銃弾と攻撃魔法・無頼の少女

立川ありす

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第14章 FOREVER FRIENDS

GOOD BY FRIENDS

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「……このまま建物が、崩れてきたりしないだろうな」
 愚痴りつつ、舞奈は熱核に焼かれ炙られ半壊した広間を見渡す。
 スニーカーの靴裏が熱で溶けやしないか気が気じゃない。

 激戦の末、蔓見雷人を至近距離からの核爆発で倒した舞奈と明日香。
 だが2人の使命は、彼を倒したこの先にある。

 だから黒焦げになった壁の一角に、ドアを見つける。
 入ってきたのとは別のドアだ。
 舞奈は油断なく歩み寄り、

「ちょっと待って」
 明日香が耐火の魔術【対火防御フォイヤーアプヴェーア・シュッツ】を施しながらノブに手をかけ、

「……迂闊だったわ」
 動かないノブを見やって立ち尽くす。
 衝撃でドアが歪んで動かなくなったらしい。だが、

「問題ないさ」
 言いつつ明日香をどかし、舞奈はドアを蹴り飛ばす。
 焦げたドアがゆっくり向こう側に傾き、埃を巻き上げドサリと倒れた。
 蝶番も逝かれていたらしい。

「ほら開いた」
 苦笑して、明日香が肩をすくめた途端に泥人間が襲いかかってくる。
 そいつらを拳銃ジェリコ941を、短機関銃MP40を撃ちまくって片づける。
 そして静かになった部屋は、先の部屋と同じ飾り気のない広間だった。
 老朽化して埃っぽいのは掃除をする必要がないからか。
 埃とカビの臭いに加え、ヤニ臭いのは滓田のときと同じだ。

 明日香は三尸を探すべく魔法感知――魔力が不自然に少ない場所を探す。
 だが、それより早く舞奈は歩を進める。

 御丁寧に6つ並んだ、部屋と同じくらい朽ちたコンクリートでできた祭壇。
 その上には、それぞれ壇と同じくらいくたびれた陶器の壺が鎮座している。

 うちひとつを銃底で殴って上半分を叩き割る。
 中から気味の悪いヤニ色の芋虫が出てきたのも滓田のときと同じ。

「この名誉男性め! ネトウヨめ! このアテクシをこんな目に合わせてタダで……」
「……こりゃ酷い。ひとつ目から大当たりだ」
 舞奈は思わず口元を歪める。
 薄汚い虫の頭の部分には、キモい鬼瓦……疣豚潤子の顔がついていて、生前そのままのダミ声で訳のわからない戯言を吐いてきた。
 汚い顔と、汚い虫の、史上最悪のコラボだ。
 不快という概念が凝固したような、いっそ完璧なまでに醜悪な物体がそこにあった。
 こんな奴に名誉とか言われても別に嬉しくない。

「おまえみたいなメスガキが! ○ンポの奴隷が――」
「だがな、今回は秘密兵器を用意してきたんだ。ほら明日香」
「はいはい」
 罵詈雑言を聞き流しつつ手を差し出す。
 対して明日香がクロークから出して、手渡したのはゴミ拾い用のトングだ。

「このアテクシを! 女性を差別ぎゃあ何を!?」
「こいつで触らずにつかむって寸法さ。へへっ、頭いいだろ」
 虫を足元を叩きつける。

「ぐぎゃっ!!」
 疣豚はヒキガエルみたいな悲鳴をあげる。

「――あ」
 舞奈もいっしょに間抜けな声をあげつつ自分の靴を見やり、

「……他にはわたしの私物しかないわよ」
「わかってるよ」
 ちらりと見やった途端にクロークを押さえて後退った明日香を恨みがましく睨む。
 舞奈は靴には何ら汚物対策をしていなかった。
 だから仕方なく、

「やめるザマスこのロリコンメスガキ! 同じ女様のアテクシを――」
 ぶちっ。

 喚き続ける糞虫を無造作に踏みつぶした。
 生前の彼女の言動と同じくらい不快な感触と共に、疣豚潤子だった虫は潰れた。
 そして黒い煙になって、消えた。
 程よく熱せられた靴裏に匂いがつきそうで嫌な感じだ。
 だが、これで二度と疣豚潤子があらわれることはないと考えれば満更でもない。

