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本編

結婚

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「ハツメと最初に会ったのは、わたしが14歳の頃だった」

 沈みゆく太陽を見ながら、僕達は橋の真ん中に立っている。

「あのコはわたしより一つ下なんだ。パッと見、ハツメの方が年上に見えるけどね。セクシーだし、身長もあるから」
「僕は6の方がタイプだよ。性格は勿論、見た目的にも」

 6は照れることなく、ニッと笑いながら「ありがと」とやんわり流した。
 どうやらお世辞と解釈されたらしい。本気なのに……けっこう傷つく。
 やっぱり翔姉さんとレズの関係なのか。

「あの頃のハツメはね、本当に普通のコだったんだ。天使みたいに可愛くて優しくて……今みたいに赤ずくめじゃなかったんだよ。機械の腕もつけてなかったし」

 天使みたい? 可愛くて優しい?

「当時、わたしはヘンタイ親父のアパートを飛び出して地下街で横になってたの。おなかが空いて動けなかったんだ。そこにさ、ハツメがしゃがみ込んで見知らぬわたしにいきなり言ったんだよ。『コレ、少ないですけど使ってください』って、財布ごとくれたんだ」

 当時、ハツメは13か。
 僕が千手ドームで会った時は11歳……可愛さはともかく、優しくなんかなかったけどな。 

「断ろうとしたんだけど、彼女は名前も名乗らず慌てて走っていった。……中身に驚いたよ。ホントに少額だったから」

 今日のランチ1人前くらいだったかな、と6はつけ加える。

「だけど、それはハツメの全財産だったんだ。後から聞いたんだけど、彼女は定期券しか持っていなかった。制服着てたから学校の帰りかなと思ったけど、それにしちゃ遅すぎる。終電の時間だったんだよ。妙だなと思ってたら、次の日、また同じ時間に彼女が現れたの。『おなか空いてませんか?』って、ちっちゃなメロンパンをくれたんだ。その時にお互いの名前を教え合ったんだよ。わたしがサトオ、あのコがハツメ……ハツメはわたしの素性を何も訊かなかった。嬉しかったよ。詮索は時として残酷になる。ハツメは賢いからそれに気づいていたんだ」

 6は早くもビチャビチャになったトランクスを持ちながら、ポシェットからボロボロで安っぽい財布を取り出した。イタリアンレストランで清算時に見た物だ。

「コレ、一生の宝物なんだ」
「だろうね」
「このエピソード知ってるの、わたしとタッちゃんだけだよ。……内緒だからね。わたしとタッちゃんとハツメだけの秘密」

 僕は頷いて続きを待つ。

「知ってるだろうけど、あのコは当時タレントの卵だったの。学校が終わると、すぐに電車に乗って養成所に通い、そこで夜遅くまでレッスンを受けてたんだよ。その帰りに、たまたまわたしを見かけたんだね。『いつかアタシは売れっ子になっていっぱいお金を稼ぐから、その時はサトオさんと一緒に暮らしたいな』って言ってくれたんだ。……嬉しかったな。キミの涙と同じくらい」

 実際、今の6はハツメと一緒に暮らしている。
 だけど、14歳と13歳の少女がその時に思い描いていた未来と今とでは大きくかけ離れているに違いない。

「ハツメが天使から悪魔に変わった理由は?」

 当時を思い出し恍惚としていた6の表情が一変する。

「千手だよ」

 6は財布を見つめながら「ヤツらがハツメを狂わせた」と呟いた。
 山根だな。
 いや、山根は社畜に過ぎない。やはり、諸悪の根源は千手本体……。

「機械の左腕、それに脳と目の手術……芸能界から彼女達が干されて間もなくだね。ハツメは変わっちゃった。それでも、わたしはハツメの唯一の友達だよ。少なくとも、わたしはそう思っているし、ハツメはわたしを拾ってくれた。ちなみに、わたしの身分はハツメの御学友」
「それって何するんだ?」
「特に何も。勉強なんてしないし。一日中、パソコンの前に座ったり、文無しの年下君にイタ飯を奢ったり、その年下君のパンツで涙を拭かされたり……そんなトコだよ」

