銃弾と攻撃魔法・無頼の少女

立川ありす

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第14章 FOREVER FRIENDS

ある雨の日に

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 統零とうれ町の片隅には、小さな教会が建っている。
 教会の隣は霊園になっていて、こぢんまりとした墓が並んでいる。

 とある日曜の午後。
 梨崎蔵人はその一角に佇んでいた。

 彼の妻、梓依香がそこに眠っている。
 社長夫人が、あるいは伝説のロックシンガーが眠るには慎ましやかな小さな墓。
 だが、それは生前の彼女の意向に沿ったものだ。

 わたしだけえこひいきされるのは嫌だな。

 屈託のない彼女の笑顔が脳裏に浮かび、口元に思わず笑みが浮かぶ。
 そうしながら持参した花を供える。
 そして手を合わせ、静かに目を閉じ……

 ……側に小さな気配。

「紗羅!?」
「いつも2人で別々にお参りをすると、お母さんも疲れるのです」
 三つ編み眼鏡が似合う小5の娘は生真面目に言った。

「だから、これからは一緒にお参りをするのです」
「ああ、そうだな。それが良いだろう」
 少しばかり面食らった、だが喜びと安堵を隠し切れぬ表情で、蔵人は答える。

 亡き妻と音楽を巡り、娘と少しばかり折り合いが悪かったのは事実だ。
 だが先日のコンサートと一連の騒動が、2人の心の溝を埋めていた。
 というより、半ば無理やりに埋め立てた。

 あの日に起こった出来事が、夢だったんじゃないかと思うことは今でもある。
 だが、あの日を境に何かがふっきれたのも事実だ。
 自分も、おそらく娘も。

 だから2人並んで静かに手を合わせ、記憶の中の梓依香と束の間、邂逅する。

 その後、2人で片づけをして、帰路へ着いた。

 街全体がコンクリート色で、人気の少ない統零とうれ町の大通りを娘と並んで歩く。
 こんなときに何を話題にしたらいいものかと悩んでいると、

「これを返すのです」
 娘はどこからともなくそれを取り出し、差し出した。
 つば付き三角帽子をかぶった魔法使いを象った、くすんだ青色のオブジェ。
 蔵人の――エースのブルーマジシャン。
 あの日のコンサートで、ギターの弦が切れた娘に客席から投げ渡したものだ。

 このギターの持ち主に気づいたということは、自分が何者かにも気づいたはずだ。
 音楽に猛反対していた父親が、母親と同じファイブカードのメンバーだと。
 軽蔑しているだろうか?
 あるいは騙されたと怒っているだろうか?
 そんな覚悟をして娘を見やる父に、

「ギターを投げたらダメなのです」
「……そうだな。すまん」
 娘は生真面目な声色でそう言った。
 もっともな指摘に少しばかり面食らいながらも、口元には微笑が浮かぶ。

 相手の言動が自分の意にそぐわなかったとき、怒るのではなく理由を考えなさい。
 これまで娘にはそう言い聞かせ、自身もそれを実践するよう心掛けてきた。
 それを娘は、意にそぐわぬ父親に対して適用したのだろうか?
 そう思うと少しこそばゆい。だが悪い気分はしない。
 かつて妻が言動で自分を驚かせたように、娘は思いもよらぬ成長で驚かせてくれる。
 そんな娘は、

「お父さんに尋ねたいことがあるのです」
「何かね?」
 何気に父に問いかけた。

「お母さんの歌の最後なのですが、アウトロの尺が少し長すぎるように思うのです。最後にもうひとつ何かフレーズを入れると良い感じになると思うのですが……」
「ああ、言われてみればそうだな……」
 娘の問いに、ふと考える。

 あの日に聞いた『FOREVER FRIENDS』。
 その終奏には、確かにフレーズひとつぶんの冗長部分があった。
 そこに一句を加えて完成すると曲というのも、梓依香の性格からすれば有り得る。

 まるで娘への宿題のように。

 あるいは蔵人との10年越しの共同作業のように。そう考えて――

「――『いつまでも愛してる』というのはどうだろう?」
 ひとりごちるように答える。
 娘はそのフレーズを取り入れた歌を脳内で反すうする。
 そのくらいのことは今の紗羅には容易い。そして、