 そして隣の壺を叩き割ると、

「貴様! 何の権利があって私にこんな仕打ちを――」
「あーはいはい、今度はあんたか」
 死塚不幸三の虫がでてきた。
 そういう意味では割って楽しい壺なんてものは並んでないのだが。

「おまえもやってみるか?」
「嫌よ。まかせるわ」
「ちぇっ」
 明日香ににべもなく断られる。
 なので不貞腐れ気味にトングをカチカチしながら虫に向き直った途端、

「この私を、死塚不幸三を……ほっほっほ、このわたくしが……あ~らうふふ……」
「!? 何だ?」
 死塚だった虫の顔がぐにゃりとねじ曲がった。
 ファイブカードのキングに変わり、フォーカードのスミスに変わり、エースに、クイーンに、ジョーカーに変わる。まるで壊れた動画を見ているように。
 そして訝しむ舞奈の目前でポンと弾け、黒い煙になって消えた。

「……気が変わったんなら先に言ってくれ」
「わたしは何もしてないわよ」
 明日香はむっとした顔で言い返してから、

「さっき彼らをアークデーモンに仕立てた時に、データが壊れたのかしら?」
「……なるほどな」
 そう結論づけた。

 脂虫はある種の儀式の後、死ぬと人格をデータ化されて三尸というDBに収まる。
 泥人間は三尸から人格データをダウンロードして個人に成りすます。
 倒されると差分を三尸にアップロードする。
 そして差分が統合された最新データを次の泥人間がダウンロードする。
 以前にテックが、三尸というシステムをそう分析してくれた。

 だが今回、三尸から顔と人格を奪った泥人間は【屍操りゾンビー・ゾンク】で操られた。
 あまつさえ蔓見のファイブカード、フォーカードの仲間への想いで上書きされ、アークデーモンの媒体になって、核爆発で粉砕された。
 そんな彼らのデータがアップロードされ、無理やりに統合された結果がこれだ。

 欲まみれの汚い大人の人格と、ロッカーの美しい記憶は水と油。
 混ぜ合わせたら壊れてしまったのだ。
 つまり蔓見の計画が成就した時点で悪党どもの命運は尽きていたということになる。
 流石は蔓見雷人。計画に抜かりがない。

 取り急ぎ他の壺も割ってみる。
 やはり屑田灰介も、長屋博吐も、大蛸ゲイ子も同様におかしくなって自壊した。
 まあ面識のない大蛸ゲイ子が生前からこうだったと言われれば反論はできないが。

「……じゃあ疣豚潤子も、ほっとけば勝手に自滅したってことか?」
「はいはい、今度はゴム手袋と長靴も持ってきてあげるわよ」
「今度があってたまるか」
 軽口を叩き合いつつ、少し離れた祭壇の前に2人して立つ。
 その上の壺を見やって顔を見合わせ頷き合う。
 そうやって互いに心の準備を済ませ、舞奈は最後の壺を叩き割る。

 卓越したロッカーにして悪魔術士だった蔓見雷人もまた、三尸になっていた。
 まあ当然だ。
 だが蔓見の顔をした虫は他の三尸のように自壊も、取り乱しすらせずに、

「スミスが……この街に……帰ってきていたのか……」
「ああ、少なくとも3年前にはいたぞ」
「そうか……」
 舞奈の左手をずっと見ていた。
 三尸は無言で何かを促す。

 舞奈は彼が、ワイヤーショットを見ているのだと気づいた。
 フック付きワイヤーを射出するこの手袋はスミスの特製だ。
 彼の精緻な作品には、見る者が見ればわかるような特徴があるのかも知れない。
 戦闘中に見ていたのは、残弾を測っていた訳ではなかったらしい。だから、

「街はずれで、今はマッチョのオカマになってる」
 見知った彼を、ありのままに話す。

「こーんな口ヒゲ生やしてさ、水色のスーツ着て店やってて、女言葉でくねくねしながら旨いメシ作ったり、銃のメンテしたりしてる。最新作は金ピカのP90だ」
「……なに適当なこと言ってるのよ。そんな人いるわけないでしょ」
「いや、いるんだよ。後で楓さんや紅葉さんに聞いてみろよ」
 ジト目で見やる明日香に言い返す。
 生真面目な彼女に、彼の個性的な言動を口で説いても信じられないのは無理もない。
 だが壇上の蔓見は、

