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第15章 舞奈の長い日曜日
サイオン ~銃技&超能力vs異能力
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「平和維持組織【ディフェンダーズ】のミスター・イアソンかあ」
「ああ。普段はアーガスと名乗っている」
舞奈はスーツ姿のマッチョ――アーガス氏と並んで廃墟の通りを歩く。
道行く2人の左右には、崩れかけた廃ビル、廃ビル、廃ビルが飽きもせずに並ぶ。
ひび割れたアスファルトの大通りの方々には瓦礫や訳のわからないガラクタが散乱していて、おもてなしとは程遠い。
「さんきゅ」
「納得していただけただろうか?」
「まあな」
舞奈は手にしていたカードを、ひょいと側のアーガスに返す。
身分証明書だ。
そんな大事なものを子供に手渡すのはやや不用心だとは思う。
だが、このカード、触ってみた感じでは特別な製法で作られているようだ。
舞奈の銃器携帯/発砲許可証兼用の証明書と似ているだろうか。
それは彼が【機関】の執行人と同様の役割を担っている動かぬ証拠だ。
その事実を舞奈に伝える意図があったのだろう。
広くて大きな米国には、人も怪異もいっぱいだ。
なのに怪異など表向きには存在しないこという建前だけは小さな島国と同じだ。
そんな状況で【機関】のような単一の組織だけで市民を怪異から守ることは不可能。
多すぎる異能力者を管理しきれないせいで、異能で余人を害する怪人も多い。
そんな状況下で存在しないはずの災厄から人々を守るべく、複数の組織が存在する。
いくつかの条件をクリアし、国家の承認を得た民間組織。
それが、異能力(あるいは魔法)を操るヒーローたちを擁する平和維持組織だ。
彼を筆頭とした【ディフェンダーズ】もそのひとつらしい。
映画にもなったりして、割と有名なのだそうな。
もちろん彼らの活動はその理由も含めて本来は極秘とされる。
にも拘らず自身をエンターテインメントとして露出する活動方法にも理由がある。
米国では市民が当たり前に銃を持っている。
なので姿を隠してこそこそ活動していると、守るべき市民に撃たれてしまう。
だから彼らはヒーローのコスチュームに身を包むことにより、市民への敵対の意思がないことをアピールするのだ。
もちろん、その正体は最高機密。
こうして誰もが知っているが、公的には存在せず誰も正体を知らないヒーローが怪異や怪人を倒して回るという図式が成立する。
彼のミスター・イアソンという名もヒーローとしての仮の名。
本名がアーガスというわけだ。
「で、そのイアソンが、何だってこんな朝っぱらから人ん家に押しかけてきたんだ?」
言って舞奈は大あくび。
アーガス氏は特にデートのプランを決めずにアパートを訪れた。
とりあえず自分が訪問すれば喜ぶと思ったらしい。
なんだそりゃ。
なので舞奈は仕方なく、彼に観光案内して休日を過ごすことにした。
「この街に、この国の組織のひとつがあると聞いて挨拶に伺ったんだが」
「【機関】の支部のことか」
「そこでミス・ニュットに君の話を聞いたんだ」
「……何て?」
「廃墟の街に身寄りのない女の子が、ひとり寂しく住んでいると」
「…………」
静かな怒りに打ち震える。
あの無軌道な糸目に、誰かがいつか何か言う必要があると思った。
そんな風に顔をしかめる舞奈と、何食わぬアーガス氏。
舞奈の視界の斜め上で、頭の左右で角ののように固めた金髪と、生え際がダイナミックに後退したデコが眩しく光る。
そんな風に並んで歩く子供とマッチョを、廃ビルの上から痩せた野良猫が見ていた。
晴れ渡った朝の空を背景に、猫はあくび交じりに「ナァー」と鳴く。
ちなみに舞奈は彼に、今回の仕事とやらの内容についても聞いてみた。
だが、はぐらかされてしまった。
けどまあ彼が話したがらないということは、子供が聞いても別に面白くもない仕事なのだろうと解釈する。
……あるいは嫌でも、すぐに知ることができるのかもしれない。
他国の異能力者がわざわざ海を渡って訪れて、関係機関に挨拶するような仕事だ。
厄介事の気配しかない。
舞奈はKASCを巡る大きな仕事を片づけたばかりだ。
だが舞奈ほどの仕事人になると、自分から仕事を探す必要はない。
厄介事の方から巡り廻って……あるいは巡りもせず一直線に舞奈の元にやってくる。
ちっとも嬉しくないが。
そんなことを考えながら……
「……その身寄りのない女の子は、あんたが来なけりゃ昼まで寝てられたんだがな」
幅広のナイフを走らせる。
その軌跡に沿って、空気から滲み出るように何かが出現する。
首筋を裂かれた狼だ。
毒犬。
漆黒の毛と鋭い牙を持った、大型犬ほどもある猛獣。
集団で【偏光隠蔽】による奇襲を行う危険な怪異である。
だが舞奈にとっては会話の邪魔になる程度の犬っころでしかない。
実は先ほどから、散発的に毒犬が襲ってきているのだ。
通りの左右に立ち並ぶ廃ビルに潜んでいるらしい。
ビルの合間や、窓や戸のないドアから透明化状態で跳び出してくる。
理由は天敵である泥人間が激減したため。
先日に蔓見雷人が行った儀式の際に、それなりの量の泥人間が集まっていた。
例によって舞奈と明日香はそいつらを殲滅した。
その結果、天敵に食われる心配のなくなった毒犬が増えたのだ。
「おお、それはラッキーだった!」
「何がだよ?」
「こんな気持ちのいい朝を、寝て過ごすなんで人生の損失だ」
「……そりゃ御親切にどうも」
満面の笑みに、やれやれと肩をすくめてみせる。
そうしながら新手を仕留める。
まあ、天気がいいのは事実だが。
悪気がないのが余計に始末が悪い。
生え際も広がる良い年なのに、どこか素直な少年の様な人柄の良さをうかがわせる。
良い意味でも悪い意味でも裏表のない単純な性格らしい。
ヒーローらしいと言えば聞こえはいいが。
だがまあ彼も糸目の悪戯の被害者だ。
八つ当たりするのはお門違いだ。
「それにしたって、新開発区のあんな場所までよく来る気になったなあ」
「まあ、ある意味で我々の使命のひとつだからね」
「子供の御守りがか?」
言いつつ側にあらわれた毒犬をナイフで屠る。
彼もぶん殴って屠る。
自分を自分で子供呼ばわりすることに違和感がなくもない。
だが客観的にはそういうことだ。
極東の島国くんだりに、彼は仕事で訪れたといった。
だが怪異を殴り倒せる人間に相応しい仕事はベビーシッターではない。
それでも彼は変わらぬ笑みのまま、
「我々ヒーローは皆の――能力ある者たちの希望でなくてはならないのだ」
言った。
だから身寄りのない子供の噂を聞いて、一も二もなく慰問に訪れたということか。
「希望ねえ……」
ひとりごちつつ空を見上げる。
毒犬をあしらいながらも、そうする余裕が舞奈にはある。
そんな舞奈が見やる気持ちのいい青空とやらを、白い雲がゆっくりと流れる。
ふと脳裏をよぎるのは、先日の事件で倒した蔓見雷人のこと。
10年前、彼は自分の征く道が見つからなくて、ヤニを摂取し怪異になった。
そんな彼の前に、もし御節介なヒーローがあらわれていたら?
