へその緒JCT

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臍帯篇

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 それから暫くして、気まずそうな顔をした檜希が基地ゴンドラへと戻ってきた。
 両側の口端に赤味噌がついているのは気づいてないらしい。指摘すれば間違いなく理不尽に逆ギレされるだろうから、僕もゲルも黙っておく。

「……で、ゆっくりBLなお話はできたの?」

 恨めしそうな目で檜希が僕達に問う。

「ああ、できたよ。なあ、フミ?」
「そうだな」
「ちょっ!? BLは否定しなさいよぉっ!!!」

 檜希はいろんな意味で顔が真っ赤だ。

「何か誤解してるようだけど、Baconベーコン LettuceレタスバーガーのBLだから」
「な、何ソレっ! フミってば根性悪いっ! そんなにあたしのこと揶揄からかって楽しいの?」
「気にし過ぎだ。心配はいらない。俺は早急にここを去る」
「え……」

 ゲルのその唐突な発言には、檜希だけでなく僕も驚いた。

「ど、どうしてそーなるのよっ? あたしが意地悪したから?」
「意地悪したのは俺の方だ。……悪かったな。貴重な最後の晩餐まで分けてもらったのに、あんたに不快な思いをさせて」
「そ、そんなの全然気にしてないしっ!」

 嘘丸出しだな、僕はそう指摘する。勿論、心の中で。

「てか、ここでゲルが出てったら、まるであたしが追い出したみたいじゃん!」
「違う。元々、長居する積もりはなかった。固着前に、ちょっと寄り道して少しばかり二人に慰めてもらいたかっただけだよ」

 檜希の顔が一瞬にして青ざめる。

「ウソっ!? もう固着しちゃうのっ? そ、そんなの早過ぎるって! 少なくとも今までは固着の開始は成人してからだって宇田川貞子おばあちゃんは言ってたわ」
「そりゃ多少の個人差はあんだろ。現に俺の体内は"何か"が始まっているって実感できる。……察してくれよ。俺はそんな痴態を二人の前で晒したくない」
「固着のどこが痴態なのよっ! ホヤ人間ならそれは絶対に避けられない、わば生理現象じゃん! フミ! さっきから黙ってないで何か喋ったらどうなのさっ?」

 故意に黙っていたわけじゃない。
 喋るタイミングを二人がこっちに与えなかっただけだ。
 それでも、僕は素直に頷いて口を開く。

「ナミウズムシって知ってる?」
「はぁ? フミってば、この期に及んでまた変なウンチク傾けて利口ぶる気? この生物オタクめ!」
「プラナリアのことか?」

 ゲルの補足に檜希は「あっ」と短い声を漏らす。それなら知ってる、という風に。

「プラナリアはウズムシ目に属する動物の総称で驚異的な再生能力を有する。雌雄同体で卵を産み繁殖もする。ナミウズムシは日本中の川の上流に棲息していて、彼らには基本、寿命という概念がない」
「え、じゃあ不死身なの?」
「いや。捕食されたり切断以外の損傷には弱い。また、自分の消化液で死んでしまうほど脆いから不死身とは程遠い。けれど、老化という観点での死は訪れない。……僕達ホヤ人間はそのナミウズムシに極めて近いんじゃないかな」

 僕の言葉を受けて、檜希とゲルは一斉に絶命したもう一人の元ホヤ人間に目を向けた。

「……じゃ、アイツもそのうち蘇生するの?」
「いや、さすがに心臓が止まってしまえばそれはない。でも、僕達は細胞の老化がある程度進行したら"固着"という過程を経て新たな肉体を手に入れる体質にあるようだ。檜希が命名したここ"へその緒ジャンクション"が僕達をこのまま生かすと仮定して、ゲルがこの先に固着したとしても、僕や檜希もそれに続いて再会を繰り返すことになるだろう」
「じゃ、"固着"="お別れ"にはならないってこと?」
「物理的にはそうだろう。ただ残念ながら、記憶は一旦リセットされるんじゃないかな。現に僕は以前の体……高木次彦の記憶を持たないから。檜希やゲルもそうだろ?」

 それを受けて、一転しょげ返る檜希。

 胴体を切断されたナミウズムシは二匹に分裂するが、胴体から生えてできる新たな頭は記憶を引き継ぐ。
 つまり、その点に於いてホヤ人間はナミウズムシにも劣る。
 勿論、そんなネガティブ要素は二人に告げたりしない。

「ふと、思ったんだけどさ」

 ゲルの声に張りがない。

「俺達って、ものすごく早いサイクルで輪廻してるんだよな。けど、それって少しも"時代"を生きてないんだよ。人生を全うできないままに、その場を後にしなきゃならないんだ」
「記憶丸ごと新陳代謝」
「それな。再会でありつつ初対面――『はじめまして』なんだ。だとしたら、俺達は思い出なんざ何も残せやしない。虚しい話だが、そればかりはどうしようもない。今のこの出会いが素晴らしければ素晴らしいほど、そいつは悲劇でしかないんだよ。だから、俺はこれ以上何も残さないままにここを出る」

 そう言って、ゲルは立ち上がった。
 今すぐにでもここを離れる勢いだ。

「そ、そんな……。あたし達、出会えたばっかで思い出も作らないでお別れだなんて……フミ! もしかして、フミも同じ考えなのっ? あたし達、何にも思い出作っちゃいけないの? そんなの……そんなのやだよっ!」

 檜希の瞳がどっと涙にあふれている。
 でも、これはホヤ人間の宿命だ。
 ある意味、意に介せぬ形で生きることにピリオドを打ったつり目の男は、ここでの真の勝者かもしれない。
 僕達は何かによって命を奪われない限り、再生固着の循環から抜け出すことはない。

「思い出……か。なら、いっそ強引に作るか。どうせ忘れちまうだろうけどよ。人間赤味噌カツサンド……違った。ホヤ人間赤味噌カツサンドだ」

 ゲルが僕に目配せする。
 どういうわけか、すぐに彼のやろうとしていることが瞬時に伝わった。
 本気か?

 やるしか……ないのかな。
 
「フミ、そっち回れ。ヒノを挟み撃ちだ」
「えっ!? ゲルってば、あたしのことやっと……って、え! ええぇ――っ!?」

 僕とゲル、その間に檜希がいる。
 と、同時にまごつく彼女の口元にキス……。



 ホヤ人間赤味噌カツサンド
 


 三人とも無言。

 ゲーテの『ファウスト』ではないけれど、この瞬間に時が止まってほしいと、叶う筈もないことを願ってみた。
 羽目を外す若者の青春、僕の人生がこんなに楽しいなんて……夢みたいだ。ただただ周章している檜希には申し訳ないけれど。


 I Want It All


 その歌詞にあるように、僕は全部欲しいなんて大それたことは要求しない。

 どうしてこんな他愛もない1シーンをこれまで一度も体験してこなかったんだろう。
 それを拒んできた張本人には悔やむ資格もないが。
 たった一度の夢を観れただけでも幸運だと思うしかない。

 
 夢は覚めるもの。
 そして、現実は先へと進むもの。


 その自然率に則り、流浪人ゲルは静かに基地ゴンドラを後にした。
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