「なるほど字数もぴったりで、それに……お母さんの曲の最後に相応しい気がするのです。流石はお父さんなのです!」
 満面の笑顔で答えた。
 蔵人も笑みを返す。

 それは、あの日に梓依香が残した封書に書かれていた一文だ。
 やはり梓依香が娘に伝えた歌も、完成形ではなかったのだ。
 残りの部分は蔵人に託した。
 父と娘が2つのピースをはめ合わせ、亡き妻の、母の歌を完成させられるように。
 悪戯好きな梓依香が考えそうなことだ。

 不意に在りし日を思い出し、彼女に会いたくなった。
 つい先程そうしたばかりのはずなのに。

 空を仰ぐ。娘に涙を、見られないように。その時、

「……お父さんに、もうひとつ聞きたいことがあるのです」
「言ってみなさい」
 娘は少しばかり、それどころではない様子で尋ねてきた。
 蔵人は思わず我に返って先をうながす。

「歌があまり……得意じゃないお友達がいるのですが、上手になるにはどうしたらいいのでしょうか? 何を試してもうまくいかないのです」
「どんな風に、その……得意ではないのかね?」
「その子の歌を聞くと頭がズキズキ痛くなってくるのです。だから音楽の時間の後は、みんなグッタリしているのです」
「えっ?」
「音楽室の窓や蛍光灯が割れる時もあるので、危ないのです」
「ええっ?」(いや、それは歌の上手い下手の問題ではないのでは……?)
 蔵人は娘の話に面食らう。

 かつて梓依香が言動で驚かせたように、紗羅は今度は難解な謎で悩ませにきた。
 だが、そんな困難に立ち向かうのは今も昔も嫌じゃなかった。
 それにしても……

「それでも4年生の頃よりはだいぶマシになったのです」
「そ、そうか……」(どういう子なんだ? その子は……)
 娘の話に(やや引き気味に)相槌を返す。

 そういう冗談を言う娘ではないので、言っているのは本当のことなのだろう。
 ということは、つまり実在するということか。
 そんな歩く災厄みたいな小5が。
 ええ……。

 ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。

 同じ頃。
 讃原さんばら町の一角にある日比野邸の、2階に位置するチャビーの部屋で、

「あ! 雨だ!」
 チャビーが窓の外を見ながら言った。
 テーブルの横で、茶トラの子猫が「ナァ~~」と鳴いた。

「安倍さん、休憩しよう! おやつを持ってくるね!」
「あっ!? 休憩は……」
 ……実質さっきまでずっとしてたんじゃ。
 と、明日香がツッコむ隙もないくらい無駄に素早く部屋を出ていった。
 パタパタパタと、1階への階段を下りる小気味よい足跡が響く。

「ふふっ、明日香ちゃんごめんね。わたしもお茶の準備をしてくるね」
「ええ、そうしてあげて」
 側の園香がチャビーを追って下りて行く。
 すると部屋にはネコポチと、歩く災厄こと明日香だけが残された。

 今日はチャビーの部屋で勉強会だ。

 ……正確には、そういう名目で集まっていた。

 机の上には、ノートや教科書の上に広げられた『きゃお』誌。
 さっきまで皆で、買ったばかりの漫画雑誌を見ながらおしゃべりしてたのだ。
 勉強はほぼ進んでいない。
 おそらく、おやつを食べた後にも進むことはないだろう。

 生真面目な明日香は、無意味なことが無意味だからという理由で嫌いだ。
 だが友人宅での勉強をしない勉強会を、何故だか疎む気になれないのも事実だ。
 まあチャビーが相手じゃ、どうしようもないという理由も少しある。

 だから仕方なく、明日香は広げられたままのウィアードテール特集ページを見やる。

 先日のKASCビル襲撃の件が多々な脚色を施されつつも載っている。
 だが何といっても特集の目玉は、ロングドレスをまとってニッコリ笑う彼女の姿。
 いつか銃火を交えたときには見たことのない格好だ。
 新フォームらしい。
 加えて、いつの間にやら『夜闇はナイト』が女性になっていた。

