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みんなが忘れてしまっていることを、どうして自分だけが記憶しているのか。
大友優は、「そのこと」をいつも考えていた。
小学六年の夏、あんな出来事があった上に、その後、悪魔のようだったいじめグループーー本人たちは、自分らのしていることをいじめとは認めないだろうがーーが、約一名を覗いて嘘のように善人に変わってしまったのにも関わらず、学校の子供たちや教師だけではなく、上梨の全ての住人、それどころか全国放送されたはずなのに、日本中の人間の記憶から、あの事件の最も奇怪な部分が消し去られてしまったらしいこと。
(なのに、俺だけが克明に覚えている)
小学校を卒業した時、クラスメイトたちは一人一人に向けて全員でメッセージを書き込む色紙を贈りあった。
大友優の色紙には、ありきたりの「六年間ありがとう」等の短い言葉以外に、こんなことが書かれていた。
「中学では毎日お風呂に入ろうネ。隣の席に来た時、臭かったヨ」
乾いた目で、大友優はそれを眺めた。蛍光のオレンジペンの、丸い文字。書いたのはあいつーーあの事件後、唯一人格が変わらないままだった、田中香織ーーだった。田中香織は、今では山越香織という名前になっている。傲慢で派手好きな性格は、全く変わっていないらしい。
ともあれ、その酷い侮辱的な言葉を書かれた色紙を受け取った時、大友優の心は傷つきさえしなかった。今更、そんなことくらいで悲しむ心など残っていなかった。それどころか、ますます冷静になり、「ああ、やはりこいつだけは変わっていないのだ」と事態を確認していた。
卒業の色紙は、ずっと手元に置いておくようなものだ。その記念の色紙に、貶めるような言葉を書きつける。そんな人間は、その時点ではクラスに一人しか残っていなかった。
(他の奴らは、馬鹿みたいに良い人になっていたから)
三十年前の夏に、上梨小学校六年の子供が失踪した。最初は一人だった。一人が二人になり三人になった。もちろん警察の捜査はあったし、消防団や地元の人々らによる山や河川敷など、いかにも子供が迷い込みそうな場所の捜索も行われた。全国ニュースになり、上梨は神隠しの町、としてホラーミステリーめいた報道もされた。
あの時の一連の出来事を覚えている者が、自分以外にもいるのではないかと淡い期待を抱いた時期もある。けれど、いい加減もう、そんな期待は粉々に砕かれている。「嫌われ組」の仲間だった、ゼロやプロフェッサー、キッシーまでも、あの出来事を忘れ去っている。
あれほどの尊い出来事を、どうして忘れることができるのだろう。
忘れられている。覚えているのは自分だけ。
そのことが、大友優には納得できないのだった。どうしてだろうと悩み苦しんだ。やがて大友優は、あの一連の奇怪な出来事に秘密があるのではないかと思うようになった。
こんな具合に、上梨には人々の記憶に残らない大事件が、昔もあったのではないだろうか。それを自分のように覚えている人がいたかもしれない。もしそうならば、その人が記録を残してくれていないだろうか。
高校の時、大友優は上梨町の古い図書館に通い詰めた。そこには郷土資料館があった。上梨の歴史を調べるうちに、おかしな法則に気づくことになる。
古い時代のことだ。三十年に一度、上梨では儀式のような祭りが開かれていた。それは、江戸時代中期から昭和の初期頃まで見られていたらしい。
「わらしさまの記録」という自費出版の薄い本は、図書館の郷土資料館の巨大な本棚の一番隅のほうに、ひっそりと差し込まれていた。細く見づらい背表紙は色焼けしており、タイトル文字が表紙の色と同化しかかっていて、よほど辛抱強く見つめなくては解読できないほどになっていた。
その本によれば、上梨では三十年に一度、子供が神隠しに遭うという。それは「わらしさま」というものの仕業とされる。神隠しが起きると人々は「わらしさま」を祀るお祭りを開き、子供を返してもらえるようお願いした。そうすると、「わらしさま」は子供をすんなり返してくれる、しかも返ってきた子供は別人のように、素直で聞き分けの良い子になっているという。
