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第7章 メメント・モリ

戦闘2-2 ~戦闘魔術vsウアブ魔術

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「まさか、その術は――!?」
 驚く明日香の目前で、強大な魔力の渦が楓の身体を包みこむ。
 そして、形を成した。

「……魔法……少女」
 それはセーラー服に代わって彼女の身体を覆う、白いドレスだった。

 衣服を式神に置き換えることにより、魔法少女に変身させる魔術が存在する。
 ウアブ魔術におけるそれは【大いなる生命の衣ヘペス・アンク・ウセル】と呼ばれる。

 通常は魔道具アーティファクトに焼きつけて使用し、術者以外の人物が着用することもできる。
 魔法少女のドレスは式神の耐久性能によって着用者を防護する。
 そして焼きつけられた術によって身体的・魔術的に強化する。
 さらに、英雄の魂を焼きつけることで身体的な技能を使うことができる。例えば兵士の魂が焼きつけられた衣装を着れば、熟練兵のように戦うことができる。

 無論、そのような強力な魔術が安易に使われることはない。
 この界隈で直近にあらわれた魔法少女は、3年前に魔人エンペラーと抗争を繰り広げた少女たち――ピクシオンである。
 たった3人で巣黒支部の執行人エージェントを震え上がらせ、今なお要注意人物として警戒されている恐るべき彼女らと同じ力に、楓は到達していた。

 そして今回の事件で、メメント・モリは誘拐犯の車で珍走団を引きずり殺した。
 だが彼女ら中高生だ。どうやって車を運転したのだろうか?
 その答えも、この魔術である。

 おそらく楓のドレスに焼きつけられた魂は、ラムセスⅡ世。
 古代エジプトの猛将である。
 ラムセスⅡ世はチャリオットの扱いに秀で、その技術を応用すれば自動車の運転も可能だ。縦列駐車や安全運転のような複雑な動作は無理だが、珍走団を引きずって街中を爆走する程度のことは容易い。
 中学生の妹は、この衣装の力を借りて車を運転したのだ。

 楓が走る。
 先ほどまでとは比べ物にならない動きで、明日香との距離を一瞬で詰める。

 ラムセスⅡ世は猛将でもある。
 戦闘訓練など受けていない姉に、戦士の技量を与えることもできる。
 だがドレスに焼きつけることが可能な魂は、死してなお世界に爪跡を残すほど偉大な英雄の魂だけだ。
 一介の執行人エージェントにすぎない少年の魂を呼びだすことはできない。
 彼女の弟の魂は、世界に溶けてなくなってしまった。
 魔術は彼女に、弟は生きた証も死んだ証も残せなかったと無常に告げた。
 その代償に、彼女は偉大な英霊の魂を操る術を得た。

 号令とともに、明日香の周囲に影法師があらわれる。
 交戦前に召喚して自身の影に潜伏させておいた式神だ。

 式神は一斉に短機関銃MP40を構え、楓めがけて乱射する。

 楓は【石の盾サー・アネル】で銃弾の雨を防ぎつつ、身体強化にまかせて式神を打つ。
 標準的な兵士の技量を持つ影法師は両腕をクロスさせて杖の一撃を防ぐ。
 だが打たれた箇所が実体となり、石と化す。
 石化はみるみる全身に広がり、式神は兵士の姿をした石像と化した。

 即ち【敵を石にケペル・ケルイ・アネル】。
 身体を式神に置き換える【高度な生命操作】技術を【エレメントの創造】と融合させ、対象を命なき石の塊へと変化させる。
 式神を解除する術を使えば解くことも可能だ。
 だが石化したのも式神だ。
 式神を解除すれば消えてしまう。

 楓が次の式神を狙う目前に、氷の盾をすべりこませる。
 式神をかばった氷盾が石化する。
 だがもとより氷塊を魔力で浮かしている代物だ。
 石化しても石塊になるのみ。

 楓は狙いを明日香に定める。
 明日香は氷と石の盾を操って楓を阻む。

 目前にひとつが躍り出る。
 楓はドレスの身体強化にまかせて氷盾を叩き落す。
 その作業に気を取られた楓を、2つが左右から挟みこむ。
 だが楓はラムセスⅡ世の技量とウアス杖を使って2枚の盾を撃墜し、その背後から突撃する石化したひとつを墜とす。
 杖を振りあげ【敵を石にケペル・ケルイ・アネル】の呪句を唱えつつ、明日香めがけて走る。
 そして振り下ろす。

