18 / 71
3章 荒野の麗人
2、もう終わりだ
しおりを挟む
「どうかな。やれることはやった。あとは彼女の回復力に期待するだけだ」
「ほう、女なのか」
トウセキの目つきが鋭くなり、ユーゴは医者が小さな失態を犯したことに気が付いた。
一瞬後に、医者の目に激しい狼狽の色が浮かぶ。
「いや、彼女とは言ったが、深い意味はないんだ」
「何を慌ててるんだ?」
「べ、別に慌てているわけではないが――」
医者はもつれる舌でなんとかそう言った。
「俺に知られると困るのか?」
「あんたの欲しがるような女じゃねえよ。きれいどころはみんなさらって行っただろうが」
職人風の男が慌てて助け舟を出した。
「ケガが凄そうだったから興味が湧いただけだ。部屋中血まみれだからな。何割かは俺の血だが」
床には奥の部屋へと診察台を引きずった跡があり、平行に伸びた二本の血の道ができていた。トウセキはその間をまるで線路の上を歩くように、俯きがちに進んだ。
どす黒い線路は物置部屋の前で途切れた。
トウセキはそのドアに手をかけた。
アンナが見つかる――。
ユーゴは戦慄した眼差しでそれを見つめていた。
診察台に横たわったアンナを見れば、トウセキは医者や、職人風の男に説明を求めるはずだ。彼らは今までに起こったことを洗いざらい話してしまうだろう。
そうすればトウセキの怒りはユーゴに向けられるはずだ。
ユーゴはありとあらゆる暴力が自分の目の前まで来ていることを悟った。トウセキは決して容赦しない。
ユーゴは足がすくむのを感じた。
腹から血を流していようともトウセキはユーゴを掴まえる。そこから先は考えたくもなかった。
「急いでるんじゃないのか? ジョー様があんたを追ってる」
職人風の男がトウセキの行く手を阻んだ。ドアを抑えつけている手は、だらしなくぶるぶると震えていた。
「この部屋を覗いてからでも遅くはない。先客を見舞ったら、すぐに行くさ」
「今、治療を終えたところなんだ。安静にしとかねえと」
「連れて行くとは言ってないだろう。偶然にも同じ日に瀕死の傷を負ったんだ。先客の具合がどうか知りたいだけだ」
「大した偶然じゃねえよ。この町じゃ怪我人は珍しくない。さっさと行ってくれないか」
「邪魔をするな」
「マジで手遅れになるぞ。今度の討伐隊には東の集落出身の男が指揮を取っているそうだからな。すぐにここまでたどり着く」
東の集落と聞いて、ユーゴは思わず顔をあげた。
この町において東の集落と呼ばれている場所は一か所しかなく、そこはユーゴが十二歳までを過ごした生まれ故郷だった。
誰だろうか。ジョー様が討伐隊を組織したという話だから、ラッセル領防衛騎士団から部隊を選んだのだろう。
貧しい集落だったから、出世を夢見て軍隊に入りたがる若者は珍しくなかった。だが、実際に軍隊に入るために集落を出る若者はいなかったはずだ。
ユーゴが集落を出た後だろうか。
もしそうだとしても、村の男どもはユーゴがトウセキを殺しに行くのを必死に止めたような腰抜けばかりだ。防衛軍に入るような男は一人も思い浮かばなかった。
「随分と俺のことを心配してくれるんだな」
「この町でドンパチされたくないだけだ」
「それならさっさとその手をどけるんだ。俺は先客を見舞えばすぐに行くって言ってるだろ。馬にさえ乗れば俺に追いつけるやつはいないんだ」
トウセキは職人風の男の手を乱暴に払いのけると、ドアノブを掴んで扉を開けた。
ガチャリ。
誰もが、トウセキが部屋の奥の光景を目にしたと悟った。
職人風の男はクマに出くわしたかのように後ずさり、トウセキから離れた。
そして、トウセキの手の届かない距離まで下がったことを確認すると、見えない拳に殴られたかのように身をよじり、悶えるように駆け出した。
それを見た宿屋の主人も先を争うように医者の家から飛び出した。
医者は恐怖のあまり動けないようだった。
