は占術じゃないからだ。
 読み取れるのは心だけで、真実じゃない。
 それでも彼女がそう信じるものを、自分も信じてみたいと思う。

「こいつはおっかない」
(けど肩に力が入ってるなあ。重さはないんだから、軽く振れば良いと思うんだが)
(いやでも、クラリスちゃんが凄く剣の腕前が上達する必要はないか)
 軽口を叩きつつ、志門舞奈は黒い斬撃からまるで……風か流水のように逃れる。
 そうしながら意識の何割かは目前の少女に向けられる。

 それだけじゃない。そうクラリスは理解する。
 舞奈の思考は様々なノイズで満ちている。
 相手や周囲の動きに呼応して、様々な記憶が賦活される。

 クラリスがふるう巨大な剣の形状から、力を求めて破滅した三剣刀也少年のこと。
 必死に立ち向かう表情から、ハゲた金髪の悪魔術師のこと。
 ウェーブがかかった髪がなびく様子から、かつては敵で今は友である桂木楓のこと。
 その妹である紅葉のこと。
 彼女ら姉妹の亡くなった弟である瑞葉少年のこと。

 志門舞奈の心の中にはたくさんの人たちがいる。
 自分より少し短いはずの人生で、これまでに出会った多くの人々。
 いつも側にいる友人。
 もう会えなくなってしまった人たち。

 彼女ら、彼らとの出会いのすべてを志門舞奈は大切に記憶している。
 情が深いのだ。
 自分たちの大切なMumのように。
 だから彼女にとって、すべての出会いが力になる。

 追憶を誤魔化すように、舞奈は口元に軽薄な笑みを浮かべる。
 けれど出会いと別れを濃密に繰り返した彼女の瞳は、どこまでも真摯だ。
 そんな彼女の仕草に、心に、注視せずにはいられない。
 なぜなら彼女の生き様は眩しくて、見る者すべてを魅了するから。
 歌と同じように。

――気がつくと、なびく貴女の髪を
――惹かれるように、見てた

 クラリスは剣を薙ぐ。
 舞奈は避ける。
 目が合うと笑う。

 そんな幾度と繰り返した攻防を、続けていたいとクラリスは思う。
 思ってしまう。

 まるで洗礼されたダンスのように。
 彼女の一挙一動を、その先を読もうとする。
 自身もそれに追いつこうとする。

 なのに舞奈は剣戟をしのぐことなどこれっぽっちも考えていない。
 意識することもなく身体が避けるからだ。
 プリドゥエンの守護珠の破片を利用した【能力増幅サイ・アンプリファイ】で高めた【加速能力アクセラレート】よる超高速化、連続的な【転移能力テレポーテーション】による多角的な攻撃ですら。

 それほどまでに志門舞奈は戦闘に対して適性を持つ。
 彼女にとって超常の戦いは幼少からの日常だった。
 だから命のやり取りの最中ですら、彼女の心は静かで涼やかだ。

 故に彼女の身体もまた、何時の間にか攻撃の範囲の外にいる。
 まるで理不尽な夢のように。
 子供の頃に見た手品のように。
 その動きは追おうとすると風に吹かれる雨粒のように気まぐれで、予測することすらできない。超高度な魔術による欺瞞だと言われた方が腑に落ちる。

 けれど彼女は如何なる魔法とも無縁だ。
 何故なら彼女の動きに合わせ、他の無能力者と同じように思考の欠片が周囲に散る。
 彼女が【精神遮蔽マインド・シールド】のような読心への対抗手段を持っていないのは瞭然だ。

「……それなら、これは!」
 意思の剣を振り抜きながら、避けた舞奈を視界の端に捉えて集中する。
 別の超能力サイオンを行使するためだ。
 対象の精神を束縛して動きを止める【精神檻マインド・ケージ】。
 どれほど志門舞奈が素早くとも精神に対する直接攻撃は防げないはず。

 心を縛る超能力サイオンは普通の人間には効果があまりない。
 容易に心を操ることができるのは、確たる自我を持たぬCarrierの特徴だ。
 それでも【魔力と精神の支配】技術に熟達したクラリス・リンカーが仕掛けた精神攻撃を無にすることはできない。一瞬の隙を作ることくらいはできる。
 そうすれば必殺の【精神剣マインド・ソード】ないし【精神波マインド・ブラスト】で昏倒させられ――

