人を咥えて竜が舞う

よん

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第5章

テフスペリア大森林 11

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 険しい顔で川岸から戻ったユージンとモブランにつられて、ヒエンとダストも背後を振り返る。
 そこには盗賊団が大挙して、既に弓を構えて四人を捉えていた。
 その中に一人、明らかに他の盗賊よりも貫禄のある髭面の男が中央に立っている。
 盗賊団の首領アギだ。

「壮観だな」

 ユージンは視線を動かさないまま鍋盾を持つ。
 そのユージンに、ダストは落ち着いて状況を知らせる。

「ひとまず安心して。ユージンのおかげだよ。奴らは威嚇だけであのまま矢を射ることができないんだ」
「……どういうことだ?」

 ユージンだけでなく、ヒエンやモブランも不可解な表情でダストを見る。

「僕らが夜のうちに移動するなんて、彼らは夢にも思わなかった。昨晩以外、僕達がずっと野宿してたから油断したんだよ。"生死の境界"まで追いこんでから攻撃することは計画のうちだったけど、この川岸ギリギリまでの到達はその計画を大きく越えてしまっている。何故なら、彼らが一斉に矢を放つ派手な行為は対岸に丸見えだし、そこに住む葉人族にとってそれは宣戦布告に見えてしまう危険性を含んでいる。だから、しばらくはこの膠着状態が続くと思う」

 ユージンは渋い顔でダストに訊く。

「一理あるが、何故そうだと言い切れる?」
「たった今、アギが幹部と話している。『ここで攻撃の命令は出せない』って」
「……なるほど。それ以上、説得力のある答えはねぇな」
「ただ、アギ個人にしてみれば、この大パフォーマンスだけでも十分意味があるんだ。今後の手下の統制に大きく関わるからね。今の彼らは僕らの降伏待ち、もしくはこのまま"生死の境界"を渡らせて、葉人族に殺されるのを見守るしかないみたいだ」

 ダストの発言を受けたユージンは、不敵な笑みを浮かべて背後を親指でさす。

「だったら、お望み通りに"生死の境界"を渡ってやろうぜ。見たところ、この川はそんなに深くなさそうだしな」
「……いや。やっぱ前者やな。アイツらはウチらの白旗掲げるん狙ってるで」

 ヒエンが言った通り、代表者五人の盗賊がジリジリとパーティに迫ってきている。
 彼らは弓ではなく短剣を手にしている。

「ウチらの始末は森の中で……ってことや。ま、接近戦ならこっちのモンやけど」
「多勢に無勢なんて言ってらんねぇよな」
「待つにゃ」

 突然、モブランがヒエンとユージンの前に立った。

「ここはモォに任せるにゃ。モォが本気出したら、コイツらあっという間にイチコロなのにゃ」

 ただならぬ殺気を感じたヒエンが問う。

「オマエ、いよいよ本物のアンデッドになる気やな!」

 しかし、モブランはその質問に答えない。

「大丈夫にゃ。川を渡ればきっとフィルクがみんなを守ってくれるにゃ。……みんな、モォと一緒にいてくれてありがとなのにゃ」

 別れの言葉を告げたモブランは眼鏡のテンプル部に触れる。

「馬鹿野郎! 取るなッ!」

 ユージンは阻止しようとするも、気配を感じたモブランはアッサリ避ける。

「早く行くのにゃ! モォ、これ取ったら見境なく誰でも殺しちゃうのにゃ!」

 そんな最中、五人の盗賊は更に距離を縮めている。

「お、内輪揉めしてんのか? 見苦しいヤツらだ」
「無駄な抵抗はやめとけって。首領に命乞いすれば女だけは助かるかもしれねえぜ。……リナフ、裏切り者の貴様は別だ! 恐怖のドン底をタップリ味わってから死んでもらうからな」
「フン、そっくりその言葉返してやるよ!」

 童女の口調がリナフに戻ったその瞬間だった。
 自前のショート・ボウではなく、ロング・ボウの弦を思いきり引いたダストが彼らの間に立ちふさがった。
 しかし、そのロング・ボウに番えるべく矢がない。
 空撃ちの構えだ。

「何のつもりだ? 脅しにもなってねえぞ!」

 五人の盗賊達は一斉にダストを嘲笑った。
 モブランとユージンも、追い詰められたダストがパニックで頭がおかしくなったと思った。

 が、ヒエンだけは違った。

 いつか見た光景だ。
 あの時、ダストは矢も番えずに大空の猛禽類を狙ったが、今はその時とハッキリ異なっていることがある。
 カタリウムの弦が興奮してあり得ないくらいブルブルと小刻みに動いているのだ。
 何かが起ころうとしている……ヒエンは確信していたが、それが何かはまだわからない。

(……矢? ……ま、まさかッ!)

