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臍帯篇
UCJプロジェクト 其の弐
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昭和某年、厚成省の一室に通された貞子は椅子さえ勧められぬまま、男の話を神妙な面持ちで聞いていた。
相変わらず、男には表情というものが一切存在しない。先の戦争で死にきれなかった彷徨える亡者のようだ。
「我々はどうしても意図的に、そして自由自在に双子を産ませなければならない。それも"一絨毛膜一羊膜"の双子に限られる。そのために、どうしても必要な技術が体外受精なのだ」
「限られる? あなたは曲がりなりにも厚成省の役人……一絨毛膜一羊膜の低い出生率を知っていてそんな身勝手な発言をするんですか?」
「一絨毛膜一羊膜程度でそのように騒ぎ立てられちゃ困るな。先が話せなくなる。キミの論文にもあるじゃないか? 我々が目指す双子は一つの羊膜内に一つの胎盤を共有し、そして……」
枝分かれした一つの臍帯を共有する双子
一卵性であれ二卵性であれ、一人の胎児に対して臍帯は必ず一本ずつ用意されている。
貞子はその臍帯に何らかの損傷や欠陥が見られた場合のみ、緊急措置として補助パイプ的な"人工臍帯"の必要性を考えていた。その材料として、人間に近くコスト面の観点から"ホヤ"に着眼していたのだ。
しかしながら、それが近い将来に実用化されようとは彼女自身もゆめゆめ考えていなかった。
況や、"人工臍帯"は明らかに倫理上の問題もある。
ただでさえ遺伝子が全く同じである一卵性双生児に、異なる臍帯すら共有させてしまえば、生後二人の行動は一体どうなってしまうのか……貞子はあくまで多胎妊娠のリスクを抑えるためだけに『一卵性双生児に於けるシンクロニシティの無限なる可能性と、海鞘のカドヘリン遺伝子研究から人工臍帯の実現性について』という論文を書いた。
シンクロニティについては、寧ろ否定的に問題提起までしている。
人工臍帯によって救われるであろう胎児はその後、"個人"としての役割・尊重を失う危険性がある、故に研究は慎重に執り行われなければならない。
更に人体の代替物として"ホヤ"を用いることも、臨床検査の対象からは外すべきと主張していた。あくまで、それは研究段階での話であり、人工臍帯の実用化に向けては現段階に於いて不可能と思われる再生医療の確立を辛抱強く待たねばならないとも強く訴えている。
貞子は論文の前半に『人間とホヤのキメラをも誕生させかねない』とその危険性を繰り返し指摘していたのだが……。
「キミはあの論文で研究室の教授をひどく失望させた。しかしながら、我々はあるルートを経て、キミの論文に目を通す機会があった。……正直驚いたよ。アレはなかなかいい。まさか"ホヤ"とはね」
「私も驚きです。まさか、あのひどい論文が国家の中枢にまで及んでいたなんて」
男は深く嘆息して言う。
「所詮、我々は敗戦国の残党なんだよ。故に、アメリカやソ連の後塵を拝したままだ。役人の私が言うべきことではないが、東京オリンピックなんぞ成功しようが失敗しようが大国との差は永遠に埋まりはしない。……知っているか? アメリカはアポロ計画の延長線上に何を企んでいるか? ソ連は超心理学に莫大な国家予算をつぎ込んでいるという。なのに、我が国では機動隊と学生が野蛮な殴り合いを展開して自ら国力を弱めている。嘆かわしいことだ。まるで弥生時代から進化していない」
「卑弥呼の死も樺さんみたいに影響があったのでしょうか?」
「知らんよ、そんなこと。一国の女王と赤旗を掲げたジャンヌ・ダルクを比較すること自体がナンセンスだ」
男はにべもなく突っぱねる。
わかっていたことだが、貞子の冗談に付き合うほど寛容ではない。
「我々には"驚き"こそが最も必要なんだよ。つまり、これまでの常識を捨てなくては大国に勝てやしない」
それを聞いた貞子は眉を顰める。
「驚きが私の論文だと……?」
「安心していい。何もキミを発案者や書記局員なんかに仕立てる積もりは毛頭ない。我々サイドが遥か先に着手していたのは事実だからな。ただ、キミの突飛な方法論は我々を大いに驚かせた。キミの功績はズバリ、その一点に尽きる。何故ならば……」
ほんの僅かだが、饒舌な男の血色がよくなってきたように思える。
「その"驚き"は現時点で、これっぽっちも米ソどちらの脳裏にも浮かんでいない。つまり、大国を出し抜いているんだ。……いいかね? これからは武力ではなく情報で戦争をする時代に突入する。しかも、それはコンピュータのようなデジタル面だけではない。不確実な御伽噺に過ぎなかったアナログ的超心理学に、超最先端医学を取り入れた我々独自の技術が必要なのだ。要するに、我々はキミが危惧する人工臍帯双生児のシンクロニティを逆手に取って、それを情報戦に生かそうとしているのだよ」
ブルブル震えながら首を振った貞子は「狂ってる」と呟くように漏らした。
「寧ろ、キミも大いに狂いたまえよ。そこに倫理など必要ないからな。……宇田島貞子、キミはジャンヌ・ダルクになるな。キュリー夫人になれ。それも物理学や化学ではなく、我々と共に産科学によって、混迷する20世紀の人類に新たな革命をもたらすのだ」
「革命? あ、あなたは安保闘争を否定しておきながら革命を唱えるのですか? それって矛盾じゃないですか。しかも、それは神の領域に足を踏み入れる越権行為だわ!」
「その通りだよ」
その時、男は初めて口の端をゆがめて笑った。
「我々は必要とあらば、神をも踏みつけてやるさ」
