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第14章 FOREVER FRIENDS
園香の都合・チャビーの都合
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翌朝は皆で朝食をいただいた。
園香と母は、大人数分の朝食を手際よく用意してくれた。
まったく驚嘆すべき家事能力が、娘と母で二倍になる様は中々の壮観。
舞奈はその無駄のない動きに、明日香は合理的な段取りに見惚れるばかりだった。
紅葉や楓は大人しく座っていた。忙しい朝に漫才している時間はない。
そして几帳面な明日香のおかげで思いの他スムーズに、皆で園香を囲んで家を出た。
途中で日比野邸にも寄って、親御さんに挨拶しがてらチャビーの登校準備をする。
明日香はネコポチと遊ぶ。
他の面子は泊まる前に今日の準備をしてあった。
そして6人でわいわいと学校に向かう。
日比野邸の隣は如月邸だ。
だがタイミングが悪かったか小夜子は家を出た後だった。
チャビーは残念そうだったが、多忙の理由を知る舞奈は特に何も言えなかった。
そして何事もなく学校に着いて、楓と紅葉と別れて初等部の校舎に向かう。
午前の授業もつつがなく進んだ。
授業中にみゃー子がいつもより多く徘徊していた気がするが、別にどうでもいい。
そして、給食を少し早く食べ終えた昼休憩。
高等部の一角にある情報処理室で、
「……それらしい人影は、見当たらないわね」
「ま、そう上手くはいかんか」
テックの隣で端末を覗きこみつつ、舞奈はやれやれと口元を歪める。
例によって、部屋にはテックと舞奈しかいない。
舞奈はテックに、ここ数日の真神邸周辺の防犯カメラの記録を調べてもらっていた。
だが調査は空振り。
「ゾマの登下校のルートも調べられるけど、ちょっと日にちがかかるわ」
「ああ、念のために頼む」
申し出に、いつもすまんなあと思いつつも何食わぬ顔で答える。
念のためなんて言ったのは、不審者の実在を疑ったからではない。
むしろ逆だ。
カメラに映らない相手を警戒していた。
以前に園香を狙ったシスター・アイオスは祓魔師だった。
奴は【屍鬼の支配】の呪術で脂虫を操り、園香を誘拐させた。
今回の不審者が、それより扱いが容易な相手だと決めつける理由はない。
それに油断のせいで友人を失いかけた失態は、あれ一度ではない。
しばらく前にもチャビーを滓田妖一の一味に誘拐された。
桜がさらわれていたこともあった(そして桂木姉妹に救出されていた)。
だから次はない。絶対に。
そう肝に銘ずる。
舞奈は沢山の大事なものを守り抜き、けどそれ以上に多くのものを失ってきたから。
「おまえも念のために、気をつけといてくれ。電話をくれればすぐに行く」
「わかってる。けど家まで大通り沿いに帰れるから安全なはずよ」
「そっか。ならいいが」
正直なところ相手の目的がわからない以上、知人の女の子みんなが心配だ。
過ぎた過保護を誤魔化しがてら、何食わぬ顔で窓を見やる。
そんな舞奈の視界の端を、
「ネーコのおまわりさんはー、スパッ! スパッ! スパッ! シュババッ!」
みゃー子が踊りながら通り過ぎた。
窓の外の青空を、ゆっくりたゆたう雲が美しい。
公安の魔道士たち出番は、もう終わっただろと苦笑する。そして、
「……おまえも一応、気をつけろよ」
「みゃー!」
何を、とは言わぬ舞奈に、みゃー子は謎の踊りで返事した。
やれやれと肩をすくめた舞奈の後に、
「――やっぱりここにいた」
今度は明日香がやってきた。
「そっちはどうだったの?」
「空振りだ。……今のところはな」
面白くもなさそうに進捗を答え、
「そういや、今日はお前が園香と帰るんだったな」
思い出して確認する。
以前にアイオスの手下に園香をさらわれた轍を踏まぬため、今回は下校後に翌日の荷物を取りに帰る際にも、常に戦える誰かが園香に同行しようと取り決めていた。
護衛役は順番で、舞奈の番には前日に2日分の準備をしておく算段だ。
そんなローテーションの初回を務める明日香は、
「ええ。わたしの荷物を取りに帰ってから、いっしょに真神さんの家に行く予定よ」
「おまえん家か? 大回りになるだろう……」
学校のある亜葉露町から、真神邸のある讃原町と軍人街の統零町は別方向だ。
そんなルートを引き回される園香が気の毒だし、単純に歩く距離が長くなると防犯的にもよろしくない。だが明日香はすました顔で、
「わたしの家からは車を出してもらうから、学校帰りにスーパーに寄って帰るのと歩く距離は変わらないわ」
自信満々に言い放った。
真神家は共働きで、両親とも帰りは遅めだったりする。
だから普段の夕食を作るのは園香の役目だ。
数日毎に学校帰りにスーパーに寄って、夕食の材料をそろえるのは彼女の日課だ。
……必然的に、小学生にしては大金を持ち歩くことになる
なので不審者の正体は物取りと言う可能性もなくはない。
そんな園香に付き合う明日香は、
「それに、今後の真神さんの身の安全にも、貢献できるはずよ」
「だといいがな」
不敵に笑う明日香の前で、舞奈はやれやれと肩をすくめた。
そんなこんなで放課後。
舞奈は新開発区にあるアパートに着替えを取りに帰った。
そして旧市街地にとんぼ返りして、小奇麗な讃原の大通りを足早に歩いて訪れた真神邸の前に……
