龍馬暗殺の夜

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番外編

スキュロス異聞 ~トロイア戦争×土佐藩士~

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 イタケー王オデュッセウスは憂鬱な面持ちで、スキュロス島に向かう船の舳先へさきに立っている。
 元々、トロイア戦争には参加したくなかった。
 女を奪還するための戦争なんて馬鹿げてると思っていたし、それに彼には恐ろしい予言が言い渡されていた。


 【トロイアに出向けば、20年は妻の元に戻れない!】


 だからこそオデュッセウスは狂人のフリをして徴兵忌避を試みたのだが、ギリシア連合軍総大将アガメムノンにアッサリ演技がばれてしまった。
 渋々、いくさに加わることになるのだが、その前に彼はアガメムノンに大きな仕事を依頼されていた。

 英雄アキレスを我が軍に加えよ!

 アキレスは無敵である。
 彼の母親は海神テティスで、息子を冥府ステュクス川に浸らせて不死身にしたのだ。
 その不死身のアキレスが連合軍に加勢すれば、トロイアに負けることは決してない。
 ところが、アキレスもオデュッセウス同様トロイア征伐には腰が重かった。
 と言うのも、彼もまた恐ろしい予言を宣告されていたのだ。


 【トロイア戦争に加担すれば命を落とす!】


 そこで、アキレスを溺愛する母テティスはこともあろうにギリシアの英雄に女装させて、これまた徴兵忌避を図ったのであった。
 智将オデュッセウスはその女装したアキレスをどう見つけ出せばよいか、波に揺られながら頭を巡らせている。

「さて、どうしたものか……」



           ***



 宮廷を訪れた商人(に変装したオデュッセウス)が貢ぎ物を届けに来たと知って、スキュロスの女官達は声を弾ませ舞い上がっていた。

「パンガイオン金山から取り寄せた延べ棒、地中海で採れた珊瑚の腕輪、エジプト製の首飾り……まだまだございます」
 
 オデュッセウスは考えた。
 この女達の中にアキレスが紛れ込んでいたら、貢ぎ物の中に忍ばせた短剣に反応する筈だ。
 何しろアキレスは男の中の男、長い間、こんな所に身を潜めて今頃は戦いに飢え……

「おい、そこの右から二番目の女。……いや、もはや女と呼ぶのも不愉快だ。貴殿はアキレスだな?」
「え?」

 振り返ったその大柄な人物は、愛嬌タップリの笑顔でオデュッセウスを迎える。

「いやあ、ばれてしもうたがよ。おまんが推察する通り、ワシはプティア出身のアキレス言うがじゃ。今はこうしてスキュロス王に匿ってもうちょる」

 ひどい訛りだなと思ったが、それよりも逞しすぎる胸筋と上腕二頭筋にオデュッセウスは圧倒されてしまった。
 アキレスは槍の名手……海神テティスはよくこんな大男に女装させようと考えたものだ。一体、誰が騙されるというのか。

「せめてその無精髭くらいは剃ったらどうだ? 船中、頭を悩ませて作戦を考えた私が馬鹿みたいではないか。……おい、女共。この宝の山は全て模造品だ。悪いが、とっとと席を外してくれ」

 自分達をぬか喜びさせた商人に悪態をつきながら、女官達はぞろぞろ退室していった。

 広間に残る男と大男。

「申し遅れた。私はイタケー王オデュッセウスと申す者。貴殿をギリシア連合軍に加えたく、こうして迎えに参った」
「ほう、イタケーさんかえ?」
「いや、オデュッセウスだ。総大将アガメムノンは貴殿の力を必要としている。どうかお力添えを願いたい」
「ワシはやらん」

 アキレスは鼻をほじりながらその場に寝そべってしまった。
 何と無礼な態度だ。オデュッセウスは息巻く寸前で何とか堪えた。

「ギリシア連合軍総大将アガメムノンの使者に向かって失礼ではないか。真面目に話したまえ」

 アキレスは指先に付着した鼻糞の観察に飽きると、それをピンッとオデュッセウスに向けて飛ばす。

「な、何をする?」
「なあ、イタケーさんよ」
「オデュッセウスだ。いい加減覚えろ」
「ワシはおまんの予言を知っちゅうがぞ。おまんもワシの予言を知っちゅうやないがか?」
「ああ、有名だからな。だが、おかしい。ステュクス川に浸かったキミは不死身ではないのか?」
「不死身じゃないぜよ」
「しかし、噂だとステュクス川……」
「まあ聞きや。当時まだ赤ん坊じゃったきに、母上は溺れんようワシの足首を掴んで、逆さ吊り状態で川に浸からせたがじゃ」

