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追手

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 他のコンビニは夜はそれなりに客入りがあって忙しいのだと思う。
 けれど、このコンビニは静かだ。店長の趣味で、80年代の音楽が流れている。

 ガラスの向こう側は真夜中で、深海魚みたいに車が通り過ぎてゆく。駐車しにくい立地のせいか、なかなか車は入ってこない。むしろこのコンビニは自転車や徒歩の層を狙っている。この近辺は御老人や子持ちの母親などが住んでいる。

 昼間、ゆるゆると活動する弱くて優しい人たちは、真夜中は安全な家の中で過ごしている。紅白をみたり、そばを食べたりしているかもしれない。小さい子は先に寝て、パパとママは炬燵で晩酌しながら終わる一年を惜しんでいる。

 「驚いたでしょー」
 クリスマスでも大晦日でも相変わらず無精ひげで、ひょうひょうとしている井上さんは、お店の品物をチェックし終わって、レジのところに戻って来た。お髭の下から、たばこのやにで汚れた歯が覗いている。
 「うち、大晦日でもこんなんなの。新年二日目くらいから賑わって来るかな、いつも」
 
 そうか、と、わたしは頷く。

 今わたしはレジの奥のところにあるお店のパソコンで、「新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」という、ポスターを作っているところだった。
 五、六枚作っといてよ、あっちこっちに貼るからさあ。井上さんは覗き込んで言った。もわっと煙草の臭いが漂う。

 「ワードアートで何かイラスト入れてもいいですかー」
 と、聞いたら、好きにして、と言われた。その直後、また思い直したように、や、ちょっと待って、と言われた。

 「どうせなら、無料画像の素材探して、意外性のあるへんてこシュールなやつにしてよ」
 
 なんですか、へんてこシュールって。
 わたしは聞き返した。

 「ほら、さ、干支使ってさ。なんかない。去年の干支が死んでてダイニングメッセージで『あとはよろしく』とか。それで、来年のやつが星一徹みたいな涙流して『お前の死は無駄にはしない』とか言ってるの」
 「あるかなーそんなの」
 
 まあ、楽しんでやってみて。昼間のバイトの子も、山崎さんのポップ楽しみにしてるみたいだからさー。
 最後になんだかドキドキするような言葉を残して、店長は奥に引っ込んだ。ごそごそなにかしている。
 
 80年代のセンチメンタルかつ元気な曲が流れている。
 お店の時計を見ると、新しい年までもう3分位だ。

 すっと横に封筒が差し出されたので見上げると、井上さんが嬉しそうに立っていた。ほら、金一封。来年もよろしくねー。
 わたしはおどろいて封筒を受け取った。その場で覗いたら、一万円が入っていた。嬉しかった。

 「山崎さんさ、週に二度だけど、もうちょっと来れたりしない」
 やんわり聞かれた。
 「来たいのはやまやまなんです。本当に、毎日でも来たいくらいです」
 と、答えると、ふんふんと頷かれた。細い目はわたしの表情をよく見ている。井上さんは観察上手だ。

 「事情あるんだよね。昼間の仕事辞めたんだろ、もし都合さえつけば、夜勤専属の社員になってもらえたら助かるなあと思ってる」
 常に笑っているような細い目の形の奥に、きらっと本気の光が見えた。店長はわたしを買ってくれている。胸が高鳴った。泣きたくなった。
 「山崎さんうちの店に合ってるから。他のバイトの子も俺も、誰も山崎さんにストレスを感じていない。ベストマッチだと思う」
 そういう人じゃなくちゃ、社員は無理だ。きっぱりと井上さんは言った。

 日付が変わった。
 新年だ。
 井上さんはレジを出て行って、あったかいコーヒーを持って来てくれた。

 これで商売が成り立つのかと思う程、暇だった。

 コーヒーを戴きながらポスターが小さなプリンタで印刷されてゆくのを眺めていると、イートインのカウンターで煙草を吸っていた井上さんが、あー、そうそう、と思い出したように言った。

 「こないださー、すごいセレブっぽい女の人が、アルバイトしたいでーすってやって来たんだけど、うちみたいな所にあんなお嬢様、一体どうして来ようと思ったんだかねー」
 
 一瞬、コーヒーが胃から逆流しかけた。
 ばくんと飛び上がった心臓が元に戻るのを待ってから、わたしは言った。
 「お嬢様みたいな女の人ですか。その人、ここにアルバイトに来るんですか」

 井上さんは、すぐに、いいや、と言った。
 速攻で断ったよ。何度も言っている通り、俺は店に合わない人はどんなに良い人でも雇わないと決めているから。

 ほうっとため息が出た。
 恐らく、まず間違いなく、そのお嬢様風の女性は、早川芽衣というひとだろう。そんな恐ろしいことがこの世にあるのか信じたくもなかったが、この間のスーパーの一件以来、芽衣さんの得体のしれなさに恐怖している。
 
 そうだ。不自然なのだ。このコンビニだけではない。あの校正アルバイトにしたって、あんなお嬢さんがわざわざ仕事に来る場所ではないと思う。そもそも、芽衣さんは仕事をあんまりしていなかったではないか。
 もしかしたら芽衣さんは、何か目的があってアルバイトに潜入していたのでは。

