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第一章 蔵之介、持ち込みを断られる

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「そうですか。三観殿が……」

 玄庵は、目を伏せた。その顔には陰りがある。

 事件がおおよそ決着を見たところで、蔵之介は事の次第を彼に話した。

 いずれ露見することであるし、彼としても気になるだろう。早いうちに知るのがよいと見て、詳しく説明した。

「まさか抜荷とは。塾の方々がかかわっていたとは」

 三観は、薬の横流しだけでなく、小間物問屋と手を組んで、大規模な抜荷にも手を貸していた。その額は一回で千両に達し、三観の手元にも相当の金が流れ込んだらしい。

 その符丁に八犬伝を使っていたわけで、なくなったと知って動揺したのもわかる。

「気づいていませんでしたか」
「まったく。中川屋と仲がよいのはどうかと思いましたが、それもお上への配慮かと」

 御改革で、蘭学は厳しい批判にさらされている。目こぼしをしてもらうために、老中や若年寄との関係を強化しておくのは必要で、そのために中川屋との関係を強化した。玄庵はそのように見ていたようだ。

「東隠先生は気づいていたので?」
「裏で動いていることは察していましたが、まさか御定法に触れるとは考えていなかったようです」

 蔵之介は東隠と直に話をして、その心情を知った。弟子に申し訳ないと語る時の姿は寂しげであった。

「三観が罪に問われる以上、先生も何らかの咎めは受けるでしょう。塾をつづけることもむずかしいかと」
「残念ですね。あれほどの方が」

 玄庵はうつむく。再び話を切り出すまでは少し時間がかかた。

「それでも、事が明らかになって、先生はほっとしていると思います。罪を重ねることは望んでいないかと」
「だといいのですが」
「それにしても、あの冊子だけで、よく事の真相にたどり着きましたね。見事です」

 無理を押して語る玄庵に、蔵之介は苦笑いで応じた。

「たまたまです。八犬伝を読み込んでいなければわかりませんでした」
「それでも符丁を解き、三観さんの企みに気づき、事を荒立てることなく、もめ事を解きほぐした。誰にでもできることではありません。辻殿には事の真相を見抜き、人を救う才がある」
「買いかぶりです。うまくいったのもたまたまですよ」

 蔵之介は応じる。その声は自然と低くなる。

「私は、戯作者になれればそれでいいんです。ひたすら戯作を書き、それが売れてくれれば十分なんですよ」

 難事件には興味はない。今は戯作のみに集中したい。

 ふと心の片隅に、やわらかい笑顔が思い浮かぶ。

 今はみることのできない美しい容貌。振り向くときの可憐な仕草。

 記憶の中の口元が動いた時、静かに蔵之介は外を見る。

 開け放たれた障子の先には、青い空が広がっている。

 あざやかな蒼穹は、すでに季節が夏に入ったことを示していた。
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