「……おい」
武骨な装甲リムジンが停まっていた。
「それでは園香様、千佳様、お気をつけてお過ごしくださいませ」
「ありがとうございます」
「はーい! ありがとう執事さん!」
執事の夜壁がうやうやしく一礼し、後部座席のドアを開ける。
すると礼儀正しく/元気いっぱいに園香とチャビーがあらわれた。
園香の手にはスーパーの袋が提げられている。
装甲車の側には恰幅の良い制服姿の警備員が2人、直立不動で控えている。
閑静な山の手にはあまりにそぐわぬ物々しさだ。
「明日香様も、ご武運を」
「……武運を使わなくて済むように願ってるわ」
同様にあらわれた明日香に、
「ご近所さんが、ビックリするだろ」
「ええ。不審者もね」
苦笑しながらツッコむと、そんな風に返された。
明日香の実家は民間警備会社【安倍総合警備保障】だ。
警備を依頼すれば、この程度はしてくれる。
だが別に明日香は実家の仕事を斡旋したいわけじゃないのだろう。
社長令嬢の立場を利用し、自分の移動のついでという体裁で園香たちを送迎した。
なるほど園香の今後の安全に貢献するとはこのことか。
物々しい装甲リムジンは襲撃されても安全なだけでなく、ターゲットにヤバイ友人がいると思わせられれば不審者も委縮し、つきまとう気力が削がれるかもしれない。
……驚かされたスーパーの利用客はいい迷惑だが。
それに相手が、舞奈が危惧しているような怪異や異能力者でなければの話だが。
「いつも娘がお世話になっております」
「いえいえこちらこそ、明日香様が御懇意に……」
園香父は、夜壁とお辞儀をしあっている。
微笑ましい親同士の付き合いである(厳密には後者は親じゃないが)。
その後、リムジンは夜壁と警備員を乗せて帰って行った。
そうやって物々しい護衛を近所に見せつけたからという訳でもないだろうが、その夜も何事もなく過ぎて行った。
そして翌日。
「あ、千佳ちゃんおはよう」
「舞奈ちゃんたちもおはよう」
「わーい! 小夜子さんとサチさんだ!」
登校前に小夜子とサチに出くわした。
なので一緒に登校することになった。
女子小学生~女子高生あわせて8人の大所帯である。
「そっちの調子はどうだい?」
「ん……まあ、普通よ」
何気を装って尋ねた舞奈に、小夜子が気のない返事を返す。
こちらがひとまず落ち着いたから、小夜子やサチが抱えた厄介事が気になったのだ。
だが目下のところ、小夜子もサチも守秘義務に逆らうつもりはないらしい。
「小夜子さん! サチさん! ブランコやってー」
「……いいわよ」
「わーい!」
甘えるチャビーの両手を、小夜子とサチで持ち上げる。
幼女はニコニコ笑いながら、女子高生の間でゆれる。
連日のお泊り会に小夜子がいないのが寂しかったのだろう。
そんな友人を、園香が母親のような表情で見やり、
「園香さんも、やってみますか?」
「いえ、わたしは……」
「紅葉さんはともかく、あんたじゃ無理だろう。あれ、けっこう力いるぞ?」
楓の割と妄言に近い提案に皆で苦笑する。
園香はチャビーと違ってすくすく育った平均以上の小5だ。
持ち上げる筋力だけなら舞奈でも問題ないが、背が足りない。
「なるほど。……いやしかしゴリラなら」
「ゴリラ?」
「うわっ、いや何でもないんだ園香」
放っておくととんでもないことを仕出かしそうな楓を、あわてて止めた。
そしてつつがなく登校し、授業を受け、無事に真神邸に帰宅した、その晩。
舞奈が裏庭で健康体操をしていると、
「君は毎日、そういう……運動をしているのかね?」
不意にガラス戸が開いて、園香父があらわれた。
「近所迷惑だったらすんません」
「いや、それは大丈夫だ」
殊勝に言った舞奈を見やって父も笑顔で答える。
皆が入浴中のこの時間、舞奈は灯りをつけず、音もたてないように体操していた。
驚異的な感覚と身体能力を持つ舞奈にはそれでも不自由はないし、不審者の接近に気づけるかもしれないと思ったからだ。
「親父さんは今、帰りすか? お疲れさんっす」
「ありがとう。会議が思いのほか長引いてしまってな」
言いつつ少し疲労した顔で笑う。
真っ当な職に就いて、成功している社会人も楽じゃない。
そんな父は舞奈を見やり、
「君の勇敢さと……腕っぷしの強さのことは、娘からもよく聞いている」
穏やかな、そして真面目な声色で語りかけた。
「娘の身に起きたことで、君のおかげで大事にならずに済んだことも多いだろう。だが君自身のことも大事にしてほしい。君にもしものことがあれば……心配する人がいる」
口調が少しもごもごしているのは疲れのせいか、あるいは別の要因か。
だが今の台詞は、無茶ばかりする舞奈に対する彼の正直な気持ちだろう。
たぶん彼が、心配する相手として想定したのは舞奈の親だ。
だが舞奈は彼に家の事情を話していない。
だから言葉を濁すくらいに、彼は気遣いのできる人間だ。だから、
「わかってますって!」
普段の軽薄な笑みではなく、真摯な笑顔を返した。
……もっとも暗がりの中で彼に舞奈の表情が見えるわけはないのだが。
「母さんにミルクを用意してもらおう。それが終わったら飲んで風呂に入りなさい」
「ごちっす! っていうか、先に入っちゃって良いすよー」
「馬鹿者。客人より早く風呂に入れる訳がなかろう」
照れたように言いつつも、父は電気をつけたまま立ち去った。