「はは……あいつらしいな」
 そう言って笑みに似た表情を浮かべた。
 嬉しいとも、悲しいとも受け取れる笑みを。
 舞奈の言葉に――あるいは2人の軽口に過去の何かを触発されて。

 その短い問答で、どちらも合点がいった。
 蔓見は、かつての仲間が本当に帰ってきていたのだと。
 舞奈は、彼が本当にスミスのかつての仲間なのだと。だから、

「あんたの身に何があった?」
 意識して事務的に問いかける。
 だが、かつて蔓見だった虫は逡巡するような短い沈黙の後、

「……何も……なかったんだ……」
 それだけ答えた。
 先ほどとは逆に舞奈は無言で先を促す。
 そんな舞奈を虫は見上げ、ぽつり、ぽつりと語った。

 その話を要約すると、やはり彼にはKASCの関係者たちが接触していた。
 邪悪で嘘つきな脂虫どもは、何もなかった彼に地位と権力をくれると約束した。
 その提案を受け入れた結果が今だ。

「……そして奴らは言ったんだ……こいつを吸えば仲間に入れてやるって」
 蔓見に釣られて足元を見やる。
 祭壇の下には朽ちた煙草の吸殻が散乱していた。
 それは何らかの儀式に必要だったものなのか、別にそうでなかったのか。
 気にはなるが、無理に知りたいとも思わない。それより、

「そうやって、あんたは脂虫になったのか」
 舞奈は三尸に語りかける。
 愚かにも煙草に手を出すことで、虫に変えられてしまった哀れな男に。

 彼は間違いなく、皆が信じているような素晴らしいアーティストだった。
 皆に忌み嫌われる典型的な脂虫――邪悪で不潔な喫煙者ではなかった。
 だが心の隙間につけこまれ、悪しき怪異へと変えられてしまった。
 そういえば残っている資料でも、先ほど相対したときも、彼だけは煙草を吸っていなかった。邪悪な衝動を術者としての理性で抑えていたのだろうか。

 そして一連の事件の中、彼は自分を陥れた怪異どもへ復讐を遂げた。
 自分自身の解放……消滅の巻き添えにする形で。

 そう。もうすぐ彼の人格データは失われる。永遠に。
 そのために、舞奈と明日香はここに来た。
 彼はそれを知っていて、その運命を受け入れているのだ。
 どんな理由であれ喫煙者となってしまった者の末路は、奈落のような死だけだと。

「台の下に……私のギターがあるはずだ」
 穏やかに目を落とす。
 舞奈も見やる。

 壇には稲妻を象ったオブジェが立てかけてあった。
 くすんだ金色をしたそれの周辺にだけは吸殻が落ちていない。
 それでも埃をかぶったそれは、生前の蔓見が使っていたゴールデンライトニング。
 そのオリジナルだ。
 今まで使っていたのは何らかの手段で創ったコピーだったのだろう。
 偽物の自分に、本物のギターを使ってほしくなかったのかもしれない。あるいは、

「そいつを……クイーンに渡してくれないか」
「ああ、お安い御用だ」
 口元に乾いた笑みを浮かべながら答える。
 そして、そっとオブジェを拾い上げる。

 そうすることで彼が持っていた何かが、仲間のところに還ると想いたいのだろう。
 そういえば亡きジョーカーのブラックゴーストも、一度クイーンの手に渡っていた。
 彼女は昔から、そういうかすがいの様な役割を期待されていたのかもしれない。

 こいつを歌対決のアーティストに持たせてやれば、少しは箔がついたろうにと思う。
 だが蔓見にとって、KASCが歌を奪う計画なんてどうでもよかった。
 そんな彼は2人の少女を眩しそうに見上げ、

「もうひとつ……私に……最後のチャンスをくれないか……?」
「無理よ。貴方はもう――」
「――やってみろよ」
 明日香の言葉を遮り、舞奈も壇上の虫を見下ろす。
 蔓見は礼をするように一瞬だけ視線を下げる。
 壮年のロッカーだった彼が女子小学生を見下さず敬意を表したように、三尸の彼も人間の少女を妬んだり、憎んだりはしていなかった。そして、