後に貞子直属の上司となる男は、この時点での職位は厚成審議官――事務方のナンバー2であった。
その男の名は"韮崎"という。
相変わらず、男には表情というものが一切存在しない。先の戦争で死にきれなかった彷徨える亡者のようだ。
「我々はどうしても意図的に、そして自由自在に双子を産ませなければならない。それも"一絨毛膜一羊膜"の双子に限られる。そのために、どうしても必要な技術が体外受精なのだ」
「限られる? あなたは曲がりなりにも厚成省の役人……一絨毛膜一羊膜の低い出生率を知っていてそんな身勝手な発言をするんですか?」
「一絨毛膜一羊膜程度でそのように騒ぎ立てられちゃ困るな。先が話せなくなる。キミの論文にもあるじゃないか? 我々が目指す双子は一つの羊膜内に一つの胎盤を共有し、そして……」
枝分かれした一つの臍帯を共有する双子
一卵性であれ二卵性であれ、一人の胎児に対して臍帯は必ず一本ずつ用意されている。
貞子はその臍帯に何らかの損傷や欠陥が見られた場合のみ、緊急措置として補助パイプ的な"人工臍帯"の必要性を考えていた。その材料として、人間に近くコスト面の観点から"ホヤ"に着眼していたのだ。
しかしながら、それが近い将来に実用化されようとは彼女自身もゆめゆめ考えていなかった。
況や、"人工臍帯"は明らかに倫理上の問題もある。
ただでさえ遺伝子が全く同じである一卵性双生児に、異なる臍帯すら共有させてしまえば、生後二人の行動は一体どうなってしまうのか……貞子はあくまで多胎妊娠のリスクを抑えるためだけに『一卵性双生児に於けるシンクロニシティの無限なる可能性と、海鞘のカドヘリン遺伝子研究から人工臍帯の実現性について』という論文を書いた。
シンクロニティについては、寧ろ否定的に問題提起までしている。
人工臍帯によって救われるであろう胎児はその後、"個人"としての役割・尊重を失う危険性がある、故に研究は慎重に執り行われなければならない。
更に人体の代替物として"ホヤ"を用いることも、臨床検査の対象からは外すべきと主張していた。あくまで、それは研究段階での話であり、人工臍帯の実用化に向けては現段階に於いて不可能と思われる再生医療の確立を辛抱強く待たねばならないとも強く訴えている。
貞子は論文の前半に『人間とホヤのキメラをも誕生させかねない』とその危険性を繰り返し指摘していたのだが……。
「キミはあの論文で研究室の教授をひどく失望させた。しかしながら、我々はあるルートを経て、キミの論文に目を通す機会があった。……正直驚いたよ。アレはなかなかいい。まさか"ホヤ"とはね」
「私も驚きです。まさか、あのひどい論文が国家の中枢にまで及んでいたなんて」
男は深く嘆息して言う。
「所詮、我々は敗戦国の残党なんだよ。故に、アメリカやソ連の後塵を拝したままだ。役人の私が言うべきことではないが、東京オリンピックなんぞ成功しようが失敗しようが大国との差は永遠に埋まりはしない。……知っているか? アメリカはアポロ計画の延長線上に何を企んでいるか? ソ連は超心理学に莫大な国家予算をつぎ込んでいるという。なのに、我が国では機動隊と学生が野蛮な殴り合いを展開して自ら国力を弱めている。嘆かわしいことだ。まるで弥生時代から進化していない」
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「知らんよ、そんなこと。一国の女王と赤旗を掲げたジャンヌ・ダルクを比較すること自体がナンセンスだ」
男はにべもなく突っぱねる。
わかっていたことだが、貞子の冗談に付き合うほど寛容ではない。
「我々には"驚き"こそが最も必要なんだよ。つまり、これまでの常識を捨てなくては大国に勝てやしない」
それを聞いた貞子は眉を顰める。
「驚きが私の論文だと……?」
「安心していい。何もキミを発案者や書記局員なんかに仕立てる積もりは毛頭ない。我々サイドが遥か先に着手していたのは事実だからな。ただ、キミの突飛な方法論は我々を大いに驚かせた。キミの功績はズバリ、その一点に尽きる。何故ならば……」
ほんの僅かだが、饒舌な男の血色がよくなってきたように思える。
「その"驚き"は現時点で、これっぽっちも米ソどちらの脳裏にも浮かんでいない。つまり、大国を出し抜いているんだ。……いいかね? これからは武力ではなく情報で戦争をする時代に突入する。しかも、それはコンピュータのようなデジタル面だけではない。不確実な御伽噺に過ぎなかったアナログ的超心理学に、超最先端医学を取り入れた我々独自の技術が必要なのだ。要するに、我々はキミが危惧する人工臍帯双生児のシンクロニティを逆手に取って、それを情報戦に生かそうとしているのだよ」
ブルブル震えながら首を振った貞子は「狂ってる」と呟くように漏らした。
「寧ろ、キミも大いに狂いたまえよ。そこに倫理など必要ないからな。……宇田島貞子、キミはジャンヌ・ダルクになるな。キュリー夫人になれ。それも物理学や化学ではなく、我々と共に産科学によって、混迷する20世紀の人類に新たな革命をもたらすのだ」
「革命? あ、あなたは安保闘争を否定しておきながら革命を唱えるのですか? それって矛盾じゃないですか。しかも、それは神の領域に足を踏み入れる越権行為だわ!」
「その通りだよ」
その時、男は初めて口の端をゆがめて笑った。
「我々は必要とあらば、神をも踏みつけてやるさ」
後に貞子直属の上司となる男は、この時点での職位は厚成審議官――事務方のナンバー2であった。
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