彼は進むべき道を見つけらていただろうか?
ロッカーとして人々に希望を与えた彼が、今度はヒーローとして希望そのものになろうと思っただろうか?
そんな思惑を誤魔化すように、
「そうやってアパートまで来たのか。見たところ【虎爪気功】のようだが」
言いつつ側の巨漢に目を戻す。
アーガス氏は毒犬を拳で叩きのめしている。
まあ銃の国の人間が、拳銃のひとつも持っていない理由はわかる。
コンビニで銃や実包が買えるらしい彼の国と違い、我が国で銃は社会的な武器だ。
一介の市民には持てない武器なのだ。
例外として善性と技量を何らかの権威に認められた者のみが持つことができる。
つまり舞奈が特別なのだ。
表向きには普通の入国者である彼は、自身の力だけで戦うしかない。
そういう理由があるにしろ、見えない奇襲に会話しながら対処する反射神経もさることながら、ナイフすら使わず撲殺というのは異能力による強化なしにはあり得ない。
そんなアーガス氏は、
「【強化能力】のことかね?」
「なんだそりゃ?」
「?」
「?」
舞奈と2人して首を傾げあった後、
「私は超能力という特殊なパワーを操る訓練を受けている」
言いつつ手近な瓦礫を宙に浮かしてみせる。
「……らしいな」
その様子がケルトの御業に少し似てると思いながら、なるほどとも思う。
彼は異能力者ではなく魔道士だったらしい。
魔力を大量に創造してる訳でも操っている訳でもなさそうなので妖術師だろうか。
そんなことを考える舞奈に、彼は自身の力について説明を始めた。
他国では、異能力や魔力の働きを科学的に解明しようとする学問があるらしい。
ロシアでは、それは超精神工学と呼ばれる。
半裸のロシア美女プロートニクが使っていたので舞奈も聞いたことがある。
そんな学問のアメリカでの呼称は、超心理学。
そういった各国の研究の成果として、疑似的な魔法の流派が誕生した。
それが超能力。
麗華様とは関係ない。
彼らは己が身に宿る異能の力を、特殊な訓練で会得した精神集中により術と成す。
要は舞奈の読み通り妖術だ。
トレーニングにより後天的に身体に異能力を宿らせることもできるらしい。
そんな超能力を修めた超能力者たちも、他の妖術師同様に3種の力を使いこなす。
PK能力を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
生命力を活性化させる【念力と身体強化】。
ESP能力で精神を操り、精神を源とする魔力を強化する【魔力と精神の支配】。
流派の特徴としては、術者ごとに使える術が大きく異なる点が挙げられる。
生来の異能力や本人の資質に合わせたトレーニングが重視されるためだ。
なので得意/不得意どころの話ではなく、大半の術者は特定の術しか使えない。
半面、使える術=熟達した術なので詠唱は不要。威力も科学的に保障される。
そのせいか、アメリカでは異能力も超能力の一種と認識されているらしい。
異能力者は単一の術のみ会得した超能力者という訳だ。
そして呼称もそれに準ずる。
つまり【虎爪気功】ではなく【強化能力】。
別の例では【火霊武器】ではなく【炎熱剣】。
あるいは【雷霊武器】でなく【放電剣】。
そんな中でアーガス氏――ミスター・イアソンが得手とするのは【強化能力】。
その基礎技術でもある【念動力】。
そこから派生した【転移能力】【浮遊能力】【念力撃】。
加えて【エネルギーの生成】【魔力と精神の支配】も多少なら使えるらしい。
そんなアーガス氏は、
「だが私から見れば君の戦い方のほうが驚異的だ」
「そうか?」
「ああ。超能力すら用いず、限られた物理的な力を敵の弱い部分にぶつけている。まるで物理学の教科書のように効率的だ」
「そりゃどうも」
惜しみない賛辞を贈る。
毒犬が跳びかかってくる勢いを利用して深く首筋を裂いているのに気づいたか。
そのように照れもせず人を褒めるタイプの人間は、舞奈の周囲では珍しい。
そんな風に2人して廃墟を進むうち、
「……」
「どうしたよ?」
アーガス氏が、とある一角で立ち止まった。
特に変哲のない廃ビルの前だ。
何時の間にか散発的な毒犬の襲撃は途切れている。
「このビルの中に誰かいるようだ。私の【精神感知】に反応があった」
「そんなこともわかるのか」
言いつつ舞奈もビルの周囲に目を配らせる。
なるほど件のビルの前に、バイクの残骸が転がっている。
おおかた土曜のうちに珍走団が入りこみ、毒犬に襲われたのだろう。
乗り手は幸か不幸か即死を免れ、ビルの中に逃げこんだといったところか。
それを彼は目ざとく見つけ、ヒーローらしく被害者を探すべく探知したのだろうか?
名前からすると【魔力と精神の支配】が内包するESPの一種だろう。
あるいは単に精神を感知する超能力とやらで、舞奈を探っていたついでだろうか?
