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第14章 FOREVER FRIENDS

完璧な世界

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 楓は黄金色の拳銃FN ファイブセブンを手にして笑う。
 紅葉は短機関銃FN P90TRを油断なく構えたまま。
 蔵人は呆然と目を見開いて立ち竦む。

 その視線の先で、仕立ての良い背広を着た老人――死塚不幸三が笑っていた。
 かざした掌の先には巨大な金属塊。
 即ち【金行・鉄盾ジンシン・ティエデウン】。
 警官隊を一掃した【沸騰する悪血シェメム・セネフ・アジャ・シェム】を、自分だけ妖術の盾で防いだのだ。

 だが、紅葉は恐れることなく短機関銃P90TRを構えなおす。
 楓も口元を鮫のように歪める。

 彼はもう人間ではない。
 脂虫ですらない。
 死塚不幸三ですらない。
 かつて死塚不幸三だった脂虫から顔と記憶を奪い、魔力を得た泥人間の道士だ。

 もとより2人は、そんな邪悪な怪異を駆除するためにやって来た。

「その術に対する防護は心得ておるよ。魔力の光線は、同じ力で形作られた物質を通り抜けることはできない。違うかね?」
 死塚はヤニで歪んだ顔を、悪意でさらに醜く歪ませる。
 まるで余裕の笑みを形作ろうとして失敗したように。
 一度は楓に惨殺された恐怖と屈辱を思い出したか。

「貴方の身体に直接に作用させることもできるのですが」
「……貴様はそれをせぬよ」
 死塚は口元に邪悪な笑みを浮かべて答える。
 だが同じように楓も笑う。
 もとより泥人間に確実な効果を発揮する術だとは思っていない。それに、

「貴様は灰介と……そして『奴』と同じ芸術家かぶれだ、自分のやりたいように、やりたいことしかしない。我儘な子供なのだよ。違うかね?」
「ええ、違いませんね」
 死塚の言葉は的を得ていた。
 他者の都合より自身の欲望を優先させる生き方。
 それは目前の下衆男と自分の共通点だとは以前から思っていた。

 だからこそ死塚は楓を恐れている。
 わかっているのだ。
 自身が選んだ獲物を自身で決めたやり方で殺す遊戯を、楓が諦めることはないと。

 楓には彼を殺せる手札が他にいくつもある。
 だが彼もそれは知っているはずだ。

 それでも余裕がある理由が、彼にも切り札があるからだと楓も気づいていた。
 死塚は倒された後、完全体へと転化する。
 以前にチャビーを救うべく戦い、辛くも倒したキムのように。

 それでも……否、だからこそ、

「実に好都合ですよ。今のわたしのやりたいことは、貴方のような脂虫やその成れ果てを痛めつけ、その後に跡形もなく排除することなのですからね」
 鮫のように凄惨な笑みを浮かべて語る。
 そして、もうひとつ。身を挺して娘をかばった父親を守り抜くこと。
 そんな決意を知られぬように。

「そういう訳で、わたしの我儘のためにご協力をお願いします、紅葉ちゃん」
「はいはい、わかってるよ」
 他に言い方というものが。
 苦笑しつつ、紅葉は短機関銃P90TRに新たな弾倉マガジンをセットする。
 今度は普通に実包が入った代物だ。

 同時に死塚は自身の周囲に無数の符をまき散らす。
 そして嘯。
 それぞれの符は金属の針となり、無数の鉄矢となって一行を襲う。
 即ち【金行・多鉄矢ジンシン・ドゥオティエジイアン】。

 死塚はいやらしく笑いながら蔵人を見やる。
 広範囲に被害を与える術を用いて、身を守る術のない蔵人を狙ったつもりか。
 蔵人は怯んで身をこわばらせる。だが、

「紅葉ちゃん!」
「ああ!」
 合図とともに、詠唱すらなく3人の周囲を血の色をした砂嵐が吹き荒れる。
 あるいは夜闇に浮かぶ火星のような色の。
 即ち【砂嵐の守護メケト・ジュア・シャイ】。
 死を司るセト神のイメージから魔術の鉄砂を創造し、呪術で広げた防御魔法アブジュレーション
 鉄砂の嵐は、鉄矢の雨を苦もなく吹き散らす。