 事情は知らないが、何というか……アイドル怪盗稼業も楽じゃないと思った。

 苦笑しながら雑誌から目を上げ、ふと壁の一角を見やる。
 そこに飾られた、額に入った一枚の色紙。
 ハリネズミが意匠されたウィアードテールのサイン。

 いつか舞奈や【機関】の面子と異郷のスタジオに貰いに行ったサインだ。
 その際に放火を食い止め、そのおかげか彼女に気前よくサインしてもらった。
 そして先日、舞奈から手渡された色紙を、チャビーはいたく気に入ったらしい。

「にゃあにゃあ」
 テーブルの端に跳び乗ったネコポチが、行儀よくネコ座りしつつ楽しげに鳴く。
 そうしながら色紙を見上げる。

 サインの端のハリネズミの足形が、ネコポチの母のものだと明日香は知らない。
 だが楽しそうな小さな茶トラの背中を見るのは嫌いじゃない。
 だから明日香も、子猫と同じように柔らかに、笑った。

 同じ頃。
 ライブハウス『Joker』の楽屋で、

「今日もお疲れ様。あんたが戻ってきてくれて、ひと安心だよ」
「心配かけてすいません」
 オーナーが、ひょろ長いロッカーを労う。

「その……やらなきゃいけない仕事にキリがついたんで」
 不器用に笑いながら、萩山光はギターをつま弾く。
 そんな彼に微笑みかけ、

「そういえばギター、新しいのにしたんだね」
 ふとオーナーは問いかける。

「はい! 預かったんです!」
 萩山は少し興奮した面持ちで答える。
 気弱な彼が、そういう風に感情をあらわにするのは珍しい。

「俺が尊敬する、その……師匠みたいな人に、その方が前の持ち主も喜ぶって……」
「そうかい……」
 その答えに、口元が乾いた笑みの形に歪む。

 萩山の手の中にある稲妻を象ったギターは、ジャックのゴールデンライトニングだ。
 ひと目、見ればわかる。見間違えるはずもない。

 彼が言う、尊敬する師匠とやらにも心当たりがある。
 復帰後の萩山のギターに鍛錬による技術の上昇だけでは説明のつかない熱意と迫力が宿っているのも、その師匠に影響を受けたからだと考えれば合点がいく。
 そんな彼女が彼にそれを手渡したと言うのなら、その言葉も本当なのだろう。

 ……ギターの前の持ち主であるジャックが再び姿を見せることは、もうない。

 グループが解散した後、ジャック――鶴見雷人が姿を消した理由を彼女は知らない。
 自らの意思で去った彼を追いかけるのは、彼の意思に反することだと思ったから。
 その判断が正しかったのか、今となっては確かめる手段はない。だから、

「……あいつもあんたと同じだったんだよ。頭もよくて何でも器用にこなすのに、若ハゲなんか気にしてウジウジしててさ」
 かつての友のギターを継いだ萩山に、友のことを語り始める。

 伝説のバンドグループが歌った歌がアーティストたちに歌い継がれていくように。
 自分だけが知る、鶴見雷人という人物が生きた証を誰かに伝えたかった。
 それは老いた元ロッカーの、只の感傷なのかもしれない。
 だが萩山はギターを手に、そんな自分の戯言に、静かに耳を傾けてくれた。だから、

「何かに夢中になったら少しはマシになるだろうって、一緒に仲間を集めてバンドを始めたのさ。そしたらあいつ、すっかりハマッちゃってさ」
 遠い目をして、口元に淡い笑みを浮かべて、オーナーは語る。

「嬉しそうに、歌ってたんだ……」
 窓越しの微かな雨音を意識しながら、もう会えぬ友を悼むように、語り続けた……。

 さらに同じ頃。
 蔵乃巣くらのす学園の初等部校舎の一角にある校長室で、

「ありがとうございます!」
 長いツインテールの中等部生徒が深々と頭を下げる。
 手には受け取ったばかりの書類。
 朱色の許可印も真新しいバイト申請書(控)だ。

「学業に差し障りが出ないよう、お願いしますよ」
「はい! わかってます!」
 彼女は喜びを隠し切れない口調で答え、

「あの、校長先生……」
「どうしました?」
「ギター買ったら練習します! そしたら今度はギターも聞いてください!」
「はい。楽しみにしてますよ」
「ありがとうございます!」
 再びお辞儀をする。
 そして、はずむような足取りで部屋を出て行った。

