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第15章 舞奈の長い日曜日
戦闘2-1 ~銃技vsサイコトロニクス
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「サーシャと呼んでもらおう」
白人男たちが『センセイ』と呼ぶロシア美女。
彼女は不敵に笑いながら、隙の無い構えをとる。
鍛え抜かれた筋肉がミチミチと微かな音を立てる。
大人にしても背が高く、下手すれば視点は先ほどの男たちより上だ。
銀色の髪を短く刈り上げ、精悍な顔立ちのせいか笑みも凄みを帯びて見える。
肌の色は抜けるような白。
ラフなシャツにカーゴパンツという飾らない格好も、形の良いバストと引き締まった長躯のせいで映画の女ヒーローみたいに様になる。
長い手足は舞奈と同じくらいしなやかで鍛え抜かれている。
自然体に似た構えはロシアのシステマか。
他の白人男たちとは格が違う。
なるほど『センセイ』などと呼ばれるわけだ。
彼女が持つ強力な超能力の存在を差し引いてなお。
「そのナリからすると、あんたもロシアの超能力者か?」
舞奈は軽い口調で問いながら、油断なく身構える。
キュロットの裾から覗く太ももの筋量は対峙するサーシャと同格。
「ああ。……そういう貴様は本当に超能力を持っていないのだな」
サーシャも身構えたまま微笑する。
「そういうのもわかるんだな」
「それどころか妖術師でも、呪術師ですらない。もちろん魔術師じゃないのはわかる」
「馬鹿呼ばわりかよ」
口元をへの字に曲げる舞奈を見やり、サーシャも口元に楽しげな笑みを浮かべる。
まあ実際、けなす意図はないのだろう。
高度な魔術や呪術ではなく肉体と戦闘技術で戦う舞奈に親近感を抱いているのだ。
おそらく自分も同じだから。
己が身体に宿る魔力を操る妖術師は、技術により魔力を生みだしたり集めたりする他の術者ほど術に傾倒していない。
中でも超能力は術の研究と行使を完全に分業している。
だから行使者である超能力者のメンタリティは、術者と言うより異能力者に近い。
そんな彼女は周囲で床に転がる白人男たち(雇い主)を一瞥し、
「それに比べてだらしないぞ、お前たち! 起きろ!」
叫びに応じて、空気が揺らぐ。
ケルト呪術の【妖精の召使】、あるいは超能力の【念動力】をもっと微弱にしたような、色も音もないが空気を伝播する何らかの波動。途端、
「ううっ……」
「センセイ、人使いが荒いっす……」
倒れ伏していた男たちがよろよろと立ち上がる。
その様子は映画に出てくるゾンビのようにも、あるいは疲れた酔っ払いにも見える。
おそらく【思念の波動】という術だろう。
超能力を全周囲に放出し、昏倒ないし疲弊していた男たちを叩き起こしたのだ。
特殊な電磁波として放出される超精神工学の超能力は、広範囲への施術も容易だ。
「ブラック企業かよ」
舞奈は苦笑する。
その目前に、間髪入れずに肉薄するサーシャ。
数メートルの距離を脚力だけで一瞬で詰めてきた。
だが舞奈も自分ができる程度の奇襲には対処できる。
「下がってろ」
「きゃっ志門さん何を!」
麗華を後ろに突き飛ばしつつ、サーシャの拳を素手の左で受け止める。
そして互いに跳び退る。
双方の口元には笑み。
相手は初手から接近戦を挑んできた。
仲間を銃から守るため?
――否、これが奴の得意な距離だ。
待ちかねたように躍動する筋肉の動きでわかる。
長い脚から繰り出される刃のように鋭い蹴り。
だが舞奈は軽く身をよじって回避する。
次いで距離を詰めつつパンチの連打。
さすがに子供の背丈に合わせて身をかがめて殴るには慣れていない様子。
それでも放たれる無数の拳は機銃の如く。
だが、それすら舞奈は口元に笑みを浮かべて踊るように避ける。
そんな殺陣のような攻防に、周囲の白人男たちが、背後の麗華が目を見張る。
「速いな。身体強化か?」
舞奈は何食わぬ表情のまま問う。
無論、矢雨を避ける機械のように鋭く緻密に機動しながら。
「ああ。【速度の力】だ」
サーシャも同じ調子で答える。
その精悍な口元に浮かぶのは舞奈と同じ笑み。
白く鋭い拳の端が、小さなツインテールの先を幾度かかすめる。
身体強化に拮抗する舞奈の身体能力を、彼女は部下の男たちのように恐れない。
逆に自身は他の超能力を使えるアドバンテージに驕らない。
それは彼女が優れた超能力者であり、数多の修羅場をくぐった兵士である証拠だ。
「貴様こそ、拳銃《ジェリコ》は使わないのか?」
「無駄弾は撃たない主義なんだ」
油断なく構えながらも軽く答える舞奈に「そうか」と返す。
実のところ、できれば背後の麗華に銃声を聞かせたくない。
彼女はかつて、舞奈が怪異と異能の世界から救い出した日常の一部だから。
そんな思惑に気づいているのか、いないのか。
サーシャは子供の背丈に合わせて低く構え、
「なら、これはどうだ?」
掌底を繰り出す。
舞奈は横に跳んで避ける。
跳び退らなかったのは経験によって培われた直感の賜物だ。
それまでのパンチにはないタメへの違和感が舞奈を後ろでなく横に跳ばせた。
