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第11章 HAPPY HAPPY FAIRY DAY
作戦1
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翌日の昼休み。
「わかりそうか?」
「うーん……」
無表情に端末を操作するテックに、舞奈は身を乗り出して問いかける。
その側には明日香。
ここは高等部の校舎にある情報処理室。
そこで友人の力を借り、舞奈はSNSの殺害予告から犯人を割り出そうとしていた。
予告の文面を拝見したところ、期日は近日に行われる誕生日ライブ。
それまでに、犯人はあずさを『歌えなくする』と宣言している。
だから表向きには、誕生日ライブの当日まであずさを護衛すれば依頼は達成だ。
だが可能ならば、犯人を拘束ないし排除したい。
SNSに犯罪予告を書きこんだ人物を特定できれば、それを警察にタレこんで片づけさせれば事件は無事に解決だ。
あるいは犯人が脂虫なら、えり子にでもヤニ狩りしてもらえばいい。
そして悪臭と犯罪をまき散らす脂虫=喫煙者が犯人である可能性は高い。だが……
「……ちょっと難しいみたい」
テックはモニターを睨みつけながら言った。
「滓田の野郎のときみたいに、うまいことなんとかならんのか?」
舞奈も負けじと言い募る。
隣で明日香も同意する。
ネットで殺害予告などすれば、いくらでも足がつきそうなものだ。それでも、
「コンピューターなんて言葉も知らないようなおじさん企業の裏帳簿と、手慣れてる上に身軽な個人の情報を一緒にしないで」
テックは無表情なりに面白くなさそうに答えた。
「相手も馬鹿じゃないってことか……」
舞奈も口をへの字に曲げる。
どうやら相手はその方面に関して、まったくの素人ではないということだ。
痕跡を消すくらいはお手の物らしい。
苛立ちをぶつける相手が文字通り見つからず、舞奈は虚空を睨みつける。
「なら、わたしが占術で――」
「却下だ」
明日香の寝言を切って捨てる。
すると明日香は睨んできた。
だいたい占術でわかる類の情報なら、張が自力で入手しているはずだ。
張だって魔道士なのだ。
だが、他に犯人を特定する手掛かりがないのも事実だ。
舞奈と明日香は並んで悩む。
そんな2人を一瞥し、
「けど、代わりに面白い情報を手に入れたわ」
テックはあくまで無表情に、そう告げた。
「面白い情報だと?」
「ええ、【親亜音楽著作権協会】って組織のこと」
テックは答えつつキーボードを叩く。
「けっこう悪どいことをしてるみたいね」
「そういや、オーナーもんなこと言ってたなあ」
「たとえば利用者からは膨大な額の使用料を徴収してるのに、著作者には雀の涙ほどのリターンしかないとか」
「らしいな」
「そもそもこの組織、著作者が自分の曲を歌っても多額の著作権使用料を請求してる」
「……そいつは酷い」
やれやれと肩をすくめる。
「他にもたくさん」
言いつつテックは画面に文面を映し出す。
舞奈と明日香はそろって見やる。
口コミの情報をまとめたもののようだ。
「幼稚園の演奏会から、使用料を請求だと……!?」
「音楽教室で子供が歌った歌から徴収って……」
文面を読んで舞奈は驚く。
隣で明日香も苦笑する。
「あと福祉施設で演奏したボランティア団体からも徴収してるわ」
「おいおい」
テックの言葉に苦笑する。
その調子だと、そのうち桜が何かされるんじゃないかと不安になった。
彼女はアイドルを目指し、日々歌いまくってるのだ。
「大音量のオーディオで音漏れしていた家の住人から徴収……」
信じられない事実の数々に、明日香も目を丸くしていた。
眼鏡がずり落ちるパフォーマンスすら忘れたようだ。
正直なところ、音漏れするような迷惑な聞き方をしているような奴からは金をとってやっても問題なかろうと思う。
だが、それは著作権の管理団体の仕事じゃないだろうとも思う。だから、
「そんな奴らなら、双葉あずさが金がなる樹に見えてもおかしくないわな」
言って舞奈は口元を歪める。
側の明日香も、テックもうなずく。
そんな奴らなら、不思議じゃない。
その樹がどうしても欲しくなっても。
手段を選ばずに奪いたいと思っても。
そんな奴らに、梓と梓の歌を好き勝手にさせたくない。
だが政治力を持った大規模な組織に対し、舞奈ひとりで何ができる?