――遠い貴女に触れられなくても
――わたしを振り向きさえしなくても

「――えっ?」
 だがクラリスの超能力サイオンは、志門舞奈の心の端をつかむことすらできない。

 何故なら志門舞奈にとって、一瞬の隙は無限と同じ。
 舞奈自身がそうやって一瞬の隙を逃さず数々の勝利をつかみとってきた。
 だから彼女の心に隙は無い。常に自然体だ。

 そんな無防備で、なのに何処までも強くて綺麗な彼女の心。彼女の思考。
 心の片隅で、志門舞奈はクラリス自身の容姿に想いを馳せる。
 ワンピース姿と……匂いから、かつて淡い想いを抱いていた萌木美佳を連想する。
 現在の恋人である真神園香を想い浮かべる。

 だから傷つけたくないと願う。
 志門舞奈は過去に大事なものを幾つも失って、だから、もう何も失いたくないから。
 守りたいと、想ってくれる。

――貴女の声が聞こえるのならば
――そう、それだけで幸せ

「振りが遅くなってるぜ! 疲れたかい?」
「当たらない……っ! どうして!?」
 何度目かの斬撃を、変わらぬ軽快さで舞奈は避ける。
 変わらぬ軽薄さで笑う。
 高度な超能力サイオンを使って襲いかかる敵が、疲労していないか本気で案じながら!

「どうして……?」
 問いが漏れる。
 だが答えは次の瞬間、彼女の心から提示される。

 3年前の舞奈の仲間は今はいない。
 その経緯は彼女の心の奥底に慎重に秘められ探ることすらできない。
 彼女の心はこんなにもオープンなのに、閉ざされた心の奥底は深く見通せない。

 それでも彼女は欠損した世界を受け入れ、夢見るように生きている。
 失くしたものの代替に、目に映るすべてを愛そうとしている。
 誰も取りこぼさないように、決して忘れないように。
 もう2度と後悔をしないように。

 だから志門舞奈はいつも側の誰かを気遣っている。
 そうしながら目前の事柄を軸足に過去の断片を手繰り寄せ、懐かしむ。

 志門舞奈にとって少女との出会いは無限。
 過去への想いは永遠。

 それは、なんて広大な想いなのだろう。
 なんて深い愛なのだろう。

 志門舞奈の心を探り、身体を追いかけるうちにクラリスは何となくわかってきた。

 舞奈は経験則的に『攻撃が当たらない動き』を見極め、無意識に実践しているのだ。
 何故なら彼女が超自然の戦場を生きのびたのは小学2年生の頃。
 四則演算や読み書き、あるいは母国語の会話と同じレベルの一般常識として、魔法によるものを含むすべての近接攻撃からの生存術を身に着けていた。
 周囲のあらゆる事象に意識を向け、神経を研ぎ澄ます癖がついていた。
 言うなれば近接戦闘のスパルタ教育のようなものだ。

 そうしながら志門舞奈の表層思考は目前のクラリスへと向かう。

 一瞥するだけで普通の人間が凝視するより多くを見て取る。
 側にいるだけで、空気の流れや温度や匂いを元に相手の身体のすべてを把握する。
 生来の鋭敏な感覚と、幼少から鍛えあげられた集中力によって。

 どちらが超能力者サイキックなのかわからない。
 クラリスは思う。
 自分は超能力サイオンを駆使して心を読めるだけなのに、相手にとって自分は丸裸だ。

 けど彼女にそうされるのは、正直なところ嫌いじゃないと感じていた。
 どちらが【精神檻マインド・ケージ】で心を縛られているのかわからない。

 自分はMumを取り戻すために彼女を倒さなくてはならないのに。
 なのに彼女に視られるのは嫌いじゃない。
 細やかな空気の流れから質量を、温度を、匂いを感じられるのは嫌じゃない。
 彼女に意識を向けられるのは嫌じゃない。
 自身に向けて彼女の心から放たれる好意は、例えようもなく純粋で綺麗だから。

 何故ならクラリス自身も彼女を見ていた。
 あの時――プリンセスと『【機関】のSランク』の情報をつかもうと彼女らの学校に潜入した時から。
 火曜日の夜、食堂で束の間の邂逅を果たした時にも。

