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1話 大泥棒のパラドックス
大泥棒のパラドックス(1/3)
しおりを挟むここに一人の大泥棒がいた。
この男、身長は一六五センチ。成人男性としては決して大きい方ではない。端的に申し上げれば小さい男だった。
この男は小さい大泥棒だった。この大泥棒は小さかったと言ってもいい。しかし、これはパラドックスではない。なんだかへんてこな気分になるだけで、矛盾はないし、意味も分かる。
あるいは泥棒についていくらか見識をお持ちの方なら、彼が小さい大泥棒であることにしたり顔で頷くだろう。そうとも、泥棒はコソコソとすばしっこく仕事をこなさなければいけない。小さい大泥棒というのは、模範的な泥棒なのだと。
さてこの泥棒、大泥棒という名にふさわしく、どこからでもなんだって盗むことができた。
「俺は、アメリカ大統領のバスタブに浮いたアヒルのオモチャを盗むこともできたし、ローマ法王が肌身離さず持っているブランケットだって盗んでやったのだ」
これは彼にとって昼飯前だった。泥棒は夜遅くまで仕事をしているため、朝飯というものを食べないのだ。
この泥棒、とてもプライドの高い泥棒で、自分の仕事に誇りを持っていた。
「俺は世界の大泥棒~せかいはすべて俺のモノ~盗めないモノは一つもないさ~なぜなら、俺は大泥棒~」
彼は毎日、シャワーを浴びるたびにそんな鼻歌を歌った。
あるいは部屋をお掃除するときも、午後の散歩に出かけるときも、スーパーのジャム売り場で友だちへのプレゼントを選んでいるときも、ご機嫌なときは決まってそんな歌を歌った。
この泥棒がある日、川沿いを歩いていた。
午後のあたたかい陽気に包まれて、快適な運動を楽しんでいた。なんでも盗むことができる大泥棒でさえ散歩をするのだから、世の中に散歩以上に楽しいモノなどあるだろうか?
このときも気分は爽快で、彼はおきまりの歌を口ずさんでいた。
「俺は世界の大泥棒~せかいはすべて俺のモノ~盗めないモノは一つもないさ~なぜなら、俺は大泥棒~」
その歌を聞いていたのが、川の浅瀬を気持ちよさそうに歩くサワガニの親子だった。
「ねえ、お父ちゃん、あの人世界の大泥棒なんだって」
「サワ坊や、大泥棒の意味が分かるのかい?」
サワガニのお父さんは驚いたようにサワ坊を見た。
「うん、世界中のなんでも盗むことができるすごい泥棒のことでしょ?」
「ほう、そんな泥棒がほんとうにいると思うかな?」
このサワガニのお父さんは、子どもの教育には対話を重視していた。サワ坊の言うことをよく聞いてあげて、簡単に何かを教え込んだりせず、じっくりと世界を知ってほしいと考えていた。
「いるよ。だって、あの人がそう言ってるんだから」
「そうだね。でも、あの人はなんでも盗めると思うかい?」
「盗めるよ。あんなに小さくて、すばしっこくて、あんなに手先が器用でなんだから」
サワ坊は小さなハサミで大泥棒を指さした。
大泥棒はそのとき土手に生えたシロツメクサを摘んできて、花かんむりを作っているところだった。手先の器用な泥棒となれば、午後の陽気に任せて、素敵なアクセサリーを作ることなど簡単なことだった。
「そうかな? お父さんには、あの人がなんでも盗めるとは到底思えないなあ」
「本当?」
「じゃあ、ちょっと一緒に聞いてみようか」
サワガニ親子は、花かんむりを作っている大泥棒のところまで歩いて行った。言うまでもないことだが、ハサミでバランスをとりながらカニ歩きで泥棒に近づいたのだ。
「ねえ、泥棒さん」
サワ坊が言った。
大泥棒は返事をしなかった。
「ねえ、泥棒さん」
大泥棒は片方の眉を吊り上げていった。
「へっ、子どもだからって正しい言葉遣いをしなきゃ相手にならねえぞ。俺は泥棒じゃなくて、大泥棒なんだ。用があるなら、正しく呼びな」
この大泥棒、プライドが高すぎるあまり、少々話の通じないところがあったのだ。
「ねえ、大泥棒さん」
「なんだ、サワガニの坊や」
「あなたは何でも盗める大泥棒なんですよね?」
「そうだ。さっきからそう歌ってるじゃねえか」
サワガニのお父さんはそこで、ちょっと先輩風を吹かして言った。このお父さんは中々、人生経験、いや、カニ生経験豊かなサワガニで、泥棒を相手にしても一歩も引かないところがあったのだ。
「なんでも盗めるんだね」
「おっと、その手には乗らねえよ。よくいるんだよな。存在しないものを盗めるか?とか言ってくるやつがよ。そういう屁理屈には乗らねえぞ。俺は存在して、盗むことができるものなら、なんだって盗めるというだけのことだ」
「そうですか。中々の自信ですね。それなら一つ、盗んでほしいものがあるんですが」
「なんだ、俺を腕試ししようってのか。面白いサワガニじゃねえか。良いぜ、なんでも言ってみな。誰からでも、どこからでも、盗んできてやるぜ」
大泥棒は得意げに言った。
「そうですか。じゃあ、泥棒さん、あなたはあなたのモノを盗むことができますか?」
サワガニのお父さんは得意になってそう言った。
「なに?」
「あなたが持っているものをあなた自身で盗んでください」
「へん、俺が持ってるモノなら一番たやすいや。金なら、引き出しの中にあるって知ってんだ。今晩にもとってきてやろうじゃないか」
「じゃあ、お願いしますね。あなたが自分から盗んだものを、いつでもいいので私に見せてきてください」
大泥棒はちょうどシロツメクサの花かんむりを完成させたところだったので、それを土手で遊んでいるかわいらしい女の子にプレゼントすると、さっそうと家に飛んで帰った。
「へ、笑わせてくれらあ。俺が、俺からモノを盗むなんて簡単なことじゃねえか。試しにそこの百万円札を」
大泥棒はそう言って引き出しの中のお金をとったところで、ふと手を止めた。
「あれれ、なんか変だぞ。盗むってのは誰かのモノをとってきて、自分のモノにすることだろ。俺がこの金を手にして、それがどうしたって話じゃねえか。だって、盗まれた奴は悲しむだろうが、俺はちっとも悲しくない。盗んだやつは一儲けできるはずだが、俺は一円も儲かってない。これじゃあ、何にもならないじゃないか」
そう、大泥棒はそこで初めて気が付いたのだ。
自分の物を自分で盗むことはとても難しいことなのだ。
「大体、俺は俺にこの金が盗まれることを知っている。金を盗まれると知っていながら黙ってそれを見過ごすほど俺はバカじゃねえ!!この野郎、その手を離しやがれ!!」
大泥棒は百万円を持った自分の手をもう片方の手でつかんだ。
「俺といますぐ警察へこい!!」
「そうだよ。俺は俺に知られないように内緒で金を盗まなければいけないんだ。なのに、俺は俺が金を盗むことを知っている。だったら、どこかに隠さなければいけない。でも、隠したことも俺は知っている。そして、隠し場所を知っている俺は、今にもそこに忍び込んで金を盗ろうとする。だったら、そんなことを黙って見過ごすわけにはいかないじゃないか」
チクショウ! これじゃあ、一生自分のモノを自分で盗ることはできないじゃないか。
大泥棒は吐き捨てるように言った。
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