舞奈は最後まで体操を続けてから、台所に用意してあったミルクをいただいた。
気持ちよくキンキンに冷えていたのは、運動後だからという理由で気を遣われたか。
そして風呂も借りて、いつも通りリビングのソファで寝た。
しばらく横になっていると、遅めの風呂を済ませた園香父も向かいのソファで寝た。
夕方の会議が余程アレだったのだろう、父はすぐさま穏やかな寝息をたて始めた。
そして舞奈は今日も懲りずに部屋を抜け出そうと、狸寝入りから目覚める。
音もなくベッドを抜け出し、園香父を観察する。
父は身をよじった拍子にシーツを払い落とし、どうやら熟睡しているらしい。
つまり今日こそは、2階の園香の部屋に辿り着くまで寝ていてくれそうだ。
舞奈はニヤリと笑い――
――シーツを拾って父の腹にかけて、自分のソファに戻って寝た。
単にこの時間に園香の部屋に行っても寝ているだけだと気づいたからだ。
皆が泊まり始めてから数日は経っているので、今さら夜更しもしてないだろうし。
そのようにして大人しく眠りについた舞奈は、その夜、真人間になる夢を見た……
……翌日、夢の余韻のせいか舞奈は少し大人しかった。
だからという訳ではないのだろうが、父の舞奈への当たりも普段より穏やかで、なんというか少し優しかった。
そんなこんなで特に問題もなく登校すると、
「園香ちゃん、キモイおじさんにさらわれそうになったって本当!?」
「ええっと……」
「キモイかどうかも、おじさんかどうかも、誘拐かどうかもわからんがな」
どこから噂を聞きつけたのか、朝から桜が絡んできた。
舞奈はやれやれと仕方なく答える。
「大変なのー! 委員長も気をつけるのー!」
「はいなのです!」
「委員長の家の近くで女児誘拐なんかしたら、仕掛けた方が蜂の巣になりそうだがな」
エキサイトする桜と乗ってきた委員長に苦笑し、
「いやーん! 桜も気をつけないと、また誘拐されちゃうなのー!」
「いや、おまえは関係ないだろ」
なるほど、その台詞が言いたかったのか……。
妄言を吐くだけに飽き足らず脈絡なく歌い始めた桜に、思わず肩をすくめた。
だが、その日も、その翌日も、園香の家に不審者は来なかった。
移動中に気配を感じることもなかった。
もちろん他所で捕まったという話も聞かない。
そうやって何事も起こらぬまま数日が経った。
不審者は(明日香が装甲リムジンで送迎したせいで)根負けしたのだろう。
あるいは園香の勘違いだったか。
皆がそう思い始めた、とある夕食前。
「見てください舞奈さん」
取り皿を運んでいた舞奈がテーブルを見やると、
「お母様に包丁の使い方を教えていただいたんです」
楓が得意げに笑っていた。
右手には微妙に危なっかしい手つきの包丁。
左手にはアコーディオンのような蛇腹状に切れたキュウリ。
「ドヤ顔のとこスマンが、それ母ちゃんは輪切りにして欲しかったんじゃないのか?」
舞奈はやれやれと苦笑する。
楓が自身の御両親と折り合いが悪いらしいのは知っている。
だから屈託のない園香の母親と語らうのが楽しいのだろう。
意地を張って独学で料理を学ぼうとして惨事を連発していた楓が素直に他人に教わろうと思いなおしたのも、その証拠だ。
……まあ実際の腕前の方は、自炊できるレベルには程遠いようだが。
「これで、いつ不審者があらわれても輪切りにできますね」
包丁を片手に、構えとしても一から矯正が必要そうな残念なポーズをとってみせる。
「いや刃物を使った戦闘と、料理は切り離して考えてくれ……」
舞奈は楓にツッコミをいれる。
そして奥の台所で煮物にとりかかる園香と母を見やる。
真神家は共働きで、御両親とも普段はもう少し遅くの帰宅らしい。
だから普段は親子3人の夕食を園香が作る。
だが娘の周囲に不審者が見え隠れするここ数日は、早めに帰宅してくれている。
なので今日も水入らずとまではいかなくとも、親子で楽しそうに料理をしている。
まあ護衛の名目で食べる人が倍以上になったからという理由もあるが。
そんな微笑ましい母娘を見やって口元に笑みを浮かべた。
その途端――
「――!?」
異音が鳴り響いた。
甲高いアラームは【安倍総合警備保障】のホームセキュリティーの警報だ。
出所は2階の……園香の部屋から。
不審者が業を煮やして2階から侵入を試みたか?
舞奈は階段を駆け上がる。
ダイニングから園香父が跳び出してくる。
父はキッチンにいた園香と園香母を見やって安堵するが、すぐさま舞奈に続く。
園香の部屋にはチャビーと終わらない宿題を手伝っている明日香がいる。
厳格で善良な父にとって、どちらも娘の大事な友達だ。
テレビのスポーツ中継を肴に園香父の相手をしていた紅葉も続く。
それでも初動の差で先にたどり着いたが舞奈がドアノブに手をかける。
その途端、
「おっと」
いきなりドアが開かれた。明日香だ。
明日香の変わらぬ姫カットと、下から顔を出したチャビーにほっとするものの、
「マイ大変!」
「日比野さんの部屋に何かあったみたい」
取り乱したチャビーと、平静を装った明日香の言葉に舌打ちする。
日比野家も、真神家と同様【安倍総合警備保障】のセキュリティーを利用している。
そのアラームを携帯でも受け取れるように設定してあったのだろう。
業を煮やした不審者が侵入したのは園香ではなく、チャビーの家だ!
