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第5章
テフスペリア大森林 6
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翌朝、クラッカー一枚と昨夜モブランがもいだ酸味の強いキウル三粒ずつという簡素な朝食を済ませた一行は、朝霧の濃い馬車道を進んでいく。
「で、オメエら一晩中起きてたけど大丈夫なのか? 結局、オレもモブランも見張りの交替してねぇぜ」
「してないにゃ」
「大丈夫。僕はずっと月を見てたから。月とロング・ボウが輪唱のように歌ってたんで退屈しなかったよ」
「斥候も近くまで来んかったしな」
ダストが頷く。
「僕らの人数と編成を確認しただけで帰っちゃったみたいだね」
「矢の一本くらい飛んでくる思てたけど」
「それはねぇよ」
ユージンがそう断言したので、ヒエンは「何でや?」と訊いた。
「もし、オレらがテフランド兵だったら? 今の蜜月関係がいっぺんにパーになっちまう」
「ウチら、緑のサーコート着てへんから一目瞭然やん」
「馬鹿だな」
ユージンは眉をひそめる。
「ヤツら、お忍びでテフスペリア大森林に入るんだぜ。民間人の格好じゃねぇとすぐに癒着がバレちまう。……だが、次第に盗賊団はオレ達に接触してくるだろう。そして、軍関係者じゃないとわかった瞬間、ヤツらはオレ達を生かしちゃおかない」
「……ユージン! マズいよ!」
急にダストの顔が険しくなった。
「どうした?」
「テフランド兵だと思う。馬車がこっちに向かってるよ!」
「まさにドンピシャのタイミングだな」
頭の兜をパンと両手で叩いたユージン、吐き捨てるようにそう言った。
四人は馬車道から離れて、茂みの奥深くに身を潜める。
つくづく、ダストの聴覚に感謝しなければならないとヒエンは思う。
彼のおかげで迅速かつ安全に隠れることができる。
(ニーリフの住民、ダストがおらんようなって今頃大騒ぎやろな。特にあのゾルとかいう壕守兵、立場的に冗談言うてられんようなったし)
昨晩の焚き火の後は目立たないよう始末してきたが、テフランド兵が何かを感づくかもしれない。
ユージンの鍋盾に昨晩の肉を焼いた匂いが残っているので、ヒエンはマントでそれを覆った。
「可能性は三つ」
ユージンが小声で相手を分析する。
「少なくとも、二人のテフランド兵はオレ達が森に入ったことを知っている。その報を受けてオレ達を追跡に来たか、もう一つの可能性は単なる物資運搬……最後はその両方だ」
「仮に物資運搬やとしても盗賊団が確認するやろ。『昨日、四人組のパーティを見たけど、アレはオマエらの仲間か?』って。どっちにしろ状況は芳しくないな」
「芳しくはないが、こんなの承知の上で森に入ったんだ。今更取り乱す必要はねぇよ」
ダストが無言のまま人差し指を口にあてる。
四人は息を殺して、テフランドの馬車が通過するのを待つ。
やがて、軽快な馬蹄の音が聞こえてくる。
四頭の毛並みの良い栗毛馬が並足でパーティの前を横切って行く。
大型の幌馬車だ。
手綱を持つ御者は見たところ普通の民間人っぽいが、それにしては目つきが異様に鋭い。
四人にとって幸いなことはこの朝霧だ。
この視界の悪い中、周囲を哨戒しながら四頭の馬を操るのは容易ではない。
幌馬車が通過しても、四人は警戒してしばらくそこに留まっていた。
「モブラン」
ダストが初めてその名前を呼んだ。
「幌の中からすすり泣く声が聞こえたけど、もしかして……?」
「にゃ」
二人ともハッキリとは言わないが、ヒエンとユージンにはちゃんと伝わった。
首領の貢ぎ物にされる女が乗っていたのだろう。
「おい、わかってんだろうな?」
ヒエンが口に出す前にユージンが釘を刺した。
「助けてえのは山々だが、残念ながら相手にする組織がデカすぎる。玉砕覚悟で突っ込むんなら別だが、オレ達にはちゃんとした目的があるのを忘れるな」
盗賊団とテフランド公国……たった四人で何ができるというのか。
感情的になって死ぬのは自分だけではない。
「……わかってるわ」
ミッションが成功したら、この悪しき因習を廃してもらうようチルに進言してみようとヒエンは考えた。
今日の男尊女卑社会はチルも快く思っていないだろうから。
*
森に入って二日目はこの早朝の幌馬車通過以外、パーティに特別なことは何も起こらなかった。
モブランの的確な案内で順調に"生死の境界"へ近づいていたし、再び幌馬車に遭遇することもなかった。
テフランド兵はこの先に盗賊団の一味と接触し、来たルートとは違う道で森を出たのだろう。
夜に焚き火を囲った四人。
ずっと張り詰めた空気の中で一日を過ごしていたので、何も起こらなくても心身ともに疲れきっている。
「……仕掛けてこないね」
ダストは手にしたチーズを齧ることなく、揺らぐ炎をぼんやり見ながらそう呟いた。
「陽動作戦だ。奴らは何もしないことで逆にオレ達を迷わせてる。……そうだろ、モブラン?」
「にゃ」
モブランはダストのロング・ボウの弦で遊びながら頷く。
