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第14章 FOREVER FRIENDS
はやにえ ~ナワリ呪術&古神術vs道術
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「やれやれ。次の階段を降りたら、ようやくKASCの大将とご対面だぜ」
舞奈と明日香はKASC巣黒支部ビルの廊下を駆け抜ける。
それぞれの手には拳銃、小型拳銃。
「移動してなければね」
「施術室が動いてたまるか」
「蔓見雷人がよ。逃亡する可能性はゼロじゃないわ」
「そうかい。なら急がないとな」
軽口を叩き合いながら舞奈は確信する。
やはり明日香も気づいてはいるのだ。
既に大魔道士である蔓見にとって、今回の儀式を行うメリットがないことに。
だが、その事実はむしろ蔓見との対面を急ぐ理由になる。
伝説のロッカーにして悪魔術師である彼の本当の意図が、意地でも知りたくなった。
明日香も同じはずだ。彼女は知識の会得に貪欲だから。
「この部屋を突っ切りましょ。少しはショートカットできるはずよ」
「だといいけどな」
ドアのひとつを蹴り開ける。
脳内に叩きこんだ地図によれば明日香の意見は正しい。
だが跳び入った2人の前に――
「――この先には行かせないザマスよ」
「あんたじゃねぇ! チェンジだチェンジ」
あらわれたのは鬼瓦のような顔の中年女だった。
残念ながら疣豚潤子だ。
しかも大量の取り巻きを連れている。
側の明日香を少し睨み、だがすぐに目前のハズレに目を戻す。
迂回していたら疣豚潤子との遭遇を回避できただろうか?
だが敵が占術で舞奈たちの行動を読んでいたのだとしたら、廊下で遭遇しただけだ。
それに、もしもの話をしてもハズレが引き直しになったりはしない。なにより……
「……そいつら、あんたの取り巻きだったのか」
コピペのように薄気味悪い同じ顔をした取り巻きども。
それは学校で委員長を足止めしようとした男性アイドルたちだった。
まあ、そいつらを振り切った先の『Joker』には疣豚本人が乗りこんで来たのだから、予想できなかった訳でもない。
そんな不気味な優男どもは、もちろん全員がくわえ煙草。
手には方天画戟。
今回も槍の再生能力を活用して足止めに徹するつもりらしい。
「ったく、相も変わらずセコイ真似しやがって」
顔をしかめてみせる。
だが、敵側として儀式を完遂させるために最適な行動なのも事実だ。
こちらも鶴見雷人の差金だろうか。
何にせよ奴の目論見を挫くためには最速で鬼瓦を倒すしかない。
そう結論づけ、舞奈たちが身構えた途端、
「!?」
いきなり男のひとりが爆散した。
疣豚潤子が仰天する。
明日香も舞奈も面食らう。だが、その口元には笑み。
何故なら飛び散った肉片は門を形作る。
そして屍肉の門から、見知った2人が飛び出した!
ひとりは戦闘セーラー服を着こんだ不機嫌そうな女子高生。
もうひとりは巫女装束に身を包んだ、ほんわかした少女。
小夜子とサチだ。
2人をこの場に運んだのは小夜子が修めたナワリ呪術【供物の門】。
生贄を用いた長距離転移の大魔法だ。
この術には転移元と転移先の双方に贄が必要。
だが幸い、ビルの外にも内にも脂虫が大量にいる。
そして舞奈の目前にも。
加えて転移先の選定に際しても煙立つ鏡を通じて世界そのものから情報を得られる。
「……キムに少し似てるわね」
小夜子は不快げに吐き捨てながら、手前の1匹を一瞥する。
途端、その1匹がいきなり爆発した。
こちらは空気を火に変えて気化爆発を引き起こす【捕食する火】。
敵の周囲を火にすれば回避不能の焼き討ちができる。
しかも爆発するので被害も甚大。
周囲の取り巻きたちは成す術もなく丸焦げだ。
だが後ろにいた疣豚だけは【水行・防衣】で水の防護膜を作って炎を防ぐ。
「アテクシの可愛い息子タンたちが!?」
「じゃあ守ってやればよかったじゃないか」
目を剥く疣豚に思わずツッコむ舞奈の前で、
「舞奈ちゃんたちは先に行って!」
サチも小さな鬼火を放って追撃しながら叫ぶ。
こちらは【狐火法】と言ったか。
サチが修めた古神術のひとつで、大気中の熱を集めて火にして放つらしい。
そんなサチの巫女服からのびる白い手首には注連縄
頭には猫耳カチューシャ。
それぞれ神術の防壁【護身神法】、ナワリの身体強化【ジャガーの戦士】の媒体だ。
その側で戦闘セーラー服を着こんでショットガンを携えた小夜子も同様。
2人とも戦闘の準備は万全だ。
ナワリは複数対象に術をかけるために贄がいるが、幸いにも周囲は脂虫だらけだ。
小夜子は大ハッスルしながら施術したのだろう。
かつて脂虫に幼馴染を奪われた彼女は、臭くて不潔な喫煙者の排除に積極的だ。
この場所で開始される激戦に向けて血を滾らせているはず。だから、
「ああ、そうさせてもらうぜ!」
「後はよろしくお願いします」
脂虫どもの臭い壁を無理やりに突破し、当初の予定通りに部屋を突っ切る。
「息子タンたち! 奴らを逃がさないで! あの方との約束なの!!」
「ハイ、ママ!」
疣豚のヒステリックな叫びに答え、優男の脂虫どもが槍を構えて追いすがる。
「斬り裂き貫け、山の心臓!」
小夜子は叫ぶ。
途端、優男のうちひとりの足元から、床材を裂いてコンクリートの刃がのびた。
人間を串刺しにするには十分サイズの石材の槍を、男たちは怯んで避ける。
大地を構成する岩石を刃と化す【破断する岩】の呪術。
以前にアイドル襲撃犯の長屋氏を排除した際に使った【砕く石】の強化版で、紅葉が多用するウアブ呪術【地の刃】と同等の術でもある。
故に熟練した容赦のない術者が使えば人体を切断することすら可能。だが、
「……試した時より精度が出ないわね」
『砕カレ混ゼラレタ石ハ成レ果テデアル。生キテイル岩ホド機敏ニハ動ケヌ』
ひとりごちる小夜子に声が告げる。
肩に肩紐で吊られたショットガンの、平たい側面に映った煙立つ鏡だ。
山の心臓とはナワリで大地を操作するためにイメージされる神の名。
それは煙立つ鏡の別名でもある。
その名を借りた呪術はコンクリートを構成する砂利やセメントすら操ることが可能。
だが加工された建材は、そうでない岩石や土より操作が難しいらしい。
「小夜子ちゃんもう1度やって! 次はわたしも手伝うわ」
背後からサチの声。
彼女も神使から何らかの示唆を得たらしい。
「かけまくもかしこき大山津見神――」
続けざまに祝詞を紡ぐ。
奉ずるは、ナワリの山の心臓と同様に大地を司る八百万の神が1柱。
「斬り裂き貫け、山の心臓!」
小夜子はサチの意図にすぐさま気づき、再び【破断する岩】を行使する。
そして古神術による大地の刃【地刃法】。
同時に行使された2つの呪術によって、優男たちの側から数多の刃が飛び出る。
床から、壁から、全員の側にひとり1本づつ!