 楓と紅葉は姉妹であり信頼し合った仲間でもある。
 そして活動当初は未熟な術者だった2人も、数多の経験を積んで成長した。

 だから、死塚は口元を歪める。

「おや、その色の嵐は御嫌いでしたか?」
 楓は笑う。

 その嵐の色は死塚と警官隊が惨殺された日、商店街を覆った嵐と同じだったから。
 これまで他者を傷つける側だった老人にとって死と恐怖、苦痛と屈辱の象徴だから。
 痛みを知ることのなかった我儘な老人にとって、それはトラウマになっていた。
 小夜子に惨たらしく殺されたキムのように。

 しかも死塚は、手に入れたばかりの力を持て余していた。
 術も動きも、以前に戦ったキムに比べて余りにお粗末。
 そんな身勝手で稚拙な老人は、

「私のような善良な老人をいたぶって、何が楽しい!?」
 符を取り出し、手の中で鉄の剣へと変えて走る。速い。

 剣を創った妖術は【金行・作鉄ジンシン・ゾティエ】。
 老人の身体能力を押し上げているのは【虎気功フウチィーゴンズ】。対して、

「勝手なことをぬけぬけと!」
 姉を制し、死塚の前に紅葉が躍り出る。

 短機関銃P90TRを左手に持ち替え、代わりに姉が創った水を借りて杖にする。
 杖は【水の手ジェレト・ムゥ】【水の斬撃シャド・ムゥ】それらの原点である【かりそめの水の主ネブ・ムゥ・ネン・ジェト】の応用。
 さらに紅葉は【屈強なる身体ジュト・ネケト】の呪術で身体を強化している。

 死塚は剣、紅葉は杖を構えて走る。
 両者のスピードは互角。
 ……否。死塚の筋力増加を、素の身体能力を加えた紅葉の強化が僅かに上回る。

 紅葉は根っからのスポーツマンだ。
 平和的に正々堂々と戦うためのノウハウが身体に染みついている。
 だから姉とは違い、他者を傷つけることには未だに慣れない。
 相手が敵でも、怪異でも実のところそれは同じだ。

 だが……否、だからこそ死塚のような卑劣な男を許せない。
 他者を慮ることなく、自身の欲望のために平気で踏みにじり、傷つける。
 痛みと向き合うことなく隣人に押しつける、そんな彼の生き方が許せなかった。

 だから死塚は一太刀を浴びせる余裕すらなく、不可視のハンマーで打ちのめされた。
 即ち【風の一撃ヘディ・チャウ】。
 爆風を放って至近距離を強打するウアブ呪術の攻撃魔法エヴォケーション

 成す術もなく吹き飛ばされた死塚の落下予測地点の、アスファルトの地面を割いて岩の槍が起立する。即ち【地の刃デムト・ター】。
 鋭く尖った岩石の刃の上に死塚は背から落ちる。

 ……だが串刺しにはならなかった。
 死塚は岩刃の先端でワンバウンドし、傷つくことなく地を転がる。
 背広を【金行・硬衣ジンシン・インイ】で鉄に変えて刺突を防いだのだ。
 衝撃は【虎気功フウチィーゴンズ】で受け止めた。

 奇しくもそれは、彼が引き起こした自動車暴走事件の際に使われた術と同じ。
 だが張は自分を盾に娘を守るために術を行使した。
 対して目前の下男は、簒奪した魔法を自分自身を守るために使ったに過ぎない。

 だから紅葉は続けざまに杖を放る。
 呪術によって成形された水の杖は回転しながら巨刃へと形を変えて死塚を襲う。
 水を刃と化す【水の斬撃シャド・ムゥ】の呪術。
 だが老人はうめきながらも符を金属塊に変え、水刃を防ぐ。