「あたしと明日香で見てくる! 楓さんと紅葉さんは皆をお願いします!」
素早い判断で指示しつつ、靴を履くのもそこそこに家を飛び出す。
その後ろから明日香とチャビーが続く。
日常の隣に非日常が潜んでいるなんてことはピクシオン時代から舞奈の常識だ。
だから瞬時に感覚が、Sランク仕事人のそれに切り替わる。
そして人外レベルの脚力で疾駆しながら、口元を歪める。
園香と家族を守ることに気をとられ、不審者が他の家に赴く可能性を失念していた。
不幸中の幸いかチャビーは園香の家にいた。
だが日比野邸にはチャビーの御両親とネコポチがいる。
今回のミスが、重大な事態に繋がらなければ良いのだが……
……同じ頃。
日比野邸の2階にあるチャビーの部屋。
普段はかしましい少女の部屋も、今は電気も消されて暗く静まりかえっている。
そんな部屋のドアノブがカチャリと回り、部屋に小さな何かが入ってきた。
「ナァー」
ネコポチだ。
普段はいつでもネコポチが入ってこれるよう、ドアは少し開けてある。
だが最近は、家主が外泊するので閉まっている。
それでも【重力術士】の子猫にとって、ドアノブを回す程度は造作ない。
そうまでして飼い主の部屋に侵入したのは、退屈だからという理由もある。
騒がしく幼いママが遊んでくれないのは少し寂しい。
それ以上に――
――ガラリ。
部屋の窓が動いた。
こちらはいつも施錠してあるはずなのに。
ネコポチは身を低くして、窓に向かって音もたてずに身構える。
飼い主の部屋を訪れたもうひとつの理由は、微かな魔力を感じたからだ。
その魔力は、何者かが窓の鍵を開けるのに使われたらしい。
そして乱暴に開かれた窓から、貧相な人影があらわれた。
貧相な身なりの団塊男だ。
鋭敏な猫の鼻が煙草の悪臭を――人に仇成す害蓄のサインを察知する。
部屋に警備会社のアラームが鳴り響く。
だが侵入者は驚いて逃げる素振りすら見せない。
家人に見つかる前に事を済ませる算段か、窓から部屋を覗きこむ。
そしてベッドを見やる。
幸いにも、今日はそこに主はいない。
だが、侵入者は夜目が効かないのだろう。
「ひひ……、オレは子供を痛めつけるのが……大好きなんだ」
不気味な声色でひとりごちつつ、片手を上げる。
その拳の中から、歪な刃物のシルエットが伸びる。
「最初のターゲットとは違うが……」
男は薄気味悪い笑みを浮かべながら、逆の手を窓のサッシにかけて――
「――!?」
その腕が千切れた。
ひょろ長い腕と手が、サッシから引きはがされて宙を舞う。
それは人が【力場の斬刃】と呼ぶ、大能力のひとつ。
「ウナァァァァァ!!」
ネコポチは堪えきれず、鋭い唸り声をあげる。
少し成長した子猫の威嚇に、片腕をもがれた侵入者は一瞬、怯む。
おまえは彼女に、何をしようとした!?
無防備で無邪気な、ボクの大きいママを何処に連れて行こうとした!?
子猫の怒りに答えて【重力術士】の魔力が賦活される。
小さな茶トラの背から重力場の翼が生え、丸い尾からも黒い尾が生え――
――そして数分後。
驚異的な脚力で日比野邸まで走った舞奈は、
「親父さんたちは下がっててください!」
「け、けど舞奈ちゃん、すごい物音が……!!」
「わかってますって!」
夜の挨拶もそこそこに、日比野夫妻の制止を振り切って階段を駆け上がる。
自身の安全を軽んじているからではもちろんなく、舞奈が最強だからだ。
なので躊躇なく開けかけのドアを開け、
「動くな!」
幅広のナイフを構えて部屋を見渡す。
さすがに園香父が見ている前で拳銃を持ってくる余裕はなかった。
それでもナイフはジャケットと一緒にいつでも手に取れるところに置いてあった。
だが薄暗いチャビーの部屋には誰もいない。
侵入者らしき気配もない。
逃げられたか?