まあ、それは今はどうでもいい。
「その術、死体の場所もわかるのか?」
「意識と感情がある者すべてが対象だ。ビル内の何者かは酷く怯えているようだな」
「……そうかい」
死体は怯えない。
実直なところ、バイクの音が鬱陶しいだけの特に腕の立つわけでもないあんちゃんが逃げこんだビルの中で土曜の夜を生き抜いたとは思えない。
だが舞奈の思惑が、術による調査を否定する理由にはならないのも確かだ。だから、
「脂虫かどうかの判別は?」
「Carrierかね? 私の力では無理だ。進行してZombieになれば別だが」
「へいへい、了解」
雑な返事を返しつつ、ガラス戸のない窓からビルの中を窺う。
脂虫=Carrier
屍虫=Zombie
というのが海外での呼称なのだろう。
そういえば以前に知り合ったガードマンも脂虫や屍虫をZombieと呼んでいた。
正直なところ、どうせ珍走団なんて十中八九が脂虫だろう。
そんな奴を救出するなんて目的で、用もない廃ビルを探検するのは面倒くさい。
だが彼にとっては違う。
いちおう脂虫というのは喫煙をする人間のことだ。
進行して身も心もゾンビになるまでは。
だから脂虫の段階では、術で健常な人間と区別することは難しいのだろう。
そして見知らぬ誰かの希望たるべくヒーローが、廃墟の街で見つけた生存者かもしれない人物を「だろう」で見捨てる訳にはいかないという事情もわかる。だから、
「どのあたりかわかるか?」
舞奈は戸のない玄関口を潜りながら拳銃を抜く。
ビルの何処かにいる何者かを救出すると決めたなら、ナイフで遊んでいる暇はない。
「おそらく2階だ。私が【転移能力】で行ってくる手もあるが……」
「いや狭すぎるだろう。直接行った方が早い」
言いつつ踏んだ瓦礫の陰からサソリのような尾をした虫が這い出し、逃げていく。
錆食い虫だ。
そんな様子を見やって舞奈は口元を歪める。
舞奈が聞きかじったところによると、魔法による転移は2種類に大別される。
ひとつは因果律を改変し、対象が『転移先にいたこと』にする方法。
こちらの特徴は安心・安全。
なにせ術者の願望通りに現実を創り変えるのだ。
術者がよほどアレな精神状態でもない限り、少しばかり無理のある転移を試みた場合でも『近くの穏当な場所にいたこと』になる。
だが、この方法には大量の魔力が必要となる。
だから以前に蔓見雷人が用いたような贄を使った裏技的な呪術を除くと、混沌魔術の【混沌変化】、ケルト魔術の【時空の制御】でしか実現不可能な高度な術だ。
なので一般的には、空間を歪めて『抜け道』を作って転移する。
空間湾曲には重力場が多用されるが、彼のは【念動力】の応用らしい。
こちらは上記に比べれば容易で実現性も高く、故に多くの流派で用いられる。
半面、対象は単純に元の場所から消えて、抜け道の出口にあらわれる。忖度はない。
故に転移前に対象がいた場所は真空になる。
到着地点では、そこにあった物質(普通は空気)を押しのけて出現する。
それでも普通ならば、急な空気の流れによって音が鳴る程度の影響しかない。
だが安易な手段には対抗策も障害も多い。
まず空間湾曲による抜け道は、同じ重力場によって容易く歪めることができる。
トンネルを掘るより崩す方がずっと簡単なのと同じ。
特に専用の妨害術でなくとも、例えば明日香の斥力場障壁でも転移への対策は可能。
なので魔道士に対する敵対的な転移は自殺行為だ。
もうひとつ、出口が安易に押しのけられない固体だった場合も危険だ。
対象が脆弱なら障害物に『出会い頭に激突』して酷い目に合う。
その上で周囲に投げ飛ばされたり、『抜け道』のこちら側に押し戻される。
逆に【強化能力】等により強化されていれば、障害物の方がぶっとばされる。
そして新開発区の人の住まない廃ビルは脆弱だ。
錆食い虫が鉄骨を食い荒らすせいだ。
そんなところに、しかも構造の把握の難しい半倒壊状態のところに転移などして、壁に埋まりそうになった挙句に衝撃でビルそのものが倒壊したら目も当てられない。
だから舞奈は油断なく拳銃を構えながら、そっと廃ビルの廊下を進む。
アーガス氏も静かに続く。
意図を察してくれて何よりだ。
倒壊の危険も避けたいが、他の物音も見逃したくない。
窓ガラスも戸もない廃屋に、毒犬が何匹か潜んでいるだろうことは想像に難くない。
そんなことを考えた矢先に曲がり角から跳び出してきた2匹を撃つ。
そして天井が崩れて半ば吹き抜け状態の階段を登る。
その先に、
「お、いたいた」
首尾よく目的のものを発見した。
というか、瓦礫の山の中からうめき声がする。
なるほど何かの拍子に壁が崩れ、生き埋めになったのだろう。
おかげで夜の間、毒犬の牙から逃れることもできた。
奴らは異能を持ち図体がでかいだけの犬っころだ。
透明化して奇襲する狩人だが、瓦礫の山から食い物を掘り出すのは苦手だ。
だが残念なことに、瓦礫の山の中からは声と一緒に煙草の悪臭もする。
予想こそしていたが、埋まっているのは喫煙者――脂虫のようだ。
脂虫は人間じゃないのは何処の国でも同じなはずだ。
だから放っておいて帰っても、まあ倫理上の問題はない。
あるいはアーガス氏に【念動力】で掘り返してもらうべきかと考えていると、
「……!!」
「サイオン・アップ!」
舞奈が跳び退るのと、その目前に派手なデザインの全身タイツが割って入るのと、瓦礫の山が爆発して中から怪物が飛び出したのは同時だった。
屍虫――脂虫が進行したモンスターだ。
海の向こうの言い回しではZombieか。
屍虫は雄叫びをあげながら、両手の指からのびた爪を振り下ろす。
それを派手でマッチョな全身タイツが受け止める。
「シモン君! 無事かね!?」
「おかげさまでな」
いや撃ちそうになったんだが。
派手な色をした背中のマントを見ながら苦笑する。
タイツの中身はアーガス氏だ。
すると派手なデザインのそれが、ヒーローのミスター・イアソンとやらか。
「……異装迷彩か」
ひとりごちたのは、超能力や異能力の源たる魔力で作られた特殊な衣装の名称だ。
通常は着用者が異能力を使うと崩壊し、しばらくしたら元に戻る。
