イルカノスミカ

よん

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火曜日

傷心で火曜日 7

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「ちょっとここで待ってろ」

 ミユキ先生が職員室に入る。
 授業中だから誰にも見られない。そうわかってても気まずかった。
 こんな時にキヅラガワなんかに出くわしたら……。
 そう思ってたところに、職員室から当のキヅラガワが出てきた。何という悪運!
 あたしは思わず「出たッ!」と叫んでしまった。

「コラ、瀬戸! 仮病で授業サボりやがって!」
「け、仮病じゃありません! 気分が悪くて休んでただけです!」
「全く何てヤツだ。髪は茶髪のままだし授業はサボる……インターハイ出たからって調子に乗ってんじゃないぞ!」
「く……」

 悔しくて言葉にならなかった。誰も調子になんか乗ってないって!

「はい、そこ立ち止まらない」

 キヅラガワの後ろにいたミユキ先生が、ダルそうに白衣のポケットに手を突っ込んでる。

「ミユキせんせえぇ~」

 キヅラガワを押しのけて、傷心のあたしはミユキ先生に抱きついた。
 おお、よしよしとあたしの頭を撫でながら、

「さあ、行くぞ」

 と、ミユキ先生はあたし達を促す。……え、あたし達?

「ミユキ先生、もしかして……?」
木津川きづがわ先生も同席してもらう。生徒指導主事だからな」
「えぇー、マジでぇ?」

 あたしは本人の前で露骨に不快感を示した。
 キヅラガワは「瀬戸! 何だ、その態度は?」と、プンプン怒ってる。
 フンだ!
 ミユキ先生がいればアンタなんか怖くないもんね!


 校長室は職員室のすぐ隣。
 ミユキ先生がノックすると、校長先生の甲高い声で「どうぞ」という声が返ってきた。
 石舟校長は白髪で薄い色眼鏡をかけている。小太りで優しそうなおじさん。
 一方、キヅラガワこと木津川先生は薄らハゲのアブラ性。髪が薄い分、バランスをとるためか眉毛が異様に濃い。我が校ダントツの嫌われ者だ。

「さあ、どうぞどうぞ」

 やけに腰の低い校長先生はあたし達を黒い革張りのソファーに座らせてから、

「あれ、山下先生は?」

 と、ミユキ先生に訊ねる。

「職員室にいませんでした。そこらへんで授業っぽいことでもやってるんでしょう。別にいなくてもかまいませんが」

 相変わらずひどい扱いを受ける山ピー。……一応、あたしの担任で水泳部の顧問なんだけど。

「それもそうですな」

 同意する校長も校長だ。
 一人、ムスッとしてるキヅラガワは腕組みしてあたしを睨みつけている。

「無駄話はよしましょう。早く用事を片づけて私は職務に戻りたい」
「それもそうですな」

 校長先生は朗らかに笑って同じ発言を繰り返す。

「さてと、詳しい話は加地先生から電話で聞きました。木津川先生は?」
「聞いてません! 私には『瀬戸が学校に泊まりたいと言ってるから、今すぐ校長室へ来い』だけですよ! 馬鹿にしてる!」

 キヅラガワが喋るたびに、ギラギラとテカった頭から湯気が立ち上る。

「かいつまんで話せば、瀬戸の両親がじきに離婚する。しかも、両方に決まった相手がいると。瀬戸は居場所がない。で、今後どうしたらいいか考える時間がほしいので保健室に泊まりたい……こういうわけです」
「かいつまむな! そんな簡単な説明で私が納得すると思うか!」
「しかし、木津川先生。私にも同じ説明でしたが納得しましたよ。――加地先生、了解しました。瀬戸さん、いい結論が出るといいですね」

 石舟校長、アッサリ許可をくれてそのまま立ち上がろうとする。

「こ、校長! ちょっと待って下さい!」

 当然、キヅラガワは抗議する。

「私は認めませんよ! こんなのただの甘えだ! 首に縄をつけてでも親御さんの元へ帰らせるべきです!」
「しかし、木津川先生。校長である私が認めたんですから、あなたはそれに従っていただかないと困りますな」
「よく考えてくださいよ! ウチの高校はセキュリティ面が弱すぎます。外部からの侵入なんて簡単です。瀬戸に何かあっても警備会社が来てくれる設備なんてないし、大体、親御さんだって許すはずがない」
「それもそうですな」