超能力者は施術に動作も詠唱も必要としない。
それでも身体に宿る超能力が溢れだして別の何かに変わる感覚は、下の毛の一本が引っこめられたりのびたりする感触よりは察知しやすい。
だから舞奈の残像を、サーシャの掌からのびた氷の蔓が貫く。
即ち【氷河の拳】。
先ほど見張りのモヤシ君が使った【氷結剣】と同じ氷の超能力だ。
だが射程は少しばかり長い。
それは彼女が武術だけでなく超能力にも熟達した、いわば術者である証。
「……ほう、避けるか」
感嘆の声と共に、舞奈を捉え損ねた氷の蔓は溶けて消える。
だが溶けた氷蔓の根元に掌はない。
サーシャは既に動いていた。
スライドするように素早く舞奈の死角に回りこむ。
振り向く間もなく回し蹴る。
横向きのギロチンのように重く鋭いブーツのつま先。だが、
「おおっと」
それすら舞奈は軽く身をかがめて避ける。まるで見えていたかのように。
虚空を切り裂く蹴りの軌道にあわせて美しい稲妻のアークが描かれる。
こちらは稲妻を宿らせる【紫電の拳】。
ジェイクの【放電剣】と同等の超能力。
彼より出力が高いのも同じだ。
渾身以上の力をこめた蹴りを外したサーシャは、だが素早く体勢を立て直す。
避けられるのも想定済みか。
だからか無理に追撃もしてこない。
代わりに距離をとって身構える。
舞奈が拳銃を向けた途端、身をよじって射線を避ける。
舞奈の口元には笑み。
サーシャも同じ表情で笑う。
正直なところ、彼女と戦うのは少し楽しい。
麗華を背にした魔道士との戦闘は、今の舞奈の――【掃除屋】の原点でもある。
違いは相手が幼い魔術師か、熟練の妖術師かということだけだ。
それに彼女は先の戦いで倒した蔓見雷人と同等かそれ以上の使い手。
いわば好敵手だ。
だが彼女は誘拐犯ではあるものの、人としての一線を超えてはいない。
煙草を吸っていない普通の人間だ。
だから彼女に負けを認めさせれば戦いは終わる。
滅ぼす必要はない。
そんな彼女は単に隙が少ないだけじゃない。
舞奈の拳銃を正しく警戒している。
舞奈が撃たないという理由で油断したりはしない。手練れだからだ。
だが逆に、それは彼女が銃を警戒しなければいけないことをも意味する。
どんなに彼女が強くとも、超能力者は妖術師の一流派だ。
魔術師のように魔力を無限に創造することによる圧倒的な攻撃や防御とは無縁。
つまり身体強化を得意とする彼女の超能力に、銃弾を防げる手札はない。
警戒の仕方からすると、大口径弾で接射すれば付与魔法を破壊できるはずだ。
一方、取り巻きの白人男たちは舞奈に近づけない。
麗華を捕らえようとすることすらできない。
噂を超える舞奈の技量に恐れをなしているからだ。
知恵ある人間は怪異とは違う。
だから『最強』の存在が、手にした1丁の銃が、男たち全員への抑止力となる。
……まあ術を使って叩き起こした意味がないと言われればその通りだが。
苦笑する舞奈にサーシャは再び挑みかかる。
数多の拳が、蹴りが空気を切り裂く。
だが、いずれの打撃も舞奈を捉えることはできない。
舞奈は空気の流れで肉体の動きを読み、驚異的な瞬発力で避ける。
だから肉体から繰り出される打撃は、あるいは刀剣すらも舞奈に対しては無力。
それが魔術も妖術も使えぬ舞奈がSランクたりえる所以だ。
加えて格闘技とは、打撃の威力を増すために動作を最適化する技術だ。
そして最適化された動きは予測しやすく、回避しやすい。
銃弾を超えるほどには速くも小さくもなれないのに、挙動は直線的になる。
だから舞奈ほどの使い手からすると、むしろ彼女の攻めは避けやすい。
「これでも……無理なのか……!?」
跳び退って呼吸を整えながら、サーシャは驚愕に目を見開く。
舞奈は涼しい顔で笑う。
「拳も蹴りも……空気のように通り抜け、水のように自在に攻めへと転ずる。あえて問おう。貴様は本当に血肉でできた人間なのか?」
「いや、あんたが言うなよ」
超常現象をいくつも操る超能力者に対し、苦笑しながらそう答える。
それに比べれば舞奈は普通だと思うのだが。
「いや、それとも【速度の力】が妨害されているのか……?」
言いつつ不意に距離をとる。
訝しむ舞奈の視線の先で、白人男たちの輪の中で一番手前で見ていたイワンに肉薄。
「Ouch!?」
殴る。
イワンは吹っ飛び、奥に積まれたコンテナに激突する。
「……そんなことはないか」
「いや雇い主で試すなよ」
離脱したのと同じ速度で戻ってきたサーシャに苦笑する。
普段から仲間を(というかイワン氏を?)殴っていたのは本当らしい。
割ととんでもないセンセイではある。
「だいたい、あたしに異能力を妨害するような力はないよ」
言って口元に笑みを浮かべる。
そう。舞奈は術すら使えない。
鍛え抜かれた身体と技量だけで数多の敵と渡り合ってきた。
そんな舞奈だから、わかる。
彼女の手札が舞奈の知る魔術師ほどではないのは事実だ。
舞奈はそれらを見抜くことができるし、的確に警戒し対処することができる。
今までだって魔法を使う数多の強敵と戦ってきたから。
術者と轡を並べて戦ってきたから。
それこそが鍛え抜かれた身体と銃技だけではない、舞奈の強さだ。