不自然に開け放たれた窓でカーテンがはためき――
「!?」
「ナァー」
ネコポチが歩いてきた。
「……なんだ、お前か」
舞奈は手品のようにナイフを仕舞う。
そして窓の外の夕暮れを見やり、子猫を見やる。
その直後に、
「そっちはどう?」
「……いや、何にもいなかった」
明日香とチャビーが登ってきた。
「ナァー」
「ネコポチ! よかった無事で!」
チャビーの腕に跳びこむ子猫を見やりながら、舞奈は首を傾げる。
「逃げたのかしら?」
「どうだろうな」
状況が呑みこめぬまま、生返事を返す。
そのとき――
「――!?」
轟音が周囲を揺るがせた。
「えっ? 花火?」
「ナァー?」
チャビーが呑気にそう言って、子猫が答える。
「……統零町の方向かしら」
明日香は怪訝そうに首をかしげる。
だが優れた感覚を持つ舞奈は気づいていた。
今のは花火じゃない。爆音だ。
それに……
「……新開発区だと? 何かあったのか?」
ひとりごち、窓を見やった。
園香と母は、大人数分の朝食を手際よく用意してくれた。
まったく驚嘆すべき家事能力が、娘と母で二倍になる様は中々の壮観。
舞奈はその無駄のない動きに、明日香は合理的な段取りに見惚れるばかりだった。
紅葉や楓は大人しく座っていた。忙しい朝に漫才している時間はない。
そして几帳面な明日香のおかげで思いの他スムーズに、皆で園香を囲んで家を出た。
途中で日比野邸にも寄って、親御さんに挨拶しがてらチャビーの登校準備をする。
明日香はネコポチと遊ぶ。
他の面子は泊まる前に今日の準備をしてあった。
そして6人でわいわいと学校に向かう。
日比野邸の隣は如月邸だ。
だがタイミングが悪かったか小夜子は家を出た後だった。
チャビーは残念そうだったが、多忙の理由を知る舞奈は特に何も言えなかった。
そして何事もなく学校に着いて、楓と紅葉と別れて初等部の校舎に向かう。
午前の授業もつつがなく進んだ。
授業中にみゃー子がいつもより多く徘徊していた気がするが、別にどうでもいい。
そして、給食を少し早く食べ終えた昼休憩。
高等部の一角にある情報処理室で、
「……それらしい人影は、見当たらないわね」
「ま、そう上手くはいかんか」
テックの隣で端末を覗きこみつつ、舞奈はやれやれと口元を歪める。
例によって、部屋にはテックと舞奈しかいない。
舞奈はテックに、ここ数日の真神邸周辺の防犯カメラの記録を調べてもらっていた。
だが調査は空振り。
「ゾマの登下校のルートも調べられるけど、ちょっと日にちがかかるわ」
「ああ、念のために頼む」
申し出に、いつもすまんなあと思いつつも何食わぬ顔で答える。
念のためなんて言ったのは、不審者の実在を疑ったからではない。
むしろ逆だ。
カメラに映らない相手を警戒していた。
以前に園香を狙ったシスター・アイオスは祓魔師だった。
奴は【屍鬼の支配】の呪術で脂虫を操り、園香を誘拐させた。
今回の不審者が、それより扱いが容易な相手だと決めつける理由はない。
それに油断のせいで友人を失いかけた失態は、あれ一度ではない。
しばらく前にもチャビーを滓田妖一の一味に誘拐された。
桜がさらわれていたこともあった(そして桂木姉妹に救出されていた)。
だから次はない。絶対に。
そう肝に銘ずる。
舞奈は沢山の大事なものを守り抜き、けどそれ以上に多くのものを失ってきたから。
「おまえも念のために、気をつけといてくれ。電話をくれればすぐに行く」
「わかってる。けど家まで大通り沿いに帰れるから安全なはずよ」
「そっか。ならいいが」
正直なところ相手の目的がわからない以上、知人の女の子みんなが心配だ。
過ぎた過保護を誤魔化しがてら、何食わぬ顔で窓を見やる。
そんな舞奈の視界の端を、
「ネーコのおまわりさんはー、スパッ! スパッ! スパッ! シュババッ!」
みゃー子が踊りながら通り過ぎた。
窓の外の青空を、ゆっくりたゆたう雲が美しい。
公安の魔道士たち出番は、もう終わっただろと苦笑する。そして、
「……おまえも一応、気をつけろよ」
「みゃー!」
何を、とは言わぬ舞奈に、みゃー子は謎の踊りで返事した。
やれやれと肩をすくめた舞奈の後に、
「――やっぱりここにいた」
今度は明日香がやってきた。
「そっちはどうだったの?」
「空振りだ。……今のところはな」
面白くもなさそうに進捗を答え、
「そういや、今日はお前が園香と帰るんだったな」
思い出して確認する。
以前にアイオスの手下に園香をさらわれた轍を踏まぬため、今回は下校後に翌日の荷物を取りに帰る際にも、常に戦える誰かが園香に同行しようと取り決めていた。
護衛役は順番で、舞奈の番には前日に2日分の準備をしておく算段だ。
そんなローテーションの初回を務める明日香は、
「ええ。わたしの荷物を取りに帰ってから、いっしょに真神さんの家に行く予定よ」
「おまえん家か? 大回りになるだろう……」
学校のある亜葉露町から、真神邸のある讃原町と軍人街の統零町は別方向だ。
そんなルートを引き回される園香が気の毒だし、単純に歩く距離が長くなると防犯的にもよろしくない。だが明日香はすました顔で、
「わたしの家からは車を出してもらうから、学校帰りにスーパーに寄って帰るのと歩く距離は変わらないわ」
自信満々に言い放った。
真神家は共働きで、両親とも帰りは遅めだったりする。
だから普段の夕食を作るのは園香の役目だ。
数日毎に学校帰りにスーパーに寄って、夕食の材料をそろえるのは彼女の日課だ。
……必然的に、小学生にしては大金を持ち歩くことになる