 悪くない身分だ。他の3人に比べたら6はかなり恵まれている。

「ショッピングにもよく行くよ。ユカリンに頼まれた食材を買いにスーパーをハシゴしたり、翔の洋服を見に行ったりね」
「洋服?」
「そう、翔の服装はわたしが選んでるんだ。あのコは人一倍恥ずかしがり屋だから、ハツメが遠出しない限り殆ど自室から出て来ない。ウォンバットみたいで可愛いよ」

「なるほどね」と、ひとまず相槌を打ってみる。
 2人の関係が気になるけど、ここは我慢のスルー。

「何度も繰り返すけど、ハツメがああなってしまった過程をわたしは知らない。だから、これ以上は教えてあげられないんだ。ごめんね」
「いや、十分だよ。ありがとう」

 お礼はいらない、という風に6は首を振った。

「ところでさ」

 6の表情が少し強張った。

「このパンツ、わたしにくれない?」
「……はい?」

 僕は怪訝な表情で6を見た。

「別にいいけどさ。そんなビチャビチャなの、どうするんだ?」
「わたしは

「…………」

 えーっと……。

 僕の耳がおかしいのかな?
 それとも、6の頭がおかしいのか?

「ごめん、もう一回言ってくれ」
「わたしはね、このパンツと結婚するの」

 うん、大丈夫。耳は正常だ。
 その分、6がヤバイ。

「パンツの主として発言が許されるならば、そういう告白は本体に言ってもらえると大変ありがたい」
「タッちゃんは好きだよ。でも、わたしはこのパンツがもっと好き。洗ってから毎日クンクン嗅ぐね」
「ヘンタイ」
「ヘンタイだよ。わたし、ヘンタイなコト、今までさんざんやらされてきたもの」
「……」

 6の表情が曇る。

「もうね、ダメなの。受けつけない。男も女もいっぱい肌を合わせてきたから。人間が……もうダメ。気持ち悪い。性の対象としてだけど」

 何も言えない。また泣いてしまいそうだ。
 男も女も?
 つまり、翔姉さんとはそういう関係じゃないんだ。

「だけどね、タッちゃんは大好きなんだ。……ホントだよ。だからこそ、タッちゃんのパンツをクンクンしたいんだ。誤解しないでよ。誰のパンツでもいいってワケじゃないんだからね。タッちゃんのパンツがあれば……もう……全部……全部諦められる……」

 肩を震わせ、また彼女は泣き出した。
 もはやビチャビチャパンツはハンカチの代替品にはならない。
 ここはハグすべき場面だろうか?
 でも、6は生理的に人間の温もりを拒絶している。

 結局、僕は6が泣きやむまで何もできなかった。
 まだ17歳だから?
 6だって、まだ18歳じゃないか。

 さてと。

 今晩からどこに行こうかな。
 施設が用済みの僕を受け入れるとは思えないし。

「ねえ、タッちゃん」
「ん?」

 まだ薄い月を見上げながら6が呼んだ。

「ハツメを助けてあげて」
「……助ける? 僕が?」

 意味がわからない。

「そんなのできるワケないよ。役立たずの僕を追い出したのはハツメ自身なんだぜ? 第一、IDカードも返したから中に入れないし」
「何言ってんの? わたしので入れるじゃない」
「入ったところで通報されて終わりだよ。そしたら僕は住居侵入罪で逮捕される」

 ああ、それもアリか。一晩、タダで泊まれるもんな。

「通報なんてさせない。わたしはハツメの四年来の友達だよ? あのコの考えはわたしが一番わかるの。あのコは今、とても困ってる」

 僕の右手を6がギュッと握った。

「ハツメはね、タッちゃんを必要としてるんだよ。だけど、あんな性格だから頭を下げてお願いなんてできないの。だから、わたしが代わりに頼んでる。今日、わたしが最も言いたかったこと……」

 6の必死な懇願が、僕のネガティブな心を動かそうとしている。

「お願い。ハツメから離れないで。このままじゃあのコ、千手に潰されちゃう」

 ドリーム・チャレンジの興行再開まであと二日。
 このままじゃ、ドリーム・レッズは不戦敗になる。

 敵はハツメじゃない。

 千手だ。

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