だから格闘の技術でも超能力でも、彼女は舞奈を捉えることはできない。
それでも舞奈は、
「それに、あんただって凄いぜ」
口元に笑みを浮かべつつ、今度はこちらから肉薄して拳銃を向ける。
長身のロシア美女は最低限の動きで射線から逸れる。
舞奈と同じように、彼女も銃を知り尽くしているから正しく警戒できる。
そんな流れのままサーシャの蹴り。
舞奈は何食わぬ表情のまま跳んで避ける。
「異能で身体を強化してるってだけじゃない。拳も蹴りも速くて正確で、ショットガンを相手してるみたいにおっかない」
「賛辞は素直に受け取っておこう」
そう言って笑う彼女を真正面から見据えて身構える。
次の瞬間――
「――そのうえテレポートまでするんだ。そりゃセンセイ呼ばわりもされるさ」
いきなり背後を振り返り、振り下ろされた手刀を両腕をクロスさせて受け止める。
「今のを見抜いた!? しかも防いだ……だと……!?」
サーシャは驚愕する。
ギャラリーの男たちも、麗華も。
目を見開いたままのサーシャを見上げながら、舞奈は笑う。
一瞬前、予兆もなくサーシャの姿が消えたのだ。
そして舞奈の背後にあらわれた。
後頭部めがけて放たれたチョップを、だが舞奈は示し合わせたように受け止めた。
幸いにも【移動の力】――【転移能力】と同等の転移能力は、少なくとも彼女の技量では氷や稲妻といったPK能力と同時には使えないらしい。
それでも身体強化による渾身の力がこめられた必殺の奇襲。
それを舞奈は難なく察知し、受け止めた。
そのまま打撃の力を逃しがてら跳び退る。
ロシアが研究/開発した超精神工学による超能力。
その使い手を舞奈はひとり知っている。
他支部に転属したAランク執行人プロートニクだ。
ベルトに吊られたドリル刃で要所を隠したロシア美女。
彼女は半裸で空を飛び、以前には転移により高高度の戦闘に駆けつけてくれた。
だから同じ流派の術者を敵に回した今、短距離転移による奇襲くらいは想定内。
超精神工学による超能力は、超心理学によるそれとは幾つか異なる点がある。
素の異能力を鍛え、あるいは訓練により会得した超能力を、超精神工学を元にした施術では特殊な電磁波と化して術と成す。
そのせいで得手とする術も超心理学とは異なる。
特殊な電磁波を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
生命力を活性化させる【念力と身体強化】。
そして超精神工学最大の特徴である【物品と機械装置の操作と魔力付与】。
元巣黒支部の執行人であるプロートニクはその技術を活用し、転移と併用したドリル刃の投射による中距離攻撃を得意としていた。
だがサーシャは積極的に前に出るスタイル。
まあ、こちらのほうが本来の超能力者の戦い方なのだろう。
プロートニクはパートナーである仏術士グルゴーガンとの連携を考えて戦っていた。
そんなことを考えながら身構え――
「――うわっ!?」
前触れもなく唐突に、舞奈は遠くで見ていた男のひとりに肉薄。
そのまま渾身のタックルで突き飛ばす。
緊張感のない悲鳴をあげて吹き飛んだのは、またしてもイワンだ。
そして次の瞬間――
「――!!」
上から何かが降ってきた。
錆びた金属でできた何かが舞奈と太ましい彼の残像を押し潰す。
そのまま床に激突し、轟音と共に破片をまき散らしたのは巨大な蛇腹だ。
舞奈は思わず頭上を睨む。
天井を這っていたダクトのひとつが落ちてきたのだ。
すっかり忘れそうになっていたが、あの厄介な錆食い虫の仕業だ!
まあ確かに廊下より天井が高くて落下物を避けやすかった。
だが加速がつくので危険度はむしろ上だ。
人に当たったら大怪我では済まない。
並の術や異能力では防護ごと押し潰されるのがオチだ。
少なくともイワンの【不屈の鎧】じゃ無理だ。
舞奈が空気の流れでダクトの落下を察知できなければ危なかった。
先ほどまでは廊下で金具を錆びさせて食っていた錆食い虫。
それがわざわざ移動してきたのが嫌な感じだ。
錆びかけた金属でできた美味しそうなダクトの気配でも察したか?
コーティングされたキャンディ缶をかじりながら午前中を過ごした虫にとって、いたるところが錆びて朽ちかけた工場跡は、さしずめお菓子の家だ。
生意気にもはしゃいでいるのかもしれない。
まさか先ほど見失った小さな虫が、こんなことになるなんて。
正直なところ危険の度合いはサーシャ=錆食い虫>>>男たちである。
いっそのこと狙撃してやろうかとも思った。
だが流石の舞奈も、この距離から小さな虫の気配を察知するのは不可能。
じっくり観察すれば狙えなくもないのだろうが、この状況では無理だろう。
加えて頭上に打ち上げた弾丸が降ってくるのも相当に危険だ。
特に根拠はないが、太っちょイワン氏の短い金髪の上に落ちてきそうな気がする。
そんな舞奈の焦りも知らず、
「魔力も使わずに【くぐつの力】を!?」
サーシャは仰天して舞奈を見やる。
「貴様……何者だ?」
「いや、そういう訳じゃなくてだな……」
舞奈は思わず苦笑する。
呼称から察するに、術でも使ってダクトを落としたと思われたか?