ヒエンはその不自然な動きをする弦を見ながら、盗賊団の首領アギと幌馬車の中ですすり泣いていた女のことを考えていた。
(世界の均衡……そんなモンとっくに崩れとるわ)
「で、オメエら一晩中起きてたけど大丈夫なのか? 結局、オレもモブランも見張りの交替してねぇぜ」
「してないにゃ」
「大丈夫。僕はずっと月を見てたから。月とロング・ボウが輪唱のように歌ってたんで退屈しなかったよ」
「斥候も近くまで来んかったしな」
ダストが頷く。
「僕らの人数と編成を確認しただけで帰っちゃったみたいだね」
「矢の一本くらい飛んでくる思てたけど」
「それはねぇよ」
ユージンがそう断言したので、ヒエンは「何でや?」と訊いた。
「もし、オレらがテフランド兵だったら? 今の蜜月関係がいっぺんにパーになっちまう」
「ウチら、緑のサーコート着てへんから一目瞭然やん」
「馬鹿だな」
ユージンは眉をひそめる。
「ヤツら、お忍びでテフスペリア大森林に入るんだぜ。民間人の格好じゃねぇとすぐに癒着がバレちまう。……だが、次第に盗賊団はオレ達に接触してくるだろう。そして、軍関係者じゃないとわかった瞬間、ヤツらはオレ達を生かしちゃおかない」
「……ユージン! マズいよ!」
急にダストの顔が険しくなった。
「どうした?」
「テフランド兵だと思う。馬車がこっちに向かってるよ!」
「まさにドンピシャのタイミングだな」
頭の兜をパンと両手で叩いたユージン、吐き捨てるようにそう言った。
四人は馬車道から離れて、茂みの奥深くに身を潜める。
つくづく、ダストの聴覚に感謝しなければならないとヒエンは思う。
彼のおかげで迅速かつ安全に隠れることができる。
(ニーリフの住民、ダストがおらんようなって今頃大騒ぎやろな。特にあのゾルとかいう壕守兵、立場的に冗談言うてられんようなったし)
昨晩の焚き火の後は目立たないよう始末してきたが、テフランド兵が何かを感づくかもしれない。
ユージンの鍋盾に昨晩の肉を焼いた匂いが残っているので、ヒエンはマントでそれを覆った。
「可能性は三つ」
ユージンが小声で相手を分析する。
「少なくとも、二人のテフランド兵はオレ達が森に入ったことを知っている。その報を受けてオレ達を追跡に来たか、もう一つの可能性は単なる物資運搬……最後はその両方だ」
「仮に物資運搬やとしても盗賊団が確認するやろ。『昨日、四人組のパーティを見たけど、アレはオマエらの仲間か?』って。どっちにしろ状況は芳しくないな」
「芳しくはないが、こんなの承知の上で森に入ったんだ。今更取り乱す必要はねぇよ」
ダストが無言のまま人差し指を口にあてる。
四人は息を殺して、テフランドの馬車が通過するのを待つ。
やがて、軽快な馬蹄の音が聞こえてくる。
四頭の毛並みの良い栗毛馬が並足でパーティの前を横切って行く。
大型の幌馬車だ。
手綱を持つ御者は見たところ普通の民間人っぽいが、それにしては目つきが異様に鋭い。
四人にとって幸いなことはこの朝霧だ。
この視界の悪い中、周囲を哨戒しながら四頭の馬を操るのは容易ではない。
幌馬車が通過しても、四人は警戒してしばらくそこに留まっていた。
「モブラン」
ダストが初めてその名前を呼んだ。
「幌の中からすすり泣く声が聞こえたけど、もしかして……?」
「にゃ」
二人ともハッキリとは言わないが、ヒエンとユージンにはちゃんと伝わった。
首領の貢ぎ物にされる女が乗っていたのだろう。
「おい、わかってんだろうな?」
ヒエンが口に出す前にユージンが釘を刺した。
「助けてえのは山々だが、残念ながら相手にする組織がデカすぎる。玉砕覚悟で突っ込むんなら別だが、オレ達にはちゃんとした目的があるのを忘れるな」
盗賊団とテフランド公国……たった四人で何ができるというのか。
感情的になって死ぬのは自分だけではない。
「……わかってるわ」
ミッションが成功したら、この悪しき因習を廃してもらうようチルに進言してみようとヒエンは考えた。
今日の男尊女卑社会はチルも快く思っていないだろうから。
*
森に入って二日目はこの早朝の幌馬車通過以外、パーティに特別なことは何も起こらなかった。
モブランの的確な案内で順調に"生死の境界"へ近づいていたし、再び幌馬車に遭遇することもなかった。
テフランド兵はこの先に盗賊団の一味と接触し、来たルートとは違う道で森を出たのだろう。
夜に焚き火を囲った四人。
ずっと張り詰めた空気の中で一日を過ごしていたので、何も起こらなくても心身ともに疲れきっている。
「……仕掛けてこないね」
ダストは手にしたチーズを齧ることなく、揺らぐ炎をぼんやり見ながらそう呟いた。
「陽動作戦だ。奴らは何もしないことで逆にオレ達を迷わせてる。……そうだろ、モブラン?」
「にゃ」
モブランはダストのロング・ボウの弦で遊びながら頷く。
ヒエンはその不自然な動きをする弦を見ながら、盗賊団の首領アギと幌馬車の中ですすり泣いていた女のことを考えていた。
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