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臍帯篇
基地
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このまま突っ立っていても仕方ない。
ひとまず豹柄のゴンドラへ戻ろう。
それは無残なまでに大破しガラス片も散乱してはいたが、少なくとも現状では唯一寛げる僕達の貴重な憩いの基地なのだ。
檜希に訊きたいことも山とある。さすがに、ここまで来て情報開示を焦らしたりはしないだろう。
と、ここで幾つかの違和感が僕を襲う。
「どうしたの?」
突如立ち止まった僕に、檜希が振り返って訊ねる。自慢のポニーテールを揺らしつつ。
「妙だよ。僕達が世間に対し可視化し始めた臍帯をミラージュパークの上空で見た時、そこから血管がはっきりと映っていた。つまり、壁は乳白色ながら内部は透けて見えていたんだ。なのに、ここから外の世界は全く見えやしない」
「あ、確かにそう!」
「四方見渡しても、立山連峰や富山湾はどこにも確認できない。これは何を意味するんだろう?」
「えー、わかんないけど……あたし達を回収して急激に腐っちゃって色が黒ずんだとか? 或いは夜で真っ暗だから何も見えないとか?」
「かもしれない」
「それとも、マジックミラーみたいな構造?」
「すぐにその結論は出せないな。でも、それだけじゃないんだ。今いるへその緒はその役目と機能は失われていなければならない筈だよ」
「そう、あたし達はとっくに胎児じゃないもんね」
「なのに、どうして三本の血管には血液(らしき物)が流れているんだろう? 胎児も胎盤もないのにアレはどこへ向かってるんだ?」
檜希の表情が一瞬にして凍る。
僕達は自然と螺旋状の三本に目をやった。
背伸びしたところで到底そこに届きそうにはないものの、管の中を流れる液体は間違いなく確認できる。二本の臍動脈と一本の臍静脈……流れる方向は左右異なるが。
疑問はまだある。
僕と檜希のへその緒が魚満上空で繋がったのであれば、当然この内部であってもそれは枝分かれしている筈だ。
ならば、三本の血管も然り。でも少なくとも、ここからそれは確認できそうにない。
「さっきカメダでも言ったけれど、あたしには知っていることと知らないことがある。臍帯のことなんかは殆どわかんないの。……でもね、まだ増えるよ。それだけはわかる」
増える? どういうことだ?
「お願いだから、これ以上は僕を混乱させないでくれ」
「勿論。あたし達には時間があるのか、若しくはそうじゃないのか……どっちかはわかんないけれど、ひとまずの危機は去ったと思う。だから話してあげる。とりま、座ろ!」
ゴンドラに入るや、先に腰掛けた檜希がポンポンと席を叩く。「ここおいで」的に。
僕はそれを無視し、彼女とは向かい合って座った。
隣同士なんて落ち着けそうにない。さっきまでは平気だったのに。
その原因は深く考えちゃいけない。
おそらく、こっちの思惑など相手には筒抜けだろうな。あーあ……。
「素直じゃないところがまた可愛い!」
「そういうのはもういいって。頼むから、そろそろ本気で説明してくれないかな?」
すると、檜希は途端に真顔になった。何とも言えない緊張感が走る。
「いいよ。でも、今のがあたしのできる最後の笑顔だから、ちゃんと記憶の片隅に置いといてね」
「わかってる」
たっぷりと間を空けてから、覚悟を決めた檜希は静かに口を開いた。
「旧厚成省……2001年の中央省庁再編で現在その名前を変えた今、"UCJプロジェクト"はすっかり闇に葬り去られてしまってる。元々、その計画自体も内密で行われてたからね」
僕は頷いて続きを待った。
「宇田島貞子……ミラージュパークで言ったの覚えてる? あたしのおばあちゃんだった人」
「勿論。そして、本当はお母さん」
僕の補足に、檜希は軽い首肯。
「貞子は産婦人科医の長女で、彼女は親に言われた通りそこを継ぐ積もりだった。優秀な成績で東京の女子医大を卒業し、地元の病院で数年研修を始める予定だったの。でも、卒論に取り上げたあるテーマが、旧厚成省の偉いさんの目に留まったのね。ここで彼女とその両親の思い描いていた将来設計が大きく崩れてしまった」
「その卒論のテーマとは何だろう?」
ここで、檜希は瞳を閉じて一気に言葉を発した。
「『一卵性双生児に於けるシンクロニシティの無限なる可能性と、海鞘のカドヘリン遺伝子研究から人工臍帯の実現性について』」
え、ここでまさかの才媛にジョブチェンジ?