そんなことを考えていると、
「犯人を確保してKASCとの関係を明るみに出せば、奴らも手出しはしにくくなるはずよ。それも梓さんの安全を確保する手段になるわ」
明日香が自信ありげに言った。
「その犯人の居場所がわからないって、さっき話してたろ?」
「そのことなんだけど、今、いい考えを思いついたわ」
そう語ってニヤリと笑う。
テックは無言で驚く。
「いい考えだと?」
舞奈は訝しげに言葉を返す。
そんな方法があるのなら願ってもない。
だが、気のせいか明日香のドヤ顔に、不吉な予感を覚えずにはいられなかったのだ。
なので、それはひとまず置いておいて、放課後。
「わたしのお家はこっちなんだ」
「お、讃原の方じゃないか。あんた、お嬢様だったんだな」
梓を囲んで、舞奈と明日香は通学路を歩く。
今日の梓は自室で歌のレッスンらしい。
なのでレッスンの見学という名目で、自宅まで送っていくことにしたのだ。
張梓の家は、讃原町の片隅にある。
園香やチャビーの家とは少し離れているが、梓も山の手の住人らしい。
そんな彼女と張が住む家は、店とは打って変わった洋風の一軒家だ。
周囲の豪邸と比べてこぢんまりとはしているが、白壁に赤い屋根が可愛らしい。
梓に誘われるままおじゃますると、家の中も手入れがよく行き届いていた。
2階の一室が梓のための防音部屋になっているあたり、親馬鹿さ加減を感じさせる。
明日香がこっそり言うには、さりげなく魔法的な防護もされているらしい。
なのでレッスンを見学してお茶をご馳走になってから、安心しておいとました。
そして、向かう先は九杖邸だ。
そこで明日香に、いい考えとやらを聞かせてもらうことになっていたのだ。
テックは先に来ていて、おやつのおはぎを食べながら待っていた。
小夜子も来ていて、テックの隣でおはぎを食べていた。
会話はなかった。
「お、サチさんお手製のおはぎじゃないか。いいもん食いやがって」
「……あ」
舞奈はちゃぶ台の上の皿に盛られたおはぎをつまむ。
「こいつは美味い」
「以前に日比野さんの家で、何言ったか覚えてないの?」
「ああ、基本を勉強しなおすまで料理すんなってな。ブルジョアどもと、おまえらに」
そう言って明日香にニヤニヤ笑って見せる。
すると明日香と、小夜子に睨まれた。
「……それはともかく、おまえの名案とやらを聞かせてもらおうじゃないか」
小夜子の視線から逃れるように明日香に言う。
サチと小夜子は、双葉あずさが張の娘だということに勘づいていたらしい。
護衛をすることになったと言ったら、あっさり腑に落ちていた。
流石は諜報部の魔道士といったところか。
そんな2人にテックと舞奈を加えた全員を、明日香は順繰りに見やり、
「ふふ、見て驚かないでよ」
自信ありげにそう答える。
次いで印を組みつつ、真言を唱え始めた。そして……
「……明日香がバグった」
無表情にテックが言った。
光学迷彩による変装【変装】に、認識阻害の【隠形】。
その2つを組み合わせ、双葉あずさに変身しようという目論見だったらしい。
要は以前にハニエルがしていた服を着ているふりと同じ感じか。
そして意図的に情報をリークし、犯人をおびき出して始末する。
こちらは、いつぞや水素水の屋台をでっちあげ、『メメント・モリ』をおびき出そうとしたように。だが、
「……こいつは酷い」
言って舞奈は目を覆った。
明日香は歌も酷いが、絵心の無さも半端ない。
現に目前の双葉あずさ(自称)も、胴のあたりが極彩色なのでドレスを着ているのだろうと察することは可能だ。
だが歌っている仕草のつもりか大きく開けた口は真っ赤。
八重歯のつもりか鋭い牙が生えている。
肌色をした手足の長さは左右まちまち。
おそらくマイクのつもりであろう禍々しい錫杖を振りかざしている。
まるで未就学児が描いた悪魔の絵だ。
完全体と化したキムを自壊させた、視覚の暴力の再来である。
芸術的センスについて、明日香は先の戦から何ら進歩していなかった。
「明日香ちゃん、それは……」
サチもフォローの言葉が見つからずに困る。
「サチに何てもの見せるのよ」
ネガティブな小夜子が正直な感想を述べた。
「いい考えだと思ったのに」
「術者がおまえじゃなきゃな」
「もちろん本番では貴女が術の対象になるのよ」
「……!? 何てこと言いだしやがる!?」
舞奈は思わず腰を浮かす。
武器や肉体に魔法を付与する付与魔法や一部の補助魔法は術者にのみ作用する。
例外は呪術師が贄や大量の魔力を使って術を強化した場合だ。
そもそも魔術師は付与魔法を不得手とする。
だが今や、明日香はそれらを他者に対して行使できるようになっていた。
術者としての、弛まぬ修練の賜物である。
