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保健室にて Oct. 31, 2014
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犬と猫の肉球をデザインしたマカロン……知ってる!
確か小田原駅近くのケーキ屋さんだよね?
放送部の後輩お薦めのそのスイーツ、受験が落ち着いたら食べてみたいとは思ってたんだけど、まさかその機会がこんなタイミングで訪れるとは、いやはや"棚から牡丹餅"とはこのことだわ。
けれども、憧れの"牡丹餅"になかなか手が出せない私。
あの不気味な微笑がいけないんだ。もし、一服盛られてたら……。
スチールデスクを挟んで、スラリとした脚を組んでいる加地先生と相対する私。室内には小さな電気ストーブしかないけれど、意外と温かく感じられた。けれども、心まではほっこりしない。
……気まずいって。
先生、何か喋ってよ。呼んだのそっちでしょ?
私が心の中でそう愚痴ったその時だった。
「相模女、AO入試で通ったそうだな。おめでとう」
「えッ!? あ、ああ……ありがとうございます!」
この人、私の心が読めるの?
それとも感情が顔に出ちゃってたのかも……やっぱ、苦手だよ。
「小田原から乗り換えなしで通えるのが最大の魅力だな。メディア情報学か。実におまえらしいよ」
――ッ!?
「先生……どうして、そこまで私のことを知ってるんですか?」
「私は全生徒のデータをインプットしている」
「ほ、本当に? 凄いですね! 尊敬しちゃいます」
「そんなわけあるか。嘘に決まっているだろう」
「……」
湯気立つマグカップ片手に、得意げ且つ冷やかに私を見つめる加地先生。
「どうだ、少しは和んだか?」
「逆に硬直しそうですが」
「それはいかんな」
失敗失敗と口ずさみつつ、加地先生は首をひねる。この人、これで本当に名カウンセラーなの?
「部対抗リレー」
「え?」
いきなり切り出してきた。
「今年の体育祭だよ。望月のあの実況は実に見事だった。私が東高に着任して以来、間違いなく一番盛り上がった瞬間だったと断言しておこう」
加地先生のその発言に、一ヵ月前の記憶が鮮明に蘇る。
そうだ。私はあの時、体育祭の本部席で部対抗リレーを実況していた。"リレー"とは名ばかりの観客席をも騙し巻き込んだあのお芝居に、私も声だけ――裏方として"出演"していたのだ。
加地先生の言葉は決して誇張なんかじゃない。あの瞬間、東校は完全に一つになった。
ずっと思っていた。
誰も放送部の声に耳を傾けてなんかない、と。
それでもいい。将来は何かを伝える仕事に就きたいと夢見る私にとって、それも訓練の一環だと捉えれば瑣末な問題に過ぎないと受け流してこれたんだ。
けれど……あの時だけは自分で喋りながら鳥肌が立った。
私より一つ下の子達が企てた、アトラクションとはいえ"部対抗リレー"という競技を完全に牛耳ったのだから。そこに実況として参加できたことを誇りに思う。
前日に簡単な打ち合わせはあったにせよ、大半はアドリブだった。あの子達も私も。
その私の感じたありのままの声で、グラウンドは須臾にして感動的な舞台へと姿を変えたのだ。
私はあの実況に心から満足しているし、来春は大学でより専門的な分野に身を投じることができるんだ。これ以上の幸せなんてないよ。
それを思えば卒業までの数ヵ月、クラスに居場所なんてなくてもかまわない。誰も私を理解してくれなくたってあと少しの辛抱じゃない。
でも、ここにいた。
私のことを見てくれた人が……。
今ならわかる気がする。この人が学校中の人達から慕われる理由……私ってば単純だ。
「加地先生……ありがとうございます」
「ミユキでいい。みんなはそう呼んでいる。礼はいらんからマカロンを食べてくれ。何を思ったか、急に旦那が買ってきたんだ。捨てるのも気が引ける」
今にも熱いものがこみ上げてきそうだったけれど、その発言に救われた。
ミユキ先生を安心させる為にも、私はピンク色の猫を一齧り。
甘酸っぱい。フランボワーズ味……ルイボスティーとよく合う。
でも、どうしてコーヒーや紅茶じゃなくルイボスティーなんだろう?