まるでコンクリートの建材でできた剣山だ。
しかも刃は正確無比に目標の胴を穿ち、貫く。
「おおっと」
行く手をふさぐ脂虫を蹴散らそうと接敵していた舞奈が跳び退る。
明日香もとっさに足元に斥力場を創り出す。
だが、もちろん2人に防御は必要なかった。
小夜子の狙いは2人を阻む優男たちなのだから。
そして熟練のナワリの狙い違わず、今度は優男ども全員が串刺しになった。
「さんきゅ!」
「援護に感謝します!」
舞奈と明日香は、力技で無力化された優男どもの合間を縫って駆ける。
その背を見送りつつ、あまりの効果の小夜子は驚く。
ナワリも古神術も呪術師の流派だ。
呪術は自身で喚起した魔力を呼び水にして森羅万象に宿る魔力を操る。
だから全く同じ効果を持つ術を2人でかければ相乗効果で威力は上がると思った。
だが、これほどまでとは……。
――汝ガ側ニ居ル者ニ目ヲ向ケヨ
――其ハ汝ノ力ナリ。汝ハ其ノ力ナリ
かつて煙立つ鏡が告げた言葉が脳裏をよぎる。
そんな小夜子を見やり、神使と何かを話してサチは笑う。
小夜子もそれに微笑で答える。
一方、廊下の壁や床が変じた剣山に串刺しになった優男たち。
唇に煙草を癒着させた脂虫どもは皆、目を見開いて苦悶にうめく。
それでもなお方天画戟は手から離れない……離せない。
邪悪な槍に身体を支配されているため手放すことができないのだ。
だから再生により死ぬことも逃れることもできぬまま、触角だけが徐々にのびる。
この地獄絵図こそが小夜子の策だ。
以前にアイドル襲撃犯の長屋氏宅を襲った際の教訓を糧にしたのだ。
当時は無尽蔵に湧き出すコピー脂虫を倒しきれず、撤退を余儀なくされた。
小夜子の手札が、敵を素早く殺すためのものしかなかったからだ。
爆発的な瞬間火力と引き換えに、ナワリは持久戦に弱い。
そんな弱点を克服するべく小夜子が考えた手段。
それは脂虫を串刺しにして動けなくしてから、必要に応じて贄として使うこと。
つまりはモズのはやにえだ。
「息子タンが! 息子タンたちが!?」
疣豚が鬼瓦を怒りでさらに醜く歪めて絶叫する。
もちろんコンクリートの槍は彼女をも狙った。
だが彼女だけは【水行・遁甲】で水と化し、無数の刃を避けていた。
他の術を使って手下を救おうとはしていなかった。にもかかわらず、
「このネトウヨ糞女が! 若さで男に媚びる売春婦のメスガキがぁ!!」
小夜子を、その奥にいるサチに向かって叫ぶ。
ヤニに脳を侵された彼女に、理性的な判断などできない。
ただ己の醜い感情のまま暴言と悪行による被害を周囲にまき散らすだけだ。
だから足止めの対象だったはずの舞奈や明日香ではなくサチと小夜子を睨み、
「お前たちも同じ目にあわせてやる!」
符を取り出して投げる。嘯。
3枚の符は3つの巨大な水刃と化し、回転しながら飛来する。
即ち【水行・刀刃】。
小夜子は跳躍するタイミングを見計らいつつ身を低くする。
横薙ぎの刃は【ジャガーの戦士】で強化された跳躍力で回避可能だ。
幸いにも飛来するスピードも早くはないし、避ければ左右の壁に当たる軌道だ。
もちろん手首の注連縄と連動した【護身神法】で防げない攻撃ではない。
それでも手札は無駄にしたくない。
そんな小夜子の目前で、目前に迫ったひとつが唐突に符に戻って焼け落ちた。
背後でサチが微笑む。
彼女の魔法消去【祓】。
本来は同等の術により消去を反転されるのを警戒して、あまり使われない術だ。
だが神術士は防御魔法を得手とする。
反転されない自信があったのだろう。
一方、消去を免れた2つの刃はカーブを描きながら小夜子めがけて飛来する。
小夜子は再び身構える。
だが刃は不意に軌道を変え、小夜子の左右を迂回して奥のサチに襲いかかった。
「えっ!?」
サチは驚き、とっさに動けない。
「若くて胸の大きいお前の方がネトウヨだ! 先に殺してやる!!」
疣豚は鬼瓦を醜く歪めて叫ぶ。
敵の狙いは背後で補佐するサチだった。
「サチ……っ!?」
小夜子は慌てて振り返る。
迂闊にも、敵の性根の卑しさを見落としていた。
薄汚いヤニと汚物の申し子は、美しいものを憎み嫌う。
そして朗らかなサチは自分より人間的に、女性的に魅力がある。
だから醜い感情のおもむくまま、敵はまずサチを害しようと思ったのだ。
もちろんサチも自身の【護身神法】で防護されている。
加えて先ほどのように消去することもできるだろう。
だが障壁の耐久度には限界があるし、位置的に2つの刃を同時に消去は不可能。
先ほどコンクリートを槍にした直後なので、同じ材質で壁を創るのも困難。
迎撃できればいいのだが、小夜子もサチも反射神経は人並だ。
舞奈みたいに飛ぶ刃を叩き落とすとかはできないし、当の舞奈は遥か先だ。だから、
「翡翠のスカートの女よ!」
とっさに叫びが喉をついた。
脳裏をよぎった手札は【蠢く水】ないし【挺身する水】。
前者は以前に少し練習した【裁断する水】の礎となる液体操作の基礎技術。
後者は、その技術を用いた防御魔法。
実のところ、はっきりと術の成就を意図できてはいなかった。
なにせ急なことだった。
それでも小夜子はサチを守りたかった。
何処かに水道管が埋まっていれば、その水が答えてくれるだろうと少し思った。
