人を咥えて竜が舞う

よん

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第3章

大人と子供 3

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 用事があるからと、ユージンは金貨八枚をヒエンに渡し夜の街へ消えていく。

「遠慮することぁねえ。元々、オメエの取り分だ。適当な宿を見つけろ。ベッドにダニがいるような安い所はダメだ。明日の朝にそこの井戸の前で落ち合おう。……じゃあな。無駄遣いすんじゃねぇぞ」

 ヒエンはユージンのその言葉を思い出しながら、手のひらの八千ギリドを見つめて改めてすごい大金だと思った。
 三千ギリドで南ナニワーム島から連絡船に乗りシバルウーニ大陸にやってきて五日間、切り詰めて切り詰めて所持金は僅か五百七十三ギリドしか残っていなかったところに、いきなりの大増額である。
 パブでの飲食代もユージンが払ってくれたし、その金も含めて結局はヒエンが大嫌いなあの女から出ていると思うと少しも嬉しくなかったが、ここでまたつまらない意地を張っても何の得にもならない。

 今夜の宿泊はユージンと同部屋になるかもしれないと覚悟していたヒエンは、ユージンの紳士的な態度にいたく感心したし、その半面、子供扱いされたようで拍子抜けもした。
 多分、この八千ギリドはヒエンが床で叩きつけた物をユージンが拾ったものなのだろう。
 そう考えると、ヒエンは自分がとても小さくて惨めな存在であり、対照的にユージンはああ見えてとても包容力のある素晴らしい大人に思えてきた。

 ヒエンは十八歳、ほぼ大人になりつつある。
 捕縄術道場での稽古メニューは師範であり祖父であるソーウンからほぼ任されているし、放浪癖のある画家の父と自分の出産直後に死んでしまった母の影響で、同世代の人間の誰よりも自立心が強いとヒエンは思い込んでいた。
 しかし、今日に限っては"ほぼ大人"と"大人"に大きすぎる隔たりを痛感せずにはいられなかった。

 まず生きることを考えろ……。

 そう言い残した男もヒエンより何年も長く生きてきた大人である。
 月並みだが、それでいて深い言葉だ。
 プライドでこの世界は生きていけない。


 宿探しのため繁華街をブラブラ歩いていると、ヒエンは目を背けたくなる光景に遭遇してしまった。
 二人組の妖艶な女が嬌態を見せつけて往来の男達を誘っている。
 思わずヒエンは眉をひそめた。
 ナニワームにもああいう娼婦がいないわけではなかったが、基本、早寝早起きの習慣を続けているヒエンはそういう人種に接する機会が殆どなかった。

(せっかく大人ってすごいなぁ思てたのに、あんなん見たら台無しやわ)

 ヒエンは彼女達を見ないように通り過ぎようとしたが、うまい具合にちょうど客を見つけたようだ。
 二人揃って猫なで声で男を誘惑している。
 男も満更ではなさそうで、値段と時間を訊いている。
 この世で最も醜い交渉が何のためらいもなく群衆の前で堂々と取り交わされているのだ。
 嫌悪感一杯のヒエンはその三人まとめて捕縛してやりたかったが、今にも契約が成立しようとしている。
 重要と供給のバランスが保たれている合意上の交わりならば、何の関係もないヒエンはそこに立ち入ることができない。
 余計なお世話であり営業妨害であり、暴行罪さえ適用されてしまう。
 そして、ヒエンはハッと思いついた。

(ユージンがウチを金貨で追い払った理由って、まさか……)

 考えたくないが、酒を飲みながらハーレム生活の憧れを熱弁していた男のことである。
 まして、ユージンは持ち歩くのに難儀するほどの大金を手にしている。
 生死を賭した戦いを前に男が情欲に飢える気持ちはわからなくもない。
 紳士のキラースにしても健全な男だから自然とそういう気持ちになるだろう。
 ただ、理屈では許容できても多情多感なヒエンはどうしても受け入れられなかった。
 それが大人の通り道だとするならば、自分は一生このまま十八歳でいい。

 呪いの年齢まであと二年……。

 ずっと先だと思っていたのに随分と生きてきた。


 夜空に月が目立ち始めた。
 もうすぐ店じまいの商店街に出たヒエンは一人の子供に目をやった。
 十歳くらいだろうか。
 茶色のハンチングを目深にかぶり、皮のベストを着て濃い緑のショートパンツに黒いロングブーツを履いた童女だ。
 やや大きめの鞄を斜め掛けにしている。
 髪はハンチングとほぼ同じ色のセミロングで黒縁の眼鏡を掛けている。
 それはどう見ても大人用だった。
 サイズが合ってないので頻繁にフレームやブリッジをいじって位置を整えている。
 どう見てもこの場にそぐわない。
 親のお使いで出歩いてるならば、まっすぐ目的の店に向かうはずだ。
 この童女は明らかに商店街中のあらゆる品を物色している。
 眼鏡の奥の目を鋭く光らせながら……。
 ヒエンの勘が働く。

(アイツ、その場しのぎのチンケなスリやない。冒険者……プロの盗賊か?)