酷い誤解もあったものだ。
まあ、交戦前に錆食い虫を放っておいてトラップ代わりにするなどというからくりには気づかないのが普通だ。舞奈自身も今の今まで気づかなかった。
それに舞奈は、彼女の鋭い体術に【速度の力】を重ねた打撃を避け続けた。
だから、その程度の勘違いは仕方がないと割り切る。
舞奈の機動に置いて行かれた麗華が駆け寄ってくる。
取り巻きの男たちは止められない。
落ちてくるダクトの恐怖に、それに抗した舞奈の偉業に圧されたからだ。
舞奈は麗華を背にかばい……
「……だが貴様はこれを、避けることも防ぐこともできない」
「奥の手って訳か」
サーシャは落下物など気にならぬ様子で構える。
あるいは工場内の危険に気づいて勝負を急いでいるのかもしれない。
だから舞奈も身構える。
彼女の次の一手は先ほどのような奇襲じゃない。
先ほどとは微妙に異なる彼女の構えで……筋肉の細やかな動きで舞奈は察した。
加えて大気そのものが、何かを恐れるように揺れ動く。
空気の流れを読み取る鋭敏な感覚がなくてもわかるほどに。
ロシアの超能力を修めたサーシャ。
そんな彼女が繰り出そうとしているのは、全身全霊をかけた一撃だ。
「……麗華様、もうちょっと下がっててくれ」
舞奈の言葉に従い、あるいは何かに圧されて麗華が後ずさる。
次の瞬間――
「――!!」
サーシャは真正面から跳びこんできた。
小細工なし。
速さと強さのみを追求した砲弾のようにまっすぐに。
そして舞奈を打ち据えるには少し遠い間合いから、鋭く掌を突きつける。
轟。
跳び退った舞奈に爆風が叩きつけられる――
――否。
風ではない。
斥力場のような不可視の力とも違う。
それが証拠に、
「きゃあぁ!」
「Ooooooouch!!」
「Ahhhhhhh!!」
距離をとったはずの麗華様や、白人男の取り巻きたちが苦しみだす。
斥力場ともエネルギーとも異なる、急速に爆発して空気を押しのける何か。
爆発そのものが微かな意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
ケルトの【妖精の召使】、超能力の【念動力】に似た物理現象と霊障の中間点。
拳や得物に超能力を宿らせ、打撃と同時に精神的な衝撃をまき散らす。
ミスター・イアソンの【念力撃】と同等の術。
思念を握りしめた拳という使い勝手もほぼ同じ。
デニスとジャネットを昏倒させたのもこの術だろうと舞奈は気づいた。
おそらく範囲や物理/精神へのダメージを、ある程度ならコントロールできるのだ。
そこで範囲と物理的影響を最小限に抑え、精神力の拳として叩きつけたのだろう。
無傷で護衛を無力化するための手段として。
それは超心理学とは異なり【魔力と精神の支配】技術を持たぬ超精神工学による精神攻撃の手札でもある。
今の一撃も理屈は同じ。
吹き飛ばされたのは余波に過ぎない。
あらゆる打撃を避ける舞奈を捉えるべく、範囲を広げて精神的な爆発として放った。
目論見が成功すれば、舞奈も(彼女の雇い主と一緒に)無力化されるはずだった。
だが、
「……つつっ」
ふらつきながら、舞奈は牽制がわりに拳銃を構える。
そうしながら左手で頭を押さえる。
なるほど、これは酷い。
打撃を完全に避けたはずなのに、ズキズキと頭が痛む。
以前にくらったウィアードテールの幻術とも違う。
惑わされているのではないのだ。
直接的に精神が苛まれ蝕まれることによる意識の混濁、脱力感と疲労感。
「この感じ、どこかで……」
「……貴様! この距離でわたしの【思念の打撃】までをも凌ぐというのか!?」
サーシャが驚き、叫ぶ。
ある意味、その声のおかげで舞奈の意識が少しはっきりする。
彼女の声は、戦っている最中の敵の存在をあらわすものだから。
そして舞奈は――【掃除屋】は――ピクシオンは――敵には負けない。
思考の芯を確立したおかげで混濁の影響が薄まり、回り始めた頭で考える。
そして気づいた。
この恐ろしい感触を、舞奈は知っている。
精神に対する打撃のようなそれは、音楽の時間に聞いているアレに似ている。
この悪い魔法のような恐ろしいそれは……
「……ああ、鍛えられてるんでな」
口元に笑みを浮かべながら答える。
そう。明日香の歌に。
あの恐ろしい音楽の時間にほぼ毎回聞かされる、ただ歌を一曲歌うだけの数分を無限の拷問へと変える悪夢のような明日香のデスボイスに比べれば!
打撃のついでに少し気分が悪くなる程度、ものの数ではない。
そして精神的な攻撃を軽減するのも精神力だ。
慣れていると思うだけでも影響は弱まる。
歌。それは先の一連の事件でKASCが衰退させようとした文化の発露。
人の心に影響を与えるそれは、KASCの野望を挫く力にもなった。
そんな精神の力に、舞奈は今回も救われたのだ!