呆気に取られて僕は訊ねてみる。
「……ホヤが何なのか知ってる?」
「そんなの決まってんじゃん。貝のホヤだよ」
安心した。
檜希が複雑な論文テーマを勢いよく言ってのけたのでかなりの違和感を覚えたが、やっぱり檜希は檜希だった。
どうやら意味はわからず、単にその論文テーマを記憶していただけらしい。
「残念ながら違うよ。ホヤは貝じゃない」
「えぇっ、どうしてよ? "ホヤ貝"って言うじゃん!?」
「ホヤは脊索動物門。貝は軟体動物門。セルロースを体内生成できる唯一の生物だ。19世紀までホヤは貝と見做されていたけど、それは誤解だった。そして、つい最近までホヤは人間の祖先だとも考えられていたんだ」
「そう、それっ! ……って、今は違うの?」
「研究の結果、今はナメクジウオが最も遠い祖先だと結論づけられたらしいね。でも、檜希のおばあちゃんだかお母さんの時代だと、人間の祖先はホヤだと思われていた」
「へぇー、そうなんだ。フミってばいろいろ知ってるねぇ」
ここで感心されると、どっちが説明を受けてる側なのかわからなくなってくる。
「物知りってわけじゃない。単に生物が好きなだけだよ。で、その論文がきっかけで、貞子さんは研修医から一転して国家公務員になったんだね?」
「半ば無理矢理。てか、そこんとこはグレーだけどね」
檜希の表情が次第に翳ってくる。
当然だろう。
ここからいよいよ、僕達が人間じゃない秘密が明かされるのだから。
「フミ、あたし達はね……ホヤ人間なんだよ」
ひとまず豹柄のゴンドラへ戻ろう。
それは無残なまでに大破しガラス片も散乱してはいたが、少なくとも現状では唯一寛げる僕達の貴重な憩いの基地なのだ。
檜希に訊きたいことも山とある。さすがに、ここまで来て情報開示を焦らしたりはしないだろう。
と、ここで幾つかの違和感が僕を襲う。
「どうしたの?」
突如立ち止まった僕に、檜希が振り返って訊ねる。自慢のポニーテールを揺らしつつ。
「妙だよ。僕達が世間に対し可視化し始めた臍帯をミラージュパークの上空で見た時、そこから血管がはっきりと映っていた。つまり、壁は乳白色ながら内部は透けて見えていたんだ。なのに、ここから外の世界は全く見えやしない」
「あ、確かにそう!」
「四方見渡しても、立山連峰や富山湾はどこにも確認できない。これは何を意味するんだろう?」
「えー、わかんないけど……あたし達を回収して急激に腐っちゃって色が黒ずんだとか? 或いは夜で真っ暗だから何も見えないとか?」
「かもしれない」
「それとも、マジックミラーみたいな構造?」
「すぐにその結論は出せないな。でも、それだけじゃないんだ。今いるへその緒はその役目と機能は失われていなければならない筈だよ」
「そう、あたし達はとっくに胎児じゃないもんね」
「なのに、どうして三本の血管には血液(らしき物)が流れているんだろう? 胎児も胎盤もないのにアレはどこへ向かってるんだ?」
檜希の表情が一瞬にして凍る。
僕達は自然と螺旋状の三本に目をやった。
背伸びしたところで到底そこに届きそうにはないものの、管の中を流れる液体は間違いなく確認できる。二本の臍動脈と一本の臍静脈……流れる方向は左右異なるが。
疑問はまだある。
僕と檜希のへその緒が魚満上空で繋がったのであれば、当然この内部であってもそれは枝分かれしている筈だ。
ならば、三本の血管も然り。でも少なくとも、ここからそれは確認できそうにない。
「さっきカメダでも言ったけれど、あたしには知っていることと知らないことがある。臍帯のことなんかは殆どわかんないの。……でもね、まだ増えるよ。それだけはわかる」
増える? どういうことだ?