 とっさにヒエンは振り返って対岸を見る。

「ユ、ユージン! 後ろッ!」

 敵に警戒中のユージンとモブランは目だけでそれを確認する。
 すると、そこには複数の葉人族が一列に並んでこちらの戦況を見つめていた。
 彼らの肌は一様に緑で銀色の長髪、そして全員が戦士のように武装していた。

(ダストはあの葉人族の指示を直接聞いたんや!)

 アギ率いる二百人の盗賊も、その姿を確認して滑稽なくらい怖気づいている。
 しかし、五人の盗賊達にはそれが見えていない。
 彼らの焦点はロング・ボウからみなぎって出ている、黒く尖った怪しげなガス状の物体に集中していたからだ。

「みんな、伏せてッ!」

 ダストがそう叫ぶ。
 反射的に飛び込んだヒエンがユージンと共にモブランの頭を押さえる。
 三人は重なるようにして河原へ倒れた。
 ダストはそれを確認すると、カタリウムの弦から右手を離して得体の知れない黒の物体を敵に目掛けて放つ。

 ――その瞬間!

 耳をつんざく程のものすごい地鳴りと爆風が発生して、目の前の五人は勿論のこと、その後ろにいた二百人の盗賊団をまとめて吹っ飛ばしてしまった。

 濛々と砂埃が舞う。

 ヒエンとユージンは目を閉じながらも、モブランの眼鏡が飛ばされないよう一緒に押さえている。

 続けて轟音が鳴る。
 それはダストのロング・ボウによるものではない。別物だ。

「ヒエン! 川がッ!」

 ダストのその声に、三人は前方の盗賊を確認するよりも先に"生死の境界"を見た。
 すると、そこに信じられない光景が彼らの目に映った。
 何と、川の流れが途中で遮られて川底に一本の道ができている。
 更に、そこを二人の葉人族がこちらに向かってゆっくり歩いて来ている。
 残る対岸の五人は川の流れを堰き止めるように、ロング・ソードを天に向かって抜き突き上げるように構えていた。
 あり得ない光景の連続に、ヒエンもユージンも声を出せないでいる。
 しかし、既に葉人族の声を聞いていたダストと、こちらに向かっている一人を見て、

「フィルク!」

 そこへ駆け寄っていくモブランには、何が起こっているのかを正確に把握できていた。
 ヒエンは我に返る。
 どうやら当面の危機は脱したようだ。



「……ユージン、ウチらも行こ!」
「お、おう」

 二人の葉人族は揃って長身で精悍な顔立ちなので見栄えが良かったが、それでいて彼らは全く似ていなかった。
 ついさっきまで川底だったその場所で、念願の再会を果たしたモブランは敬愛する恩人に何もかもぶつけて抱きついた。

「フィルク! フィルク! モォ、今日まで頑張ったにゃ! 約束通りここに戻ってきたにゃ!」
「信じていたよ。モブランは強い子だものね」

 フィルクは優しそうな二重瞼で終始笑顔だったが、一方そのすぐ後ろの葉人族は敵意剥き出しの面構えでモブランと残る三人を順番に睨みつけている。
 今にも、その鞘からロング・ソードを抜き出さんばかりの表情だったものの、フィルクの全てを包み込むような存在感がそれを払拭させている。

(大丈夫。以前モブランが言ったように、問答無用に斬ったりしないから……)

 後ろを振り返ったダストの温和な表情が、ヒエンとユージンにそう言っているようだ。
 久しぶりの再会を懐かしむフィルクに痺れを切らしたもう一人の葉人族が、何やら初めて耳にする言語で戒めるように音を発した。
 フィルクは彼に一瞥もくれずに抱いていたモブランを下すと、

