大泥棒のパラドックス(ユーモア小説短編集)

先川(あくと)

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1話 大泥棒のパラドックス

大泥棒のパラドックス(2/3)

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 しかし、そこは大泥棒。このまま黙って引き下がるわけにはいかない。なぜなら、彼は大泥棒なのだ。どこからでも、誰からでも、なんでも盗むことができる。しかし、自分のモノを自分で盗めないとなると大泥棒ではない。せいぜい、並の泥棒といったところだ。

 そう。これが大泥棒のパラドックスだった。
 中泥棒や、小泥棒なら、パラドックスにはならないが、どこからでも、誰からでも盗むことができる大泥棒が、自分のモノを盗めないなんてあってはならないのだ。

「いや、待て。たしか、俺は友だちのハンバーグ婦人にお鍋を貸していたんだった。あれなら盗めるじゃないか。ハンバーグ婦人に貸していたお鍋を盗ってこよう」
 そう決まれば訳ないことだった、大泥棒は近所のハンバーグ婦人の家まで走っていき、物音ひとつ立てずに、玄関から廊下、廊下から台所と移動すると、ハンバーグ婦人に貸してあったお鍋を盗んできたのだ。
「へっへっへ。これで、どうだ。俺は俺のモノを盗んできてやったぜ」
 大泥棒はこうしてパラドックスを解消した。これで今晩はぐっすり眠って、明日の昼下がりにサワガニ親子のところに鍋を見せに行こう。
 そう思ってベッドについたのもつかの間、男は来客を知らせるベルに起こされた。
「こんな時間に誰だろう」
 男はドアを開けて、来客を確かめた。

 そこに立っていたのはお察しの通り、ハンバーグ婦人だった。

「こんばんは。夜遅くにごめんなさい」
「ハンバーグ婦人じゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」
 大泥棒はぎくりとしながら言った。
「実は謝らなければいけないことがあるんです。私、あなたから借りたお鍋を失くしてしまったんです。家じゅうを探し回ったんですけど、どこにもなくて、ああ、なんとお詫びしたらよろしいでしょうか……ひとまずこれはお鍋の弁償代です」
 ハンバーグ婦人はそういってポケットの中から一万円を取り出した。
 これには大泥棒も困ってしまった。
「いいえ、そんな受け取れませんよ。いいんです、お鍋のことは、人にモノを貸すときはあげるつもりで貸しなさいって、オヤジによく言われたもんですからね」
「そんな、そんな。私こそ情けないですわ。あんな大事な品を失くすなんて」
 ハンバーグ婦人も引き下がろうとせず、大泥棒になんとか一万円を握らせようとしてくる。
 大泥棒も受け取るわけにはいかなかった。自分はハンバーグ婦人に貸した自分のお鍋を
盗んできたのだ。お鍋は今、自分の家の台所にちゃんとあるのだ。そうと知っていながら、こんなお金を受け取るわけにはいかない。
 しかし、ハンバーグ婦人もそう簡単には引き下がらない。一本筋の通った物堅い奥様なのだ。

「とにかく、これを受け取ってもらわなければ私の気がすみません。じゅうぶん、注意していたのに、人の物を借りて失くすなんてあってはならないことなのに……」
 ハンバーグ婦人は最後には涙を流し始めた。大泥棒といえど、女の涙を見ながら、一万円を突き返すことなどできなかった。
「そうですね、このお金はひとまず受け取っておきましょう。ですけど、本当はそんなことどうでもいいんですよ? とにかくご足労おかけいたしました。寒い晩ですので、奥さん、どうぞお気をつけて帰ってください。本当は家までお送りしたらよろしいのでしょうが、旦那さんに見つかって、角が立つようなことがあってはいけませんので。どうか、気を付けておかえりください」

 大泥棒は一万円札を受け取ると、ハンバーグ婦人を帰して部屋の中に入った。

「これはどういうことだろう!? 自分のモノを盗んだはずが、悲しんでいるのはハンバーグ婦人じゃないか!! それに自分のモノを盗んだはずなのに、これじゃあ、ハンバーグ婦人から一万円を盗んだのと同じじゃないか!!」
 大泥棒は頭を抱えた。人に貸していた自分の品を盗んでくることは、自分のモノを盗んだことに入らないではないか!!
 だって、損をしたのは自分ではなくハンバーグ婦人だ。それに、俺の父親も言ってたじゃないか。ひとにモノを貸すときは、あげたつもりになって貸さなくてはいけない。だったら、あれはハンバーグ婦人にあげたつもりモノだし、そうすると俺はハンバーグ婦人から鍋を盗っただけじゃないか。

 この野郎、これじゃあ自分のモノを盗んだことにはならない!!