だが次の瞬間、異変が生じたのはサチを狙った水の刃そのものだった。
ひとつは唐突にひしゃげ、形を歪めながら大きく進路を変える。
そして、もうひとつの刃に激突した。
2つの水塊はつぶれて符に戻って燃え尽きる。
小夜子はサチが何かしたのだと思った。とっさに自分自身を守るために。
無論、妖術で創られた水を他の術で操るのは至難。
相手の魔力を自身の魔力が圧倒的に上回っていなければならないからだ。
だが神術士は防御魔法を得手とするし、先ほどもひとつめの刃を消去した。
だから一瞬だけ、安堵の笑みをもらす。
サチが無事でよかった。
そして次の瞬間、疣豚潤子に向き直り、
「おまえだけは……っ!」
許さない。
ショットガンを手に取り構え、矢のように走る。
小夜子はサチを守ると決めた。
かつて幼馴染を失った喪失感、あの空虚な感情に飲みこまれないために。
だからサチを守るために手段を選ばない。
サチを害そうとするものを許さない。
背後にかばった無垢な彼女の安全を脅かすものは排除する。決して逃さない。
口先で愛着を主張するだけの目前の鬼瓦とは違う。
だから疾駆は一瞬。
串刺しになった優男どもの林を駆け抜ける。
身体強化【ジャガーの戦士】を併用した小夜子の速さに鬼瓦は対応できない。
目前に迫った鬼瓦にショットガンの銃口を突きつけ、撃つ。撃つ。
爆音、発火炎。
至近距離から立て続けにぶちこまれる散弾。さらに、
「かけまくもかしこき火之迦具土神――」
背後から小夜子を回りこんで数個の鬼火が飛ぶ。
サチが再び行使した【狐火法】だ。
周囲の熱を集めて火球と化す古神術は、落雷と違って屋内でも使用できる。
鬼火は他流派の火球と同じように疣豚の近くで破裂して火の粉を散らす。
だが疣豚はとっさに【水行・遁甲】で液状化し、散弾と爆発を回避する。
小夜子は思わず舌打ちする。
自身への攻撃を回避することにだけは長けているらしい。
なるほど、舞奈たちへの足止めに相応しい人なのは確かだ。
だが次の瞬間、小夜子の口元に笑みが浮かぶ。
疣豚が小夜子とサチに気を取られている間に、当の舞奈と明日香は向こう側のドアにたどり着いたようだ。
元の姿に戻った疣豚も背後を見やる。
そして目を見開く。
部屋を出ようとする2人を目にして、ようやく使命を思い出したのだ。
なんとも感情的で浅はかな、醜く卑しい中年女。
彼女をこの場所に差し向けた何者かも、その頭の悪さは計算外だっただろう。
そんな無様な疣豚は、鬼瓦のような醜い顔を焦りに歪め、
「わたしの可愛い息子タン! あいつらを閉じこめるザマスよ!」
叫んで、嘯。
手近に刺さっていた2人の優男――ヤニを摂取し続けた人型怪異の四肢があらぬ方向に捻じ曲げられ、苦悶の表情を浮かべながら崩壊していく。
同時にゆっくりと世界が黒ずんでいく。
「【大尸来臨郷】……」
「えっ? 可愛がってたんじゃ?」
小夜子が顔をしかめ、サチが驚く。
疣豚が施術しようとしているのは戦術結界を創造する大魔法。
ただし施術するために脂虫を贄にする必要がある。
可愛い息子タンとは何だったのか。
疣豚にとって優男たちはその程度の存在でしかないのだろう。
彼女のように薄情な中年女は、他者を自分の手駒かアクセサリーとしか思わない。
だから口先だけで愛着を示した直後に平気で殺して贄にする。
だが彼女らが如何に卑しいかなど承知済み。だから、
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
小夜子は叫ぶ。
すると崩壊しかけた優男が刺さったコンクリート刃が爆発した。
爆炎は一瞬にして贄の男を焼き尽くす。
術の種類としては【捕食する火】。
先ほど【破断する岩】で操ったコンクリート刃の表面を火に変えたのだ。
ナワリにおける多くの神々は、ただ1柱の神に関連づけられる。
煙立つ鏡だ。
トルコ石の蛇は煙立つ鏡の武具で、山の心臓は煙立つ鏡の別名である。
だからナワリ呪術師は地刃に火をまとわせることができる。
「ああっ!? 息子タンが!!」
疣豚は再び驚愕し、叫ぶ。
施術中に贄を失うことにより大魔法をが失敗したのだ。
その隙に舞奈と明日香は向かいのドアをこじ開けて部屋を出ていった。
さらに次の瞬間、周囲に霧が立ちこめる。
白い霧の合間に映るはヤニで汚れた壁ではなく、清浄な森の景観。
即ち【天岩戸法】。
サチの大魔法が完成し、部屋が結界化したのだ。
だが疣豚が意図したように舞奈たちを足止めするためではない。
小夜子とサチが、疣豚を逃さないための結界だ。
さらに小夜子は手近な石刃に刺さった優男を、続けざまに数匹、蹴り飛ばす。
脂虫どもは疣豚めがけ、結構な勢いで飛んでいく。
身体強化の影響下にある今の小夜子にとっては造作ない。
「!?」
疣豚が不意を突かれて目を見開く隙に、
「――トルコ石の蛇!」
小夜子は再び【捕食する火】を行使する。
今度は投げつけた優男を贄にして強化した大爆発。
それが複数。
液状化して回避できるタイミングではない。
だが爆炎が晴れた後、疣豚は幾重もの水の膜の中からあらわれた。
今度は身体を水の鎧で覆う【水行・防衣】。
それを何重も行使して身を守ったのだ。
