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白河童の影太郎

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 河童の影太郎かげたろうは、その名の通り影が薄い存在でした。
 
 仲間と違い、ヌメヌメしたその肌は緑色じゃなく色白で、おまけに背が低かったので仲間内からチビの影太郎……チビカゲ――チカゲと呼ばれていました。

 チカゲが色白なのには理由があります。

 頭のお皿がみんなのように平らじゃなかったので、チカゲはそれを見られるのが恥ずかしくふさぎ込んで過ごしていました。

 滅多に沼から出ず、仲間がやっていた流行りの甲羅干しを彼だけやらないまま日々を過ごしたので、だんだんと肌が白くなったのです。

「お~い、チカゲ。少しは日光浴しないと寄生虫にやられちまうクワァ」

「ほっとけほっとけ。あいつはヘンテコな皿を見せたくないんだクワァ」

 仲間達に何を言われても、チカゲは沼に潜ったまま「オイラ、長生きなんてしたくないクワァ。どうせ仲間外れだクワァ」と独りつのです。


 皮肉にも、そのニート生活のおかげでチカゲだけが生き残りました。


 オゾン層の急激な減少により、甲羅干しをしていた仲間の河童は皮膚がただれる謎の奇病に罹ってみんな死んでしまったのです。


 独りになったチカゲは仲間の死をいたみましたが、それと同時にやっと恥ずかしさから解放された事実を喜びました。

「これからは自由だクワァ! オイラの天下だクワァ!」

 チカゲによる悠々自適な生活の始まりです。

 河童の好物は魚とキュウリと尻子玉しりこだまです。

 魚は沼にたくさんいます。

 キュウリは里にまで下りて畑から盗んでこなければなりませんでしたから、ニートのチカゲは早々と諦めました。

 尻子玉は人間の肛門の中にある幻の臓器ですが、これも人間に遭遇しないので食べることは叶いません。

 ですから、チカゲはひたすら魚だけを食べ続けていました。


              *


 それから幾星霜いくせいそうを経て、さすがにチカゲは孤独に耐えられなくなりました。

 魚にも飽きてしまい、キュウリか尻子玉を食べたい願望は日に日に強くなっていきました。

 里に下りれば両方手に入るのですが、腰が重いチカゲはなかなか決断までには至りません。

「魚はコリゴリ、里にも行けない……オイラは何のために生きているクワァ?」

 そんなある日、何と人間の子供がたった一人でこの沼へとやって来たのです。

 渡りに船だと、チカゲは水掻きの手を打ってクワァクワァ喜びました。

 残念ながらキュウリは手にしていませんでしたが、その子供の尻子玉ならば手に入ります。

 ただし、いきなり肛門に手を突っ込むことは礼儀に反しています。

 河童は子供と相撲をとることが大好きなのですが、その戦利品として敗者から尻子玉を奪うことが河童界の慣例でした。

「おい、子供。オイラと相撲をとろうクワァ!」

 いきなり沼から飛び出し頭上を飛び越えた河童を見て、その子供は「ca m'etonne」と叫びました。

 面食らったのはチカゲです。

 異国の子だとは思わなかったので、すっかり恥ずかしくなったチカゲはスゴスゴと沼に戻ろうとしました。

「待って、河童さん。わたし、日本語わかる。反射的にフランス語出たけど、驚いただけ。気にしないで」

 シャイで色白なチカゲはもう顔が真っ赤です。

「相撲? いいよ、やろう。パリ巡業で一度観た。相撲とてもエクセレント!」

 黒いショートヘアのその子供はよく見ると女の子です。とても可愛らしいまなじりは何だか素敵な癒しを与えてくれます。ピアスなんかしてて、とてもオシャレです。

「あたし、トーコ。パパは日本人でママンはフランス人なの」

 女の子だとわかったチカゲはますます赤くなって、モジモジしながら言うのです。

「オ、オイラは影太郎。みんなは『白河童のチカゲ』と呼ぶクワァ」

「みんなはどこに?」

「死んでしまって誰もいないクワァ。……もういいクワァ。おまえ、どっか行けクワァ」

「どうして? 相撲は?」

「相撲に負けたら、おまえは肛門から尻子玉を抜かれるクワァ」

「……ッ!?」

 トーコはすかさずお尻を手で隠しました。

「そ、そんなの抜いてどうするの?」

「食べるに決まってるクワァ」

「食べられたら、あたしはどうなる?」

「死にはしないが、腑抜ふぬけになるクワァ。だからとっとと親元に戻るクワァ」