 その隙を逃さず紅葉は小さな木の棒を数本、取り出して投げる。そして呪文。
 途端、投げられた棒が蠢き、5匹の蛇へと変わる。
 即ち【ヘビの杖ヘト・ヘファウ】の呪術。

 3匹は金属塊を迂回して右から、2匹は左から滑るように地を這い死塚に迫る。
 だが死塚は符を針の雨にしてヘビを迎撃する。

「その程度で、この私を――」
 次なる符を取り出した死塚の左右に、だが新手が出現した。
 いくつもの像が、ぶれたチャンネルを正すように集ってあらわれた異形。
 釣鐘状の身体に2本の足を生やし、身体には1対の目と眉毛だけが描かれている。
 メジェド神。
 認識阻害【消失のヴェールヘペス・セバ】、光学迷彩【力ある秘匿のヴェールヘペス・セシェシェト・シェム】を併用し、楓が潜伏させておいた伏兵だ。

「なっ!?」
 死塚は恐怖と驚愕に顔を引きつらせる。
 何故なら2体のメジェドの双眸に、それぞれ青緑色の光が宿ったから。

 先ほど警官たちを殲滅させた【沸騰する悪血シェメム・セネフ・アジャ・シェム】。
 それは前回のテストの際に彼自身をも惨たらしく屠った術だ。
 魔道具アーティファクト『マァトの天秤』からも発射されるし、楓自身も使うし、メジェドも使う。

「後はまかせるよ、姉さん」
「はい、ではこちらを」
 跳び退った紅葉めがけて楓は拳銃ファイブセブンを放り渡す。
 雑に飛んだそれを、紅葉は風を操って無理やりに受け取る。

 そして楓は両腕を天にかざして呪文を唱える。
 両手の5本の指のそれぞれに、メジェドと同じ【沸騰する悪血シェメム・セネフ・アジャ・シェム】が宿る。

 死塚は慌てて2枚の符を取り出して、嘯。
 それぞれの符を巨大な金属塊と化す。
 必死の抵抗のつもりだろう。

 だが楓の両手の指から放たれた10本の光線はそれぞれ宙に青緑色の弧を描き、2つの障害物を苦も無く回りこんで標的を射抜く。
 2体のメジェドは死塚の背後から4本の光線を放つ。
 1ダースあまりの光線が死塚の全身を穿つ。

 絶叫。

 ……だが、それだけ。
 奴はもう死塚不幸三から顔を奪っただけの泥人間だ。
 脂虫爆破の術は怯ませる程度の効果しかない。

「ハハハ! 脅かしおって!」
 金属の壁を解除して死塚は立ち上がる。

 だが、その目前に杖が突きつけられていた。
 先端にはジャッカルの頭部を模した装飾。
 二股にわかれた石突。
 楓が構えていたそれは、古代エジプトのウアス杖である。

 蘇った彼に【沸騰する悪血シェメム・セネフ・アジャ・シェム】は効果がないと見当はついていた。
 だが彼は、かつて自身を屠った光線に怯え、必死で防御した。
 だから楓は、それを更なる術を命中させるための布石にしたのだ。

 楓が呪句を締めると同時に空気が軋む。
 そして次の瞬間、杖の先端から激しい炎が噴き出した。
 即ち火炎放射の魔術【火吹きの杖カー・ヘト・ネセル】。
 次いで由緒正しい火炎放射の作法にのっとった、罵倒と哄笑。

 新たな符を取り出す余裕などない。
 灼熱の炎が、ヤニで歪んだ老体を焼く。
 身の毛もよだつような恐ろしい罵声が心をへし折る。
 その様子は見ている蔵人が身震いするほどだった。