「アテクシの使命を! アテクシの息子タンを! 許さないレイプしてやるザマス!!」
疣豚は、優男を発破した小夜子に罵詈雑言を叩きつける。
もちろん飛んできた優男を救おうとする素振りなど微塵もなかった。
コピー脂虫とはいえ手下を見捨て、自分の身だけは守る。
その上で平気で他者を非難する。
その浅ましさにサチは、そして小夜子も口元を歪める。
この鬼瓦のような顔をした下衆女を、何としても倒さねばならない。
そのために小夜子は残りの脂虫の数を確かめる。
必殺の【虐殺する火】に、十分な強化を施すには十分。
だが小夜子は逡巡する。
自分自身を守ることに関してだけは有能な疣豚を相手に、不発は避けたい。
防護される可能性をゼロにまで押し下げたい。
だがネガティブ思考ゆえの懸念を、熟練者の判断で有効な戦術へと昇華させ、
「サチ! もう一度力を貸して!」
「わかったわ!」
2人がかりで新たな術を行使する。
「かけまくもかしこき大山津見神――」
「壁となれ、山の心臓!」
叫ぶと同時に床が、天井が隆起して壁になった。
即ち【挺身する土】。
泥土や岩石を壁と成すナワリ呪術。
それは古神術における【地守法】、ウアブの【地の守護】に相当する。
だが目的は防御ではない。
だから壁は、疣豚を囲うように起立した。
加えて小夜子の【地守法】と同時に、贄も何匹か使い、床のコンクリートに天井のアスベスト材まで動員し、疣豚と数匹の優男を覆って石材の小屋を創ったのだ。
古神術士の穢れなき術と、贄から搾った穢れそのもの。
両者を併用することに抵抗がないと言えば嘘になる。だが気にしても仕方がない。
そんな小夜子の思惑を他所に、
「ハハハ! 何ザマス? アテクシを守るつもりザマスか?」
疣豚は小屋の中で嘲笑う。
予想通りだ。
自身を囲うように形成された壁を、彼女は攻撃の布石とは考えていない。
身も心も肥え太った醜い中年女は自分の考えを押し通すばかりで周囲を見ない。
自分の考えが及ばない敵の策に対応できない。
だから小夜子は間髪入れず、
「焼き払え! 喰らい尽くせ! トルコ石の蛇!」
叫ぶ。
次の瞬間、爆音。
小屋の中からくぐもって響く、悲鳴のような怨讐のような破歳の音色。
即ち【虐殺する火】。
しかも疣豚といっしょに壁で囲った贄を使って強化した大爆発。
小夜子は岩壁で作った小屋に疣豚と贄を閉じこめ、内部を発破したのだ。
閉ざされた小屋の中での、空間そのものの連続爆発。
それを【水行・遁甲】によって回避することなど不可能。
加えて閉所で発動した気化爆発の大魔法による圧倒的な熱と爆圧。
その暴虐は【水行・防衣】でも防御不可能。
急場造りの岩壁は隙間から火を噴き、直後に飛び散る。
だが壁は十分に目的を果たしていた。
何故なら爆炎と煙が去った後……
「……っあ……っあ……」
散乱したコンクリート片の中に立っていたのは、焼けただれた人型の肉塊だった。
だが小夜子の攻めは終わらない。
素早く接敵し、ショットガンを掃射する。
至近距離から放たれた300発/分の散弾。
そんなものに防御魔法を使う余地のない状態で耐えられるはずもない。
炙られ焼かれた肉塊は、瞬時に肉片になって吹き飛ぶ。
焦げてなおヤニ臭い肉片が周囲に飛び散り――
「――アアアァァァァァァァ!!」
叫び声とともに、先ほどまで疣豚がいた場所を中心に魔法の光が放たれた。
そして、
「ア……アテクシも……アテクシも、ついにこの姿になれたザマスね!」
光がやんだ後、そこには銀色の巨漢がいた。
逞しい男性の身体の上に、頭の代わりに異様な物体が乗っている。
釣鐘状の、首まで覆うヘルメットのような人ならざる頭部。
「……完全体」
「ええ」
小夜子はギラギラと闘志をみなぎらせながら、ひとりごちる。
サチは慎重に身構えながら答える。
かつて新開発区で行われた殲滅作戦。
そこで蔓見雷人が変じた完全体を前に成す術もなく撤退した小夜子とサチ。
いわば今回は、そのリターンマッチだ。
舞奈と明日香はKASC巣黒支部ビルの廊下を駆け抜ける。
それぞれの手には拳銃、小型拳銃。
「移動してなければね」
「施術室が動いてたまるか」
「蔓見雷人がよ。逃亡する可能性はゼロじゃないわ」
「そうかい。なら急がないとな」
軽口を叩き合いながら舞奈は確信する。
やはり明日香も気づいてはいるのだ。
既に大魔道士である蔓見にとって、今回の儀式を行うメリットがないことに。
だが、その事実はむしろ蔓見との対面を急ぐ理由になる。
伝説のロッカーにして悪魔術師である彼の本当の意図が、意地でも知りたくなった。
明日香も同じはずだ。彼女は知識の会得に貪欲だから。
「この部屋を突っ切りましょ。少しはショートカットできるはずよ」
「だといいけどな」
ドアのひとつを蹴り開ける。
脳内に叩きこんだ地図によれば明日香の意見は正しい。
だが跳び入った2人の前に――
「――この先には行かせないザマスよ」
「あんたじゃねぇ! チェンジだチェンジ」
あらわれたのは鬼瓦のような顔の中年女だった。
残念ながら疣豚潤子だ。
しかも大量の取り巻きを連れている。
側の明日香を少し睨み、だがすぐに目前のハズレに目を戻す。
迂回していたら疣豚潤子との遭遇を回避できただろうか?