……悪い意味で。
舞奈よりなお離れた場所にいた麗華様も、男たちと一緒にぐったりしている。
だが、まあ彼女は音楽の時間にも人一倍ダメージを受けていた。
下々と違って繊細なのだろう。
ともかく、もはや舞奈に【思念の打撃】による無力化は効かない。
もちろん直撃されれば少しは堪えるのだろうが、そもそも接近戦で舞奈を捉えることはできない。
「貴様! 本当は何者だ!? あらゆる打撃も超能力もいなす! 何者だというのだ!?」
「いやその……なんだ」
驚きに目を見開くサーシャに、どう答えて良いのかわからず苦笑する。
その挙動を彼女は余裕と判断したのだろう。
「ならば止むを得ない。アレを……使うしかな!」
「まだ何かあるのか? あんた見た目と違って奥の手多いな!」
「【機械の体】を!」
叫ぶと同時に、長身のロシア美女の姿がまばゆい光に包まれて……
白人男たちが『センセイ』と呼ぶロシア美女。
彼女は不敵に笑いながら、隙の無い構えをとる。
鍛え抜かれた筋肉がミチミチと微かな音を立てる。
大人にしても背が高く、下手すれば視点は先ほどの男たちより上だ。
銀色の髪を短く刈り上げ、精悍な顔立ちのせいか笑みも凄みを帯びて見える。
肌の色は抜けるような白。
ラフなシャツにカーゴパンツという飾らない格好も、形の良いバストと引き締まった長躯のせいで映画の女ヒーローみたいに様になる。
長い手足は舞奈と同じくらいしなやかで鍛え抜かれている。
自然体に似た構えはロシアのシステマか。
他の白人男たちとは格が違う。
なるほど『センセイ』などと呼ばれるわけだ。
彼女が持つ強力な超能力の存在を差し引いてなお。
「そのナリからすると、あんたもロシアの超能力者か?」
舞奈は軽い口調で問いながら、油断なく身構える。
キュロットの裾から覗く太ももの筋量は対峙するサーシャと同格。
「ああ。……そういう貴様は本当に超能力を持っていないのだな」
サーシャも身構えたまま微笑する。
「そういうのもわかるんだな」
「それどころか妖術師でも、呪術師ですらない。もちろん魔術師じゃないのはわかる」
「馬鹿呼ばわりかよ」
口元をへの字に曲げる舞奈を見やり、サーシャも口元に楽しげな笑みを浮かべる。
まあ実際、けなす意図はないのだろう。
高度な魔術や呪術ではなく肉体と戦闘技術で戦う舞奈に親近感を抱いているのだ。
おそらく自分も同じだから。
己が身体に宿る魔力を操る妖術師は、技術により魔力を生みだしたり集めたりする他の術者ほど術に傾倒していない。
中でも超能力は術の研究と行使を完全に分業している。
だから行使者である超能力者のメンタリティは、術者と言うより異能力者に近い。
そんな彼女は周囲で床に転がる白人男たち(雇い主)を一瞥し、
「それに比べてだらしないぞ、お前たち! 起きろ!」
叫びに応じて、空気が揺らぐ。
ケルト呪術の【妖精の召使】、あるいは超能力の【念動力】をもっと微弱にしたような、色も音もないが空気を伝播する何らかの波動。途端、
「ううっ……」
「センセイ、人使いが荒いっす……」
倒れ伏していた男たちがよろよろと立ち上がる。
その様子は映画に出てくるゾンビのようにも、あるいは疲れた酔っ払いにも見える。
おそらく【思念の波動】という術だろう。
超能力を全周囲に放出し、昏倒ないし疲弊していた男たちを叩き起こしたのだ。
特殊な電磁波として放出される超精神工学の超能力は、広範囲への施術も容易だ。
「ブラック企業かよ」
舞奈は苦笑する。
その目前に、間髪入れずに肉薄するサーシャ。
数メートルの距離を脚力だけで一瞬で詰めてきた。
だが舞奈も自分ができる程度の奇襲には対処できる。
「下がってろ」
「きゃっ志門さん何を!」
麗華を後ろに突き飛ばしつつ、サーシャの拳を素手の左で受け止める。
そして互いに跳び退る。
双方の口元には笑み。
相手は初手から接近戦を挑んできた。
仲間を銃から守るため?
――否、これが奴の得意な距離だ。
待ちかねたように躍動する筋肉の動きでわかる。
長い脚から繰り出される刃のように鋭い蹴り。
だが舞奈は軽く身をよじって回避する。
次いで距離を詰めつつパンチの連打。
さすがに子供の背丈に合わせて身をかがめて殴るには慣れていない様子。
それでも放たれる無数の拳は機銃の如く。
だが、それすら舞奈は口元に笑みを浮かべて踊るように避ける。
そんな殺陣のような攻防に、周囲の白人男たちが、背後の麗華が目を見張る。
「速いな。身体強化か?」
舞奈は何食わぬ表情のまま問う。
無論、矢雨を避ける機械のように鋭く緻密に機動しながら。
「ああ。【速度の力】だ」
サーシャも同じ調子で答える。
その精悍な口元に浮かぶのは舞奈と同じ笑み。
白く鋭い拳の端が、小さなツインテールの先を幾度かかすめる。
身体強化に拮抗する舞奈の身体能力を、彼女は部下の男たちのように恐れない。
逆に自身は他の超能力を使えるアドバンテージに驕らない。
それは彼女が優れた超能力者であり、数多の修羅場をくぐった兵士である証拠だ。
「貴様こそ、拳銃《ジェリコ》は使わないのか?」
「無駄弾は撃たない主義なんだ」
油断なく構えながらも軽く答える舞奈に「そうか」と返す。
実のところ、できれば背後の麗華に銃声を聞かせたくない。
彼女はかつて、舞奈が怪異と異能の世界から救い出した日常の一部だから。
