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第五話 戯作者の生きる道
五
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その日の夜から、蔵之介は『たいそう』に泊まり込んで、警戒にあたった。
下男が住む部屋を借り切って、昼間はそこで休み、夜になったら宿の周りを調べて回る。異常があれば、即座に対応し、手に負えない場合は、地元の顔役に頼んで、人を出してもらう。そういうことだ。
自分たちの手で片付けのが大事で、しずともその点で意見は一致していた。
蔵之介は、暮れ五つになったところで動きはじめ、真夜中を過ぎる頃合いまで警戒をつづけた。
洲崎は海沿いであり、夜になれば、人の気配は完全に消える。
灯りは手元の提灯と弱い月光だけで、風で火が消えれば、自分の手を見ることすらむずかしくなる。
夜目が利く蔵之介にとっても、むずかしい役目であったが、手を抜くことなく、粛々と仕事をこなした。雨が降っても、近場を見て回って異常がないことを確かめた。
しばらくは、なんの動きもなく、努力は空振りに終わった。
しかし、蔵之介は周囲を見て回るうちに、空気が緊張しているのを感じた。虫の鳴き声が異様に少ないこともあったし、魚の跳ねる音が長く途絶えていたこともあった。『たいそう』の客も夜は早めに寝ていることが増えた。
何かが起きると思ったところで、それは起きた。
蔵之介は、その日、いつもより遅めに動いた。宿を出たのは五つ半で、あえて距離を置いて、様子を見た。
十六夜の月が頭上にはあり、やわらかい光が草むらを照らす。
風が吹くと葉がたなびくが、さして強くないこともあって、すぐに収まる。
蔵之介はわざと身をさらして、左右を見回した。
殺気が沸き起こったのは、その直後だった。
左の奥に黒い塊が現れて、草むらを駆け抜けていく。
数は四つ。いずれも『たいそう』に向かっている。
灯りがないせいか、時はかかっているが、それでもねらいを誤る様子はない。
「この時を待っていたか」
蔵之介は頭を下げて、黒い塊に向かっていく。
宿まで十間の距離まで近づいたところで、塊は停まった。光が輝いて、四人のうち三人が作業をおこなう。
たちまち炎があがって、あたりを照らす。
「火矢か」
いきなり『たいそう』を焼くつもりか。客が泊まっているのに。
それほどまでに面子をつぶされたのが悔しいのか。
怒りが背筋をほとばしり、蔵之介は感情のままに走った。
足音に気づき、一人が顔を向ける。その口が動くよりも早く、懐から武具を取りだす。
分銅鎖だ。
長さは六尺。鎖の両端に分銅をつけ、反動をつけて振り回して攻めたてる。
動きが特殊で、気づいた時にはやられている。
蔵之介も過去に分銅使いと戦って、一敗地にまみれたことがある。以来、吹き矢や鉄扇と同じく、必殺の武具として使いこなせるように研鑽を重ねてきた。
鎖も分銅も黒く塗ってあり、相手にはおそろしく見にくい。
蔵之介は間合いを詰めると、無言で鎖を振り回す。
強烈な一撃が男の顔を叩いて、その骨をえぐった。悲鳴もあげずに、その場に倒れる。
異変を察して、二人が動く。
敵が刀を抜いたところで、蔵之介は分銅で右の男をねらう。
思わぬ所から一撃で腕を打ち砕かれて、男は悲鳴をあげる。
「く、くそっ」
三人目が間合いを詰めるも、その時には六尺の鎖がうなりをあげて、敵の籠手を叩いていた。
男が刀を落としたところで、懐に飛び込み、鎖を首に巻きつける。
闇夜で、蔵之介は跳躍し、男を飛び越して引き倒す。
ぐっとうめき声をあげて、三人目の敵は気を失った。
「やめよ。おぬしらの策は破れた」
蔵之介は、残った一人をにらみつける。
「やり過ぎであろう。いきなり火矢を放つなど。旗本の風上にも置けぬ」
男は蔵之介をにらんでいたが、横に跳ぶと、弓をつがえた。燃える鏃は『たいそう』に向いている。
「やめんか」
蔵之介は一気に間合いを詰めると、鎖分銅で敵の拳を叩く。
痛みに耐えかねて、男は弓を落とした。
「終わったと申しているだろう。さあ、話を聞かせてもらうぞ。まずはおぬしらの名前と奉公先だ。見当はついているが……」
そこで新たなる殺気が湧いて、蔵之介は左に跳んだ。
何も考えず、本能の命じるままに動いたのであるが、それが正解だった。
間を置かず、彼の立っていた場所には小刀が突き刺さっていた。
「うっ」