――夕暮れの街、君に会いたくて
――見慣れたコート、探して、目を凝らす

 静かに歌い出した。
 曲目は『GOOD BY FRIENDS』。
 かつて旅立った仲間に遺した、最後のバラードを――

――そこにいるはずなんてないこと、わかっているけど
――君のいた場所、いつまでも、見つめていた

――ふと振り返る
――そこには誰もいない
――けれど僕らが、来た道、確かにあるよ

 同じ頃。
 所は変わって『Joker』。
 その楽屋の一角で、

「――あいつらは言ったんだ。こいつを吸えば仲間に入れてやるって」
 長いツインテールの女子中学生が独白していた。
 先ほど委員長と歌対決を繰り広げた、元KASCのアーティストだ。

 卑劣な悪党どもは資金提供を餌に、奪った歌を彼女に歌わせた。
 そして自分たちの仲間に引き入れようとした。

 だが歌対決で委員長に敗れた彼女は、自分が達せなかった本物の歌に心動かされた。
 だから邪悪な怪異どもに与しない生き方を選ぶことができた。
 蔓見雷人とは違う生き方を。

 そんな彼女にオーナーは優しく微笑みかけ、

「歌うのに、こんなものは必要ないさ」
 彼女から受け取った煙草の箱を放り落とす。

 そして封のされたままの紙箱を、ハイヒールで踏みにじった。
 タイル張りの床に、薄汚い色の毒草がぶちまけられる。

 後の掃除は少しばかり大変だろう。
 だが、その場にいる誰もが晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。

――2人で歩いてきた道、間違ってなかったと
――確かめるように、口元、歪める

――それが笑顔に見えたらいいな
――だって僕が笑うと
――君も微笑んで、くれたから

 再びKASCビル内の、三尸の壺が並んでいたのとは別の部屋。
 大広間の端に、人ひとりがすっぽり入れそうなほど大きな壺が並んでいた。
 肉人壺だ。
 そのひとつから、数多の長屋博吐があらわれる。

 だが、それらすべてを数多の剣が串刺しにする。
 相対するチャムエルが行使した魔術によって。
 即ち【機甲の螺旋ギアーズ・ヴォーテックス】。先に用いた【鋼鉄の舞スティール・ダンス】の上位版。それでも、

「ひひ……」
「オレは無限に……」
「無限に復活できるんだぜ!」
 壺からは無数の長屋博吐があらわれる。
 加えて他の壺からも警官や、男性アイドル風の優男が無限に湧き出る。
 複数の肉人壺から生み出される、無限に等しいコピー脂虫。

 ヤニ臭い肉の奔流に、流石のチャムエルも圧されて怯む。そのとき、

「見つけました! 肉人壺です!」
「そちらは【協会S∴O∴M∴S∴】の術者か? 我々にも手伝わせていただこう」
「公安の方々ですか? 協力に感謝します」
 公安の魔道士メイジフランシーヌと朱音があらわれた。
 後ろには首都圏の私立中学の制服を着た少女――夜空もついてきている。

 チャムエルは強力な重力砲弾【重力の槍グラビティ・スピア】【重力の雨グラビティ・レイン】で敵を引き裂く。
 朱音も【帝釈天の百雷インドラス・シャタ・ヴィデュッタス・ハン】で焼き払う。
 フランシーヌは近づく敵を錫杖で蹴散らす。
 その後ろで夜空がこっそり【輝雨の誘導アンズイール・ドゥ・ブリエ・プリュイ】を行使する。

 攻撃魔法エヴォケーションの猛攻によってコピー脂虫どもは壊滅する。
 そして、ついでのように肉人壺も粉砕された。

――この広い世界の中、ただ君が、いてくれるだけで
――光輝く、楽園だった

 さらに別の部屋は、人気のない資料室だった。
 重厚な資料が収められた背の高い事務用キャビネットが立ち並ぶ中、

「ねえ、ここにKASCの社長の大事なものがあるのー?」
「そのはずよ。あと社長じゃなくて巣黒支部長」
「しぶちょ……? しゃ……? まあいいわ!」
 バカを丸出しにしながらウィアードテールがやってきた。