なので不審者の正体は物取りと言う可能性もなくはない。
そんな園香に付き合う明日香は、
「それに、今後の真神さんの身の安全にも、貢献できるはずよ」
「だといいがな」
不敵に笑う明日香の前で、舞奈はやれやれと肩をすくめた。
そんなこんなで放課後。
舞奈は新開発区にあるアパートに着替えを取りに帰った。
そして旧市街地にとんぼ返りして、小奇麗な讃原の大通りを足早に歩いて訪れた真神邸の前に……
「……おい」
武骨な装甲リムジンが停まっていた。
「それでは園香様、千佳様、お気をつけてお過ごしくださいませ」
「ありがとうございます」
「はーい! ありがとう執事さん!」
執事の夜壁がうやうやしく一礼し、後部座席のドアを開ける。
すると礼儀正しく/元気いっぱいに園香とチャビーがあらわれた。
園香の手にはスーパーの袋が提げられている。
装甲車の側には恰幅の良い制服姿の警備員が2人、直立不動で控えている。
閑静な山の手にはあまりにそぐわぬ物々しさだ。
「明日香様も、ご武運を」
「……武運を使わなくて済むように願ってるわ」
同様にあらわれた明日香に、
「ご近所さんが、ビックリするだろ」
「ええ。不審者もね」
苦笑しながらツッコむと、そんな風に返された。
明日香の実家は民間警備会社【安倍総合警備保障】だ。
警備を依頼すれば、この程度はしてくれる。
だが別に明日香は実家の仕事を斡旋したいわけじゃないのだろう。
社長令嬢の立場を利用し、自分の移動のついでという体裁で園香たちを送迎した。
なるほど園香の今後の安全に貢献するとはこのことか。
物々しい装甲リムジンは襲撃されても安全なだけでなく、ターゲットにヤバイ友人がいると思わせられれば不審者も委縮し、つきまとう気力が削がれるかもしれない。
……驚かされたスーパーの利用客はいい迷惑だが。
それに相手が、舞奈が危惧しているような怪異や異能力者でなければの話だが。
「いつも娘がお世話になっております」
「いえいえこちらこそ、明日香様が御懇意に……」
園香父は、夜壁とお辞儀をしあっている。
微笑ましい親同士の付き合いである(厳密には後者は親じゃないが)。
その後、リムジンは夜壁と警備員を乗せて帰って行った。
そうやって物々しい護衛を近所に見せつけたからという訳でもないだろうが、その夜も何事もなく過ぎて行った。
そして翌日。
「あ、千佳ちゃんおはよう」
「舞奈ちゃんたちもおはよう」
「わーい! 小夜子さんとサチさんだ!」
登校前に小夜子とサチに出くわした。
なので一緒に登校することになった。
女子小学生~女子高生あわせて8人の大所帯である。
「そっちの調子はどうだい?」
「ん……まあ、普通よ」
何気を装って尋ねた舞奈に、小夜子が気のない返事を返す。
こちらがひとまず落ち着いたから、小夜子やサチが抱えた厄介事が気になったのだ。
だが目下のところ、小夜子もサチも守秘義務に逆らうつもりはないらしい。
「小夜子さん! サチさん! ブランコやってー」
「……いいわよ」
「わーい!」
甘えるチャビーの両手を、小夜子とサチで持ち上げる。
幼女はニコニコ笑いながら、女子高生の間でゆれる。
連日のお泊り会に小夜子がいないのが寂しかったのだろう。
そんな友人を、園香が母親のような表情で見やり、
「園香さんも、やってみますか?」
「いえ、わたしは……」
「紅葉さんはともかく、あんたじゃ無理だろう。あれ、けっこう力いるぞ?」
楓の割と妄言に近い提案に皆で苦笑する。
園香はチャビーと違ってすくすく育った平均以上の小5だ。
持ち上げる筋力だけなら舞奈でも問題ないが、背が足りない。
「なるほど。……いやしかしゴリラなら」
「ゴリラ?」
「うわっ、いや何でもないんだ園香」
放っておくととんでもないことを仕出かしそうな楓を、あわてて止めた。
そしてつつがなく登校し、授業を受け、無事に真神邸に帰宅した、その晩。
舞奈が裏庭で健康体操をしていると、
「君は毎日、そういう……運動をしているのかね?」
不意にガラス戸が開いて、園香父があらわれた。
「近所迷惑だったらすんません」
「いや、それは大丈夫だ」
殊勝に言った舞奈を見やって父も笑顔で答える。
皆が入浴中のこの時間、舞奈は灯りをつけず、音もたてないように体操していた。
驚異的な感覚と身体能力を持つ舞奈にはそれでも不自由はないし、不審者の接近に気づけるかもしれないと思ったからだ。
「親父さんは今、帰りすか? お疲れさんっす」
「ありがとう。会議が思いのほか長引いてしまってな」
言いつつ少し疲労した顔で笑う。
真っ当な職に就いて、成功している社会人も楽じゃない。
そんな父は舞奈を見やり、
「君の勇敢さと……腕っぷしの強さのことは、娘からもよく聞いている」
穏やかな、そして真面目な声色で語りかけた。
「娘の身に起きたことで、君のおかげで大事にならずに済んだことも多いだろう。だが君自身のことも大事にしてほしい。君にもしものことがあれば……心配する人がいる」
口調が少しもごもごしているのは疲れのせいか、あるいは別の要因か。
だが今の台詞は、無茶ばかりする舞奈に対する彼の正直な気持ちだろう。
たぶん彼が、心配する相手として想定したのは舞奈の親だ。
だが舞奈は彼に家の事情を話していない。
だから言葉を濁すくらいに、彼は気遣いのできる人間だ。だから、
「わかってますって!」
普段の軽薄な笑みではなく、真摯な笑顔を返した。
……もっとも暗がりの中で彼に舞奈の表情が見えるわけはないのだが。
「母さんにミルクを用意してもらおう。それが終わったら飲んで風呂に入りなさい」