 ひとり残された校長は窓を見やる。
 外は土砂降りの雨だが、彼女は親御さんが車で送ってくれたと言っていた。

 だから部屋の中に目を戻す。
 机の上には許可印の捺されたバイト申請書。
 その側には、古い写真を収めた額縁。

 今しがたの彼女は将来、素晴らしいアーティストになるだろう。
 まだ中学生の彼女の歌は、音楽にかける熱意は、彼にそう予感させるに十分だった。
 ファンだというファイブカードの影響を受けすぎている気もするが。

 不意に、昔の仲間が懐かしく思えた。

 エース。
 ジョーカー。
 クイーン。
 ジャック。
 スミス。それにキングこと自分。

 皆で一緒に駆け抜けたロックという軌跡を、誰ともなく伝説と呼んだ。
 そして今、伝説を旗印にして若者たちが新たな道を走り始めている。
 その先に何かがあると信じて。

 まるで人が子を産み、育て、その子が次の世代の親となるように。
 人の営みそのもののように。

 そんな世の理が、老いた瞳に何故か眩しくて。
 校長は再び窓の外を見やりながら、皺のような目を笑みの形に歪める。
 そして慣れた調子でグリーンエレファントを構え、懐かしい曲をつま弾き始めた。

 そして同じ頃。
 ネオンの『画廊・ケリー』の文字が半端に消えた看板の下で、

「ざーざーだ」
「おいおい、本降りになって来たぞ……」
 来客用の机をはさんでリコは無邪気に、舞奈は露骨に嫌そうに外を見やる。
 ちょっと旧市街地まで買い出しに来た途端にこれである。
 まったくついてない。

 いくら舞奈が最強でも、雨を完全に避けながら歩くことはできない。
 足場が悪いのはどうとでもなるが、濡れたら不快なのは他の小学生と同じ。
 傘とモヤシで両手をふさいだ状態で新開発区を踏破してみようとも思わない。
 道中に泥人間【雷霊武器サンダーサムライ】【氷霊武器アイスサムライ】に出くわしたらと思うだけでも憂鬱だ。

「後で合羽カッパを貸してあげるわよ」
「スマン、頼む」
 スミスの申し出にやれやれと返事する。
 そうしながら、今はテーブルに並んだビーフストロガノフに舌鼓を打つ。

 そういえばリコと2人でスミスの飯を食うのも久しぶりだ。
 最近は奈良坂や、桂木姉妹やニュットが加わることが多かった。
 だが、この雨の中、舞奈以外に店を訪れる物好きもいないだろう。

 美佳や一樹がいた頃を彷彿させる多人数での食事を堪能してはいたが、それに慣れるとリコと2人の食事が懐かしい。
 我ながら勝手なものだなあと思いながら、だがスミスの料理は変わらず絶品だ。
 だから料理を平らげ、腹がくちくなったリコがうとうとし始めた頃、

「なあスミス」
 食器を片付けるスミスを見やり、

「ギターってさ、何年も経ってから弾けたりとかするもんなのか?」
 手持無沙汰を誤魔化すように、何食わぬ調子で問いかける。

 そうしながら、脳裏に浮かぶのは鶴見雷人のこと。
 それが只の感傷だと自覚しながら。
 だがスミスは特に気にした様子もなく、

「腕は落ちてるわよ?」
「構わんさ。……酷い歌なら聞き慣れてる」
 カイゼル髭を揺らせながら答える。そして、

「スミスがうたうのか!?」
 すっかり目が覚めたリコの前で、

「……!!」
 スミスは何処からともなくギターを取り出してみせた。

 それは委員長がいつもしているパフォーマンスだ。
 昔のライブの映像で、ファイブカードの面々がしているのも何度か見た。
 だが、それらと同じパフォーマンスを見慣れたスミスがしてのける様子は、控えめに評して……最高だ。リコも興奮のあまり目を丸くしている。