気功により筋肉が肥大化する【虎爪気功】が服で身体を傷つけないために使う。
だが逆に、普段は存在しないが超能力の使用に応じて服にすることもできるらしい。
「そのまま押さえててくれ。すぐに片づける」
舞奈は拳銃を手にしたまま回りこむ。
マッチョな彼が身体強化の超能力【強化能力】を得意とするのは本当らしい。
異能力者の【虎爪気功】など比較にならぬ筋力で、屍虫の腕をガッチリ掴んでいる。
これならとどめを刺すのも容易だ。
敵の頭に銃口を突きつけて撃てばいい。だが、
「なあに、君に手間を取らせるつもりはない」
アーガス氏――ミスター・イアソンは不敵に言って、
「サイ・ブラスト!」
叫ぶと同時に屍虫の半身が『爆発』した。
斥力場ともエネルギーとも異なる、だが急速に破裂し空気を押しのける何か。
爆発そのものが微かな意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
ケルト呪術の【妖精の召使】に似た世界そのものと密接した不可思議な力。
いわば物理現象と霊障の中間点。
自身の超能力で生み出した【念動力】のパワーを収束させ、叩きつける。
それこそが【念力撃】。
超能力による近距離への魔法攻撃。
それはいい。だが、
「!?」
その衝撃でビルが崩壊を始めた。
「馬鹿野郎っ!?」
さすがに慌てて活路を探る舞奈の視界が一転する。
次の瞬間、舞奈はイアソンに抱きかかえられて空中にいた。
ビルが崩れる寸前に彼は舞奈と一緒に【転移能力】で脱出したのだ。
なるほど到着先に注意を要する空間湾曲による転移も、空へ逃れるなら安全だ。
しかも【浮遊能力】で飛行できるのならなおのこと。
「……ったく、どいつもこいつも瞬間移動で無理やり解決しようとしやがって」
明日香といい。
なまじ真面目で計算高い人間には共通する無茶の型でもあるのだろうか?
付き合わされる方は命がいくつあっても足りん。
愚痴る舞奈の足元で廃ビルが崩れる。
その中から、
「しかも生きてるじゃねぇか!」
屍虫が出てきた。
大屍虫でもないのに耐久力のある個体らしい。
「次こそは仕留めてみせよう」
「……選手交代だ」
術を上手に制御して着地するイアソンの前に、今度は舞奈が割って入る。
「さっき拳に術をかけて殴ってたろ?」
「あの一瞬で見抜いたのかね!?」
「まあな。同じ術をこいつの銃弾にかけられるか?」
「……なるほど。それが君の戦い方か」
舞奈は拳銃を手にしてニヤリと笑う。
イアソンもマスクの開いた口の部分を笑みの形に歪めて答えてみせる。
目前には、ビルの残骸を背にしてカギ爪を振り上げながら走り来る屍虫。
「超能力を収束させる。抵抗しないで受け入れてくれ」
「どういうことだ?」
「どんな人間の心身にも、生命そのものからなる微弱な超能力が宿っている。他者が君や君の持ち物に付与魔法をかけるには、君が心を開いて受け入れる必要がある」
「そんな風になってるのか」
なるほど、と舞奈は気づく。
人の心身は生命という魔力で守られている。
心も身体もその人自身のものだから、まるで術者が自身の魔法を魔法消去から守るように無意識に敵対的な魔法に抵抗する。
そうでなければ水や電気を操る術を直接身体に行使されて容易く破壊されてしまう。
だから本来、付与魔法の対象となるためには術者に心を開かねばならない。
明日香が抵抗なく付与魔法をかけてたのは、舞奈が無意識にそうしていたからだ。
だから迫る屍虫に自ら接敵しつつ、舞奈は意識を研ぎ澄ます。
ミスター・イアソンの身体から自身の拳銃にのばされた何かを感じ取る。
そして、それを受け入れる。
「オーケーだ。収束を完成するまで10秒待ってくれ」
「銃が壊れんようにしてくれよ!」
「無論だ」
ヒーローの不敵な声を背中で聞きつつ、振り下ろされるカギ爪を余裕で避ける。
流れのまま身をかがめてハイキック。
スニーカーのつま先が土手っ腹を捉える。
怪異がくの字に折れ曲がる。
舞奈は身体強化の異能など使えない。
だが鍛え抜かれた脚力と研ぎ澄まされた一撃は、人の力を銃弾の如く強打に変える。
ここまで9秒。
次の瞬間、拳銃の内側から風。
イアソンは宣言通りに施術を終えたらしい。
だから舞奈も、バランスを崩した怪異の口腔に拳銃の銃口をねじ入れる。
間髪入れず撃つ。
くぐもった銃声。衝撃。
怪異の頭が爆発する。
銃弾にこめられた【念力撃】。
先ほどは崩れかけたビルを全壊させた、凄まじい一撃。
それが体内で爆発したのだ。
耐えられる訳がない。
頭を失った怪異はその場に崩れ落ちる。
動かない。
その様子をしばし見やる。
その後に、普通の屍虫は再生も完全体への転化もしないのだと思い出す。
ミスター・イアソンは、そんな舞奈を見やって口元を驚きに形に歪める。
年端もゆかぬ少女が術すら使わず圧倒的な戦闘スキルのみにて怪異に対抗し、油断も怯えもなくその骸を見やる。その事実に驚嘆する。
そうしながら一瞬だけ光に包まれ、背広姿のアーガス氏の姿に戻る。
「すまない。結局、君を危険にさらしてしまった」
「ん? 今、危険なんてあったか?」
アーガス氏にそう言って笑いかけ、
「まあ死骸が表にあった方が片づけるのが楽だし。それより早く行こうぜ」
何食わぬ顔で歩き出る。
これから街に繰り出そうというときに、通り道の廃墟で立ち止まっていても別に面白いことは起こらない。だから進む。これまでの人生で舞奈がしてきたように。
だから、アーガス氏も舞奈を追って歩く。
そんな2人を見下ろして、側の廃ビルの上で野良猫が「ナァー」と鳴いた。
「ああ。普段はアーガスと名乗っている」
舞奈はスーツ姿のマッチョ――アーガス氏と並んで廃墟の通りを歩く。
道行く2人の左右には、崩れかけた廃ビル、廃ビル、廃ビルが飽きもせずに並ぶ。
ひび割れたアスファルトの大通りの方々には瓦礫や訳のわからないガラクタが散乱していて、おもてなしとは程遠い。
「さんきゅ」
「納得していただけただろうか?」
「まあな」
舞奈は手にしていたカードを、ひょいと側のアーガスに返す。
身分証明書だ。
そんな大事なものを子供に手渡すのはやや不用心だとは思う。