 同時に明日香は唱え終えたばかりの不動明王アチャラ・ナータの咒を「防御アルギズ」と締める。
 突き出した掌の先に盾ほどの大きさの火の玉があらわれる。
 火球は杖を受け止めると同時に爆発し、楓を吹き飛ばした。
 即ち【火盾フォイヤー・シュルツェン】。
 魔法球を作りだし、球に打撃が触れると破裂して勢いを削ぐ魔術だ。

 体勢を崩された楓は、そのまま強化された脚力で飛び退って距離を取る。
 そして両腕を広げる。
 ドレスの全身にメジェドの目があらわれ、レーザー光線が放たれる。

 明日香は魔力をこめて体勢を立て直した氷盾を重ね、防御を試みる。
 だが数条のレーザーを収束させた光の束がまとめて溶かす。
 続けて行使した【雷盾ブリッツ・シュルツェン】の電磁バリアによって、辛うじて光線を防ぐ。

 楓が荒く息をつく。

 魔法少女のドレスは非常に強力だが、楓の猛攻を凌ぐことは不可能ではない。
 高校生の楓が、魔法少女をするには無理があるのだ。
 絵面だけの問題ではなく、ドレスの魔法を十分に浸透させられるのは若い少女の身体だけだ。年齢的な上限は中学生程度だと言われている。それでも、

「邪魔は……させません」
 楓は杖を構え、真正面から明日香を見やる。
「貴女を倒した先に……わたしたちが本当に倒すべき敵がいるのです」
 絞り出すように、語る。
「貴女は知っているはずです。あの悪魔の薬――『元気の出る水素水』を手ずから売っていた貴女なら」
 明日香は無言で先をうながす。

「2本のペットボトルの中身は、それぞれ園芸用農薬として合法的に売買できる。けれど混ぜ合わせることによって常習性のある麻薬へと変化する。貴女たちの後ろにいる脂虫の男は、それを使って新たな悪を成そうとしています」
(小室さんからの情報通り……ってことね)
 明日香は楓を見やる目を細める。

 みゃー子から送られたメールには、この先にいる園芸用品店主が顧客――中毒者たちに麻薬の譲渡と引き換えに誘拐や非合法活動を依頼する内容が記されていた。

 さらに諜報部は占術士ディビナーを他の事件に回せないほど重要な何かを調査していた。
 ちんどん屋をしようとした明日香たちに「なら水素水を売ろう」と提案したのは諜報部から派遣された小夜子だった。
 自分たちを囮にして、メメント・モリだけでなく彼もおびき出すためだろう。
 そして彼をメメント・モリ――楓たちも追っていた。
 信頼のおけない【機関】を出し抜く形で。

 それでも、この先に楓が本当に倒すべき敵などいない。なぜなら、

「気の毒だけど、あの男は貴女の弟の仇じゃないわ」
 今度は明日香が語った。
 1年前に、瑞葉少年を含む数人の執行人エージェントが殉職したこと。
 その事件の後始末に自分たちも関わったこと。

 事件の首謀者、共犯者、関係者のすべては、消滅した。
 舞奈と明日香がいつものように、ひとりのこらず滅ぼした。
 楓が討ちたかった瑞葉少年の仇は、罪を犯した数日後に報いを受けていた。
 水素水の男は無関係だ。

「そんな……こと……」
 楓は動揺する。
 嘘だ、と一蹴にしなかったのは、独自に調査をしていた彼女自身もうすうす気づいていたからかもしれない。

 けれど、その事実を認めてしまったら、姉妹がしてきたことは無駄になる。
 姉妹が共に平穏な生活を捨てて修めた魔術も呪術も、弟を蘇らせる奇跡たりえなかった。それどころか、のばした手は弟の仇にすら届かない。
 生真面目で責任感の強そうな姉が、その事実を受け入れられるはずはない。
 彼女は自分の人生だけでなく、妹の人生にも責任を感じているから。
 同じように生真面目で不器用な生き方しかできない明日香にはわかる。だから、

