短編集 free ride(人の褌で相撲を取る)

よん

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ゴーグル

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 ここは……何処?

 いつの間にか伏せ寝していた少女は、ずれた赤の眼鏡アンダーリムを直しながら周囲を見回した。
 いつも通っている地元の図書館に似ているようで、微妙に雰囲気が違っている。
 図書館……そう、わたしは勉強していたんだった。
 鼻根部が痛い。鼻パッドがかなり食い込んでいる。
 何度も指先でそれを撫でながら記憶の糸を辿ってみる。

 今日は確か学校が休み……英語と物理の復習に時間を割こうと、わたしは早起きをして家を出た。場所を確保するのが大変だから。

 でも、机の上にある見開きページは英語でもなければ日本語でもない。
 そして、右の隅っこにはクラシカルな航空機の写真が掲載されている。


 Macchi M.C.202


稲妻フォルゴーレ、70年ぶりだな。懐かしい」

 ――ッ!?

 驚いて振り返ると、すぐ近くには軍服を着用した若い西洋人の男が本を覗き込んでいた。

「私はかつて、これに乗っていたんだよ。イタリア王立空軍の撃墜王エース・パイロットとして名を馳せていた」 
「イタリア人……ですか?」
「そうだよ。でもキミは率直な疑問を抱いている。『どうして日本語を喋っているの?』とね。答えは明瞭だ。ここはキミの夢の中だからさ」
「え? あ、あの……」
「心配いらない。すぐに御暇するよ。だが、その前に私の問い掛けに答えてほしい。……キミは将来、何をしたいんだ?」

「…………」

 言葉に詰まる。
 唐突な質問ではあったにせよ、それはこれまで何度も自問自答していたものと同じだった。

 答えたい。
 でも、答えられない。何のための受験勉強だろう……。
 自分自身のことなのに、それがどうしても出てこないのだ。

「何も見えないかね?」

 少女はコクリと頷き、そのまま項垂れる。鼻根部の痛みなどとうに忘れてしまっている。

「キミの眼鏡はいつも曇っている。だから何も見えないんだ」

 男はそう言うと、机の上に使い古されたゴーグルを置いた。

「コイツをキミにあげよう。普段はこれを首にぶら下げるといい」
「え……」
「私はそのために70年の歳月を経て地上へと降りてきたんだ。だが、早くも次のフライトの時間が来てしまった。行かなきゃならない」
「ま、待ってください! 行かないで!」

 少女は慌てて椅子から立ち上がり、去ろうとする男の袖をはっしと掴んだ。

「わたしはどうすればいいんですか? わたしは……」
「黙って、可愛い人」

 少女の言葉を遮った男は、机に置いたばかりのゴーグルを首に掛けてやると、潤む瞳を見つめながら優しく微笑んだ。

「Stupenda! 素晴らしく似合ってるよ。コイツをその曇った眼鏡の代わりに掛ければ、どんな積乱雲に突入しても視界は良好だ。……だがね」

 男はウインクして更にこう続けた。

「その曇った眼鏡でしか見えない景色も存在するんだよ。ゴーグルはあくまでお守りとして持っておくんだ。……いいね? Addio!」





 やがて、少女の目が覚める。

 その首にぶら下がるは――ゴーグル!




 少女は赤の眼鏡アンダーリムを外して涙を拭った。


「視界……良好どころか最悪だよ、もう! いきなり現れたと思ったら『永遠にサヨナラ』って……あんまりじゃない! AddioじゃなくArrivederciまたねって言ってよ!」

 ほんの一瞬だった……。


 撃墜されちゃったじゃない。

 あのキザなエース・パイロットに。



 
    
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