 そんなスミスの手の中の、何処か銃に似た色合いをした鉄色のギター。
 それは、かつての彼が仲間のために設えた折り畳み式ギターの試作品なのだろう。
 別の何かの形でなくギターの形をしてるのは、モチーフを思いつかなかったからか。
 だがギターの形をしたギターが、彼の人となりを何よりあらわしている気がした。

 前奏すら始まる前から興奮気味な舞奈とリコに、スミスは笑みを浮かべてみせる。
 そしてギターを奏で、

――ここはコンクリートの壁に囲まれた……
――冷たい鉄の檻の中……
――ボクらは堕とされ翼を無くしたANGEL……

 歌い始めた。
 本人の謙遜とは裏腹に衰えを感じさせぬ繊細な旋律。
 マッチョのアレな女言葉を彼の個性に昇華させるほどの豊かな声色。
 年月を経て深みの増した歌声。

 まるで懐かしい過去を、心の中に呼び覚ますように。
 幼い聴衆の心を、知る由もないはずの過去へと誘うように。だから……

 ……10年前の、とあるコンサート会場。
 派手なライトに照らされたステージに、5人のロッカーが各々のギターを手に立つ。

 トレードマークの鼻眼鏡に、魔法使いを象った青いギターを構えたエース。
 輝くような金髪をなびかせ、稲妻を象ったギターをかき鳴らすジャック。
 ドラムの後ろに立つのは、でっぷり肥え太ったキング。
 ハートを象ったベースギターを携えたクイーン。
 清楚でありながら小悪魔的で、おばけを象ったギターを構えたジョーカー。

――だからボクらは古びた鎖、引き千切って……
――何処へ続くか知れない彼方を目指して、走り出す……

 会場は、静かなイントロが始まった途端に静まり返っていた。
 なのに客席からあふれ出す熱気を感じながら、伝説のロッカーは歌う。そして、

――ボクは走る走る走る息が切れるまで、走る!
――羽は無くても2本の足があるから!

 キングのドラムを皮切りに、歌い手の、聴衆の感情が爆発する。
 魂のライブの始まりだ。

 エースの高い技術に裏打ちされたギター。
 それがジョーカーの奔放なギターと混ざり合い、魅惑の歌声を芸術へと昇華させる。
 そんな2人はそっと視線を交わし合う。
 当時は誰にも気づかれていないと思ったのだが。

――ボクは歌う歌う歌う声がかれるまで、歌う!
――天使のリングなくても願いがあるから!

 キングの力強いドラムに乗せて、魅惑の歌声はシャウトへと変わる。
 クイーンのベースが皆の旋律をリードする。
 ジャックの軽快なギターが、曲に更なる彩を添える。

――走り続けるうちにキミと出会った
――キミはボクの隣で歌ってた
――何を願い走るのか忘れたまま
――気づくと皆で歌ってた

「皆さん見ましたか!? ジャックが一瞬、こっち見ましたよ!」
 客席で、生真面目そうな眼鏡の小学生が柄にもなく感動に打ち震える。
 若かりし――そして服を着ていた頃のチャムエルである。

「演奏中は私語を慎むべきでは」
 側の少女が、冷たい声でたしなめる。
 チャムエルより少し年上だが、それでもサングラスが大きすぎて少し浮いている。
 こちらは若かりしフィクサーである。

 彼女らは、リーダーの張に率いられて音楽鑑賞に来ていた。

「まあ、いいじゃねぇか。他の客も、お上品に聞いちゃあいないみたいだぜ」
 当時から大柄なグルゴーガンが苦笑する。

――それが愚かだなんてボクだって思うさ
――皆はボクらを指さして笑うさ
――けれどそれこそが冷たい壁を打ち砕く、POWER!

「ジョーカー! ジョ――カ――!!」
 客席の後ろの立見席。
 そこで頭頂を派手に禿げ散らかしたおっさんが、人目をはばからず叫んでいた。
 なんというか……アイドルのコンサートと勘違いしている感じだ。
 流石に周囲もドン引きである。

 そんなアレな大人に肩車されながら、男子小学生がステージを見ていた。
 ひょろりとしたモヤシっ子君が注視していたのは金髪のジャック。
 キザでスタイリッシュなジャックの振舞いは、幼い萩山光のハートを捕らえていた。

 自身が父親のように、しかも在学中に禿げあがるとは夢にも思わぬまま、萩山はロックンロールの虜になっていた。

――だから走る走る走る走る倒れるまで、走る!
――そうさ立ちふさがるものすべてを蹴散らして、走る!