魔術師ウィザード桂木楓、貴女の力をわたしにぶつけなさい」
 言いつつクロークの内側に拳銃HScを仕舞い、小振りな錫杖を取り出す。
 そして「ハヌッセン・文観もんかん」と2人の偉人の名を唱える。
 錫杖の柄がひとりでにのび、背丈ほどの長さになる。
 先端には髑髏。
 髑髏を囲う輪形に通された16個の遊環が、シャランと鳴る。
 即ち双徳神杖ツヴァイ・トゥーゲント
 明日香が高位の魔術を使う時に用いる杖だ。

「我が最大の魔術で、貴女を止めて見せます」
 明日香は錫杖を構える。

「……いいでしょう。貴女の魔術で、貴女の言葉の真偽を計らせていただきます」
 言って楓もウアブ杖を構え、明日香めがけて走る。

 何事かを小さく唱え、背後に向けた掌から砂塵を噴いて飛ぶ。
 即ち【砂塵の一撃ヘディ・チャウ・シャイ】。
 砂嵐と戦争を司るセト神のイメージから、荒れ狂う突風を創り出す術だ。
 その術を背面に放出してロケットのように跳んだのだ。

 明日香の式神たちは短機関銃MP40の斉射で応戦する。
 だが楓は【石の盾サー・アネル】で凌ぐ。
 集中砲火が石塊を砕くと同時に次なる術を完成させる。

 杖の先に巨大な水の塊が出現し、破裂する。
 即ち【力ある水の杖ヘト・ムゥ・シェム】。
 飛沫は斬刃と化して周囲に降り注ぎ、術者を庇った式神たちがまとめて消える。

 楓は明日香に肉薄する。

 だが明日香も不動明王アチャラ・ナータの咒を完成させていた。
 両手に構えた双徳神杖ツヴァイ・トゥーゲントを楓に向けて「放射ケーナズ」と唱える。
 即ち【火炎放射フランメン・ヴェルファー】の魔術。
 杖の先端から灼熱の業火が噴き出す。
 着地した直後で避けようもない楓を、爆炎が包む。

 楓は【水の盾サー・ムゥ】の魔術で水のドームを作って対抗する。
 だが、その表面を炎の舌が這いまわって蒸発させる。
 やがて炎は水の盾を残らず蒸発させ、魔法少女のドレスを炙る。

 楓はたまらず跳躍する。
 ドレスの魔法で強化された脚力で、炎の届かない空へと逃れる。
 だが、それこそが明日香の狙い。

 明日香は素早く帝釈天インドラの咒を唱える。
 クロークの内側からドッグタグを吊るしたベルトを取り出し、頭上へと投げる。
 そして「災厄ハガラズ」と締める。

 途端、頭上を舞う64個の【災厄ハガラズ】のルーンが目もくらむ光を発した。
 それらすべてが眩い球電と化す。
 即ち【雷嵐ブリッツ・シュトルム】の魔術。
 数多の雷球は尾をひく紫電となり、避ける術を持たない楓を襲う。

 その圧倒的な火力に、楓の目が見開かれる。
 最後の抵抗とばかりに【石の盾サー・アネル】を創り出す。
 だが、そんなものに意味がないことは楓自身もわかっていた。

 金属のオブジェと化した家屋と星空を背景に、まばゆく輝く光の雨が降り注ぐ。
 その様を成す術もなく見やり、楓の唇が言葉を紡ぐ。

「美しい……」
 最高の芸術に触れたアーティストの表情で、ひとりごちて笑った。
 これこそがアーティストではない明日香が、アートへの道を捨てた復讐者に見せてあげられる最高の魔術アートだ。

 数多の雷弾に飲まれ、石の盾は溶けるように消える。
 雷弾の雨を浴びたドレスが魔法の光に包まれ、爆ぜる。

 そして光が止んだ。
 オブジェのような地面には、制服姿にもどった楓が倒れ伏していた。

「わたしは貴女に……敗れたのですか……」
 あおむけに倒れたまま、楓は魂が抜けたようにひとりごちる。

 弟を失い、復活の望みを絶たれ、復讐者として戦う理由すら無くした。
 彼女には、もう立ち上がる理由がない。
 だから明日香が結界を解除し、オブジェのような家屋が元の家屋に戻る様を、ただぼんやりと見ていた。だが、

