13 / 15
第三章【疑念】
1
しおりを挟む
1
翌日、この日は雨だった。
本来折尾の元へ訪ねる計画を立てていた私たちであったが、バケツをひっくり返したような大雨には流石に予定を変更せざるを得なかった。少女は当然のように私の部屋に居座っている。
私はテレビ番組に時折目を傾け、窓の外の光景を他人事のように眺めていた。昨日の曇り空は今日の天候をも指していたのか。
「…明日は動ける程度になると良いのだが。」
「なりますよ。」
「え?」
ポツリと独り言のように呟いたそれに、間髪入れず答えた彼女。返ってくるとも思わなかったが、その暇さえ与えぬ返答に思わず聞き返した。
「西の空を見上げるのですよ。ほら、あそこ。遠くに雲が見えるでしょう。でも比較的少なく感じませんか?」
「そう、だね。そう言われるとそう見えなくもない。」
「風が雲を西から東へ運ぶ。と言ってもただ西風が吹くことを想定しているものなので外れることも多いのですが。それでも明日、今私たちが居る上空へ、あの西の雲が来るんです。来ると信じましょう。そうすれば雲が少ないということが明日晴れる確率が高いという根拠になるかと。」
私は唖然とした。
賢かったのか?はたまた偶然か?否今まで鍵の使い方や服の着方、店の概念などはさっぱり判っていなかった少女。まさかこんなにもさらりと論破されるとは思わなかったのだ。
…本当は、彼女は頭が良いのであろうか。
いや、生きてきた環境が違うから自然と養われた能力なのかもしれない。雲や風、つまりは天候といった自然環境の知識が勝手に身に付いていた可能性がある。
少なくとも私には備わっていない動体視力と思考能力を持つことには間違いなかった。
「…君は一体、」
「え、あの、あくまで可能性の話ですよ?」
「ああ。いや、それでも良いんだ。」
彼女が空を見上げ、風と雲を読む姿はまるで別人のようだった。
ただの山から降りてきた、どこかネジの外れた人間だと勝手に決めつけていた。しかしいざ語らえば根拠のある推理をさらりとやってのけた。だがこうして思考の時間が終わったと思えば、ケロリと私の知る彼女へ戻る。
謎だらけだ。
彼女のことはまだまだ判らないことが多過ぎる。
だけどロシェのことをまた一つ知った。
知らないロシェの一面に触れた。
その事実がただ単純に嬉しかった。
そうだ。例え今判らなくても知らないことはこれから知っていけば良いじゃないか。まだ沢山時間はある。この人間の常識を全く知らない彼女にしてみれば『ヒトの生活』を完璧にこなすことなんてまだずっと遠い先のように思われるのだから。これからが本番だ。彼女は今後もきっと隣室で暮らし続ける。私と少女は『ヒトの生活』を続けていくのだ。
嗚呼、まただ。
また知らない感覚だ。
彼女の成長を見ていたはずが、自分の方が変化をしている。つい先日までもう死のうと考えていたのだ。最期だから、と言い訳を付けて何もかも投げ出そうとしていたのだ。生と死の狭間で彷徨っていたはずだろう?もう人間として暮らさなくて良かったはずだろう?どうやら人間を辞めたい私は、人間を知らない彼女に人間の良さを教わっているらしい。一度独りではない安心感を知ってしまうと、もう人は戻れない。厄介者と考えた少女との生活を私はすっかりお気に召しているようだ。人間らしく私たちはどんどん成長していく。
「…ようし、腹が減っただろう。今日はもう昼食にしてしまおうか。」
「はい。双橋様。あ、そうだ。一昨日お衣装を頂いたお礼に私が作りますよ。」
「おや、本当かい。君、料理が出来たのだね。」
「やだ。私を見くびって貰っては困りますよ、双橋様。これでも洗濯の腕なんかは母様にいつも褒められていたのですよ?」
「ほう。」
上がる期待値。そうだった。彼女はこう見えても山で生活をしていたのだっけ。山羊との暮らしは未だ信じていないが、例え嘘偽りの言葉であっても、先程の一件もある。人は見かけじゃ判らない。頭が弱いと勝手に決めつけていたが、雲の動きを観察し見事に推理したのだ。あの洞察力。人は見た目で判断しない方が良いとしかと学んだ。彼女も家事だって出来て当然か。私の心配は他所に、少女は台所へトコトコと向かった。山羊は置いておいても山育ちなのであれば自炊をしていたのだろう。彼女は台所へ立つとこちらに振り向き、笑顔を見せた。なんだ。私の杞憂であったか。
「…ところで、この尖った金属板は何ですか?」
彼女は包丁を掲げた。
デジャヴだ。
つい先日も全く同じ事があったような気がする。その時と同じように大きくため息をついた。
「料理が出来るなんて嘘じゃあないか…。」
翌日、この日は雨だった。
本来折尾の元へ訪ねる計画を立てていた私たちであったが、バケツをひっくり返したような大雨には流石に予定を変更せざるを得なかった。少女は当然のように私の部屋に居座っている。
