ひとりたりない

井川林檎

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 なぜ、自分はこの女と電話をしているのだろう。
 岸辺久美は自分で自分が分からなかった。浜洋子のことは、小学六年生の頃から嫌いだったと思う。「嫌われ組」で縁があったとはいえ、仲間だよと言い合っていたとはいえ、やはりどこか好きになれなかった。
 (自分だけは特別で、アンタらとは違うって思ってるのが見え見えなんだよね)
 「嫌われ組」には入っていたが、容姿は相変わらず美人で、勉強も運動も人並み以上にできる。ただ、自己主張の激しさが鼻についたというだけで、「嫌われ組」に入れられてしまった。浜洋子は敵が多かった。浜洋子の敵は、ほとんどが女子だったと思う。「嫌われ組」に入っているということで、おおっぴらにはしないながらも、クラスの男子は皆、浜洋子のことを気にしていた。それは、「正義グループ」の男子二人ーー真鍋健太と瀬川大翔ーーも同じだったと思う。

 「ねぇー、モヤシってさ、今なにしてんだろうねー」
 スマホから洋子の甘い声が聞こえてくる。
 最初、電話がかかってきた時、一体何の用だろうと思った。半ば喧嘩腰で出てしまったのだが、もう一時間以上、岸辺久美は浜洋子と喋り続けている。久美のほうも、内心は穏やかではないながら、表面上は友好的に喋っている。傍から見ている者がいたとして、まさか久美が、その巨大な腹の中で、さんざん浜洋子のことをけなしているなどとは思えなかっただろう。

 「モヤシって言ったら悪いよ。大友君って言おうよ」
 洋子と話していると、どうしても久美の方がフォロー役になってしまう。それも、久美は気に入らないのだった。
 (わたしとキャラクターが被ってんのよね)
 実は、久美も自己主張が強い。人から認められたいし、男子から注目を浴びたいのだった。久美の性質と洋子の性質は、思いのほか被っていた。容姿は真逆だが、性質は似ている。似た者同士なのだ。だからだろう、小学六年の時も、「嫌われ組」の中で、久美と洋子はよく喋るほうだった。

 「もう、大人なんだからさ」
 久美は諭すように言った。
 洋子は「まあねー」と受け流した。とても反省しているようではなかった。

 それにしても、大友優が今現在なにをしているのか、久美も洋子も全く知らないでいた。奥さんはいるのか、仕事は何をしているのか。まるで想像もできなかった。
 「結婚してるかな」
 と、洋子が言った。
 「わかんない」
 久美は答えた。本心では「してないと思うよ」と答えたかった。

 大友優のことを話題にするなんて、思いがけないことだった。「嫌われ組」の頃から、久美も洋子も大友優のことを、同等の仲間だなんて一度も思ったことがなかったからだ。
 
 「ねーこないださ、ゼロの車でごはん食べに行ったじゃん。あの時さ、どうしてモヤシの家の前まで行ったんだったけ」
 不意に、洋子が言った。
 久美はぼんやりとした。もういちど、洋子が繰り返していったので「どうしてだったろう」と、答えるしかなかった。
 そうだった。あの日、怜の車に乗り、うどん屋に行った。その前に、怜は大友優の家に行こうとして、結局、もう大友優の家はなくなっていて、そこは空き地になっていたのだ。
 大友優は上梨に在住していることは間違いがないが、はて、一体どこに住んでいるのだろう、と、久美は改めて不思議に思った。こんなこと、洋子から言われなければ考えもしなかった。

 「ほら、土地とか家とかって、持ってるだけで税金とられるでしょ。モヤシ、自分の住んでた家を処分しちゃったんじゃない」
 洋子が言った。なるほどそうかもしれないと、久美は思った。しかし、頭の中は曖昧模糊として、なにか釈然としなかった。それはどうも、洋子も同じらしかった。

 「なんか思い出せそうで思い出せないことが多いよ。上梨に来てから」
 久美はぽろりと言った。頭の中は、三十年前のことを思い出そうとしている。どういうわけか、気が付いたらそうしている。何かを思い出さなくてはならないのに、あと少しのところまで来ているのに、どうしてもたどり着けない。どれが、もどかしかった。

 「なんか、あったよね。三十年前にさ」
 
 洋子は一瞬黙った。それは不機嫌な沈黙だと久美は感じた。
 思い出したくもないのだろう、小学六年の時のことなんて。

 「なにもないわよ」
 ぴしっと洋子は言った。それは、もやもや頭の中の記憶の回路を彷徨う作業を、力づくで中断させる効果があった。
 なにもない。上梨は昔から、なにもない平和すぎる田舎町に過ぎない。今も変わらない。たぶんこれからも。

 トモダチだよね、ね・・・・・・。

 なのに、時折脳裏に浮かぶ、三日月のように唇を笑みくずれさせた、得体のしれない顔は何なんだろう。

 岸辺久美は、「そろそろ風呂が沸いたから」という、とってつけたような理由で、浜洋子との電話を終えた。
 浜洋子は浜洋子で、なにかモヤモヤした気分で、電話が終わった余韻を持て余していた。
 気分が重たくてはっきりしないのは、悪阻のせいだと洋子は思った。そう思うのが、一番無難で、一番正しいのだと、洋子の本能が語っていた。
 洋子は、三十年前のことなど思い出すのも嫌なのだ。あんなことーー「嫌われ組」。ああ。それと、あの事。男子二人にされたこと。男なんてみんなああなのよ。誰に言えるの、こんなことを。ああ。いつでもわたしは、誰にも言えないことばかりーー洋子は頭を振って、ぐるぐる回る思考をぶち切った。
 なぜ、岸辺久美に電話をしてしまったのだろう。時刻は夜の八時を過ぎている。
 
 「うふ、ふ」

 小さな声が聞こえたような気がした。洋子はそっと下腹をさすった。胎児は母親に語り掛けるものだ。そう思った。やはり、それが最も平和で、正しい考え方なのだ。洋子はとても賢い女なので、そのことを直感していた。危ない橋は渡るべきではないのだ。ただでさえ今は、別の危ない橋を渡っているのだから。
 (生まれてくるんだわ)
 下腹にあるモノ。
 確実に育っている、コレ。
 生まれてくる。それを止めることは、洋子にはできなかった。
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