その技量を用い、先の戦では舞奈の拳銃に【力弾】をかけた。
それによって、舞奈は滓田妖一の最後の息子を葬り去ることができた。
……だが、だからといって、この怪物みたいな幻影を着るのは御免だ。
こんな見た目で街をうろついていたら、犯人の前に執行人に襲われる。だから、
「そんな大口開いて、すごい目で睨んでも事実は事実だからな」
言うとクリーチャー(明日香)はうなだれた。
別に凄んだわけではなかったらしい。
次いでクリーチャー(明日香)はテックを見やる。
ひょっとしたら魔道士ではない彼女には【隠形】が効いていて、双葉あずさに見えると思ったのかもしれない。
だがテックは無表情なりに恐怖に目を見開き、舞奈の背後に隠れた。
クリーチャー(明日香)は呆然と立ちすくむ。
意図せず怪物になったヒロインが、周囲の拒絶にショックを受ける様に似ていた。
だが、これは明日香が自分で変身した自業自得だ。
なのでクリーチャー(明日香)はしょんぼりと術を解除した。
「戻った……」
テックがほっとした表情でひとりごちる。
そういえば術がとけるのと同時に、周囲に満ちていた禍々しい圧迫感も消えた。
「頭が痛かったのが治ったわ」
「……認識阻害による脳内情報と視覚情報が一致しないせいだと思う」
言いつつ小夜子は、サチを気づかうように手を握る。
……つまりバグっていたのは明日香だけでなく、見ていた側の脳内もということだ。
明日香の幻術、恐るべし。
「やれやれ。幻術で人を祟り殺すなんて、なかなかできることじゃないぞ」
「元気出して明日香ちゃん! 作戦そのものはよかったんだから」
舞奈が軽口を叩き、サチが無難なフォローをした。
「サチさんや小夜子さんは、その手の術は使えないのか?」
「無理ね。わたしもサチも呪術師だから、光を操って透明になるくらいしか」
「【幻惑の衣】と【陽炎】だっけか」
舞奈の返事に2人はうなずく。
これらはナワリと古神術における、光学迷彩の術の名だ。
だが、それらに術者の姿を隠す以上の効果はない。
残念ながら明日香の案は却下するしか。
そんなことを考えていると、
「ちょっと待つのだ!」
どこからともなく声がした。
今度は如何なる感覚異常かと一同は明日香を見やる。
明日香はあわてて首を横に振り否定する。
次いで玄関で呼び鈴が鳴った。
サチがふらつきながらも立ち上がり、出迎えに行った。
小夜子も続く。
そして舞奈たちがのんびり回復していると、2人は糸目を連れてやってきた。
技術担当官ニュットだ。
「面白そうなことをしている気配があったのでな」
「まあ、技術部のあんたなら多少はましかもしれないな」
……というか、明日香以外の術者なら。
そう思いつつ舞奈はニュットに、明日香の作戦を話してみた。
だがニュットは糸目を細めて、
「無理なのだ」
何食わぬ顔で言った。
「ルーン魔術は元は戦士の魔術なのでな、正々堂々と戦うための隠形や無力化の手段はひととおり揃っているのだが、幻術の手札は少ないのだよ」
「姿を消して不意打ちするのが正々堂々か?」
「戦士の世界ではそうなのだよ」
取り付く島もないニュットの答えに苦笑する。
軽口を叩いたものの、舞奈もルーン魔術に幻術が少ないことは知っている。
明日香には気の毒だが、この作戦はニュットにも無理だ。
というか、彼女は何しに来たんだか。
「そういやあ、以前に【組合】の魔道士が認識阻害をかけながら全裸で街中をほっつき歩いてたぞ。ああいうレベルの奴を呼べれば、何とかなるんじゃないのか?」
ふとハニエルの存在を思いだして、言ってみた。
奴なら光学迷彩も使えるし、自衛もできる。
なので、こういう役目には適任だろう。だが、
「ええっ……?」
「全裸?」
サチと小夜子は互いに顔を見合わせた。
どちらの顔にも困惑の表情が浮かんでいる。
「落ち着いて、舞奈」
「貴女は【組合】を何だと思ってるのよ」
テックと明日香もジト目で見てくる。
「舞奈ちんは、その、【組合】を誤解してはいないかね? 彼らは魔道士の相互扶助組織であって、そういう……組織ではないのだよ」
ニュットまでもが、そんなことを言ってきた。
「いや、いたんだよ本当に」
舞奈は意地になって言い募る。
「こう、すっぽんぽんの、全裸が……」
「白昼夢でも見たんでしょ? そんな事ばっかり考えてるから」
「……ちぇっ」
明日香に真顔で諭され、へそを曲げてそっぽ向く。
開け放たれた障子の向こう、和風の庭でみゃー子が身体をくねらせて遊んでいた。
何の真似かは知らないが、とにかく脱力する動きだ。
舞奈はふぁーっとあくびをする。
「そんなことより、家の前で大声出さないでくださいよ。ここは支部じゃないんです」
思いだしたように……というか舞奈の発言などなかったかのように、小夜子がニュットをジト目で見やる。ここは閑静な山の手だ。
