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ボヤキのスコアブック

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 私の名前は野村のむら香桂かつら。17歳。
 愛称はノムちゃん。弱小野球部のマネージャー。
 放課後は大抵、監督の横でこうしてスコアブックをつけている。
 
 監督……タバコ臭い。
 加齢臭を気にしてビタミンCを意識的に摂取してるみたいだけど……知らないんだろうね。喫煙はその抗菌・抗酸化作用をチャラにしてるって。
 
 監督におねだりしようかな。「ガスマスク代ください」ってさ。

 私はスコアブックの隅っこに今の気持ちをありのまま書いた。
 いいんだ。
 だって、誰も私のスコアブックなんて見ないんだから。

 この野球部は一切練習をしない。いきなりの紅白戦。
 コレってただ単に放課後に集まって、おもしろおかしく野球で遊んでるだけ。
 当然、すんごいヘタ。
 上達しようという概念が彼らには一切ない。
 小学校の休み時間にやるドッジボールと同じ感覚。或いは日曜の昼下がり、おじさん達の草野球。
 ある意味、人間関係は最高に良好と言えよう。ストレスないもんね。

 私は野球が好きだ。
 本当ならば男の子に生まれたかった。
 でも現実は女だし、残念ながらチヤホヤされるほど美人でもない。
 だから、今の”地味な女子マネ”は超ハマリ役だと自分でも思う。

 いいよ、みんな好きにしてて。どうぞそのまま牧歌的ベースボールをお続けになって。

 だからこそ、私もこのスコアブックを私物化させてもらう。
 ボヤいてボヤいてボヤきまくるの。

 野球に関係あることないこと……毒の言霊をここに書き綴る。


      * 


 育成なくして常勝なし


 スコアブックの端っこにそう記す。
 単純なことだ。こんなの私じゃなくてもみんなわかってる。

 哀しいことに、お金のある組織だけがそれを理解できてない。目先の一勝に拘って、価値ある敗戦を良しとしない。


 種を撒き 水をやって 花を咲かせる


 これぞ自然の摂理。
 金満集団の場合、隣の花壇から綺麗に咲いた花を【金銭+球根】で買い取っちゃう。

 ここで質問。
 咲いた花から更に花が咲きますか?

 花はあくまで花でしかない。
 況や、その美しさは他人が自分の花壇で丹精に育てたもの。
 花はやがて枯れていく。これまた自然の摂理。
 一方、他人に譲渡した球根は着々と実をつけ出して……来年以降もこの皮肉な流れは変わらなさそう。

 団栗ならぬ”兎と虎の背比べ”に毒を吐き、しがない弱小野球部のマネージャーである私は鯉に恋焦がれて朱に染まる。
 野球部ここのみんなは兎でも虎でも、まして鯉でもないけどね。

 しいて言えば……ユスリカ?

 蚊柱にも加われない、ベンチに腰掛けたままの私。
 スコアブックには書かないけれど、実はそんな彼らに憧れてたりして。


      *


 スコアブックに目立つ【P.S】と【W.P】の文字。
 前者は捕逸パスボールで後者が暴投ワイルドピッチ
 つまり、両方ともバッテリー間のエラーって意味。

 ヘタなのは仕方ないよね。だって、みんな練習しないで即試合だもん。
 だから私も彼らに多くを求めない。
 彼らは間違っても甲子園出場なんか狙ってないからさ。
 だけど、こんなにもエラーが多いと、いくらお遊びだろうと試合はてんで締まらない。
 特にキャッチャーがボールを後ろに逸らしちゃうと、みっともなさMAXになる。
 キャッチャーは唯一、反対方向を向いてて、しかも座ってる。
 その人がいきなり立ち上がって慌てふためく様は見ちゃいられない。

「わわっ、ボールどこどこ?」……って、グッスリ居眠りしてて電車降り損ねたサラリーマンみたい。

 キャッチャーは育てるのにとても時間がかかるポジション。それを辛抱強く育てるのがベンチの仕事なんだ。
 オーケストラに於ける指揮者みたいなもんだよね、反対方向に立ってみんなを見てるって意味では。