そんな思惑に気づいているのか、いないのか。
サーシャは子供の背丈に合わせて低く構え、
「なら、これはどうだ?」
掌底を繰り出す。
舞奈は横に跳んで避ける。
跳び退らなかったのは経験によって培われた直感の賜物だ。
それまでのパンチにはないタメへの違和感が舞奈を後ろでなく横に跳ばせた。
超能力者は施術に動作も詠唱も必要としない。
それでも身体に宿る超能力が溢れだして別の何かに変わる感覚は、下の毛の一本が引っこめられたりのびたりする感触よりは察知しやすい。
だから舞奈の残像を、サーシャの掌からのびた氷の蔓が貫く。
即ち【氷河の拳】。
先ほど見張りのモヤシ君が使った【氷結剣】と同じ氷の超能力だ。
だが射程は少しばかり長い。
それは彼女が武術だけでなく超能力にも熟達した、いわば術者である証。
「……ほう、避けるか」
感嘆の声と共に、舞奈を捉え損ねた氷の蔓は溶けて消える。
だが溶けた氷蔓の根元に掌はない。
サーシャは既に動いていた。
スライドするように素早く舞奈の死角に回りこむ。
振り向く間もなく回し蹴る。
横向きのギロチンのように重く鋭いブーツのつま先。だが、
「おおっと」
それすら舞奈は軽く身をかがめて避ける。まるで見えていたかのように。
虚空を切り裂く蹴りの軌道にあわせて美しい稲妻のアークが描かれる。
こちらは稲妻を宿らせる【紫電の拳】。
ジェイクの【放電剣】と同等の超能力。
彼より出力が高いのも同じだ。
渾身以上の力をこめた蹴りを外したサーシャは、だが素早く体勢を立て直す。
避けられるのも想定済みか。
だからか無理に追撃もしてこない。
代わりに距離をとって身構える。
舞奈が拳銃を向けた途端、身をよじって射線を避ける。
舞奈の口元には笑み。
サーシャも同じ表情で笑う。
正直なところ、彼女と戦うのは少し楽しい。
麗華を背にした魔道士との戦闘は、今の舞奈の――【掃除屋】の原点でもある。
違いは相手が幼い魔術師か、熟練の妖術師かということだけだ。
それに彼女は先の戦いで倒した蔓見雷人と同等かそれ以上の使い手。
いわば好敵手だ。
だが彼女は誘拐犯ではあるものの、人としての一線を超えてはいない。
煙草を吸っていない普通の人間だ。
だから彼女に負けを認めさせれば戦いは終わる。
滅ぼす必要はない。
そんな彼女は単に隙が少ないだけじゃない。
舞奈の拳銃を正しく警戒している。
舞奈が撃たないという理由で油断したりはしない。手練れだからだ。
だが逆に、それは彼女が銃を警戒しなければいけないことをも意味する。
どんなに彼女が強くとも、超能力者は妖術師の一流派だ。
魔術師のように魔力を無限に創造することによる圧倒的な攻撃や防御とは無縁。
つまり身体強化を得意とする彼女の超能力に、銃弾を防げる手札はない。
警戒の仕方からすると、大口径弾で接射すれば付与魔法を破壊できるはずだ。
一方、取り巻きの白人男たちは舞奈に近づけない。
麗華を捕らえようとすることすらできない。
噂を超える舞奈の技量に恐れをなしているからだ。
知恵ある人間は怪異とは違う。
だから『最強』の存在が、手にした1丁の銃が、男たち全員への抑止力となる。
……まあ術を使って叩き起こした意味がないと言われればその通りだが。
苦笑する舞奈にサーシャは再び挑みかかる。
数多の拳が、蹴りが空気を切り裂く。
だが、いずれの打撃も舞奈を捉えることはできない。
舞奈は空気の流れで肉体の動きを読み、驚異的な瞬発力で避ける。
だから肉体から繰り出される打撃は、あるいは刀剣すらも舞奈に対しては無力。
それが魔術も妖術も使えぬ舞奈がSランクたりえる所以だ。
加えて格闘技とは、打撃の威力を増すために動作を最適化する技術だ。
そして最適化された動きは予測しやすく、回避しやすい。
銃弾を超えるほどには速くも小さくもなれないのに、挙動は直線的になる。
だから舞奈ほどの使い手からすると、むしろ彼女の攻めは避けやすい。
「これでも……無理なのか……!?」
跳び退って呼吸を整えながら、サーシャは驚愕に目を見開く。
舞奈は涼しい顔で笑う。
「拳も蹴りも……空気のように通り抜け、水のように自在に攻めへと転ずる。あえて問おう。貴様は本当に血肉でできた人間なのか?」
「いや、あんたが言うなよ」
超常現象をいくつも操る超能力者に対し、苦笑しながらそう答える。
それに比べれば舞奈は普通だと思うのだが。
「いや、それとも【速度の力】が妨害されているのか……?」
言いつつ不意に距離をとる。
訝しむ舞奈の視線の先で、白人男たちの輪の中で一番手前で見ていたイワンに肉薄。
「Ouch!?」
殴る。
イワンは吹っ飛び、奥に積まれたコンテナに激突する。
「……そんなことはないか」
「いや雇い主で試すなよ」
離脱したのと同じ速度で戻ってきたサーシャに苦笑する。
普段から仲間を(というかイワン氏を?)殴っていたのは本当らしい。
割ととんでもないセンセイではある。
「だいたい、あたしに異能力を妨害するような力はないよ」
言って口元に笑みを浮かべる。
そう。舞奈は術すら使えない。
鍛え抜かれた身体と技量だけで数多の敵と渡り合ってきた。
そんな舞奈だから、わかる。
彼女の手札が舞奈の知る魔術師ほどではないのは事実だ。
舞奈はそれらを見抜くことができるし、的確に警戒し対処することができる。