だが、このカード、触ってみた感じでは特別な製法で作られているようだ。
舞奈の銃器携帯/発砲許可証兼用の証明書と似ているだろうか。
それは彼が【機関】の執行人と同様の役割を担っている動かぬ証拠だ。
その事実を舞奈に伝える意図があったのだろう。
広くて大きな米国には、人も怪異もいっぱいだ。
なのに怪異など表向きには存在しないこという建前だけは小さな島国と同じだ。
そんな状況で【機関】のような単一の組織だけで市民を怪異から守ることは不可能。
多すぎる異能力者を管理しきれないせいで、異能で余人を害する怪人も多い。
そんな状況下で存在しないはずの災厄から人々を守るべく、複数の組織が存在する。
いくつかの条件をクリアし、国家の承認を得た民間組織。
それが、異能力(あるいは魔法)を操るヒーローたちを擁する平和維持組織だ。
彼を筆頭とした【ディフェンダーズ】もそのひとつらしい。
映画にもなったりして、割と有名なのだそうな。
もちろん彼らの活動はその理由も含めて本来は極秘とされる。
にも拘らず自身をエンターテインメントとして露出する活動方法にも理由がある。
米国では市民が当たり前に銃を持っている。
なので姿を隠してこそこそ活動していると、守るべき市民に撃たれてしまう。
だから彼らはヒーローのコスチュームに身を包むことにより、市民への敵対の意思がないことをアピールするのだ。
もちろん、その正体は最高機密。
こうして誰もが知っているが、公的には存在せず誰も正体を知らないヒーローが怪異や怪人を倒して回るという図式が成立する。
彼のミスター・イアソンという名もヒーローとしての仮の名。
本名がアーガスというわけだ。
「で、そのイアソンが、何だってこんな朝っぱらから人ん家に押しかけてきたんだ?」
言って舞奈は大あくび。
アーガス氏は特にデートのプランを決めずにアパートを訪れた。
とりあえず自分が訪問すれば喜ぶと思ったらしい。
なんだそりゃ。
なので舞奈は仕方なく、彼に観光案内して休日を過ごすことにした。
「この街に、この国の組織のひとつがあると聞いて挨拶に伺ったんだが」
「【機関】の支部のことか」
「そこでミス・ニュットに君の話を聞いたんだ」
「……何て?」
「廃墟の街に身寄りのない女の子が、ひとり寂しく住んでいると」
「…………」
静かな怒りに打ち震える。
あの無軌道な糸目に、誰かがいつか何か言う必要があると思った。
そんな風に顔をしかめる舞奈と、何食わぬアーガス氏。
舞奈の視界の斜め上で、頭の左右で角ののように固めた金髪と、生え際がダイナミックに後退したデコが眩しく光る。
そんな風に並んで歩く子供とマッチョを、廃ビルの上から痩せた野良猫が見ていた。
晴れ渡った朝の空を背景に、猫はあくび交じりに「ナァー」と鳴く。
ちなみに舞奈は彼に、今回の仕事とやらの内容についても聞いてみた。
だが、はぐらかされてしまった。
けどまあ彼が話したがらないということは、子供が聞いても別に面白くもない仕事なのだろうと解釈する。
……あるいは嫌でも、すぐに知ることができるのかもしれない。
他国の異能力者がわざわざ海を渡って訪れて、関係機関に挨拶するような仕事だ。
厄介事の気配しかない。
舞奈はKASCを巡る大きな仕事を片づけたばかりだ。
だが舞奈ほどの仕事人になると、自分から仕事を探す必要はない。
厄介事の方から巡り廻って……あるいは巡りもせず一直線に舞奈の元にやってくる。
ちっとも嬉しくないが。
そんなことを考えながら……
「……その身寄りのない女の子は、あんたが来なけりゃ昼まで寝てられたんだがな」
幅広のナイフを走らせる。
その軌跡に沿って、空気から滲み出るように何かが出現する。
首筋を裂かれた狼だ。
毒犬。
漆黒の毛と鋭い牙を持った、大型犬ほどもある猛獣。
集団で【偏光隠蔽】による奇襲を行う危険な怪異である。
だが舞奈にとっては会話の邪魔になる程度の犬っころでしかない。
実は先ほどから、散発的に毒犬が襲ってきているのだ。
通りの左右に立ち並ぶ廃ビルに潜んでいるらしい。
ビルの合間や、窓や戸のないドアから透明化状態で跳び出してくる。
理由は天敵である泥人間が激減したため。
先日に蔓見雷人が行った儀式の際に、それなりの量の泥人間が集まっていた。
例によって舞奈と明日香はそいつらを殲滅した。
その結果、天敵に食われる心配のなくなった毒犬が増えたのだ。
「おお、それはラッキーだった!」
「何がだよ?」
「こんな気持ちのいい朝を、寝て過ごすなんで人生の損失だ」
「……そりゃ御親切にどうも」
満面の笑みに、やれやれと肩をすくめてみせる。
そうしながら新手を仕留める。
まあ、天気がいいのは事実だが。
悪気がないのが余計に始末が悪い。
生え際も広がる良い年なのに、どこか素直な少年の様な人柄の良さをうかがわせる。
良い意味でも悪い意味でも裏表のない単純な性格らしい。
ヒーローらしいと言えば聞こえはいいが。
だがまあ彼も糸目の悪戯の被害者だ。
八つ当たりするのはお門違いだ。
「それにしたって、新開発区のあんな場所までよく来る気になったなあ」
「まあ、ある意味で我々の使命のひとつだからね」
「子供の御守りがか?」
言いつつ側にあらわれた毒犬をナイフで屠る。
彼もぶん殴って屠る。
自分を自分で子供呼ばわりすることに違和感がなくもない。
だが客観的にはそういうことだ。
極東の島国くんだりに、彼は仕事で訪れたといった。
だが怪異を殴り倒せる人間に相応しい仕事はベビーシッターではない。
それでも彼は変わらぬ笑みのまま、
「我々ヒーローは皆の――能力ある者たちの希望でなくてはならないのだ」
言った。
だから身寄りのない子供の噂を聞いて、一も二もなく慰問に訪れたということか。
「希望ねえ……」
ひとりごちつつ空を見上げる。
毒犬をあしらいながらも、そうする余裕が舞奈にはある。
そんな舞奈が見やる気持ちのいい青空とやらを、白い雲がゆっくりと流れる。
ふと脳裏をよぎるのは、先日の事件で倒した蔓見雷人のこと。
10年前、彼は自分の征く道が見つからなくて、ヤニを摂取し怪異になった。
そんな彼の前に、もし御節介なヒーローがあらわれていたら?