 そして長く悲惨な数分の後、死塚は炎の中に消えた。
 だが次の瞬間、

「何!?」
 驚く蔵人の、油断なく構える紅葉の目前で、炎の中から魔法の光があふれ出た。
 光は一瞬で膨張し、人の形へと変化する。
 そして光がおさまった後にあらわれたものを見やり、

「これは……」
 蔵人は目を見開いて驚愕した。
 何故なら目前のそれが、あまりにも異様な姿をしていたから。

 銀色に輝く、逞しい男性の身体。
 だが首の上についているのは人の頭ではない。
 釣鐘状の、あるいは首まで覆うヘルメットのような、眼鼻も口もない異様な物体。

――完全体。

 紅葉がひとりごちる。
 次の瞬間、完全体がかざした掌から巨大な金属の刃が放たれた。
 即ち【金行・鉄刃ジンシン・ティエレン】。

「楓ちゃん!?」
 蔵人が叫ぶ。
 巨大な刃が至近距離にいた楓の胴を横に薙ぐ――

 ――と目を見開いた瞬間、女子高生の腹が『開いた』。
 いきなり身体が風船のように膨らみ、セーラー服の上着とスカートの間が口になったかのように大きく開口し、金属の巨刃を飲みこんで閉じた。
 口の周囲に砕けた魔法の残滓である光の粉が散る。

 そして再び開いた口から、仕返しとばかりに血の色をしたギロチン刃が放たれた。

「何だと!?」
 先ほど自身が放ったそれより鋭く重い刃が完全体の胴を薙ぐ。
 そして後方で解けて消える。

「ハハハ何ともない! 何ともないぞ!!」
 斬撃の痕はたちまち消える。
 銀色をした至高の肉体は、魔神や式神を凌駕する再生能力を持つ。
 だが言葉とは裏腹に、完全体は後ずさる。

 その隙に楓も滑るように地を駆けて後退する。
 そもそも楓は【変身術ケペル・ジェス・ケトゥ】の影響下にある。
 身体を魔神に置き換えるその秘術を活用して奇襲を回避し、【あらがう言葉ル・レク】で魔法を消去し、さらに魔力の残滓を利用して同等の術を投げ返す程度は造作ない。

「おのれ! 逃がさんぞ!」
 完全体は、目も鼻もない顔で憤怒する。
 楓を追おうと襲い来る。

「させないよ!」
 紅葉は【屈強なる身体ジュト・ネケト】の腕力で無理やりに短機関銃P90TR拳銃ファイブセブンを掃射する。
 だが銀色に輝く身体は貫通力に優れた小口径高速弾5.7×28mmすら弾く。
 けれど、それは牽制。

 完全体は効かぬと知りながらも両腕で顔をブロックする。
 死塚にまともな戦闘経験が、そして覚悟がないから。

 そして姉妹はその隙を逃さない。
 大地を統べるゲブ神を奉ずる呪文を完成させる。

 完全体の周囲に岩石の枷が出現し、筋肉質な銀色の両腕、両脚を固定する。
 さらにアスファルトの地面を割いて岩でできた巨大な手が出現し、岩石の枷と溶け合って不動の檻を形成する。
 岩石の枷を創造するウアブ魔術【石の障礙セジェブ・アネル】。
 地面を操り岩の手にして拘束するウアブ呪術【地の拘束ケファ・ター】。