 だとしたら、あの大きすぎる眼鏡は何のために掛けているのだろう?
 必然的に人目につくし、逃げる時は必ず邪魔になるはずだが……。
 童女は果物屋の前に止まって、山積みのモスベリーの実を一つ手に取った。

「おじさん、これ一つ幾らだにゃ?」

 変な語尾をつけて訊く。

「へい、毎度。一個二ギルドだ。安いだろう?」
「わーい、よかったにゃ。ちょうど二ギルド持ってるにゃ」

 ヒエンは早くもその喋り方にイラッときた。

「これも美味しそうだにゃ。う~ん、どっちにしようかにゃあ?」

 童女は両手に一つずつ持って「重い方にするにゃ」と言った後、何とその場でお手玉をやり始めた。

「お、おいおい、落っことすと両方買ってもらうぞ!」

 果物屋の心配もよそに、童女は二つの赤く熟れた果実を本職のジャグラー顔負けの手つきでポイポイと空中でクロスさせている。
 果物屋も童女の手さばきに魅了されたのか、次第に顔がほころんでくる。
 ヒエンはその恍惚とした表情に不自然さを感じ取った。

(目がウットリしすぎや。お手玉で軽い催眠術にかかってるんか?)

 だとしたら、あの眼鏡の童女はそろそろ仕事にかかる頃である。
 ヒエンは斜め掛けの鞄に注目した。

(アイツ、絶対やりよるな!)

 果物屋は宙に浮く二つの赤い球体しか見ていない。
 童女はお手玉を続けながら、山積みの中から第三のモスベリーを掴んで素早く鞄の中に入れた。
 その間もお手玉は続けられている。
 果物屋は全く気づかず、唐突にお手玉ショーは終わる。

「やっぱりやめとくにゃ。別の店に行くにゃ」

 童女は二つのモスベリーを山積みの上に重ねてスタスタ歩き出した。
 果物屋は商品を盗まれたことすら気づかず、童女の後ろ姿に手まで振る。
 子供以上大人未満のヒエンにとって、今日という日ほどこの人間社会が汚く感じたことはなかった。
 子供だろうが大人だろうが、人間そのものが汚らわしい存在なのだ。
 ヒエンはまだ夢見心地の果物屋に軽くビンタする。

「オイ、オッサンしっかりせえッ! 目ぇ覚めてるか? あの眼鏡のガキ、このモスベリー一個スリよったんやで!」
「んぁ~? 本当かにゃ?」
「オマエもかいッ!」

 まだ術は解けてないようだ。
 ヒエンはあきらめて二ギリドを果物屋に手渡し、すぐに眼鏡の童女を追った。
 たった二ギリドではあるが泥棒であることに変わりはない。
 まだあんなに小さいうちから大人を騙すことがヒエンには許せなかった。
 追いかけながら、ヒエンは自分が今履いている鹿皮のショーツブーツ代五百二十ギリドを払わなかったことをふと思い出す。
 あの時、ヒエンは文無しと言いながらも千四十ギリド持っていたし(イニア港行きの運航費は既に前払いしていた)、実家には七千ギリドもの大金を置いてきた。
 その七千ギリド以外にもヤマト家にはそれなりの蓄えがある。
 支払い能力は十分にあったのだ。
 あの靴屋はヒエンが言った通り、ナニワーム公に請求しただろうか?
 それとも、ヤマト家に出向いて「娘さんの靴代払ってくださいよ」と詰め寄ったのだろうか?
 ショートブーツ代は必要経費だが、どっちにしろ自分がやったことは窃盗ではないにせよ正しくはないし誰かしらに迷惑をかけたことになる。
 実家の家計を助けるつもりで金を残してきたが、結果的にそれは虚栄でしかなかった。
 童女に代わって果物屋に二ギリド払った行為も偽善でしかない。
 靴代を払わなかった自分にそんな資格なんてないし、自己満足の正義感のためにあの童女を追いかけて何になる?
 人間そのものが醜く汚らわしい存在……それは当然、自分自身も含まれていることをヒエンは認めなくてはならなかった。
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