「安心するのだ。大声を出したわけではないのだよ」
ニュットは気にした様子もなく言い返す。
「ルーン魔術の【物品と機械装置の操作と魔力付与】には、機械を操って意思伝達する術もあるのだよ。ほら、そこにあるパソコンを使ったのだ」
自慢げな台詞に、サチは目を丸くしてパソコンを見やる。
「電源切れてるんじゃ」
テックが冷静にツッコミをいれる。
だがニュットは動じず、
「電源コードが刺さってれば、わりかし自由が効くのだよ」
「手のこんだハッキングみたいな……」
テックは言いかけ、そして何かに気づく。
だが、そのとき、
「ちょっとお待ちください」
再び虚空から声がした。
「客が多い日だな」
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
呼び鈴が鳴って、サチと小夜子が出迎えに行く。
そして今度は楓と紅葉を連れて戻って来た。
「楓さん、眼鏡替えたんだな」
「ええ。学業に専念するべく学校でも眼鏡かけてようと思いまして」
見上げる舞奈に、楓はニコリと笑みを返す。
普段オフでかけていた野暮ったい黒ぶち眼鏡とは違い、とらえどころのない楓の雰囲気に似合ったおしゃれ眼鏡だ。
なるほど芸術家の彼女が本気で眼鏡を選ぶと、こうなるのか。
「それにしても楓ちん、人様の家の前で大声を張りあげたらダメなのだよ」
ニュットがしたり顔で説教する。
無論、周囲のジト目に動じる様子は欠片もない。
「ふふふ、ご安心くださいな」
楓も何食わぬ顔で答える。
彼女は【機関】で、ニュットの厚顔無恥さとか悪いところに影響されたようだ。
「ウアブ呪術には、ネイト神の力を借り、水を使って音を伝える【水の言葉】という術があります。それを使って紅葉ちゃんが声を伝えてくれたのです」
「あんたたちはヒマなのか……」
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
なるほど水と大地と空気を操るウアブ呪術は、そんなこともできるのか。
言われてみれば、先ほどの声は虚空というより目の前の湯のみから聞こえてきた。
「……食い物で遊ぶな」
舞奈はずずっと茶をすすって、ふと気づき、
「さっきの話し、楓さんに試してもらっちゃあどうだろうよ?」
「おや、何か面白い話ですか?」
「えっとねえ……」
サチと小夜子が、今度は2人に事情を説明した。
「そういうことでしたら、わたしにお任せくださいな」
そう言って、楓はコプト語の呪文を唱える。
すると楓の身体が魔法の光に包まれ……
「「……おおっ」」
一同は思わず感嘆した。
「姉さん!? いや……!?」
隣の紅葉も驚き、そして吸い寄せられるように楓を見つめる。
楓が使った魔術は【貴婦人のヴェール】、そして【消失のヴェール】。
術の機能としては先ほどの明日香と同じである。
だが唯一、そして決定的に異なるのは、そこに現出したものが芸術だということだ。
なぜなら楓は魔術師であると同時に、芸術家だからだ。
まず目に入ったのは、ビビットな極彩色なのに不思議と上品なエナメルのブーツ。
そこから、すらりと長い脚がのびている。
ドキリとするような白くてやわらかい太ももを、ドレスのスカートが覆い隠す。
見惚れるようにくびれたウェストから滑らかに続く胸は、大胆に膨らんでいる。
うっとりするような曲線が、見る者の視線を釘付けにする。
胸元から微かに覗く肌色が、ドレスの華に彩を添える。
それは至高の美だった。
それを覆ってじらすように、たおやかな手が胸の前でマイクを抱きしめる。
シルクの手袋をはめた両の手の指は信じられないほど細く精緻で、まるで美しい花の花弁のようだ。
そして惹きつけられるように見とれる観客を見つめ返す、うるんだ瞳。
目鼻立ちこそ整っているものの、幼さを残した顔立ち。
その中で存在感を主張する、桜の花びらのような艶やかな唇。
そこには完璧な美が、アイドルが存在した。
しばし一同はそれを、呆けたように見つめていた。だが、
「何というか、神々しすぎるというか……」
いち早く我に返ったテックが言った。
なるほどと舞奈も頷く。
楓の幻術で形作られた双葉あずさは完璧だった。
――否。完璧を超えていた。
それが故に、双葉あずさを超えた何者かになってしまっていた。
そもそも楓はコンクールに絵を出展した際、美し過ぎて金賞を逃したこともある。
芸術には向いているが、偽装には向かないタイプなのだ。
「難しいですね……」
術を解除すると、楓は元の楓に戻った。
元の楓もおしゃれ眼鏡が知的な美人である。
だが、そこに存在していた幻影のあずさと見比べると盛り下がる感は否めない。