 完全体は身をよじって逃れようとする。
 だが熟練の術者2人による拘束の術からは逃れられない。

――リソースの回復を確認。『マァトの天秤』再起動。全機能が使用可能です

 2丁の銃から声が響く。
 紅葉と楓はうなずき合う。

 そして楓は、ウアス杖を天に掲げて呪文を唱える。
 奉ずる神はラー・ホルアクティ。
 陽光を司る魔神。

 紅葉は両手にそれぞれ短機関銃P90TR拳銃ファイブセブンを構え、完全体に銃口を定める。

――特定排除対象を確認。モード・シューター。断罪光パニッシャー・レイ
――熱力学処理を開始します。目標が完全に破壊されるまで照射を継続してください

 声とともに、2丁の銃にマウントされたマァトの天秤が展開する。
 警官隊を一掃した先ほどのそれより精緻に、大胆に、まるで咲き誇る花弁のように。

 紅葉は2丁の銃を構えてトリガーを引き絞る。
 すると2つの花弁の中心から、目もくらむような光が放たれた。
 2条の光線は身動きのとれぬ完全体の胴を穿つ。
 高等魔術において【断罪光パニッシャー・レイ】と称されるレーザー照射の魔術。
 即ち【光条の杖カー・ヘト・ウベン】。
 かつてキムを屠った必殺の光条。数は2倍。

 ……否。
 さらに楓が突きつけたウアス杖の先端からも【光条の杖カー・ヘト・ウベン】が照射される。
 しかも銃から放たれたそれより強力な光線。
 太くまばゆい光の奔流は、完全体の上半身をまるごと飲みこむほど。

 楓にとってラー・ホルアクティのイメージは、先日に垣間見た委員長その人の姿だ。
 華奢な身体、幼い顔立ちの奥に秘められた確たる意思、公平さ。
 それはイシス神のような園香の母性と清純さとは異なる美。
 彼女が父親から受け継いだもの。
 それを楓は、陽光と世界を統べる魔神の王を重ね合わせるに相応しいと感じた。
 それまで自身に欠けていた、攻撃魔法エヴォケーションを賦活するためのイメージとして。

 つまり蔵人は知見を惜しみなく娘に与え、娘は自身の美を楓に披露し、それが巡り巡って蔵人自身を救ったのだ。他者から奪うだけだった卑しい老人とは真逆に。

「やめろ! 死にたくない!!」
 それでも完全体は叫びながら、銀色に輝く肉体で光に耐える。
 だが楓も紅葉も冷ややかに見やるのみ。
 煮えたぎる3条のレーザーも、動けぬ死塚を衰えることなく焼き続ける。そして、

「私にはまだやりたいことが――!!」
 断末魔の叫びの最中、銀色の肉体と灼熱の光線との均衡は崩れた。
 銃弾すら弾いた銀色の胸板が、ひび割れる。
 再生しない。
 至高のはずの肉体が熱と光の暴力に屈したのだ。

 直後に上半身が一瞬にして消滅する。
 次いで腰がひび割れ、ひびは下半身全体に広がり、そして粉々に砕けた。
 砕けた破片は塵となって消える。そして、

「これで終わったなどと……思わないことだな」
 釣鐘状の頭だけが、砕けずコンクリートの床にゴロリと転がった。

「私は何度でも……蘇る……」
 顔のない銀色の頭が呪詛の言葉を振りまく。
 まるで壊れたスピーカーのように。

「蘇って……私の権威と私自身を傷つけに貴様らに……復讐を……」
「――できたらいいですね」
 その頭を、楓が無造作に踏みにじる。

「そして梨崎社長……いや……ファイブカードのエース……知っているかね……私……に……我々に力を与え……束ねる者は…………!!」
 楓が足に力をこめると、死塚の頭はあっさりと砕けた。

 紅葉が安堵の吐息を漏らす。
 この下衆な老人の言葉を、彼に聞かせる必要はないと思った。

 一方、楓は気づいていた。
 死塚が自分たちの前に姿をあらわすことはもうないと。
 何故なら以前、復活したキムも同じことを言った。
 だが彼も楓たちの前に再びあらわれることはなかった。
 そして、自分たちが与り知らぬ事情を知っているはずの志門舞奈の振舞いは、その件は完全に片がついたのだと物語っていた。

