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本編

不機嫌

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「ハツメに何て言ったの?」

 6が僕の手から紙コップを奪って、それをゴミ箱に捨てた。

「卑猥なコトに決まってるじゃん。キャッチャーさん、えっちぃ」
「紫ちゃんじゃあるまいし」

 翔姉さんは僕をジッと凝視したが、すぐ雅さんに続いてハツメの後を追った。
 慌てて、紫ちゃんも続く。

 ちょっと心配になってきた。
 まさかアイツ、雅さんに八つ当たりするんじゃないだろうな? 
 それじゃ、何の解決にもならないのに。
 だだっ広いベンチの真ん中で、防具をつけたままの僕は6と2人きり。

「今のはタッちゃんの勝ちだね。しかも、この大観衆の前でハツメに恥をかかせなかった。偉いよ」
「まだだよ。多分、ここから更に荒れる」
「どうして?」
「藤堂さんのこと覚えてる?」

 6が目を丸くする。

「キミからその名前を聞くとはね。当然、覚えてるよ。ついこないだまで一緒のチームにいて、一緒にユカリンの料理を食べてたから。……で?」
「目の前のおばさん達を退けたら、次に出てくる」

 6が黙る。不吉な沈黙だ。
 やがて、静かに口を開く。

「ミヤビンはそのことを知ってるの?」
「知らないよ。……ハツメにも黙ってた方がいいかな?」

 6はDRキャップを人差し指でくるくる回し出した。
 そのまま待ってても一向に喋る様子がない。

「ハツメはかなり藤堂さんを恨んでるようだけど?」

 痺れを切らした僕は質問を変える。

「そりゃね。あの大広間で気づかなかったの?」

 まるで責められているみたいだ。愚問だったか。

「藤堂さんはこのハツメ城を陥落させる気でいる。こないだ、僕に宣戦布告してきたよ。『雅を奪う』ってね」

 眉をピクッと上げる6。会ってたんだ、という顔だ。

「どうやって落とすの?」
「僕にわかるワケないだろ。あの人自身、成功する見込みがないと言ってたくらいだし」
「ちょ! ソレどんな宣戦布告だよ?」
「単に言いたかっただけだと思う。不器用なクセにヘンにキザだから」
「わかるよ。タッちゃんと藤堂さんのやり取りが目に浮かぶ。2人ともまともじゃないから、傍から見れば爆笑物だろうね」

 藤堂さんはともかく、僕が6にどう思われているのか少し気になる。

「あの人の気持ちは本物だよ。首尾よく恋人奪還が成功するかはともかく」
「どうして今まで黙ってたの?」
「言ったらハツメは荒れるだろ? 藤堂さんもそれを狙ってるし」
「藤堂さんの顔を見たらどうせ荒れるよ。もういい。その件はタッちゃんに一任する。わたし、逃げるから」
「勝手だな」

 呆れた僕はヘルメットをかぶりミットをはめ、キャッチャーマスクを手に取るとおもむろに立ち上がった。

「何が?」
「僕には『逃げないで』って言っといてさ。諦めろ。なあ、一緒に修羅の道を歩こうぜ?」
「お断り。わたしは1人で歩けるの」

 真っ赤なDRキャップをかぶり、6が先にショートのポジションへスタスタ向かった。

 またフラれた。

     *

 休憩終了のアナウンスが場内に流れる。
 やがて、雅さん達が奥から順に戻って来る。
 ハツメはまだ出て来ない。
 3人とも元気がなかったが、雅さんが僕に「ハツメ様なら大丈夫ですよ」と無理に笑顔を作り、ファーストミット片手に一塁へ走った。
 翔姉さんも無言で守備につく。
 僕は紫ちゃんと一緒に小走りでグラウンドへ出た。

「もしかして、僕のせいでハツメに何かされたの?」

 紫ちゃんはニッコリ笑って言う。

「えへへ、ムチと蝋燭責めされちゃったぁ」
「実際は?」
「うぅ……放置プレイですぅ」

 途端に落ち込んでしまう。
 ハツメの機嫌を取ろうとしたけど、3人揃って無視されたんだな。
 今はまだしょうがない。
 この僕が情緒不安定のハツメをうまくリードすればいいんだ。