「貴女は……!?」
 明日香の背後に、人影があらわれた。

 黒いスーツを着こんでサングラスで目元を隠した、冷たい雰囲気の女。
 支部を束ねる調整役であるフィクサーである。

 側には糸目の少女。
 ニュットは長距離転移の魔術を修めた魔術師ウィザードだ。

「瑞葉君の件について、不誠実な対応をとったことを謝罪する」
「何を今さら……」
 楓の表情が怒りに歪む。
 フィクサーは支部の代表として、執行人エージェントの遺族と渉外を行うこともある。
 おそらく弟の死について、彼女らに偽りの理由を語ったのは彼女であろう。
 だがフィクサーは楓に語る。

「我々は自身を『怪異から市民を守る矛であり盾である』と定義し、現在の所その目的は達成されていると考えている。だが異能力を持つ怪異を相手に、自身を守る力が不足しているのも事実だ。その為に瑞葉君は犠牲になった」
 戦力不足。結局のところ、それが彼女の弟が逝った理由だ。
 そして今なお【機関】を蝕む病理でもある。

 支部に在籍する数百の異能力者は、本来は戦力に数えるべきではない。
 敵と同じ異能力では『戦う』ことしかできない。『狩る』ことは無理だ。
 だが現状は、そんな彼らを、数を頼りに戦闘の矢面に立たせなければならない。

「だから、君たちに力を貸して欲しい」
 フィクサーは腰をかがめ、手を差し伸べる。

 だが楓はフィクサーの手を払いのけた。
 そして、自分の力で立ち上がる。

「我が魔術によって、怪異に抗することに異存はありません」
 楓はフィクサーを睨みつける。
「……だが貴女たちの為じゃない。貴女たちのやり方の犠牲になる異能力者たちを守るためです」
「それでも構わない。よろしく頼む」
 そう言って、支部を統括する調整役の彼女は深々と頭を下げた。

「そういえばフィクサー、彼女らの襲撃目標だった園芸用品店は違法薬物の密売に関わっていたようですね」
 明日香の言葉に、フィクサーは何食わぬ顔で答える。
「その通りだ。実は、諜報部が調べていた案件というのがそれだ」
 フィクサーの表情は見えない。

(やはり、そういうことだったのね……)
 明日香は顔をしかめ、それでも無言で先をうながす。

「だが彼は尻尾を出した。『元気の出る水素水』を販売していた舞奈君を商売敵か何かの挑発だと思ったのだろう、先日の楓君たちの襲撃に乗じ、トラックの運転手を操って暴走させることで殺害しようとした」
「では、やはり奴は――」
「その通り、楓君たちの調査はあながち的外れではなかった。彼は瑞葉君の直接の仇ではないが、市民の敵であり、いわば今回の事件の元凶だ」
「――なら別に力づくで止めたりしなくても、4人で仲良くそいつを排除すれば良かったんじゃないのか? だいたい奴は脂虫だ」
 家屋の陰から、舞奈と紅葉があらわれた。奈良坂も一緒だ。

 紅葉は楓に駆け寄り、互いの無事を確かめ合う。
 舞奈と明日香は互いに不敵な笑みを向ける。
 奈良坂はエヘヘと笑う。

「B組の奈良坂さん!? 彼女もこの組織に? ……ここは彼女を前線に出すような組織なのですか?」
「違うよ姉さん! 彼女はバックアップに徹していた」
 奈良坂が存在だけで組織の信頼感を削いでいた。
 舞奈と明日香は苦笑する。
 フィクサーはサングラスの位置を直し、

「問題の彼は、諜報部が単独で排除する手はずになっている」
 そう言って、口元に不敵な笑みを浮かべた。

 そして訝しむ紅葉と楓を順に見やる。
 誘拐犯を撲殺し、珍走団を引きずり殺し、それ以前にも数多の脂虫を残忍な手段で殺害したメメント・モリを見やる。そして言った。

「君たちのやり方では手ぬるいというのが、諜報部の見解だ」
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