逆に言えば、それほどまでに芸術家としての楓のセンスは卓越していた。
「元の姉さんも綺麗だよ」
「……」
フォローした紅葉を楓が睨む。
嫌味に聞こえたらしい。
紅葉は地味にショックを受ける。
そんな2人を横目に、舞奈はふと思う。
ひょっとしたら奈良坂がいたら、丁度いい塩梅でやってくれたのかもしれない。
仏術には乾闥婆の咒による幻術もあったはずだ。
だが、奈良坂は都合よくあらわれてはくれなかった。
そもそも彼女は【治癒の言葉】の魔術による治療中だ。
護衛の任務につき合わせるのも気が引ける。
なので明日香のこの作戦は、残念ながら没ということになった。
「わかりそうか?」
「うーん……」
無表情に端末を操作するテックに、舞奈は身を乗り出して問いかける。
その側には明日香。
ここは高等部の校舎にある情報処理室。
そこで友人の力を借り、舞奈はSNSの殺害予告から犯人を割り出そうとしていた。
予告の文面を拝見したところ、期日は近日に行われる誕生日ライブ。
それまでに、犯人はあずさを『歌えなくする』と宣言している。
だから表向きには、誕生日ライブの当日まであずさを護衛すれば依頼は達成だ。
だが可能ならば、犯人を拘束ないし排除したい。
SNSに犯罪予告を書きこんだ人物を特定できれば、それを警察にタレこんで片づけさせれば事件は無事に解決だ。
あるいは犯人が脂虫なら、えり子にでもヤニ狩りしてもらえばいい。
そして悪臭と犯罪をまき散らす脂虫=喫煙者が犯人である可能性は高い。だが……
「……ちょっと難しいみたい」
テックはモニターを睨みつけながら言った。
「滓田の野郎のときみたいに、うまいことなんとかならんのか?」
舞奈も負けじと言い募る。
隣で明日香も同意する。
ネットで殺害予告などすれば、いくらでも足がつきそうなものだ。それでも、
「コンピューターなんて言葉も知らないようなおじさん企業の裏帳簿と、手慣れてる上に身軽な個人の情報を一緒にしないで」
テックは無表情なりに面白くなさそうに答えた。
「相手も馬鹿じゃないってことか……」
舞奈も口をへの字に曲げる。
どうやら相手はその方面に関して、まったくの素人ではないということだ。
痕跡を消すくらいはお手の物らしい。
苛立ちをぶつける相手が文字通り見つからず、舞奈は虚空を睨みつける。
「なら、わたしが占術で――」
「却下だ」
明日香の寝言を切って捨てる。
すると明日香は睨んできた。
だいたい占術でわかる類の情報なら、張が自力で入手しているはずだ。
張だって魔道士なのだ。
だが、他に犯人を特定する手掛かりがないのも事実だ。
舞奈と明日香は並んで悩む。
そんな2人を一瞥し、
「けど、代わりに面白い情報を手に入れたわ」
テックはあくまで無表情に、そう告げた。
「面白い情報だと?」
「ええ、【親亜音楽著作権協会】って組織のこと」
テックは答えつつキーボードを叩く。
「けっこう悪どいことをしてるみたいね」
「そういや、オーナーもんなこと言ってたなあ」
「たとえば利用者からは膨大な額の使用料を徴収してるのに、著作者には雀の涙ほどのリターンしかないとか」
「らしいな」
「そもそもこの組織、著作者が自分の曲を歌っても多額の著作権使用料を請求してる」
「……そいつは酷い」
やれやれと肩をすくめる。
「他にもたくさん」
言いつつテックは画面に文面を映し出す。
舞奈と明日香はそろって見やる。
口コミの情報をまとめたもののようだ。
「幼稚園の演奏会から、使用料を請求だと……!?」
「音楽教室で子供が歌った歌から徴収って……」
文面を読んで舞奈は驚く。
隣で明日香も苦笑する。
「あと福祉施設で演奏したボランティア団体からも徴収してるわ」
「おいおい」
テックの言葉に苦笑する。
その調子だと、そのうち桜が何かされるんじゃないかと不安になった。
彼女はアイドルを目指し、日々歌いまくってるのだ。
「大音量のオーディオで音漏れしていた家の住人から徴収……」
信じられない事実の数々に、明日香も目を丸くしていた。
眼鏡がずり落ちるパフォーマンスすら忘れたようだ。
正直なところ、音漏れするような迷惑な聞き方をしているような奴からは金をとってやっても問題なかろうと思う。
だが、それは著作権の管理団体の仕事じゃないだろうとも思う。だから、
「そんな奴らなら、双葉あずさが金がなる樹に見えてもおかしくないわな」
言って舞奈は口元を歪める。
側の明日香も、テックもうなずく。
そんな奴らなら、不思議じゃない。
その樹がどうしても欲しくなっても。
手段を選ばずに奪いたいと思っても。
そんな奴らに、梓と梓の歌を好き勝手にさせたくない。
だが政治力を持った大規模な組織に対し、舞奈ひとりで何ができる?