今までだって魔法を使う数多の強敵と戦ってきたから。
術者と轡を並べて戦ってきたから。
それこそが鍛え抜かれた身体と銃技だけではない、舞奈の強さだ。
だから格闘の技術でも超能力でも、彼女は舞奈を捉えることはできない。
それでも舞奈は、
「それに、あんただって凄いぜ」
口元に笑みを浮かべつつ、今度はこちらから肉薄して拳銃を向ける。
長身のロシア美女は最低限の動きで射線から逸れる。
舞奈と同じように、彼女も銃を知り尽くしているから正しく警戒できる。
そんな流れのままサーシャの蹴り。
舞奈は何食わぬ表情のまま跳んで避ける。
「異能で身体を強化してるってだけじゃない。拳も蹴りも速くて正確で、ショットガンを相手してるみたいにおっかない」
「賛辞は素直に受け取っておこう」
そう言って笑う彼女を真正面から見据えて身構える。
次の瞬間――
「――そのうえテレポートまでするんだ。そりゃセンセイ呼ばわりもされるさ」
いきなり背後を振り返り、振り下ろされた手刀を両腕をクロスさせて受け止める。
「今のを見抜いた!? しかも防いだ……だと……!?」
サーシャは驚愕する。
ギャラリーの男たちも、麗華も。
目を見開いたままのサーシャを見上げながら、舞奈は笑う。
一瞬前、予兆もなくサーシャの姿が消えたのだ。
そして舞奈の背後にあらわれた。
後頭部めがけて放たれたチョップを、だが舞奈は示し合わせたように受け止めた。
幸いにも【移動の力】――【転移能力】と同等の転移能力は、少なくとも彼女の技量では氷や稲妻といったPK能力と同時には使えないらしい。
それでも身体強化による渾身の力がこめられた必殺の奇襲。
それを舞奈は難なく察知し、受け止めた。
そのまま打撃の力を逃しがてら跳び退る。
ロシアが研究/開発した超精神工学による超能力。
その使い手を舞奈はひとり知っている。
他支部に転属したAランク執行人プロートニクだ。
ベルトに吊られたドリル刃で要所を隠したロシア美女。
彼女は半裸で空を飛び、以前には転移により高高度の戦闘に駆けつけてくれた。
だから同じ流派の術者を敵に回した今、短距離転移による奇襲くらいは想定内。
超精神工学による超能力は、超心理学によるそれとは幾つか異なる点がある。
素の異能力を鍛え、あるいは訓練により会得した超能力を、超精神工学を元にした施術では特殊な電磁波と化して術と成す。
そのせいで得手とする術も超心理学とは異なる。
特殊な電磁波を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
生命力を活性化させる【念力と身体強化】。
そして超精神工学最大の特徴である【物品と機械装置の操作と魔力付与】。
元巣黒支部の執行人であるプロートニクはその技術を活用し、転移と併用したドリル刃の投射による中距離攻撃を得意としていた。
だがサーシャは積極的に前に出るスタイル。
まあ、こちらのほうが本来の超能力者の戦い方なのだろう。
プロートニクはパートナーである仏術士グルゴーガンとの連携を考えて戦っていた。
そんなことを考えながら身構え――
「――うわっ!?」
前触れもなく唐突に、舞奈は遠くで見ていた男のひとりに肉薄。
そのまま渾身のタックルで突き飛ばす。
緊張感のない悲鳴をあげて吹き飛んだのは、またしてもイワンだ。
そして次の瞬間――
「――!!」
上から何かが降ってきた。
錆びた金属でできた何かが舞奈と太ましい彼の残像を押し潰す。
そのまま床に激突し、轟音と共に破片をまき散らしたのは巨大な蛇腹だ。
舞奈は思わず頭上を睨む。
天井を這っていたダクトのひとつが落ちてきたのだ。
すっかり忘れそうになっていたが、あの厄介な錆食い虫の仕業だ!
まあ確かに廊下より天井が高くて落下物を避けやすかった。
だが加速がつくので危険度はむしろ上だ。
人に当たったら大怪我では済まない。
並の術や異能力では防護ごと押し潰されるのがオチだ。
少なくともイワンの【不屈の鎧】じゃ無理だ。
舞奈が空気の流れでダクトの落下を察知できなければ危なかった。
先ほどまでは廊下で金具を錆びさせて食っていた錆食い虫。
それがわざわざ移動してきたのが嫌な感じだ。
錆びかけた金属でできた美味しそうなダクトの気配でも察したか?
コーティングされたキャンディ缶をかじりながら午前中を過ごした虫にとって、いたるところが錆びて朽ちかけた工場跡は、さしずめお菓子の家だ。
生意気にもはしゃいでいるのかもしれない。
まさか先ほど見失った小さな虫が、こんなことになるなんて。
正直なところ危険の度合いはサーシャ=錆食い虫>>>男たちである。
いっそのこと狙撃してやろうかとも思った。
だが流石の舞奈も、この距離から小さな虫の気配を察知するのは不可能。
じっくり観察すれば狙えなくもないのだろうが、この状況では無理だろう。
加えて頭上に打ち上げた弾丸が降ってくるのも相当に危険だ。
特に根拠はないが、太っちょイワン氏の短い金髪の上に落ちてきそうな気がする。
そんな舞奈の焦りも知らず、
「魔力も使わずに【くぐつの力】を!?」
サーシャは仰天して舞奈を見やる。
「貴様……何者だ?」
「いや、そういう訳じゃなくてだな……」
舞奈は思わず苦笑する。
呼称から察するに、術でも使ってダクトを落としたと思われたか?