だが敵が占術で舞奈たちの行動を読んでいたのだとしたら、廊下で遭遇しただけだ。
それに、もしもの話をしてもハズレが引き直しになったりはしない。なにより……
「……そいつら、あんたの取り巻きだったのか」
コピペのように薄気味悪い同じ顔をした取り巻きども。
それは学校で委員長を足止めしようとした男性アイドルたちだった。
まあ、そいつらを振り切った先の『Joker』には疣豚本人が乗りこんで来たのだから、予想できなかった訳でもない。
そんな不気味な優男どもは、もちろん全員がくわえ煙草。
手には方天画戟。
今回も槍の再生能力を活用して足止めに徹するつもりらしい。
「ったく、相も変わらずセコイ真似しやがって」
顔をしかめてみせる。
だが、敵側として儀式を完遂させるために最適な行動なのも事実だ。
こちらも鶴見雷人の差金だろうか。
何にせよ奴の目論見を挫くためには最速で鬼瓦を倒すしかない。
そう結論づけ、舞奈たちが身構えた途端、
「!?」
いきなり男のひとりが爆散した。
疣豚潤子が仰天する。
明日香も舞奈も面食らう。だが、その口元には笑み。
何故なら飛び散った肉片は門を形作る。
そして屍肉の門から、見知った2人が飛び出した!
ひとりは戦闘セーラー服を着こんだ不機嫌そうな女子高生。
もうひとりは巫女装束に身を包んだ、ほんわかした少女。
小夜子とサチだ。
2人をこの場に運んだのは小夜子が修めたナワリ呪術【供物の門】。
生贄を用いた長距離転移の大魔法だ。
この術には転移元と転移先の双方に贄が必要。
だが幸い、ビルの外にも内にも脂虫が大量にいる。
そして舞奈の目前にも。
加えて転移先の選定に際しても煙立つ鏡を通じて世界そのものから情報を得られる。
「……キムに少し似てるわね」
小夜子は不快げに吐き捨てながら、手前の1匹を一瞥する。
途端、その1匹がいきなり爆発した。
こちらは空気を火に変えて気化爆発を引き起こす【捕食する火】。
敵の周囲を火にすれば回避不能の焼き討ちができる。
しかも爆発するので被害も甚大。
周囲の取り巻きたちは成す術もなく丸焦げだ。
だが後ろにいた疣豚だけは【水行・防衣】で水の防護膜を作って炎を防ぐ。
「アテクシの可愛い息子タンたちが!?」
「じゃあ守ってやればよかったじゃないか」
目を剥く疣豚に思わずツッコむ舞奈の前で、
「舞奈ちゃんたちは先に行って!」
サチも小さな鬼火を放って追撃しながら叫ぶ。
こちらは【狐火法】と言ったか。
サチが修めた古神術のひとつで、大気中の熱を集めて火にして放つらしい。
そんなサチの巫女服からのびる白い手首には注連縄
頭には猫耳カチューシャ。
それぞれ神術の防壁【護身神法】、ナワリの身体強化【ジャガーの戦士】の媒体だ。
その側で戦闘セーラー服を着こんでショットガンを携えた小夜子も同様。
2人とも戦闘の準備は万全だ。
ナワリは複数対象に術をかけるために贄がいるが、幸いにも周囲は脂虫だらけだ。
小夜子は大ハッスルしながら施術したのだろう。
かつて脂虫に幼馴染を奪われた彼女は、臭くて不潔な喫煙者の排除に積極的だ。
この場所で開始される激戦に向けて血を滾らせているはず。だから、
「ああ、そうさせてもらうぜ!」
「後はよろしくお願いします」
脂虫どもの臭い壁を無理やりに突破し、当初の予定通りに部屋を突っ切る。
「息子タンたち! 奴らを逃がさないで! あの方との約束なの!!」
「ハイ、ママ!」
疣豚のヒステリックな叫びに答え、優男の脂虫どもが槍を構えて追いすがる。
「斬り裂き貫け、山の心臓!」
小夜子は叫ぶ。
途端、優男のうちひとりの足元から、床材を裂いてコンクリートの刃がのびた。
人間を串刺しにするには十分サイズの石材の槍を、男たちは怯んで避ける。
大地を構成する岩石を刃と化す【破断する岩】の呪術。
以前にアイドル襲撃犯の長屋氏を排除した際に使った【砕く石】の強化版で、紅葉が多用するウアブ呪術【地の刃】と同等の術でもある。
故に熟練した容赦のない術者が使えば人体を切断することすら可能。だが、
「……試した時より精度が出ないわね」
『砕カレ混ゼラレタ石ハ成レ果テデアル。生キテイル岩ホド機敏ニハ動ケヌ』
ひとりごちる小夜子に声が告げる。
肩に肩紐で吊られたショットガンの、平たい側面に映った煙立つ鏡だ。
山の心臓とはナワリで大地を操作するためにイメージされる神の名。
それは煙立つ鏡の別名でもある。
その名を借りた呪術はコンクリートを構成する砂利やセメントすら操ることが可能。
だが加工された建材は、そうでない岩石や土より操作が難しいらしい。
「小夜子ちゃんもう1度やって! 次はわたしも手伝うわ」
背後からサチの声。
彼女も神使から何らかの示唆を得たらしい。
「かけまくもかしこき大山津見神――」
続けざまに祝詞を紡ぐ。
奉ずるは、ナワリの山の心臓と同様に大地を司る八百万の神が1柱。
「斬り裂き貫け、山の心臓!」
小夜子はサチの意図にすぐさま気づき、再び【破断する岩】を行使する。
そして古神術による大地の刃【地刃法】。
同時に行使された2つの呪術によって、優男たちの側から数多の刃が飛び出る。
床から、壁から、全員の側にひとり1本づつ!