そんなことを考えていると、
「犯人を確保してKASCとの関係を明るみに出せば、奴らも手出しはしにくくなるはずよ。それも梓さんの安全を確保する手段になるわ」
明日香が自信ありげに言った。
「その犯人の居場所がわからないって、さっき話してたろ?」
「そのことなんだけど、今、いい考えを思いついたわ」
そう語ってニヤリと笑う。
テックは無言で驚く。
「いい考えだと?」
舞奈は訝しげに言葉を返す。
そんな方法があるのなら願ってもない。
だが、気のせいか明日香のドヤ顔に、不吉な予感を覚えずにはいられなかったのだ。
なので、それはひとまず置いておいて、放課後。
「わたしのお家はこっちなんだ」
「お、讃原の方じゃないか。あんた、お嬢様だったんだな」
梓を囲んで、舞奈と明日香は通学路を歩く。
今日の梓は自室で歌のレッスンらしい。
なのでレッスンの見学という名目で、自宅まで送っていくことにしたのだ。
張梓の家は、讃原町の片隅にある。
園香やチャビーの家とは少し離れているが、梓も山の手の住人らしい。
そんな彼女と張が住む家は、店とは打って変わった洋風の一軒家だ。
周囲の豪邸と比べてこぢんまりとはしているが、白壁に赤い屋根が可愛らしい。
梓に誘われるままおじゃますると、家の中も手入れがよく行き届いていた。
2階の一室が梓のための防音部屋になっているあたり、親馬鹿さ加減を感じさせる。
明日香がこっそり言うには、さりげなく魔法的な防護もされているらしい。
なのでレッスンを見学してお茶をご馳走になってから、安心しておいとました。
そして、向かう先は九杖邸だ。
そこで明日香に、いい考えとやらを聞かせてもらうことになっていたのだ。
テックは先に来ていて、おやつのおはぎを食べながら待っていた。
小夜子も来ていて、テックの隣でおはぎを食べていた。
会話はなかった。
「お、サチさんお手製のおはぎじゃないか。いいもん食いやがって」
「……あ」
舞奈はちゃぶ台の上の皿に盛られたおはぎをつまむ。
「こいつは美味い」
「以前に日比野さんの家で、何言ったか覚えてないの?」
「ああ、基本を勉強しなおすまで料理すんなってな。ブルジョアどもと、おまえらに」
そう言って明日香にニヤニヤ笑って見せる。
すると明日香と、小夜子に睨まれた。
「……それはともかく、おまえの名案とやらを聞かせてもらおうじゃないか」
小夜子の視線から逃れるように明日香に言う。
サチと小夜子は、双葉あずさが張の娘だということに勘づいていたらしい。
護衛をすることになったと言ったら、あっさり腑に落ちていた。
流石は諜報部の魔道士といったところか。
そんな2人にテックと舞奈を加えた全員を、明日香は順繰りに見やり、
「ふふ、見て驚かないでよ」
自信ありげにそう答える。
次いで印を組みつつ、真言を唱え始めた。そして……
「……明日香がバグった」
無表情にテックが言った。
光学迷彩による変装【変装】に、認識阻害の【隠形】。
その2つを組み合わせ、双葉あずさに変身しようという目論見だったらしい。
要は以前にハニエルがしていた服を着ているふりと同じ感じか。
そして意図的に情報をリークし、犯人をおびき出して始末する。
こちらは、いつぞや水素水の屋台をでっちあげ、『メメント・モリ』をおびき出そうとしたように。だが、
「……こいつは酷い」
言って舞奈は目を覆った。
明日香は歌も酷いが、絵心の無さも半端ない。
現に目前の双葉あずさ(自称)も、胴のあたりが極彩色なのでドレスを着ているのだろうと察することは可能だ。
だが歌っている仕草のつもりか大きく開けた口は真っ赤。
八重歯のつもりか鋭い牙が生えている。
肌色をした手足の長さは左右まちまち。
おそらくマイクのつもりであろう禍々しい錫杖を振りかざしている。
まるで未就学児が描いた悪魔の絵だ。
完全体と化したキムを自壊させた、視覚の暴力の再来である。
芸術的センスについて、明日香は先の戦から何ら進歩していなかった。
「明日香ちゃん、それは……」
サチもフォローの言葉が見つからずに困る。
「サチに何てもの見せるのよ」
ネガティブな小夜子が正直な感想を述べた。
「いい考えだと思ったのに」
「術者がおまえじゃなきゃな」
「もちろん本番では貴女が術の対象になるのよ」
「……!? 何てこと言いだしやがる!?」
舞奈は思わず腰を浮かす。
武器や肉体に魔法を付与する付与魔法や一部の補助魔法は術者にのみ作用する。
例外は呪術師が贄や大量の魔力を使って術を強化した場合だ。
そもそも魔術師は付与魔法を不得手とする。
だが今や、明日香はそれらを他者に対して行使できるようになっていた。
術者としての、弛まぬ修練の賜物である。
その技量を用い、先の戦では舞奈の拳銃に【力弾】をかけた。
それによって、舞奈は滓田妖一の最後の息子を葬り去ることができた。
……だが、だからといって、この怪物みたいな幻影を着るのは御免だ。