「お願いだから、これ以上は僕を混乱させないでくれ」
「勿論。あたし達には時間があるのか、若しくはそうじゃないのか……どっちかはわかんないけれど、ひとまずの危機は去ったと思う。だから話してあげる。とりま、座ろ!」
ゴンドラに入るや、先に腰掛けた檜希がポンポンと席を叩く。「ここおいで」的に。
僕はそれを無視し、彼女とは向かい合って座った。
隣同士なんて落ち着けそうにない。さっきまでは平気だったのに。
その原因は深く考えちゃいけない。
おそらく、こっちの思惑など相手には筒抜けだろうな。あーあ……。
「素直じゃないところがまた可愛い!」
「そういうのはもういいって。頼むから、そろそろ本気で説明してくれないかな?」
すると、檜希は途端に真顔になった。何とも言えない緊張感が走る。
「いいよ。でも、今のがあたしのできる最後の笑顔だから、ちゃんと記憶の片隅に置いといてね」
「わかってる」
たっぷりと間を空けてから、覚悟を決めた檜希は静かに口を開いた。
「旧厚成省……2001年の中央省庁再編で現在その名前を変えた今、"UCJプロジェクト"はすっかり闇に葬り去られてしまってる。元々、その計画自体も内密で行われてたからね」
僕は頷いて続きを待った。
「宇田島貞子……ミラージュパークで言ったの覚えてる? あたしのおばあちゃんだった人」
「勿論。そして、本当はお母さん」
僕の補足に、檜希は軽い首肯。
「貞子は産婦人科医の長女で、彼女は親に言われた通りそこを継ぐ積もりだった。優秀な成績で東京の女子医大を卒業し、地元の病院で数年研修を始める予定だったの。でも、卒論に取り上げたあるテーマが、旧厚成省の偉いさんの目に留まったのね。ここで彼女とその両親の思い描いていた将来設計が大きく崩れてしまった」
「その卒論のテーマとは何だろう?」
ここで、檜希は瞳を閉じて一気に言葉を発した。
「『一卵性双生児に於けるシンクロニシティの無限なる可能性と、海鞘のカドヘリン遺伝子研究から人工臍帯の実現性について』」
え、ここでまさかの才媛にジョブチェンジ?
呆気に取られて僕は訊ねてみる。
「……ホヤが何なのか知ってる?」
「そんなの決まってんじゃん。貝のホヤだよ」
安心した。
檜希が複雑な論文テーマを勢いよく言ってのけたのでかなりの違和感を覚えたが、やっぱり檜希は檜希だった。
どうやら意味はわからず、単にその論文テーマを記憶していただけらしい。
「残念ながら違うよ。ホヤは貝じゃない」
「えぇっ、どうしてよ? "ホヤ貝"って言うじゃん!?」
「ホヤは脊索動物門。貝は軟体動物門。セルロースを体内生成できる唯一の生物だ。19世紀までホヤは貝と見做されていたけど、それは誤解だった。そして、つい最近までホヤは人間の祖先だとも考えられていたんだ」
「そう、それっ! ……って、今は違うの?」
「研究の結果、今はナメクジウオが最も遠い祖先だと結論づけられたらしいね。でも、檜希のおばあちゃんだかお母さんの時代だと、人間の祖先はホヤだと思われていた」
「へぇー、そうなんだ。フミってばいろいろ知ってるねぇ」
ここで感心されると、どっちが説明を受けてる側なのかわからなくなってくる。
「物知りってわけじゃない。単に生物が好きなだけだよ。で、その論文がきっかけで、貞子さんは研修医から一転して国家公務員になったんだね?」
「半ば無理矢理。てか、そこんとこはグレーだけどね」
檜希の表情が次第に翳ってくる。
当然だろう。
ここからいよいよ、僕達が人間じゃない秘密が明かされるのだから。
「フミ、あたし達はね……ホヤ人間なんだよ」
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