 校長、また座り直した。

「教育委員会に予算を出すよう訴えているんですがね。なかなか首を縦に振らないから困ってます」
「でしょう? 学校はバックパッカーを泊める無人駅じゃないんだ。生徒の身に何かあったら校長や我々の責任になる。PTAだって黙っちゃいないですよ?」

 一転、雲行きが怪しくなってきた。
 そこで、ミユキ先生がスッと手を上げる。

「もし、無理やり家に連れて帰せば、瀬戸は今度こそマジ家出して出会い系サイトで金持ってそうなスケベオヤジを調達すると言っとりますが?」

 え?
 あたしはビックリしてミユキ先生の顔を見る。
 勿論、ミユキ先生のハッタリだ。

「それは困りましたな」

 困りっぱなしの校長は前に乗り出して、あたしの手を両手で掴む。

「瀬戸さん、もっと自分を大切にしないといけません。高校生が見知らぬ夜の街に繰り出すなんて貞操の危機ですよ?」
「大切にしてます! だから、保健室を提供してください。ホントに帰る場所がないんですって!」
「しかし……」
「私が付き添います」

 ミユキ先生がまた挙手して、そう名乗り出た。
 あたしは更に驚いてミユキ先生を見る。
 もしかして、最初からそのつもりだった?

「それならば問題ないはず」
「オッケーです。その線でいきましょう」

 校長、またも立ち上がって場を締めようとする。

「校長! だからダメですって!」
「もう決定です。――さ、木津川先生、お忙しいのでしょう? どうぞ、仕事に戻っていただいてけっこうですよ」

 どうもトントン拍子で進んでる気がする。
 ミユキ先生と校長先生、まるで事前に打ち合わせしてたみたい。
 一番うるさい生徒指導のキヅラガワを巻き込んで話を進めるお芝居とか?

「オマエら、ただじゃすまさんぞ!」

 キヅラガワ、あたしとミユキ先生をおもいっきり睨んで校長室から退室する。
 あたしはドアの向こうのキヅラガワにベエーッと舌を出してやった。
 それから、校長先生に「ありがとうございます!」と頭を下げた。

「いやいや。礼には及びません」

 と、あたしの肩をポンポン叩いてミユキ先生を見ながらほくそ笑む。

「うまくいきましたな」
「これで木津川先生も共犯ですからね」

 やっぱり!
 だから、わざわざ厄介な人間に声をかけたんだ。

「ところで、加地先生。これで例の貸しはチャラになりませんか?」
「いいですよ。山崎先生はまだ五回分残ってますし、イザとなれば山下二等兵を使います」

 貸しって何だ? ものすごく気になるぞ。

「さてと」

 石舟校長、三度ソファーに座って「瀬戸さんも腰掛けてください。ここからが本当の交渉開始です」と、急にその表情が厳しくさせた。

「交渉?」

 石舟校長は頷いた。

「その前に、まずお礼を言いたい。よく我々を頼ってくれましたね」
「あ……いえ」

 あたしは戸惑う。
 まさか、こっちがお礼を言われるとは思ってもなかったから。

「さきほど加地先生が仰ったように、特に瀬戸さんのような窮地に追い込まれなくても、お金がほしいとか比較的安易な理由で危険な選択をする生徒もいるんです。実際にそうなってしまうと、学校側ができることはもはや事後処理だけです。マイナスをゼロに近づけるのが関の山……未然に生徒の安全を確保することが我々の使命ですから、瀬戸さんがSOSを出してくれたことは非常に喜ばしいのです」
「あ、ありがとうございます」

 校長先生から褒められるとは何とも気恥ずかしい。
 キヅラガワのように頭ごなしに叱られてもおかしくないのに……。

「では、交渉を進めましょうか?」
「はい」
「瀬戸さんが保健室に泊まることは問題ありません。ただし、それは今日一日限りです」
「一日だけ?」
「そう。理由は二つあります。まず第一に、瀬戸さんに付き添いできるのが、今のところ女性である加地先生一人だけということ。当然ながら、加地先生にも生活があります。何日も瀬戸さんにつきっきりというわけにもいきません」
「それはわかってます! ミユキ先生に迷惑かけたくありません。だから、あたし一人で泊めてもらいたいんです!」
「第二の理由」