彼は進むべき道を見つけらていただろうか?
ロッカーとして人々に希望を与えた彼が、今度はヒーローとして希望そのものになろうと思っただろうか?
そんな思惑を誤魔化すように、
「そうやってアパートまで来たのか。見たところ【虎爪気功】のようだが」
言いつつ側の巨漢に目を戻す。
アーガス氏は毒犬を拳で叩きのめしている。
まあ銃の国の人間が、拳銃のひとつも持っていない理由はわかる。
コンビニで銃や実包が買えるらしい彼の国と違い、我が国で銃は社会的な武器だ。
一介の市民には持てない武器なのだ。
例外として善性と技量を何らかの権威に認められた者のみが持つことができる。
つまり舞奈が特別なのだ。
表向きには普通の入国者である彼は、自身の力だけで戦うしかない。
そういう理由があるにしろ、見えない奇襲に会話しながら対処する反射神経もさることながら、ナイフすら使わず撲殺というのは異能力による強化なしにはあり得ない。
そんなアーガス氏は、
「【強化能力】のことかね?」
「なんだそりゃ?」
「?」
「?」
舞奈と2人して首を傾げあった後、
「私は超能力という特殊なパワーを操る訓練を受けている」
言いつつ手近な瓦礫を宙に浮かしてみせる。
「……らしいな」
その様子がケルトの御業に少し似てると思いながら、なるほどとも思う。
彼は異能力者ではなく魔道士だったらしい。
魔力を大量に創造してる訳でも操っている訳でもなさそうなので妖術師だろうか。
そんなことを考える舞奈に、彼は自身の力について説明を始めた。
他国では、異能力や魔力の働きを科学的に解明しようとする学問があるらしい。
ロシアでは、それは超精神工学と呼ばれる。
半裸のロシア美女プロートニクが使っていたので舞奈も聞いたことがある。
そんな学問のアメリカでの呼称は、超心理学。
そういった各国の研究の成果として、疑似的な魔法の流派が誕生した。
それが超能力。
麗華様とは関係ない。
彼らは己が身に宿る異能の力を、特殊な訓練で会得した精神集中により術と成す。
要は舞奈の読み通り妖術だ。
トレーニングにより後天的に身体に異能力を宿らせることもできるらしい。
そんな超能力を修めた超能力者たちも、他の妖術師同様に3種の力を使いこなす。
PK能力を熱や電気に転化する【エネルギーの生成】。
生命力を活性化させる【念力と身体強化】。
ESP能力で精神を操り、精神を源とする魔力を強化する【魔力と精神の支配】。
流派の特徴としては、術者ごとに使える術が大きく異なる点が挙げられる。
生来の異能力や本人の資質に合わせたトレーニングが重視されるためだ。
なので得意/不得意どころの話ではなく、大半の術者は特定の術しか使えない。
半面、使える術=熟達した術なので詠唱は不要。威力も科学的に保障される。
そのせいか、アメリカでは異能力も超能力の一種と認識されているらしい。
異能力者は単一の術のみ会得した超能力者という訳だ。
そして呼称もそれに準ずる。
つまり【虎爪気功】ではなく【強化能力】。
別の例では【火霊武器】ではなく【炎熱剣】。
あるいは【雷霊武器】でなく【放電剣】。
そんな中でアーガス氏――ミスター・イアソンが得手とするのは【強化能力】。
その基礎技術でもある【念動力】。
そこから派生した【転移能力】【浮遊能力】【念力撃】。
加えて【エネルギーの生成】【魔力と精神の支配】も多少なら使えるらしい。
そんなアーガス氏は、
「だが私から見れば君の戦い方のほうが驚異的だ」
「そうか?」
「ああ。超能力すら用いず、限られた物理的な力を敵の弱い部分にぶつけている。まるで物理学の教科書のように効率的だ」
「そりゃどうも」
惜しみない賛辞を贈る。
毒犬が跳びかかってくる勢いを利用して深く首筋を裂いているのに気づいたか。
そのように照れもせず人を褒めるタイプの人間は、舞奈の周囲では珍しい。
そんな風に2人して廃墟を進むうち、
「……」
「どうしたよ?」
アーガス氏が、とある一角で立ち止まった。
特に変哲のない廃ビルの前だ。
何時の間にか散発的な毒犬の襲撃は途切れている。
「このビルの中に誰かいるようだ。私の【精神感知】に反応があった」
「そんなこともわかるのか」
言いつつ舞奈もビルの周囲に目を配らせる。
なるほど件のビルの前に、バイクの残骸が転がっている。
おおかた土曜のうちに珍走団が入りこみ、毒犬に襲われたのだろう。
乗り手は幸か不幸か即死を免れ、ビルの中に逃げこんだといったところか。
それを彼は目ざとく見つけ、ヒーローらしく被害者を探すべく探知したのだろうか?
名前からすると【魔力と精神の支配】が内包するESPの一種だろう。
あるいは単に精神を感知する超能力とやらで、舞奈を探っていたついでだろうか?