小さな悲鳴に顔を向けると、火矢の男が倒れていた。首筋には小刀が立っている。
他の三人も動かない。一人はあらぬ方向に首が向いていた。
わずかな間に四人を仕留めるとは。いったい何者だ。
蔵之介は分銅を短く持って、敵の気配を探る。
月が雲に覆われて、光が弱まる。わずかにあたりを照らすのは、わずかに残る火矢の光だけだ。
蔵之介はわざと火矢から離れて、周囲の様子を探る。
すぐさま殺気が左から来る。
右によけつつ、蔵之介は鎖を振り回す。
手応えがない。
逆に鉄の塊が飛んできて、彼の肩をかすめる。
立てつづけに塊は迫り、蔵之介は下がってかわすだけで精一杯だ。
敵は闇の中でも、彼の位置を正しく把握している。動きも速い。
蔵之介が右に走ると、敵の気配は二つに割れた。左右から包みこむように攻撃を仕掛けてくる。
「この動きは……」
おぼえがある。つい最近、戦った相手によく似ている。
蔵之介は分銅を短く持つと、あえて敵の気配に動きを合わせた。神経を集中して、風をかきわける音を拾う。
雲が切れ、白い輝きが周囲を照らしたところで、蔵之介は前に出た。
気配も正面から来ていて、両者は鉢合わせになる。
分銅と小刀が闇夜を切り裂く。
勝負を制したのは、蔵之介だった。
分銅は正確に顔面をつらぬき、敵を倒していた。一方、小刀は顔に突き刺さることなく、虚しく闇夜に消えていた。
鉢合わせに相手は動揺し、わずかにねらいがそれた。蔵之介が身体をほんの少しだけずらしていたとも幸いした。
残るは一人。
蔵之介が大きく回り込んで、相手の後をねらう。
しかし、それを見越して、敵も右へと移動する。
決着がついたのは、彼方から犬の遠吠えがした時だった。異様に響く声で、思わず蔵之介が左右を見回したほどだ。
気配は、現れた時と同じように不意に消えた。
何も感じられない。端からいなかったかのようだ。
蔵之介は警戒をゆるめることなく、周囲を探る。
四人の遺骸はそのままだった。最後に見た時とまるで変わりがない。
ただ、最後の敵は、倒した場所から消え去っていた。
顔面を打ち砕いており、自分で動けるはずはない。仲間が拾っていったのだとすれば、見事な手際だ。
「妙なことになってきたな」
蔵之介は闇夜に立ったまま、静かにつぶやいた。
海風が吹きつけてきたが、それは夏にしてはひどく冷たかった。
下男が住む部屋を借り切って、昼間はそこで休み、夜になったら宿の周りを調べて回る。異常があれば、即座に対応し、手に負えない場合は、地元の顔役に頼んで、人を出してもらう。そういうことだ。
自分たちの手で片付けのが大事で、しずともその点で意見は一致していた。
蔵之介は、暮れ五つになったところで動きはじめ、真夜中を過ぎる頃合いまで警戒をつづけた。
洲崎は海沿いであり、夜になれば、人の気配は完全に消える。
灯りは手元の提灯と弱い月光だけで、風で火が消えれば、自分の手を見ることすらむずかしくなる。
夜目が利く蔵之介にとっても、むずかしい役目であったが、手を抜くことなく、粛々と仕事をこなした。雨が降っても、近場を見て回って異常がないことを確かめた。
しばらくは、なんの動きもなく、努力は空振りに終わった。
しかし、蔵之介は周囲を見て回るうちに、空気が緊張しているのを感じた。虫の鳴き声が異様に少ないこともあったし、魚の跳ねる音が長く途絶えていたこともあった。『たいそう』の客も夜は早めに寝ていることが増えた。
何かが起きると思ったところで、それは起きた。
蔵之介は、その日、いつもより遅めに動いた。宿を出たのは五つ半で、あえて距離を置いて、様子を見た。
十六夜の月が頭上にはあり、やわらかい光が草むらを照らす。
風が吹くと葉がたなびくが、さして強くないこともあって、すぐに収まる。
蔵之介はわざと身をさらして、左右を見回した。
殺気が沸き起こったのは、その直後だった。
左の奥に黒い塊が現れて、草むらを駆け抜けていく。
数は四つ。いずれも『たいそう』に向かっている。
灯りがないせいか、時はかかっているが、それでもねらいを誤る様子はない。
「この時を待っていたか」
蔵之介は頭を下げて、黒い塊に向かっていく。
宿まで十間の距離まで近づいたところで、塊は停まった。光が輝いて、四人のうち三人が作業をおこなう。
たちまち炎があがって、あたりを照らす。
「火矢か」
いきなり『たいそう』を焼くつもりか。客が泊まっているのに。
それほどまでに面子をつぶされたのが悔しいのか。