 校長先生はそれに返事しないまま続ける。

「校舎内には様々な物があります。保健室には基本、危険な薬品は置いていませんが、化学実験室の薬品庫には爆弾を作成できる劇薬があります。アルコールランプにガスバーナーもある。家庭科室には包丁、職員室には各々の先生が今度の中間テスト用の資料を用意しているはずです。教職員、生徒の個人情報はパソコンで一括管理してます。金庫だってあります。……わかりますか? 瀬戸さん一人だけを夜の校舎に入れることは学校側として絶対に許可できません。あくまで、加地先生の付き添いが前提であって、それは一日が限界なのです」
「そんな……」
 尤もだとは思う。
 けれど、あたしは言葉を失ってうなだれる。
 たった一日だけじゃ何も決められない。
 それを汲み取った校長先生、

「これは第一ステップです。明日までに瀬戸さんが何らかの活路を見出せば、計画はこれで終了です。しかし、一日で全てを決めろというのはさすがに酷でしょう。なので、瀬戸さんにもう少し猶予をあげようと思います」
「え?」
「私は週末、出張で関東を離れます。泊まりの研修会です。なので、責任者として私が小田原に留まれる土曜の朝までならどうですか?」

 土曜の朝……今日が火曜日だから四日も泊まれる。

「それくらいあれば気持ちの整理もつくと思いますけど、でも保健室……校舎内はダメなんですよね?」

 校長先生が頷く。

「確かに夜中に校舎内への出入りは禁じます。施錠しますしね。しかし、体育館の一階、柔道部の道場ならば、瀬戸さん一人で泊まってもいいです。あそこは内鍵がかかりますからね」

 柔道場!
 何か強烈にクサそう。
 でも、今のあたしにしたらそれは唯一の城だ。

「ホントにいいんですか? 一人で泊まってもいいんですね?」
「むしろ、一人じゃないと無理です。瀬戸さんと一緒に男性教職員が付き添うのは何かと問題だし、加地先生以外の女性がその役を引き受けるとも思えない。……ですから、自分の身は自分で守ってください。全責任は校長である私が持ちますが、実害をこうむるのは瀬戸さん自身だ。怖いなら諦めてください。残念ながら、それ以外の条件は提示できませんよ?」

 リスクを背負ってまでも、校長先生はあたしの望みを叶えようとしてる。
 コレって"依存"じゃないよね?
 ミユキ先生や校長先生にすっごい迷惑かけてるし、やっぱりただの悪あがきだけども、そこにはれっきとした"己"がある。
 あたしは自分を見つけるために馬鹿やるんだ。
 よし、こうなったらとことん二人に助けてもらおう!

「お願いします!」

 あたしは立ち上がって、もう一度深々と頭を下げた。
 ニッコリ笑う校長先生。
 ミユキ先生はいつものように無表情だけど何かあったかい。

「柔道場で寝泊まり……まるで合宿みたいですね!」
「水泳部のか?」

 ミユキ先生が訊く。

「んんん」

 あたしは首を振る。

「家出してるから"家出部"……たった一人だしすぐ廃部になる運命だけど、これが合宿だと思えば何かしら答えが出てくるような気がするんです」

「瀬戸さん。喜んでるところに水を差すようで悪いけど、これにも条件があります」

 校長先生は戒めるように言った。

「いいですか? 今回のケースはあくまで特例なんです。瀬戸さん以外にも、面白半分で学校に泊まりたいと思う生徒も出てくるでしょうが、私は余程のことでない限りそれを許可しません。瀬戸さんの場合は特殊ですからね。……ただし、生徒達やその親はそれをエコ贔屓と見なし我々を糾弾するでしょう。我々は実に危険な橋を渡ってるんです。何を言いたいかわかりますか?」
「誰にも悟られないように行動すればいいんですね?」
「その通り。しかし、完全に騙し通すのは困難でしょうな。今週一杯が限界でしょう。……あと、もう一つ。私は責任者として、今回の件を瀬戸さんのご両親に報告する義務がある」
「えぇッ? それって必要ですか?」
「当然、必要ですよ。娘が帰宅しなかったら心配するでしょうし、その娘さんを学校で預かるんですからね」

 そういや、朝練前に母さんからかかってきた電話、出ないで切っちゃったままだ。いまだに電源さえ入れてない。

「ご両親の連絡先を教えてください」

 校長先生に言われて、あたしはパカパカケータイをスカートのポケットから取り出して電源を入れる。
 番号を読み終えると、校長先生はそれをメモして復唱した。
「では、私の条件は以上です。――加地先生、後はお願いしますよ。あ! 明日の勤務は午前中まででいいですから」

「お、ラッキー」

 立ち上がったミユキ先生は、あたしを促して校長室を出る。
 ドアを閉める前にもう一度校長先生に頭を下げて、あたしはミユキ先生の後を追った。



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