へその緒JCT

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臍帯篇

線香

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 そうかもしれない……いや、間違いなくそうだ。
 僕は確かに檜希を売った。「やればいい」だなんて、そんな権限はこの僕に微塵も与えられていない。

「どうした? 何か喋れよ」

 背の低い男は挑発的な笑みを僕に投げかけた。 

「"蝉の小便以下"に反論できない。だから黙っている」
「笑わせるな。さっきまでの雄弁は何処に行った? 反論できないなら、できないなりに撤回するなり謝罪したらどうだ?」
「勿論するよ。けれど、その相手は檜希であって部外者のキミではない。それとも、キミは何らかの理由があってそれを求めているのかな?」
「……意味がわからない」
「ハンドタオル、そうとだけ言っておくよ」

 意味深な沈黙が僕達の間に生まれる。

 やがて……

「わかんないな。もしかして、この俺がその子の優しさに一瞬で恋に落ちたとでも?」
「十分にわかっているとお見受けした。もし、僕がキミの方にランチクロスを渡していたら……結果はまた違ったかもしれない」
「俺はナイフなんぞ携帯してない。従って、キミに切りつけることも不可能だ」
「この状況下でよくもそんなことが言えたもんだ。ナイフを携帯していないキミは、実際に人を殺めている」

 つり目の鮮血をタップリ吸い込んだそのナイフは、僕と背の低い男のほぼ中間点を寡黙に転がっている。
 
「違うな。俺は一頭のケダモノをほふったまで。従って、殺人には当たらない」
「詭弁には詭弁で返そう。檜希の言葉を引用すれば、この僕を含めキミもまた立派なケダモノだよ。ところで、失神中の檜希をこのまま放置しておいていいものだろうか?」
「現時点での介抱者はキミだろ? 間違っても、この俺じゃない」
「"蝉の小便以下"にその大役を譲るのか?」
「俺にはそれができない理由が三つある。まず第一に俺は彼女を失神させた当事者であること、もう一つ、俺はご覧の通り血塗れだ。その子を汚したくない。最後に、その子が求めているのは"蝉の小便以下"であるキミだからな」

 僕は檜希に求められている……。

 確かにそうなんだろうけど、僕の言動はその想いに応えられているとは到底思えない。
 しかしながら、ここで引くわけにもいかないので彼女に近づこうとした矢先だった。

 いきなり檜希はパッチリ目を開け、この僕を凝視し出した。

「フミってば、来るの遅いって。それに二人ともうるさいよ。おちおち気絶もできやしない」

 いつもの檜希だ。
 ムックリ起き上がって、不満げな表情で僕に近寄って来る。
 ホッとすると同時に、後ろめたさを感じずにはいられない。
 背後から刺すような視線も感じる。

 前門の虎、後門の狼……困ったな。虎と狼が揃って僕を責めている。

「しかも、うるさいだけじゃなくて、人が死んでるってのに、何で二人してそんな冷静にキミキミ言い合ってんのさ? キャラかぶってなくない? それに、あたしだけ動揺してるのがバカみたいじゃん。おかげで、こっちも冷静になれたわ」

 "殺された"ではなく"死んでる"……この気遣いはさすがだ。
 そんな気遣いのできる檜希がここまで冷静になれた理由。
 既に僕達は非常識なエリアへと踏み込んでしまっている。法や道徳の及ばない空間では、過去の価値観など無意味なのだ。

「ところで、そこの人、あなたのこと何て呼んだらいいかな?」

 背の低い男は少し思案してから、檜希に「ゲル」と言った。

「ゲル?」
「ソシャゲでずっと使ってるHNハンネだ。別にここで本名を名乗る必要もないよな?」
「勿論だよ。よろしくね、ゲル!」

 檜希はニッコリ笑って、ゲルに握手を求めた。
 あれ? 確かもう笑わないって言ってたような……。

 ゲルは躊躇して、その手を握らなかった。

「ほら、女に恥かかせないで」
「……いいのかよ? 血で汚れるぞ?」
「平気だよ。だって、毎月のようにでナプキン汚してるんだから」
「…………」

 思わず、僕とゲルの目が合った。
 檜希コイツはナイフなんか持たなくても、僕達よりずっとずっと逞しい。
 
 固まるゲルの右手を強引に掴んで握手を成立させると、今度はゆっくり振り向いて標的を僕に定めた。

「……で、フミ。あたしに謝るコトがあるんだって?」
「ある」
「じゃ、どうぞ」
「キミはキミ自身のものだ」
「え…………う、うん?」

 以上。
 言うべきことは言った。
 ところが、檜希もゲルも続きを待っている様子で僕を見つめている。

「まだ何か?」
「はぁ? 『何か?』じゃないでしょっ! 今のどこらへんが謝ってんのよ? 当たり前のこと言っただけじゃん!」
「キミが発言の真意を汲み取ってくれれば、そこには明確な謝意が含まれている」

 檜希の体が怒り(?)でプルプル震えている。……多分、怒りなんだろう。

「逆に超腹立つんですけど?」
「ちょ! あんた痛いって! 手ェ離してくんないか?」
「あ、ごめん! ねぇ、ゲル。今のフミの発言って客観的に見てどう思う?」
「少なくとも、謝ってはないよな」
「そうかな? 撤回の方を前面に出し過ぎたか」
「……いや、撤回すら怪しいと思うが」
「そーよそーよっ! どうして、あたしがダメ出し食らわなきゃなんないのよっ!」
「誤解だ。ダメ出しなんてしてない。これって単純に解釈の問題だろうね」
「キィ――ッ!!! フミってば、喋れば喋るほどあたしを愚弄してることに気づいてすらいないんだからっ!」
「……オイ、ここはわかりやすく『ごめんなさい』って言っとけよ」

 何だ、そんなことでいいのか。
 寧ろそれって、わざとらしいとも思うけれど。ゲルの助け舟に感謝だ。

「ごめんなさい」

 ゲルの忠告に従って僕は素直に謝った。誠心誠意、頭まで下げた。

 けれども、檜希の機嫌はやはり直らなかった。理不尽だ。
 そのまま踵を返して、豹柄のゴンドラへと籠ってしまう。


 その場に残された僕とゲル。
 そして、名前も知らない一体の亡骸。

「……オマエら、凄いな。コイツの死が一瞬で吹っ飛んじまった」

 それは違う。
 凄いのは檜希だ。彼女の機転で、この重苦しい雰囲気を取り払ったんだ。
 尤も、本気で僕に腹を立てているのだろうけれど。

 ナイフを拾い、僕はそれをの胸に突き刺した。弔いなど微塵もない線香だ。


 Friends Will Be Friends


 ゲルが友達?

 まさかな……。

 けれど少なくとも、僕達にはナイフなど必要ない。
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