――だから歌う歌う歌う歌う狂うまで、歌う!
――そうさ限界なんてさ無視して振り切って、歌う!

 立見席のジョーカー!! コールを聞きながら、客席のロシア系美少女と巨乳のシスターが「ええ……」みたいな表情で顔を見合わせる。

 そんな少女たちに挟まれた席で、若かりし張は静かにステージを見ていた。
 今とは似つかぬ細身で、頭には柔らかい髪まで生え、けれど10年後の彼とどこか変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、アーティストたちを見やっていた。

 当時【機関】巣黒支部の執行人エージェントだった張。
 彼は同僚や部下である少女たちに慕われ、幾度も力を借りていた。
 だから彼女らに報いようと、たびたび遊びに連れ出した。
 そんな彼だから彼女らに慕われていたのだが。

 今日のコンサート鑑賞もその一環だ。

 実のところ、この国の音楽に張は詳しいわけではなかった。
 故郷である台湾から移り住んで、さほど時間も経っていなかったのだ。
 それでも魅惑の歌声とノリのいいギターが仲間たちを笑顔にしているのは確かだ。
 だから張もロックが好きになった。

「素晴らしいステージですよね! 隊長! 後でCDお貸ししましょうか?」
「お気遣いありがとうアル。お願いするアルよ」
 感極まった面持ちで見上げてきたチャムエルに笑みを返す。

 結局、そのCDを張は返し損ねてしまうことになる。
 だが数年後、思い出したように戸棚の中から出てきたそれが、別の少女の運命を大きく変えることになった。

 脂虫の本性をあらわした父に母親を奪われ、自身も間一髪で張に救われた幼い少女。
 張は彼女を梓と名付け、養子として育てることになる。
 そんな彼女を少しでも元気づけようと、張は古いCDを聞かせた。

 幼い梓は魅惑のロックに聞き惚れた。

 楽しげなジョーカーの歌声を聞きながら、いっしょに収録されていた声援を聞きながら、いつか名も知らぬ彼女のようになりたいと願った。
 彼女が皆を熱狂させているように、いつか自分も歌で皆を笑顔にしたいと思った。
 そして自分に無条件に注がれる張の愛に、報いたいと思った。

 ある意味それが、双葉あずさの誕生の瞬間だった。

 加えて後に【協会S∴O∴M∴S∴】の術者となるチャムエルの、無自覚に若人たちをアートへと誘う才能の発露でもあった。

――その先にあるのが楽園だなんて
――そんな保障は何処にもないけど
――走り続けた者しか行けない
――すごい場所だとボクは信じるさ

 そんなステージを、立見席の更に後ろから、なよっとしたオカマが見ていた。
 イスラエルへの留学を控えた若かりしスミスである。

 自身が抜けた後のグループの、新メンバーの奮闘を見やり、満面の笑みを浮かべる。
 そして誰にも告げることなくライブ会場を後にした。

――だから走る走る走る走る振り向かずに、走る!
――それがボクの生き方さだから振り向かずに、走る!

――だから歌う歌う歌う歌う何も考えずに、歌う!
――それがボクのやりたいことだから躊躇わずに、歌う!

 鮮烈なステージと客席の熱狂が相互作用し、会場は熱狂の渦に包まれる。

 数年後、彼ら、彼女らのうち何人かの運命は交錯する。
 何人かの運命は平行線のまま進む。
 そして何人かの運命は潰える。

 だが、ひとつだけ確かなのは、誰もが自身の行く末など知らぬまま、それでも進む先に明るい何かが待ち受けていると信じてがむしゃらに走り続けたということだ。

――そこできっと空と大地は混ざり合う……
――ボクはボクだけの空を取り戻した、FALLEN ANGEL……
――何処までも走って行けるだろう……
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