 何と乱暴な母親だと思ったものの、オデュッセウスは口を挟まない。

「川水に触れた個所は不死身じゃが、母上の掴んだ足首だけは異様に脆くなってしもうた。予言じゃと、ワシはかかとを刺されて死ぬことになっちゅう」
「確かに……死ぬとわかってていくさに挑むのはイヤなものだな」
「まだある。ワシは阿呆じゃきに何を言われても構わん。けんどのう、死んでしもた後でも笑い物になるのはさすがに恥じゃ」

「笑い物?」

 寝そべっているアキレスは自分の踵を指した。

「イタケーさん、ここの腱は何と呼ぶがじゃ?」

 訂正がめんどくさくなったオデュッセウスはそのまま流す。

「そこは踵の腱だ。それ以上の呼び名はない」
「後世、ここは"アキレス腱"ちゅう実に不名誉な名がつくがじゃ。ワシは英雄となって世に名を残そうとは思わんが、侮辱されたまま名を残そうとはもっと思っちょらん」
「なるほど。それが参戦を拒む一番の理由か」

 オデュッセウスは納得したものの、さりとて「はいそうですか」と手ぶらのままアガメムノンの元へ戻るわけにもいかない。

 そのまま考えあぐねていると、

「イタケーさん、海は好きかえ?」

 などと、いきなりアキレスは話題を変えてきた。

「好きでも嫌いでもない。だが、イタケーは島国だ。海なんぞ飽きるほど見ている」
「ワシは好きじゃ」
「母君が海神だからだろう」

「それもある。けんど、ワシは海も好きじゃが船はもっと好きじゃ。大きい船がいいのう。真っ黒な船……黒船じゃ。いつの日か、エーゲ海や地中海のもっともっと向こうの大海原を旅してみたいぜよ」

「アキレス君。悪いが、私はキミの夢を聞きにはるばるスキュロスまで来たわけじゃない。今は戦争の話をしているんだ」

 すると、アキレスはガバッと起き上がり、少年のように目をキラキラさせてオデュッセウスを見る。

「なあ、イタケーさん。ワシと一緒に船に乗らんかえ?」

「乗ってもいい。だが、それはギリシアを勝利に導くいくさのためだ」
「小さいのう」
「な、何だと? 私を愚弄する気か?」
「違うちゃ。やれギリシアだやれトロイアだと拘っちゅう人間に対して、うつわが小さいと言いたいがじゃ」
「その中に私が含まれているではないか!」
「そう怒るな。ワシはのう、脱希だっきを考えちゅうがじゃ」
「……何だそれは? 聞いたことがない」
「今、ワシが思いついた造語ぜよ」
「アキレス君! キミは私をからかっているのか?」
「まあ、ちくと落ち着き。ワシはギリシアを捨てようと思うちょる。戦争よりも商売をするがじゃ」
「商売だと?」
「ほうじゃ! おまんのように商人になって世界中で大儲けがしたい。ゆくゆくは"かんぱにぃ"を興すがじゃ」
「私は本物の商人ではない!」

 怒りと呆れで二の句が継げない。
 アキレスほどの英雄が商売に憧れるとは……。

 いかん! このまま彼のペースに乗せられては自分までおかしくなってしまいそうだ。

 オデュッセウスはアキレスの両肩を掴んで激しく揺すった。

「アキレス君、現実を見ろ。今こうしている間にも多くの民が命を失っている。我々は無駄な時間を過ごしている暇などないのだ。さあ、戦うか戦わないのかどっちだ? 答えたまえ!」
「人の世に道は一つちゅうことはないがじゃ。道は百も千も万もある」
「卑怯だぞ! そいつは逃げてるだけだ!」

 アキレスはニコニコ笑ってこう答えた。

「狂人のフリしたおまんが言うな」
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