まるでコンクリートの建材でできた剣山だ。
しかも刃は正確無比に目標の胴を穿ち、貫く。
「おおっと」
行く手をふさぐ脂虫を蹴散らそうと接敵していた舞奈が跳び退る。
明日香もとっさに足元に斥力場を創り出す。
だが、もちろん2人に防御は必要なかった。
小夜子の狙いは2人を阻む優男たちなのだから。
そして熟練のナワリの狙い違わず、今度は優男ども全員が串刺しになった。
「さんきゅ!」
「援護に感謝します!」
舞奈と明日香は、力技で無力化された優男どもの合間を縫って駆ける。
その背を見送りつつ、あまりの効果の小夜子は驚く。
ナワリも古神術も呪術師の流派だ。
呪術は自身で喚起した魔力を呼び水にして森羅万象に宿る魔力を操る。
だから全く同じ効果を持つ術を2人でかければ相乗効果で威力は上がると思った。
だが、これほどまでとは……。
――汝ガ側ニ居ル者ニ目ヲ向ケヨ
――其ハ汝ノ力ナリ。汝ハ其ノ力ナリ
かつて煙立つ鏡が告げた言葉が脳裏をよぎる。
そんな小夜子を見やり、神使と何かを話してサチは笑う。
小夜子もそれに微笑で答える。
一方、廊下の壁や床が変じた剣山に串刺しになった優男たち。
唇に煙草を癒着させた脂虫どもは皆、目を見開いて苦悶にうめく。
それでもなお方天画戟は手から離れない……離せない。
邪悪な槍に身体を支配されているため手放すことができないのだ。
だから再生により死ぬことも逃れることもできぬまま、触角だけが徐々にのびる。
この地獄絵図こそが小夜子の策だ。
以前にアイドル襲撃犯の長屋氏宅を襲った際の教訓を糧にしたのだ。
当時は無尽蔵に湧き出すコピー脂虫を倒しきれず、撤退を余儀なくされた。
小夜子の手札が、敵を素早く殺すためのものしかなかったからだ。
爆発的な瞬間火力と引き換えに、ナワリは持久戦に弱い。
そんな弱点を克服するべく小夜子が考えた手段。
それは脂虫を串刺しにして動けなくしてから、必要に応じて贄として使うこと。
つまりはモズのはやにえだ。
「息子タンが! 息子タンたちが!?」
疣豚が鬼瓦を怒りでさらに醜く歪めて絶叫する。
もちろんコンクリートの槍は彼女をも狙った。
だが彼女だけは【水行・遁甲】で水と化し、無数の刃を避けていた。
他の術を使って手下を救おうとはしていなかった。にもかかわらず、
「このネトウヨ糞女が! 若さで男に媚びる売春婦のメスガキがぁ!!」
小夜子を、その奥にいるサチに向かって叫ぶ。
ヤニに脳を侵された彼女に、理性的な判断などできない。
ただ己の醜い感情のまま暴言と悪行による被害を周囲にまき散らすだけだ。
だから足止めの対象だったはずの舞奈や明日香ではなくサチと小夜子を睨み、
「お前たちも同じ目にあわせてやる!」
符を取り出して投げる。嘯。
3枚の符は3つの巨大な水刃と化し、回転しながら飛来する。
即ち【水行・刀刃】。
小夜子は跳躍するタイミングを見計らいつつ身を低くする。
横薙ぎの刃は【ジャガーの戦士】で強化された跳躍力で回避可能だ。
幸いにも飛来するスピードも早くはないし、避ければ左右の壁に当たる軌道だ。
もちろん手首の注連縄と連動した【護身神法】で防げない攻撃ではない。
それでも手札は無駄にしたくない。
そんな小夜子の目前で、目前に迫ったひとつが唐突に符に戻って焼け落ちた。
背後でサチが微笑む。
彼女の魔法消去【祓】。
本来は同等の術により消去を反転されるのを警戒して、あまり使われない術だ。
だが神術士は防御魔法を得手とする。
反転されない自信があったのだろう。
一方、消去を免れた2つの刃はカーブを描きながら小夜子めがけて飛来する。
小夜子は再び身構える。
だが刃は不意に軌道を変え、小夜子の左右を迂回して奥のサチに襲いかかった。
「えっ!?」
サチは驚き、とっさに動けない。
「若くて胸の大きいお前の方がネトウヨだ! 先に殺してやる!!」
疣豚は鬼瓦を醜く歪めて叫ぶ。
敵の狙いは背後で補佐するサチだった。
「サチ……っ!?」
小夜子は慌てて振り返る。
迂闊にも、敵の性根の卑しさを見落としていた。
薄汚いヤニと汚物の申し子は、美しいものを憎み嫌う。
そして朗らかなサチは自分より人間的に、女性的に魅力がある。
だから醜い感情のおもむくまま、敵はまずサチを害しようと思ったのだ。
もちろんサチも自身の【護身神法】で防護されている。
加えて先ほどのように消去することもできるだろう。
だが障壁の耐久度には限界があるし、位置的に2つの刃を同時に消去は不可能。
先ほどコンクリートを槍にした直後なので、同じ材質で壁を創るのも困難。
迎撃できればいいのだが、小夜子もサチも反射神経は人並だ。
舞奈みたいに飛ぶ刃を叩き落とすとかはできないし、当の舞奈は遥か先だ。だから、
「翡翠のスカートの女よ!」
とっさに叫びが喉をついた。