「貴女の探しているのはこれですね」
 そう言って、居合わせた前髪の長い婦警がバカに資料を差し出す。
 公安のKAGEである。

 ビル内は怪異と術者が入り乱れて争う危険地帯だ。
 婦警が気安く歩ける状況ではない。
 それにウィアードテールはいちおう怪盗だ。
 警察からは逃げなければならない。
 そもそも目元が見えないほど前髪の長い公務員なんて普通じゃない。

 だがバカで陽キャなウィアードテールはそんな常識的な疑問など抱かず、

「KASCの不正の証拠です。コピーをとっておいたので一部どうぞ」
「くれるってこと? わーい! ありがとー!」
 素直に資料を受け取って喜ぶ。
 そんなバカを尻目に、用を済ませたKAGEは何食わぬ顔で部屋を出ていった。

「この紙、何だろう? 宿題のプリントとかだったらやだなー……あっ! 裏が白いからお絵かきができるね! やった!」
「ええ……」
 主の妄言に、肩のハリネズミが苦笑する。
 そして、ふと先ほどまでKAGEがいたキャビネットの隅を見やる。

 そこには人ひとりが丸ごと入れるような巨大な壺の、割れた下半分が鎮座していた。

――僕がここまで来られたのは、君がいたからだって
――何度でも伝えたいよ

――君が何処にいても聞こえるように
――笑ってくれるように
――僕の気持ち、歌にして、送るよ

 そして再び『Joker』。
 ステージの上では少女たちが楽しげに歌う。

 委員長と長いツインテールの彼女、加えて双葉あずさ。
 つい先ほど白熱の歌対決を繰り広げた2人のアーティストに、復活した双葉あずさが加わった夢のステージ……を何故かいっしょに歌う桜が御釈迦にしていた。

 当然と言えば当然だが、桜だけ歌のレベルが突出して低いのだ。
 ひとりだけ露骨に音程がずれてる。
 なのに舞台のいちばん目立つ位置で自分が主役みたいな満面の笑みで熱唱している。
 心臓に毛が生えてるなんて生易しいものじゃない。

 桜の豪胆さに、聴衆たちは良い意味でも悪い意味でも度肝を抜かれていた。
 ツインテールの彼女がKASCのアーティストだったということは忘れていた。
 そんな様子を、

「……酷い歌だな」
 カウンターから梨崎蔵人が見やっていた。

 客席の隅にはカウンターが設置されていて、飲みながら歌を聞くこともできる。
 しかもステージからは死角になっていて見えない。
 たとえば音楽を疎んでいた父親が、娘のライブを見に来てもバツが悪くないように。
 だから熱狂のライブの最中、幸いにもカウンターに他の客はいない。だから、

「あの状態から、梓依香をまともに歌えるようにするのに苦労したっけね」
「いや流石のあいつも、ここまでじゃなかったろう」
「そうだっけか」
 元クイーンのオーナーと、元エースの蔵人は、昔の仲間を肴に笑みを交わす。
 そして蔵人は、遠い目をして娘を見やる。

「……それより紗羅のギター、ファの音が半音ずれてるな」
 あいつと同じように、と言いかけた蔵人に、

「けど他は正確だろ? あんたのギターと似てるよ」
 オーナーが答える。
 その言葉に蔵人は一瞬、逡巡し、

「……違うよ」
 ステージで歌う娘の笑顔から目をそらす。

「ファイブカードのエースは、もうずっと昔に死んだんだ。奴はロックを捨てて、ロックは奴を見切って、そうやって、奴はひとり寂しく死んだのさ」
 語りながら、口元には乾いた笑みが浮かぶ。

 梓依香を失ったあの日、確かに彼の心は死んだ。
 奇しくも彼のあずかり知らぬ場所で、蔓見雷人が人としての生を失っていたように。
 その後の蔵人は、ただの運輸会社の社長だった。娘に対しても。だが、

「だから紗羅の歌は、あいつ自身の歌だ。エースとジョーカーの娘なんて下らない御仕着せじゃない。梨崎紗羅って名前の、ひとりのロッカーだ」
「歌がひとりで歌えると思うかい……?」
 返されたオーナーの言葉で、