「ごちっす! っていうか、先に入っちゃって良いすよー」
「馬鹿者。客人より早く風呂に入れる訳がなかろう」
照れたように言いつつも、父は電気をつけたまま立ち去った。
舞奈は最後まで体操を続けてから、台所に用意してあったミルクをいただいた。
気持ちよくキンキンに冷えていたのは、運動後だからという理由で気を遣われたか。
そして風呂も借りて、いつも通りリビングのソファで寝た。
しばらく横になっていると、遅めの風呂を済ませた園香父も向かいのソファで寝た。
夕方の会議が余程アレだったのだろう、父はすぐさま穏やかな寝息をたて始めた。
そして舞奈は今日も懲りずに部屋を抜け出そうと、狸寝入りから目覚める。
音もなくベッドを抜け出し、園香父を観察する。
父は身をよじった拍子にシーツを払い落とし、どうやら熟睡しているらしい。
つまり今日こそは、2階の園香の部屋に辿り着くまで寝ていてくれそうだ。
舞奈はニヤリと笑い――
――シーツを拾って父の腹にかけて、自分のソファに戻って寝た。
単にこの時間に園香の部屋に行っても寝ているだけだと気づいたからだ。
皆が泊まり始めてから数日は経っているので、今さら夜更しもしてないだろうし。
そのようにして大人しく眠りについた舞奈は、その夜、真人間になる夢を見た……
……翌日、夢の余韻のせいか舞奈は少し大人しかった。
だからという訳ではないのだろうが、父の舞奈への当たりも普段より穏やかで、なんというか少し優しかった。
そんなこんなで特に問題もなく登校すると、
「園香ちゃん、キモイおじさんにさらわれそうになったって本当!?」
「ええっと……」
「キモイかどうかも、おじさんかどうかも、誘拐かどうかもわからんがな」
どこから噂を聞きつけたのか、朝から桜が絡んできた。
舞奈はやれやれと仕方なく答える。
「大変なのー! 委員長も気をつけるのー!」
「はいなのです!」
「委員長の家の近くで女児誘拐なんかしたら、仕掛けた方が蜂の巣になりそうだがな」
エキサイトする桜と乗ってきた委員長に苦笑し、
「いやーん! 桜も気をつけないと、また誘拐されちゃうなのー!」
「いや、おまえは関係ないだろ」
なるほど、その台詞が言いたかったのか……。
妄言を吐くだけに飽き足らず脈絡なく歌い始めた桜に、思わず肩をすくめた。
だが、その日も、その翌日も、園香の家に不審者は来なかった。
移動中に気配を感じることもなかった。
もちろん他所で捕まったという話も聞かない。
そうやって何事も起こらぬまま数日が経った。
不審者は(明日香が装甲リムジンで送迎したせいで)根負けしたのだろう。
あるいは園香の勘違いだったか。
皆がそう思い始めた、とある夕食前。
「見てください舞奈さん」
取り皿を運んでいた舞奈がテーブルを見やると、
「お母様に包丁の使い方を教えていただいたんです」
楓が得意げに笑っていた。
右手には微妙に危なっかしい手つきの包丁。
左手にはアコーディオンのような蛇腹状に切れたキュウリ。
「ドヤ顔のとこスマンが、それ母ちゃんは輪切りにして欲しかったんじゃないのか?」
舞奈はやれやれと苦笑する。
楓が自身の御両親と折り合いが悪いらしいのは知っている。
だから屈託のない園香の母親と語らうのが楽しいのだろう。
意地を張って独学で料理を学ぼうとして惨事を連発していた楓が素直に他人に教わろうと思いなおしたのも、その証拠だ。
……まあ実際の腕前の方は、自炊できるレベルには程遠いようだが。
「これで、いつ不審者があらわれても輪切りにできますね」
包丁を片手に、構えとしても一から矯正が必要そうな残念なポーズをとってみせる。
「いや刃物を使った戦闘と、料理は切り離して考えてくれ……」
舞奈は楓にツッコミをいれる。
そして奥の台所で煮物にとりかかる園香と母を見やる。
真神家は共働きで、御両親とも普段はもう少し遅くの帰宅らしい。
だから普段は親子3人の夕食を園香が作る。
だが娘の周囲に不審者が見え隠れするここ数日は、早めに帰宅してくれている。
なので今日も水入らずとまではいかなくとも、親子で楽しそうに料理をしている。
まあ護衛の名目で食べる人が倍以上になったからという理由もあるが。
そんな微笑ましい母娘を見やって口元に笑みを浮かべた。
その途端――
「――!?」
異音が鳴り響いた。
甲高いアラームは【安倍総合警備保障】のホームセキュリティーの警報だ。
出所は2階の……園香の部屋から。
不審者が業を煮やして2階から侵入を試みたか?
舞奈は階段を駆け上がる。
ダイニングから園香父が跳び出してくる。
父はキッチンにいた園香と園香母を見やって安堵するが、すぐさま舞奈に続く。
園香の部屋にはチャビーと終わらない宿題を手伝っている明日香がいる。
厳格で善良な父にとって、どちらも娘の大事な友達だ。
テレビのスポーツ中継を肴に園香父の相手をしていた紅葉も続く。
それでも初動の差で先にたどり着いたが舞奈がドアノブに手をかける。
その途端、
「おっと」
いきなりドアが開かれた。明日香だ。
明日香の変わらぬ姫カットと、下から顔を出したチャビーにほっとするものの、
「マイ大変!」
「日比野さんの部屋に何かあったみたい」
取り乱したチャビーと、平静を装った明日香の言葉に舌打ちする。
日比野家も、真神家と同様【安倍総合警備保障】のセキュリティーを利用している。
そのアラームを携帯でも受け取れるように設定してあったのだろう。
業を煮やした不審者が侵入したのは園香ではなく、チャビーの家だ!