脳裏をよぎった手札は【蠢く水】ないし【挺身する水】。
前者は以前に少し練習した【裁断する水】の礎となる液体操作の基礎技術。
後者は、その技術を用いた防御魔法。
実のところ、はっきりと術の成就を意図できてはいなかった。
なにせ急なことだった。
それでも小夜子はサチを守りたかった。
何処かに水道管が埋まっていれば、その水が答えてくれるだろうと少し思った。
だが次の瞬間、異変が生じたのはサチを狙った水の刃そのものだった。
ひとつは唐突にひしゃげ、形を歪めながら大きく進路を変える。
そして、もうひとつの刃に激突した。
2つの水塊はつぶれて符に戻って燃え尽きる。
小夜子はサチが何かしたのだと思った。とっさに自分自身を守るために。
無論、妖術で創られた水を他の術で操るのは至難。
相手の魔力を自身の魔力が圧倒的に上回っていなければならないからだ。
だが神術士は防御魔法を得手とするし、先ほどもひとつめの刃を消去した。
だから一瞬だけ、安堵の笑みをもらす。
サチが無事でよかった。
そして次の瞬間、疣豚潤子に向き直り、
「おまえだけは……っ!」
許さない。
ショットガンを手に取り構え、矢のように走る。
小夜子はサチを守ると決めた。
かつて幼馴染を失った喪失感、あの空虚な感情に飲みこまれないために。
だからサチを守るために手段を選ばない。
サチを害そうとするものを許さない。
背後にかばった無垢な彼女の安全を脅かすものは排除する。決して逃さない。
口先で愛着を主張するだけの目前の鬼瓦とは違う。
だから疾駆は一瞬。
串刺しになった優男どもの林を駆け抜ける。
身体強化【ジャガーの戦士】を併用した小夜子の速さに鬼瓦は対応できない。
目前に迫った鬼瓦にショットガンの銃口を突きつけ、撃つ。撃つ。
爆音、発火炎。
至近距離から立て続けにぶちこまれる散弾。さらに、
「かけまくもかしこき火之迦具土神――」
背後から小夜子を回りこんで数個の鬼火が飛ぶ。
サチが再び行使した【狐火法】だ。
周囲の熱を集めて火球と化す古神術は、落雷と違って屋内でも使用できる。
鬼火は他流派の火球と同じように疣豚の近くで破裂して火の粉を散らす。
だが疣豚はとっさに【水行・遁甲】で液状化し、散弾と爆発を回避する。
小夜子は思わず舌打ちする。
自身への攻撃を回避することにだけは長けているらしい。
なるほど、舞奈たちへの足止めに相応しい人なのは確かだ。
だが次の瞬間、小夜子の口元に笑みが浮かぶ。
疣豚が小夜子とサチに気を取られている間に、当の舞奈と明日香は向こう側のドアにたどり着いたようだ。
元の姿に戻った疣豚も背後を見やる。
そして目を見開く。
部屋を出ようとする2人を目にして、ようやく使命を思い出したのだ。
なんとも感情的で浅はかな、醜く卑しい中年女。
彼女をこの場所に差し向けた何者かも、その頭の悪さは計算外だっただろう。
そんな無様な疣豚は、鬼瓦のような醜い顔を焦りに歪め、
「わたしの可愛い息子タン! あいつらを閉じこめるザマスよ!」
叫んで、嘯。
手近に刺さっていた2人の優男――ヤニを摂取し続けた人型怪異の四肢があらぬ方向に捻じ曲げられ、苦悶の表情を浮かべながら崩壊していく。
同時にゆっくりと世界が黒ずんでいく。
「【大尸来臨郷】……」
「えっ? 可愛がってたんじゃ?」
小夜子が顔をしかめ、サチが驚く。
疣豚が施術しようとしているのは戦術結界を創造する大魔法。
ただし施術するために脂虫を贄にする必要がある。
可愛い息子タンとは何だったのか。
疣豚にとって優男たちはその程度の存在でしかないのだろう。
彼女のように薄情な中年女は、他者を自分の手駒かアクセサリーとしか思わない。
だから口先だけで愛着を示した直後に平気で殺して贄にする。
だが彼女らが如何に卑しいかなど承知済み。だから、
「貪り喰らえ、トルコ石の蛇!」
小夜子は叫ぶ。
すると崩壊しかけた優男が刺さったコンクリート刃が爆発した。
爆炎は一瞬にして贄の男を焼き尽くす。
術の種類としては【捕食する火】。
先ほど【破断する岩】で操ったコンクリート刃の表面を火に変えたのだ。
ナワリにおける多くの神々は、ただ1柱の神に関連づけられる。
煙立つ鏡だ。
トルコ石の蛇は煙立つ鏡の武具で、山の心臓は煙立つ鏡の別名である。
だからナワリ呪術師は地刃に火をまとわせることができる。
「ああっ!? 息子タンが!!」
疣豚は再び驚愕し、叫ぶ。
施術中に贄を失うことにより大魔法をが失敗したのだ。
その隙に舞奈と明日香は向かいのドアをこじ開けて部屋を出ていった。
さらに次の瞬間、周囲に霧が立ちこめる。
白い霧の合間に映るはヤニで汚れた壁ではなく、清浄な森の景観。
即ち【天岩戸法】。
サチの大魔法が完成し、部屋が結界化したのだ。
だが疣豚が意図したように舞奈たちを足止めするためではない。