私はテレビ番組に時折目を傾け、窓の外の光景を他人事のように眺めていた。昨日の曇り空は今日の天候をも指していたのか。
「…明日は動ける程度になると良いのだが。」
「なりますよ。」
「え?」
ポツリと独り言のように呟いたそれに、間髪入れず答えた彼女。返ってくるとも思わなかったが、その暇さえ与えぬ返答に思わず聞き返した。
「西の空を見上げるのですよ。ほら、あそこ。遠くに雲が見えるでしょう。でも比較的少なく感じませんか?」
「そう、だね。そう言われるとそう見えなくもない。」
「風が雲を西から東へ運ぶ。と言ってもただ西風が吹くことを想定しているものなので外れることも多いのですが。それでも明日、今私たちが居る上空へ、あの西の雲が来るんです。来ると信じましょう。そうすれば雲が少ないということが明日晴れる確率が高いという根拠になるかと。」
私は唖然とした。
賢かったのか?はたまた偶然か?否今まで鍵の使い方や服の着方、店の概念などはさっぱり判っていなかった少女。まさかこんなにもさらりと論破されるとは思わなかったのだ。
…本当は、彼女は頭が良いのであろうか。
いや、生きてきた環境が違うから自然と養われた能力なのかもしれない。雲や風、つまりは天候といった自然環境の知識が勝手に身に付いていた可能性がある。
少なくとも私には備わっていない動体視力と思考能力を持つことには間違いなかった。
「…君は一体、」
「え、あの、あくまで可能性の話ですよ?」
「ああ。いや、それでも良いんだ。」
彼女が空を見上げ、風と雲を読む姿はまるで別人のようだった。
ただの山から降りてきた、どこかネジの外れた人間だと勝手に決めつけていた。しかしいざ語らえば根拠のある推理をさらりとやってのけた。だがこうして思考の時間が終わったと思えば、ケロリと私の知る彼女へ戻る。
謎だらけだ。
彼女のことはまだまだ判らないことが多過ぎる。
だけどロシェのことをまた一つ知った。
知らないロシェの一面に触れた。
その事実がただ単純に嬉しかった。
そうだ。例え今判らなくても知らないことはこれから知っていけば良いじゃないか。まだ沢山時間はある。この人間の常識を全く知らない彼女にしてみれば『ヒトの生活』を完璧にこなすことなんてまだずっと遠い先のように思われるのだから。これからが本番だ。彼女は今後もきっと隣室で暮らし続ける。私と少女は『ヒトの生活』を続けていくのだ。
嗚呼、まただ。
また知らない感覚だ。
彼女の成長を見ていたはずが、自分の方が変化をしている。つい先日までもう死のうと考えていたのだ。最期だから、と言い訳を付けて何もかも投げ出そうとしていたのだ。生と死の狭間で彷徨っていたはずだろう?もう人間として暮らさなくて良かったはずだろう?どうやら人間を辞めたい私は、人間を知らない彼女に人間の良さを教わっているらしい。一度独りではない安心感を知ってしまうと、もう人は戻れない。厄介者と考えた少女との生活を私はすっかりお気に召しているようだ。人間らしく私たちはどんどん成長していく。
「…ようし、腹が減っただろう。今日はもう昼食にしてしまおうか。」
「はい。双橋様。あ、そうだ。一昨日お衣装を頂いたお礼に私が作りますよ。」
「おや、本当かい。君、料理が出来たのだね。」
「やだ。私を見くびって貰っては困りますよ、双橋様。これでも洗濯の腕なんかは母様にいつも褒められていたのですよ?」
「ほう。」
上がる期待値。そうだった。彼女はこう見えても山で生活をしていたのだっけ。山羊との暮らしは未だ信じていないが、例え嘘偽りの言葉であっても、先程の一件もある。人は見かけじゃ判らない。頭が弱いと勝手に決めつけていたが、雲の動きを観察し見事に推理したのだ。あの洞察力。人は見た目で判断しない方が良いとしかと学んだ。彼女も家事だって出来て当然か。私の心配は他所に、少女は台所へトコトコと向かった。山羊は置いておいても山育ちなのであれば自炊をしていたのだろう。彼女は台所へ立つとこちらに振り向き、笑顔を見せた。なんだ。私の杞憂であったか。
「…ところで、この尖った金属板は何ですか?」
彼女は包丁を掲げた。
デジャヴだ。
つい先日も全く同じ事があったような気がする。その時と同じように大きくため息をついた。
「料理が出来るなんて嘘じゃあないか…。」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
イグニッション
佐藤遼空
ミステリー
所轄の刑事、佐水和真は武道『十六段の男』。ある朝、和真はひったくりを制圧するが、その時、警察を名乗る娘が現れる。その娘は中条今日子。実はキャリアで、配属後に和真とのペアを希望した。二人はマンションからの飛び降り事件の捜査に向かうが、そこで和真は幼馴染である国枝佑一と再会する。佑一は和真の高校の剣道仲間であったが、大学卒業後はアメリカに留学し、帰国後は公安に所属していた。
