人を咥えて竜が舞う

よん

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第6章

チルの会議 9

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 ヒエンが身を乗り出そうとした時だった。
 背後から人の気配がした。
 振り返ると、見張り兵のルクがこっちに近づいて来る。

「ヒエン殿」

 名を呼ばれたヒエンはあからさまに「チッ!」と舌打ちした。

「え?」

 ルクは圧倒されて歩を止めてしまった。
 さっきまでのフレンドリーな態度とずいぶん違う。

「どうされました?」
「何でもないッ! オマエこそ見張りはどうしてん?」
「み、見張りは……ただいま休憩中です」

 いきなりの喧嘩腰にルクは怖気づいたが、何故かそれでもヒエンの側へとやって来た。

「それに本日は既に竜の飛来を確認したので、それほど厳重に監視を続ける必要もないのです。……ヒエン殿、あなたの気持ちはわかります。あの少年は残念でしたな。しかし、見事な最期でしたぞ」
「最期て何やねん! ダストは死んでないわッ!」

 ヒエンの怒鳴り声に、ビショプとナトーは何事かと振り返る。
 しかし、ルクは何でもないと彼らを手で制してそのままヒエンの横へと並ぶ。

「聞いてください。三年前、私は許嫁を亡くしました。竜に連れ去られたのです」
「……」

 ヒエンから怒気がサッと消えていく。

「あなたと同じ境遇です。私もあの頃は荒れ狂いました。しかし、いつまでもこのままじゃいけないとシバルウ王国軍への入隊を志願したのです」

(同じ境遇……?)

 釈然としないながらもヒエンは冷静さを取り戻した。
 ヒエンのやったように、死神が舌打ちをして去って行く。

「そう言うたら、ルクはダストが連れ去られる瞬間ここで一部始終見てたんやな」
「正確には石段の最上段で控えていたのです。……我々三人が見張っていた夜明け前のことです。何の予告もなく、衛兵長が金髪の少年と共にここへ来て言うのです。『オマエ達は下がれ。まもなくここに竜が来るはずだ』と……。竜がやって来る場所など事前にわかるはずもないと我々は思いましたが、何しろ上官の命令は絶対なのでそれに従いました。そして、ダストという少年だけがここに残ったのです」

 衛兵長もあの大会議室に出席していたので、半信半疑ながらも竜の飛来を前提に部下を下がらせたのだろう。

「私はそこの階下に隠れて、たった一人で竜を待つ少年をずっと見守っていました。少年の目的が何なのかはわかりませんが、手を組んでひたすら祈っている様子でした」

(竜と交信してたんや。アイツのことやから、竜を怒らせんよう穏便に話つけたんやろな)

「本当に竜がやって来た時、私は思わず声を出しそうなくらい驚きましたが、少年は立派でした。目の前に竜が現れても全く臆することなく、自ら竜へと近づき咥えられたのです。そして……そこで初めて少年は絶叫しました」
「何て?」

 ヒエンの問いかけに、ルクは赤面しながら「『ヒエン、愛してる』……」と恥ずかしそうに言った。

 それを聞いたヒエンも真っ赤になる。
 ルクが同じ境遇と言った意味がやっとわかった。
 彼はヒエンが恋人を失ったと勘違いしてわざわざ慰めにきてくれたのだ。

(……まあ、恋人と同じくらい大事な仲間やけどな)





「二人は付き合ってるのにゃ?」





 ヒエンとルクの目が点になる。
 ハンチング帽をかぶり眼鏡を掛けた童女が、二人を冷やかすように立っていたからだ。

「モ、モブランッ!」

 ヒエンの大声に、またもやビショプとナトーが振り向いた。
 だが、彼らはモブランの姿を確認できなかった。
 ヒエンの後ろに素早く隠れたからだ。
 今度はヒエンが彼らを手で制する。

