人を咥えて竜が舞う

よん

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第3章

大人と子供 1

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 真っ白な建物は見るのもイヤだというヒエンの意見を尊重し、二人は凱旋門前まで歩いてそこから二頭立ての民営馬車に乗り、グレンナというテフランド公国の国境手前の大きな街まで移動していた。

 二人とも空腹だったのでユージン馴染みの古いパブ――"飲み食い団"に入り、奥のカウンターに腰掛けた。
 日没まではだいぶあったもののヒエンは朝食も満足に食べていなかったので、好物のフライドフィッシュを二皿とサラダとチーズをかけたアツアツの平らなパンを注文し、井戸で冷やしたミルクをゴクゴク飲んでそれらの料理を次々に片づける。

「しかし、美味そうに食いやがるな」

 ヒエンの食べっぷりに感心したユージンは、ビーフジャーキーを噛みちぎりながらそう言った。
 こちらは飽きもせず蜂蜜酒を頼んでいる。
 瞬く間に料理を平らげたヒエンはフゥーッと一息つきようやく喋り出す。

「こんな内地で魚が出てくるとは思わんかったわ。ムチャ高いけどな」
「腹が満たされて怒りは収まったみてぇだな」
「少しだけや」

 残ったミルクを一気に飲み干し、ヒエンは腕組みをしてまたも黙り込む。
 次第に店は込み始めるが、大きな店なのですぐに出ていく必要はない。
 そもそも、ユージンは三杯目の蜂蜜酒とその肴にオイル漬けの小魚をハーブで炒めた物とナッツの盛り合わせを追加注文したばかりだった。

「そんなに好きじゃねぇんだが、オメエの食いっぷり見てたらこっちまで魚を食いたくなったぜ。……食うか?」

 ユージンは小魚の炒め物を勧めるが、ヒエンは無言のまま首を横に振った。
 あきらめたユージンはフォークで小魚を突き刺して口に運んだが、まるで苦い粉薬を飲まされたような顔をして蜂蜜酒で一気にそれを流し込んだ。

「ウゲェッ、マジィ! 懐に余裕がなかったら絶対頼んでなかったぞ、こんなもん!」

 店主を目の前にしてこんな暴言が吐けるユージンは本当にデリカシーがない。
 尤も、ユージンの性格を知り尽くしている店主は何も言わなかったが。
 そのユージンが声をひそめる。

「しかし、ヒエンよ。オメエがこうして豪華な飯にありつけるのも、オレが臣長殿からもらった二十万ギリドのおかげなんだぜ。オメエがあん時に癇癪起こさなかったら、二人合わせて四十万だぞ。つくづく惜しいことをしたもんだぜ」
「ユージンはそんなに金が好きなんか?」

 皮肉まじりにヒエンが口を開いた時、ユージンは嬉しそうにグラスを傾ける。

「言え。その小せえオッパイに溜め込んでるもん、洗いざらい喋っちまえ。その方がオメエらしいぜ」
「断っとくけどな」

 ヒエンは眉間にシワを寄せる。

「ウチは下ネタと金の亡者は大嫌いやねん。胸のことは言うな。ついでに言うたら酒飲みも好かん」
「オイオイ、それ三つとも否定しちまったらオレの存在は煙みたいに消えちまう……まぁ、いいや。生娘相手にそこまでのノリは期待しちゃいけねえな。だが、酒だけは譲らねぇから。飲みすぎて肝臓ぶっ壊れようがオレは飲み続けるぜ」
「大金もろて大酒食らって、ほんで肝臓壊すんか? アホの極みやな。世界の均衡が崩れる前にとっとと自分で自分殺してまえ。誰も哀しまんわ」
「ソレだよ。不思議なもんだぜ」

