人を咥えて竜が舞う

よん

文字の大きさ
上 下
45 / 57
第6章

チルの会議 3

しおりを挟む
 ヒエンはその意味が本当にわからなかった。
 目の前の女は高慢だが、人をからかうような性格ではない。
 混乱するヒエンに「もしかして!」と目を丸くさせたのはダストだった。

「ヒエン! 護身術のことを言ってるんじゃない?」
「あッ!」
「あなたはなかなか聡明ですね」

 チルはニコリと笑って、ダストの頭を撫でようとする。

「触んな、汚らわしいッ!」

 虫酸が走ったヒエンはその手を乱暴に叩き、

「どけッ! 誰がオマエなんかに教えるかッ!」

 チルを押しのけた。
 よろめいたものの、気丈なチルはなおも扉の前に立ちふさがる。

「あなたはナニワームで手紙を読み、護身術を私に教えると承諾したからここへ来たのでしょう? ならば、それを実行なさい」
「護身術はタダの口実やろ! ウチはそれわかってて連絡船乗ってここまで来たんや。ウチらはオマエが望む通り、海トカゲを生け捕りにした! もうそれでお役御免やろがいッ!」
「私はこの城内ではとても敵が多いのです。今回の件でその敵は一気に増えて、いよいよいつ暗殺されてもおかしくないところまできています」
「その前にウチが殺したろか?」

 殺気立つヒエンの表情に、チルはやや顔を引きつらせる。

「……穏やかではありませんね」
「ウチはもう何の抵抗もなく人を殺せる。テフスペリアでそんくらいの経験してきたんや。……そもそも、オマエは腹くくって勝手に行動してたんちゃうんか? 敵が多いとか今更何ビビッとんねん!」

 喋れば喋るほど、目の前の女に対して怒りが増してくる。
 ユージンが離れてしまった今、ヒエンを止めるのはダストしかいない。
 けれども、年少のダストは女同士の言葉による応酬に口をはさめないでいた。

「あなたに言われるまでもありません。近いうちに何らかの形で私は死ぬでしょう。ただし、それが今であっては絶対にならないのです。理解していただけますか?」
「知ったこっちゃない。それはオマエの問題であってウチの問題やない。さんざん好き勝手にやっといて、この期に及んで保身を図ろうなんて虫がよすぎるとは思わんか?」

 チルは探るように、ヒエンの覚悟に満ちた目を見つめている。

「……なるほど、あなたは私同様に死を意識している。自暴自棄での発言ではありませんね」
「分析通りや。むしろ死に場所を探してるくらいやし。ここでオマエと道連れでもかまわん」

 それを聞き、悲壮な顔でダストはヒエンにしがみついた。

「ヒエン! ダメだよ、そんな風に考えちゃ! いろいろあったけど、僕達は今こうして生き残ってるんだ! だったら、もっと自分の命を大切にしないと!」
「……ダスト」

 一転、ヒエンは優しい顔つきになって、今にも泣きそうなダストのサラサラ髪を撫でてやる。

「ありがとな。でも、もう自分の中では答えが出てるんや。あの"生死の境界"でダストが言うたよな。……その通り。ウチはもう死ぬ覚悟ができてる。ウチはオカンが死んだ年齢を越えたくない。予定よりちょっと早まったけど、それを残念とは思わん。オマエが幸せに生きてくれたらウチもこの世に未練はない」
「ヒエン! 死んじゃイヤだッ!」

 ヒエンにワッと抱きつくダスト。
 それを見たチルは口元を隠してクスクス笑う。

「ヒエン、あなたは本当に愚かですね。わざわざ自分の弱点を晒すとは」
「……どういう意味や?」
「あなたが今、自分の口で言いました」

 チルはダストを指さす。

「私に従わなければ、その少年を殺します」
「……な、何やてッ?」
「当然、あなたが先に私を殺してもその少年は生きてここを出られないでしょう。……それでもかまわないならば、どうぞ好きになさい」

 そう言い終えると、扉の前から離れたチルは涼しげな顔でヒエンの出方を待っている。
 選択肢はなかった。
 あれだけ滾っていた怒りも、小動物のように自分を見つめているダストを思えばここは相手に合わせるより他はない。
 チルには到底敵わない……。
 屈服したヒエンは何も言えず、その場に力なくしゃがみ込んだ。