それは何ら科学的根拠のないはなしだ。そもそも、三十年に一度、本当にそんな出来事が起きていたのかすら怪しい。その薄い本は正規の文献ではなかった。地元の趣味人が書いた、妄想交じりの論文だった。
しかし大友優は、その本を信じたかった。
嘘臭い薄い本、ただの個人出版であり、もちろんすでに絶版となっているだろう本。書籍というにはあまりにも頼りない内容で、文献どころか、同人誌と呼ぶ方が似合うような代物。
しかし、その内容は大友優の「腑に落ちた」。
三十年に一度の怪異。
さらわれて戻ってきた子供の変貌。
その他、その本には大友優の状況と符合することが書かれてあった。
大友優が小学六年だった頃にあった、あの事件からちょうど三十年がたつ。そしてまさに今、上梨小学校では失踪事件が起きている。
(みんな、どうか集まってくれ)
見て見ぬふりもできる。こんなことに関わらないほうが良い、変わらぬ日常を贈り続けたいならば。
だが、大友優は、「嫌われ組」の仲間に連絡を取った。
それは、偶然にも知ってしまったからだ。県外に行ってしまったはずの仲間たちが、今、上梨に全員揃っていることを。
否、それは全て、「あいつ」の操作かもしれない。大友優がこんなふうに行動を起こすよう、事態を動かしているのかもしれない。
あの、三日月のように笑う口元と、細く崩れた目元で、大友優を操っているのかもしれない。
(俺の中にいるんだろうから)
大友優は、スマホを睨み続ける。自分の中でにやにや笑う、「奴」の存在を、日がたつにつれ、濃く感じている。
そうだ。あいつは大友優を巣にしている。
(俺は償いをしなくてはならないだろう)
償い。「あいつ」を自分の中に巣食わせてしまった償いだ。
「あいつ」に、巣として最適だと思われてしまったことへの償いだ。
大友優のスマホのバイブが鳴った。深呼吸をしてスマホを握りなおす。メールが返ってきたのだ。
最初に返信をくれたのは、ゼローー高峰怜ーーだった。
おそらく、次々と仲間たちは反応をくれることだろう。
「嫌われ組」の四人が集まる日は近かった。
**
大友優は、「そのこと」をいつも考えていた。
小学六年の夏、あんな出来事があった上に、その後、悪魔のようだったいじめグループーー本人たちは、自分らのしていることをいじめとは認めないだろうがーーが、約一名を覗いて嘘のように善人に変わってしまったのにも関わらず、学校の子供たちや教師だけではなく、上梨の全ての住人、それどころか全国放送されたはずなのに、日本中の人間の記憶から、あの事件の最も奇怪な部分が消し去られてしまったらしいこと。
(なのに、俺だけが克明に覚えている)
小学校を卒業した時、クラスメイトたちは一人一人に向けて全員でメッセージを書き込む色紙を贈りあった。
大友優の色紙には、ありきたりの「六年間ありがとう」等の短い言葉以外に、こんなことが書かれていた。
「中学では毎日お風呂に入ろうネ。隣の席に来た時、臭かったヨ」
乾いた目で、大友優はそれを眺めた。蛍光のオレンジペンの、丸い文字。書いたのはあいつーーあの事件後、唯一人格が変わらないままだった、田中香織ーーだった。田中香織は、今では山越香織という名前になっている。傲慢で派手好きな性格は、全く変わっていないらしい。
ともあれ、その酷い侮辱的な言葉を書かれた色紙を受け取った時、大友優の心は傷つきさえしなかった。今更、そんなことくらいで悲しむ心など残っていなかった。それどころか、ますます冷静になり、「ああ、やはりこいつだけは変わっていないのだ」と事態を確認していた。
卒業の色紙は、ずっと手元に置いておくようなものだ。その記念の色紙に、貶めるような言葉を書きつける。そんな人間は、その時点ではクラスに一人しか残っていなかった。
(他の奴らは、馬鹿みたいに良い人になっていたから)
三十年前の夏に、上梨小学校六年の子供が失踪した。最初は一人だった。一人が二人になり三人になった。もちろん警察の捜査はあったし、消防団や地元の人々らによる山や河川敷など、いかにも子供が迷い込みそうな場所の捜索も行われた。全国ニュースになり、上梨は神隠しの町、としてホラーミステリーめいた報道もされた。
あの時の一連の出来事を覚えている者が、自分以外にもいるのではないかと淡い期待を抱いた時期もある。けれど、いい加減もう、そんな期待は粉々に砕かれている。「嫌われ組」の仲間だった、ゼロやプロフェッサー、キッシーまでも、あの出来事を忘れ去っている。
あれほどの尊い出来事を、どうして忘れることができるのだろう。
忘れられている。覚えているのは自分だけ。
そのことが、大友優には納得できないのだった。どうしてだろうと悩み苦しんだ。やがて大友優は、あの一連の奇怪な出来事に秘密があるのではないかと思うようになった。
こんな具合に、上梨には人々の記憶に残らない大事件が、昔もあったのではないだろうか。それを自分のように覚えている人がいたかもしれない。もしそうならば、その人が記録を残してくれていないだろうか。
高校の時、大友優は上梨町の古い図書館に通い詰めた。そこには郷土資料館があった。上梨の歴史を調べるうちに、おかしな法則に気づくことになる。
古い時代のことだ。三十年に一度、上梨では儀式のような祭りが開かれていた。それは、江戸時代中期から昭和の初期頃まで見られていたらしい。
「わらしさまの記録」という自費出版の薄い本は、図書館の郷土資料館の巨大な本棚の一番隅のほうに、ひっそりと差し込まれていた。細く見づらい背表紙は色焼けしており、タイトル文字が表紙の色と同化しかかっていて、よほど辛抱強く見つめなくては解読できないほどになっていた。
その本によれば、上梨では三十年に一度、子供が神隠しに遭うという。それは「わらしさま」というものの仕業とされる。神隠しが起きると人々は「わらしさま」を祀るお祭りを開き、子供を返してもらえるようお願いした。そうすると、「わらしさま」は子供をすんなり返してくれる、しかも返ってきた子供は別人のように、素直で聞き分けの良い子になっているという。
それは何ら科学的根拠のないはなしだ。そもそも、三十年に一度、本当にそんな出来事が起きていたのかすら怪しい。その薄い本は正規の文献ではなかった。地元の趣味人が書いた、妄想交じりの論文だった。
しかし大友優は、その本を信じたかった。
嘘臭い薄い本、ただの個人出版であり、もちろんすでに絶版となっているだろう本。書籍というにはあまりにも頼りない内容で、文献どころか、同人誌と呼ぶ方が似合うような代物。
しかし、その内容は大友優の「腑に落ちた」。
三十年に一度の怪異。
さらわれて戻ってきた子供の変貌。
その他、その本には大友優の状況と符合することが書かれてあった。
大友優が小学六年だった頃にあった、あの事件からちょうど三十年がたつ。そしてまさに今、上梨小学校では失踪事件が起きている。
(みんな、どうか集まってくれ)
見て見ぬふりもできる。こんなことに関わらないほうが良い、変わらぬ日常を贈り続けたいならば。
だが、大友優は、「嫌われ組」の仲間に連絡を取った。
それは、偶然にも知ってしまったからだ。県外に行ってしまったはずの仲間たちが、今、上梨に全員揃っていることを。
否、それは全て、「あいつ」の操作かもしれない。大友優がこんなふうに行動を起こすよう、事態を動かしているのかもしれない。
あの、三日月のように笑う口元と、細く崩れた目元で、大友優を操っているのかもしれない。
(俺の中にいるんだろうから)
大友優は、スマホを睨み続ける。自分の中でにやにや笑う、「奴」の存在を、日がたつにつれ、濃く感じている。
そうだ。あいつは大友優を巣にしている。
(俺は償いをしなくてはならないだろう)
償い。「あいつ」を自分の中に巣食わせてしまった償いだ。
「あいつ」に、巣として最適だと思われてしまったことへの償いだ。
大友優のスマホのバイブが鳴った。深呼吸をしてスマホを握りなおす。メールが返ってきたのだ。
最初に返信をくれたのは、ゼローー高峰怜ーーだった。
おそらく、次々と仲間たちは反応をくれることだろう。
「嫌われ組」の四人が集まる日は近かった。
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