 遅れて数分後にハツメが出て来た。
 観衆の歓声と拍手にも応えずに、主審からボールをもらってゆっくりとマウンドへ向かう。
 口を固く結んだまま、僕を睨むこともない。
 だいぶ熱くなってるな。この試合が終われば、こっちから声をかけてやろう。


 圧巻の投球だった。


 ハツメの宣言通り、この試合は9球で終わらせた。
 さすがに、おばさま相手にクロスファイヤーは出せない。全球外角ギリギリに
構えて(それでも、おばさま達はド派手に仰け反っていたが)試合終了。
 順調と言えば順調だが、それでいて投球テンポは頗る悪かった。
 これはハツメが悪いワケじゃない。
 対戦相手のおばさま達はとにかくギャアギャアうるさかった。
 ハツメが1球投げるたびに絶叫したり、バラエティー番組の笑い屋みたいに「アーハハハハ」とハイになって田崎さんの肩をバシバシ叩いたり、いちいち打席を外してネクストバッターズサークルに待機する同僚にあーだこーだ報告したりした。
 完全に遅延行為で通常ルールならば退場になってもおかしくないのだけれど、哀しいかな、これは野球じゃない。あくまでドリーム・チャレンジであり、対戦相手は無料参加とはいえお客様なのだ。
 おかげでハツメのイライラは最高潮に達して、ゲームセットの瞬間マウンドにグラブを叩きつけダッグアウトの奥へと姿を消した。

 またも、雅さん達は慌ててハツメの機嫌を取りに後を追う。
 幸いなことに、僕の方は1球も落球せず、怒りの炎に油を注がず済んだ。
 上達したんだから褒めてくれてもいいのに。
 観客だって、ハツメの御乱心にザワついてそれどころじゃないし。

 それじゃ、これから僕も機嫌を取りに行くか。

 安心しろ、ワガママお姫様。
 この名キャッチャーがオマエの全てを受け止めてやる。

 ダッグアウトへ下がろうとしたその時だった。

「小泉君」

 審判マスクを外した田崎さんが僕を呼び止めた。
 普通のおじさんだ。腹を空かせたカマキリに似ている。
 ちなみに、彼の声は集音マイクを通じて球場に伝わっているのだが、この時ばかりは胸元のボタンのスイッチを切っていた。

「田崎だ。勝手にキミの入団会見を開かせてもらったよ」
「あ、はい。はじめまして」

 まさか、こんなタイミングで挨拶するとは思わなかった。

「ようやく慣れてきたようだな。球場の雰囲気、それにハツメの球筋にも。……小泉君」
「はい?」
「今のハツメは制御不能だ」

 制御……不能? 

「それは機械的な問題ですか?」
「いや、精神上の問題だよ。私はタダのお飾り社長で、山根のように機械のことまではわからない」

 お飾りでもハツメを狂わす千手の人間には違いない。言葉に窮する。
 黙ったままの僕に、田崎さんは更に続けた。

「私はね、ハツメの小気味良いピッチングが大好きなんだ。だから、球団社長でありながら特等席の審判をやらさせてもらっている。タダの職権乱用だがね」

 何だ、それって僕と一緒じゃないか。
 喜びを分かち合いたかったが、今はそれどころじゃない。

「インターバルの10分が過ぎても即失格にはならない」

 田崎さんの顔は急に厳しさを増す。

「だが、このままハツメが出て来ないとなれば話は別だ。次の試合はドリーム・レッズの不戦敗、その時点で私の楽しみもなくなってしまう。由々しき事態だよ。……これは千手の人間として言うんじゃない。一ファンの願いだ。何が何でもハツメを連れ戻してくれ」
「……わかりました」
「コレ」

 気づかなかった。
 すぐ後ろに6がいた。

「隣はね、わたしじゃないんだよ」
「え?」
「タッちゃんがこれから歩く修羅の道」
「……」

 僕は6からハツメのグラブを受け取ると、全速力でハツメの元へと向かった。

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