ひとりたりない

井川林檎

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 「警察に言っても、相手にしてもらえないのよ」
 
 電話口の奈津の声は、今まで聞いたことがないほど感情的だった。怒りと困惑と、こんなことが本当にあって良いのかと言う単純で激しい疑問に満ちていた。
 怜はその気持ちがわかった。なぜなら、そんな理不尽など、小学六年の時に経験済みだったからだーー「嫌われ組」に入れこまれたこと自体、信じがたい理不尽なのだ。しかもそれは本当にあったことだし、おまけにこんな理不尽が目の前で行われていても、級友も、先生も、誰も、何も言わなかったーー怜は波立つ心を極力表に出さず、受話器の向こう側の奈津に、静かに話しかけた。
 「確かなの。みいなが大友君のところに行ってるって」
 確かよ、絶対にそうなのよ、だって、日記にいろいろ書いてあって・・・・・・。そこまで言うと、奈津は口ごもった。日記。つまり、奈津はみいなの日記帳を盗み見たのだ。
 「おかしいと思ってたの。様子が変だったもの、みいなの。日記を読んで、それで、みいなが裏サイトで名指しで悪口言われてることを知ったし、大友さんという人と図書館で知り合って、ラインまで交換していることも分かったのよ。お姉ちゃんの目を盗んで、あの子、ほんと何やってんだろう」
 語尾が震えて辛うじて声になった。奈津は泣いているのかもしれなかった。
 
 みいなが真夜中に家出をし、行き先が大友優の家であるらしいことは、ほぼ確定なのだろう。ちなみに、昨晩のことらしいので、まだ家出をしてから一日経っていない。朝になり異変に気付いた奈津は、大騒ぎをして、とうとう警察に通報までした。しかし、上梨の警察は目下のところ、上梨小六年女子の失踪事件におおわらわだった。
 「まるでうちの子を、不良少女扱いなのよ」
 ついに奈津は泣きじゃくり始めた。
 つまり、警察は奈津の訴えを親身に聞いてくれなかった。奈津の中では、大友優に奈津がたぶらかされ、誘拐されたことになっている。だが警察は、反抗期にありがちなことで、叔母つながりの知り合いのうちにプチ家出をしているだけと見なした。もっと子供さんと話し合いをしてくださいよとまで言われ、奈津は唖然としたらしい。
 「奈津を裏サイトでさんざんいじめた子なのよ、あの、失踪した大森みらんと、有田里亜って子」
 奈津の声にヒステリックな色が混じり始める。怜はええっと聞き返した。大森みらんも、有田里亜も、知らない名前だったからだ。お姉ちゃんニュース見てないでしょ、と、あきれたように奈津は言い放った。知らなかったの、あれから立て続けに上梨小六年女子が失踪してるのよ。

 早瀬花音。
 大森みらん。
 有田里亜。
 これで、三人が失踪した。それも突如、なんの前触れもなく。さっきまでそこで話をしていたのに、振り向いたらいなかった、というような、マリーセレスト号の奇談を思い浮かべてしまうような不可思議な失踪。こつぜんと消えた女児。

 「上梨、今、失踪した三人の女の子のことばかり言われてるよ。うちの子が上梨小六年ってだけで、変な詮索されたり、いろいろ聞き出そうとしてくる近所のおばさんとか、ほんと、上梨町の住人全員が、このことで振り回されている感じだわ」
 だけど、だけどね。ここで、奈津の声が濡れた。悲壮な声音で奈津は言ったーー分かるけれどね、でも、どうして、虐められていたうちのみいながいなくなっても誰も何もしてくれないのに、虐めていた側が失踪したら、町中みんなして騒ぐのよーーウウ、ウ。嗚咽が始まった。

 デ・ジャ・ヴ。
 怜はスマホを耳に当てたまま、呆然としていた。激しい既視感がある。夏。小6の夏。いなくなった三人の六年生。町全体が騒然としたーーああ、確かにこんなことがあった。昔にあった。まるで同じだ。焼き直しだ、これは。
 三十年前の焼き直しだ。

 「ニュース見るようにするよ」
 怜はやっとのことで言った。
 「それから、大友君に連絡してみるわ。本当にみいながそっちにいるのなら、帰してもらわなくちゃ。多分、みいなが強引に居座っているんだと思う。大友君、人に逆らえない性格だから」

 人に逆らえないって?
 相手は小学生の女の子なのよ。おまけにアカの他人の子なのよ、みいなのわがままに、なんでその大友さんが協力してるのよ。
 常識ある大人なら、みいなが家出してきたからって、自分の家に向かえないわよ。ううん、そもそも小学六年女子と何でオッサンがライン交換してんのよ。
 ねえ、お姉ちゃん。あのね・・・・・・ここだけの話・・・・・・実はうち、旦那もほんと、殴り込みに行こうとしてるくらい心配してて・・・・・・ね、みいな、大友さんにナニカサレテルと思う?

 ね、お姉ちゃん。
 大友さんって、どんな人なの?

 怜は押し黙った。
 この事態を受けて、保護者である奈津がそんなふうに考えてしまうのは無理もなかった。当然のことだった。
 だが、怜は大友優がみいなを相手に、犯罪まがいの行為をするとは思えなかった。大友優はそういう人間ではない。そういう生々しい欲望を、もっと表に出すような人間だったならば、小学六年の時に、あんなふうにみんなのサンドバッグにはならなかったと思われるーーそこまで考えた時、怜はずしんと重たいものを心に感じたのだった。

 自分は大友優を、どんな人間だと思っているのだろう?

 「とにかく、大友君に連絡してみる。連絡の返事が来ても来なくても、今、上梨に、大友君と仲間だった同級生が二人来てるから、その人たちと一緒に大友君ちに行ってみるわ」
 大丈夫、今日中に必ず連絡するから。早まったことしないでね。

 怜は言い含めると、電話を切った。そして、おもむろに大友優に向けてメールを打ち込んだ。返信はもとから期待していなかった。大友優にメールしてすぐに、岸辺久美と浜洋子にメールを入れたのだった。
 (多分、反応してくれる)
 根拠のない予想だったが、何故か確信があった。きっと、二人は駆けつけてくれるはず、と。
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