「安心してください」

 ヒエンに勝利したチルは、その余韻に浸ることなく話を進めていく。

「二人を拘束する日数はさほど長くありません。護身術云々はあなたが城内にいる名目上の理由に過ぎず、実際は私がこの居館を離れる時に警護するだけでいいのです。……それに」

 チルは立ち上がれないヒエンの前に立った。

「シーリザードが人に返れば私はその日のうちに会議を招集し、そこで世界が引っ繰り返るような重大発表をします。二人には特等席でそれを聞いてもらうことになるでしょう。……場合によっては、ヒエンが望む最高の品を提供できるかもしれませんよ」

 含みを持たせるチル。
 それがどういう意味なのか、今のヒエンには考える余裕もなかった。

「奥に寝室があります。ベッドは二つ。この客間同様、好きに使いなさい。私と行動する以外、あなた達はこの扉の外に出ることを禁じます。ミリが細かい世話をします」

 まくしたてるように一気に話すとチルは扉を開け、控えていた衛兵に導かれて自室へと下がっていった。

 チルと入れ替わるように、ミリという中年の女が入って来た。
 ヒエンが最初にここへ来た時に一度会っている。
 真っ白な絹の服と金の装飾品を体中に巻きつけた従者だ。
 そのミリが無愛想に皮肉を述べる。

「蜂蜜酒をご用意しましょうか?」

 呆然としゃがみ込んだヒエンの代わりに、ダストが「いえ」と首を振る。

「用ができたら呼びます。今は大丈夫」

 ダストのその言葉に、ペコリと一礼してからミリは扉を閉めて退室する。
 目線が合うようにその場にひざまずいたダストは、魂が抜けてしまったようなヒエンを抱きしめて詫びた。

「ヒエン、ごめん。僕のせいで……。でも、僕は絶対にヒエンを死なせたくないんだ。だから、チル臣長には感謝してる」
「……悔しいんや。ただただ悔しい」

 ヒエンはやっと声を出した。
 精神的支柱であるユージンを失った直後、年上の女にいいように蹂躙されたことで、ヒエンは生きることが本気でイヤになっていた。
 それでいて、チルの策略とダストの懇願で死ぬことすら阻まれている。
 ヒエンはダストを離してゆっくり立ち上がる。
 よろよろと寝室へ向かうヒエンの後ろ姿に、ダストは自分の弱さを痛感する。

(こんな時、ユージンやフィルクならどうしていただろう。大好きな人を慰めることさえできないなんて……)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絵心向上への道

よん
ライト文芸
絵がうまくなりたい……そんな僕の元に美しい女神降臨!

【完結】私の代わりに。〜お人形を作ってあげる事にしました。婚約者もこの子が良いでしょう?〜

BBやっこ
恋愛
黙っていろという婚約者 おとなしい娘、言うことを聞く、言われたまま動く人形が欲しい両親。 友人と思っていた令嬢達は、「貴女の後ろにいる方々の力が欲しいだけ」と私の存在を見ることはなかった。 私の勘違いだったのね。もうおとなしくしていられない。側にも居たくないから。 なら、お人形でも良いでしょう?私の魔力を注いで創ったお人形は、貴方達の望むよに動くわ。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

冤罪で追放された令嬢〜周囲の人間達は追放した大国に激怒しました〜

影茸
恋愛
王国アレスターレが強国となった立役者とされる公爵令嬢マーセリア・ラスレリア。 けれどもマーセリアはその知名度を危険視され、国王に冤罪をかけられ王国から追放されることになってしまう。 そしてアレスターレを強国にするため、必死に動き回っていたマーセリアは休暇気分で抵抗せず王国を去る。 ーーー だが、マーセリアの追放を周囲の人間は許さなかった。 ※一人称ですが、視点はころころ変わる予定です。視点が変わる時には題名にその人物の名前を書かせていただきます。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

聖女追放 ~私が去ったあとは病で国は大変なことになっているでしょう~

白横町ねる
ファンタジー
聖女エリスは民の幸福を日々祈っていたが、ある日突然、王子から解任を告げられる。 王子の説得もままならないまま、国を追い出されてしまうエリス。 彼女は亡命のため、鞄一つで遠い隣国へ向かうのだった……。 #表紙絵は、もふ様に描いていただきました。 #エブリスタにて連載しました。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

処理中です...