こんな見た目で街をうろついていたら、犯人の前に執行人に襲われる。だから、
「そんな大口開いて、すごい目で睨んでも事実は事実だからな」
言うとクリーチャー(明日香)はうなだれた。
別に凄んだわけではなかったらしい。
次いでクリーチャー(明日香)はテックを見やる。
ひょっとしたら魔道士ではない彼女には【隠形】が効いていて、双葉あずさに見えると思ったのかもしれない。
だがテックは無表情なりに恐怖に目を見開き、舞奈の背後に隠れた。
クリーチャー(明日香)は呆然と立ちすくむ。
意図せず怪物になったヒロインが、周囲の拒絶にショックを受ける様に似ていた。
だが、これは明日香が自分で変身した自業自得だ。
なのでクリーチャー(明日香)はしょんぼりと術を解除した。
「戻った……」
テックがほっとした表情でひとりごちる。
そういえば術がとけるのと同時に、周囲に満ちていた禍々しい圧迫感も消えた。
「頭が痛かったのが治ったわ」
「……認識阻害による脳内情報と視覚情報が一致しないせいだと思う」
言いつつ小夜子は、サチを気づかうように手を握る。
……つまりバグっていたのは明日香だけでなく、見ていた側の脳内もということだ。
明日香の幻術、恐るべし。
「やれやれ。幻術で人を祟り殺すなんて、なかなかできることじゃないぞ」
「元気出して明日香ちゃん! 作戦そのものはよかったんだから」
舞奈が軽口を叩き、サチが無難なフォローをした。
「サチさんや小夜子さんは、その手の術は使えないのか?」
「無理ね。わたしもサチも呪術師だから、光を操って透明になるくらいしか」
「【幻惑の衣】と【陽炎】だっけか」
舞奈の返事に2人はうなずく。
これらはナワリと古神術における、光学迷彩の術の名だ。
だが、それらに術者の姿を隠す以上の効果はない。
残念ながら明日香の案は却下するしか。
そんなことを考えていると、
「ちょっと待つのだ!」
どこからともなく声がした。
今度は如何なる感覚異常かと一同は明日香を見やる。
明日香はあわてて首を横に振り否定する。
次いで玄関で呼び鈴が鳴った。
サチがふらつきながらも立ち上がり、出迎えに行った。
小夜子も続く。
そして舞奈たちがのんびり回復していると、2人は糸目を連れてやってきた。
技術担当官ニュットだ。
「面白そうなことをしている気配があったのでな」
「まあ、技術部のあんたなら多少はましかもしれないな」
……というか、明日香以外の術者なら。
そう思いつつ舞奈はニュットに、明日香の作戦を話してみた。
だがニュットは糸目を細めて、
「無理なのだ」
何食わぬ顔で言った。
「ルーン魔術は元は戦士の魔術なのでな、正々堂々と戦うための隠形や無力化の手段はひととおり揃っているのだが、幻術の手札は少ないのだよ」
「姿を消して不意打ちするのが正々堂々か?」
「戦士の世界ではそうなのだよ」
取り付く島もないニュットの答えに苦笑する。
軽口を叩いたものの、舞奈もルーン魔術に幻術が少ないことは知っている。
明日香には気の毒だが、この作戦はニュットにも無理だ。
というか、彼女は何しに来たんだか。
「そういやあ、以前に【組合】の魔道士が認識阻害をかけながら全裸で街中をほっつき歩いてたぞ。ああいうレベルの奴を呼べれば、何とかなるんじゃないのか?」
ふとハニエルの存在を思いだして、言ってみた。
奴なら光学迷彩も使えるし、自衛もできる。
なので、こういう役目には適任だろう。だが、
「ええっ……?」
「全裸?」
サチと小夜子は互いに顔を見合わせた。
どちらの顔にも困惑の表情が浮かんでいる。
「落ち着いて、舞奈」
「貴女は【組合】を何だと思ってるのよ」
テックと明日香もジト目で見てくる。
「舞奈ちんは、その、【組合】を誤解してはいないかね? 彼らは魔道士の相互扶助組織であって、そういう……組織ではないのだよ」
ニュットまでもが、そんなことを言ってきた。
「いや、いたんだよ本当に」
舞奈は意地になって言い募る。
「こう、すっぽんぽんの、全裸が……」
「白昼夢でも見たんでしょ? そんな事ばっかり考えてるから」
「……ちぇっ」
明日香に真顔で諭され、へそを曲げてそっぽ向く。
開け放たれた障子の向こう、和風の庭でみゃー子が身体をくねらせて遊んでいた。
何の真似かは知らないが、とにかく脱力する動きだ。
舞奈はふぁーっとあくびをする。
「そんなことより、家の前で大声出さないでくださいよ。ここは支部じゃないんです」
思いだしたように……というか舞奈の発言などなかったかのように、小夜子がニュットをジト目で見やる。ここは閑静な山の手だ。
「安心するのだ。大声を出したわけではないのだよ」
ニュットは気にした様子もなく言い返す。
「ルーン魔術の【物品と機械装置の操作と魔力付与】には、機械を操って意思伝達する術もあるのだよ。ほら、そこにあるパソコンを使ったのだ」
自慢げな台詞に、サチは目を丸くしてパソコンを見やる。
「電源切れてるんじゃ」
テックが冷静にツッコミをいれる。
