ひとりたりない

井川林檎

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 夏休みの自由研究の題材を「上梨の怖い話」にしたい旨を聞いた大友優は、「それはいいね」と軽やかに頷いた。気後れする怜をしり目に、みいなはすっかり優になついてしまっている。小学六年女子であるみいなに大友優が好かれている様子は、彼の昔を知る怜にとって、シュールすぎて思わず吹き出したいくらいに違和感があった。
 優は郷土資料館を知り尽くしている様子で、あちこちの書棚について、あそこにはこのジャンルがあり、それを知りたいならこれだね、とすらすら言った。しかし、あくまでみいなの目的は上梨の歴史なので、優は一番奥にあって滅多に人が立ち入らない上梨の郷土資料コーナーに踏み込んだ。無機質なすりガラスの引き戸を開くと、ちょっと様子の違う空気が漂っていた。ここには本物の古書が展示してあり、ガラスケースの中にあるものは一般の閲覧者は自由に触れることができなかった。みいなが直接手を触れてよいものはガラスケースの両脇に屹立する背の高い本棚にぎっしり詰め込まれた書籍であり、それらはどう見ても小学生が読めるような代物ではなさそうだった。
 
 古くどっしりしたハードカバーの本を眺め、みいなは絶句している。がっかりしているようだった。さもあらん、と怜は思う。いくら「上梨の怖い話」に興味があろうと、こんな難解そうな、まるで辞典のような資料ばかりしか手掛かりがないのだとしたら、小学生の自由研究の題材にはならないだろう。
 「大学生の卒論の資料になりそうだね」
 と、怜は言った。
 意外なことに、大友優は嬉しそうにした。ばさばさの前髪の間から覗く真っ黒な目が突然輝きを帯び、怜を覗き込むようにして笑みをはらんだ。

 「そう、思うかい。そうだと俺も思っていたよ。価値のある文献だという意味だろう」
 優は言い、語尾に「うっふふ」と聞こえるおかしな笑いを付け足した。その笑い方の異質な感じは、小学六年生の時に皆から嫌われていた「モヤシ」のままだった。そうだ、モヤシは何かにつけて異質だった。笑い方や、笑うポイントが、他の子供とは明らかにずれていた。みんなが楽しんでいる話題に乗っている様子なのに、ふっと口にする言葉が、まるであさってのものだったりした。
 (彼は、わたしたちとは違う感じ方をしている。違うものを見て、違うように考えている)
 一瞬垣間見えた大友優の本質について、怜はそう判断を下した。小学六年生だった当時は、その違和感の理由がよく分からなかった。ただ、モヤシだから、というこじつけで受け止めるしかなかった。いろいろな知識を身に着け、いろいろな経験をしてきた今ならば、あの頃漠然と感じていた異質な感じを、もっと現実的な面で考えることができる。
 すなわち、大友優は、何らかの特殊な疾患を持っているのではないか。そう考える以外、まるで宇宙人のように得体のしれない優を、受け入れがたかった。

 「三十年に一度の怪異についてだが」
 難解な文献を前に困惑するみいなや、無言で立ち尽くす怜をよそに、突然、優は多弁になった。まるで人が変わったかのように活き活きと活動的な様子で、長い脚を動かし、狭い資料室をあちこちに歩き回りながらしゃべり始めた。
 「確かにそれは実在する。ここにある資料で調べがつく、最古の怪異は室町時代の時のものだ」

 戦国時代、上梨は水飲み百姓の集落でしかなかった。その上梨に、戦で敗れた武者たちが落ち延び、鬱蒼と杉の木が茂る禅寺にかくまわれていたらしい。足を引きずり、鎧をはぎとられた武者は哀れなありさまだった。禅寺の住職を中心に、村の者たちはその武者に水や薬草を恵み、看病してやった。やがて武者は回復し、禅寺の屋根の修繕や、村の耕作の手伝いなどをし、恩返しをしようと努めはじめた。

 「これがまた、男ぶりもよく、性格も良い人間だったそうだ」
 この本に書かれてあるよ、ああ、こっちの本にもだ。言いながら、優はこれ、それと、本棚にぎっちり詰まった文献の背中を指さした。もしかしたら優は、ここにある本を全て読破しているのかもしれない、いや、きっとそうなのだと、怜はぼんやりと思った。感心しているわけではなかった。異界の生物でも見るような、肌がざわつくような感じを覚えていた。一方、みいなは目を輝かせていたーーこの人凄い、頭いい、かっこいいーー子供の目から見たら、異質な大人はクールに感じられるものなのだろう。怜は、みいなの目の輝きを危惧した。大友優とみいなを引き合わせたことを深く後悔していた。
 
 さて、ある時、強い一団を率いる武将が村に来て、敗北者を差し出した者には褒美をとらすと宣言した。おりしもその年は飢饉だった。その日の食事にも困るありさまだった村人たちは、骸骨のようになったやつれた顔を見合わせ、頷きあった。ある晩、敵たちは禅寺を襲撃した。突然戦火に襲われた寺は、防ぐ間もなくあっけなく焼け落ちた。敵の武将は落ち武者の首を手にし、ゆうゆうと引き揚げた。村は落ち武者と引き換えに、その大飢饉の年をなんとかしのげる程度のほどこしをうけることが叶った。気の毒なことをしたが、あの者はこれで、村の役に立ってくれたのだ、ありがたいありがたいーー村人たちは死んだ落ち武者を祀るようになった。
 
 「のちに囁き始められる『わらしさま』というのは、おそらく、この落ち武者伝説がもとになっていると俺は思っている」
 優は立ち止まり、本棚から一冊の薄い本を引き抜いた。そして、みいなに向かって差し出した。一瞬、怜はみいなに、それに触れるなと言い出しかけたが、できなかった。みいなは興味津々でその薄い本を受け取った。自費出版の本なのだろう。まるで同人誌のようなちゃちなつくりのその本は「わらしさまの記録」というタイトルだった。

 「わらしさま・・・・・・」
 怜は眉をひそめて呟いた。思い出しそうで思い出せないもどかしさがあった。それは、よく知っているような、それでいて肝心な部分がぼけているような不思議な感覚だった。
 もちろん怜は、「わらしさま」というものを伝説として知ってはいる。上梨で育った子供ならば誰もが昔話で聞いたことがあるだろう。実際、怜は小学生時代、図書室にあった「上梨の昔話」という絵本で、その「わらしさま」を読んだ記憶がある。
 子供らが遊ぶ中に一人混じっている「わらしさま」。楽しく遊んでいるうちに、子供らは一人多いことに気づく。だけど、どいつが余計者なのかどうしても分からない。まあいいや、楽しく遊んでいるんだから、では済まない。遊びが終わるまでに、誰が「わらしさま」なのか当てなければ、一人、子供が減ることになる。
 遊び終わってうちに帰る頃、最初にいた人数より一人増えていたはずの仲間が、もとの数より一人減ってしまっている。いつの間に消えてしまったのか誰も分からない。親は泣き、村中で消えた子供を探しても、どうしても見つからないのだ。

 「東北の座敷童と似ているようで、全然違うだろう」
 優の唇は笑っていた。その唇の形が細長い三日月そのものだったので、怜は背中が冷たくなった。
 
 「まるで、早瀬花音の事件みたい」
 ぼそっと、みいなが言った。言ってからみいなは口に蓋をしたが、もう遅かった。早瀬花音、と、優は陰気に口の中で呟いた。そして、ああ、あの失踪事件の、と頷いた。

 「そうだね、そんな感じなんだろうな、昔からある失踪事件も」
 早瀬花音さんはプールの授業中に突然消えたんだっけね。優の目は前髪に隠れて見えなくなった。
 「そうだね・・・・・・」

 優は横を向いた。そして、もごもごと何か言った。
 みいなは「わらしさまの記録」を開いており、案外読み易かったらしく、わたしにもこれ読める、と喜んでいる。怜は、優がもごもご言った言葉を、こんなふうに聞いた。

 「まあ、三十年だから。あれから、きっかり、ね」

 トモダチになろう・・・・・・。
 
 気が付くと、怜はガラスのショーケースに手を置き、体を支えていた。ぐるぐると頭の中が回るようだった。思い出さなくてはならない何かが、すぐ側で三日月のような唇で、へらへら笑っているような気がしていた。

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