ユーゴは逃げる機会を逸して、どうせ死ぬのなら最後にアンナの寝顔を見ようと物置部屋を覗き込んだ。
トウセキは埃っぽい真っ暗な部屋に足を踏み入れた。
「暗いな」
トウセキは壁に手を這わせ、ランプを探した。
「倉庫だからな。今、ランプを取ってくるよ」
医者はそう言って、ユーゴの背中を押した。
隙を見てユーゴを逃がそうとしてくれているようだ。
「動くんじゃねえ、ヤブ医者。そっちの男もだ」
トウセキが唸るような声をあげた。
「お前ら俺になんか隠してるだろ。都合の悪いことだ。そうじゃなきゃ、あの二人が逃げ出すわけがない」
「隠してなんかいないさ」
「この女は俺の知ってる女か? それとも俺に知られちゃ都合の悪い女なのか?」
「どっちでもないさ。今ランプを持ってきてやるから気が済むまで見ると良い」
医者はユーゴの肩を抱き、さりげなく外に連れ出そうとした。
トウセキはそれを見逃さなかった。
「動くんじゃねえって言っただろ。マッチで十分だ。顔さえ見られれば良いからな。とにかくじっとしてるんだ。妙な気を起こすんじゃないぞ」
トウセキはマッチ箱からマッチを一本取り出し、今まさに擦ろうと人差し指でマッチ棒の尻を叩いた。
もう終わりだ。
ユーゴはそう思った。
「ほう、女なのか」
トウセキの目つきが鋭くなり、ユーゴは医者が小さな失態を犯したことに気が付いた。
一瞬後に、医者の目に激しい狼狽の色が浮かぶ。
「いや、彼女とは言ったが、深い意味はないんだ」
「何を慌ててるんだ?」
「べ、別に慌てているわけではないが――」
医者はもつれる舌でなんとかそう言った。
「俺に知られると困るのか?」
「あんたの欲しがるような女じゃねえよ。きれいどころはみんなさらって行っただろうが」
職人風の男が慌てて助け舟を出した。
「ケガが凄そうだったから興味が湧いただけだ。部屋中血まみれだからな。何割かは俺の血だが」
床には奥の部屋へと診察台を引きずった跡があり、平行に伸びた二本の血の道ができていた。トウセキはその間をまるで線路の上を歩くように、俯きがちに進んだ。
どす黒い線路は物置部屋の前で途切れた。
トウセキはそのドアに手をかけた。
アンナが見つかる――。
ユーゴは戦慄した眼差しでそれを見つめていた。
診察台に横たわったアンナを見れば、トウセキは医者や、職人風の男に説明を求めるはずだ。彼らは今までに起こったことを洗いざらい話してしまうだろう。
そうすればトウセキの怒りはユーゴに向けられるはずだ。
ユーゴはありとあらゆる暴力が自分の目の前まで来ていることを悟った。トウセキは決して容赦しない。
ユーゴは足がすくむのを感じた。
腹から血を流していようともトウセキはユーゴを掴まえる。そこから先は考えたくもなかった。
「急いでるんじゃないのか? ジョー様があんたを追ってる」
職人風の男がトウセキの行く手を阻んだ。ドアを抑えつけている手は、だらしなくぶるぶると震えていた。
「この部屋を覗いてからでも遅くはない。先客を見舞ったら、すぐに行くさ」
「今、治療を終えたところなんだ。安静にしとかねえと」
「連れて行くとは言ってないだろう。偶然にも同じ日に瀕死の傷を負ったんだ。先客の具合がどうか知りたいだけだ」
「大した偶然じゃねえよ。この町じゃ怪我人は珍しくない。さっさと行ってくれないか」
「邪魔をするな」
「マジで手遅れになるぞ。今度の討伐隊には東の集落出身の男が指揮を取っているそうだからな。すぐにここまでたどり着く」
東の集落と聞いて、ユーゴは思わず顔をあげた。
この町において東の集落と呼ばれている場所は一か所しかなく、そこはユーゴが十二歳までを過ごした生まれ故郷だった。
誰だろうか。ジョー様が討伐隊を組織したという話だから、ラッセル領防衛騎士団から部隊を選んだのだろう。