 本当は、こんなことを考えちゃいけないはずなのに。
 今の彼女は敵なのに。
 大好きなMumを取り戻すために、彼女を倒さなければいけないのに。

 彼女の心を、存在を感じるのは嫌いじゃない。
 彼女に想われるのが嫌いじゃないと感じるのと同じくらい。
 そういう感情を表す名を、まだクラリスはMumから教わっていない。

――頑張る貴女
――微笑む貴女
――泣き出しそうな顔さえ、わたしを強くする

「おおっと! もう御仕舞かい?」
 志門舞奈は軽薄に笑いながらロフトを見上げる。

 何故なら次の瞬間、クラリスは舞奈の目前から消えた。
 直後、ロフトの上に出現する。

 自分が何をしようとしているか、志門舞奈は見抜けるようになっていた。
 短い――だが舞奈にとっては濃密な邂逅の中で、彼女は自分の動きを読めるようになっていた。まるで乙女が想い人の一挙一動を予測するように。
 彼女は自分のすべてを理解し、受け入れている。
 真逆なはずの両者の願いが、すり合わせできると本気で信じようとしている。
 そんな彼女の心の動きに、思わず引き寄せられそうになる。

 ずるい、とクラリスは思った。
 自分は彼女を倒さなければならないのに。
 倒して、その先に進まなきゃならないのに。

 だからワンピースのポケットから破片を取り出し、見やる。
 プリドゥエンの守護珠の破片。
 割れた直後は七色に輝いていた破片も、今や彩色を失っている。
 破片にこもった魔力が枯渇しているのだ。
 もう時間がない。

 ロフトの下の彼女を見下ろす。
 彼女も自分を見上げて笑う。

 この状態から志門舞奈を無力化できる手段がひとつだけある。
 破片の魔力をすべて吸い上げ、持てるすべての力を使って【精神波マインド・ブラスト】を放つ。

 部屋中に拡散する精神攻撃を、如何に志門舞奈とて避けることはできない。
 超能力サイオンを持たない彼女には対抗策もない。
 防御不可能な精神波を喰らえば只では済まないことも彼女自身は理解している。
 現に先ほど、範囲攻撃の気配を察して木箱の陰から跳び出した。

 もちろん一か八かの賭けだ。
 志門舞奈がそれに耐えきれば……それ以上、自分に抗う術はない。

 けれど、自分にはこれ以外に先に進む手段はない。
 そうクラリスは決意した。
 Mumや皆とのささやかな幸せを取り戻す手段はこれしかない。
 志門舞奈を倒すしか。

 ロフトの上で破片を取り出した超能力者サイキックを見やり、舞奈も意図を察したようだ。
 だが彼女の危機感は薄い。
 サイキック暗殺者による【精神波マインド・ブラスト】を恐れていない?
 否、それも心を読まれると知っていて何かのブラフか、あるいは慢心だ。

――貴女は気づかないけど
――そうよ、ここにわたしは居るよ

 だから先ほどの【能力増幅サイ・アンプリファイ】と同じように意識を集中する。
 そして、解き放つ。

 途端、部屋中に黒い精神の嵐が吹き荒れる。
 その渦中に巻きこまれた志門舞奈は――

――貴女の声に、励まされながら
――ひっそりここで、生きてる

「――うへっ! これは酷い」
(っっ……。クラリスちゃんは大丈夫なのか?)
 軽く頭を押さえて耐える。
 それでも混濁した意識の中、舞奈の意識が向けられる先は自分。
 敵であるはずの目前の少女の……無事だ。

 クラリスは驚愕した。
 自身のすべてをかけた必殺の波動を……魔法的な防護もなく防いだ……?

「どう……して……?」
 声に反応して、志門舞奈は顔を上げる。
 驚くクラリスを見やって安堵する。
 それでも表情の端々と、散らばった表層思考の断片に、苦痛の片鱗が見て取れる。

 思考の断片を繋ぎ合わせ、舞奈が耐えられた理由を推察する。
 彼女は精神攻撃に耐性があるらしい。
 少なくとも彼女自身はそう認識している。
 パートナーである黒髪の彼女が定期的に歌う『酷い歌』が実質的な精神攻撃への防御術の訓練になっていると、少なくとも彼女自身は思っている。

 そんな馬鹿なことはあり得ないと思う。
 だが以前に【精神読解マインド・リード】に流しこまれた恐ろしい卵の怪物のビジョンを考慮すれば彼女にはそういうことができると判断することもできる。
 何故なら件の彼女は魔術師ウィザードだ。
 なにより、現に目前の志門舞奈は、その訓練とやらのおかげで意識を保っている。
 そして少し苦しそうではあるけれど、変わらぬ優しい瞳で自身を見上げる。