「だ、大丈夫や! 来んでええッ!」

 彼らは小首を傾げながら、そのまま見張りを続ける。
 ヒエンは心臓をドキドキさせながら背後に潜む首根っこを掴み、きょとんとするモブランを睨んだ。

「オ、オマエ……いつからおってん?」

 モブランは男の声色で「『ヒエン、愛してる』ってところからにゃ」と悪びれる様子もない。
 混乱するルクは「知り合いですか?」とヒソヒソ声で訊ねる。
 コクリと頷くヒエン。

「知り合いやけど、みんなに黙っといて。コイツ、入城許可されてへんねん」
「えぇッ?」

 ルクは信じられないという顔でヒエンとモブランを交互に見る。

「そ、そんな馬鹿な……。じゃあ、この子はこの厳重な主城に闖入したってことですか?」
「全然厳重じゃないにゃ。穴だらけなのにゃ」

 モブランの発言にショックを隠しきれない見張り兵は、その場でガックリ膝を落としてしまう。
 更には「死に損ないのジジイがベッドでお漏らししてたにゃ」と、追い打ちを掛ける。

「そ、それってもしかして、主城の心臓部である聖生神様の私室に入ったってことじゃ……」
「ルク、気にすんな。オマエのせいやない。コイツはタダの盗賊ちゃう。特別や」

 その言葉が耳に入ったかどうかはわからない。
 自分含め警護の不備を情けなく感じたルク、衛兵を代表してその場でさめざめ泣きだした。

「およ? どうしちゃったにゃ?」
「オマエのせいやろ。……て言うか、何でここにおるんや? ルーザンヌんとこで待っとけ言うたやんけ」
「モォ、ずいぶん待ったにゃ! 待ち疲れたにゃ!」

 立腹のモブラン、矢継ぎ早にヒエンへ怒りをぶつける。

「ユージンから手紙が来たにゃ。『オレはザールに戻る。兜と鍋盾とフィルクの剣はルーザンヌにくれてやる。モブランはヒエンとダストが帰ったら一緒に旅をしろ』って書いてあったにゃ。これはどういうことにゃ? ユージンは何でザールに行っちゃったのにゃ? どうしてヒエンとダストはお城から戻って来ないにゃ? きっとモォのこと忘れて酒池肉林の日々を送ってるのにゃ! モォだけノケモノにして許せないにゃ!」

 モブランは息を切らしてヒエンをまっすぐ見つめる。

「モォ、お城中捜したにゃ。やっとヒエン見つけたにゃ。だけど、ダストはどこ捜しても見つかんないのにゃ。……ヒエン、ダストはどこにいるにゃ?」

 残酷すぎる質問だ。
 ヒエンは答えられない。
 泣きやんだルク、拳をギュッと固めたヒエンを見つめている。
 その拳からは血が滲み出ていた。

「モブラン……よう聞け」
「にゃ?」
「オマエは今すぐルーザンヌんとこ戻れ。じきにダストも戻る」
「ホントかにゃ?」
「ウチを信じろ。約束する」
「ヒエン」

 モブランは探るような目でヒエンを見つめる。

「モォ、グレンナから見たにゃ。竜がお城に向かって飛んでるのを。……もしかして、ダストが竜に連れ去られたんじゃないかにゃ?」
「――ッ!」

 ヒエンの目がカッと開き、いきなり叫ぶ。

「オイ、オマエらッ! ここに怪しい盗人がおるぞッ! 早く捕まえろッ!」

 三度みたび、ビショプとナトーが振り返る。

「今度こそオマエらの出番や! 曲者が城に忍び込んでるぞッ! ルク、オマエもメソメソしてる場合やない! そこのクソガキさっさと捕まえんかいッ!」
「ヒ、ヒエンッ?」

 突然の裏切りに当惑するモブラン。
 ルクもヒエンの豹変ぶりにどう動いていいのかわからない。

「……その子はヒエン殿のお仲間ではないのですか?」
「こんなヤツ仲間でも何でもないわッ! コイツのせいでウチは憲兵署で一晩過ごした過去があるし、そん時のモスベリー代もいまだに返してもろてへん! おまけに、おとなしく待っとけ言うたん無視してこんなとこまでノコノコ来やがって……とっとと帰れッ! オマエの顔見てたらムシャクシャするわッ! これ以上ウチの前にその眼鏡ヅラ見せんなッ!」

 ルクはまたもヒエンとモブランを交互に見る。
 幼いモブランは目に涙をいっぱい浮かべて、哀願するようにヒエンを見つめている。

「……ウ、……ウソにゃ。ヒエンはそんなひどいこと言わないお人なのにゃ」

 非情なヒエンは視線を逸らして静かに告げる。

「邪魔や。失せろ」

 決定的だった。
 懸命に堪えていたモブランは一気に感情を爆発させる。

「ヒ、ヒエンのバカアアアアアアアアァ――ッ!」

 モブランのこの大絶叫に、さすがに遠くにいた見張り兵も只事ではないとこっちに向かって走って来る。
 モブランはそんな二人をかわして颯爽と階下へ消える。
 とてもじゃないが彼らにモブランは捕まえられないし、それをわかった上でヒエンは童女の不法侵入を明かしたのだ。


 この子は既にこの年齢で人間の一生分苦しんできた。
 もうこれ以上は誰もモブランを傷つけてはならない。
 特に、仲間であれば尚更それを肝に命じてほしい。


 ルクだけは侵入者を追わずに、うつむいたヒエンの側から離れなかった。

「……ヒエン殿」

 ナニワームの少女は憔悴しきった顔で虚空を見つめていた。

「ウチ、どうしてええかわからん。もうムチャクチャや。生きてても何もええことあらへん。死んだところでフィルクに合わす顔もあらへんわ……」

 思わず吐いたヒエンの本音に、ルクは掛けてやる言葉も思いつかない。
 事情をよく知らないので変な相槌を打ったところで何にもならない。
 ならばできることをやろうと、ルクはおもむろに真っ白いサーコートの端をちぎった。

「手を出してください」
「え?」
「早く」

 ルクがヒエンの右手首を強引に掴み、爪の食い込みで真っ赤に染まる手のひらにサーコートの切れ端を包帯代わりにグルグルと巻く。
 あまりの手際の良さに、ヒエンは思わず「うまいな」と褒めた。

「衛生班も兼ねてますから。本当は消毒しなきゃいけませんが。……それよりあの子、大丈夫でしょうか?」
「モブランは絶対に捕まらん。悪いけど、オマエらとは潜り抜けてきた修羅場が違う」
「いや、そうじゃなくて……」

 そう言ってから、ルクはしまったと思った。
 理由は定かじゃないが、ヒエンは拉致されたダストのことをモブランに悟られないために、あえてひどい言葉を投げ掛けたのだ。
 当然ながらモブランも傷ついたが、それと同じくらいヒエンも傷ついている。
 わざわざそこを掘り下げる発言をした自分はどうしようもない馬鹿だ。

「……」

 一度口を開きかけたヒエンだが、そのままルクに背を向けて目を閉じると硬い石床の上に正座した。
 ルクを拒絶したわけではない。
 今にも壊れそうな己の精神を落ち着かせるべく、ヒエンは深思の世界へと入った。
 グリーブに覆われた脛はマシだが、膝の痛みだけは尋常じゃない。
 それでも、ヒエンは正座を解かなかった。
 膝の痛みを感じればそれだけ心の痛みは軽減されるからだ。
 そんなヒエンの姿を見て、ルクは胸が締めつけられる思いがした。
 彼女が何を考えこれから何をしようとしているのかはわからないが、その苦しみの一部でもこの自分に分けてほしいと思った。
 けれども、そんな思いさえ彼女には邪魔なのだろう……。
 そう考えると、ルクはまた泣きたくなった。
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