「ミユキ先生」
「ん?」
「まさか、このマカロンって私の合格祝いじゃないですよね?」
「ああ、違うな。ただ、日程の早いAO入試でおまえが早々と合格を決めたことは、私にとって大変都合がいい」
……都合?
「さすがに、受験生を厄介事に巻き込むわけにはいかんだろう。だが、その障害もなくなった。マカロンはいわば私とおまえのお近づきのしるし――望月、明日からの三連休、どこでもいい。一日だけ私にくれ」
「それって、私じゃないとダメなんですか?」
「おまえじゃないとダメなんだ」
ミユキ先生はキッパリそう言い切った。
何だろ? 私ができる事って人前で喋ることくらい。何かの司会とかだろうか。
それくらいなら別にいいどころか是非やらせてもらいたい……けど、油断は禁物。
何しろ、ミユキ先生のあの微笑は絶対に裏があるに違いないから。
「具体的には何をすればいいんでしょうか?」
「それを説明する前に、まず見てもらいたい物がある」
スッと立ち上がったミユキ先生は作業用の机の引き出しに手を掛け、一枚の紙片を取り出して無言のまま私にそれを差し出した。……これって「見ろ」ってことよね?
随分と色褪せてるのは何故?
え、まさかの入部届! しかも放送部に、だ。
1年2組 鈴木道成
そう書いてある。
誰? 一年……まして男子なんて知らないし。
意味わかんない。
届け先が放送部なのは百歩譲ったとしてだよ。だからって、どうして今更こんなのを私に?
確かに私は放送部の部長だったけど、それも過去の話。今は引退して私は部外者だもの。
コレ渡すなら顧問か現部長でしょ?
「ミユキ先生……?」
「わけがわからないという顔だな。……その入部届、ずっと私が預かっておいた」
ずっと……?
私はもう一度、そこに目を落とす。
――ッ!?
"ずっと"の意味がわかった。
放送部に入部したく、ここに届け出いたします
その横の日付を見て私は愕然とした。
2012年5月17日
それって、私が小田原東に入学した年だ!
つ、つまり鈴木道成くんは……この私と同級生だってことになる!
確か小田原駅近くのケーキ屋さんだよね?
放送部の後輩お薦めのそのスイーツ、受験が落ち着いたら食べてみたいとは思ってたんだけど、まさかその機会がこんなタイミングで訪れるとは、いやはや"棚から牡丹餅"とはこのことだわ。
けれども、憧れの"牡丹餅"になかなか手が出せない私。
あの不気味な微笑がいけないんだ。もし、一服盛られてたら……。
スチールデスクを挟んで、スラリとした脚を組んでいる加地先生と相対する私。室内には小さな電気ストーブしかないけれど、意外と温かく感じられた。けれども、心まではほっこりしない。
……気まずいって。
先生、何か喋ってよ。呼んだのそっちでしょ?
私が心の中でそう愚痴ったその時だった。
「相模女、AO入試で通ったそうだな。おめでとう」
「えッ!? あ、ああ……ありがとうございます!」
この人、私の心が読めるの?
それとも感情が顔に出ちゃってたのかも……やっぱ、苦手だよ。
「小田原から乗り換えなしで通えるのが最大の魅力だな。メディア情報学か。実におまえらしいよ」
――ッ!?
「先生……どうして、そこまで私のことを知ってるんですか?」
「私は全生徒のデータをインプットしている」
「ほ、本当に? 凄いですね! 尊敬しちゃいます」
「そんなわけあるか。嘘に決まっているだろう」
「……」
湯気立つマグカップ片手に、得意げ且つ冷やかに私を見つめる加地先生。
「どうだ、少しは和んだか?」
「逆に硬直しそうですが」
「それはいかんな」
失敗失敗と口ずさみつつ、加地先生は首をひねる。この人、これで本当に名カウンセラーなの?