 よかった、彼女が笑っていてくれて。
 彼女に……嫌われていなくて。

 釣られるように笑った瞬間、クラリスは意図せずよろける。
 今の一撃ですべての超能力サイオンを使い果たしたからだ。
 もちろんプリドゥエンの守護珠の破片は粉々に砕けて消えた。
 加えて超能力サイオンと半ば連動した自身の体力も限界。だから、

「……あっ」
 しまった、と思た時にはもう遅い。
 ロフトのへりから足を踏み外す。

 そのままロフトから落ちる。

 下の床までは舞奈の45口径拳銃ジェリコ941の撃ち上げを凌げるくらいの距離がある。
 そんなところに超能力サイオンによる防護もなしに、真っ逆さまに落ちたらどうなるか?

 だが不思議と恐怖はなかった。
 志門舞奈が【精神波マインド・ブラスト】を恐れなかったように。

 だから次の瞬間、包まれるような感触。

 まるで雨粒が地に落ちるように。
 自然の理のように。
 気づくと彼女の腕の中にクラリスは『墜ちて』いた。
 その感覚は嫌いじゃなかった。

 何故なら彼女は小柄だけど、両腕はMumと同じくらい堅く引き締まっている。
 子供だから胸の膨らみはないけれど、二の腕と同じくらいあたたかく逞しい胸板の感触は、まるで小さな父親に抱きすくめられているようだ。

 何故か彼女の心がわかる。
 超能力サイオンが枯渇した今の自分に【精神読解マインド・リード】は使えないはずなのに。

 否、今の自分が感じているものは超能力サイオンで覗き見た思考じゃない。
 Mumの【精神遮蔽マインド・シールド】で防護されていてすら放散される感情と同じだ。
 今の彼女の心を満たす感情は安堵。
 目の前の少女を救うことができた、と。

 舞奈の心を感じ、クラリスの全身に愛と喜びが満ち溢れる。
 だから少しだけ賦活された超能力サイオンが、彼女の心を自身とつなぐ。

(ああ、彼女の心はなんて広くて、大きいのだろう……)
 自身の心に流れこむ光景に心を奪われる。

 志門舞奈の心の中で最も美しい情景の中、数多の少女が微笑んでいる。
 そこには彼女の友人たちが余さず並んでいる。
 そして舞奈が過去に出会った少女たちも。
 年齢も顔立ちも異なる数多の少女たちは皆が可憐で美しい。

 彼女自身の力強さと優しさが周囲の人々を奮い立たせるのと同じくらい。
 彼女の思い出の中の少女たちは、彼女の心に無限の愛を――魔力を賦活する。
 そんな想いが幼い最強を、さらなる高みへ押し上げる。

 そう。彼女の心の中には沢山の恋人がいる。
 何故なら出会った女性に手当たり次第に好意を抱き、絆を深めようとしているから。
 なのに全員に等しく、深く愛を注いでいる。

 そういうことが志門舞奈にはできる。
 身体が屈強で感覚が優れているのと同じくらい、彼女の心は強くて優しい。

 だから楽しげに微笑む少女たちの中に、見つけてしまった。
 ウェーブのかかった金色の髪をなびかせた、見惚れるように美しい――

――もしも生まれ変われるのなら
――やわらかなつぼみになりたい

(――彼女の心に映ったわたしは、なんて綺麗なんだろう)
 自身を包みこむ力強い腕を、愛を感じながら、彼女の胸に身をまかせる。

――小さな庭の花壇の片隅で
――貴女の、好きな花に、咲けますように

「ずるいよ……」
 思わず言葉が漏れる。
 そんな吐息のような言葉すら彼女は余さず聞き取る。
 そして愛しいと、可愛らしいと思ってくれる。

 最初から、彼女に勝てる訳なんかなかったのだ。
 心を読むことに特化した自分が、こんなに大きく広い愛を持った相手に。
 こんなに美しい心を、無防備にさらけ出す相手に。

「そんな風に何もかも見透かされて、肯定されたら、わたし――」
「――よく言われるさ」
 かすれる言葉を遮るように甘い声でそう言って、彼女は自分に口づける。

 抵抗など、できるはずもなかった。
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