「あたしと明日香で見てくる! 楓さんと紅葉さんは皆をお願いします!」
素早い判断で指示しつつ、靴を履くのもそこそこに家を飛び出す。
その後ろから明日香とチャビーが続く。
日常の隣に非日常が潜んでいるなんてことはピクシオン時代から舞奈の常識だ。
だから瞬時に感覚が、Sランク仕事人のそれに切り替わる。
そして人外レベルの脚力で疾駆しながら、口元を歪める。
園香と家族を守ることに気をとられ、不審者が他の家に赴く可能性を失念していた。
不幸中の幸いかチャビーは園香の家にいた。
だが日比野邸にはチャビーの御両親とネコポチがいる。
今回のミスが、重大な事態に繋がらなければ良いのだが……
……同じ頃。
日比野邸の2階にあるチャビーの部屋。
普段はかしましい少女の部屋も、今は電気も消されて暗く静まりかえっている。
そんな部屋のドアノブがカチャリと回り、部屋に小さな何かが入ってきた。
「ナァー」
ネコポチだ。
普段はいつでもネコポチが入ってこれるよう、ドアは少し開けてある。
だが最近は、家主が外泊するので閉まっている。
それでも【重力術士】の子猫にとって、ドアノブを回す程度は造作ない。
そうまでして飼い主の部屋に侵入したのは、退屈だからという理由もある。
騒がしく幼いママが遊んでくれないのは少し寂しい。
それ以上に――
――ガラリ。
部屋の窓が動いた。
こちらはいつも施錠してあるはずなのに。
ネコポチは身を低くして、窓に向かって音もたてずに身構える。
飼い主の部屋を訪れたもうひとつの理由は、微かな魔力を感じたからだ。
その魔力は、何者かが窓の鍵を開けるのに使われたらしい。
そして乱暴に開かれた窓から、貧相な人影があらわれた。
貧相な身なりの団塊男だ。
鋭敏な猫の鼻が煙草の悪臭を――人に仇成す害蓄のサインを察知する。
部屋に警備会社のアラームが鳴り響く。
だが侵入者は驚いて逃げる素振りすら見せない。
家人に見つかる前に事を済ませる算段か、窓から部屋を覗きこむ。
そしてベッドを見やる。
幸いにも、今日はそこに主はいない。
だが、侵入者は夜目が効かないのだろう。
「ひひ……、オレは子供を痛めつけるのが……大好きなんだ」
不気味な声色でひとりごちつつ、片手を上げる。
その拳の中から、歪な刃物のシルエットが伸びる。
「最初のターゲットとは違うが……」
男は薄気味悪い笑みを浮かべながら、逆の手を窓のサッシにかけて――
「――!?」
その腕が千切れた。
ひょろ長い腕と手が、サッシから引きはがされて宙を舞う。
それは人が【力場の斬刃】と呼ぶ、大能力のひとつ。
「ウナァァァァァ!!」
ネコポチは堪えきれず、鋭い唸り声をあげる。
少し成長した子猫の威嚇に、片腕をもがれた侵入者は一瞬、怯む。
おまえは彼女に、何をしようとした!?
無防備で無邪気な、ボクの大きいママを何処に連れて行こうとした!?
子猫の怒りに答えて【重力術士】の魔力が賦活される。
小さな茶トラの背から重力場の翼が生え、丸い尾からも黒い尾が生え――
――そして数分後。
驚異的な脚力で日比野邸まで走った舞奈は、
「親父さんたちは下がっててください!」
「け、けど舞奈ちゃん、すごい物音が……!!」
「わかってますって!」
夜の挨拶もそこそこに、日比野夫妻の制止を振り切って階段を駆け上がる。
自身の安全を軽んじているからではもちろんなく、舞奈が最強だからだ。
なので躊躇なく開けかけのドアを開け、
「動くな!」
幅広のナイフを構えて部屋を見渡す。
さすがに園香父が見ている前で拳銃を持ってくる余裕はなかった。
それでもナイフはジャケットと一緒にいつでも手に取れるところに置いてあった。
だが薄暗いチャビーの部屋には誰もいない。
侵入者らしき気配もない。
逃げられたか?
不自然に開け放たれた窓でカーテンがはためき――
「!?」
「ナァー」
ネコポチが歩いてきた。
「……なんだ、お前か」
舞奈は手品のようにナイフを仕舞う。
そして窓の外の夕暮れを見やり、子猫を見やる。
その直後に、
「そっちはどう?」
「……いや、何にもいなかった」
明日香とチャビーが登ってきた。
「ナァー」
「ネコポチ! よかった無事で!」
チャビーの腕に跳びこむ子猫を見やりながら、舞奈は首を傾げる。
「逃げたのかしら?」
「どうだろうな」
状況が呑みこめぬまま、生返事を返す。
そのとき――
「――!?」
轟音が周囲を揺るがせた。
「えっ? 花火?」
「ナァー?」
チャビーが呑気にそう言って、子猫が答える。
「……統零町の方向かしら」
明日香は怪訝そうに首をかしげる。
だが優れた感覚を持つ舞奈は気づいていた。
今のは花火じゃない。爆音だ。
それに……
「……新開発区だと? 何かあったのか?」
ひとりごち、窓を見やった。
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