 おそらく何らかの手段によって、舞奈はキムを永久に葬り去ったのだ。
 死塚もそうなるだろう。

 だから楓も死塚不幸三のことは忘れようと思った。
 そもそも、ただ楓が殺したかっただけで、彼は別に弟の仇でも何でもない。

 ……それに今の楓には、他に気にかけるべき大事なことがある。
 だから振り返り、超常の戦闘を見守っていた梨崎蔵人を振り返る。

「終わったのか……」
 蔵人は訳がわからぬまま、それでも事態の収束を悟った。
 彼を守ってくれた桂木姉妹が、やり遂げた表情でこちらを見やったから。

 彼女らには、聞きたいことが山ほどある。
 当然だ。

 あのバケモノどもは何だったのか?
 奴らの同類が警官や権力者の姿をして我々の近くに潜んでいるということなのか?
 この街の治安はどうなってしまったのか?
 君たちがしていた神秘的な攻防は如何なるトリックによるものか?
 頻繁に変形していた楓ちゃんは身体とか大丈夫なのか?
 日常生活でのストレスとかも大丈夫だろうか? ……いや、ほら言動とか
 このことを親御さんは御存知なのか?
 銃にああいった……その奇抜な装飾を施すセンスについて親御さんは御存知なのか?

 頭の中が疑問でいっぱいで、何から尋ねていいのかわからない。
 だが……否、だから、

「紗羅は……娘は無事なのか?」
 思ったことが自然に口に出た。

「ええ、もちろんですとも」
 楓は満面の笑みで答える。
 その表情を見やって蔵人も安堵する。

「よろしければ、娘さんのところまでお送りしましょうか?」
 その言葉に「何処にいるんだ?」と尋ねようとして、気づいた。
 否、最初からわかっていた。

 今夜、開催されるファイブカード新曲の発表会に、娘が関係していない訳はない。
 たとえ娘がそれを自分に黙っていたとしても。
 そう断言できる程度には、これまで娘のことを見ていたつもりだ。

 でも関係ないと思っていた。
 自分は梓依香を失い、歌を捨てた。
 だからもう、自分には関係ない話だと
 もうロックを聴く資格などないし、聴けば自分が自分ではなくなってしまうと。
 そう思っていた。

 だが今、銃弾と攻撃魔法エヴォケーションが飛び交う戦場を垣間見てしまった。
 今まで信じてきた常識と根本から相反し、なのに今までの人生で見てきたものすべてと繋がっていると納得せざるを得ない超常の戦い。
 そんなものを目の当たりにした後では、自分の感傷など小さなことに思えた。

 昔の自分の言葉を借りれば、くだらない屁のツッパリだ。

 それに楓の、紅葉の戦いを見やって心躍らせたのも事実だ。
 それは余りにも鮮烈で、死の瀬戸際にあってすら魅了された。
 ……まるでロックのように。

 だから今なら向き合える気がした。
 娘に。
 そして歌に。だから、

「……ああ、連れて行ってくれ。『Joker』に」
 晴れやかな表情でそう言った。途端、

「キェッ! キェッ! キェッ! わす~れものもの忘れ物~~♪」
 素っ頓狂な歌とともに、夕闇にぼぉっと光る小さな老人が走ってきた。
 蔵人は思わず後退る。

 だが、よくよく見やると小学生ほどの女の子だ。
 テープ状の反射材をミイラみたいに身体に巻きつけているらしい。
 でも顔がないよ!?
 そう思ってよく見ると後ろ向きだった、彼女はムーンウォークで走ってきていた。
 ヒゲだと思ったのは、ふわふわの髪だったようだ。
 でも短距離走くらいのスピードで走ってきてたよ!?

 ……だが蔵人は、今なら新たな怪現象にも普通に向き合えると思った。
 そもそも上下に分かれて空を飛ぶ女子高生よりは、彼女はかなりまともだ。

「こんばんは、お嬢ちゃん。ちゃんとリフレクターをつけてて偉いね」
 夜道は危ないからね。
 蔵人は少女の後頭部に礼儀正しく挨拶する。
 途端、少女は「ばあ!」と振り返り、