「部対抗リレー」
「え?」
いきなり切り出してきた。
「今年の体育祭だよ。望月のあの実況は実に見事だった。私が東高に着任して以来、間違いなく一番盛り上がった瞬間だったと断言しておこう」
加地先生のその発言に、一ヵ月前の記憶が鮮明に蘇る。
そうだ。私はあの時、体育祭の本部席で部対抗リレーを実況していた。"リレー"とは名ばかりの観客席をも騙し巻き込んだあのお芝居に、私も声だけ――裏方として"出演"していたのだ。
加地先生の言葉は決して誇張なんかじゃない。あの瞬間、東校は完全に一つになった。
ずっと思っていた。
誰も放送部の声に耳を傾けてなんかない、と。
それでもいい。将来は何かを伝える仕事に就きたいと夢見る私にとって、それも訓練の一環だと捉えれば瑣末な問題に過ぎないと受け流してこれたんだ。
けれど……あの時だけは自分で喋りながら鳥肌が立った。
私より一つ下の子達が企てた、アトラクションとはいえ"部対抗リレー"という競技を完全に牛耳ったのだから。そこに実況として参加できたことを誇りに思う。
前日に簡単な打ち合わせはあったにせよ、大半はアドリブだった。あの子達も私も。
その私の感じたありのままの声で、グラウンドは須臾にして感動的な舞台へと姿を変えたのだ。
私はあの実況に心から満足しているし、来春は大学でより専門的な分野に身を投じることができるんだ。これ以上の幸せなんてないよ。
それを思えば卒業までの数ヵ月、クラスに居場所なんてなくてもかまわない。誰も私を理解してくれなくたってあと少しの辛抱じゃない。
でも、ここにいた。
私のことを見てくれた人が……。
今ならわかる気がする。この人が学校中の人達から慕われる理由……私ってば単純だ。
「加地先生……ありがとうございます」
「ミユキでいい。みんなはそう呼んでいる。礼はいらんからマカロンを食べてくれ。何を思ったか、急に旦那が買ってきたんだ。捨てるのも気が引ける」
今にも熱いものがこみ上げてきそうだったけれど、その発言に救われた。
ミユキ先生を安心させる為にも、私はピンク色の猫を一齧り。
甘酸っぱい。フランボワーズ味……ルイボスティーとよく合う。
でも、どうしてコーヒーや紅茶じゃなくルイボスティーなんだろう?
「ミユキ先生」
「ん?」
「まさか、このマカロンって私の合格祝いじゃないですよね?」
「ああ、違うな。ただ、日程の早いAO入試でおまえが早々と合格を決めたことは、私にとって大変都合がいい」
……都合?
「さすがに、受験生を厄介事に巻き込むわけにはいかんだろう。だが、その障害もなくなった。マカロンはいわば私とおまえのお近づきのしるし――望月、明日からの三連休、どこでもいい。一日だけ私にくれ」
「それって、私じゃないとダメなんですか?」
「おまえじゃないとダメなんだ」
ミユキ先生はキッパリそう言い切った。
何だろ? 私ができる事って人前で喋ることくらい。何かの司会とかだろうか。
それくらいなら別にいいどころか是非やらせてもらいたい……けど、油断は禁物。
何しろ、ミユキ先生のあの微笑は絶対に裏があるに違いないから。
「具体的には何をすればいいんでしょうか?」
「それを説明する前に、まず見てもらいたい物がある」
スッと立ち上がったミユキ先生は作業用の机の引き出しに手を掛け、一枚の紙片を取り出して無言のまま私にそれを差し出した。……これって「見ろ」ってことよね?
随分と色褪せてるのは何故?
え、まさかの入部届! しかも放送部に、だ。
1年2組 鈴木道成
そう書いてある。
誰? 一年……まして男子なんて知らないし。
意味わかんない。
届け先が放送部なのは百歩譲ったとしてだよ。だからって、どうして今更こんなのを私に?
確かに私は放送部の部長だったけど、それも過去の話。今は引退して私は部外者だもの。
コレ渡すなら顧問か現部長でしょ?
「ミユキ先生……?」
「わけがわからないという顔だな。……その入部届、ずっと私が預かっておいた」
ずっと……?
私はもう一度、そこに目を落とす。
――ッ!?
"ずっと"の意味がわかった。
放送部に入部したく、ここに届け出いたします
その横の日付を見て私は愕然とした。
2012年5月17日
それって、私が小田原東に入学した年だ!
つ、つまり鈴木道成くんは……この私と同級生だってことになる!
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