「……まさか!?」
 蔵人は気づいた。
 娘のギターに、亡き妻と同じ癖がある意味。
 そして自分が存在すら知らなかった新曲を、娘が歌っていた意味を。

「あんたがそういう奴だって、梓依香は気づいてたんだよ。自分がいなくなったら何もかも捨てて逃げちまうってね。だから最後の悪戯をしたのさ」
 オーナーは語る。

 蔵人が慣れぬ社長業で忙しくしている間、彼女は梓依香と親交を深めていてくれた。
 梓依香を看取り、梓依香が遺した最後の手紙を蔵人に託したのも彼女だった。
 そんな彼女の言葉によって、蔵人はようやく気づいた。だから、

「どこ行くんだい?」
 蔵人はそっと席を立つ。

「……コーヒー買いに行ってくる」
「メニューにあるよ」
「缶の奴が飲みたいんだ。外に自販機があったろ」
 訝しげなオーナーに言い残し、蔵人は静かに店を後にした。

――天国でも、地獄でもない、この世界の中
――この道はまだ、ずっと先まで、続いてるけど
――ひとりで歩く道じゃないよ
――僕にはまだ歌が、あるから

 そして『Joker』のビルの裏に設置された自販機の前。
 買ったばかりのコーヒーを手に、蔵人の頬を涙がつたう。

 あの『FOREVER FRIENDS』は技巧を凝らしたハイテンポな曲だ。
 しかも梓依香の……なんというか癖のようなものが強い。
 弾きこなすだけでも相当だ。

 先に同じ曲を弾いたツインテールの彼女の腕前は中学生とは思えぬ高水準だ。
 その上で、あの曲を弾くために相応の練習を積んでいた。
 彼女の並ならぬ努力はギターを聞けばわかる。
 にもかかわらず、ミスの無いように弾くのが精いっぱいだった。
 そういうメロディだ。

 なのに、それを紗羅はあんなにも自然に弾きこなしていた。
 いっそ不自然なほどに。

 まるで生まれた瞬間から聴いてたみたいに。
 生まれる前から、聴いていたみたいに。
 歌対決の相手だった彼女の言葉は、比喩ではなかった。

 そう。紗羅はずっと聞いていたのだ。
 生まれた瞬間から。
 否、胎内でずっと聞いていたのだ。優しい母親の歌とギターを。

 梓依香はずっと歌ってくれていた。
 自分がいなくなった世界でも、蔵人が悲しい思いをしないように。

 あの歌こそが梓依香が自分へと遺した最後のラブレターだった。

「……」
 蔵人の唇が、歌と同じ形に動く。

 ロックを捨てた彼の、涙で詰まった喉から歌声は出ない。
 けれど今まで目を背けてきた紗羅への、梓依香への想いを確かめたかったから。
 梓依香からの愛を受け止めたかったから……

「…………」
 ライブハウスのビル裏の、誰もいない自販機の側。
 かつて伝説のロッカーだった父親は、声なき声で歌った。

――2人で歩いた道
――2人で歌った歌
――絶対に、忘れやしない

「ああいうところ、昔と変わらないね」
 ひとりごち、残されたオーナーは寂しそうに笑う。
 そして遠くを見やり、

「……あんたの最後の悪戯、大成功だったよ」
 そこには居ない誰かに語り掛ける。
 あの日に看取った最愛の友のことを思い出す。

 素直で屈託なく、可憐な梓依香は誰からも愛されていた。
 それはオーナーも例外ではなかった。
 同じ後輩メンバーとして、彼女を妹のように……それ以上に溺愛していた。
 その関係は、グループが解散してからも続いた。

 けれど梓依香が選んだのは自分ではなく蔵人だった。
 だから梓依香と蔵人の仲を祝福した。
 2人が結ばれた後も、多忙な蔵人の代わりに友人として梓依香の話し相手になった。
 蔵人の会社が大きくなり、娘が生まれ、そんな話を彼女から聞くのが好きだった。
 だから彼女の命が長くないと知ってからは、彼女の計画の片棒を担いだ。

 わたしと貴女の歌が、もう一度エースに伝わるといいな。

 彼女の最後の願いを、愚直に叶えようとした。
 ようやく持てることになった自分の店、ライブハウスを『Joker』と名づけた。
 自分ではなく、最愛の梓依香の名を。
 そして彼女自身が願った通り、彼女のギターを娘に託した。
 彼女から惜しみない愛と想いを受け継いで成長した娘にギターを教えた。その結果、