 ユージンはまたもニヤリと笑って蜂蜜酒を飲み干した。

「オマエ、さっきから何ニヤニヤ笑てんねん。気色悪いオッサンやな」

 ユージンはすぐに答えない。

「マスター、おかわりだ。まどろっこしいから瓶ごと寄こせ」

 新たに蜂蜜酒をオーダーし、ヒエンに向かって「ちっとも腹が立たねぇんだ」と本心を告げた。

「ウチに?」
「ああ。だが、最初に主城で会った時は別だぜ。さんざん待たせたあげく、このオレに『殺す』と抜かしやがった時は、さすがに生意気なクソガキをあの場でブチ殺そうかと思った。しかし、妙なことにそんな感情はすぐどっかに失せちまったんだ」
「まさか、生粋のマゾとか?」
「そんなんじゃねぇよ。うまく説明できねぇが、オメエの憎まれ口を聞いてるとこっちのリズムがよくなることに気づいたんだ。だから、馬車の中からこの店に入るまでオメエが殆ど口をつぐんじまった時は退屈でしょうがなかった。……オメエは絶対に認めねぇだろうが、オレ達はなかなか相性がいいと思う」
「言うとくけど、ウチは不細工に惚れたりせんで」
「馬鹿野郎! こっちだってミルク飲んでるガキなんざ一切興味ねぇよ! オレが言ってんのは仕事上の相性って意味だ」
「超一流の不細工は否定せんのか?」
「オレだって鏡くらい見て自分の顔のマズさくらい自覚し……ってか、ドサクサまぎれに『超一流』を付け加えるんじゃねぇよ!」
「悪かったな、超一流の傭兵さん」

 ユージンはそれについて何か言おうとしたが、あきらめて話を進める。

「今度のミッション、かなりキツいことは疑いの余地もねぇが、それでもオレには成功する場面しか想像できねぇんだ。……近い将来、信じられねぇくらいの大金を手にしたオレは城のような豪邸をぶっ建てる! そこにいい女をたくさん侍らせて一生遊んで暮らす! ザール領内にオレの銅像を建てる! 多額の寄付もする! ザール公はこのオレに爵位を授ける! 祝典パレードで俺は民衆に投げキッスをして大勢の女を虜にしちまう! 豪邸はますます女で賑わう! ……見える! 見えるぜ、その光景がこのオレには鮮明によッ!」

 ヒエンは頬杖を突き、虚ろな目で相方を見た。

「おめでたいやっちゃな」
「いいじゃねぇか。悲観的に考えても先には進まねぇからよ。オメエだってナニワーム公から一目置かれて、南の島の統治を任されるくらいになってるかもしれねぇぞ」
「アホ。どんだけ話を飛躍させとんねん。冷静にならんかい。第一、先になんか進めるわけないやろ。今のウチら、ヌカルミにドップリ浸かったまま停滞しとんのに」
「縁起でもねぇこと言うな。臣長殿に獲物を差し出せば済む話じゃねぇかよ」
「はぁ?」

 ヒエンは蔑むような目をしてユージンに言ってやる。

「肝心な"海トカゲ生け捕り"もノープランやのに?」

 その発言に、今まで熱く語っていたユージンは一気に凍りついた。
 目の前に蜂蜜酒の瓶が置かれたが、彼はそれに気づかないほど頭が真っ白になっていた。
 やっと気を取り戻したユージン、大きく息を吐いて正気を取り戻す。

「ヒエン、悪い。ちょっと飲み過ぎたみたいだ。……無理もねえ。主城で既に三瓶空けてんだからよ。おかしな幻聴が聞こえたってことは、ついに肝臓がギブアップしたってことだな。――マスター、やっぱこの酒いらねぇや。このクソマズイ魚と一緒に引っ込めてくれ」

 店主は露骨に不快な顔をする。

「おいおい、ユージン、冗談言うなよ! もう栓は開けちまったんだ。そっちが飲まないのは勝手だが、お代はちゃんと払ってもらうぞ」
「わかってるよ。いちいち細かいこと抜かすんじゃねぇや」

 ユージンは革袋の中から一枚の金貨を取り出して、カウンターの前にバンと置いた。

「釣りはいらねえよ。これから大事な話をするんだ。しばらくオレ達から離れてくれ。それから、他の客も横へ座らせるんじゃねぇぞ」

 二人の飲食代は合わせて三百三十ギリドなのに対し、金貨一枚は千ギリドだ。
 ユージンの振る舞いに半ば呆れた店主はまばゆい輝きを放つ金貨をポケットにしまい、魚の皿と蜂蜜酒の瓶を取り下げて別の客の前へ移動した。
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