 打撃を優先させるために、負担がかかるキャッチャーから別のポジションにコンバートさせるケースが近年目立つ。……あ、プロの話ね。
 成功した例も多数あるけれど、それじゃロマンがない。
 小ぶりなキャッチャー、チャンスに代打を送られるキャッチャー、規定打席に満たない正捕手……

 いたんだけどな、去年は。
 
 4番キャッチャー ○○

 たった一年のあのコール……また聞きたい。


      *


 スコアブックに連なるはK、B、E(三振、四球、エラー)の山、山、山……。
 みんなは将来、野球で食べていこうなんて露ほども思ったことがないだろう。
 彼らの部活動はもはや娯楽の域に達している。毎日毎日、受験勉強もせずに物好きだ。
 かくいう私もそうだけど。

 もうすぐ運命のドラフト会議。

 何だろうね。いい大人達が挙って、クジも引かぬ前から超高校級選手の”お宮詣で”。
 そういうのは交渉権獲得してからでもいいんじゃない?
 それにしても、ビッグマウスでハードル上げちゃったね。
 ドラフト前の事前面談とか4~5年でメジャーとか……早くも多くの人から顰蹙ひんしゅく買っちゃってるし。

 日本の野球を舐めるな……とは言えないよ。素人でしかない私にはね。
 
 でもね、”お宮”くん。これだけは言える。


 日本の野球ファンを舐めるな。


 踏み台前提でプロ入りするんなら、直接渡米すればいい。
 マイナー覚悟の茨の道を選んでいた、それでも横槍があっての実働5年……そこからメジャーに挑戦する”北の大地の二刀流”とは根本的に違うから。

 釣った魚に餌はやらない

 大人達にチヤホヤされてる間に気づいてほしい。
 それを気づかせるのは周囲の大人なんだけど、逆に焚きつけてるし。


      *


 少し前、”豚双六”なる文字を目にしたことがある。
 何の意味かと思いきや、それはアンチが野球を揶揄した蔑称なのだと知った。

 豚はともかくとして、私も野球はある意味”双六”だと思う。
 一塁から二塁、二塁から三塁、そして本塁と、とにかくコマを進めなければ点が入らない。当たり前なこと。
 いくら塁上を賑わせたところでホームベースを踏まないと無得点のまま。
 牧歌的ベースボールを見ながら、私はスコアブックにℓと書いた。
 
 残塁 left on base のエルの筆記体。その方が見やすいから。

 強いチームは残塁が少ない。
 弱いチームは残塁が多い。
 もっと弱いチームはランナーさえ出せないけれど。

 スコアリングポジション……つまりは得点圏(二塁や三塁)にランナーを進めること。これが大事。

 野球は双六。

 ノーアウトで出た一塁ランナー。
 スリーアウトになっても一塁釘付け。
 バントはしない、進塁打ケースバッティングも盗塁もやらない。長打狙いの大振りで連なるK。
 賽を投げても、6面全てが0のダイスじゃそりゃ勝てないよ。

 私はそれを声に出すことなく、スコアブックに新たなℓを加える。
 
 ほんっとヘタだね。
 なのに、みんな楽しそうなのは何でかな。


      *


 正直になれ。

 私はみんなと一緒に野球がしたい。
 ヘタでもいい。ヘタだからこそ、私もあの輪の中に入れる気がする。
 スコアブックつけて偉そうにボヤいてるこの私だって、どんなに頑張ってもユスリカにしかなれないんだから。
 それに、典型的な女投げだしね。

 女か……。

 男とか女とか、イヤな線引き。

 今年、甲子園出場を果たした東京のとある高校。
 そこの女子マネ二人が甲子園練習に加わろうとした時だ。
 危険だという理由で大会関係者から注意を受け、彼女達はグラウンドに入ることを許されなかった。
 人工芝部分までならいいよって。

 馬鹿じゃん?