 大泥棒はノイローゼになりながら、ベッドの中で悶々と考えていた。

 どうやったら自分のモノを盗むことができるだろうか。俺は大泥棒。自分のモノが盗めないなんてあってはならないことなのだ。
 次の日も大泥棒はなんとか自分のモノを自分で盗もうと努力していた。

 例えば、ハンマーで自分の頭を殴りつけて、記憶を失くした状態で自分のモノを盗めばいい。そうすると、それが自分のモノだという記憶もないのだから、心の中の自分が、自分のモノが盗まれかけていると知って止めに入ることもない。
 そう思ってハンマーを取り出したが、男はそこで重要なことに気が付いた。

 記憶喪失になったら、自分のモノを盗まなければいけないということも忘れてしまうじゃないか!!
 仕方なくハンマー法は辞めにして、ロープ法に、置き傘法、下半身法など色々試してみた。

 下半身法は、下半身の俺が履いている靴下を上半身の俺が盗むという方法だったが、靴下を盗まれると知った途端、下半身は全力でそれを阻止しようと足を暴れさせたのだ。

 なぜなら、盗まれると分かってじっとしているバカはいなかったし、その日はとても寒い日で靴下がなければ風邪をひいてしまうからだ。

 大泥棒は一日中へとへとになって、自分のモノを盗もうとしたが、そのどれもうまくいかなかった。

 その日は諦めて、晩ご飯を食べることにした。

 男はエプロンを着て、コック帽をかぶると、器用な手つきで魚を捌き白身魚のムニエルを作った。

 そして、それを食べようとした途端、ふとこれを盗むことはできないかと考え始めた。

「この白身魚のムニエルを俺が、俺から盗むことはできないだろうか」
「これを俺が今食べなかったら、俺はこの白身魚のムニエルを盗まれたことにならないだろうか。そして、もし、俺がこの白身魚のムニエルを明日食べれば、明日の俺が、今日の俺から白身魚のムニエルを盗んだことになるんじゃないか?」
「そうだ!! その手があった!!」
 大泥棒は手を叩いた。
 この白身魚のムニエルを食べるのを我慢して、明日食べればいいのだ。そうすれば、今日の俺から明日の俺が白身魚のムニエルを盗んだことになるし、明日の俺が白身魚のムニエルを食べれると思えば、我慢するのもシャクではない。
 これは盗まれるのを黙って見過ごすわけではない。なぜなら、明日になれば、その白身魚を食べられるのは紛れもない俺なのだから。
 大泥棒はそうと決まると、すぐにベッドに飛び込んだ。
 ああ、俺はとうとう自分のモノを自分で盗むことができるぞ。やっぱり盗めないものなんてないんだ。明日の俺が、今日の俺から白身魚のムニエル盗めばいいんだからな。
大泥棒は早く明日にならないかとワクワクしていた。
 これでサワガニの親子を見返してやるぞ。
 だが、あまりにワクワクしすぎていたため、中々寝付くことができなかった。一時間、二時間と経つうちに腹が減り始めた。それはそうだろう!!
大泥棒は晩ご飯を食べていないのだから。

 大泥棒は何とか眠ろうと頑張っていたが、お腹がすきすぎて寝るどころではなかった。

 我慢するんだ。明日、あの白身魚のムニエルを食べればいいんだ。そうすれば俺が俺からモノを盗むことができると証明できるんだから。

 大泥棒はそう言い聞かせたが、飢えにうち勝つことができる人間など一人もいないのだ!!

 大泥棒はふいに我を忘れて立ち上がると、テーブルに置いてあった白身魚のムニエルをバクバクと食べ始めた。
 その味の美味しいのなんの。それはそうだろう!! 男は大泥棒であると同時にプロ並みの腕前を持った料理愛好家でもあったのだから。

「うまい!! うますぎる!! 俺は天才だ!!」
 大泥棒は結局、白身魚のムニエルをすべて食べてしまった。
 そして、お腹がいっぱいになったところで、当初の目的を思い出してしまった。

「なんてことだ!! 俺は俺から盗もうとしていた白身魚のムニエルを食べてしまった!! これはどういうことになるんだろう……」

 男は自分の置かれた状況について考え始めた。
 最初、明日の俺が今日の俺から白身魚のムニエルを盗もうとしていたのだ。それがあまりにお腹が空いてしまったので、今日の俺が、明日の俺が盗もうとしていた白身魚のムニエルを食べた。
「これはつまり……明日の俺は今日の俺に白身魚のムニエルを取り返されたってことじゃねえか!!」
 大泥棒は頭を抱えた。

 なぜなら大泥棒にとって、自分の盗んだものを盗り返されるほど屈辱的なことはないのだ!!
 男は大いに反省した。なぜ、あそこで我慢できなかったんだろう。あそこで空腹を我慢できていたら、俺は今日の俺から白身魚のムニエルを盗ることができたっていうのに。
 大泥棒は悲しみの淵にくれていた。
 そう、自分のモノを自分で盗もうとすれば、失敗したときにおいても何重にも傷つくことになるのだ。
 大泥棒は枕を涙で濡らしながら、どうにかして自分のモノを自分で盗む工夫はないか考えた。しかし、さっきとは状況が違っていた。お腹がいっぱいになり始めたことで、頭が次第に回り始めたのだ。

「タイムマシンを作ろう」

 大泥棒はそう思いついた。
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