「あんたの娘はビッグになるよ。きっと、あたしたちよりもさ」
 口元に懐かしむような笑みを浮かべながら、夢見るように語る。

「あんたから名前を貰った『Joker』で、他にもアーティストが育ってる。小学生からアイドルやってる子もいるんだ。これから、もっと凄いことになるよ……」
 やり手のライブハウスのオーナーは語る。
 大きく、明るく、その上で確かな展望を持って夢を語る。
 最愛の友に向かって――

――そうさ君は、歌になって
――吹き抜ける春の風になって
――僕の隣に、いるよ

 そして再びKASC支部ビルの隠し部屋。

 哀愁のバラードを聞きながら、舞奈は気づいていた。
 歌い続けるうちに、三尸の身体が徐々に崩れていることに。
 ヤニ色をした芋虫の身体は、自身の歌にあわせるように徐々に崩壊していた。

(そういうことか……)
 口元が乾いた笑みの形に歪む。

 三尸は不の感情から生まれたマイナスの魔力で形作られている。
 だから美しい歌に触れることにより、存在が維持できなくなっているのだ。

 自力で悪魔術を修めた彼は、そうした三尸の仕組みをも理解していた。
 そして自身の選択の過ちとその結果のすべてを、彼は歌で清算した。だから――

――あの懐かしい歌になって
――まばゆい木漏れ日になって
――僕の隣に、いるよ

 歌が終わると同時に三尸は砕けた。
 ひとりでに崩壊して、光の粉になって消えた。
 他の虫のように黒い煙になったりはしなかった。

 光が消えた跡を、舞奈と明日香はしばらく見つめ続けた。
 そして、

「……あいつはさ、最後の賭けに勝ったんだよ」
 ひとりごちるように舞奈はこぼす。
 非凡なロッカーにして術者だった彼は、最後に脂虫でも三尸でもない何かになった。
 そう信じたいと願った言葉を、明日香は無言で肯定してくれた。途端、

「あっ! 舞奈さん! 明日香さん!」
「……ん? あんたか」
 倒れたドアを踏み越えて誰かがやってきた。
 それは黒皮の鋲付きコートを着こんだロッカー……萩山光だった。

「うわぁっとっと」
「おいおい。片がついた後に、しょうもない怪我せんでくれよ」
 ドアノブにけつまずいてコケそうになった彼の……相変わらずな姿に苦笑して、

「探しものか?」
 気もそぞろに周囲を見渡す彼に、何食わぬ調子で問いかける。
 どうやら粗忽ではなく注意散漫なだけだったようだ。
 一瞬、舞奈たちの保険として三尸を始末しに来たのかとも思ったが、

「えっと、お2人以外に…誰かいなかったすか?」
「人探しか?」
「あ、いえ、その……歌が聞こえたんです。ファイブカードのジャックの声で」
「わかるのか? 声なんかで」
「はい! その、俺、ファンで、チャムエルさんもフォーカード時代からファンで……だから、その、確かめたくて、ジャックが本当に……」
 彼の素朴な答えに、一瞬だけ祭壇の上を見やる。

 残念ながらジャックは本当にKASC巣黒支部長だった。
 脂虫になってしまった奴は、この世から消え去るという最後の役目を自ら遂げた。
 だから砕けた壺の破片の中には、もう何もない。

 そんな感傷を誤魔化すように、

「……いるさ」
 何食わぬ笑顔で答える。

「!? ちょっと――」
「――おまえは聞いてなかったのか?」
 慌てる明日香を真顔で制する。

 脂虫が三尸へと変えられ、それを泥人間の道士が利用するというプロセスは極秘だ。
 彼がそれを知っているかが不明な以上、軽々しく話すなんてとんでもない。
 だが、それは舞奈も十分に承知した上で、

「歌になって、あたしらの隣にいるってさ」
 言って笑う。
 それは確かに先ほど歌われていた『GOOD BY FRIENDS』の一節だ。

 彼は歌になった。
 舞奈が、皆がそう思うことが誰かの慰めになる。
 そう信じたかった。

 ……面子を潰されたと思ったらしい明日香が睨んできたが無視する。

「そうっすね! 流石は舞奈さんっす!」
「だろ?」
 素直に感激する萩山にドヤ顔をしてみせる。
 人間は素直が一番だ。
 だが、そんな彼への違和感にふと気づく。

「……あんた、ギターどうしたよ?」
「それがその……戦闘で壊しちゃって……」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
 舞奈の問いに、彼は慣れない様子でハーモニカを弄びながら沈んだ声で答えた。
 だが彼がギターを雑に扱ったりする訳ないのは舞奈にもわかる。
 戦闘で壊れたと言っているのだから、戦闘で壊れたのだろう。
 おそらく音楽と文化のために、一命をも賭した激戦によって。だから、

「なら、これからは、こいつがあんたの相棒だな」
 手にしていた稲妻型のオブジェを放り渡す。
 萩山はあわててハーモニカを吹いて風を操りオブジェを受け取る。その瞬間、

「うわっ」
 それは稲妻を象ったギターになった。
 勝手に展開される仕組みじゃなかったはずだが、放置したせいでバネか金具がイカれていたのだろうか? だが好都合だ。

「こ、これ……!? いいんすか?」
「ああ。あんたが使ったほうが前の持ち主も喜ぶさ。あと、たまには『Joker』にも顔出してやれよ!」
「了解っす!」
 萩山は手の中のギターを見やって驚いている。
 そんな彼を見やって舞奈は笑う。

「(オーナーに渡してくれって頼まれてなかった?)」
「(その方が、手間が省けていいだろ)」
 睨んでくる明日香を笑顔でいなす。

 手元に戻ったギターを、オーナーはそのまま腐らせておいたりはしないだろう。
 新たな弾き手を探すはずだ。委員長にブラックゴーストを託したように。
 なら次の持ち主といっしょに渡したほうが手っ取り早い。
 それに……そのほうが彼女も寂しくない。
 そんな感傷を誤魔化すように、

「そういや、あんた。他にやることあったんじゃないのか?」
「そうでした! チャムエルさんの補佐をしないと! それじゃあ、また!」
 新たなギターを早速つま弾きながら、萩山は風に乗って走り去る。
 ちょっと奈良坂と似た感じに粗忽な挙動が不安を誘う。
 そんな彼が去った跡を何となく見やりながら、

「……そういや前に、クラスの皆でサバゲーやったろ?」
「ええ」
 何気なく問いかけた舞奈に、明日香も何食わぬ口調で答える。

 たしか委員長の場繋ぎライブとウィアードテール騒ぎの前のことだったか。
 その際、委員長は歌攻撃とかいう謎ルールのもとに参戦した。
 ゲーム中に歌って、敵陣のプレーヤーは感動したら退場という雑なルールだ。
 そんなゲームで最後まで残ったのは紅組の舞奈と委員長、白組の明日香。
 舞奈と明日香は接戦を繰り広げた。
 そんな最中、明日香は唐突に歌攻撃による被弾を申告した。
 感動したからだ。
 そんな懐かしい一幕を思い出して微笑しつつ、

「スマン、ありゃ引き分けだ」
 ボソリと言った。

 何故ならKASCと歌、悪党どもの野望の阻止、そういった諸々すべてに片をつけた今、少しくらい他所事をしてもバチはあたらないと思った。
 何より蔓見雷人が歌になった場所で、歌が何かを変えた証を語りたかった。
 それが只の感傷なのだとわかっていながら。

 だが四角い性格の戦闘魔術師カンプフ・マギーアは、

「歌にフレンドリーファイアがあるの?」
 もっともな疑問を口にした。

「それだと、ゲーム半ばで委員長のひとり勝ちになるけど」
「相変わらず細けぇ奴だな」
 使命を果たした2人は普段と同じように軽口を叩き合う。
 そうしながら、

「歌で戦争を終わらせるなんて、日昼のアニメみたいで恰好良いじゃないか」
「残った時間はどうするのよ?」
「日程にない音楽会ってのはどうだ?」
「エアガン配って、障害物を準備して?」
「……細けぇ奴だな」
 朽ちて焼け焦げたコンクリート造りの一室で笑い合う。

 銃弾と攻撃魔法エヴォケーションが交錯する舞奈の日常。
 だが気心の知れた彼女が側に居てくれるから、変わらぬ自分でいられる。
 訳もなく、そう思った。
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