まあ、それは今はどうでもいい。
「その術、死体の場所もわかるのか?」
「意識と感情がある者すべてが対象だ。ビル内の何者かは酷く怯えているようだな」
「……そうかい」
死体は怯えない。
実直なところ、バイクの音が鬱陶しいだけの特に腕の立つわけでもないあんちゃんが逃げこんだビルの中で土曜の夜を生き抜いたとは思えない。
だが舞奈の思惑が、術による調査を否定する理由にはならないのも確かだ。だから、
「脂虫かどうかの判別は?」
「Carrierかね? 私の力では無理だ。進行してZombieになれば別だが」
「へいへい、了解」
雑な返事を返しつつ、ガラス戸のない窓からビルの中を窺う。
脂虫=Carrier
屍虫=Zombie
というのが海外での呼称なのだろう。
そういえば以前に知り合ったガードマンも脂虫や屍虫をZombieと呼んでいた。
正直なところ、どうせ珍走団なんて十中八九が脂虫だろう。
そんな奴を救出するなんて目的で、用もない廃ビルを探検するのは面倒くさい。
だが彼にとっては違う。
いちおう脂虫というのは喫煙をする人間のことだ。
進行して身も心もゾンビになるまでは。
だから脂虫の段階では、術で健常な人間と区別することは難しいのだろう。
そして見知らぬ誰かの希望たるべくヒーローが、廃墟の街で見つけた生存者かもしれない人物を「だろう」で見捨てる訳にはいかないという事情もわかる。だから、
「どのあたりかわかるか?」
舞奈は戸のない玄関口を潜りながら拳銃を抜く。
ビルの何処かにいる何者かを救出すると決めたなら、ナイフで遊んでいる暇はない。
「おそらく2階だ。私が【転移能力】で行ってくる手もあるが……」
「いや狭すぎるだろう。直接行った方が早い」
言いつつ踏んだ瓦礫の陰からサソリのような尾をした虫が這い出し、逃げていく。
錆食い虫だ。
そんな様子を見やって舞奈は口元を歪める。
舞奈が聞きかじったところによると、魔法による転移は2種類に大別される。
ひとつは因果律を改変し、対象が『転移先にいたこと』にする方法。
こちらの特徴は安心・安全。
なにせ術者の願望通りに現実を創り変えるのだ。
術者がよほどアレな精神状態でもない限り、少しばかり無理のある転移を試みた場合でも『近くの穏当な場所にいたこと』になる。
だが、この方法には大量の魔力が必要となる。
だから以前に蔓見雷人が用いたような贄を使った裏技的な呪術を除くと、混沌魔術の【混沌変化】、ケルト魔術の【時空の制御】でしか実現不可能な高度な術だ。
なので一般的には、空間を歪めて『抜け道』を作って転移する。
空間湾曲には重力場が多用されるが、彼のは【念動力】の応用らしい。
こちらは上記に比べれば容易で実現性も高く、故に多くの流派で用いられる。
半面、対象は単純に元の場所から消えて、抜け道の出口にあらわれる。忖度はない。
故に転移前に対象がいた場所は真空になる。
到着地点では、そこにあった物質(普通は空気)を押しのけて出現する。
それでも普通ならば、急な空気の流れによって音が鳴る程度の影響しかない。
だが安易な手段には対抗策も障害も多い。
まず空間湾曲による抜け道は、同じ重力場によって容易く歪めることができる。
トンネルを掘るより崩す方がずっと簡単なのと同じ。
特に専用の妨害術でなくとも、例えば明日香の斥力場障壁でも転移への対策は可能。
なので魔道士に対する敵対的な転移は自殺行為だ。
もうひとつ、出口が安易に押しのけられない固体だった場合も危険だ。
対象が脆弱なら障害物に『出会い頭に激突』して酷い目に合う。
その上で周囲に投げ飛ばされたり、『抜け道』のこちら側に押し戻される。
逆に【強化能力】等により強化されていれば、障害物の方がぶっとばされる。
そして新開発区の人の住まない廃ビルは脆弱だ。
錆食い虫が鉄骨を食い荒らすせいだ。
そんなところに、しかも構造の把握の難しい半倒壊状態のところに転移などして、壁に埋まりそうになった挙句に衝撃でビルそのものが倒壊したら目も当てられない。
だから舞奈は油断なく拳銃を構えながら、そっと廃ビルの廊下を進む。
アーガス氏も静かに続く。
意図を察してくれて何よりだ。
倒壊の危険も避けたいが、他の物音も見逃したくない。
窓ガラスも戸もない廃屋に、毒犬が何匹か潜んでいるだろうことは想像に難くない。
そんなことを考えた矢先に曲がり角から跳び出してきた2匹を撃つ。
そして天井が崩れて半ば吹き抜け状態の階段を登る。
その先に、
「お、いたいた」
首尾よく目的のものを発見した。
というか、瓦礫の山の中からうめき声がする。
なるほど何かの拍子に壁が崩れ、生き埋めになったのだろう。
おかげで夜の間、毒犬の牙から逃れることもできた。
奴らは異能を持ち図体がでかいだけの犬っころだ。
透明化して奇襲する狩人だが、瓦礫の山から食い物を掘り出すのは苦手だ。
だが残念なことに、瓦礫の山の中からは声と一緒に煙草の悪臭もする。
予想こそしていたが、埋まっているのは喫煙者――脂虫のようだ。
脂虫は人間じゃないのは何処の国でも同じなはずだ。
だから放っておいて帰っても、まあ倫理上の問題はない。
あるいはアーガス氏に【念動力】で掘り返してもらうべきかと考えていると、
「……!!」
「サイオン・アップ!」
舞奈が跳び退るのと、その目前に派手なデザインの全身タイツが割って入るのと、瓦礫の山が爆発して中から怪物が飛び出したのは同時だった。
屍虫――脂虫が進行したモンスターだ。
海の向こうの言い回しではZombieか。
屍虫は雄叫びをあげながら、両手の指からのびた爪を振り下ろす。
それを派手でマッチョな全身タイツが受け止める。
「シモン君! 無事かね!?」
「おかげさまでな」
いや撃ちそうになったんだが。
派手な色をした背中のマントを見ながら苦笑する。
タイツの中身はアーガス氏だ。