貧しい集落だったから、出世を夢見て軍隊に入りたがる若者は珍しくなかった。だが、実際に軍隊に入るために集落を出る若者はいなかったはずだ。
ユーゴが集落を出た後だろうか。
もしそうだとしても、村の男どもはユーゴがトウセキを殺しに行くのを必死に止めたような腰抜けばかりだ。防衛軍に入るような男は一人も思い浮かばなかった。
「随分と俺のことを心配してくれるんだな」
「この町でドンパチされたくないだけだ」
「それならさっさとその手をどけるんだ。俺は先客を見舞えばすぐに行くって言ってるだろ。馬にさえ乗れば俺に追いつけるやつはいないんだ」
トウセキは職人風の男の手を乱暴に払いのけると、ドアノブを掴んで扉を開けた。
ガチャリ。
誰もが、トウセキが部屋の奥の光景を目にしたと悟った。
職人風の男はクマに出くわしたかのように後ずさり、トウセキから離れた。
そして、トウセキの手の届かない距離まで下がったことを確認すると、見えない拳に殴られたかのように身をよじり、悶えるように駆け出した。
それを見た宿屋の主人も先を争うように医者の家から飛び出した。
医者は恐怖のあまり動けないようだった。
ユーゴは逃げる機会を逸して、どうせ死ぬのなら最後にアンナの寝顔を見ようと物置部屋を覗き込んだ。
トウセキは埃っぽい真っ暗な部屋に足を踏み入れた。
「暗いな」
トウセキは壁に手を這わせ、ランプを探した。
「倉庫だからな。今、ランプを取ってくるよ」
医者はそう言って、ユーゴの背中を押した。
隙を見てユーゴを逃がそうとしてくれているようだ。
「動くんじゃねえ、ヤブ医者。そっちの男もだ」
トウセキが唸るような声をあげた。
「お前ら俺になんか隠してるだろ。都合の悪いことだ。そうじゃなきゃ、あの二人が逃げ出すわけがない」
「隠してなんかいないさ」
「この女は俺の知ってる女か? それとも俺に知られちゃ都合の悪い女なのか?」
「どっちでもないさ。今ランプを持ってきてやるから気が済むまで見ると良い」
医者はユーゴの肩を抱き、さりげなく外に連れ出そうとした。
トウセキはそれを見逃さなかった。
「動くんじゃねえって言っただろ。マッチで十分だ。顔さえ見られれば良いからな。とにかくじっとしてるんだ。妙な気を起こすんじゃないぞ」
トウセキはマッチ箱からマッチを一本取り出し、今まさに擦ろうと人差し指でマッチ棒の尻を叩いた。
もう終わりだ。
ユーゴはそう思った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

俺が死んでから始まる物語
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていたポーター(荷物運び)のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもないことは自分でも解っていた。
だが、それでもセレスはパーティに残りたかったので土下座までしてリヒトに情けなくもしがみついた。
余りにしつこいセレスに頭に来たリヒトはつい剣の柄でセレスを殴った…そして、セレスは亡くなった。
そこからこの話は始まる。
セレスには誰にも言った事が無い『秘密』があり、その秘密のせいで、死ぬことは怖く無かった…死から始まるファンタジー此処に開幕

ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。

筋トレ民が魔法だらけの異世界に転移した結果
kuron
ファンタジー
いつもの様にジムでトレーニングに励む主人公。
自身の記録を更新した直後に目の前が真っ白になる、そして気づいた時には異世界転移していた。
魔法の世界で魔力無しチート無し?己の身体(筋肉)を駆使して異世界を生き残れ!

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる