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臍帯篇

高木次彦

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「……偶然なのか?」

 檜希は瞳を閉じて静かに首を振った。

「偶然なんかじゃない。ニラちゃんは単なるあたし達の担任じゃなく、UCJプロジェクトに一枚噛んでる諜報員だと、あたしの勘が告げている」
「まさか。いくら何でも時代が半世紀以上も違うんだ。"東京オリンピック"を目前に控えてるという点では共通しているけど」
「だって、あの事情聴取であたしにフミとのデートを執拗にそそのかしたのもニラちゃんだし。結果、急速に親密になったあたし達はこうして一網打尽だしさ。勿論、中学入ってその名前を目にした時から怪しいと踏んでたけど」
「デートなのかな……」
「そこ? 今更そこ拘る?」

 やんわりとシカトしておこう。

「仮にあの担任が厚成審議官の孫か何かだとして……僕達に近づくのならば、偽名を使った方がより安全だよ」
「逆に偽名の使用が国家にバレたら、それこそ諜報活動に支障をきたすよ。それに、あたし達が感づく可能性なんて0に等しいと思ってるだろうし」

 でも、実際に気づいた。

「ん? ちょっと待って。"国家"って言ったね? 韮崎はその"国家"の命令で動いてるんじゃなかったのか?」
「いつの話してるのよ。その"国家"が旧厚成省を解体してプロジェクトそのものも廃止したじゃん。いい? 彼らの野望は頓挫したの。それどころか、なかったことになってるんだから」
「でも、実際に"動いてる"」
「そう、"動いてる"。その動機が韮崎個人によるものなのか、はたまたの命令によるものなのかはわかんないけどね」

 檜希は何かを知ってて隠しているのか、それとも知らずに憶測で言ってるだけなのか……現時点で真相は闇だ。
 しかも、彼女の主張で頷けるのは厚成審議官と同姓という点のみ。
 それだけだと、あの担任が一連の騒動に絡んでいるという根拠に乏しい。

「もしかしたら、あの人もホヤ人間なのか?」
「それはわかんない。もしもホヤ人間なら、あの人も今頃はこの中に"回収"されてるでしょうね。でさ、彼女にずっと追い続けているターゲットがいるとしたら、それはあたしじゃなくてフミ……。何故なら、貞子達が成功させた被験者は一組しかいないから。その一組こそが……」

 そう言って、檜希は僕を指さした。

「フミはその成功者で、あたしは失敗作でしかない。その監視対象の土地に、あたしが勝手に転がり込んだだけってところかな?」

 成功者。
 枝分かれした一つの臍帯――即ち、人工臍帯を用いて誕生した一絨毛膜一羊膜MMツインの高木一彦と高木次彦のことなのだろう。
 そして、僕は高木次彦の息子だ。自信はないけれど。

「教えてほしい。僕と檜希の違いが一体何なのか。何をもって僕は成功者扱いされるんだ?」
「そんなの決まってんじゃん。シンクロニティの精度だよ。UCJプロジェクトはずっとそれを求めていたからね。そして、旧厚成省が解体された今も、"誰か"がそれを強く渇望し続けてる。無論、本当の意味でフミは成功者当人ではなく、その片割れの"生まれ変わり"だけれど」

 生まれ変わり? どうも引っ掛かるな……。

「どうして"息子"と言わないんだ?」
「真の臍帯を持って産まれたのが本家、一方、ホヤ細胞の臍帯で産まれた方が分家だと仮定する。……あなたは分家の息子じゃないのよ。


 そのもの

 真の臍帯を持って産まれたのが本家=一彦
 ホヤ細胞の臍帯で産まれた方が分家=次彦

 僕は分家そのもの……

 それは何を意味する?


 つまり、


 ここで長年、ずっと抱き続けてきたあの疑問に襲われる。

 父の死後、僕は四歳から高木一彦の元に引き取られた。
 その四歳までの記憶が僕には一切残されていない。

 もっと言えば、気づいた時から、

「回収される前にあたし、観覧車ここで言ったよね? 『この世にあなたの母親は完全に存在しない、あなたは誰ともへその緒で繋がっていない』って」

 僕は黙って頷いた。
 檜希はシリアスな顔で尚も続ける。

「プロジェクトに予期せぬ大きな誤算が生じたのよ。まさか、そんな人間の出来損ないが産まれるなんて誰も思ってもいなかった。そういう意味で、彼らはいささか軽率だった」

 どころのレベルじゃない。
 彼女なりの皮肉だろうか。

「本当はCIAに気づかれそうになる前に、この計画は中止に動いていたの。……物知りのフミにならわかる筈だわ。ホヤの変態メカニズムがどんなものか」
「一応は知っている。でもそれが僕達ホヤ人間に適応されるものなのか……?」

 尾索動物であるホヤの幼生はオタマジャクシ型。
 ごく短い間に岩へと固着し尾を失い、泳ぐことをやめて変態を開始させる。
 成体はセルロースを含む固い被嚢ひのうで覆われ、その見た目から"海のパイナップル"と呼ばれている。食用として、三陸や北海道で養殖されている種類もある。

 そして、それは幼生のように動くことはない。
 
「驚かないでね」

 そう前置きしてから、檜希は僕の肩に触れて耳元で囁いた。

「あたし達はホヤのように、ある一定期間を過ぎるとする。つまり、その期間は、ホヤ人間としての再生へ向けた準備期間なの」


 準備期間……

 
 なるほど、それが僕にとって空白のあの四年間なんだ。

 

 つまり、自由に動ける今の僕達は姿こそ人間そのものだけれど、ホヤに例えれば幼生だということになる。
 高木次彦が固着していた期間、彼は被嚢ひのうの中で再生に向けてひたすらその機会を待っていた。
 そして四年の歳月を経て、彼は新たな体を手に入れて世に戻った。


 


 俄かには信じがたい。
 けれども、そう考えれば全てが納得いく。

 僕は父親である高木次彦を知らない。
 当然だ。
 それはこの僕が現れる前の自分自身だからだ。

 僕は母親が誰であるのか知らない。
 当然だ。
 ホヤ人間は固い殻の中で生まれ変わるため、親など持たぬのだ。

 僕は一彦さんの奥さんである爽子さんを、一人の女性として激しく意識し出している。
 当然だ。
 僕(次彦)と一彦さんは胎内にいる時から人工臍帯で繋がっており、驚異的なシンクロニシティを持つ一卵性双生児なのだから。

 誤算……僕達を作った人間もまさかここまでホヤ特性を引き継ぐだなんて夢にも思わなかっただろう。

 彼らの驕った企ては間違いなく神の逆鱗に触れたのだ。


 In The Lap Of The God


 機関の解体?

 冗談じゃないぞ。
 それで全てが解決したわけではないんだ。誰にも僕達の存在を知らせずに、何事もなく中央省庁再編までしてそれでおしまいか?
 神の逆鱗に触れるのは当然だ。
 だが、その矛先を向ける相手が違うだろ。
 その報いを受けるのは間違いなく僕達じゃない。プロジェクトの面々であり、韮崎や宇田島貞子……いや、この国家そのものじゃないか!



 上の血管からそれぞれ血塗ちまみれの人物が降りてきたのは、それから間もなくだった。
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