すると派手なデザインのそれが、ヒーローのミスター・イアソンとやらか。
「……異装迷彩か」
ひとりごちたのは、超能力や異能力の源たる魔力で作られた特殊な衣装の名称だ。
通常は着用者が異能力を使うと崩壊し、しばらくしたら元に戻る。
気功により筋肉が肥大化する【虎爪気功】が服で身体を傷つけないために使う。
だが逆に、普段は存在しないが超能力の使用に応じて服にすることもできるらしい。
「そのまま押さえててくれ。すぐに片づける」
舞奈は拳銃を手にしたまま回りこむ。
マッチョな彼が身体強化の超能力【強化能力】を得意とするのは本当らしい。
異能力者の【虎爪気功】など比較にならぬ筋力で、屍虫の腕をガッチリ掴んでいる。
これならとどめを刺すのも容易だ。
敵の頭に銃口を突きつけて撃てばいい。だが、
「なあに、君に手間を取らせるつもりはない」
アーガス氏――ミスター・イアソンは不敵に言って、
「サイ・ブラスト!」
叫ぶと同時に屍虫の半身が『爆発』した。
斥力場ともエネルギーとも異なる、だが急速に破裂し空気を押しのける何か。
爆発そのものが微かな意思と感情を放つ、なりかけの魔法のような現象。
ケルト呪術の【妖精の召使】に似た世界そのものと密接した不可思議な力。
いわば物理現象と霊障の中間点。
自身の超能力で生み出した【念動力】のパワーを収束させ、叩きつける。
それこそが【念力撃】。
超能力による近距離への魔法攻撃。
それはいい。だが、
「!?」
その衝撃でビルが崩壊を始めた。
「馬鹿野郎っ!?」
さすがに慌てて活路を探る舞奈の視界が一転する。
次の瞬間、舞奈はイアソンに抱きかかえられて空中にいた。
ビルが崩れる寸前に彼は舞奈と一緒に【転移能力】で脱出したのだ。
なるほど到着先に注意を要する空間湾曲による転移も、空へ逃れるなら安全だ。
しかも【浮遊能力】で飛行できるのならなおのこと。
「……ったく、どいつもこいつも瞬間移動で無理やり解決しようとしやがって」
明日香といい。
なまじ真面目で計算高い人間には共通する無茶の型でもあるのだろうか?
付き合わされる方は命がいくつあっても足りん。
愚痴る舞奈の足元で廃ビルが崩れる。
その中から、
「しかも生きてるじゃねぇか!」
屍虫が出てきた。
大屍虫でもないのに耐久力のある個体らしい。
「次こそは仕留めてみせよう」
「……選手交代だ」
術を上手に制御して着地するイアソンの前に、今度は舞奈が割って入る。
「さっき拳に術をかけて殴ってたろ?」
「あの一瞬で見抜いたのかね!?」
「まあな。同じ術をこいつの銃弾にかけられるか?」
「……なるほど。それが君の戦い方か」
舞奈は拳銃を手にしてニヤリと笑う。
イアソンもマスクの開いた口の部分を笑みの形に歪めて答えてみせる。
目前には、ビルの残骸を背にしてカギ爪を振り上げながら走り来る屍虫。
「超能力を収束させる。抵抗しないで受け入れてくれ」
「どういうことだ?」
「どんな人間の心身にも、生命そのものからなる微弱な超能力が宿っている。他者が君や君の持ち物に付与魔法をかけるには、君が心を開いて受け入れる必要がある」
「そんな風になってるのか」
なるほど、と舞奈は気づく。
人の心身は生命という魔力で守られている。
心も身体もその人自身のものだから、まるで術者が自身の魔法を魔法消去から守るように無意識に敵対的な魔法に抵抗する。
そうでなければ水や電気を操る術を直接身体に行使されて容易く破壊されてしまう。
だから本来、付与魔法の対象となるためには術者に心を開かねばならない。
明日香が抵抗なく付与魔法をかけてたのは、舞奈が無意識にそうしていたからだ。
だから迫る屍虫に自ら接敵しつつ、舞奈は意識を研ぎ澄ます。
ミスター・イアソンの身体から自身の拳銃にのばされた何かを感じ取る。
そして、それを受け入れる。
「オーケーだ。収束を完成するまで10秒待ってくれ」
「銃が壊れんようにしてくれよ!」
「無論だ」
ヒーローの不敵な声を背中で聞きつつ、振り下ろされるカギ爪を余裕で避ける。
流れのまま身をかがめてハイキック。
スニーカーのつま先が土手っ腹を捉える。
怪異がくの字に折れ曲がる。
舞奈は身体強化の異能など使えない。
だが鍛え抜かれた脚力と研ぎ澄まされた一撃は、人の力を銃弾の如く強打に変える。
ここまで9秒。
次の瞬間、拳銃の内側から風。
イアソンは宣言通りに施術を終えたらしい。
だから舞奈も、バランスを崩した怪異の口腔に拳銃の銃口をねじ入れる。
間髪入れず撃つ。
くぐもった銃声。衝撃。
怪異の頭が爆発する。
銃弾にこめられた【念力撃】。
先ほどは崩れかけたビルを全壊させた、凄まじい一撃。
それが体内で爆発したのだ。
耐えられる訳がない。
頭を失った怪異はその場に崩れ落ちる。
動かない。
その様子をしばし見やる。
その後に、普通の屍虫は再生も完全体への転化もしないのだと思い出す。
ミスター・イアソンは、そんな舞奈を見やって口元を驚きに形に歪める。
年端もゆかぬ少女が術すら使わず圧倒的な戦闘スキルのみにて怪異に対抗し、油断も怯えもなくその骸を見やる。その事実に驚嘆する。
そうしながら一瞬だけ光に包まれ、背広姿のアーガス氏の姿に戻る。
「すまない。結局、君を危険にさらしてしまった」
「ん? 今、危険なんてあったか?」
アーガス氏にそう言って笑いかけ、
「まあ死骸が表にあった方が片づけるのが楽だし。それより早く行こうぜ」
何食わぬ顔で歩き出る。
これから街に繰り出そうというときに、通り道の廃墟で立ち止まっていても別に面白いことは起こらない。だから進む。これまでの人生で舞奈がしてきたように。
だから、アーガス氏も舞奈を追って歩く。
そんな2人を見下ろして、側の廃ビルの上で野良猫が「ナァー」と鳴いた。
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