酷い誤解もあったものだ。
まあ、交戦前に錆食い虫を放っておいてトラップ代わりにするなどというからくりには気づかないのが普通だ。舞奈自身も今の今まで気づかなかった。
それに舞奈は、彼女の鋭い体術に【速度の力】を重ねた打撃を避け続けた。
だから、その程度の勘違いは仕方がないと割り切る。
舞奈の機動に置いて行かれた麗華が駆け寄ってくる。
取り巻きの男たちは止められない。
落ちてくるダクトの恐怖に、それに抗した舞奈の偉業に圧されたからだ。
舞奈は麗華を背にかばい……
「……だが貴様はこれを、避けることも防ぐこともできない」
「奥の手って訳か」
サーシャは落下物など気にならぬ様子で構える。
あるいは工場内の危険に気づいて勝負を急いでいるのかもしれない。
だから舞奈も身構える。
彼女の次の一手は先ほどのような奇襲じゃない。
先ほどとは微妙に異なる彼女の構えで……筋肉の細やかな動きで舞奈は察した。
加えて大気そのものが、何かを恐れるように揺れ動く。
空気の流れを読み取る鋭敏な感覚がなくてもわかるほどに。
ロシアの超能力を修めたサーシャ。
そんな彼女が繰り出そうとしているのは、全身全霊をかけた一撃だ。
「……麗華様、もうちょっと下がっててくれ」
舞奈の言葉に従い、あるいは何かに圧されて麗華が後ずさる。
次の瞬間――
「――!!」
サーシャは真正面から跳びこんできた。
小細工なし。
速さと強さのみを追求した砲弾のようにまっすぐに。
そして舞奈を打ち据えるには少し遠い間合いから、鋭く掌を突きつける。
轟。
跳び退った舞奈に爆風が叩きつけられる――
――否。
風ではない。
斥力場のような不可視の力とも違う。
それが証拠に、
「きゃあぁ!」
「Ooooooouch!!」
「Ahhhhhhh!!」
距離をとったはずの麗華様や、白人男の取り巻きたちが苦しみだす。
斥力場ともエネルギーとも異なる、急速に爆発して空気を押しのける何か。
爆発そのものが微かな意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
ケルトの【妖精の召使】、超能力の【念動力】に似た物理現象と霊障の中間点。
拳や得物に超能力を宿らせ、打撃と同時に精神的な衝撃をまき散らす。
ミスター・イアソンの【念力撃】と同等の術。
思念を握りしめた拳という使い勝手もほぼ同じ。
デニスとジャネットを昏倒させたのもこの術だろうと舞奈は気づいた。
おそらく範囲や物理/精神へのダメージを、ある程度ならコントロールできるのだ。
そこで範囲と物理的影響を最小限に抑え、精神力の拳として叩きつけたのだろう。
無傷で護衛を無力化するための手段として。
それは超心理学とは異なり【魔力と精神の支配】技術を持たぬ超精神工学による精神攻撃の手札でもある。
今の一撃も理屈は同じ。
吹き飛ばされたのは余波に過ぎない。
あらゆる打撃を避ける舞奈を捉えるべく、範囲を広げて精神的な爆発として放った。
目論見が成功すれば、舞奈も(彼女の雇い主と一緒に)無力化されるはずだった。
だが、
「……つつっ」
ふらつきながら、舞奈は牽制がわりに拳銃を構える。
そうしながら左手で頭を押さえる。
なるほど、これは酷い。
打撃を完全に避けたはずなのに、ズキズキと頭が痛む。
以前にくらったウィアードテールの幻術とも違う。
惑わされているのではないのだ。
直接的に精神が苛まれ蝕まれることによる意識の混濁、脱力感と疲労感。
「この感じ、どこかで……」
「……貴様! この距離でわたしの【思念の打撃】までをも凌ぐというのか!?」
サーシャが驚き、叫ぶ。
ある意味、その声のおかげで舞奈の意識が少しはっきりする。
彼女の声は、戦っている最中の敵の存在をあらわすものだから。
そして舞奈は――【掃除屋】は――ピクシオンは――敵には負けない。
思考の芯を確立したおかげで混濁の影響が薄まり、回り始めた頭で考える。
そして気づいた。
この恐ろしい感触を、舞奈は知っている。
精神に対する打撃のようなそれは、音楽の時間に聞いているアレに似ている。
この悪い魔法のような恐ろしいそれは……
「……ああ、鍛えられてるんでな」
口元に笑みを浮かべながら答える。
そう。明日香の歌に。
あの恐ろしい音楽の時間にほぼ毎回聞かされる、ただ歌を一曲歌うだけの数分を無限の拷問へと変える悪夢のような明日香のデスボイスに比べれば!
打撃のついでに少し気分が悪くなる程度、ものの数ではない。
そして精神的な攻撃を軽減するのも精神力だ。
慣れていると思うだけでも影響は弱まる。
歌。それは先の一連の事件でKASCが衰退させようとした文化の発露。
人の心に影響を与えるそれは、KASCの野望を挫く力にもなった。
そんな精神の力に、舞奈は今回も救われたのだ!
……悪い意味で。
舞奈よりなお離れた場所にいた麗華様も、男たちと一緒にぐったりしている。
だが、まあ彼女は音楽の時間にも人一倍ダメージを受けていた。
下々と違って繊細なのだろう。
ともかく、もはや舞奈に【思念の打撃】による無力化は効かない。
もちろん直撃されれば少しは堪えるのだろうが、そもそも接近戦で舞奈を捉えることはできない。
「貴様! 本当は何者だ!? あらゆる打撃も超能力もいなす! 何者だというのだ!?」
「いやその……なんだ」
驚きに目を見開くサーシャに、どう答えて良いのかわからず苦笑する。
その挙動を彼女は余裕と判断したのだろう。
「ならば止むを得ない。アレを……使うしかな!」
「まだ何かあるのか? あんた見た目と違って奥の手多いな!」
「【機械の体】を!」
叫ぶと同時に、長身のロシア美女の姿がまばゆい光に包まれて……
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