小夜子とサチが、疣豚を逃さないための結界だ。
さらに小夜子は手近な石刃に刺さった優男を、続けざまに数匹、蹴り飛ばす。
脂虫どもは疣豚めがけ、結構な勢いで飛んでいく。
身体強化の影響下にある今の小夜子にとっては造作ない。
「!?」
疣豚が不意を突かれて目を見開く隙に、
「――トルコ石の蛇!」
小夜子は再び【捕食する火】を行使する。
今度は投げつけた優男を贄にして強化した大爆発。
それが複数。
液状化して回避できるタイミングではない。
だが爆炎が晴れた後、疣豚は幾重もの水の膜の中からあらわれた。
今度は身体を水の鎧で覆う【水行・防衣】。
それを何重も行使して身を守ったのだ。
「アテクシの使命を! アテクシの息子タンを! 許さないレイプしてやるザマス!!」
疣豚は、優男を発破した小夜子に罵詈雑言を叩きつける。
もちろん飛んできた優男を救おうとする素振りなど微塵もなかった。
コピー脂虫とはいえ手下を見捨て、自分の身だけは守る。
その上で平気で他者を非難する。
その浅ましさにサチは、そして小夜子も口元を歪める。
この鬼瓦のような顔をした下衆女を、何としても倒さねばならない。
そのために小夜子は残りの脂虫の数を確かめる。
必殺の【虐殺する火】に、十分な強化を施すには十分。
だが小夜子は逡巡する。
自分自身を守ることに関してだけは有能な疣豚を相手に、不発は避けたい。
防護される可能性をゼロにまで押し下げたい。
だがネガティブ思考ゆえの懸念を、熟練者の判断で有効な戦術へと昇華させ、
「サチ! もう一度力を貸して!」
「わかったわ!」
2人がかりで新たな術を行使する。
「かけまくもかしこき大山津見神――」
「壁となれ、山の心臓!」
叫ぶと同時に床が、天井が隆起して壁になった。
即ち【挺身する土】。
泥土や岩石を壁と成すナワリ呪術。
それは古神術における【地守法】、ウアブの【地の守護】に相当する。
だが目的は防御ではない。
だから壁は、疣豚を囲うように起立した。
加えて小夜子の【地守法】と同時に、贄も何匹か使い、床のコンクリートに天井のアスベスト材まで動員し、疣豚と数匹の優男を覆って石材の小屋を創ったのだ。
古神術士の穢れなき術と、贄から搾った穢れそのもの。
両者を併用することに抵抗がないと言えば嘘になる。だが気にしても仕方がない。
そんな小夜子の思惑を他所に、
「ハハハ! 何ザマス? アテクシを守るつもりザマスか?」
疣豚は小屋の中で嘲笑う。
予想通りだ。
自身を囲うように形成された壁を、彼女は攻撃の布石とは考えていない。
身も心も肥え太った醜い中年女は自分の考えを押し通すばかりで周囲を見ない。
自分の考えが及ばない敵の策に対応できない。
だから小夜子は間髪入れず、
「焼き払え! 喰らい尽くせ! トルコ石の蛇!」
叫ぶ。
次の瞬間、爆音。
小屋の中からくぐもって響く、悲鳴のような怨讐のような破歳の音色。
即ち【虐殺する火】。
しかも疣豚といっしょに壁で囲った贄を使って強化した大爆発。
小夜子は岩壁で作った小屋に疣豚と贄を閉じこめ、内部を発破したのだ。
閉ざされた小屋の中での、空間そのものの連続爆発。
それを【水行・遁甲】によって回避することなど不可能。
加えて閉所で発動した気化爆発の大魔法による圧倒的な熱と爆圧。
その暴虐は【水行・防衣】でも防御不可能。
急場造りの岩壁は隙間から火を噴き、直後に飛び散る。
だが壁は十分に目的を果たしていた。
何故なら爆炎と煙が去った後……
「……っあ……っあ……」
散乱したコンクリート片の中に立っていたのは、焼けただれた人型の肉塊だった。
だが小夜子の攻めは終わらない。
素早く接敵し、ショットガンを掃射する。
至近距離から放たれた300発/分の散弾。
そんなものに防御魔法を使う余地のない状態で耐えられるはずもない。
炙られ焼かれた肉塊は、瞬時に肉片になって吹き飛ぶ。
焦げてなおヤニ臭い肉片が周囲に飛び散り――
「――アアアァァァァァァァ!!」
叫び声とともに、先ほどまで疣豚がいた場所を中心に魔法の光が放たれた。
そして、
「ア……アテクシも……アテクシも、ついにこの姿になれたザマスね!」
光がやんだ後、そこには銀色の巨漢がいた。
逞しい男性の身体の上に、頭の代わりに異様な物体が乗っている。
釣鐘状の、首まで覆うヘルメットのような人ならざる頭部。
「……完全体」
「ええ」
小夜子はギラギラと闘志をみなぎらせながら、ひとりごちる。
サチは慎重に身構えながら答える。
かつて新開発区で行われた殲滅作戦。
そこで蔓見雷人が変じた完全体を前に成す術もなく撤退した小夜子とサチ。
いわば今回は、そのリターンマッチだ。
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