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富山篇

フルーツ牛乳

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           illustration 星影様



 そういや、理玖の一つ上の彼氏――たかしって名前だっけ?
 その人、高校を卒業したら東京へ進学するって以前に理玖が愚痴っていた。しかも、わざわざ僕の部屋を訪れて。
 もしそうだったら、二人は暫く離れ離れになる。
 だから、今日に限って彼女は気合いを入れて早起きしたのかもしれない。
 多分そうだろう。
 ならば、お小遣いをはたいて髪をセットしたのも頷ける。
 それに加えて、台所キッチンに来る前の誠が、寝惚けて姉の部屋にうっかり侵入して起こしてしまった線も捨てきれないが……。

 そんなとりとめのない妄想を次から次にボンヤリと浮かべながら、僕はいつものコースを走り続けた。
 おかげで周囲の景色や空模様、それに上空のも全く視界に映らなかった。

 中学校の校門を潜った時、雨はいよいよバケツを引っくり返したような本降りになっていた。
 合羽を着用していたとはいえ、二時間も走っていたらすっかり濡れ鼠だ。さすがにこれは気持ち悪い。
 校内の個室トイレにこもって合羽とジャージとシャツと靴下を脱ぎ、汗と雨でベトベトの全身を入念にタオルで拭いてから制服に着替える。
 走る際、合羽のフードを目深に被っていたけれど、それでも前髪はペッタリと額に付着してしまっている。僕はオシャレ男子じゃないから、ヘアースタイルはさほど気にならない。気にしててもソテツヘアーになってしまう残念な人もいるけれど。
 そうそう、ソテツで思い出した。
 理玖からもらったデオドラントスプレーを忘れるところだった。この瞬間こそ使いどころである。
 確かに今の自分はとてつもなく臭い。
 知らないうちに、僕は周囲にとてつもなく迷惑をかけていたんだな。もしかしたら、僕の知らないところで変な仇名あだなをつけられているかもしれない。

 ところで、これってどれくらい噴射したらいいんだろう?

 加減がわからないので、これでもかと言わんばかり存分にかけておく。
 何しろ、理玖曰く"壊滅的"だからね。多すぎて困ることはないだろう。

 シトラスの香りに包まれた自分をクンクン嗅ぎながらトイレを出たところで、思わぬ出来事に遭遇する。
 美人な女の子が僕を出待ちしていた。
 完全なる不意打ちである。安直な学園マンガみたいな展開だ。

「おはよう、高木くん。今朝も雨の中ご苦労様」

 目鼻立ちは控えめながらとてもバランスよく配置されていて、万人受けしそうな顔だ。
 とはいえ、僕はその万人には決して入らない。寧ろ警戒すらしてしまう。
 この世に顔だけで安心する人間がいる限り、特殊詐欺の受け子に大事なクレジットカードを渡してしまう事件は絶対なくならない。
 知らない女子から名前を呼ばれた上にねぎらわれてしまったが、この僕はそう簡単に騙されたりしない。
 冴えない男子がとはいえ、容姿の整った女子に声を掛けられるなんて出来過ぎている。詐欺だ。
 単刀直入に訊いてみよう。

「受け子ですか?」
「……ウケ子???」

 が頓狂な顔に変わった。リアクション的に詐欺ではないようだ。
 ならば、これは幻。
 そう、富山名物の蜃気楼に違いない。どうせ蜃気楼なら、爽子さんが出てくればいいのに。
 そのまま無視して遣り過ごそうとしたら、「ちょいちょいちょい!」とポニーテールのに腕を激しく掴まれた。そればかりか、爪が深く食い込んでいる。

「……やってくれるね? いきなり"ウコ子"とかヘンな名前で呼んだかと思えば、こんな性格チョーイイ美少女をシカトなんてさ」

 蜃気楼が喋った。随分と意識高い系の蜃気楼だ。
 そして、解放された腕には爪の跡がクッキリと。

「シカトじゃないよ。僕のことじゃないと思ってた」
「はあ? 今ここにあたしとキミしかいないよね? しかもあたし、"高木くん"って名指しして言ったんだけどな。キミの名字って高木で合ってるしょ?」
「うん、まあ」
「あ! そっかぁ。もしかして、テレてんの?」
ね」
「何か微妙なニュアンスで悪意を感じるんだけど、気のせいかな。まあいいわ。ハイ、コレあげる」

 そう言って手渡されたのは、卵色の液体……フルーツ牛乳(瓶)だ。
 しかも御丁寧にキャップまで開けて。

 と、絶妙なタイミングで予鈴が鳴る。

「じゃ、また明日、ここで」

 揺れる謎のポニーテール、ヒラヒラと手を振って用は済んだと言わんばかり満足げに退散していく。

 ……明日、ここで?

 思いがけないプレゼントに躊躇する僕。
 ちょうど喉も乾いていたし、好意自体はありがたいけれども、それでも素直に喜べない自分がいる。
 それを貰う理由が見当たらないからだ。 
 おまけに、何故ゆえフルーツ牛乳(瓶)? 
 こういう場合、スポーツドリンク(缶)とかミネラルウォーター(ペットボトル)とか……それが普通じゃないのか?
 お風呂上がりじゃないんだから、などと愚痴をこぼしている余裕はない。
 早く教室に行かなきゃ。

 一気に飲み干したところで、また新たな問題が発生。

 この瓶、どこに捨てたらいいんだろう?
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