ただの自殺に見える事件に公安がからむ。不審に思いながらも、和真と今日子、そして佑一は事件の真相に迫る。そこには防衛システムを巡る国際的な陰謀が潜んでいた……
武道バカと公安エリートの、バディもの警察小説。 ※ミステリー要素低し
月・水・金更新
思惑
ぴんぺ
ミステリー
はじめまして、ぴんぺと申します。
以前から執筆に興味があり、この度挑戦してみることにしました。
さて、僕の処女作の紹介に移らせていただきます。
主人公の荒木康二(あらきこうじ)は塾講師を生業としているフツーの男
妻の沙奈(さな)とはこれまたフツーの生活を送っています。
そんなある日、2人は思いもよらない事件に巻き込まれてしまいます。その事件によりあらわになる2人の秘密…
紹介はこの辺にしますね
上にも書きましたが初めて取り組む作品なので見苦しい点が多々あると思います。
でも、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
皆さんのご指導ご指摘よろしくお願いします
あ、そうだ
僕、WEARでコーディネート投稿してます。
よかったらそちらも遊びに来てください^^
「ぴんぺ」で検索です^^
咎人の為のカタルシス
七海美桜
ミステリー
『アナグラム』に登場する人物の、短編ミステリー作品集です。短い謎解きのお話ですが、話によりセンシティブな内容を含む場合があります。閲覧にはお気を付けください。普段は脇役の笹部や篠原が、または他のキャラが何か小さな事件に巡り合います。
表紙画像:れきとり様(pixiv)
各話表紙イラスト:カリカリ様、ピツラミ様(背景・pixiv)、回答編:紫喜様(pixiv)
死神探偵 黒木 有
小説家?K
ミステリー
その男は語る…「探偵は死神に呪われている…その呪いは死ぬ限り解けない…」と。しかし、彼こそが…死神なのかもしれない
重要キャラのプロフィール(これからどんどん追加していく形式)
名前…黒木 有
年齢…25歳
性別…男
職業…探偵(かれこれ5年やっている)
天性の才…頭脳&???
名前…白城 佳奈
年齢…11歲
性別…女
職業…???
天性の才…頭脳&料理…
時を喰らう館:天才高校生探偵、神藤葉羽の難解推理
葉羽
ミステリー
豪奢な洋館で発見された、富豪の不可解な死。密室、完璧なアリバイ、そして奇妙な遺言。現場に残されたのは、甘美な香りと、歪んだ時間だけだった。天才高校生探偵・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、この迷宮事件に挑む。しかし、それは葉羽の想像を絶する悪夢の始まりだった。時間、視覚、嗅覚、そして仮想現実が絡み合う、前代未聞の猟奇的殺人ゲーム。葉羽は、五感を蝕む恐怖と、迫りくる時間の牢獄から、真実を導き出すことができるのか? どんでん返しの連続、そして予想だにしない結末があなたを待つ。
母からの電話
naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。
母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。
最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。
母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。
それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。
彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか?
真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。
最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。
黙秘 両親を殺害した息子
のせ しげる
ミステリー
岐阜県郡上市で、ひとり息子が義理の両親を刺殺する事件が発生した。
現場で逮捕された息子の健一は、取り調べから黙秘を続け動機が判然としないまま、勾留延長された末に起訴された。
弁護の依頼を受けた、桜井法律事務所の廣田は、過失致死罪で弁護をしようとするのだが、健一は、何も話さないまま裁判が始まった。そして、被告人の健一は、公判の冒頭の人定質問より黙秘してしまう……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる