人を咥えて竜が舞う

よん

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第6章

チルの会議 8

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 ミチルが姿を現した時、石壁沿いに立っていた三人の見張り兵は凍りついてしばらく動けなかった。
 見張り塔は彼女ほどの高貴な身分の者が足を運ぶ場所ではない。

「アイツら、ムチャ緊張してるやん」
「実は私も緊張しています」
「……?」
「こ、高所恐怖症ですから。竜に咥えられて以来……」

 澄ました顔で本音を吐くミチルに、ヒエンは人間味を感じて少し嬉しかった。

「ここでええわ。後はウチに任せて部屋に戻っとき」
「しかし、あの者達に……」
「見張り兵くらいならウチだけで対応できる。オマエ、手ぇ震えてるやんけ」
「震えてなど……」

 否定しようとしたミチルだが、本当に震えていることに気づいて何も言えなかった。
 両手を隠すよう後ろに組んだミチルはヒエンをまじまじ見つめている。

「ヒエン」
「何や?」
「……またあなたを抱きしめたいです」
「ゲッ!」

 ヒエンはゾッとして後ろに仰け反った。
 心外とばかりに、ミチルはムッとする。

「決してヘンな意味ではないです」
「けど、アイツらはそう見んやろ?」
「そうですか」

 残念そうなミチルはうつむいたまま、ポツリと呟く。

「……ご武運を」


 未練を押し殺して、ミチルはそのまま振り向かずに石段を降りて行く。
 去り際がユージンに似ている。
 ユージンやミチルと会うことは二度とあるまい。
 今生の別れを悟ったから、ミチルはヒエンを抱きしめたかったのだろう。
 名残惜しいのはヒエンも同じだった。
 折角、心が通じ合えたのだ。
 年齢は違えど、同じ故郷を持つミチルとはもう少しいろんな話がしたかった。
 けれども、そんなセンチメンタルな感情がダスト救出の邪魔をする。
 そもそも、その救出の方法もまだ完全な白紙状態なのだが……。

 ヒエンの方から三人の見張り兵に近づく。
 真っ白のサーコートをまとい角笛を手にしていた彼らは、ピンと姿勢を正してヒエンに投げ掛けられる言葉を待っている。
 ミチルと一緒にいたからだろう、彼らはヒエンが何者かはわからないが、失礼な態度をとってはいけない人物だと認識したようだ。

「おはようさん。何か勘違いしてるみたいやけど、ウチは別に偉ないから楽にしてええで」
「はいッ! ありがとうございます!」

 彼らはまだ警戒を解かない。
 三人ともずいぶん若そうだ。

「ウチはヒエン。ナニワームから来た捕縄術の師範代でタダの庶民や。アンタらの方が身分は上やから緊張せんといてな」

 それを聞いた三人は顔を見合わせて、ナマリの強い風変わりの女とどう接するべきかを目だけで確認している。
 相手が庶民なのは一目でわかったが、臣長と一緒に来たことを考えると、粗野な言動は慎むべきだと結論づけたらしい。
 見張り兵の一人が一歩前に出る。

「私はルクと申します。失礼ではありますが、ヒエン殿はどうしてこのような場所に参られたのか、お聞かせいただけますでしょうか?」
「ルクは幾つなん?」

 ヒエンは質問を無視して年齢を訊いた。

「はい、今年で十八になりました」
「ほんならウチとタメやん。……そっちの二人は?」

 ルクの両隣りにいたビショプとナトーも同じ十八歳の新兵だった。
 まだロクに髭も生えていない少年達は、視力と聴覚の良さを買われて見張り役を命じられていた。

「何や、全員同い年やんか。……そういうわけやから何も緊張せんでええよ。ホンマはウチがアンタらに敬語で喋らなあかん立場やけど、そんなん使たことないからこのままいかせてもらうわ」
 ヒエンがニッと笑うと、ようやく三人はホッとして表情が崩れた。

「ウチがここに来た理由は言われへんけど、明日までここにおらしてもらうわ。アンタらの邪魔せえへんから、そのまま見張りの任務続けてや」
「それはチル臣長殿の許可を得てのことですか?」
「うん、そうや」

 それなら安心と、彼らはそれぞれ自分の持ち場に戻る。
 ヒエンは城下を一望できる場所に移動した。
 見事に白一色で統一されている王都は眺めとして最高に美しく調和されている。
 市場は行き交う人々で活気づいているし、その遥か先に見える凱旋門はシバルウ王朝の権威を示す建築物の役割を十分過ぎるほど担っている。
 その凱旋門を越えた所に、城内とは別の真っ白な見張り塔がある。
 初めてあの見張り塔を見たのはもう何日前になるだろう。
 あそこから凱旋門を抜け、憲兵と一悶着あってからキラースと出会った。
 そのキラースももうこの大陸にはいない。
 一陣の風の如くヒエンの前に現れ、あっという間に去ってしまった男は今頃どうしているだろうか……。

(――あかんッ!)
 
 ヒエンはそれ以上、考えるのをやめた。
 感傷に浸っている余裕など今の彼女にはない。
 一見、いつもと変わらぬ朝の風景のように思えるが、この主城に竜が舞い降りてダストを咥え去ったのは今朝の出来事だ。

(竜と相対した時、アイツどんな気持ちやったんやろな。ウチなんかのために無理して……)

 一度、頭の中を整理しなくてはならない。

(ミチルが言うには、竜は人類同士の潰し合いを望んでる。ダストはその道具として火山島へ連れ去られた。ダストの墜死は竜との交渉決裂を満天下に知らしめる儀式として、これ以上にないくらいの衝撃を人類に与える。仮にウチがダストを救えたとして、それは一時的な……或いはウチ個人的な満足に過ぎん。結局、ダストがウチの身代わりになったように、別の誰かがダストの代わりになるだけや。そうなったら、今の辛うじて保ってるシバルウ王朝の権威は脆くも崩れ落ちる。そして、ミチルが真っ先に殺されてしまうんや。……あかんねん! ダスト救っただけやったら何も変わらんやん! 物事の根本を覆さん限り、ホンマにこの世の中は竜に潰されてしまう。この目の前の日常的な人間の暮らしが全部なくなってしまうんや!)

 解決策なんて簡単に浮かぶはずがない。
 あればとっくの昔に別の人間がやっている。
 それを翌朝までにたった一人で見つけ出すなど絶対に不可能だ。
 そもそも、ミチルにあれだけ大口を叩いてみたものの、自分自身がこの先を生きて行こうとは思っていないのだ。
 そんな人間が人類存亡の危機など救えっこない。
 絶望に陥ったヒエンは見張り塔の真下を覗き込んだ。
 落ちたら間違いなく即死である。

(ダストを乗せた竜が来る前に、ウチがここから飛び降りたら……それはそれで一番楽やな。それでウチはオカンとオトンの呪縛から解放されるんや。ダストが死ぬんを見ることなく、ミチルの失望のまなざしに傷つくこともない。……悪くない。むしろメリットしかあらへん。この場所こそがウチの探し求めた死に場所やんか。エラそうに啖呵切っといてウチが先に逝くんや。卑怯や何や言われたところで、死んでしもたら痛くも痒くもないわ)

 目を閉じ、フーッと大きく息を吐く。

 死神がニタニタ笑いながらすぐそこで待機している。


(――みんな……サラバやッ!)
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