 だったら、普段やってる時点で禁止令出しなよ。
 彼女達は学校のグラウンドや遠征時、選手に混じってボールを拾ったり用具を運んだりしてる筈なのにね。
 それもダメならまだわかる。でもそうじゃないから。
 女人禁制高校野球。土俵の如き甲子園。だったら、プラカード係も男子にやらせればいい。

 私は野球が好きだ。
 本当ならば男の子に生まれたかった。
 女だからこうしてベンチに座ってスコアブックつけてるけれど……体が悲鳴をあげるくらい野球がしたい。
 打って投げて走ってさ。

 ダメですか? どうして?

 危ないから? しらけるから? 邪魔でしかないから?

 ……悔しいな。

 みんながそう言わなくても、私の中から勝手に答えがポンポンと出てくる。


 それでも!


 みんなと一緒に野球がしたいから、断られてもいい。
 私はベンチを後にして、陰々たるスコアブックを投げ出して……「まぜて!」

 彼らにそう言うんだ。






 と、いきなり誰かが叫んだ。



 吃驚した……。




 口から心臓が飛び出しそうなくらい、それはとても大きな声だった。

 その瞬間、私の視界からみんなが消えた。



      *


 
「はい、カット!」


 カチンコの音とともに、私は次第に本来の自分を取り戻す。
 さっきまで演技指導してくださった撮影監督が、とびっきり優しい笑顔で近寄って来る。

「いや~、今の演技よかったよ! ”ちょっとやさぐれた、スコアブックをつけつつ恨めしそうにグラウンドに目をやる女子マネ”……暫く梨乃りのちゃんの演技に見入っちゃった。アドリブでちゃんと何か書いてたしね」

 梨乃……藤井ふじい梨乃りの

 それなんだ……私の名は。

 "野村香桂"は役名だ。
 全てはこのシーン――たった1分間のための、エキストラさえいない私だけの一人芝居。

 でも、確実にいたんだから!

 眩し過ぎる彼らが目の前の無人のグラウンドに。
 牧歌的ベースボールに興じるユスリカの集団。
 私が生み出した幻影だとするならば、それはあまりにもリアル過ぎる。

「凄かった! また役に入っちゃったみたいね」

 マネージャーの酒井さかいさんがよく冷えたスポーツドリンクを渡しながら、大袈裟に私を褒めてくれる。
 返事ができない。はにかむことさえままならない。
 いつもこう。
 私は私に戻るのにいつも時間を要する。まだ半分くらいは”野村香桂”のままだから。

 あれは演技だったのだろうか?

 私は野球を知らない。
 当然、スコアブックなんてつけ方も全くわからない。

 でもあの瞬間、何かが私に宿った。
 そう、この世に存在しない架空の少女――”野村香桂”が。
 それは私の集中力が彼女を召喚したのだろうか。
 それとも、霊的なもの……?

 わかんない。

 わかんないけど……

 私はあの時、間違いなく弱小野球部の女子マネージャー――”野村香桂”だった。


「おい、小道具!」


 笑顔が一変。
 監督さんが、さっきまで私が持ってたスコアブックをペラペラめくってからの激しい怒号。

「俺、言ったよな? スコアブックは新品を用意しとけって!」
「ええ、ここへ来る前に買ってきた物ですよ、それ」
「本当かよ? どのページにもギッシリ書かれてるぞ。どこからか拾ってきたんじゃねえのか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「そうとしか考えられないだろうか! それとも何か? たった1分で梨乃ちゃんがコレ全部書いたって言うのかよ?」

「監督」

 私はスポーツドリンクを手にしたまま、思ったことを口に出す。

「それは”野村香桂”が書いたものですよ。グラウンドのみんなのプレーがそこに詰まってます」
「みんな……?」

 首を傾げる監督さんと小道具さんと撮影スタッフ。
 それにマネージャーの酒井さん。勿論、彼女は野球部のじゃない。

 今のは小道具さんのための助け舟じゃないよ。

 誰にも信じてもらおうとは思わない。
 でも、事実だし。


 あ!


 ガスマスク代ください


 それ書いたのも私じゃないですよ、タバコ臭い監督さん。
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