「さあ、ギタイナの子よ。その弓を」

 と、ダストに手を伸ばした。
 成り行きを理解していた金髪の少年はスムーズに応える。

「僕はギタイナ・ブランカの息子、ダスト・ブランカと申します。窮地に陥った僕達を助けていただき、本当にありがとうございました」

 ダストは深々とお辞儀をしてから、ロング・ボウをフィルクに返した。

「こちらこそ礼を言う。危険を顧みず、よくぞここまで……」

 フィルクがそう話している最中、もう一人の葉人族がそのロング・ボウを乱暴に奪い取ると、一人先にスタスタと向こう岸へ戻って行く。
 異種族との接触そのものが彼にとっては忌々しい。
 長ったらしい挨拶など言わずもがなである。
 フィルクは涼しい目つきでその葉人族が対岸に辿り着いたのを確認すると、もう一度モブランを抱き上げ、そして何とこちら側へ渡って来た。
 それを見届けた五人の葉人族は一斉にロング・ソードを鞘へと収める。
 ほんの一瞬、時が止まったような気がした。
 やがて、ずっと堰き止められていた川の水はドンという落下音の後に、元の流れを取り戻して下流の一部となり、何事もなかったようにテフランド湾へと向かっていく。

 対岸にいたはずの葉人族の姿はもうない。
 無事にロング・ボウを取り戻したことで、これ以上人間と関わる必要がないと言わんばかりに彼らは自分達の世界へと帰っていった。
 抱きかかえられたモブランと三人の人間は呆然とフィルクを見ている。
 ダストが恐る恐る訊く。

「あの、戻らなくていいんですか? みんな、行っちゃいましたけど……」

 フィルクは微笑みながら答える。

「こうなってしまってはもう戻れない。仕方ないさ。私自身がそれを選択したのだから。そのことでメザイラは随分と腹を立てていたけどね」

 フィルクと一緒にいてロング・ボウを持ち帰った葉人族のことだろう。

「それに」

 フィルクは三人を凝視する。

「キミ達は葉人族と接触したがっていたんだろう?」

 ヒエンはぎこちなく頷いた。

「残念ながら、キミ達は我が森精庄に行くことは永遠に許されない。その代わりに、この私がキミ達側の領域に足を踏み入れた。これで不満はあるまい」
「そ、そりゃそうだけどよ……」

 ユージンは相手が誰であれ、その喋り方を改める気はないようだ。

「オメエには何の得があるってんだ? 自分の住みなれた土地を捨て仲間を怒らせて……そこまでして人間の世界に来た理由ってのを教えてくれよ」
「理由ならたくさんある。まずはコレだ」

 フィルクはもう一度モブランを下すと、ベルトポーチの中から液体の入った小瓶を手渡した。

「わあ、お薬にゃ! フィルク、ありがとにゃ!」

 モブランは眼鏡を掛けたまま隙間から点眼する。

「ふぅ~、スッキリにゃ」
「その中身がなくなる頃にはモブランの傷ついた水晶体も完全に戻るよ」
「ホントにゃ?」
「ああ、本当だ」
「それはフィルクさんが調合した目薬なんですか?」

 ダストの質問に、フィルクはまたも微笑みながら答える。

「調合はしていない。"精霊の涙"という源泉さ。ギタイナは一滴だけで近眼が治ったよ」
「え……」

 ダストだけではない。
 ヒエンもまたそれを聞いて驚いた……と同時に納得した。

「そうか。母さんの視力があんなによかったのはその薬のせいだったのか」

「ダスト君」

 フィルクはモブランの眼鏡を指さす。

「その眼鏡はギタイナの物だよ」

 フィルクのその発言に一同は愕然となった。
 それが当時十五歳のギタイナが愛用していた眼鏡だとしたら、童女のモブランにはサイズが大きすぎるのも頷ける。
 だが、何故それをモブランが身につけなければならないのだろう。

「ど、どうしてそんな……?」

 ダストは複雑な気持ちで頭がおかしくなりそうだった。
 当のフィルクはダストをなだめるように彼の両肩に手を置いた。

「それについてはゆっくり話したい。少しばかりの淡いロマンスを含んでいるのでね。……ところで、そこのお二人さん」

 不意を突かれたユージンとヒエンは間抜けな顔を見合わせる。

「オレ達のことか?」
「そう。どうやらキミ達は私のことを知っているようだが、残念ながら私はキミ達のことを全く存じ上げていない。こんな殺伐とした場所を離れて、ゆっくり腰を据えながら交流をはかろうじゃないか」
「殺伐とした場所って……えええええええええぇ――ッ?」

 ヒエン達が周囲を振り返ると、そこには例の爆風で体がバラバラになった盗賊団の屍骸が無数に転がっていた。
 これは壊滅状態に近い。
 仮に生き延びた盗賊が数人いたとしても、もはや今のような勢力を取り戻すには数年かかるだろう。
 テフランド公がこの惨状を知れば、その重い腰を上げるだろうか……。
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