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第二章 己の居場所

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「やっぱり、わたしは合巻ごうかんで勝負したい」

 蔵之介は熱弁を振るった。

「しっかりした文章で読み手を引っ張り込む。下品なネタに頼ることなく、まっすぐ主人公の心意気を描いて、おもしろい物語を仕上げたい。そう思っているんだ」

 思いの丈をぶちまけたつもりだったのだが、甚五郎には響いていないようだった。顔は原稿に向いたままだ。

「今ならいける。御改革も水野様がいなくなったことで、緩みが見えた。南町奉行には遠山様が戻ったから、これまでのような取り締まりはない。ここは一気に新刊を出して、桐文堂の名前を知らしめるべきではないか。なあ、甚五郎殿」
「はあ。おっしゃりたいことはわかりますがね」

 甚五郎は顔をあげた。眼光は冷ややかだ。

「それもこれも、よき戯作があってのことです。無理して刊行しても、売れなければ、つまらぬ借財を積み重ねて夜逃げということにもなりかねません。そう。大事なのは楽しめるかどうかなのです」

 甚五郎はそこで原稿を突き返してきた。

「その点、これはだめです。足りてません」
「面白くないか」
「残念ながら」
「そうか。だめか」

 蔵之介は甚五郎から原稿を受け取り、うなだれた。

 玄庵の事件が片づいた後、一気に仕上げた作品で、これまで書いた作品で最高の出来と自負していた。剣戟の情景は、わざわざ三左衛門に木刀を振るってもらい、それを引き写したほどだ。

 なのに、足らぬと言われてしまった。

 蔵之介の心は沈む。

 しかし、ここで引き下がってしまったら、今までと変わらない。押し返す時には、押し返さねばならない。

「いったい、何が足りないのだ。筋書きは悪くないはずだ」

「悪くない?」

「いや、素晴らしくよいはずだ。立ち役も練っているし、心の陰影もある。つらい思いをしながら剣を振るう姿には、涙をそそられるであろう」

「それは認めます。率直に申しあげて、これまで見せたもらった戯作の中で、もっともよい出来でした。剣戟で心が躍ったのは確かでございます」
「ならば、それで……」
「されど、それは後半の話。前半は退屈な因縁話ばかりで、盛りあがらないこと甚だしいですな。並の読者なら、中途で投げ出していたかと」

 甚五郎は、原稿を蔵之介から受け取って、目を落とす。

「やはり色気が足りないのですよ。美人の一人でもからんでくれば、読んでいて心が惹かれるじゃないですか。二人の色事で、十分に持たせられますよ」
「色気なあ。それ、いるか」
「いります。というか、辻様の話は女っ気がなさ過ぎます。男が剣を振るっているだけ戯作なんて、誰も読みはしませんよ」
「いや、そんなことは」
「あるんです」

 甚五郎にきつく言われて、蔵之介は吐息をついた。

 女っ気がないことには自覚がある。

 というよりも意図して出していない。

 つまらない恋愛に文字を割くのであれば、剣戟や立ち役が自らの心情を語る場面に力を入れたい。

 人情話で、つまらない色事が延々つづく戯作を見てきて、正直、蔵之介はうんざりしていた。

「女はいらぬと思うがなあ」
「それは辻様だけで、多くの読み手は欲しているのですよ」
「苦手なのだよ」
「わかっています」
「ならば……」
「何も女遊びに励めとは申しておりません。色々、聞いてまわって女がらみの話を集めてはどうでしょうかいうことです。少し足すだけでも変わって来るはずでから」

 甚五郎は蔵之介を見やる。

「伝手はあるのでしょう」
「……あそこには、あまり顔は出したくないが」
「無理にとは申しません」

 甚五郎はきっぱりと言い切る。

「ただ、このまま色気のない話を持ってこられても突っ返すだけです。己をつらぬくのはようございますが、それでは望みがかなうことは決してありません。それで満足というのでしたら、手前から申すことはありません」

 甚五郎が畳みかけてきて、蔵之介は言葉を失った。

 無理して色気は出したくないが、足りないままでは刊行はありえない。何もかもが無駄になり、夢は夢のまま終わる。

 それは嫌だ。

 蔵之介は決断を下した。
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