「はい、忘れ物」
 手にした何かを差し出した。
 つば付き三角帽子をかぶった魔法使いを象った、くすんだ青色のオブジェ。

 それはファイブカードのエースのギターだった。
 ブルーマジシャン。
 手に慣れた特定の操作をすると、展開してギターの形になる。

「何故これを君が……?」
 問いに少女は答えない。

 このオブジェを、蔵人は宝物庫の奥底に仕舞いこんだはずだ。
 もう二度と過去を思い出さないように。

 だが今ならなんとなくわかる気がした。
 否、それが示す意味を感じられた。

「これを……持って行けというのだね」
 蔵人が身をかがめて受け取ると、少女は「ニャー」と笑った。
 だから何となくわかった。
 彼女も、いつか娘を迎えに来た2人(正確には4人)と同じなのだろう。だから、

「……紗羅にはユニークな友達が、沢山いるのだな」
 あの頃の……自分や梓依香のように。
 ひとりごちつつ蔵人も自然な笑みを返す。
 そして、ふと足元に目をやると、足元に手紙が落ちていた。

 拾い上げると、そこには『いつまでも愛してる』とだけ書かれていた。
 死塚に奪われたはずの、梓依香からの最後の手紙だ。

 風に吹かれて飛んできたのだろうか?
 あの凄まじい戦闘の中で汚れひとつないのは不可解だと思ったが、そもそも今日、この場所で起こったことは不可解なことしかない。

 だからそれを丁寧にたたんで胸ポケットに仕舞った。
 身だしなみを整えるように。

 なにせ、これから娘の晴れ舞台を見に行くのだ。
 忘れ物なんてしちゃいけない。

 訳もなくギターを弾きたくなった。
 だが流石に蔵人も今は大人だ。だから堪えて姉妹を見やる。しかし……

「楓ちゃん、紅葉ちゃん、待たせてすまない」
「こ……困りましたね、まさか運転ができなくなっているなんて」
「ごめん、姉さん。ドレスから技量を借りられた頃からずいぶん経ってるし、あれから運転もしてなかったからね」
 楓と紅葉は、死塚が乗ってきたとおぼしき白い乗用車の前で困っていた。

 それはそうだろう。
 流石にここから『Joker』まで歩くのは大変だし、車の持ち主ももういない。
 だが楓は今は高等部、妹の紅葉は中等部の生徒のようだ。
 どちらも車を運転していい年齢ではない。だから、

「鍵さえあれば、私が運転を――」
 申し出かけた途端、楓がレーザーで乗用車をぶった切った。
 何の前触れもなく無造作に。

「!?」
 今度こそ、蔵人は顎が外れそうになった。

 光線に薙ぎ払われて、白い車体の上半分が豪快に吹き飛ぶ。
 残ったのは雑にオープンカー化した元乗用車。
 そこに楓は2体のメジェドを繋いで、

「ヨシ!」
「な、何が……?」
 いつか古代史の資料で読んだような、古代エジプトのチャリオットをでっちあげた。

「さあ、どうぞ」
「の、乗ればいいのかね……?」
 促されるまま車に搭乗する。
 するとチャリオット(?)は如何な仕組みか浮かび上がり、そのまま空を飛んだ。
 もう『Joker』の方向に向かっているから問題ないと思うことにした。
 他にどうしようもないし。

 ……それに頭上に瞬き始めた星が、訳もなく綺麗だった。
 夕方の肌寒い風が、緊張のほぐれた肌に心地よい。
 こんな夕暮れに梓依香と2人で他愛もない会話をしたことも、何度かあった。

 自分は梓依香を失い、歌を捨てた。
 そう思っていた。
 だからもう、自分には関係ない話だと
 もうロックを聴く資格などないし、聴けば自分が自分ではなくなってしまうと。

 だが小学生の娘に化けていた女子高生に救われ、銃弾と攻撃魔法エヴォケーションが交錯する異能バトルを見た後に乗用車の上半分をぶった切ったチャリオットに乗って夕暮れの空を飛んでいると、そんな感傷はどうでもよくなってくる。

 そもそもロックってのは、そういうものだ。
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