 芽衣さんの「目的」とは。
 そこから先は完全な妄想である。推理とすら呼べない。
 だけど、わたしは確信していた。芽衣さんは、ずっと前からわたしのことを知っていた。そして憎んでいた。すべてはあの怖い目が物語っていた。
 
 「知ってる子かな」
 と、井上さんがさりげなく聞いて来た。
 ああ、嘘は言えないな、と、わたしは思った。
 残りのコーヒーを大事に飲んでしまってから、わたしは正直に、多分、知っている人だと思いますと答えた。そうか、大変だね、と、井上さんは煙草を吐き出しながら言った。

 「ま、君はうちの大事な働き手だから」
 じゅっと煙草を押し付ける音が聞こえる。やがて井上さんはジャンパーを着て、外に出ていった。おー、雪だぞ、冷えるなあと言っている。
 井上さんはこれから僅かな時間、家で仮眠を取る。そしてまた帰ってくる。
 少しの時間、わたしは一人きりで、この夜の静かな店の中に残される。
 行ってらっしゃい、お疲れ様です。きこきこ自転車をこいで行く井上さんに、わたしはそう呟いた。

 印刷されたポスターとセロテープを持って、店のガラスや棚のところに貼りつけて回る作業を始める。あとはトイレ掃除をしようと思う。

 黙々と働きながら、わたしは色々なことを考える。
 
 世の中には、ものすごく視野が狭い人がいて、自分のその小さい世界が全てで、簡単に好き嫌いを分けてしまう。自分に取っての善と悪。だから、許せないとか憎いとかいう言葉も、息を吐くように出てしまうのかもしれない。
 ほとほとと、ガラスの外は雪が降っていた。大きな雪。積もるかもしれない。

**

 あの、スーパーで沙織のママと芽衣さんを見た日、わたしと優菜は推理合戦をしていた。
 二人でものを食べながら喋っていると、不気味で深刻そうなことでも、なんだかドラマチックで楽しく思えてきて心強かった。

 つまりわたしは、沙織の実の母親と言うのが芽衣さんなのではないかと疑っている。疑うというより、ほぼ確信している。
 なんとなく引っかかっていたのだが、芽衣さんの顔立ちは沙織と似ていた。表情があまりにも違うから気づきにくいが、かっきりとした目鼻の感じや髪質が、濃い血縁を感じさせた。

 なんらかの事情で、芽衣さんは沙織を他人に渡した。
 沙織は今のママの養女ということになっているはずだ。法律上、きちんと親子である。だから、今更芽衣さんが沙織の母親を名乗ることはできない。

 だけど、芽衣さんは沙織のママにお金を渡そうとしていた。あれは、沙織を育ててくれたことへの感謝なのか、あるいはもっと別の意味のなにかなのか。
 「ママさんは、そのお金を拒んでいたわけでしょ」
 蕎麦を食べながら優菜は言う。
 「じゃあ、芽衣っていう人が、一方的にかかわりを持とうとしているんじゃないの。もうとうの昔に縁が切れているはずなのに、今更」

 うーん。カマボコを食いちぎりながら、わたしは唸る。
 おおむね合っている気がする。
 全くそんな手掛かりはないのだけど、色々なことを総合したら、芽衣さんが沙織の実の母親であると考えるのが一番ぴったりしそうだ。

 「芽衣ってひと、まさかそのお金で沙織を返せとか言ってるんじゃ」
 鼻息荒く優菜が言い出したので、わたしは笑った。それはないだろう。いくらなんでも、日本の法律はお金では覆せまい。
 「御礼じゃないの。仕事をしてくれた人への金一封みたいな感じでさ」
 と、わたしは言ってから、自分が言ったことの厭らしさ、おぞましさにどきっとした。

 沙織を育ててくれてありがとう。あなたはよくやってくれてるわ。はい、これ、お礼。
 芽衣さんの甘ったるい声が聞こえてきそうだった。
 それはつまり、沙織はアンタのものじゃないのよ、わたしの子なのよ、分かってるでしょうね、という意味にもとれる。

 「まー、沙織は可愛くて良い子だからなー」
 対外的に見ても。
 
 捨てたはずの玩具。でも、他の人が持ってるのを見たら、また欲しくなった。
 そんなところかもしれない。ぞっとするけれど。

 「何にしろ、正月明けには沙織戻ってくるじゃん」
 優菜は言った。
 「その時、ママさんに正面から聞いてみようよ。それが一番手っ取り早い」
 
 わたしは頷いた。
 そうするしか、ない。

**

 ほとほと穏やかに雪は降る。
 この店だけ時間の流れに取り残されたように静かだった。店の前は車が何台も通り過ぎて行き、みんな早朝から初詣をしようと急いでいるようだった。
 
 急いでいる人たちには見えないのかもしれない。
 ここに、温かで穏やかなイートイン付きのコンビニがあることなんて。

 まあいい、このお店を見つけて入ってくる人は、きっと良い人だ。

 井上さんが注文したのに近い出来となった奇妙なポスターを店の中に貼ってしまってから、いよいよわたしはトイレ掃除に取り掛かる。
 ぴっかぴかにするのだ。朝一番のお客が、この店に来て得したな、と思えるくらいに気持ちよくする。

 80年代のポップミュージックが楽し気に流れる中、わたしは腕まくりをした。

 時刻は1時半をまわろうとしている。

 さあ、一年が始まる。
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