だがニュットは動じず、
「電源コードが刺さってれば、わりかし自由が効くのだよ」
「手のこんだハッキングみたいな……」
テックは言いかけ、そして何かに気づく。
だが、そのとき、
「ちょっとお待ちください」
再び虚空から声がした。
「客が多い日だな」
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
呼び鈴が鳴って、サチと小夜子が出迎えに行く。
そして今度は楓と紅葉を連れて戻って来た。
「楓さん、眼鏡替えたんだな」
「ええ。学業に専念するべく学校でも眼鏡かけてようと思いまして」
見上げる舞奈に、楓はニコリと笑みを返す。
普段オフでかけていた野暮ったい黒ぶち眼鏡とは違い、とらえどころのない楓の雰囲気に似合ったおしゃれ眼鏡だ。
なるほど芸術家の彼女が本気で眼鏡を選ぶと、こうなるのか。
「それにしても楓ちん、人様の家の前で大声を張りあげたらダメなのだよ」
ニュットがしたり顔で説教する。
無論、周囲のジト目に動じる様子は欠片もない。
「ふふふ、ご安心くださいな」
楓も何食わぬ顔で答える。
彼女は【機関】で、ニュットの厚顔無恥さとか悪いところに影響されたようだ。
「ウアブ呪術には、ネイト神の力を借り、水を使って音を伝える【水の言葉】という術があります。それを使って紅葉ちゃんが声を伝えてくれたのです」
「あんたたちはヒマなのか……」
舞奈はやれやれと肩をすくめる。
なるほど水と大地と空気を操るウアブ呪術は、そんなこともできるのか。
言われてみれば、先ほどの声は虚空というより目の前の湯のみから聞こえてきた。
「……食い物で遊ぶな」
舞奈はずずっと茶をすすって、ふと気づき、
「さっきの話し、楓さんに試してもらっちゃあどうだろうよ?」
「おや、何か面白い話ですか?」
「えっとねえ……」
サチと小夜子が、今度は2人に事情を説明した。
「そういうことでしたら、わたしにお任せくださいな」
そう言って、楓はコプト語の呪文を唱える。
すると楓の身体が魔法の光に包まれ……
「「……おおっ」」
一同は思わず感嘆した。
「姉さん!? いや……!?」
隣の紅葉も驚き、そして吸い寄せられるように楓を見つめる。
楓が使った魔術は【貴婦人のヴェール】、そして【消失のヴェール】。
術の機能としては先ほどの明日香と同じである。
だが唯一、そして決定的に異なるのは、そこに現出したものが芸術だということだ。
なぜなら楓は魔術師であると同時に、芸術家だからだ。
まず目に入ったのは、ビビットな極彩色なのに不思議と上品なエナメルのブーツ。
そこから、すらりと長い脚がのびている。
ドキリとするような白くてやわらかい太ももを、ドレスのスカートが覆い隠す。
見惚れるようにくびれたウェストから滑らかに続く胸は、大胆に膨らんでいる。
うっとりするような曲線が、見る者の視線を釘付けにする。
胸元から微かに覗く肌色が、ドレスの華に彩を添える。
それは至高の美だった。
それを覆ってじらすように、たおやかな手が胸の前でマイクを抱きしめる。
シルクの手袋をはめた両の手の指は信じられないほど細く精緻で、まるで美しい花の花弁のようだ。
そして惹きつけられるように見とれる観客を見つめ返す、うるんだ瞳。
目鼻立ちこそ整っているものの、幼さを残した顔立ち。
その中で存在感を主張する、桜の花びらのような艶やかな唇。
そこには完璧な美が、アイドルが存在した。
しばし一同はそれを、呆けたように見つめていた。だが、
「何というか、神々しすぎるというか……」
いち早く我に返ったテックが言った。
なるほどと舞奈も頷く。
楓の幻術で形作られた双葉あずさは完璧だった。
――否。完璧を超えていた。
それが故に、双葉あずさを超えた何者かになってしまっていた。
そもそも楓はコンクールに絵を出展した際、美し過ぎて金賞を逃したこともある。
芸術には向いているが、偽装には向かないタイプなのだ。
「難しいですね……」
術を解除すると、楓は元の楓に戻った。
元の楓もおしゃれ眼鏡が知的な美人である。
だが、そこに存在していた幻影のあずさと見比べると盛り下がる感は否めない。
逆に言えば、それほどまでに芸術家としての楓のセンスは卓越していた。
「元の姉さんも綺麗だよ」
「……」
フォローした紅葉を楓が睨む。
嫌味に聞こえたらしい。
紅葉は地味にショックを受ける。
そんな2人を横目に、舞奈はふと思う。
ひょっとしたら奈良坂がいたら、丁度いい塩梅でやってくれたのかもしれない。
仏術には乾闥婆の咒による幻術もあったはずだ。
だが、奈良坂は都合よくあらわれてはくれなかった。
そもそも彼女は【治癒の言葉】の魔術による治療中だ。
護衛の任務につき合わせるのも気が引ける。
なので明日香のこの作戦は、残念ながら没ということになった。
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