怒りが背筋をほとばしり、蔵之介は感情のままに走った。
足音に気づき、一人が顔を向ける。その口が動くよりも早く、懐から武具を取りだす。
分銅鎖だ。
長さは六尺。鎖の両端に分銅をつけ、反動をつけて振り回して攻めたてる。
動きが特殊で、気づいた時にはやられている。
蔵之介も過去に分銅使いと戦って、一敗地にまみれたことがある。以来、吹き矢や鉄扇と同じく、必殺の武具として使いこなせるように研鑽を重ねてきた。
鎖も分銅も黒く塗ってあり、相手にはおそろしく見にくい。
蔵之介は間合いを詰めると、無言で鎖を振り回す。
強烈な一撃が男の顔を叩いて、その骨をえぐった。悲鳴もあげずに、その場に倒れる。
異変を察して、二人が動く。
敵が刀を抜いたところで、蔵之介は分銅で右の男をねらう。
思わぬ所から一撃で腕を打ち砕かれて、男は悲鳴をあげる。
「く、くそっ」
三人目が間合いを詰めるも、その時には六尺の鎖がうなりをあげて、敵の籠手を叩いていた。
男が刀を落としたところで、懐に飛び込み、鎖を首に巻きつける。
闇夜で、蔵之介は跳躍し、男を飛び越して引き倒す。
ぐっとうめき声をあげて、三人目の敵は気を失った。
「やめよ。おぬしらの策は破れた」
蔵之介は、残った一人をにらみつける。
「やり過ぎであろう。いきなり火矢を放つなど。旗本の風上にも置けぬ」
男は蔵之介をにらんでいたが、横に跳ぶと、弓をつがえた。燃える鏃は『たいそう』に向いている。
「やめんか」
蔵之介は一気に間合いを詰めると、鎖分銅で敵の拳を叩く。
痛みに耐えかねて、男は弓を落とした。
「終わったと申しているだろう。さあ、話を聞かせてもらうぞ。まずはおぬしらの名前と奉公先だ。見当はついているが……」
そこで新たなる殺気が湧いて、蔵之介は左に跳んだ。
何も考えず、本能の命じるままに動いたのであるが、それが正解だった。
間を置かず、彼の立っていた場所には小刀が突き刺さっていた。
「うっ」
小さな悲鳴に顔を向けると、火矢の男が倒れていた。首筋には小刀が立っている。
他の三人も動かない。一人はあらぬ方向に首が向いていた。
わずかな間に四人を仕留めるとは。いったい何者だ。
蔵之介は分銅を短く持って、敵の気配を探る。
月が雲に覆われて、光が弱まる。わずかにあたりを照らすのは、わずかに残る火矢の光だけだ。
蔵之介はわざと火矢から離れて、周囲の様子を探る。
すぐさま殺気が左から来る。
右によけつつ、蔵之介は鎖を振り回す。
手応えがない。
逆に鉄の塊が飛んできて、彼の肩をかすめる。
立てつづけに塊は迫り、蔵之介は下がってかわすだけで精一杯だ。
敵は闇の中でも、彼の位置を正しく把握している。動きも速い。
蔵之介が右に走ると、敵の気配は二つに割れた。左右から包みこむように攻撃を仕掛けてくる。
「この動きは……」
おぼえがある。つい最近、戦った相手によく似ている。
蔵之介は分銅を短く持つと、あえて敵の気配に動きを合わせた。神経を集中して、風をかきわける音を拾う。
雲が切れ、白い輝きが周囲を照らしたところで、蔵之介は前に出た。
気配も正面から来ていて、両者は鉢合わせになる。
分銅と小刀が闇夜を切り裂く。
勝負を制したのは、蔵之介だった。
分銅は正確に顔面をつらぬき、敵を倒していた。一方、小刀は顔に突き刺さることなく、虚しく闇夜に消えていた。
鉢合わせに相手は動揺し、わずかにねらいがそれた。蔵之介が身体をほんの少しだけずらしていたとも幸いした。
残るは一人。
蔵之介が大きく回り込んで、相手の後をねらう。
しかし、それを見越して、敵も右へと移動する。
決着がついたのは、彼方から犬の遠吠えがした時だった。異様に響く声で、思わず蔵之介が左右を見回したほどだ。
気配は、現れた時と同じように不意に消えた。
何も感じられない。端からいなかったかのようだ。
蔵之介は警戒をゆるめることなく、周囲を探る。
四人の遺骸はそのままだった。最後に見た時とまるで変わりがない。
ただ、最後の敵は、倒した場所から消え去っていた。
顔面を打ち砕いており、自分で動けるはずはない。仲間が拾っていったのだとすれば、見事な手際だ。
「妙なことになってきたな」
蔵之介は闇夜に立ったまま、静かにつぶやいた。
海風が吹きつけてきたが、それは夏にしてはひどく冷たかった。
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