 しばらく黙っていましたが、トーコは意を決して言いました。

「腑抜けのまま生きるなんてイヤ。あたしはここへ自殺しに来たの。尻子玉ならあげるから、ついでに殺して」

 これには、チカゲも慌てます。

「まだ若いのに死ぬなんて言うなクワァ! オイラそんなの望んでないクワァ!」

「チカゲには関係ない。あたしが死にたいの。さあ、相撲をとって尻子玉を抜いて。その後、あの沼に沈めてくれればいい」

 とんでもない。自分の住処すみかに人間の死体なんて……チカゲは身震いしました。

「トーコ、考え直すクワァ。どうして死にたいと思うクワァ?」

 トーコは目を伏せて言いました。

「パパとママンがケンカしちゃったの。パパはあたしを連れて日本で暮らすって……。あたし、ママンが忘れられない。ママンの作ったグラタンが食べたいの!」

「クワタン?」

「グラタン。フランス料理よ。ベシャメルソースにいろんな具をお皿に入れて、最後にチーズとパン粉をまぶしてからオーブンで焼くの。ママンのグラタンはアツアツでおいしんだから」

 グラタンの話をすると、トーコは突然メソメソ泣いてしまいました。

「ママンのところに帰りたい! パパはとっても乱暴だから! あたし、ママンと一緒に暮らしたいよう!」

 死にたいと言ったのは嘘でした。

 本当のところ、トーコはお母さんと一緒に生きたかったのです。

 そして、チカゲも健気なトーコと一緒に暮らしたいと思いました。

 もう孤独はコリゴリだ。できることなら、ずっとこの娘の側に……。

 しかし、果たしてトーコはそれで幸せになれるでしょうか?

 チカゲは思うのです。

(オイラの仲間はみんな死んでしまった。オイラだけこのまま生き長らえても、それで幸せになんてなれないクワァ……。クワタンの作り方もわからないし、魚だけじゃトーコは喜ばないクワァ。オイラの本当の幸せは……オイラに命を預けてくれたトーコを幸せにすることクワァ!)




「相撲とるクワァ!」




 突然そう叫んだチカゲに、泣きやんだトーコは目をこすりながら「ウン」と頷きました。

「一回勝負クワァ! オイラが勝ったら望み通り、トーコの尻子玉を抜いた後で腑抜けになったその体を沼に捨ててやるクワァ。もし、オイラが負けたら……」

「負けたら?」

「その時になったらわかるクワァ。――行くクワァ!!!」

 いきなりチカゲがトーコに襲いかかりました。

 フランス育ちの女の子であるトーコは、当然ながら相撲などとったことがありません。

 おまけにチカゲの体はモンゴル相撲の力士のようにヌルヌルしてて掴みづらかったので、どんどん押し出されてしまいます。

 勝負は初めから決まっていました。

 でも、トーコはそれでいいと思うのです。最初から死のうと思って彷徨さまよっていたのですから。


 土俵があればとっくにトーコは負けでしたが、ここに土俵はありません。

 沼を背にしたトーコは倒されることなく、どんどんどんどんチカゲに押されていきます。

 目の前にはチカゲの潤んだ瞳と黄色いくちばしが見えます。

 その嘴がかすかに動いた気がしました。


「幸せになるクワァ」




 え……?




              *




 セーヌ川をぼんやり眺めていたトーコは、馴染みの匂いで我に返りました。

「トーコ! シャワーを出たなら早く服を着なさい!」

 母親のその叱る声で、自分が裸なのに気づいたトーコは慌てて服を着ました。

「一体どこのドブにはまったら、あんなに汚れるのかしら? 風邪ひいちゃっても知らないわよ!」

 トーコは言い返そうとしたちょうどその時に、派手なクシャミをしてしまいました。

「ほら、言ってるそばから……。トーコの大好きなグラタンができたから、ソレ食べてベッドであったかくしてるのよ」

「あ、ありがとう、ママン……」


 トーコには見なくてもわかるのです。

 そのグラタン皿が、河童のチカゲの頭に乗っかっていたヘンテコなお皿だということが……。


 
「幸せになるクワァ」



 夢だけど……夢じゃなかった。

 あの時の言葉が今もトーコの心に生きています。

 チカゲの魂もまた、このパリの片隅――自分のすぐ側に存在しているのです。

 

 
「チカゲ、MerciありBeaucuopがとう .勿論だよ。一緒に幸せになろう、クワァ♡」


 
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